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学校でのお漏らし

 < 学校でのお漏らし >

 小学生というのは身体がまだ完全に出来上がっていないみたい
だからやむを得ないのかもしれないけどうちでも二件だけあった。
 他にあったのかもしれないけど僕が承知しているのはこの二件
だけだ。

 一つは5年生のK君という男の子でうんちまでもらしちゃった
みたいだけど、直接その現場を見ていないのでコメントできない。
 あくまで保健室でその現場を見たという友だちからの情報。

 もう一件は3年生の女の子で、こちらは僕がからんでる。
 その子は、当時、僕の後ろに座ってた子。
 事の始まりは足元に一筋の水が流れてきたことに気づいたこと。
 少ない量じゃなかったな。結構な量だったのを覚えてる。

 当初はまさかそんなことが起きてるなんて思いもよらなかった
から何の水だが分からずただ不思議そうに眺めていただけだった
けど、そのうち後ろの子のすすり泣く声が聞こえて、振り返って
みたらその子が机に顔を伏せて泣いている。

 そこで担任の先生も事態の急変に気づいたんだろう。その子に
は何も言わず、ただ優しく抱き上げて保健室に連れて行った。

 しばらくして先生だけが教室に帰ってきて、その子の机の下を
自ら掃除して授業再開。
 もちろん、みんなは何があったか分かってたとは思うけど……
その事をネタにおしゃべりする子はいなかった。
 そして帰って来た先生からも事情説明はまったくなかったんだ。

 僕の学校、わりに品がよくて、そんなことがあっても今でいう
いじめとか悪い噂が消えないといったことがなかったの。
 その点では彼女も救われたんじゃないかと思う。

 事件後、この事を噂している声を一度も聞いたことがないのは、
誇っていいことだと思うよ。僕はてっきりクラスじゅうの話題に
なってその子が傷つくんじゃないかって心配してたけど違ってた。

 誰もがあんまり何も言わないから、これはひょっとして本当に
知らないのかと思い、少し離れた席に座ってた友だちに「ねえ、
お漏らししたこと知ってる?」って言ったら「そんなこと言うな
よ、可哀想だろう」って即答されてしまった。

 日頃から親や教師に『自分がされたくないことは他人にしては
いけません』って言われてたから、みんなそれを守ってたんだ。
 こんなことが世間的には品がいいってことなのかもしれない。

 ついでに言うと、僕も一度だけふらふらになって下校した時が
あって、友だちと校門出る時からあやしかったんだけど、こんな
こと学校で話題になったら大変だと思って友だちの前では必死に
平静を装って我慢してた。

 やっと独りになれて、本当なら自宅へ猛ダッシュのはずだが、
それもできなくらい窮地だったんだ。間に合ったのか、間に合わ
なかったのか……家の敷居を越えた瞬間、お漏らしをしちゃった。

 どのケースもあくまで体調不良が原因で『蒼白き恋慕』に出て
くるような、お仕置きでそうなったというわけではないんだけど
そこは好き者の世界、妄想はこんな処から広がっていくわけです
よ。

 あっ、それでまた一つ思い出した。
 今回は尾篭な話ばかりで申し訳ないけど、うちの低学年当時の
担任、昼休み最初の授業にたびたび遅れてやってくる子供たちを
便所(トイレって感じの場所じゃない)まで引っ張って行くと、
そこの柱に縛り付けるなんてパフォーマンスを演じた事があった
わ。

 短い時間だったけど、当時の母校はまだ汲み取り式の時代。
 普段でもそこでは鼻をつまみながら用を足してたから、きっと
臭かったと思うよ。(笑)

 えっ、マジかって……もちろんマジですよ。そのくらいのこと
教師は平気でしてたもん。お仕置きというか、おふざけかな?
 このあたりは微妙な匙加減で子供たちを指導してたんだ。
 今はこれがないんだよなあ、あまりに形にはまり過ぎてる。

 いずれにしても当時は恵まれてたよ。
 親が教師を祀り上げてくれていたから、先生は無条件で権威を
獲得できたし、生徒と触れ合う時間的な余裕も今よりあったから
時間外で勉強をみてくれたり、休み時間には一緒にお外で遊んだ
りもした。
 授業以外でも教師と生徒が交流する時間がたくさんあったから
生徒と先生の心の距離が今よりぐんと近かったんだ。

 僕なんか先生の腰巾着だったから、担任の先生は学校にいる親
ぐらいに思ってて、こちらで勝手に気安くさせてもらってた。

 「お前はいったい何時になったら赤ちゃんを卒業するんだ」
 なんて、怖い顔でよく叱られてたけど……でも、卒業するまで
不思議によく抱いてもらってた記憶がある。

 僕みたいな子は特殊なんだろうけど、他のクラスメイトからも
『先生が嫌いだ』なんて声、聞いたことがなかったから人間関係
はうまくいってたんじゃないかなあ。

 自慢にならないかもしれないけど僕なんて五、六年生になって
も何かにつけて先生からお尻や太股を叩かれてた。

 僕はお調子者で授業をよく引っかきまわしてたし、いつも一言
多いタイプだったから、先生にしたら要注意人物、困ったちゃん
だったに違いないので、そこは仕方がなかった。

