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お仕置きの蔵 (お灸小説)

 お仕置きの蔵

(前置き)

 私が子供だったのは今から50年以上も前のこと。
 その頃の田舎といったら、親が子供を折檻するのは当たり前。
しかも、そのお仕置きについて誰もが納得する理由がないという
ことさえ稀ではありませんでした。

 今ならきっと大半が『虐待』ってことになるんでしょうね。

 でも、多くの子供たちがそうで、私もそうでしたけど、たとえ
厳しいお仕置きを受けても、親を恨むような子はあまりみかけま
せんでした。

 昔の子供は、『親や先生は常に正しいことをしている』と信じ
込まされていた節もありましたから、『よくわからないけど……
きっと、そういうものなんだろう』って親の折檻をあまり疑問視
しなかったんです。

 ぶたれた時は、『運が悪かった』って、これだけでした。

 そうそう、たまに友だちが『親からあんなことされた、こんな
こともされた』って、お仕置きされた事を愚痴ることがあります。
 そんな時、表向きはその子に同情して話を聞いているんですが、
心の中でものすごく興奮していたのを思い出します。

 他人の不幸は密の味ということでしょうか。

 とりわけ、女の子の話には尾ひれがつきますから、彼女だって
事実をオーバーに語って自分を悲劇のヒロインに仕立てていたの
かもしれませんが、それを差し引いても、今の親とはお仕置きの
常識が異なっていたのはたしかでした。

 私の両親についても、個人的にはそれほど常識を外れた人たち
とは思っていませんが、そこのところはわかりません。
 他の家の事を詳しく知りませんから、ひょっとすると、私の家
だけ飛びぬけて子供に厳しい家だったのかもしれません。

 ただ、そんな私も両親を恨むことはありませんでした。

 幼い頃の私にとって日常生活は可もなく不可もなし。おおむね
幸せな世界でした。

 もちろん厳しいお仕置きだって幾度となく経験してきましたが、
それって、今の人達が考えるほど深刻なダメージにはなっていま
せんでした。

 だって、親に愛されていた時間に比べれば、お仕置きされてた
のは短い時間です。小さなエポックに過ぎませんから、それさえ
過ぎれば、またおせっかい過ぎるほどの強烈な親の愛撫が待って
いました。

 親の愛撫とお仕置きが交互にやって来る生活の中で私は自分を
成長させていったのでした。

****************************

(本編)

 私の家はもともと農家でしたが、父が勤め人になったために、
農地は他人に貸していました。
 ただ、農家をやめてもお米を貯蔵しておく為の蔵だけは敷地の
隅にぽつんと残っていましたから、父親はその蔵を改造、二階を
書斎として使っていました。

 ところが、私が生まれ成長していくにつれ、そこはやがて子供
をお仕置きするための空間に変わっていきます。

 何しろ書斎だけで使うにはそこは広すぎるということで、両親
としても広いスペースの有効利用を考えたみたいでした。

 最初の頃は閉じ込めだけでした。

 電気もつかない離れの蔵へ閉じ込められるというのは幼い子に
とってはもの凄い恐怖です。
 昼間だってそうですが、夜に閉じ込められた時なんて気が狂い
そうに叫んでいました。

 もの凄い声で泣き叫び、たくさんたくさんごめんなさいを言っ
てようやく許してもらう事になりますが……さて、効果のほどは
というと、そう長続きはしません。

 一日二日はおとなしくしていても二三日後には、また蔵に入れ
られ……また、ごめんなさいを叫ぶはめになります。

 特に私の場合は、女の子より男の子のお友だちが多いお転婆娘
でしたし、学校の勉強はできません。おまけに手先も不器用で、
お裁縫の宿題などは、ほぼ母の手作りという困ったちゃんでした。

 ですから両親としてもお仕置きのネタには困らなかったみたい
で、三日にあけず蔵通いだったのです。

 でもそうたびたびとなると、ただ閉じ込めただけでは堪えなく
なります。

 以前だったら、親が手を引いて蔵の方へ行くだけでも泣き叫ん
でいたのに、四年生の頃になると慣れてしまい蔵の錠が下りても
うんでもなければすんでもありません。
 出してもらう間は、おとなしく一人遊びしているか、お昼寝を
して時間を潰せばよいと悟るようになっていました。

 こうなると、両親もただ閉じ込めただけではお仕置きとしての
効果が期待できないと考えるようになります。

 そこで、両親が次にとったのが実力行使。
 要するに身体をいじめたり辱めたりする体罰を蔵へ閉じ込める
前や後に付加する事でした。

 最初はいわゆるお尻ペンペンで、母親が平手でパンツの上から
お尻を叩く程度でしたが、年齢が上がっても私の素行がいっこう
に改まりませんから、その体罰は次第に過激なものへと変化して
いきます。

 五年生からはお尻叩きに竹の物差しが使われるようになります
し、六年生になると、それまで土間だった場所に畳が敷かれ……
そこでお灸がすえられることに……その熱かったこと……今でも、
その名残が肌に残っていますし、たまに夢にみたりもします。

 いえ、それだけではありませんでした。
 中学にあがると、両親のお仕置きはさらにエスカレートします。

 思春期に入り、ちょっとしたことでも恥ずかしいと感じる年頃
なのに、それを利用して肉体を虐める体罰ばかりでなく、思春期
の少女が身の置き所をなくすような辱めが公然と行われるように
なるのでした。


 まずは、母屋から罰を受ける蔵までの道中。

 これまでは、当然、服を着ていましたが、そこを素っ裸で歩か
せたのです。

 私が思わず泣くと、母が……
 「恥ずかしい?……でも、仕方がないわね。それだけのことを
したんだから……報いは受けないといけないわ」
 と突き放します。

 あれは中学二年の初夏の頃でしたか、学校でお友だちと一緒に
タバコを悪戯していたのがばれて学校でお仕置きされて帰宅した
日のことです。

 もちろん、それだけだって大変な事なんですが、家でのことを
慮った私がこっそり家からイチヂク浣腸持ち出し、近所路の茂み
で全部出してしまったものですから……

 「あんた、見られたのが節さん(うちのお手伝いさん)だから
まだいいけど、そんなことして、もし誰かに見られたどうするの!
近所中の笑いものになるところだったのよ。あんたも子どもじゃ
ないんだら、少しは後先のことを考えて行動しなきゃ!」

 それを知った母親はカンカンでした。

 結果、
 「そんなにハレンチなことが好きなら、恥ずかしいお仕置きも
必要ね。服を脱ぎなさい!……セーターもブラウスもスカートも
スリーマーもショーツもブラも靴下も……とにかく全部よ!!」
 青筋立てて怒鳴りまくるお母さんに取り付く島もありません。

 こうして新たなお仕置きが追加され、私は素っ裸でお父さんの
待つ蔵まで連行されることになったのでした。


 蔵は自宅の敷地内にあって。母屋からは石畳を100mくらい
歩いた先にあります。けっこう遠い距離ですが見ているのは両親
だけ。しかも周囲を高い煉瓦塀に囲まれていますから、この恥ず
かしい姿がよそに漏れることはないかもしれませんでした。
 ただ、家の敷地内とはいっても私は明らかに晒し者です。

