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<序文>

        亀山からの手紙(プロローグ)

<序文>

 私はヘブン(楽園)と呼ばれるこの地で15歳までを過ごしま
した。もともと捨て子だった私は、当初公立の乳児院で過ごして
いましたが、1歳を待たずしてここの会員である天野氏によって
亀山の地へ引き取られます。
 以来、なだらかに広がる丘の街が私の住処となりました。
 そんな経緯もあって、私の記憶はこのヘブンの地から始まります。

 広い敷地を持つ邸宅がいくつも立ち並ぶこの街には私の他にも
多くの子どもたち……といっても孤児ばかりですが…がいます。
天野茂氏もそうした子どもたちの世話する里親の一人。他の邸宅
のお父様同様、若い頃に財を成した資産家で、今はこの地に移り
住み、まるで孤児を育てるのが趣味とでもいわんばかりに家の中
は常に大勢の子供たちであふれていました。
 とはいえ、乳飲み子の私が、最初からこうした街の子供たちと
交わったわけではありませんでした。私が最初に接した世界は、
高橋という名の中年女性の懐。そして、乳房でした。

 彼女は生さぬ仲の私に自分の乳房を吸わせ遊ばせ、自分の産ん
だ子と何ら変わらないように私を育ててくれたのです。
 ですから、私にとって彼女は唯一の母親。産みの母はどこかに
いるでしょうが、私が母と呼べる人は未だに彼女だけなのです。

 一緒に寝て、ごはんを食べて、絵本を読んで、積み木で汽車や
お家を造ります。おまるに跨る時だって、一緒に応援してくれま
した。……そのいずれの時も彼女は私と一緒でしたから……

 もともとシスターでしたが、還俗して私とつき合ってくれたの
です。

 その彼女が私に最初に教えてくれた言葉があります。
 「はい、お父様」
 これはここに住む子供たちなら誰もが忘れてはならない言葉で
した。

 高橋先生(お家以外ではママをこう呼びます)は確かにママの
代わりではありますが法律上の責任者はあくまで天野茂氏。私を
経済的に支えてくれたのも彼でした。ですから、『お父様』(おと
うさま)と呼ぶのはごく当たり前のことだったのです。

 彼は大変な子煩悩で、孤児たちを自宅に引き取っただけでなく
高橋先生のように母親代わりになる人まで付けて面倒をみてくれ
ました。
 ただその代わりといっては何ですが、子供たちは天野のお父様
やその奥さんであるお母様に対しては絶対服従。小さな我が儘も
許されません。
 そこで、まず覚えさせられるのが……
 「はい、お父様」
 どんな時もこの言葉だけは忘れてはいけなかったのです。

 こう書いてしまうと、何か堅苦しい感じですけど、お父様やお
母様は幼い私たちを膝の上に乗せてごはんを食べさせたり、一緒
にお風呂に入って身体を洗ってくれたりします。おまけに滅多に
子供たちを叱ったりしませんから、二人が居間にいる時は誰彼と
なく抱きついて遊んでくれるようにせがみます。

 お父様は、ソファでくつろいでいる時に子供たちが肩に乗って
来ても、髪の毛を引っ張っても、お髭を丸めても、お顔の皺を伸
ばしても、耳元で甲高い声で叫んでも、無頓着に笑っています。

 ただ、そんな時でもお言いつけは守らなければなりません。
 「さあ、勉強の時間だよ」
 「さあ、寝る時間だよ」
 その時、子供たちが言わなければならなかったのが……
 「はい、お父様」
 でした。
 こう言われたら、子どもたちは他の言葉を使ってはいけないの
です。

 先ほど私、お父様たちは子どもたちを叱らないと言いましたが、
それはあくまでお父様やお母様が私たちを叱らないというだけで、
母親代わりとなる先生たちは子供たちをよく叱ります。というか、
当時の事ですから体罰だって当然という世界でした。

 お尻叩きはもちろんのこと、納戸や物置に閉じこめられたり、
素っ裸やパンツ一つでお庭の杭に縛り付けられたり、浣腸をして
それを限界まで我慢させられたり、お灸だってあります。いつも
ではありませんが、恐らくここで育った子供たちのなかでお尻に
お灸の痕つまり火傷の痕がない子はいないと思います。

 でも、みんな自分の面倒をみてくれる母親代わりの先生が大好
きでした。私のママだけでなく、どこのママ達も子どもたちには
献身的なんです。およそ血を分けた本当の子供でもないのに……
『どうして?』って感じでした。

 もちろんそんな情熱は幼い子供にも伝わりますから、ちょっと
くらいお仕置きされたからってママを嫌がる子はいません。

 どんな厳しいお仕置きがあった日も…
 「ごはんよ」
 ママのこの一言を境に、どこの家庭でもまた元の親子関係へと
戻っていきます。

 僕のお家では叱られた次のごはんはママのお膝の上と決まって
いました。そこで必死に甘えて失ったものを取り返します。これっ
て、別にお仕置きの償いにママがそうしているわけではないのです
が、うちのママはお膝の上を占拠した僕にスプーンで食事を運んで
くれます。

 そして……
 「ん?お尻、痛かった?」
 「うん」
 「元気を出して、お義母様には内緒よ」
 「どうして?」
 「大事な赤ちゃんのお尻をぶったなんてわかったらママがお義
父様に叱られちゃうわ」
 なんて言われましてね、本気にしていました。(∩.∩)

 お断りしておきますが、この時僕は幼児ではありません。正真
正銘の11歳。世間の常識ではもう『赤ちゃん』だなんて言われ
る歳ではありませんでした。けれど、この街では身体がどんなに
大きくなろうと14歳になるまでは常に『赤ちゃん』なのです。

 「だって、僕はもう赤ちゃんじゃないもん」
 そんなこと巷では通用してもここでは通用しません。
 ですから、おいたが過ぎると、それまで大人たちから与えられ
ていた自由がすべて剥奪されてしまいます。パンツの代わりに、
おむつをはめさせられ、上下続きのベビー服を着せられてベビー
ベッドの上へ。
 ここで丸一日過ごさなければなりませんでした。

 ええ、私もこの罰を受けたことがありますがとっても変な気分
でした。何しろ枕元にはミルクの入った特大のほ乳瓶、起きあが
りこぼしや天井で廻っているメリーゴーランドも同様で成長した
体に合わせた特注品。
 部屋の隅にはおまるが置いてあって用を足したい時は大人の人
を呼んでベビー服を脱がしてもらいここに跨るんですが……
 終わると……

 「はい、終わったの?じゃあ、モーモーちゃんしましょう」

 こう言われたら牛のように四つんばいになって大人からお尻を
拭いてもらわなければなりません。自分が赤ちゃんに近い頃なら
まだしも、10歳を越えてそれは屈辱的でした。でも仕方があり
ません。それがこのお家のお決まり(しきたり)なのですから…

 そんななか、お勉強だけは年相応にやらさせられます。こんな
ことがあると、担任の先生がベビールームまでわざわざ押しかけ
て来て、今日、学校でやったお勉強を教えてくれるんです。
 親切というか、迷惑というか……

 そうそう、クラスメートもやって来ますね。お見舞いというか、
からかいにですけど……

 でも、一日の大半は天井から吊り下げられたメリーゴーランド
を見て過ごす退屈な一日です。
 こんなにも心が幼児退行しそうなお仕置きを、ママはなぜ考え
ついたのでしょうか。

 実はこれ、ママの発案というより、お父様やお母様の願望から
生まれたもののようでした。法律上の親であるお二人は私たちが
いつまでも幼児のような純粋な心のままで自分たちに仕えてくれ
ることを願っていたのです。

 『私たちの天使ちゃんたちは元気かしら』
 お二人はよくこんな言葉で子供たちを表現していました。

 ですから、先生方も子供たちをそうした方向で仕付けますし、
私たち自身もそんな大人ちの要望に応えようとします。おかげで、
家庭内の雰囲気は、巷の一般家庭よりさらに強く、幼さが色濃く
残っていました。

 ユーミンの歌に…
 『小さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた。……
毎日愛を届けてくれた』
 こんな歌詞がありましたけど、私たちの日々の暮らしもそんな
感じでした。

 ベビーベッドで、今、僕が寝ていると聞きつけるや、お父様と
お母様は必ずお見舞いにやってきます。そして、ミルクを飲ませ
たりオムツを換えたり絵本を読んできかせたりとまったく幼児と
変わらない対応で僕をあやすのです。

 それは端から見れば大人のおままごと。きっと世間の常識では
11歳にもなった少年にそんなことをしたら…
 「やめろよ、そんなこと!」
 と、ほ乳瓶を投げつけて騒ぐんじゃないかと思います。

 でも、ここではお父様にもお母様にも絶対服従です。お二人の
前では何をされてもいつも笑顔でいなければなりません。たとえ、
オムツ替えで下半身を丸裸にされるようなことがあっても決して
騒いではいけないのです。

 目上の人みんなにそうなのですが、とりわけ『お父様とお母様
には絶対服従』がここで暮らす子供たちのお決まり(義務)だと
ママからは繰り返し口を酸っぱくして教えられていました。

 その代わり、私達はこのお二人からは色んな援助を受ける事が
できました。欲しいオモチャや文房具、服やご本など、ほとんど
二つ返事で買ってもらえますしママから言い渡されたお仕置きも
このお二人に泣きつけば、まけてもらうことができましたから、
便利な人たちでもあったわけです。