 でも、それは僕と先生がそれだけ親しいってことの裏返しでも
あるわけで、優しいハグも沢山してもらってたからね、出合った
先生の中で嫌いな人は一人もいなかった。

 ただ他と比べていくらか品のよい学校と言われていても所詮は
小学生だもの。僕の小学校でも生徒への体罰は公然とあったの。

 だって、理想はともかく、時間的な制約もある中で、いったん
羽目を外して混乱してしまった教室を、言葉だけで正常な状態に
戻せないでしょう。

 往復ビンタの音に驚いて騒音が止まったというのも見たことが
あるくらいだから。

 ただ権力者側についてた僕が言っても説得力がないだろうけど、
体罰と言っても、大半は笑って済まされる程度だったし、相手が
小学生ということで節度は守られていた。だから、これで師弟の
信頼関係が揺らぐことにはならなかったんじゃないのかなあ。

 今にして思うと……ってことなんだけど……
 『当時の先生は生徒にお仕置きができるほど良好な人間関係を
保って学級運営ができていた』
 ってことなんだと思う。

*********************

オモチャ(赤ちゃん人形)

 『オモチャ(赤ちゃん人形)』

 ボクの母親は一家の女主人(ミストレス)でワンマン、どんな
些細な事でも思うとおりにならないと癇癪を起こす人だったから
子供たちにとってはとっても怖い存在だった。

 仕事をしながら子育てもするとなると、そうならざるを得ない
のかもしれないけど、とにかくガッツの塊で、授乳やオムツ換え
に始まって、絵本を読み聞かせ、童謡を歌い、文字や計算だって
……幼い頃の経験というのはすべてが母の膝の上で起こっていた。

 つまり、彼女の場合、相対してものを言うんじゃくて、いつも
ボクたち子供をいきなり抱き上げてから全てが始まるんだ。

 ck母の膝は専業主婦のそれとは異なり仕事の合い間を縫って
あいている時にだけ使うことを許された場所だから、子供たちも
『今は他の事したいからいやだ』というわけにはいかない。

 突然……
 『来いと言ったら来い』ってな感じで引っ張り込まれる。

 しかも、母にとっては仕事との兼ね合いがあるから、短時間に
成果を上げなければならない。子守唄が途中で途切れたり、読み
聞かせの絵本が突然終了なんてのは日常茶飯事。
 結局、後は自分で続きを読まなければならなかった。

 それだけではない。文字の読み書きや計算もその僅かな時間で
母の満足する成果をださなければならないから、母の膝の上では
こちらも緊張の連続で、そう言う意味でも苦労した。

 母のお膝は楽しい場所、のどかな処というのは世間一般の話で、
うちの場合は揺りかごではあるものの、それと同時に奴隷船とか
監獄のようなものでもあったのだ。

 その監獄で、ボクは丸々小学校時代を過ごした。
 そう、丸々。

 低学年の頃ならまだしも五年生や六年生ともなれば、膝の上に
乗せる重さは半端でないはずだが、母親は膝の上にこだわり続け
抱き続けたんだ。

 こちらも……
 『母を早く楽にしてあげなければ』
 と思うから、ここでも短時間での決着が求められた。

 ただ、そんなガッツのある母だったが、残念な事に知識や教養
となると、ちょいと怪しいところがあった。

 そこで、ボクが四年生になる頃、勉強は他の人に任せなければ
ならなくなった。

 家庭教師を雇ったんだ。
 ただ……その光景は異様なものだった。

 それまで相対で勉強したことのないボクは、先生を前にあくび
ばかり。どうしても母の膝が必要だったのでおねだりしてみたが、
最初は当然のように拒否。

 ただ、相対でやっていてはあまりにも効率が悪いというので、
やがて渋々、母が膝だけを貸してくれることになる。

 その結果、母の膝の上に乗った少年が首を激しく振り、全身を
上下左右に揺らしながら、何がおもしろくておかしいのか嬉々と
して家庭教師の出す問題を解いているといった勉強風景になる。

 彼にしたら、知識の出所は家庭教師でもやってる事はいつもと
同じお母さんとの遊び感覚。勉強はこれでなければいけなかった。

 つまり、ボクにとって勉強する時の母のお膝は遊園地の乗り物
(マジンガーZと言った方がいいか)と大差なかったのである。

 こうやって幼児のように母の膝の上ではしゃぎまわっている姿
は、きっと第三者には異常と映ったに違いないが、結局のところ
我が家ではこうして勉強するのが最も効率的だったから、仕方が
なかったんだ。

 家庭教師の先生、そこは仕事と割り切ってすましてたけどね、
母と息子がじゃれあう様子を見ながら、きっと呆れてたと思うよ。

 ところが……
 こんな母との濃密な関係は何も昼間の勉強時間だけに限らない。
 夜はもっと凄かったんだ。

 一日の終わりは、当然、誰だって布団で寝るわけなんだけど、
その時ボクは母と一緒に寝る。正確には弟もいるから三人一緒に
抱き合って、というのが基本スタイルだった。

 他に寝る処がないわけではない。狭いけど自分の部屋があり、
そこには自分専用のベッドもあるのだから、通常はここがねぐら
のはずなんだが、そのベッドでボクが寝るのは、お仕置きとして
そこで寝なきゃいけない時と……あとは、Hな事をする時だけ。
 部屋に鍵がかかるから、その点でここは都合がよかった。

 でも、通常、夜に寝る場所は母の布団の中と決まっていたんだ。

 幼い頃なら、まだ可愛いで済まされるかもしれないけど、もう
来年は中学生という少年が母のパジャマをしっかりと握りしめて
寝る姿というのはあまり絵にならないかもしれない。

 でも、これは我が家の習慣であり、さらにそこでは実年齢では
とうてい考えられないようなことが起こってたの。

 どういうことかと言うと……
 昼間は恐ろしくてそばに寄るのだってはばかられる母親なのに、
ここでは一転、猫なで声で寝床にやってくる。

 「ぼくたち、良い子ちゃんしてましたかあ~~」
 たいてい、満面の笑みでご機嫌な様子だった。

 もう時効だからぶっちゃけちゃうけど、ボクたち兄弟は、母の
布団の中で本物の赤ちゃんを演じ続けてたんだ。

 オムツをはめ、哺乳瓶でミルクを飲んで、母の本物のオッパイ
だってまだまだ現役で舐めちゃう…そんな夜って想像できるかい?