 裏庭へ連れ出された瞬間から、恥ずかしいなんてもんじゃあり
ませんでした。

 母屋にいる時から涙が溢れ、石畳を歩いて蔵に入ってからも、
涙がとめどもなく流れて、私は一生分の涙をここで使い果たした
んじゃないかと思ったほどだったんです。

 小さな窓しかない蔵の中は日中でも真っ暗です。そこにわざと
大きなローソクが何本も灯されていました。
 これはこの蔵に電気が来てないからではなく、私にお仕置きの
恐さを実感させるための親の演出。
 私はすでに中学生でしたが十分効果がありました。

 蝋燭は部屋の四隅にありましたが、たとえ何本並べられていて
も電気に比べればほの暗く、おまけに常に大きな影ができます。
 揺らめく炎はまるで不安な私の心を表わしているようで、その
中にいるだけで私の心の中は穏やかではいられませんでした。

 「おいで」
 いきなり低い声が蔵の中で響きます。

 声のありかを見ると、蔵の奥に敷き込まれた六畳分の畳の上で
お父さんが正座しています。

 私は何一つ服を着ていませんから、恥ずかしいというのは当然
ありますが、私はお父さんの子供ですから、呼ばれた以上そこへ
行かざるをえませんでした。

 土間が畳に変わるあたりで用意されていた雑巾で足の裏を拭き、
畳に上がると、注意深く前を隠し、正座の姿勢で、むこうずねを
ずるようにお父さんの近くへとやってきます。

 何でもないことのようですが、もしこれが二三年前だったら、
私は立ったまま歩いて、お父さんの処へ行ったかもしれません。
でも十四歳ともなると、さすがにそれは恥ずかしくてできません
でした。

 「寒かったかい?」
 お父さんにきかれて、私は無言のまま頭を横に振ります。

 「恥ずかしかったかい?」
 再びお父さんに尋ねられて、今度は素直に頷きます。

 すると、お父さんは……
 「仕方ないな。恥ずかしいことさせてるんだから」
 と答えます。

 そして……
 「立ってごらん」
 と、あらためて私に命じるのでした。

 「はい」
 私は今さら反抗もできないと思い私の全てを見せる覚悟で立ち
上がります。

 父は座ったままですから、当然、私の方が父を見下ろすかたち
になります。
 そして、私のお尻回りがお父さんの視線の高さに。
 いくらお転婆の私でもこれは『恥ずかしい』と思いました。

 「その場で回ってごらん」
 そんな私を、父は正座したままぐるりと一回りさせます。

 もちろんお尻だけじゃありません。私の未熟なオッパイ。お臍。
萌え出したお臍の下。とにかく私がそれまで大事にしていた物が
次から次へとお父さんの間近であからさまになっていきます。

 お父さんだから、まだしもなんですが……一つ一つ丁寧に見つ
められると、もうこの場から消えてなくなりたい気分でした。
 でも、そうもいきませんから、知らず知らず身を縮めて中腰の
姿勢になります。
 すると、ここでも……

 「恥ずかしいのか?」
 父が少し睨んだだけで、私はもう何も言えなくなってしまいま
した。

 「学校でもお仕置きされたんだろう?……………何をしたから
お仕置きされたんだ?」

 「………………(今さら聞かなくても知ってるでしょう)」
 私は心の中で思います。

 「言いなさい。黙ってちゃわからないよ」

 「…………それは……美津子ちゃんと由香里ちゃんと三人で…
……………その…………」

 「三人でどうしたんだ?」

 「タバコをイタズラしてたのを先生に見つかっちゃって……」
 私はぼそぼそっと言ったあと、少し大きな声で…
 「でも、私、吸ってないから」

 私は反論したつもりだったのですが……
 「吸ってない?……でも、そのまま先生に見つからなければ、
お前も吸ってたんだろう」

 「…………それは」

 「だったら、同じことじゃないか。……お前だって、タバコを
吸ってみたいと思ってその場にいたんだろうから……違うかい?」

 「…………それは」

 「だったら、同じことだよ」

 「…………」

 「お前が実際にタバコを吸おうが吸うまいが、世の中がお前に
下す評価は不良少女。そしてお前が通う学校は『不良少女のいる
学校』と呼ばれることになる。お前は、そんなレッテルを学校に
貼ってしまったんからね、それだけでお前は十分罪になるんだ」

 「…………」
 私が小さく頷くと、父はそれを見て…
 「世の中で一番大事なことは信用。罪に問われなければそれで
いいんじゃない。世の中からどう見られているかが大事なんだ。
……わかるかい?」

 「…………」
 私は再び小さく頷きます。
 「お前は女の子なんだから、そこのところはなおさら注意して
暮らさなきゃ。……学校においても。そしてこの家にあってもだ」

 「…………」
 厳とした父の物言いは、もはや私の身がどうにも救われない事
を暗示していました。

 ですから……
 『ここで一発おちゃらけを言って、この場の雰囲気をなごませ
て……』
 といういつもの戦略も、今日は通用しそうにありません。

 「学校ではどんなお仕置きを受けたんだ?」

 「それは連絡帳に……」

 「それは知ってる。でも、お前の口から聞きたいんだ」

 お父さんの命令では仕方ありません。私は大きく一つ熱い吐息
をついてから答えます。
 「…(はあ)……放課後、園長先生のお部屋に三人で呼ばれて、
一人12回の鞭打ちを受けました。…………」

 「……それだけ?」
 私の言葉が途切れるとお父さんは早速催促します。

 それから先は、私の口から言い出しにくいこと。
 きっと、お父さんはその内容を知っていて、わざと私の口から
言わせたかったに違いありません。

 「………………………………………………………………」
 私はしばらく黙っていましたが、お父さんに睨まれればこれも
本当の事を言わざるを得ませんでした。

 そこで一つまたため息をついてから話し始めることにします。

 「…(ふう)……明日から一週間は普段のショーツではなく、
オムツを穿いて登校するようにって園長先生から言われました。
……それから……朝は、しっかり浣腸してお腹の物をできるだけ
出してから登校するようにって……あと……朝のホームルーム前
と昼食後の昼休みと放課後、教務の先生から鞭を六回ずついただ
きます」

 「そうか、それはよかった。どんなに厳しくしても一回だけだ
と子どもはすぐに忘れてしまうからな。継続するというのはよい
ことだ。この一週間は辛いだろうが、きっとよい教訓になるよ」

 「だって、毎朝、お浣腸しろだなんて、無茶よ!」
 思わず不満が口をつくと…
 「お浣腸は、鞭をいただく際に粗相が起きないようにだろう。
大丈夫、お前が心配しなくても、明日の朝はたっぷりのお薬で、
お腹を空っぽにして出してあげるから」

 お父さんの真顔に私は声がありませんでした。
 「…………」
 
 「ただ、今日の事(家の救急箱からこっそりイチジクを持ち出
して、用を済ませたこと)は、お前の不始末が原因だから、学校
は学校として、お家では、また別のお仕置きを用意するからね」

 「(えっ!)」
 ある程度覚悟していたこととはいえ、改めてお父さんの口から
出たお仕置きの言葉に私は血の気を失います。

 「それに、連絡帳にもこうして書いてあるんだ。『真理子さん
については学校といたしましてもそれなりの教訓を授けるつもり
でおりますが、ご家庭におかれましても、何かしら記憶に残るご
処置をお願いいたします』って……」
 父は私の鼻先に連絡帳を差し出します。

 そこには担任の森田先生のペンが走っていました。

 「……これって、お仕置きしろってことなの?」

 父に心細そうに尋ねますと、父は少し馬鹿にした様子で…
 「何だ、ここには『お仕置き』とか『体罰』なんて書いてない
じゃないかって言いたいのか?」

 父は私を笑い…
 「いいかい真理子。たしかにここには体罰とかお仕置きなんて
露骨な言葉は使われてないが、それは、お前の通っている学校が
品性を重んじる学校だから先生も露骨な表現を遠慮されてるだけ
で教訓もご処置も意味は同じ。お仕置きなんだよ。わかったかい、
お嬢様」