 ただ、そのための条件が……
 『心が清いこと、目上の人には従順なこと』
 だったのです。

 要は、赤ちゃんのようにして振る舞うことだったのです。

 この日も、ほ乳瓶を口元にあてがわれましたから、口の周りを
ミルクだらけにして一所懸命飲みますと、二人とも大変にご機嫌
な様子で……
 次は……

 「あなた、せっかくオムツしてるんですもの。……オシッコも
うんちもオムツに出していいのよ」
 と、こうです。

 「…………」
 お母様の笑顔に、僕の顔が引きつる瞬間です。

 いくらこのオムツをしているからって、本当の赤ちゃんを卒業
してしまった子が、そう易々と穿いてるオムツにお漏らしなんか
できません。

 当然おしっこがしたくても我慢することになるのですが……
 そうなると役立つのがお浣腸でした。

 グリセリンという薬液を大きな注射器みたいなもので吸い上げ
て、細いゴム管をセット。水鉄砲みたいにガラス製のピストンを
押すと、ゴム管の先端が僕のお尻の穴に繋がっていますからお薬
がお尻の穴から僕の身体の中へと入って行く仕掛けです。

 「……(絶句)……」
 これって、やったことのある人なら分かると思いますが、その
居心地の悪さは格別です。

 でも、問題はその先でした。

 「ウウウウウウウウウ」
 そんなことをされると、1分とたたずもの凄い便意に襲われる
のです。

 信じられないほどの強烈な下痢です。普通の状態でならありえ
ないようなもの凄いやつですから、当然、トイレへ駆け出したい
ところですが、それはたいてい大人たちから許してもらえません
でした。

 「だめえ~~漏れちゃうよ~~~」
 身の不幸を嘆きながら五分から十分。、年齢が上がると20分
も我慢しなければならないのです。

 この時はガラス製の浣腸器から外れたゴム管をまるでお猿さん
のしっぽのように垂らしてお母様の胸にしがみつきます。

 「ああ、出る。出る。だめ、ごめんなさい。もうしませんから」
 わけも分からず懺悔の言葉を口にしながら、全身鳥肌をたてて
泣きじゃくります。

 ところがお父様もお母様もどうやらそんな僕の断末魔が面白い
らしくて、なかなか許してもらえませんでした。
 結局、お父様が暴れる僕を抱きかかえて、それこそ赤ちゃんに
そうするように、おまるの上で僕の両足を持ってうんちをさせて
くれましたが、出てきたものはほとんど水のような物で……
 その瞬間、僕の顔は真っ赤に火照っていたのを覚えています。

 「もし、僕があの時お漏らししていたら?」
 僕はあとでお母様に尋ねたのですが、お母様はこともなげに…

 「もちろん、その時は私たちで片づけますよ。愛するわが子の
ものですもの、たとえうんちでも汚くなんかないのよ」
 こう言い放つのでした。実際、ママも僕に幾度となくお浣腸の
お仕置きをしかけて、その中には粗相したこともあったのですが、
それでもそれを処理する時、ママが嫌な顔をしているのを見た事
がありませんでした。
 もちろん、僕の方はすっぽんぽんにされてのお着替えですから
こちらは相当に恥ずかしかったのですが、ママは笑っていました。

 そんなこんなで、ここでは子どもたちはかなり長い間赤ちゃん
生活。そして大人たちによってわりと平気で裸にさせられます。
それは何もこの部屋の中だけとか、家の中だけといった閉鎖した
空間に限りませんでした。

 赤ちゃんになるお仕置きの時は、晴れていればお散歩の時間と
いうのがあるのですが、これなんか11歳の子でも寝っ転がれる
ような特大の乳母車に乗せられて、みんなが見ている公園の真ん
中でオムツ替えなんてことになります。

 大事なオチンチンを人前に晒して……
 恥ずかしいのを通り越して、その瞬間は頭の中が真っ白になっ
ていました。

 それにひき換え……
 乳母車を覗き込む大人たちは大喜び。まるで子供にはそもそも
羞恥心なんてあるはずがないと思っているようでした。

 実際、気候の良い時などは、公園内で悪さした子がピロリーと
呼ばれる晒し台に立たされていましたが、そんな中には小学校の
高学年になる女の子の姿も……
 さすがに全裸でいることは希でしたがパンツ一丁という姿なら
それほど珍しくありませんでした。

 ここでは子どもが『恥ずかしい』と主張すること自体悪だった
のです。

 目上の人に「裸になりなさい」「パンツを脱いで」なんて言わ
れれようものならすぐにそうしないとお仕置きが増える事になり
ます。ですから、子供たちにとっては嫌も邑生もありません。

 家庭で、学校で、公園で、仮に裸の子がそこにいたとしても…
 「ふ~ん」
 という程度。別段、珍しくも何ともありませんでした。

 お互い異性の裸は幼い頃から見慣れていたのです。
 とはいえ、思春期にさしかかると身体も少しずつ変化していき
ます。特に女の子の場合は、今まで通りというわけにはいかない
ようでした。