 母はそういう方向でボクたちを可愛がってたし、ぼくたち兄弟
も拒否しないもんだから、何となく赤ちゃん時代の習慣が続いて
いたんだけど、それって、昼間以上に他人には見せられない光景
だった。

 母が大きな手が体中をすりすりしてくれて、ほっぺをぺろぺろ、
アンヨやお手々をもみもみ、お背中をトントン、お尻もヨシヨシ。

 本物のオッパイも大きな指もよくしゃぶってたし、名前はあと
から知ったけど、ディープキスだってお気に入りだった。

 オーラルセックス(?)……
 そういえば、何かにつけて体中を舐められてた記憶あるなあ。
 とにかくこれが母の愛情表現だったんだ。

 対するこちらも、今日一日の出来事は赤ちゃん言葉で伝えて、
母の機嫌がよければお漏らしだってやっちゃうという悪乗りぶり。
 まさに筋金入りの困ったちゃん家族だった。

 濡れたオムツは母が取り替えてくれるんだけど……これだって、
恥ずかしいだなんて感じだことがない。
 むしろ熱いタオルとふかふかの新しいオムツがとっても気持ち
よくて、こちらは何度もおねだりしたくらいだった。(もちろん
いつもやってたわけじゃなく滅多にやらしてはくれなかったけど)

 そう、小学生にしてボクたちすでに変態だったんだ。

 でもね、いいこともあったよ。
 その日がどんなにか大変な一日でも、ここだけはいつも別世界
であり続けたから、お仕置きのあったその日もボクは枕を濡らす
経験がなかったの。終わりよければすべてよしというわけだ。

 女の子の場合は母親が同性だから、こういう気持はわからない
だろうけど、男の子にとっての母親は神秘的で神格化された存在
だから、『女神様の為なら…』という思いで、何でも受け入れて
しまうところがあるんだよ。

 それに、これは何かの原因で途中からそうなったんじゃなく、
赤ちゃん時代の習慣がそのままずっと変わらなかったというのが
真相。そのせいか、兄弟共に不自然さは感じていなかった。

 実は、兄弟が勉強に励んでいたのもこんな母との関係を続けた
かったからで……立身出世を志したり、お金持ちになりたいとか、
名声に憧れた……なんてのはもっと成長してからのお話で、この
時代は純粋に母を喜ばすのが目的だったの。

 少年達、うぶだったんだろうね、ママがヨシヨシしてくれたら
他に欲は何もなかったんだ。

 というわけで、ボクたち兄弟は小学生の間はどんなに成長して
も母の赤ちゃんであり続けたし、母にとってもボクたちは大事な
赤ちゃん人形(オモチャ)だった。

 「ほら、お前たち、いつまでお母さんに甘えてるんだ」
 ってお父さんには叱られてたけど……

 でも、こんなこと母が拒否すればそれまでだったはずなのに、
いつも一緒になってお布団の中で楽しんでたのお母さんだもの。
 お母さんだってボク達との事まんざらじゃなかったって思うよ。

<*>
 と、まあ、これがボクの少年時代。
 ボクのお仕置き小説の底辺をなしている赤ちゃん的な甘え精神
やご都合主義もここから来てるの。
 だから、どんなに厳しいお仕置きがそこに描かれていても……
『この親は子供を愛しています』なんて書かれていなくても……
あくまでお仕置きが大前提のお話だから、たとえ行為は同じでも
SMのような悲惨さとは無縁なんだ。
 ま、そんなんでよければ書いてあげるよ。

***********************

『お仕置き』って……

 『お仕置き』って……

 虐待されて育った人にとっては、そりゃあ、思い出したくない
出来事だと思うけど、僕の育った環境でいうお仕置きはあくまで
親にとっての愛の一部なんだ。
 
 そもそも常識的に親が子供を虐待するって発想がなかったから、
たとえそれがどんなにきつい折檻でも、子どもの為を思わない親
なんていないって信じられていた。

 親戚も近所に住む人たちも学校の先生も警察官も……もちろん
親自身だって基本的に性善説だ。
 その前提にたってお仕置きがあるから、親が少々過激なことを
子供にしても許されてたんだ。

 もちろん、中には度の過ぎたお仕置きだってあったわけなんだ
けど、それは近所の人や学校の先生、場合によってはお巡りさん
が中に入って収めてた。

 ボクの子供時代はまだ社会全体が貧しい時代だったから親自身
生きていくことに真剣で、『これはまだ世間知らずの子供のした
こと』という心の余裕に欠けていたかもしれない。

 それとは逆に、今みたいに色んなお楽しみがあるわけじゃない
から、自分の子供っていうのは親にとっては日頃の憂さを晴らす
格好の玩具でもあったんだよ。

 そうやって玩具として扱われた結果、中には度外れたお仕置き
に発展することもあって……。
 これがボクの小説の過激な部分に当たるってなんだ。

 もちろん、それって今日的には大問題なんだろうけど……
 あえて批判を覚悟で言うとね。ボクは、そのことがそんなにも
子供にとって不利益なことだとは思っていないんだ。