 「…………」
 私は、ぼーっと突っ立ったまま無言で頷きます。

 父の声は我が家では権威の塊。子どもはおろか母でさえ、父に
きつく命じられたら素直に従うしかありません。日頃は、父とも
仲良く冗談を言いあったりする私だって場の雰囲気は読めます。
この時ばかりは、面と向かって逆らうことなどできませんでした。

 「ほら、もういいわ。いつまで立ってるの。ちゃんと正座して
ご挨拶なさい」
 「あっ、お母さん」
 いつの間に私の後ろにまわった母が私の肩を叩いて助言します。

 私は慌ててその場に正座しなおすと……

 「お父様、真理子はいけない子でした。どうか、お仕置きで…
…良い子にしてください」
 少し言葉に詰まりましたが、どうにかご挨拶をすませることが
できました。

 今の子どもたちにしてみたら、子どもが親にお仕置きをお願い
しますだなんて、きょとんとしてしまう出来事なのかもしれませ
ん。でも、昔は、家からの追放される代わりにお仕置きで許して
もらっていましたから、こんなことまでもしっかりと子供に義務
付けていました。

 もちろん勘当だなんてこと、私の時代にはありませんでしたが、
それでも、挨拶を拒否すればどうなるか?
 当然ですが事態は同じじゃありません。お仕置きはさらに重く
なります。

 そうならないためにも親へのご挨拶はお仕置きには欠かせない
儀式だったのでした。

************(1)************

 「さてと……それでは、どんなお仕置きがいいかな。……お尻
叩きはこれから学校でやってくださるだろうから、それはそちら
にお任せするとして……お浣腸は真理子が勝手にすましちゃった
みたいだしな。あとは、……やはり、お灸かな」

 父は、穏やかで、にこやかで、独り言のように『お灸』という
言葉をつぶやきますが、私にしてみたら全身の毛穴が一気に鳥肌
へと変わる言葉でした。

 そう、それって学校でいただく鞭のお仕置き以上に恐怖だった
のです。

 今の子どもたちは、そもそもお灸がどんなものかを知らないと
思いますが、私がまだ子供だった時代はこれがまだ盛んに行われ
ていました。

 やり方は簡単。艾(もぐさ)と呼ばれる綿埃を固めたみたいな
小さな塊を皮膚に直接乗せて、それに火をつけるんです。
 台座なんてありませんから直接肌を焼きます。

 その熱いのなんのって……拷問みたいなものです。
 大の大人でも、火が回る時は自ら手ぬぐいを噛んで我慢したり、
たまらず「ヒィ~~」という声を上げるほどでした。

 それを幼い頃にやられてごらんなさいな。
 トラウマ間違いなしです。

 ですから、親サイドからみると効果覿面。
 お灸を一度でもすえられた子は……
 「そんなことしてると、またお灸だよ」
 なんて親に言われようものなら、まるでマンガみたいに、その
動きがピタッと止まってしまうのでした。

 こんなにも効果絶大のお仕置きというのは他にありませんから、
親たちはこれが子どもの肌に火傷の痕を残す危険があると知って
いても、このお仕置きがなかなかやめられなかったのでした。

 当然、私もそんなトラウマを受けた一人です。
 ですから、お灸という言葉を聞いただけで今でも緊張します。
 お父さんの宣告を聞いた瞬間もショックの余りただ呆然として
いました。

 ただ、お母さんがお線香や艾の袋を戸棚から取り出しているの
を見て我に返ります。

 「ごめんなさい、お父さん、何でもしますから、お灸だけは、
お灸だけはしないで」
 私はお父さんの膝にすがりつきます。
 中学2年生でしたが、これだけは恥も外聞もありませんでした。

 もちろん、親子ですからこれには多少甘えの気持はあったかも
しれませんが、でも、もしこれが鞭のお仕置きだったら、ここま
ではしなかったと思います。
 それくらいお灸というのは特別なお仕置きでした。

 「ね、やめてよ。……あんなのされたら、私、お嫁に行けなく
なっちゃうよ」
 私は父の膝で懇願します。

 お灸はもの凄く熱いというのもそうですが、火傷の痕が残ると
いうのも女の子には大問題でした。

 ですから、多くの親たちも娘の将来を考えて人目につく場所は
なるべく避けてすえるようにしていました。

 ただ、それでもお尻のお山やお臍の下には必ず据えられます。
特にお股の中へ据えられる時は、たとえそこが目立たない場所で
あっても、女の子としては自分の体の一部であり急所ですから、
ショックは大きいものだったんです。

 そんな乙女の思いを知ってか知らずか、昔の親は残忍でした。

 「大丈夫だよ。人目につくような場所には据えないから……」
 父は励ますように笑います。

 でもこれ、何もうちの父だけの特別な感性ではなかったと思い
ます。

 他の親たちも、お臍の下にあるビーナスの丘にはやがて下草が
はえて火傷の痕は隠れるだろうし、お尻のお山もお医者様と将来
の旦那様以外には見せることはないだろうから……と勝手に思い
込んでいました。

 いえね、自分の娘がTバックのようなものを身につけるなんて
当時の親たちは想像していなかったんです。
 もちろん大事な娘が婚前交渉だなんて、頭の片隅にもなかった
ことでしょう。

 厳しいお仕置きは今では単純に虐待としかとらえられませんが、
昔は、清純なままで結婚して欲しいと願う親の気持の裏腹だった
ように思うんです。


 「まずは服を着なさい。いつまでもその姿じゃ風邪をひくよ」

 お父さんは落ち着いた口調で、私に服を着るように命じます。
 でも、それは許されたということではなく『お灸のお仕置きを
これからしっかりやりますよ』という父なりの宣言でした。

 母が私のそばに身につける衣服をひとまとめにして置き、私は
半べそをかきながらもそれを一つずつ着ていきます。
 もう、諦めるしかありませんでした。


 着せられた服は、私がお気に入りにしている白いワンピ。
 一瞬、これを見てドキンとします。

 というのは……
 今日はお浣腸ではありませんが、昔、受けたお浣腸のお仕置き
ではお気に入りだったよそ行きの服をオマルの中に敷かれたこと
があったのです。

 「いいから、ここで用を足しなさい」
 両親に鬼のような顔をされて仕方なくオマルに跨ります。

 おまけに、汚してしまったその服を自分で洗わされたうえに、
それを着て街のデパートまでお遣いに出なされたのでした。

 私は気が違ったように何度も洗い直し、何度も嗅いでみました。
幸い臭いは染み付いていません。いくらかシミが残っていますすが、
それも気づく人はまずいないでしょう。

 ですから、客観的には何ら問題ないわけですが……
 だからって私の心に問題がないわけではありませんでした。
 こんな屈辱的な見せしめ辱めがどれほど私の心を傷つけたか…

 『誰かに臭うって言われるんじゃないか』
 『このシミを正体を知られるんじゃないか』
 そんなことばかり考えていました。
 デパートの中を歩く私は計り知れないほどの不安と恐怖で卒倒
しそうだったのです。