 ま、そんなことは大人たちも承知していたのでしょうが……
 だからといって『女の子への羞恥罰はやめよう』という話には
ならないようでした。

 以下は日記をもとに僕の一日を再現してみました。
 興味のある方だけご覧ください。
 

<第1話>①

(6月10日)
 いつものようにママのおっぱいの中で目が覚めた。退屈なのでお布団
の外へ出ようとしたが失敗。またすぐに引き戻されてしまう。代わりに
ママのおっぱいを舐めてみると…
 「だめよ、おいたしちゃ」
 と気だるく言われてしまった。……でも、やっぱりママのおっぱいが
オモチャにちょうど良いから、もう一度舐めてみる。今度は唇で乳首を
捕まえた。すると、先ほどとは違う答え。
 「しょうがないわねえ」
 という返事。おまけに唇1センチの処へ乳首がやってきたのだ。好意
に甘えて左手の指の腹と舌先でちょんちょんと刺激してみると、そこが
ちょっぴりだけど大きくなったような気が……でも、気のせいかもしれ
ない。
 『ママは起きないなあ。ママが起きないと僕が起きられないから困る
んだけど……仕方がないね。もうちょっとおつぱいで遊ぶか』
 心の声が聞こえたのかママは僕の頭をぐぐぐいっとおっぱいの谷間へ
と押しいれる。
 『わ~~何にも見えないじゃないか』
 と、ここで茜ちゃんが起きた。茜ちゃんは5歳の女の子。僕の妹だ。
 すると、とたんにママが僕の頭を両手で掴むと元あった処へ放り投げ
てしまう。
 『むむ、あっちへ寝返り打っちゃった』
 せっかくママとラブラブだったのに大切な時間を取られた気分だ。
 茜ちゃんがママとやることも僕とそう大差はない。二人はいい雰囲気
だったんだけど……そのうち、急に飛び起きた。
 「あなた、またやったの」
 ママの声が頭にキーンと響く。
 要するに茜ちゃんがまたおねしょをしたのだ。
 ま、おねしょをするような子と一緒に寝たのだから仕方がないんだろ
うけど、ママは不機嫌だ。こんな時は僕が茜のパンツを取り替えなけれ
ばならない。
 迷惑な話だが、僕がお兄ちゃんだからこれも仕方がないのだ。
 「あたしがやる」
 新しいパンツを持っていくと茜は自分で着替えようと僕の持ってきた
パンツに手を伸ばした。
 「だめ!これはお兄ちゃんがやるの」
 僕は断固拒否する。僕も小学校の二年生までおねしょをしていたけど、
パンツを取り替えるのはいつも当時中学生の小百合お姉様だったんだ。
もちろん自分でできることなんだけど、これってお仕置きでもあるから
やらせてもらえないんだ。だから、茜もじっとしてなきゃいけなかった。
 濡れたパジャマのズボンとパンツを下ろすと小さな可愛いワレメが顔
をだした。
 「ほら、じっとしてて…」
 僕は叱りつけるような強い口調でバスタオルをその可愛いお股に当て
る。そして少し荒っぽい感じでそのお股の濡れた処をふき取ってやるだ。
 これも小百合お姉様からやられた通りやってあげてる。
 あとは乾いたパンツを穿かせて、スリーマーも取り替える。その後は
ブラウスにフリル付きの短いスカートを穿かせれば完成だ。
 そうなってはじめて、茜にはやることができた。
 お着替えじゃないよ。それは僕がやったんだから。ママへの「ごめん
なさい」だ。
 ママの前で正座して両手をついて…
 「おねしょしちゃいました。ごめんなさい」
 「あなた、昨日はお夕食のあとこっそり食堂へ行かなかったかしら?」
 「……」茜ちゃんは答えませんでしたが、もじもじしてましたからね、
やっぱりジュースをごくりとやったみたいでした。
 「いいこと、今度、お約束を破ったら本当にお灸をすえますよ。あな
たも見たでしょ。香苗ちゃんのお仕置き。あなたもあんなのやってみた
いのかしら?お灸ってとっても熱いのよ」
 「……」茜ちゃんは激しく首を振ります。
 「だったら、夜、お夕食が終わったらお水を飲むのは我慢しなさい。
いいですね」
 「は~い」
 と、事はそれだけ。終わるとママは茜ちゃんを抱っこします。そして、
ママは茜ちゃんを抱っこしたまま家族三人で食堂へと向かうのでした。
 ええ、この子とも血はまったく繋がってませんけどね、僕たち三人は
家族なんです。(正確には5人かな、ここを巣立ったお姉様がすでに二人
いますから…)
 とにかく、天野のお父様のお家には僕たちみたいな母子家庭みたいな
のが7家族も同居していてそれがみんな朝ごはんを食べに食堂へ集まり
ます。
 事情はどこも同じ。高橋先生のような母親代わりの先生がお父様から
預かった二三人の子供たちを連れてやって来るわけです。
 集まってくる子供たちの年齢はさまざまで、本当の赤ちゃんもいれば
中学卒業間近の15歳の子まで色々です。さすがに14歳を過ぎたお姉
様たちはいつも背筋を伸ばして凛とした立ち居振る舞いですけど、まだ
ろくに仕付けられていない小学生グループはそりゃあ賑やかです。
 ここに集まっている子供たちはいずれも法律上は天野氏の里子たち。
つまり、ママはそれぞれ違うけど大きな屋根の下で一緒に暮らす僕たち
にとってはどの子も等しく兄弟たちでした。
 だから、ここに集まる十数名の子供たちが一家族ともいえるのですが、
ママが違えばやっぱり少しだけ距離があるのは仕方のないことでした。
いえ、同じ屋根の元で暮らす者同士ですから仲はとっても良いんですよ。
ただ、「はい、パンツを脱いで」と言われた時にびっくり箱の蓋を開けた
時のような早さでパンツが脱げるのはやはり自分たちのママだけだった
んです。
 『あ、章くん』
 僕は章(あきら)君を見つけると抱き上げます。すると、章君も僕を
抱き上げてくれます。
 これは親しい友だちなら誰でもやるご挨拶。とにかくこの町では大人
たちが誰彼となく訳もなく子供たちを抱き上げますからそれが子供たち
にも広がって握手代わりのご挨拶になっていました。
 二人は同級生。学校のクラスは違っていましたが、同じ歳の男の子は
この街には私と彼の二人だけでしたから普段からとても仲良しでした。
つまり他はみんな女の子なんです。幼い頃はあまり感じませんでしたが、
この頃は価値観が違ってきて少し肩身が狭いんです。だから立場の弱い
二人はいつも連(つる)んでいました。
 二人は揃ってお父様の処へ行きます。
 この時間帯はご挨拶のラッシュですから二三人待って順番が回ってき
ました。
 その日もいつもの通りお父様の足下で跪くと両手を胸の前に組んで…
 「おはようございます。お父様。健児です。今日もよい子でいます」
 「おはようございます。お父様。章です。今日もよい子でいます」
 二人は異口同音に朝のご挨拶をします。もちろん、僕たちの前にいた
子供たちもこんな調子でご挨拶をしていました。
 「おう、我が家の王子たちは元気だったか」
 お父様は満面の笑みで両手を広げます。すると僕たちは遠慮なくその
膝の上に上がって頭を撫でてもらいます。当時、僕たちの体重が何キロ
あったか覚えていませんが子供二人分ですからね、普通に座っているだ
けでも相当に重かったんじゃないかと思うのですが、僕たちは遠慮なく
お父様のお膝の上でお尻を浮かして跳ねまわります。
 でも、お父様のお顔はそんななかでも終始笑顔でした。
 「おうおう、二人ともお尻をとんとんできるところを見ると、昨日は
誰からもお仕置きされなかったな」
 こう言われると二人とも苦笑いを浮かべるしかありませんでした。
 「………ほら、おめざましだ」
 お父様はテーブルに置かれた硝子ボールの中に大きな手を突っ込むと
チョコとクッキー鷲づかみにして数個ずつ僕たちに手渡してくれます。
 『おめざまし』というのは朝寝坊の子供たちの目が覚めるようにと、
お父様やお母様から与えられるお菓子ことで、朝のご挨拶がすむと誰の
手にも握らせてもらえるものでした。
 朝からお菓子なんていい身分だ?
 いえいえほんの一口二口程度ですからね、成長した子供たちにとって
はあまり有難みはありません。ただ、だからといって「そんなのいらな
い」なんて拒否するのはもちろんタブーでした。
 で、次は隣の席のお母様。やり方は同じです。
 「おはようございます。お母様。健児です。今日もよい子でいます」
「おはようございます。お母様。章です。今日もよい子でいます」
 また二人並んでご挨拶すると今度はお母様が座っている大きな椅子の
脇に招待してくれます。さすがに膝の上というわけにはいきませんので。
 大きな椅子も3人一緒に座ると窮屈なんですが、「結構です。狭い処は
嫌いですから」なんて言う勇気はありませんでした。もちろん、おめざ
ましもその時もらえます。
 この時の僕たちのお仕事はひたすらおめざましを食べることでした。
 「章ちゃん、今度の金曜日には何を聞かせてくれるの?」
 お母様はしばらくのあいだ僕たち二人に頬ずりしたり、頭を撫でたり、
お手々を揉み揉みしていましたが、そのうち、章くんの耳元に息を吹き
かけるようにして尋ねます。
 「フルートです」
 「上手になった?」
 「わかりません。でも、合田先生はとっても上手になったって」
 「まあ、それは楽しみね。今度は何を吹いてくれるの?」
 「愛の挨拶」
 「まあ、そんな難しい曲ができるようになったの?」
 「わかりません。でも頑張ります」
 「健ちゃんは?」
 「えっ!ぼく……オルガンで、主よ、人の望みの喜びよ」
 「あなたの得意な曲ね。楽しみだわ」
 お母様はこう言いましたが僕の気持ちはちょっと複雑でした。という
のも、この週は色々忙しいことが続いてピアノの練習ができなかったの
です。おかげで課題曲はクリアできず、仕方なくいつでも弾ける曲を選
んで弾くことになったのでした。
 僕たち天野家の子供たちは二週間に一度それまでに習った曲をお父様
やお母様の前で披露することになっていました。つまり、沢山いる子供
たちの中で自分をアピールするチャンスなわけです。
 僕はそんなことに感心がありませんでしたが、ママにとっては大切に
育て我が子(?)をお父様たちに売り込もうと一生懸命だったのです。
 ですからこの時、僕は章君に差を付けられたみたいでショックでした。
 「さあ、あなたたち、今日はお当番なんでしょう。ここへお座りなさい」
 お母様に言われて僕たちは勧められるままに隣の椅子に腰を下ろしま
す。実は、天野家では十日に一回程度の当番が定められていて、その日
は食事する場所も普段食事をしている下座の円形テーブルではなくお父
様たちが座る上座の席で一緒にいただくことになっていました。
 これって子供たちにはちょっとした楽しみなんです。(*^^)v
 ここからだと兄弟たちが食事をしている円形テーブルを見下ろすよう
な形になってちょっとだけ偉くなった気分ですし、目の前に並んでいる
料理だっていつもの物とは違います。
 上座の人たちのテーブルには下座の子供たちのテーブルより少し贅沢
な料理が並んでいました。それをこの日ばかりはお父様やお母様におね
だりして手に入れることができるんです。
 もちろんお酒やコーヒー、それにコーラがダメでしたか。でも子供に
害がなければお二人が何でも取り分けてくれたんです。
 あ、そうそう、ある日のこと、お母様がウイスキーボンボンを幼い子
に与えてしまいひっくり返ったなんてことがありましたけど、その後も
この風習は残りました。
 その日の日記によれば僕はお母様からフルーツポンチやタンシチュウ
なんかをもらいご機嫌でした。
 僕が甘えた声で「シチューが欲しい」と言うと…
 「そう、じゃあ、あ~~んして」
 料理を乗せた大きなスプーンが目の前にやって来ます。これを笑顔で
パクリとやってみせるのが子供の義務(?)。後は、取り皿に乗せられた
料理を自分で食べることができますが、とりあえず一口だけはこうして