 だって、それは本音で生きてきた家族の嘘のない姿だから賛成
できるかどうかは別にしても心に訴えかける力は大きいと思う。

 子供を前に普段身につけない裃をつけ、どこかで聞きかじった
理屈を、さも自分の腹から出たと言わんばかりに振りまわす親が
最近は特に多いけど、それで子供がどれほど感化をうけるだろ
うか。
 ぶつぶたないは別にしてその方がよほど笑止だ。

 今は、何かにつけて、子供の人権・人権って騒ぎ立てるけど、
子供はガラスケースに入れて飾っておけば成長するわけではない。
常に建て前で接しなければならない他人と違い、親は大人の本音
を語ってくれる数少ない存在なはずで、そこには道理の通らない
ことや粗暴な現実も含まれるけど、それも成長していく為の社会
勉強だとボクは思っている。

 今は、どこかのお偉い先生方に感化されてか、親までが子供に
気を使って、理屈でその場を取り繕うとしているけど、そもそも
理屈で全てが成り立たっていないのがこの世の真実であり、親は
それだけでも子供に嘘をついて育てていることになる。

 その嘘に子供が気づいた時、本心で語り合わなかった親子関係
は『騙された!』という思いと共に破綻するんじゃないだろうか。

 ボクは決して理屈や理想を否定しないけれど、一方でそうした
ものを越えた不条理の現実が世の中にはたくさん存在することも
同時に教えなければ、思春期を迎えて困るのは本人なのだ。

 昔はガキ大将というのがいて、親が教えなくても彼が世の習い
を教えてくれたものだが、今はそうしたリーダーもいないから、
なおさら温室育ちの少年たちが現実を知る機会が失われている。

 温室育ちの花はそこを出ると弱いもの。曲りなりにも保護され
ていた小学生時代と異なり自立を求められる中学生になった時、
世をはかなんだとしても不思議はあるまい。

 ボクは、お偉い先生たちが言い放つ究極のお為ごかし論理で、
子供が育つなんて思っていないから、理不尽な喧嘩も、不条理な
折檻も、それはそれなりに子供の成長に役割はあると思っている。

 人は心に傷を受けながら大人になり、心の傷が治るたびそれが
免疫となって打たれ強く他人にもやさしくなれる。

 子供たちにとって大事なことは心が傷つかないようにすること
ではない。受けた心の傷を治せる環境を整備してやることだ。

 もちろん、そこに愛情があることが大前提の話ではあるが……
親が自らの本心をむき出しにして築く子供との人間関係はどんな
教育や躾より大事な前提だと思っているから、オシオキをテーマ
に小説を書いてみたところで恥じるところは何一つないのです。
 あしからず……

***********************

天国 ~第六話~

 *** 第六話 ***

 お父様(神様)にもらった羽根は快適そのものだった。
 仮の羽根では家の周りをパタパタ飛ぶ程度だったけど、本物の
羽根をもらってからというもの、高い処だったら宇宙空間までも
上昇できるし、スピードも圧倒的だ。どこへ行くにも移動時間が
今までの半分以下になった。

 ただ、これで赤ちゃんを卒業して曲がりなりにも一応一人前に
なったわけだから、今までのように何があっても「ママ~」って
呼べば全て解決というわけにはいかなかった。

 ちなみに天国のママは赤ちゃんの心を常に読んで行動している
から、おなかがすく前にミルクが出てくるし、オムツが濡れる前
にオマルに座らされてしまう。

 そもそもお腹がすいたり、オムツが濡れたとしても「ママ~」
って呼ぶことがあまりなかった。
 というのも、ママが近くにいればそんな事はすぐに解消される
と知っていたから、あまり深刻に考えたことがなかったのだ。

 そんな赤ちゃんもお父様(神様)から御羽根をもらったことで
いつまでもママに甘えて暮らすというわけにはいかなくなる。
 その手始めが、人間社会で言うところの『保育園』だった。

 当然、集まる子供たちだって、ここには新米さんばかり。
 そんな新米のエンジェルさん達が、それまでずっと一緒だった
ママに手を引かれてやってくる。

 これから小学校へ入学するまでの3年間は、毎日ママと一緒に
保育園にやってきて、毎日ここで過ごし、一緒にお家へ帰る日々
だった。

 と、ここで多くの人は疑問に思うかもしれない。
 『ん?……ママはなぜおうちに帰らないの?』

 実は、天国にある保育園はママ同伴が原則。
 もともと天上人たちは無職。その生活の全てを神様からの思し
召しで賄っていたから、他人への奉仕はしても人間社会のように
生活の為にお金を稼ぐなんて必要がなかったのだ。

 しいて僕のママに仕事があるとすれば、それは僕を育てる事。
それは純粋な奉仕であるだけでなく、僕を育て上げれば、正式に
天上人となれる特典がついているのだから仕事と言えなくもない。

 いすせれにしても、赤ちゃん時代を過ぎ、神様から『タカシ』
なんていうという立派な名前をもらった後も、ママは一日中僕の
そばを離れなかった。

 とはいえ、このままずっとママに抱かれ続けて大人になるわけ
にもいかないから、礼儀作法や社会性を身につけるために学校は
通わなければならない。その第一歩が保育園だったのである。

 天上人が天国で楽しく生きていく為に愛は大事な活力源。でも、
その愛はただ向こうから勝手にやってくるわけではない。それを
得るためには他人への奉仕が必要で、そのやり方を覚えなければ
ならない。