 お灸の痕のように人目に触れる不安こそありませんが、受けた
ショックはそれ以上だったかもしれません。

 でも父は男性。そんな娘の気持を慮ることはありませんでした。

 「何言ってるんだ。いい薬だ。恥ずかしいのもお仕置きだよ」
 と、これだけだったのです。


 私はレースで飾られた白いワンピースを着ながら、昔、汚して
しまったよそ行きワンピースのことを思い出していました。

 そして、着替え終わると再び父の前に正座します。

 「お父様、お灸のお仕置きをお願いします」
 両手を畳に着いて、頭を下げて……
 少々時代錯誤ですが、女の子はやらないわけにはいきませんで
した。

 私だって、どうしてこんなことしなきゃならないのか分かりま
せんが、男の子のように「オヤジさあ、どうしてこんなことしな
きゃいけないのさあ」なんて突っかかる勇気もありませんでした。

 女の子は何事も『お付き合い』が大事です。
 訳なんか分からなくても、それで相手が満足したり納得したり
するのなら、『それでいいかあ』と思ってしまうのでした。

 「どうしようか。幾つぐらい据えたらいいのかな?」
 お父さんが逆に目の前の私に尋ねてきます。

 これって、意地悪な質問でした。
 誰だってたくさんお灸を据えられたいなんて思っていません。
できるだけ少ない数を言いたいのですが、もし、私の答えた数が
お父さんが思っていた数より少ないと、反省が足りないと思われ
て、さらにキツイお仕置きってことになりかねません。

 可愛っ子ぶって……
 「一つ」
 なんて答えはNGでした。


 『どうしようかなあ~10じゃ少ないよね。……20じゃ……
まさか30以上なんて言わないよね』
 私の頭はもうパニックでした。

 そんな私にお父さんは助け舟(?)を出します。
 柔和な表情、穏やかな声で私に提案してくれたのでした。

 「どうしようね、そうだね。足の指の股に四つずつ、八箇所。
お臍の下の原っぱに三箇所。お尻も同じ場所に三回で、六ヶ所。
……あとは、尾てい骨の上にも三箇所くらいいるかな。……そう
そう、真理子もいつの間にかオッパイが大きくなってきたことだ
し、乳首の辺りにも小さいのを三つばかりやっておこうか。もう、
お前もそろそろ女を自覚しなくちゃいけない年頃だからね。……
いいかな、そんなところで……」

 お父さんの柔和な顔につられるようにして……
 「はい」
 私は思わず笑顔で答えます。快諾ってな感じでした。

 でも、それは……
 あれこれ思い悩むことから開放された喜びで、思わず手拍子に
口をついて出た返事だったのですが、冷静になって考えてみれば、
これって、今までにない数の多さ。
 私は今までにたくさんのお灸を一度に受けたことがありません
でした。


 「(えっ!?)」
 私は我に返ってすぐに顔を青くしますが、もう後の祭りでした。

 「よし、では私の膝に乗ってごらん。足の指からやろう」
 お父さんは正座したご自分の膝を叩いて、さっそく私のお尻を
催促します。

 「はい、お父さん」
 私は気乗りがしませんでしたが、行かないわけにはいきません
でした。

 幼い子のようにお父さんの膝の上にお尻を乗せて抱っこされ、
両足は畳につけて膝を立てます。後は何もする必要がありません
でした。

 お母さんが靴下が脱がせて、前回据えた場所を確認します。

 ちなみに、この時、お父さんは私の身体を押さえるだけ。お灸
そのものはお母さんの仕事だったのです。

 「まったく、あんたって子はいつになったらお灸のお仕置きを
卒業できるんだろうね」
 母はそう言って、小さな小さな艾を足の指の付け根に乗せて、
お線香を近づけてきます。

 私は幼い頃からお転婆でしたからお仕置きのお灸も幼い頃から
のお付き合いです。特にこの足の指の間は、そこが目立たないと
いうこともあって据えやすかったのでしょう。幼い頃は家の柱に
縛り付けられ、大泣きするなか、過去に何度も据えられた場所で
した。

 「あなた、おとといは、帰ってきたの何時だったのかしら?」
 「……七時です」
 「お父さんのお帰りが遅いのを知ってたのね」

 「(あっ、熱い!!)」
 右足の親指と人差し指の間に錐を立てられたような痛みが走っ
て、私は一瞬身を縮めます。

 ここは場所柄艾も小さいので、火が回るとすぐに消えてしまい
痛みは一瞬なのですが……

 「火曜日の朝、お父さんが『今さっき真理子とすれ違ったけど、
不機嫌そうにして何も言わなかったが、あいつ、何かあったのか』
っておっしゃってたけど……あなた、あの時お父様に朝のご挨拶
しなかったの?……それって、ひょっとして週末の英語のテスト
が悪かったから?」
 「(えっ!?それはお父さんには秘密してあげるって、言った
じゃないの。何で今頃そんなこと言うのよ)」
 普段は、物分りのいいようなことを言ってるお母さんですが、
こんな時は、ここぞとばかりに平気で私の秘密をばらしにかかり
ます。

 「女の子は何があってもご挨拶だけは忘れたらいけないの……
よく覚えておきなさいね!」
 「(あっ、熱い!!)」
 今度は人差し指と中指の間にピンポイントで痛みが走ります。

 もちろん、これも痛みは一瞬でした。

 「この間あなたのシーツを洗濯した時、少しごわごわがあった
けど……あなた、まさか、オナニーなんてしてないでしょうね」
 「してません!!」
 私は一瞬にして顔が真っ赤になり思わず大声が…

 それは母が嘘を言ったからではなく私の大事な秘密だったから
でした。

 「(あっ、熱い!!)」
 今度は中指と薬指の間が……

 もう、お分かりでしょう。母はこんな時、私が過去に犯した罪、
隠しておきたい秘密を足の指に艾を乗せて一つずつ父に報告する
のでした。

 右足で四つ、左足で四つ、指の股は、全部で八箇所あります。
日頃から私の一挙手一投足に目を光らせている母にしてみたら、
八つの罪を父に密告するチャンスがあるわけです。
 『これでも足りないくらいよ』って母は言うかもしれませんが、
八つの罪を父に密告された私は、まるで丸裸にされた気分でした。

 卑怯、卑劣、破廉恥……母にどんな罵声を浴びせても、今さら
どうにもなりませんでした。

 そんな母の密告や讒言を聞いて父がすぐに反応することはまず
ありませんでしたが、私の心が穏やかであろうはずもありません。

 むしろ、父はそんな私を心配してくれます。
 母の言葉に心が裸になって震えている私を、短い時間でしたが
優しく抱きかかえてくれました。

 ひょっとしたら、優しく私を抱きながらも母の言葉の中に本当
にお仕置きが必要な事を探していたのかもしれません。
 そこはわかりませんが……。
 いずれにしてもお仕置きの中の休憩時間。それは不思議なひと
ときでした。

 「大丈夫、誰だって完璧な一日なんてないから……間違ったら
謝ればいい。罰を受けたらいいんだ。その勇気さえあったらいい
んだよ。大丈夫、真理子はいい子だよ」
 結局、この日も父は母の讒言に耳を貸しませんでした。耳元で
お父さんに優しい言葉を掛けられ私は幼い日の真理子に戻ります。
父の懐で甘えます。

 こんなことがあるから、お仕置きなのかもしれません。
 こんなこと、虐待や刑罰ではないことでしょうから……


 さて、そうはいっても、私もいつまでも甘えていられる訳では
ありませんでした。
 お仕置きはむしろこれからが本番だったのです。

***********(2)*************

 「さて、そろそろ始めようか」
 お父さんは抱き合っていた私の顔を少しだけ離すと、穏やかな
笑顔を私に見せます。
 私はその笑顔にこたえて覚悟を決めなければなりませんでした。