お母様の要望に応えなければなりませんでした。
 お父様もお母様も実の親ではありません。お金に余裕があるから僕た
ちを引き取ったのです。そのせいか、僕たちに接する時は早く自立して
欲しいというより、いつまでも幼い子のままでいて欲しいという願いの
方が強くこもっていました。
 ですから、高慢な物言いや横柄な態度、聞きかじった知識をひけらか
すといった態度には眉をひそめます。そんなことをするくらいなら、た
とえ年齢にそぐわなくても赤ちゃんの様に振る舞った方がまだましだっ
たのです。
 お母様はお口でスプーン奪い取った僕を喜びます。
 「だめよ、そんなことしちゃ」
 言葉ではそんなこと言っていますが、僕はそれがお母様の本心でない
ことを知っています。その証拠にお母様の顔は満面の笑みです。そして、
僕の口からスプーンを取り上げるとその代わり僕はお母様のお膝へ招か
れました。
 「良い子、良い子。今度は何が欲しいのかしら?」
 こうして頭を撫でられていると、とてもいい気分です。今までだって
普段より高い所から眺めていたのにそれがさらに一段高い処から兄弟た
ちや先生を眺められるんですから…もう、神様か天使様にでもなっちゃ
った気分でした。
 ただ、こうした場合、僕だけというわけにはいきません。
 「ほら、今度は章ちゃんよ。ここへいらっしゃい」
 お母様は僕を下ろして章君にお膝の席を勧めます。
 シャイな章君は当初迷っていましたが、そのうち章君のママが行きな
さいと勧めたので結局彼も僕と同じ幸せを味わうことになったのでした。
 11歳という歳は大人の入口にさしかかっていますから何かにつけて
大人たちに自分を一人前と認めさせたがりますが心の中はまだまだ大人
への依存心が強くて、抱いてもらうととたんに赤ちゃんの心が戻ってし
まい本心は嬉しくてたまりませんでした。
 朝の食事が終わると、子供たちは再び先生に連れられて自分たちのハ
ウス(離れ)へと戻ります。そして学校へ行く準備をします。
 僕と茜ちゃんも高橋先生に幼稚園と小学校の制服を着せてもらって、
これからお出かけです。
 察しのいい方はお気づきかとは思いますが、高橋先生は僕の小学校の
先生でもあります。いえ、うちだけじゃありません。他の家のママたち
だってその大半が幼稚園、小学校、中学校のどこかの先生でした。
 つまり、ここのママたちは家ではママ、学校では先生なのです。
 しかもこの三つの学校は全部同じ敷地にあるんですよ。一応、学校の
敷地はくぎられてますけど、小中学校は教員室も同じだし、幼稚園とは
往来自由。寂しがり屋の子がよくママを探しに小中学校へ出張して来ま
すが、大人たちに幼稚園を隔離しようなんて考えはないみたいでした。
 FAXもメールもない時代でしたが情報交換も頻繁で、どこの学校で
起こったこともすぐにその子のママに筒抜け。ママに隠し事は何一つで
きませんでした。
 天野家だけが特別なんじゃありません。うちのような家がこの町には
他にも十数軒もあって、その子供たちはみんなこの学校へ通うんです。
 早い話、ここは街は全体が巨大な孤児院というわけ。右を向いても、
左を向いても、周囲は同じ境遇の子供たちばかりです。ですから、実の
両親がいる恵まれた子供たちから心ない言葉をかけられる、なんていう
心配だけはありませんでした。
 しかもママのお話しでは『あなた方は特別なの。とっても運がいいの。
恵まれているのよ』という事をよく聞かされます。
 要するに今の境遇に感謝しなさいというのですが、こちらは他の世界
をまったく知らない純粋培養ですからね、いくら『恵まれている』『感謝
しなさい』と言われても『この街にいて特別幸せだなあ』と感じたこと
なんてありませんでした。といって『特別不幸だなあ』と感じたことも
なかったのですが…(^^ゞ
 そうそうこれはお断りしておかなければなりませんね。僕たちだって
365日篭の鳥というわけじゃありません。色んな行事で街を離れる(山
を下りる)事はたびたびありました。ただ、いずれもに大人が付き添っ
ていますし、他の世界の子とふれ合う機会もありませんでした。テレビ
だって11歳になった僕でさえ「ひょこりひょうたん島」と民法の30
分のテレビアニメ以外観ることができませんでした。
 つまり外の情報を得る手段がないわけです。ですから、テレビを観て
いても劇の中で起こる出来事が理解できないなんてことが沢山あったの
です。特にお金はこの町にいる限りほとんど触れることがありませんで
した。もちろん学校では教わりますが、そもそも使う機会がないのです。
 ここでは欲しい物はお金を出して買うものではなく大人からプレゼン
トしてもらうものでした。
 お父様、お母様、もちろんママが多いですが、別にそれだけではあり
ません。担任の先生や園長先生、司祭様にだって、おねだりすればそれ
は叶えられたんです。
 嘘みたいでしょう。親でもない人がおねだりされたからってそう易々
他人の子にプレゼントしてくれるなんて…でも、ここではそもそもその
『他人の子』という概念がありません。ここで働いている誰もが街中で
見かけた子供を自由に抱けますしプレゼントをあげることだってできる
んです。
 そんなことして嫌がらないか?
 人見知りする幼い子は当然いますが、そのうち慣れて平気になります。
そもそも周囲から大人に抱かれたらイヤイヤをしてはいけないと仕付け
られていますから……
 こんなこともあって、この街の誰もがよい子へはプレゼントを惜しみ
ませんでした。だからヘブン(楽園)なんて言われるんでしょうけど、
そのあたりの事情は巷とはだいぶ事情が異なっていたみたいです。
 とにかく私たち子供にすれば、大人たちに気に入られることが何より
大事なお仕事だったわけです。
 従順で、純真で、勤勉で……
 大人たちの要求は自由奔放な子供の気性からするとちょっぴり厳しい
ものがありましたが、可愛がられる喜びからみんな一生懸命着いていっ
たんです。
 それもこれも街に暮らす大人たちがいずれも無類の子供好きで邪な心
を持つ人が誰一人としていなかったから可能だった仕組みみたいです。
 そうそう、さっき言った僕たちの学校は町の外れ南斜面を切り開いた
日当たりの良い場所にありました。そもそも一学年10数名しかいませ
んから設備自体も小規模なんですが先生だけは沢山いらっしゃいまして、
どの先生も子供たちには献身的で、何より子供たちが大好きでした。
 朝、登校して木造だった校舎の玄関を入ると、その玄関先に園長先生
が椅子に座って待っています。
 「はい、健ちゃん。おはよう」
 白髪にメガネをかけたこの先生は、子供の目にはおばあちゃん。その
おばあちゃんが、生徒一人一人の頭を撫でてお手々をさすって抱きしめ
ます。これは朝の儀式みたいなものでした。もちろん、うざったいから
としかとして脇をすり抜けるなんてことはできません。園長先生は子供
たちの名前を全員覚えていましたから誰が逃げたかすぐに分かるんです。
 それだけじゃありません。教室に入ると今度は担任の谷村先生が待ち
構えていて、また、同じように僕たちの頭を撫でてお手々をさすって、
ハグします。ただ一つ違うのは、そのあとほんのちょっとだけですけど
子供たちをだっこしてくれることでした。
 女の子もこのくらいの歳になると先生の抱っこにはあまり乗り気では
なかったみたいですが、僕みたいな甘え坊は時間延長をお願いすること
だってありました。
 すると、たいていOK。こんな時は得てして男の子の方が甘えん坊さ
んなんです。(*^_^*)
 もう五年生ですから、赤ちゃんみたいなだっこは世間的にはおかしい
のかもしれませんが、ここでは…
 「子どもが望むなら抱けるだけ抱いてあげなさい」という園長先生の
方針のもと子供たちはどんな先生に対しても甘え放題でした。
 私たちが孤児なのに性格が暗くないのは、この園長先生の教育方針が
あったからなのかもしれません。
 ただ、でれでれと甘やかしていただけではその子の将来が心配ですし、
教室の秩序だって保てませんから、そこは厳しい処だってたくさんあり
ます。甘やかされている分、そしてお互い親しい分、お仕置き(体罰)
だって厳しかったんです。…>_<…
 この日も美津子ちゃんが朝のホームルームで先生の前に呼ばれました。
 「美津子ちゃん、あなた、昨日、お母様のメイクルームに無断で入っ
て鏡に口紅イタズラ書きしたでしょう…ママからお聞きしたけど、あれ
本当かしら?」
 「……」美津子ちゃんは何も言いませんでしたが、渋々頷きます。
 「そう、それっていけないことだって分かるでしょう?……お母様の
お部屋を汚すことはとってもいけないことなのよ。何故ちゃんと消して
こなかったの?」
 先生に諭された美津子ちゃんきはとっさにこう言います。
 「あれ、消し忘れたんです。本当はあとで消すつもりだったんです」
 でも、そんな言い訳ではおさまりませんでした。
 「いいこと、お母様に対するイタズラはあなた一人の罪ではないの。
三輪先生がお世話するあなたの兄弟にも迷惑がかかることなのよ」
 「真由子ちゃんのこと?」
 「そうよ、あなたがそんな子ならもうあなた方の面倒は看てあげられ
ないって他の子も言われてしまうの。そうなったらそれはあなたの責任
なのよ。そうなったらどうするのかしら?」
 先生は厳しい視線で美津子ちゃんを睨みます。
 私たちのお父様やお母様は広い心で私たちを愛してくださっています
から、こんなことぐらいで手を引くなんてことあり得ませんが、本当の
お母様と比べれば色んな意味で気働きは必要でした。こんなこと言うと、
『それをこんな幼い子に求めるのか?』なんて声があるかしれません。
でも、他人にご飯を食べさせてもらっている以上それは仕方のないこと
でした。
 そりゃあ、公立の施設に行けば子供らしく暮らせてそんな気遣いはい
らないかもしれませんが、その代わり、おっぱいを自由に触れたり舐め
させてくれるママが添い寝してくれるふかふかのベッドまではそこには
ないはずです。この山を下りたら、いつだって無条件で抱いてくれて、
オモチャやお菓子を与えてくれる大人たちには会えないのです。
 そんなことはもうこの位の歳になるとみんな薄々理解していました。
 「あなたがここ(楽園)で暮らしたいのなら、お父様お母様はもっと
大事にしないとね。そのことを心に留めて置きなさい」
 谷村先生はそれだけ言って美津子ちゃんの手を引っ張ります。そして、
少しだけハグしたあと……
 「ごめんなさい、……いや、やめてえ~~もうしません。お義父様、
お義母様を大事にしますから……お尻ぶたないで……」
 気が付くと美津子ちゃんは谷村先生のお膝に乗せられていました。
 短いスカートが捲り上げられ白いショーツの上から平手でポンポンと
お尻を叩かれています。美津子ちゃんは慌てて痛いお尻をかばおうと、
右手を後ろにまわしかけましたが、行く手を助教師の青山先生に押さえ
られてしまいます。
 「いやあ、だめえ~」
 そんな美津子ちゃんと先生たちのやりとりを僕は悲しそうな顔で観て
いました。
 というのは公式見解。(∩.∩)
 こうしないと先生に叱られるからわざとそんな顔をしているだけの話で、
美津子ちゃんが腰掛けた先生のお膝に俯せになった瞬間。(^◇^)
楽しくて仕方がなかったのです。
 大人になると『明日は我が身、気をつけなきゃ』なんてネガティブに
考えがちですが子供の頃はそんなことはまったく考えません。今行われ
てることが自分に関係なければそれでいいんです。むしろ、他の子のお
仕置きなんて、またとない余興なんですから、そんな時はいつも楽しく
て仕方がありませんでした。
 僕はさらに先の展開まで夢想します。
 『お馬、お馬、お馬、∈^0^∋』