 『私、たくさん奉仕しました』
 という自己満足ではいけないのだ。

 というわけで、その『愛』獲得の第一歩を教えてくれるのも、
この保育園だった。

 保育園で一番多い授業はお母さんたちが大きな輪を作って椅子
に座り、我が子を膝の上に抱きながら必要に応じて催し物に参加
させるというもの。

 大昔の運動会と同じやり方で、僕がまず最初にやらされたのは
お庭の中央に置いてある白いテーブルに用意されたご本やお花、
オルゴールや宝石などを先生の指示に従って別のお母さんの元へ
お届けするというご奉仕。

 終わると、あちらのママが日頃僕のママがしてくれてるように
指をおしゃぶりさせてくれて、頭やお尻をなでなで、背中をトン
トン。両手と両足の指をモミモミ。最後に頬ずりをしてもらって
から懐かしいお母さんの元へ帰ることになる。

 いわば、天国版『はじめてのおつかい』というわけだ。

 何でもないことのように思うかもしれないが、それまでママの
肌しか知らない僕にとって見知らぬおばさんは異性人。そのそば
に寄るだけでもとても勇気のいることなのに、ましてやその指を
しゃぶるなんて……とてつもなく勇気のいる仕事だったのである。

 おばさんがにこやかな顔で座っている籐椅子に向かって歩いて
行き、その横にある小さなテーブルにお花とご本を届け、最後に
「どうぞお召し上がりください」というご挨拶をする約束だった。

 「……????……」
 が、僕はその大事な挨拶を忘れてしまう。

 ただ、それでも、もじもじしている僕の頭をおばさんは撫でて
くれて、抱っこ。指が現れると無意識におしゃぶりしてしまった。
 すると、どうだろう。その瞬間……

 「!!!!」

 まるで全身に電気が走ったようで、えもいわれぬ快感が体中を
貫いたのだ。
 それはママからだってこれまでも散々受けてきたものだから、
すぐに愛が体の中に注ぎ込まれているって気づいたけど、痺れ方
がママのとは明らかに違うのだ。

 『これって、何だろう?』

 戸惑う僕に……
 「おめでとう、タカシ君。これはあなたが自分自身で獲得した
人生最初の愛よ。おばさんもあなたにそんな大事な愛を授けられ
て嬉しいわ」
 と、なった。

 おばさんは僕を祝福してくれたのである。

 もちろん、これで終わりではない。運んで行く相手が違うのは
当然として、以後は少しずつハードルが高くなる。自分でお花を
摘み、花瓶に水を注ぎ、本棚からご本を選び、素焼きの香炉の中
で燃やすお線香を選んだりもする。
 時には『テーブルに乗せるときは笑顔で』なんて注文までつく。

 やることは増えていったが、それでも辛くなったと感じた事は
一度もなかった。人を笑顔にすることが楽しくて仕方がなかった
からだ。

 むしろ、人によって喜びの表現が違うことが面白くて……
 『次ぎはあの人』『次はあの人』というように、それが目標と
なっていく。

 それはそれまでママのミルクしか飲んでいなかった赤ん坊が、
離乳食の味を覚えたということかもしれない。

 こうやってお友だちのお母さんたちへの奉仕が一回りすると、
今度はお友だち同士で愛を分け合う。

 お互い手を握り合い、ほっぺを擦り合わせ、ペチャパイの胸と
胸とを合体させると、ほのかに心地よい香りが漂って相手の子の
心の中が見えてくる。

 一回二回ではだめだが、十回二十回と重ねるうちにだんだんと
ビジュアル化されてくる。
 相手の子がどんな風にお母さんから愛されているのか、映像と
なって脳裏に浮かぶのだ。

 その子がお母さんとどんな風に食事をし、お風呂に入り、一緒
の布団の中で睦み合っているか……その映像がリアルに頭の中に
浮かんでくるのだ。

 『幸せそうだなあ~』

 僕は一瞬うらやんだが、思えば僕だって立場は同じなわけで、
ボクだってやっぱり、ママと一緒にごはんを食べ、お風呂に入り、
一緒の布団で寝ている。

 大事なことはどの子もみんな同じスタートラインにいるって
こと。
 天国ではママはみんな違うけど、お父様は誰でも同じお父様。
そのお父様が、僕たちをみんな平等に扱ってるんだってことを、
知ることが最初のお勉強だったんだ。

 『誰の心もみんなガラス張りで、隠し事ができない国』
 『誰もが自分より相手の事を大事に思って動く国』
 『神様の定めた約束さえ守っていれば絶対に不幸にはならない
国』
 とまあ、これが天国という処なのだ。
 だから保育園でもそれをまず最初に教える。

 もちろんそれって、きっと幸せな国を目指しての事なんだろう
けど……
 でも、それはそれで他人のおせっかいがうっとおしかったりも
するわけで……

 特にママはいつもそばにいて僕の心の中を覗き見しているから、
逆にそのことでストレスが溜まり、僕がご機嫌斜めになることも
しばしばだった。

 プライバシーのない生活というのは、たとえ幼児にだって困り
ものなのだ。

 ただ、そんな時でも、ママのオッパイが目の前にやってくると
つい誘惑に負けてつい口に含んでしまう。

 そこは悲しいかな幼児の了見。
 『こんなものでごまかされないぞ~~』
 とはならない。

 だからこの時期、ママを悩ますほどの反抗期はなかったように
思う。

 というのも、オッパイを口にしてしまった子は二十と数えない
うちに寝てしまうから。
 エンジェル(幼い天使)にとって、ママがよしよししてくれる
この睡魔ばかりはどうすることもできなかった。