 「じゃあ、まずお臍の下からだ。私の膝に頭を乗せて仰向けに
寝そべってごらん」

 私はお父さんが求める姿勢になります。
 もちろん、それから何が起こるかは承知していましたが、もう
イヤイヤはありません。もちろん大泣きなんてしません。幼い頃
とはそこが違っていました。

 「…………」
 お母さんによってワンピのスカートが捲り上げられショーツが
引き下ろされても私は何も変わりませんでした。

 やがて、まだ半分子供のお臍の下があらわになります。

 すると、すでに萌え出していた軟らかな下草をお母さんが蒸し
タオルを当てながら剃刀でジョリジョリと処理。
 まだ軟らかなうぶ毛に近いものですから手間はかかりませんで
した。

 「このくらいのことはあなたも自分でやらないとね」
 母が言いますから、思わず…
 「えっ!こんなことまで……」
 と言うと……

 「何がこんなことよ。あなたのことじゃなないの」
 と睨まれます。

 「だって、お母さんがそうしろって言うから、下着だって私は
自分で洗ってるのよ」
 少し不満げに言うと……

 「洗ってるって?偉そうに……私がやりなさいって言うから、
仕方なくやってるみたいだけど、あなたのやってるのは洗面器に
水をはってバシャバシャってやったら干すだけでしょうが……。
あんなのはね、洗ってるうちに入らないの。とにかく、女の子は
自分の事は自分で全部やれるようにならなくちゃ。それが当たり
前だもん。何でも他人に任すなんて恥ずかしいことなのよ」

 「それって、私が女の子だから?」
 「そうよ」
 「男の子はいいの?」
 「だって、男の人には仕事があるもの。……とにかく今度から
は自分でなさい」

 「え~恥ずかしいよ。やり方知らないし……」
 「何言ってるの!むだ毛の処理と一緒よ。私が教えてあげるわ」
 「えっ!?」
 その瞬間。お母さんにレクチャーを受けている自分の姿を想像
してしまい身震いします。

 「何よ、身震いなんかして?寒いの?……そもそも、お父様に
こうやってお仕置きされる事が何より恥ずかしい事じゃないの!
……やりたくなかったら、お仕置きなんてされないように良い子
にしていれば問題ないことでしょう!」
 私は些細なことでお母さんの機嫌をそこねてしまいます。

 そんなこんなも含めて、すっかり綺麗になった姿をお父さんも
私の頭越しに見ていました。

 やがて剃り上げられたそこに艾が三つ並びます。お臍の下から
割れ目にかけて縦方向、蟻の戸渡りと呼ばれるラインに沿って、
等間隔に置かれていきます。

 実はここ、最初にお灸を据えられたのは幼稚園児の頃でした。
以来、一年に一回位のペースでそれはやってきますから、今回で
何回目でしょうか?

 おかげで、こんな場所を晒しながらもお母さんと口喧嘩ができ
たりするわけですが、両親から何度もお灸を据えられたおかげで、
私のそこには灸痕と呼ばれる火傷の痕がはっきり残りケロイド状
に光っていました。

 『かわいそうに』ってお思いですか?
 でも、それを恥ずかしいと思ったことはありませんでした。

 というのも、この時期、私には仲間がいたんです。
 私たちの学校は女子校なのに体罰によるお仕置きが日常化して
いて、場合によっては親にまで子どものお仕置きを求めてきます。
 そんな時、お灸は学校ではできないお仕置き。しかも保護者側
も学校の要望に端的に応えられるお仕置きでしたから、私を始め
お友だちの大半がここに灸痕を持っていました。

 林間学校や修学旅行のようなお泊まりがあってみんなと一緒に
お風呂へ入る時などお互い見せっこです。
 あくまでローカルルールではありますが灸痕のある方が多数派
だったわけです。

 ですから、逆に、ここに灸痕のない子は仲間はずれにされかね
ませんでした。
 そこで、わざと子どもじみたイタズラをして親からお灸を据え
られるように仕向けたり、思い切って自分でお灸を据えてみたり、
(これをやると、大抵、親からお仕置きされますが…)はたまた、
ダイレクトに親に頼んですえてもらった子だっていました。


 はてさて、強がりを言ってしまいましたが、お灸のお仕置きと
いうのは慣れるということがありませんでした。

 「さあ、いきますよ。よ~く反省なさい」
 お母さんがそう言って火のついたお線香の頭持ち出すと、私の
緊張はピークになります。

 「あなたも中学生、今日はちょっぴり艾を大きくしたからね」
 そう言われて綺麗に円錐状に形どられた艾の天辺に移されます
と……やがて……

 「ひ~~~~~~」
 私はお父さんの太い腕にあらん限りの力でしがみ付きます。

 幼稚園の頃から据えられているというのに、中学2年になった
今でも、やることは同じでした。

 艾の頭に火がついて、それが肌へ下りてくるまで10秒くらい
でしょうか、それが肌を焼いてるのは5秒くらいです。
 でも、そのたった5秒が、耐えられないくらい熱くてショック
なのでした。

 「う~~~~~~」

 息を止めても、うめき声が自然に漏れ、痛みを訴える血が頭へ
と逆流します。全身の毛穴が開き、瞳孔は全開。充血した白目を
これでもかってほどひん剥き、手足の指十本を目一杯の力で握り
しめ、前歯が折れそうなくらい必死に歯を喰いしばります。

 中学二年生になった今でもそうしないと耐えられないのに……
幼稚園時代はどうやって耐えてたのか不思議になります。

 ですから、トラウマは当然でした。
 でも、昔の親って、こうやってわざと子供にトラウマをつけて
躾けていた節があるんです。

 「い~~~~~~(死ぬ~~~~~~~)」
 心の中で思います。

 脂汗と荒い息。
 『やっと三つ終わった』
 そう思った瞬間でした。
 お母さんが信じられないことを言います。

 「あなたも身体が随分大きくなって、お灸にも慣れたみたいね」

 『どういうことよ!?慣れたって……』
 私は目を剥いて頭を激しく左右に振りましたが……

 「お仕置きは何でもそうだけど、慣れてしまっては意味がない
わ。『ごめんなさい』って気持がなくなるもの。あなたも幼い子
じゃないんだし……そろそろ、ウォーミングアップが必要な歳に
なったんじゃなくて……」

 お母さんはそう言うと、太めのローソクを一本取り出しました。
 それは、この蔵の中を照らしている照明用のローソクと同じ物
なんですが……

 『えっ、まさか!』
 私の脳裏に嫌な予感が走ります。

 実はその昔、お灸をすえられそうになった時、お母さんが……
 「ま、今回は、お灸で躾けるほどでもないからこちらにしよう
かしらね」
 そう言って取り出したのが火のついた蝋燭だったのです。

 その時は仏壇用小さなものでしたが、右手をしっかりと掴まれ、
手の甲が真っ白になるまで蝋涙を垂らされたことがあります。

 蝋涙はお灸ほど熱くはありませんが、お仕置き時間はたっぷり。

 結局、両方の手の甲が真っ白になるまで、私は熱い蝋が自分の
手の甲に流れ落ちるのを我慢し続けなければなりませんでした。

 『えっ、ウォーミングアップって、まさか、あれなの!?』

 そう、そのまさかだったのです。
 しかも、今度はあれから身体も大きくなっているとして、蝋燭
も特大になっています。

 「…………」
 私は着々と準備を進める母に何か言いたかったのですが、結局、
何も言えませんでした。

 代わりにお父さんが私の頭を撫でながら……
 「大丈夫、頑張ろうね」
 と励ましてくれたのでした。

 私は普段自分の頭を撫でられることが嫌いでお父さんにもそう
されると跳ね除けていたのですが、この時ばかりは、静かにその
愛撫を受け入れます。
 実際、それだけ不安だったのでした。