<第1話>②

そして、それは現実となりました。
 「……さあ、もういいでしょう」
 谷村先生は一旦美津子ちゃんを床の上に解放しますが、床に転げて痛
いお尻をさすってた美津子ちゃんの顔がやがて青くなります。
 「いや、だめえ、ごめんなさい、もうよい子になるから」
 まだおさまっていないお尻の火照りをほおっておいても美津子ちゃん
は慌てて先生の懐へと飛び込みます。
 「お馬はいや、鞭のお仕置きはしないで…お願い、どんな罰でもいい
から……ね、…お願い先生。今度から絶対しないから……」
 美津子ちゃんは抱っこされた先生に向かってその胸の中で必死に哀願
します。それを観ていた僕の心の中は……
 『無駄、無駄、無駄、∈^0^∋』
 僕の心の中では悪魔の叫びが続いていました。
 えっ?何ですか?お仕置きの最中、抱っこだなんて変だろう?
 逃げるっていうならわかるけど……

 そんなことありませんよ。(^○^)
 僕たちにとってはお仕置きを言われて大人の懐へ飛び込むことって、
そんなに不思議なことではありませんよ。先生は鬼じゃないんですから。
僕たちが両手を広げてしがみつけば、必ず抱いてもらえます。そして、
そのまま許してもらえたことだってたくさんあるんですから。
 他じゃ真似のできないほど厳しいお仕置きができるのは、子供たちが
他じゃ真似のできないほどたくさんたくさん大人たちからあやしてもら
えてるからなんです。
 ただ、この時の先生の答えは…
 「ダメよ。だってあなた、朝方ママのお仕置きを逃げてここへ来たで
しょう。三輪先生カンカンだったわよ。あなたのような子にはお耳より
お尻の方が飲み込みが早いから、十分にお仕置きをお願いしますだって」
 ま、願いは叶いませんでしたけどね。(^◇^)
 美津子ちゃんが今先生に甘えたい一番の理由。それは青山先生が準備
しているお馬さんがちらっと見えたからでした。そいつは意地悪そうな
笑い顔が印象的な黒い木馬で、頭だけじゃなくしっぽもちゃんと付いて
います。特に背中はソファになっていて弾力がありまから、普段は隣の
教材準備室に置いてあって、僕たちの玩具にもなっていました。ただ、
月に数回、子供たちのお尻へご用のある時だけ青山先生がそれを教室に
引っ張っきますから、その時だけは、さすがに子供たちも陽気にはしゃ
いではいられませんでした。
 「さあ、行きましょうか」
 谷村先生は美津子ちゃんを抱いたままお馬の方へ向かいます。
 美津子ちゃんの顔は不安が一杯。目が点になった表情がすでに恐怖で
固まっていました。
 『夢ならさめて』
 きっとそんなことを思っていたかもしれません。僕があそこに登った
時はそうでしたから…誰だってそうだと思います。
 「さあ、離れて。あなたが我が儘してると他のお友だちがいつまでも
お勉強できないから迷惑よ」
 先生は抱きついたままなかなか離れようとしない美津子ちゃんに忠告
します。勿論、美津子ちゃんとすればいつまでもこうしてしがみついて
いたいのですが、あんまりだだをこねていると、お仕置きが増えるのは
目に見えていますから勇気を振り絞って観念するしかありませんでした。
 「…………」
 美津子ちゃんは渋々お馬さんの背に跨り、そして、そこへ俯せに……
 僕も経験者ですからわかりますが、あれってとっても不安で怖いんで
す。何しろお馬ちゃんの背中は僕たちの肩か頭くらいの高さがあります
からね。落ちたら大変です。
 ですからここへ乗ると、あとはみんな必死に抱きつくんです。
 美津子ちゃんもそれは同じでした。顔を真っ赤にして、その為に付い
ている取っ手をしっかりと握りしめて…だけどその体は端から見ていて
もはっきり分かるほど震えていました。
 先生は美津子ちゃんが「お母様の処で羽目を外した遊びをしたとか」
「みなさんもこんなことをしてはいけませんよ」なんて言ってたみたい
ですが、僕は何も聞いていませんでした。σ(^^)
 僕の関心はもっと別の処にあったんです。
 お馬ちゃんのお尻というのは背中の真ん中部分よりほんの少し膨らん
でいますから女の子がその角に自分のお尻を乗せると、もうそれだけで
白いパンツがこちらから丸見えになります。
 『パンツ、パンツ、パンツ、∈^0^∋』
 でも、それだけでは足りないとばかり谷村先生は短いスカートを捲り
上げてしまいます。白いパンツが誰の目にもはっきり分かるようになり
ました。
 『やったー\(^O^)/』
 女の子というのは恥ずかしがり屋さんですから、もうそれだけで十分
お仕置きなんですが、お父様やお母様に対する罪は特別ですからねえ、
それだけではおさまりませんでした。
 何度も言いますが、家(うち)は普段甘やかしている分、お仕置きの
時は厳しいんです。授業中ちょっとでもおしゃべりやよそ見をしている
と助教師の青山先生が飛んできて、授業へ集中していない子のために…
 「(熱い!(*_*))」
 手の甲へ燭台の蝋涙を垂らしてくれます。…>_<…
 もちろん熱いのはわかっていますから思わず手を引っ込めたくなりま
すが、それをやってしまうとまた罰が増えるという仕組みでした。
 その他、罪の重さと改悛の情に応じて、お尻叩き、お浣腸、お灸など
など。さらには中庭や階段の踊り場には生徒をさらし者にするための枷
まで設置されていて、毎日のように誰かがそこに捕まっていました。
 ここって日本の学校なのに治外法権なのか体罰なら何でもありなんで
す。(*^_^*)
 この時は谷村先生がトォーズを取り出します。これは先が二つ割れた
なめし革の鞭で小学生の場合は男女を問わずお仕置きの鞭と言えばたい
ていこれでした。
 それを数回、美津子ちゃんの白いショーツの上に乗せて『いいですか、
これでこれからぶちますよ』という脅かしを与えておいて……
 「歯を食いしばって」
 という最後通牒と共に最初の一撃を繰り出します。
 「パチン」
 乾いた音と同時に美津子ちゃんの両足がぴょんと跳ね上がりました。
まるで解剖した蛙の足に電流を流した時のような、あんな感じでぴくり
っと動いたんです。
 こんな時は、お仕置きに関係ない子たちもお仕置きを受けている子が
よい子に戻れるように目をつぶって神様にお祈りすることになっていま
した。でも、やっぱり美津子ちゃんのことが気になりますからね、大抵
の子はちらっ、ちらっと薄目を開けてわき見をします。
 すると、鞭が当たる瞬間、悲鳴こそ上げませんでしたが、必死に目を
閉じてお馬ちゃんの胴中にしがみついている美津子ちゃんの姿が見えま
した。
 『やったあ~~\(^O^)/』
 それはとっても滑稽で楽しい見せ物でしたから僕の心はルンルン気分。
 この時はまだショーツを脱がされていませんから男の子たちもその様
子を見学することができましたが、もし美津子ちゃんが先生をカンカン
に怒らせてしまったら、そのパンツを脱がされることだってあります。
そんな時はお仕置きの間じゅう僕たち男の子は反対の方を向いてお祈り
しなければなりませんでした。
 もっとも、好奇心旺盛な僕はよく先生の目を盗んではヌードになった
女の子のお尻をちら見していました。(*^_^*)
 ただ、それはあくまで好奇心から
で、それを見て興奮するってことは
ありませんでした。小学生の僕にと
っては、女の子の生のお尻より白い
パンツの方がよほど興奮する材料だ
ったんです。
 ついでに言いますと、この街で育
った男の子たちは嬉しいことに(?)
女の子のお尻のさらに奥までも垣間
見るチャンスが年に数回巡ってくる
んです。
 凄いでしょう。羨ましいでしょう。
少女の特出しストリップ。(^_^;)
 もっとも、それを見ての僕の感想
は、『ふうん、なんか変なものだね』
という程度でしたが……(^^ゞ。
 前にも言ったように、思春期に入ったばかりの少年にとっては憧れの
美津子ちゃんのパンツがこんなに間近で丸見えなんですからこちらの方
がよほど大興奮でした。
 美津子ちゃんは結局この時六回ぶたれます。
 間をおいて「パン」「パン」という乾いた音が教室中に響きました。美
津子ちゃんはトォーズがお尻に当たるたびに痛そうな顔はしましたけど
気丈に振る舞って悲鳴は上げませんでした。
 僕の経験だと谷村先生の場合、最初が飛び切り痛くて最後がやっぱり
痛いですけど、途中はそんなに痛くありませんでした。いずれにしても、
金切り声は上がらなかったから先生がそんなに強くぶっていないという
ことなんでしょう。きっとお仕置きとしては、恥ずかしい姿勢でパンツ
をクラスメートに見せただけで十分と考えたのかもしれません。
 とにかくここでは一クラスに生徒はたった6名しかいないのに先生は
二人もいらっしゃるんですからね、先生方は僕たちのことを隅から隅ま
でご存じなのです。 学校の成績やその子の性格、癖なんかはもちろんの
こと、今の体調、心理状態、昨日、今朝、ママからどんな罰を受けたか
なんてことまで逐一情報が入ってきます。朝、教室へ入って来た時に僕
たちを抱き上げるんだって、ただ可愛い可愛いしてるだけじゃなくて、
身体検査の役割もはたしていたようです。
 ママから朝お仕置きされた子はその瞬間大人を怖がりますからすぐに
分かるんだそうです。美津子ちゃんにはあいにくその兆候がなかったの
でまだお仕置き前とわかったみたいでした。
 ママは僕たちにとって無二の存在でしたが、ここでのママは巷によく
ある『悪いことをしてもかばってくれる』という意味でのママではあり
ません。僕のママは僕にとっては世界一やさしい人ですけれど、悪い事
をすれば世界一怖い人。お仕置きなんかも当然と考えていました。
 そこいらはとってもドライです。