 そもそも、幼児にとってママというのは単なる女の人ではない。
この世に二人といない女神様なのだ。
 そして、その女神様に抱っこされているこの場所こそが、僕の
宇宙全体。
 そこから逃げられるはずがなかった。

 もちろん、ここは天国なんだから、そこはどうにでもデザイン
できるはずなんだろうけど、どうやら神様(お父様)がそのよう
に創ってしまったみたいなのだ。
 幼い時はママの愛の中で暮らしなさいってね。

 だから、この時期、ママによって溜まったストレスも、やはり
ママが抱っこしてくれる宇宙の中で解消する他なかったのである。

***********************

天国 ~第五話~

 *** 第五話 ***

 さて……
 こうして、めでたく僕は天上人の一員となれたわけなんだけど、
それは赤ちゃんを卒業できたってことで、立場は未だに幼児のまま。
つまりエンジェルちゃんのままなんだ。
 天使ってのは成長が遅いからね、これから何十年もかけて大人
になるの。

 でも、僕はこれに不満なんてなかった。
 『子供だからハンデだ』なんて感じたことがあまりないかった
んだ。

 親兄弟や先生たち限らず、普段顔を合わせる大人たちはみんな
優しくて、僕たちと街中で顔が合えばたいてい微笑んでくれる。
 それだけじゃなく、頭をなでたり抱き上げて高い高いをしたり、
肩車で公園中を巡ったりもする。
 天国の人たちって、社会の決まりごとにそってあてがいぶちで
暮らしているだろう、物欲がない分みんなとってもフレンドリー
なんだ。

 しかも、天使ってのは人の心を読むのがとにかく巧みな人たち
だからね。こちらは『あれ欲しいなあ』って思っただけなのに、
いきなりその玩具が目の前に出てきたりする。

 『言葉が出なくても表情だけで暮らせる』と言われる天国では
こんなの日常茶飯事なんだ。
 むしろ、慣れないと怖い。

 神様の基準では、子供をあやしたくらいの奉仕では、もらえる
愛もささやかなものみたいだけど、それでもみんな子供が大好き
で、僕たち(エンジェル)を見つけると、向こうの方から寄って
来るんだ。

 『どんな社会も幼児は愛されるもの。人間の社会もそうだった。
ただ、見ず知らずの大人が、まるで本当の親のように振舞っても
何の問題が起きないのは、それだけ他人を信用できるから。治安
が抜群にいい天国だから見られる光景なんだよ』
 ってね、僕の先代さんが夢の中で教えてくれたことがあるんだ。

 先代さんというのは、昼間は僕の心の後ろにいて、間違った事
をしようとすると、チクッチクッって心臓を刺して教えてくれる。
 特に夜は夢の中に出てきて、人間時代の思い出や昼間の出来事
にもっと具体的なアドバイスもしてくれるんだ。
 ボクの話し相手兼アドバイザーでやさしいおじさん。

 実は、ボクはその人のことを先代さんって呼んでるけど、正確
にはボクは先代さんの生まれ変わりだから二人の遺伝子は一緒。
一心同体なはずなんだけど、お互い経験しない事は記憶に残って
いないから人格はそれぞれ別。

 天国で生まれて天国しか知らない僕にしてみたら、『その人は
確かに『ボク』なんだけど、やっぱり優しいおじさん』っていう
何だか不思議な関係なんだ。

 その先代さんが、いつもボクの未熟で小さな心を守ってくれて
いるせいもあるんだろうけど、大人が冷たいとか、怖いだなんて
思ったことは一回もないよ。大人は優しいのが当たり前だもん。

 礼儀正しくしてたら、抱っこで、頭なでなでで、甘い甘い愛の
お菓子がもらえる。目の前に差し出された薬指をしゃぶると……
体中が幸せな気分になってそのまま寝てしまうこともあるくらい
なんだ。

 もしその人に時間がなくて愛のお菓子がもらえなくても大丈夫
だよ。物語の世界に入り込める特典付きの絵本がもらえるから。

 天国って、子供にとっても甘い世界なんだ。

 実のところ、幼い頃(…今でも十分幼いけど)の僕は、そんな
特権を最大限利用して大人たちに甘えまくっていた。

 近くの公園に行くんだって……
 まずは通りかかった大人の足に抱きついてみる。こうすれば、
ほぼ100%の確率で抱いてくれるからね。
 大人って、小さい子に甘えられると弱いんだ。

 そして、抱いてくれれさえすれば、あとはしめたもので……
 縁もゆかりもないそのおじさん、おばさんに向かって一言。

 「公園」
 と命令すればよかった。

 羽根はまだなくとも、当時だって歩けるわけで公園へ行くのに
大人の力を借りる必要なんてまったくないんだけど、とにかく、
自力で行くより抱っこで入園?したかったんだ。
 きっと、愛されてるっていう証しが欲しかったんだと思う。

 それだけじゃないよ。他の子が持ってる玩具が欲しくなったら、
『あれ、欲しい』って当然のようにおねだりしていいんだ。

 ブランコやシーソーやジャングルジムで一緒に遊んで……

 広い園内をうろつくうち、たまに迷子になることだってあるん
だけど、そんな時でも慌てたことなんて一度もなかった。
 そんな時は、とにかく新たな大人を探せばよかったんだ。

 今、一番近くにいる大人がターゲットで……
 いつもと同じように、大きな足にしがみ付いて、抱っこされた
瞬間、今度は「帰る」と一言。
 あとは寝ててもよかったんだ。