 「………!………」
 母はアルコールの壜を逆さにして脱脂綿に含ませると、それで
私のビーナス丘を拭いていきます。

 アルコールによって一瞬ですが体温が奪われスースーと冷たい
感触が肌に残るなか、お灸はその熱さをぐっと際立たせます。


 「さあ、じっとしてなさい。お灸より熱くはありませんからね」
 優しい言葉とは裏腹にお母さんはいつになく厳しい顔。

 その顔が火のついた蝋燭の炎によって浮かび上がると、見慣れ
たはずの顔が恐くてたまりませんでした。

 やがて、その蝋燭が倒されます。

 「熱い!」
 最初の蝋が肌に触れた瞬間、私が反射的に叫ぶと……

 「このくらいのことで騒がないの!お仕置きは黙って受けるの。
騒いでしまったらそれで気が紛れるでしょう。効果が薄れるわ。
あなたには何回も教えてあげたはずよ」
 母に叱られました。

 実は、幼い頃の私は泣き虫で、ちょっとしたお仕置きでもすぐ
に泣いていましたが、泣いて許されることはありませんでした。
 泣いても泣いても父や母のお仕置きは続くのです。

 結局、泣いてもお仕置きは終わらないんだと分かるまで、私は
父の膝からも母の膝からも解放それることはありませんでした。
 そうやって、我慢ということを教わった気がします。

 こんなこと書くと、今の人たちは単純に『虐待を受けただけ』
って思うかもしれませんが、愛している子供が泣き叫んでいる事
くらい親にとって辛い時間はありません。
 でも、そんな辛い時間が長引いても折檻を続けてしまうのは、
『泣いて問題は解決しない』という社会の理(ことわり)を分か
らせる為でした。


 私のウォーミングアップはビーナス丘から始まります。

 「……ぁぁぁ……ヒイ~ヒイ~ヒイ~……ぅぅぅぅ……ぁぁぁ……」
 悲鳴をあげちゃいけないと思う中、声にならない声が漏れます。

 太いローソクの蝋涙が比較的高い位置から落とされてきます。
幼い頃も受けたお仕置きでしたが、一回一回の衝撃は量も威力も
幼い頃とは比べものになりませんでした。

 「……あっ、……いや、……あっつい……だめえ……だめえ~」

 最初は身じろぎせず必死に黙っていようとしましたが、やがて
熱い蝋涙のゼリーが私の丘を叩いて弾けるたびに私は身体をくね
らすようになります。

 「……あっ、……いや、……あっつい……だめえ……だめえ~」

 落ちた蝋涙が丘で固まり、『もう、終わりかしら』と思うたび
白い蝋はお母さんの手ではがされ、また新たな熱いゼリーが……

 『黙っていなければ』『黙っていなければ』と、いくら思って
いても、ついつい小さな声が唇の外へと出て行ってしまいます。
 そして、その声は次第に大きくなっていきました。

 「……あつい!、……いやあ!、……やめてえ~……だめえ~
……お願い~……もうだめえ~……熱い!いやあ~……いやあ~」

 あれでかれこれ10分くらい熱い蝋を受け続けたでしょうか。
 「あっ、熱い!!いや、やめて~!!いい加減にしてよ!!」
 とうとうその声は誰にでも聞こえる声になってしまいます。

 「そう、嫌なの?……それじゃあ。場所を変えましょう」
 お母さんはいつになく冷静です。

 『えっ!?場所を変えるって?』

 蝋涙の落ちる位置が身体の上へ上へと変更されていった結果、
 お母さんの言った意味がわからないでいると、ワンピースの裾
がスリーマーと一緒に捲り上げられ、まだまだ幼い私のお乳まで
もが二人の目の前にあらわになります。

 『いやっ!恥ずかしい!』

 一瞬の出来事。私の顔は火照って真っ赤になりました。
 身体をよじりますが恥ずかしさは増すばかりです。

 「……あっ、あつい……いや、恥ずかしい……あっ、だめ……
だめだってえ~……お願い、やめて~~……あっ、いや、熱い」

 そんな私の窮地を楽しむかのようにお母さんは笑っています。
 さらには何かに気づいたように私に覆いかぶさってきました。

 「あら、あら、奥手だ奥手だと思ってたけど、どうやら乳首の
あたりも女の子らしくなってきたじゃない」
 必死に熱いのを我慢しているさなかお母さんが私の乳首の先を
悪戯します。

 「もう、やめてよ!!」
 私は顔を背けます。声が裏返り涙声がでました。

 不思議なもので、お臍の下を晒している時にはあまり感じられ
なかった恥ずかしさがオッパイを晒さらした今は感じられます。

 「何?……恥ずかしいの?……あなたも女の子ね?……だけど、
あなた、昨日もお父様とお風呂一緒じゃなかったかしら」
 お母さんはわが意を得たりとばかりに笑います。

 たしかにそうでした。私の家は全てがオープンで私は普段から
父とも一緒にお風呂に入っていました。
 ですから、今さらオッパイを隠しても仕方がないはずなのです。
ところが今は、それがたまらなく恥ずかしく感じられるのでした。


 その後も、例によって、アルコールでその場を消毒しながら、
お母さんは熱いゼリーを落とし続けます。
 お臍からお腹、みぞおち、胸へと熱い蝋が落下する場所も段々
と上がっていくのでした。

 「熱いかしら?」

 「…………」
 私は答えませんでしたが、お母さんは一人で話を続けます。

 「それはよかったわ。これであなたの弱い心も少しは強くなる
はずよ。これからは悪い友だちに誘われてもノコノコ着いて行か
ないようにしてね。女は、どれだけ耐えられるかで強くなるの。
お仕置きは、男の子よりむしろ女の子に効果があるものなのよ」

 お母さんのわけの分からないお説教を頭の片隅で聞きながら、
本当は、子どもの頃のように大声で泣き叫びたかったのですが、
それができませんから、せめても身体をよじって降りかかる熱さ
から逃れ続けます。

 溶けた蝋がこんなに熱いなんて……もう、気が狂いそうでした。


 「よし、いいわ。よく頑張った。これからはこんなこともある
だって覚えておきなさい」
 お母さんの蝋燭攻撃は、まだ小さな私の乳頭の上にちょこんと
一つずつ落ちたのが最後でした。

 お母さんはくすぐったい乳首を揉んで白い蝋を落とすと、短く
なった蝋燭の炎を吹き消します。

 ところが、このお仕置き、これで終わりではありませんでした。


 「……?」
 気がつくと、お母さんが私の足元で何かしています。

 私は、それを確かめようと少しだけ体を起こしてみたのですが
……
 
 「えっ!!」
 目に飛び込んできたのは、ウォーミングアップ中にしでかした
私のお漏らし。
 それを母が片付けているところだったのです。

 「それは……」
 私はそれしか言えませんでした。
 正直、どうしてよいのかわからないまま、母がやっているのを
ただ見つめるだけだったのです。

 そして……
 「このままじゃ、またお漏らしするかもしれないから、ここで
導尿してしまいましょう」

 母の提案に私は反論できません。

 普段なら……
 『いやよ、どうしてそんなことしなきゃならないのよ』
 『恥ずかしいでしょう』
 『やるなら、お父さん、部屋から出してよ』
 なんてね、色んなことを言うところです。