 そして、それが他の兄弟のいまえ家の中ではやりにくい時はお仕置き
を学校の先生に頼むことも……
 美津子ちゃんの場合も、そんな連絡がすでに谷村先生のもとへ届いて
いたじゃないでしょうか。つまり『お仕置き依頼』。
 え、驚きですか?巷じゃこんなことありませんか?(∩.∩)
 でも、こんな事ここでは日常茶飯事。なにしろどの子のママもママで
あると同時に自分の通う学校の先生でもあるわけで、子供たちの情報は
他の先生たちとも共有、つのり全て筒抜け。
 『体裁が悪いから家の恥は隠しておこう』なんて気遣いは、ここでは
まったくありませんでした。
 おかげでどの先生も『この子が嘘をつく時はどんな癖が出るか』『何
時間、何日前にうんこをしたか』なんて事までよくご存じでした。
 子供たちをこんなにも丸裸にしているわけですから、授業だって濃密
です。あくび一つでも助教師が心配して燭台に灯った蝋燭の蝋涙を手の
甲に垂らしてくれますからね、眠気覚ましにコーヒーなんていりません。
∈^0^∋
 結果、授業は小学生の授業とは思えないくらいぴりぴりしていました。
 授業中は先生の声と教科書やノートを捲る音、鉛筆を走らす音ぐらい
しかしませんからね、困ったものです。
 特に国語と算数は大事な教科という事で毎日授業の最初に小テストが
あります。宿題として出された漢字20個の書き取りと計算練習が中心。
合格点は18問以上つまり9割以上とハードルはかなり高いのですが、
漢字は出題される20個が事前にわかっていましたし計算問題も習った
処からしかでませんから30分くらいちょこっと予習しておけば一応は
OKです。
 でも、ついつい油断してちゃんとやっておかないと……
 「あなた、昨日は何してたの?ちゃんと予習してきた?ご返事かない
ところみるとさぼったわね」
 なんて先生に追求されて、放課後、間違った処を10回も清書させら
れます。
 いえ、それだけならいいのですが、これが続くようだと、朝、美津子
ちゃんが受けたのと同じ様なお仕置きを受けなければなりません。5年
生くらいになると度胸がついて泣き叫ぶ子は希ですが4年生頃は恐怖心
から辺りはばからず泣き叫ぶ子だっていました。
 3年生までは先生のお膝の上に俯せとはいえ抱っこされてましたから
まだよかったんですが、お馬の上は独りだし高い処ですからね、子供の
身にはとっても怖いんですよ。
 しかも僕のママは勉強には厳しくてこんなことでお仕置きされて学校
から帰ってこようものなら家でも別のお仕置きが待っています。
 「どうしてちゃんとお勉強できないの。ママが見てないからってさぼ
ってるとどんな事になるか一度じっくり教えてあげなきゃいけないわね」
 なんて言われて膝の上にうつぶせにさせられます。たいていズボンだ
けを下ろされてのお尻叩きなんですが、ママって人は手加減って言葉を
知りませんからね、お馬の上の鞭よりそりゃあ痛かったです。(T_T)
 この小テストのための勉強は僕たちの間では『宿題』っていう扱いな
のでママは原則として手伝ってくれませんでした。ただこれ以外の勉強
はたっぷり二時間、ママが家庭教師で目の前にいて目を光らせています。
 毎日こんなのが続きますから、男はつらいよなんです。
 女の子もそうですが、特に男の子の場合は勉強にうるさくて、少しで
も成績が下がろうもんなら、学校でもお仕置き、家庭でもお仕置き、ひ
いてはお父様やお母様の前でもお仕置きでした。
 えっ、じゃあ女の子は楽だったのかって…
 とんでもない。男の子のように『勉強、勉強』ってその事だけうるさ
く言われませんけどね、習い事は多いし何より細かい事にまで気を配ら
ないといけないんで端から見ていても「大変だなあ」って同情しちゃう
んです。
 じゃあ、男の子は習い事なんてないのかって?
 ありますよ。絵画にお習字、綴り方教室、英会話、ピアノ、フルート、
バイオリン、夏は水泳教室にも通わなきゃならないし……でも、女の子
はこの他にも日舞にバレイにお茶、お花、お琴、などなど。おかげで、
自由時間がほとんどない生活をやっていました。だから夕方一時間でも
自由な時間がある男の子は羨ましいって……
 それに女の子はちょっとでも大人たちの言いつけに背こうものなら、
すぐお仕置き。口答えやふくれっ面なんかもタブーでした。
 男の子より厳しいのか?
 …ですね。だからそれは前にも言ったでしょう。ここは世間と違って
女の子中心の社会だから女の子の方がかえってキツいことされるって…
 それとお仕置きのレパートリーも女の子の方が広くて、軽いものなら
百行清書くらいですみますが、さっき言った口答えやふくれっ面をして
しまうと元がどんな軽い罪でもお尻叩きやお浣腸、お灸、さらにはお庭
にある晒し台にパンツ一つで括り付けられたりします。(さすがに真冬は
やりません。季候のよい時だけですけどね…)
 そんなSMみたいなことして過激すぎませんか?
 かもしれませんね。よその人からみれば…いくら男の子が少ない社会
といってもそりゃあ恥ずかしいに決まってますから女の子たちにとって
はぶったり叩かれたりするよりもこちらの方がよほどキツいお仕置きだ
ったみたいでした。
 ただ、女の子の社会では罪と罰が必ずしも比例していなくて罰を与え
る人に広い裁量権があるんです。だから罪を告白する時にその人にどれ
だけ好感を持ってもらえるかが大事なんですよ。
 外で晒し者になるなんてのはよほど反抗的な態度を取った時だけです。
逆もあるんですよ。大変なことをしでかしても改悛の情が顕著だと認め
られれば、軽い罰であっさり許されたりもしますから。
 罰を受ける時の演技力がものをいうんですよ。その点男の子は自分の
本心がすぐに顔に表れますから圧倒的に不利なんですよ。(^_^;)
 そう言えばこの間同窓会でそう言ったら、女の子たちから「そんな事
もないわよ。そこは女同士。演技は演技で見抜かれちゃってもっと酷い
ことになったりする」って言われちゃいました。
 いずれにしても、僕たちはこの社会以外他を知りませんからそんなに
大層なことをされたとは思わないんですよ。
 僕たち自身は少年時代(少女時代)を通して自分が不幸だったなんて
感じる人はほとんどいませんもの。
 僕たちは友達同士でもよく抱き合いました。立ったままハグしたり、
膝の上で抱っこしたり、一緒にお風呂に入ったり、大人たちが自分たち
にやってくれるのと同じことを子供たち同士でもやるのです。
 これは物心ついた頃からの習慣で「この子、嫌い!」と拒否すること
はできませんでしたから習慣で慣れさせていくんです。
 これは大人たちが子供たち同士の仲違いを極端に嫌ったからなのです
が、そのため、この学校で一番厳しい罰はお友だちと喧嘩したり意地悪
をしたりすることでした。
 最初は大人たちがくっつけた強制的な仲良しだったんですが、でも、
不思議なもので、最初は抵抗のあった子とも抱きあっているうちにうち
解けて優しい気持ちになります。
 おかげでこのくらいの歳になると、ママが違ってもお父様やお母様が
違っても、男の子も女の子も、クラスメートはみんな本当の兄弟みたい
にして暮らしていました。
 小学校の高学年になっても体操着に着替える部屋も一緒なら終わった
あとのシャワー室まで一緒。そもそもお風呂にだって男の子も女の子も
一緒に入るくらいですからちょっとやそっとの事では驚かないんですよ。
 よそじゃ考えられませんかね。(∩.∩)
 ですから嬉しいことに女の子の裸は見放題という結構な環境なんです
が、女の子の方だってそれは同じなわけで、おちんちんを見たら食事が
喉を通らないなんて可愛い子はここにはいませんでした。
 それどころか女の子っていうのは集団になると凶暴化するんですよ。
何か気に入らない事があるとすぐに徒党を組んで男の子たちを取り囲ん
ではリンチにかけます。体を押さえつけて半ズボンとかパンツなんかを
平気で脱がすとオチンチンをつねったり引っ張ったり、ミミズを乗せら
れた事だってありました。
 えっ、信じられないですか?
 巷の常識ではそうかもしれませんね。女の子が男の子の裸を観る機会
なんてそんなにないでしょうからね……元来、臆病な女の子がそこまで
踏み込んだりはしないのかもしれません。でも、ここで暮らすと女の子
だって男の子のオチンチンは見慣れたものなんですよ。(*^_^*)
 こんなこともありました。ここでは女の子に対するお仕置きが厳しく
てかなり年長の子でもよくパンツ一丁とか全裸で中庭の晒し台に連れて
行かれます。ですから、嫌でも裸の女の子が目に入りますけど、きっと
それが気に入らなかったんでしょうね。今度は僕がパンツ一丁で晒し者
になっていた時、その子が僕のパンツを下ろしたんです。痴女ですよ。
痴女……(^ニ^)
 女の子がそんなことするか?
 だからしますよ。しかも罪深いことをしているなんて意識はまったく
なくて、ほんの軽いイタズラ程度の感覚なんです。こっちもこっちで、
中学生のお姉さんの悩ましい裸体なんか見つけても何ともないんです。
ここに住んでいれば物心ついた頃からずっと見続けているわけですから
ね、今さら膨らみかけたおっぱいやぽやぽやと下草の見える割れ目なん
か目にしても、やっぱり『ふうん、そうかい』程度の感想しかありませ
んでした。
 そんなことも含めてここはヘブン(楽園)と呼ばれるのかもしれませ
んね。
 ただそんな僕でも目のやり場に困ることだって起きます。それは先生
から『とっても悪い子』という烙印をおされて、保健室前の廊下にある
晒し台に括り付けられている場合。この時ばかりはいくら僕でも平静を
装うことはできませんでした。