 その後は災難を引き受けてくれた大人がテレパシーでお父様に
僕の住所を尋ね、おんぶか抱っこでお家まで運んでいってくれる
ことに……。

 家につく頃には疲れて眠ってしまってることが多いから、次に
目覚めた時は、ママのお布団の中で一緒におネンネしてたなんて
こともしょっちゅうだ。

 こんなお気楽世界だから、ママだって僕が近くに見えなくても
大慌てなんてしない。
 『そのうち誰かに拾われて帰って来るでしょう』
 って……こちらもまたお気楽世界の住人だったんだ。

 天国には、天上人やエンジェルの他にも妖精や精霊など色んな
住民がいるけど、その全ての住民がお父様のPCにより一括管理
されているの。超監視社会。

 とにかく一年365日一日24時間、一瞬の隙もなく監視され
てるから僕たちにはプライバシーってものがまったくないんだ。
 変な話だけど、Hをしてる時だってちゃんと記録に残ってる。

 だから、ここへ来た人の多くはそれが重荷でとっても息苦しい
と感じるみたいだけど、このデータは裁判にでもならない限りは
表には出ないから、よい子にしてればまず大丈夫なんだ。

 そもそもこんな風に監視しているのは、お父様に覗き見趣味が
あるからじゃなくて、あくまで事故防止。

 天国では事故が予想される場合はどんな住民でも瞬時に大きな
ボールの中に入れてしまい、安全な場所まで移動させてから開放
する仕組みになっているんだ。

 天国の住民はPCチップと同じで不必要なパーツとなっている
人はひとりもいないから、住民を一人残らず管理して事故のない
ようにしているんだ。

 ところが中にはそんな救命用のボールに入りたくて崖の上から
わざと飛び降りて遊んだりもする悪ガキもいて困りものなんだ。

 こうした場合、崖から落ちて痛い思いはしなくても、その後、
お仕置きで痛い目や恥ずかしい目にあったりする。
 その子の年齢にもよるけど、たいてい村の広場で修道女達から
お尻をむき出しにされてスパンキングのお仕置きってことになる。

 というのは、いくら自由に過ごせる天国といっても、仕方なく
やついうっかりとは違って、わざとっていうのは、やっぱりダメ
なんだよね。

 天国で暮らす住民は、その居場所や健康状態など本人の今が、
繭玉PCに逐次報告され続けているから、迷子になってもすぐに
ナビしてくれるし、病気になったとたん、本人に自覚がなくても
自宅に救急車が横付けされてしまう。

 つまり、天国の住民は事故や自殺で亡くなることはなかったし、
こんな超監視社会の天国では人攫いなんてできるわけがないから、
もし、暗くなって幼児が街中を独りで歩いていたら、誰かしらが
送ってくれる。
 その意味でもママは何一つ心配していなかったんだ。

 もちろん、それは虐待についても同じ。
 天国は人の理性が信じられるところだったので体罰そのものは
依然として合法だったけど、繭玉のAIが全ての状況を考慮して、
これ以上のお仕置きは子どもにとって有害と判断すれば、瞬時に
親から子どもを取上げてしまうこともあるんだ。

 こうなると、ママはごめんなさいを言ってお父様の処へ子供を
引き取りに行かなければならない。
 それってママにするととっても恥ずかしいことだったみたいだ。

 だからそれを聞いてね、ママからのお仕置きの最中、お父様が
今の苦境を止めて下さるんじゃないかって毎回期待してたけど、
結局、僕の場合は一度も止めてくださったことはなかった。

 天国ってところは、安心、安全は徹底してるけど、その一方で
プライバシーはまったくない処だったんだ。

 そんな天使の家は、妖精たちが管理するお花畑の中にある。
 ブナの木やケヤキの太い枝の上に床を張っただけの簡素な造り
で壁はないけど通常はそこだけピンポイントで霧に包まれていた
からよそから覗かれる心配だけはなかった。

 もともと天国は暑からず寒からずの穏やかな気候で、一年の中
ほとんどの日が晴天。常に軟らかい風が心地よく吹いているけど、
それも大風になることはなかったから、むしろ壁なんかない方が
快適に暮らすことができたんだ。

 しかも、周囲のお花畑から色んなお花の香りが立ち上ってくる
から、ここに住んでるだけで幸せな気分になる。

 ママとの暮らしは、お膝でいただく愛のお食事も、オッパイを
舐めながらのおネンネも、ママと一緒に入るお風呂の時だって、
何もかも、それはそれは最高の気分なんだけど……

 ……ただ、不便な事が一つあって……

 実は、僕の背中にまだ羽根のない時代、自分の家だというのに
自分の力だけでは出入りできないんだ。

 仕方がないから、木の根元に立って「ママ~」と叫ぶ。

 もちろんすぐにママが降りてきて抱き上げてくれるんだけど。

 ただ、ママのご機嫌を損ねるとその時間が遅れることもあって、
早い話、樹上生活は子供に対する締め出しが簡単にできるから、
子供にとっては困りものだったんだ。

 これに対し、大人たちは背中に立派な羽根を持ってるでしょう。
普段から、空を飛んで移動することが多い。
 つまり、子供たちにとっては不便な樹上生活も大人たちにして
みると、むしろ快適なお家だったみたいなんだ。

 子どもたちはママに締め出されると、もうどうしようもない。
羽根のない悲しさに涙し、大木の根元に腰を下ろしてぼんやりと
ママの頭が冷えるのを待つことになる。

 ただ、そんな時はたいていお花畑を管理する妖精たちがやって
来て、慰めてくれることになっていた。

 実は、この妖精たち、同じ天国に住んでいても天上人とは違う
種類の住民で、お花の数だけいるの。みんな神様から与えられた
お花が枯れないように管理を任されているんだ。