 でも、母に迷惑をかけてると思った私は、いつもの威勢のいい
言葉が出てきませんでした。

 まごまごするうちに……
 気がついた時には尿道口から膀胱まで届くカテーテルを入れら
れていました。

 母は元看護婦。こんなことには手慣れています。
 カテーテルの端を咥えて中の空気を吸い取ると、娘のおしっこ
が出てきます。

 膿盆に流れ出るおしっこを見ながら、私は泣いてしまいます。
 いえ、泣きたくはないのです。
 でも、涙が頬を伝って流れ落ちるのを止めることはできません
でした。

**********(3)************

 導尿も終わり、後片付けも終わると、それまで優しく私の身体
を抱いていた父から声がかかります。

 「次はお尻だよ」
 私はあまりの気持ちよさにうとうとしていたみたいです。
 ですから、その時は父からおこされたといった感じでした。

 『あっ、そうか、まだお仕置きが残ってたんだ』
 馬鹿な話ですが、その時はそう思ったのでした。

 今度はうつ伏せにされて、やはり父の膝の上に乗ります。
 今や私もまな板の鯉、抵抗するつもりはまったくありませんで
した。

 もっとも……
 「偉いぞ」
 なんて、こんな姿勢のまま父から頭を撫でられても、それは嬉
しくはありませんが……

 いよいよ今度は父の出番でした。
 お父さんが私のスカートを捲り、ショーツを下ろします。

 母はというと、私の頭の方に正座して水泳の飛び込みみたいな
姿勢になっている私の両手を押さえています。

 私は自分のお尻が外の風が当たった瞬間、一つ大きく深呼吸。
 もうこれからは何があっても取り乱さないようにしようとだけ
心に誓っていました。

 緊張の中、まずはアルコール消毒。これはお父さんになっても
変わらない我が家のルールでした。
 そして、それが終わると、お山のてっぺんにお母さんがこしら
えた円錐形の艾が乗せられます。

 艾の大きさやそこにいくつ据えるかといったことは、各家庭で
さまざまでしたが、我が家の場合、左右のお山に据える場所は、
一つずつでした。

 ただし、ここに据えられる艾は他のどの場所よりも大きいです
から熱さはひとしおです。……いつも……
 「いやあ~~~ごめんなさい~~~とってとってだめだめだめ」
 と足をバタつかせて泣き叫ぶことになります。
 過去はずっとそうでした。

 でも、私も中学生ですから、今回こそは、静かにしていようと
心に誓ったのです。
 ところが……

 「ひぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 その熱いのなんのって……リニアカーみたいに身体がわずかに
浮き上がり、脳天めがけて冷たい電気が走ります。両足を激しく
畳に叩きつけるさまは、縁日の屋台で売っていたゼンマイ仕掛け
のお人形みたいでした。

 終わるとハァ、ハァと荒い息で、顔は真っ赤。必死に頑張った
証しでしょうか、その瞬間は目の玉が零れ落ちるんじゃないかと
思うほど前に飛び出していて恐いくらいの形相をしていました。

 この時も、何とか悲鳴だけは押し殺すことができましたが……
ただ、両足だけはどうにもなりませんでした。

 「バタ、バタ、バタ、バタ、バタ、バタ、バタ、バタ、バタ」
 その瞬間、両足がうるさいほど畳を叩きます。
 畳の上でバタ足の練習は小学生の時のままだったのです。

 それでも、
 「頑張ったな。お前もようやく泣かずにお仕置きが受けられる
ようになったわけだ」
 お父さんはまたしても私の頭を撫でます。

 「ありがとう、お父さん」
 私は思わずお礼を言ってしまいます。
 本当はその手を振り払いたいのですが、お山へのお灸の直後は
その気力さえ残っていませんでした。

 それに何より、私はこの先もう一箇所試練の谷を越えなければ
ならなかったのです。

 「落ち着いたらいくよ」
 お父さんの声がうつ伏せになった私の頭の後ろで聞こえます。

 「はい」
 小さく返事をすると、早速お母さんが私の両手を握ってくれま
した。他の場所では両手を拘束されるなんて良い感じがしません
が、この時だけはむしろそれがホッとするのです。

 お父さんは私のお尻の割れ目の上の方を押し開くと尾てい骨の
骨の出っ張りが感じられる処へ艾を乗せます。

 ここはお尻の谷間に灸痕が隠れて都合がよいということもあり
ますが、何より皮下脂肪が薄く熱がダイレントに身体へ染み渡り
ますからその熱さは極め付きでした。

 「今日は、お母さんにオシッコも採ってもらって、お漏らしの
心配もないからしっかり頑張るんだよ」
 お父さんから変な励ましを受けます。

 でも、それは事実でした。
 実際、ここに据えられた時、私は、何度となくお漏らしをして
いましたら……

 「あっああああああああああああああああああああああああ」

 こうとしか書けませんけど、でも、とにかく熱かったのです。
 全身が燃えてしまったような…そんな錯覚さえ生じさせるよう
な強烈な熱さ痛みだったのでした。

 真っ赤になった頬を涙がつたい、眼球が飛び出だして、必死に
両足が畳をバタ足する姿はお山へのお灸と同じです。
 でも、お山以上のショックが体には伝わっています。

 そして、それが終わった瞬間に、不思議な心持が私のお腹の底
からじわっと湧いてくるのも過去の経験と同じだったのです。

 これって、その時は特段の意識はなかったのですが、その後、
色んな経験をするなかで、これが性欲だと知ることになります。

 そういえば、かつて父が母に対してこんな事を言っていました。
 「女の子は精神的には性の目覚めが早いけど、肉体的な目覚め
は逆に男性より遅いんだ。だから、結婚前に少しだけ肉体の時計
を進めてやると、ハズバンドとうまくいくのさ」

 父はそれとは知らせないまま、お仕置きにかこつけて私に性の
レクチャーをしていたのかもしれません。

 しかも、この日は……

 「お前ももう子どもじゃないだし、このくらいのお仕置きでも
十分に分別のある行動がとれるようになるとは思うんだが………
どうしようか、お母さん。今回は、ついでに、お股にも据えてお
こうか」
 お父さんがお母さんに尋ねます。

 お父さんは『ついでに……』なんて、まるでお仕置きのおまけ
みたいなこと言ってますが、私にしたら、それは『冗談じゃない』
ってほどの一大事でした。

 ところが、頼みの綱のお母さんまでが……
 「そうですね、今後のこともありますしね、いつもの処にもう
一つ懲らしめを入れておいた方がいいかもしれませんね」
 あっさり、お父さんに賛成してしまうのでした。

 いつもの処というのは……
 お尻の穴と赤ちゃんが出てくる穴の間のことです。膣前庭とか
いいましたっけ。私の場合、性器に直接据えられることはありま
せんでしたが、ここだけは、小学5年生の頃までよくすえられて
いました。

 仰向けに寝かされ、両足を大きく開いたら、開いた両足が閉じ
ないように足首を首箒の柄で縛られます。
 その箒が、寝そべる私の頭の上を通過する頃には、私の大事な
場所はすべてオープンになって、もう自分では隠す事はできなく
なります。