<第1話>③

 というのもこの晒し台は窮屈なベッドサイズのラックで女の子たちを
ここへ仰向けに寝かせて両足を高く上げたまま括り付けてしまう晒し台
だったんです。つまり女の子たちは赤ちゃんがオムツを換える時のよう
な姿勢を強制的に取らされているわけで、当然、女の子の一番恥ずかし
い処はすべて丸見えなんです。
 そう、お父さんたちが大好きなご開帳というやつです。
 ただ、僕の感想はお父さんたちとは少し違っていました。
 『ばっちいなあ、もし、うんこしたらどうするんだろう』
 僕の正直な感想です。そんなわけで通常は通りしなに哀れみを込めて
女の子を横目でちらっと見る程度でした。ですが、時にそうもいかない
事もあります。
 ある時、保健の桜木先生が男の子や女の子たちを集めて、この可哀想
な女の子の身体を使って女の子の体の構造レクチャーし始めたんですよ。
(∩.∩)
 「ここがおしっこをする穴、ここがうんち、そしてここから赤ちゃん
が出てくるの」
 つまり、実地の性教育。性教育では絵や写真より実物を見るのが一番
確かですからね…(^^ゞ
 この時ばかりは、さすがに可哀想な女の子だけどばっちい処を全部、
それも細部にわたって見ないわけにはいきませんでした。何しろ、授業
なんですから。(^○^)
 凄い処(◎-◎;)でしょう。
 ここは何事によらず隠し事が一切だめなんです。子供たちは大人たち
の前では身も心もみんなオープンでないといけませんでした。とにかく
立場はみんな赤ちゃんですからね。恥ずかしいなんて言っても大人たち
は相手にしてくれませんでした。
 ただ、あのぐちゃぐちゃに関しては、僕にはあまり気持ちのいいもの
ではありませんでしたから、必要最小限だけ見て、後はできるだけ目を
そらしていました。
 今にして思うと実に惜しいことをしたと思うばかりです。(^◇^)
 こんなこと書いてると何だか女の子だけ虐待されてた見たいですが、
事情は男の子も同じでした。僕だって、女の子の性教育のために何度か
貢献したことが何度かありましたから。(^^ゞ
 彼女たちって結構エッチで、僕の大事な物を割り箸で摘んだりしたん
ですよ。そして、オチンチンやオチンチン袋の裏側なんかもしげしげと
観察。何がそんなに面白いのかやたらキャッキャキャッキャと喜んでい
ましたっけ(^^ゞ
 僕たちにとって裸ん坊は裸ん坊。それだけなんです。もう幼い頃から
何かあるたんびに大人たちから裸にされて赤ちゃんにされて育ってきま
したからね、裸ん坊さんも僕たちにとっては生活の一部だったんです。
 もちろん『変な感情がわいた』なんてことは11歳頃になっても一回
もありませんでした。信じてもらえないみたいですけど、本当ですよ。
(^◇^;)
 僕たちは閉鎖された空間(亀山愛育園)で物心つく前からずっと一緒
に暮らしていますからね、みんな仲良し。男の子だからか女の子だから
はあまり関係ないんです。お互い空気みたいなもので、大切な存在なの
ですが、そばにいても何も気にならないほど当たり前の存在でもありま
した。
 ある夏の日、みんなで川遊びをしていたら一人の女の子がすっぽんぽ
んで泳ぎ始めたんですよ、すると他の子まで一緒になって……でも男の
子だけが一人恥ずかしがってるとみんなでその子のパンツを脱がしちゃ
ったんです。
 こんなお話ばっかりですけど、ここはそんな処でした。大人たちから
常に赤ちゃんのようにして育てられましたし、性に関する情報も外から
は一切入ってきませんからね小学五年生といっても巷の子のような大人
びた感覚は何一つ持ち合わせていませんでした。
 クラスメートはみんなそうだったと思うのですが、11歳の頃って、
ただただママに甘えたい。先生に認められたい。お義父様やお義母様に
可愛がられたい。それだけ考えていた日々だったような気がします。
 でも、それで十分に幸せでした。
 えっと?どこまで話しましたっけ?……とりとめなくお話ししている
ので自分でも分からなくなってしまって(^^ゞ 
 ああ、そうそう、朝、美津子ちゃんがお馬に乗ったことでしたね。
 あ、あれ、どうやら美津子ちゃんがママの目を盗んで家を抜け出てき
た事に原因があるみたいです。僕だってそうですがママとは本物の赤ん
坊の時からの長い付き合いですからね、『どうやら、お仕置きを考えてる
な』なんてことはすぐにピンとくるわけです。そんな時は『お仕置きを
宣言される前に朝のどさくさに紛れて学校へ逃げ込むに限る』と美津子
ちゃんはそう考えたみたいでした。
 ところが、結果は大外れ。美津子ちゃんのママが谷村先生に学校での
お仕置きを頼んじゃったというわけなんです。
 普通の家庭だとたとえそんな事ができたとしても外聞なんか気にして
担任の先生に我が子のお仕置きを頼むなんてあり得ないんでしょうけど、
ここではそれも有りなんです。
 愛育園では金曜日の夕方に『懺悔の会』というのがあって小学4年生
以上の子が全員この一週間の悪さを神父様の前で懺悔しなければならな
いのですがその資料を提供するのはその子のママや学校の先生でした。
しかもそこには『革鞭1ダースお願いします』とか『お浣腸でしっかり
懲らしめてください』なんて恐ろしい言葉が添えてあったりするもんで
すから子供たちにとっては戦々恐々。一週間分の日記を読み直して叱ら
れそうなことは覚えてから神父様のいる個室に入るのですが、たとえ、
その一週間とりたてて悪事を働かなかったつもりの時でも心臓が口から
飛び出しそうなほどの緊張感でした。
 あれ?またお話しがそれてしまったね。ゴメンナサイm(__)m
 それでお馬から下りた美津子ちゃんは、最後に谷村先生とその後ろに
掲げてあるマリア様の絵に『お義母様の鏡にイタズラ書きをしてごめん
なさい』を五回言って許してもらいました。
 いえ、1回でもいいんですけど谷村先生が「声が小さくて聞こえない
から」とか「心がこもってなかった」とか色々難癖をつけて何度もやら
せるんです。実際1回で合格する子は希でした。
 今は授業の始まる前だったので5回くらいですみましたが、放課後、
僕が呼ばれた時なんか20回もやらされて、最後はべそをかいて帰った
記憶があります。
 これだって立派なお仕置きなんです。
 あっ、それから…こうして懺悔する時はポーズが決まっていて、床に
膝をついて両手を胸の前で組んで『とってもとってもゴメンナサイ』と
いう顔をして懺悔するんです。
 ここでは乙女の祈りなんてロマンチックな名前がついてましたけど、
やられてる当人はちっともロマンチックじゃありません。
 『また、やり直しさせられるじゃないか』
 『また、ぶたれるんじゃないか』
 って、不安で膝がガタガタ震えていたものなんです。
 ははは、もういい加減このお話しはやめましょう。(^^ゞ
 で、その日もこの後、当然授業になったんですが、1時間目の国語と
2時間目の算数は苦手でした。別に劣等生というわけじゃないんですが、
とにかく退屈なんです。今は先生方が色々授業のやり方を工夫しておら
れるみたいでどの子も楽しそうですが、僕が小学生だった頃は知識偏重
の詰め込み教育でしたから、授業自体がつまらなかった上に僕のママが
真面目な人で予習や復習を家でばっちり教えてくれますから教室で座っ
ていても新たに教わる事がほとんどないんです。つまり授業を聞いてい
ても新たな感激がないわけです。ですから、成績が悪いわけではないの
ですが、正直言って授業の40分間が苦痛で苦痛でなりませんでした。
 おまけに、さっきちょっびっと書きましたけど、授業中は助教師の先
生が授業の分からない子のために教室を廻っています。そして、もしあ
くびをしたりよそ見をしたりている子を発見すると、眠気覚ましに近く
に置かれた燭台を持ちだして…
 「まだ、ネンネは早いわよ。お手々を出してごらんなさい。目を覚ま
してあげるから」
 となります。こう言われたら逆らうことや言い訳はできませんでした。
そして右手を出すと、その手をしっかり押さえられて甲の処に白い蝋が
ぴちゃんと一滴。
 「熱っ!」
 もちろんお灸ほど強烈じゃありませんでしたが、小さい体にはとって
も衝撃的な熱さで、この為か授業はとっても張りつめた空気の中でおこ
なわれていました。
 今の賑やかで楽しい授業が羨ましいです。
 ま、国語と算数はこんな感じでしたが他の教科は僕らの時代でもけっ
こう楽しかったです。
 理科は実験や観察が中心でしたし、社会科は自分たちで資料を調べて
レポートを書いたり地図作りをしたり社会科見学では色んな工場や街の
様子を見て回ることも多くて施設の外へあまり出られない僕たちにとっ
てマイクロバスで巡る社会科見学は遠足と同じくらい楽しいリクレーシ
ョンの一つでした。
 あとは図工。これも色んなことをしました。粘土での彫塑やクレパス、
水彩、油彩、お皿に絵付けしたり、ロウケツ染め、はてはログハウスな
んてのも作っちゃいました。……おそらく普通の学校より多種多様な事
をしていたと思いますよ。というのも、おのおののお義父様お義母様が
色んな趣味をお持ちで、その方々がこぞって子供たちを指導してくださ