 花の妖精たちは、その昔、このお花がこの世に生まれた瞬間、
たまたまそこに居合わせた虫や小動物たちが、神様の要請に応え
て天国へのぼったもので、元の姿は様々だ。
 コウロギやバッタの場合もあるし、ネズミやネコ、ヘビだった
りもする。

いずれにしても元々人間だった住民たちとは異なり、いきなり
天上人になることはないが、神様のお目にかなって人間への進化
が認められた子も少なからずいた。

 そんな妖精あがりの子が人間として認められる為には天国へと
上がってきた人間の子を一人前に育てる必要があり、これが最終
試験となっていた。

 そのあたりは煉獄から上がってきたお母さんたちも事情は同じ。
 いずれにしても、そりゃあ彼らにとっては大切な試験だからね、
子供たちは大事に育てられていた。

 この木の上の我が家。枝を掃うことなく建てなければならない
から、間取りは居間と寝室とバストイレ。簡素な造りだけどね、
天使の親子が二人で暮らすには不自由のない広さだった。

 実際、エンジェルちゃんと呼ばれる幼児の頃は赤ちゃん気分が
まだまだ抜けてないから何をやるにもママと一緒。

 ネンネ、ウマウマ(食事)、オップ(お風呂)、お散歩なんかは
勿論のこと、二人でお歌を歌ったり、絵本を読んでもらったり、
独りで楽しむ積み木遊びやお絵かき、オモチャのピアノを叩く時
だってそこには必ずママがいたんだ。

 そうそう、トイレにだって一緒に入ってたけど、べつにそれが
変な事だなんて思わなかった。とにかく、僕の方はママがいつも
手の届くところにいて欲しかったんだ。

 そんな幼い頃の僕は世の中は三つの物でできていると思ってた。
 『僕とママ……あとは……その他色々の物』

 中でもママは特別。僕の宇宙を支配する女神様だからね……
 『ママさえいれば、たとえ僕がいなくてもそれで十分幸せなん
じゃないか』
 なんて、変な事まで思ってた。

 そんなママのことだからね、逆に手を伸ばして触れられる位置
にママがいなかったらパニックだ。

 まるで宇宙が壊滅したような驚きで「ママ~~」「ママ~~」
って叫び続けることになる。

 幼い子にとってママがいないというのは不安で不安で死にそう
なくらい寂しいことなんだ。
 だから、いくら大人がみんな優しいと言っても、やはりママは
別格。

 どんなにママから叱られたとしても、お父様から「だったら、
ママと離れて暮らしますか?」と問われたら、「はい」と答える
子はいないはずだよ。

 そんなママとの一日は、まずお布団の中からから始まるんだ。

 オッキの時間、僕はママの薄いネグリジェを握りしめている。
 これは夢の世界から帰ってこれなくなると大変だから、必死に
握ってるんだ。

 実は赤ちゃんの時代からずっとそうなんだけど、天国で暮らす
エンジェルちゃんたちはどんな場合もママの愛のエリアからお外
へ出てはいけないという絶対の掟があるんだ。

 もちろん、その中にはママが好まない場所へ行ったらいけない
というのもあるけど、大事なのは心の方。

 前にも話したけど、超監視社会の天国ではエンジェルちゃんが
危ない場所に立ち入ろうとすると、お父様から体ごと止められて
しまうし、万一、高い崖から落ちたりしても、その瞬間、身体の
周囲が大きな風船の中に入ったようになって軟着陸。
 普通に暮らしていればどう間違っても怪我なんてしないように
なっているんだ。

 ただ、そんな天国でも身体と違って心の方は衝動的に動くから
簡単に制御できない。例えば、お気に入りの女の子がしゃがんで
いたら、その子のパンツが見てみたいと思っちゃうのが男の子。

 もちろんそれから先、何もしてないんだけど……
 これだって、天国では『ママの愛のお外に行った』という事に
なるんだ。

 天使たちは見つめ合うだけでお互いの心がすぐに読めてしまう
から、人間社会のように言葉を投げかけなくてもいやらしい心を
持っただけでアウトなんだ。

 『いやらしいことを想像してはいけない』
 これって、男の子には無理。

 『嘘をついてはいけない』
 これって、女の子には無理。

 でも、どちらもやっちゃいけない事だから、天国ってもの凄く
窮屈な場所でもあるんだよ。

 でも、そんな天国でも唯一自由に飛びまわれる場所があるんだ。

 それが、夢の中。

 夜、ママに身体を預けて一緒にネンネすると、それから先は、
どんな夢を見ても許されるんだ。

 最初の頃は、お父様抱っこされて天国じゅうを旅行したりとか、
ママや妖精さんたちで食事会をしたり、なんてのが多かったけど、
保育園や小学校に通い始めると、好きな女の子と二人だけでピク
ニックに行ったりとか、キスしたりされたりとか、もっと過激に
その子の裸を見たり、お仕置きされてるところが現れたりもする。

 でも、それが昼間に見る妄想じゃなくて、夜にママと一緒のお
布団の中でみる夢なら、天国でも許されてるんだ。

 ただ、ママからは……
 「お夢の世界でも、あまり遠くへ行くと帰れなくなるわよ」
 なんてね、脅されていたから……

 『ママと離れ離れになったら大変だ』
 ということでママのネグリジェだけはしっかり握って放さないようにしてたんだ。

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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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