 まさに『ポルノ』って感じのお仕置きですが、幼い頃はあまり
恥ずかしいという気持はありませんでした。
 あくまで悪さをした末のお仕置き。やってるのも両親ですから、
これをやられる時は恥ずかしいというより仕方がないという諦め
の気持の方が強かったのです。

 ただ、娘の身体が大人へと変化するなかにあって両親も考えた
んでしょうね、五年生以降はこのお仕置きを遠慮するようになっ
ていました。ここ数年はご無沙汰のお仕置きだったのです。
 ですから、私は『このお仕置きはもうなくなったんだ』と勝手
に思い込んでいました。

 ところが、それが突然の復活。おまけに、あの頃とは私の身体
も変化しています。いくらまな板の鯉、お父さんの人形になった
つもりでいても、これだけは『お仕置きをお願いします』という
わけにはいきませんでした。

 「お願い、ね、これだけはやらないで……他の処にして……ね、
いいでしょう。あそこは絶対にダメだもん。……ね…ね…ね」
 私はお父さんにすがり付いて懇願します。

 「そんなに嫌なのかい?」
 お父さんも私が直訴するなんて意外だったんでしょう。
 少し当惑した様子で尋ねますから……

 「当たり前じゃない。私、中学生なのよ。小学生じゃないの。
恥ずかしすぎるもん。絶対に嫌よ」

 私が気色ばんで言うと、お父さんは静かに笑って……
 「そうか、お前、中学生か、そうだったな」
 今、気づいたようなことを言います。

 そして……
 「そうか、そんなに嫌か。……それじゃあ、どうしてもやらな
きゃならんな」

 「えっ!?」

 「だって、嫌な事するのがお仕置きだもの。それは仕方がない
よ。……それに、どんな嫌なことをするかは親や先生の判断だ。
真理子の決めることじゃないんだよ」

 「それは……」
 私はそれだけ言って黙ってしまいます。実際子どもの立場では
それ以上は言えませんでした。だって、親や教師がお仕置きする
のは当たり前の時代なんですから。

 「痛い、つらい、恥ずかしいってのがお仕置きなんだ。わざと
そんなことさせてるんだ。『そんなことつらいから嫌です』って
言っちゃったらお仕置きなんてできないよ」
 お父さんは少し馬鹿にしたように笑います。

 もちろん、そんなことは百も承知です。でも、これはどうして
もって思うからお願いしてるのに、聞いてもらえませんでした。

 「どうしてもって言うのなら、司祭様の処で懺悔してお仕置き
していただいてもいいんだよ」
 お父さんは提案しますが……

 「…………」
 私は即座に首を横に激しく振ってみせました。

 もし、司祭様の処へ行って懺悔すれば、罰はお尻丸出しの鞭に
決まっています。司祭様は立派な方かもしれませんが私にとって
は赤の他人の男性です。その他人の男性が私のお尻を割って中を
あらためるだなんて、想像しただけで卒倒しそうでした。

 それに比べれば、ここで何をされたにしても相手はお父さんか
お母さんですから、娘としてはこちらの方がまだましだったので
した。


 準備が整い、箒が仰向けに寝ている私の真上を頭の方へと飛ん
でいきます。

 と同時に、私の身体はくの字に折り曲げられ随分と窮屈な姿勢
を強いられます。普段ならまったく風の当たらない場所にもスー
スーと風が吹き込みますから、この姿勢を続けていると、恥ずか
しさもさることながら、なぜか心寂しく不安になるのでした。

 「ほう、真理子もずいぶんと大人になってきたじゃないか」
 お父さんは私の身体の一部を一瞥してそう言います。

 たった、それだけでも、私の顔は真っ赤でした。

 しかも、これだけではありません。
 まずは両親揃って、クリトリスや尿道口、もちろんヴァギナや
アヌスも、一つ一つ指で触れて確認します。

 もちろん、そこは女の子にとって敏感な処ばかり、触れられる
たびに奇声をあげたい心持ですが、そうするとまた親に叱られて
しまいそうですから、ここは唇を噛んでしっかり我慢するしかあ
りませんでした。

 あれで、五分ほどでしょうか、二人は、まるで丹精した盆栽を
愛でるかのように私の陰部をなでまわします。

 それって、今なら幼児への性的虐待で警察行きかもしれません
が、当時の二人に、これといった罪悪感はありませんでした。

 私がこのことに不満を言うと……

 「何言ってるんだ。親が娘の身体を調べて何が悪い。だいたい、
お前のお股なんてオムツを換えてた当時から承知してるよ。だけど
年頃になると独り遊びを始めたりするから、そこはチェックして
やらんといかんだろうと思ってるだけだ」
 父はそう言ってうそぶきます。

 『娘の身体は親のもの』
 当時はそんな感じでした。

 ハレンチな身体検査が終わるといよいよお灸です。

 このお灸、幼い頃はお父さんが身体を押さえてお母さんが火を
着ける役でした。暴れた時、力のあるお父さんが身体を押さえて
いた方が安全だったからです。

 ところが、今回、火をつけるのはお父さんでした。

 「いいかい、真理子。これが今日のお仕置きでは最後のお灸に
なるけど、これで、お前は今回自分がしたことを反省しなければ
ならない。わかったね」

 私は畳に擦り付けた頭の位置から父の厳とした顔を見つめます。
その時見た父の顔は、お母さんがどんなに恐い顔をしても絶対に
出せない威圧感でした。

 こんな時、言葉は一つしかありませんでした。
 「はい、お父さん」

 私は父の巨大なオーラに飲み込まれ、飲み込まれたまま、熱い
お灸を受けます。

 「いやあ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 父の据えたお灸は、最初、私の陰部を痙攣させます。
 もちろんそれだけでもお仕置きとしては十分なのですが、でも、
それだけではありませんでした。

 火が回り熱さが頂点に達した時、
 『熱いとか痛いとかといったものを超えて何かもの凄いものが
体の中にねじ込まれた』
 そんな感じがしたのでした。


 火が消えても全身に悪寒が残ります。
 しばらくは震えがとまりませんでした。
 それって、私の身体にとっては大変な出来事です。
 ただ、それが不快だったかというと……そうではありませんで
した。

 何か分かりませんが、今までに感じたことのないような快感が
身体じゅうを締め上げていったのは確かでした。

 『何だろう、これ?』
 お灸が終わっても、しばらくは箒と一緒に考えます。
 両親は私をすぐには自由にしてくれませんでしたが、でも、私
はそれでよかったのです。

 私は身体に箒をくっつけたまま、どこかマゾヒティクな快感に
しばし酔いしれることができたのですから……。


 年頃の娘が受けるお股へのお灸。
 実は、後になって知ったのですが、クラスメイトの半数が同じ
経験をしていました。

 そこで思ったのですが、これってお父さんによる手込めだった
んじゃないでしょうか。

 今回、お父さんがあえて火をつけたのも、悪い事から遠ざける
ための子どものお仕置きから、一人前の女性としてあえて男性を
求めるように仕向ける為のお仕置きへ変化させたんじゃないか。
 つまり、お仕置きを利用した一種の性教育。
 考えすぎかもしれませんが、そんな気がするんです。

 後年、父にその事を尋ねると……
 やはり、「考えすぎだよ」と笑いますから……

 「でも……」
 私は、さらに食い下がろうしましたが、やめてしまいます。

 確かに、そんなことは語らないほうがいいのかもしれません。
 それに、私だってまた厳しいお仕置きを受けるのは嫌ですから。

**********(終わり)**********

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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