ったんです。そのあたりは恵まれていました。
 それと音楽。これだって事情は同じです。多くのお義父様やお義母様
がやはり先生でした。ピアノやヴァイオリンといったポピュラーなもの
はもちろんフルートやハープ、チェロお琴や三味線なんてのもあります。
しかもこれに合唱の練習もありますから午後の二時間は必ず音楽の為に
用意されていました。
 あっそうか、これも言っておかないといけませんね。僕たちの午後は
この音楽と図工それに体育で占められていてそれは部活動みたいなもの
だったんですが授業として行われる時もあって、部活動と授業の境目が
あまりはっきりしていませんでした。
 それだけじゃありません。そもそもこの学校はお家との区別そのもの
が曖昧だったんです。僕の感覚で言えば学校はお家のお庭の延長でした。
おかげで、どの子も学校から帰るのはたいてい夕方。幼稚園児のような
幼い子も同じでしたが、お家が恋しいということはありませんでした。
 だって、お家に帰ってもママはいませんから。その代わり、ママが恋
しくなると小中学校にママを探しに遊びに来ていました。そんな時でも
ママたち(=先生たち)は優しくて、怒って追い返すなんてことはしま
せんでした。
 そんな僕たちが家に帰るとまずお風呂。信じられないかもしれません
けど赤ちゃん扱いの僕たちは自分で自分の身体を洗いません。僕たちの
身体を洗うのはママか中学のお姉さんたち、あるいはお義父様お義母様
でした。
 その日はたまたまお当番の日でしたから妹の茜と一緒にお義父様やお
義母様と一緒のお風呂でした。身体を隅から隅まで洗ってもらい大きな
湯船で抱いてもらいます。そのお相手はお義父様の場合もありましたし、
お義母様の場合もありました。ただいずれにしろ共にご老人ですからね、
たとえお義母様に抱かれても胸がときめくようなことはまったくありま
せんでした。
 はははは当たり前か。∈^0^∋
 ただお風呂の中で自慢話はします。「今日のテストの点はよかったよ」
とか、「工作で作ったロボットを先生が褒めてくれた」とか、その反面、
『国語の時間に青山先生から蝋涙を落とされた』なんてことは間違って
も言いません。
 そうしておいてオモチャを買って欲しいっておねだりするんです。
 この時のターゲットは、当時人気のあったレーシングカーのキット。
8字のコースをミニカーがもの凄いスピードで疾走するやつです。家庭
用にコンパクト化されてはいましたが、当時としては結構高価な玩具で
した。
 話はうまく運びそうだったのですが、肝心なところでお目付役のママ
が反対します。ママは僕たちがお義父様たちと一緒にお風呂に入る時も
湯船のそばで見守っているんです。
 「ダメよ、そんな高いもの。この間だってGIジョーのお人形買って
もらったばかりでしょう」
 「どうして!いいじゃないか。お義母様が買ってくださるって」
 「ダメよ!今のあなたには分不相応だわ。そんなの章ちゃんだって持
ってないじゃない。ろくにピアノの練習もしないあなたが持っていいも
のじゃないわ」
 「そんなの関係ないよ」
 「関係あります。章ちゃんのお部屋はお義父様からいただいた理科の
年鑑や少年少女文学全集、クラシックのレコードなんかがきちん並んで
てとってもすがすがしいのに。あなたの部屋ときたら、遊びっぱなしの
オモチャが部屋中に散らかってて、とても同じ歳の子のお部屋とは思え
ないわ」
 「うるさいなあ」
 「おまけにあなたときたらせっかく買っていただいたのにすぐ飽きて
捨てるでしょう。だらしないったらないわ。こんな事では私がお義父様
に叱られてしまいます」
 ママの強い申し入れにお義父様もお義母様も苦笑いです。
 実際、お二人は僕たちにとって大事なパトロンではありましたが子供
たちの教育や躾には深く関わっていませんでした。お二人にしてみれば
こうして皺くちゃの肌、垂れたおっぱいでも嫌がらず一緒にお風呂に入
ってくれることが大切なのです。『よい子、よい子』と抱いていられるな
らそれでよかったんです。
 でも、ママの意見は正しいですから、お二人は一旦承知しかけた玩具
の件を棚上げにしてしまいます。
 そして、次の家族演奏会で章くんの『愛の挨拶』に対抗して『愛の夢』
が弾けたらレーシングカーのオモチャを買って上げるということになっ
たのでした。
 章くんというのは、才能も豊かで性格もいいお坊ちゃんタイプの子。
一方の僕はというと、凡才のくせに怠け者というのですから、そりゃあ
誰が見たって見劣りするはするのは明らかでした。
 でも、この時だけはどうしてもレーシングカーのキットが欲しくて…
…頑張らしてもらいました。ねむい目を擦って夜中までピアノを叩いて
いたんですから我ながら物に対する執着心は凄いと思います。(^^ゞ
 その結果、翌々週の土曜日、お義父様とお義母様の前で一応それらし
きものを弾いてみせることができました。もちろん、章くんのように、
『誰が聞いてもうっとりするような名演奏』というわけにはいきません。
お義父様もお義母様もきっと聞くに堪えなかったと思いますが…
 「とってもよかったわよ」
 と言ってくれて、章くんと同様、僕を同じように抱っこして頭を何度
でも撫でてくれたのでした。
 そして、念願のレーシングカーのキットをゲット。\(^O^)/
 でも、ママが心配した通り一ヶ月で飽きました。(^◇^)
 やっぱりママの子供を見る目は正しいみたいです。ママは僕をそりぁ
たくさん愛してくれました。大勢の大人たちから毎日毎日何かにつけて
抱かれ続ける甘やかし環境の中にあってもやっぱり一番たくさんそして
長時間抱かれていたのはママの胸なのです。
 でも僕のママは本当のママでない分、それは溺愛ではなく冷静な目を
持っていました。
 小学校高学年くらいの男の子はおそらく人生の中でも一番といっても
よいほど美しい時をむかえます。カモシカのように細くすらりと伸びた
足、無垢な顔はしかし来るべき大人の世界を見据えて凛として気高く、
誰にもこびない瞳は神々しささえ感じます。
 ですから、古来多くの大人たちがこの時代の少年を抱きたがるのです。
ましてや僕のように可愛い顔の子(いや、自分で言っちゃいけないれど)
ならなおのこと。大人たちの寵愛もこの時ばかりは女の子に勝ります。
 けれど、男の子の美というのはほんの数年でおしまい。以後は自らの
実力で世渡りをしなければなりません。そうなった時、お義父様たちの
寵愛が章くんや他の女の子たちに移るんじゃないか、ママはそれを心配
していたのでした。
 もっとも、当時の僕はお気楽そのもの。そんな深刻な事など露ほども
考えたことがありませんでした。
 『親切にしてくれるんだからそれでいいじゃないか』というわけです。
 お風呂が終わると今度はお夕食。ここでも当番の私たち家族(?)は
朝の食事の時と同様、お義父様たちと一緒のテーブルで食事をします。
 この時、僕はお義母様のお膝のすぐそば、もう体重が重いのでお膝に
乗ることはできませんでしたがお義母様と膝が触れあうほどすぐそばで
食事をしていました。
 「なあに、お肉が欲しいの?じゃあ取ってあげる」
 ママの心配をよそにいつもと変わらない甘えん坊ぶりの食事風景です。
そのお肉は一旦僕の目の前にある取り皿にやって来ますが、僕がさらに
甘えた笑顔をお義母様に見せると、今度はお義母様が料理をスプーンで
すくって僕のお口の前までそれがやって来ますからそれをパクリ。
 お義母様は大喜びというわけです。(*^^)v
 すべてがこんな調子ですから、イタズラしてスプーンをくわえて振り
回したり、結局なんだかんだ言って全部スプーンで食べさせてもらった
りしたんですよ。ま、その後ママにこっぴどく叱られましたけどね……
∈^0^∋
 夕食が終わると地下室へ行ってピアノの練習。
 お父様はこんなにもたくさんの孤児たちを面倒みているわけですから
当然お金持ちです。でもさすがに子供たち全員にピアノは行き渡りませ
んから、三台ある練習用のアップライトピアノは他の子と時間を割り振
って練習していました。
 地下は防音設備のある小部屋が5つもあって今にして思うと『凄いな
あ』なんて感心してしまいますが使っていた当時は『そんなの当たり前』
『どこの家にもあるんだろう』ぐらいに思っていました。お仕置きだっ
てそうです。こんなこと書いてると『すごい事されて育ったんだ』みた
いなことをよく言われますが、その世界しか知らない私たちとっては、
悪さをすれば鞭でぶたれたりお浣腸をかけられたりお灸をすえられたり
するのは当たり前のことだったんです。
 そりゃあお仕置きを受けることは子供にとっては『世の終わり』って
くらい大変なことなんですが…
 『本当のママがいたらこんな辛い目にあわずにすんだはずだ』
 なんて泣いたことは一度もありませんでした。
 さて、ピアノの練習はときどき先生が見回りますが基本的に自主練習
です。でも、次にやる学校の勉強はママがいつもすぐそばで睨みをきか
せている処でやるマンツーマンです。
 凄いでしょう。ママは僕の学校の先生でありながら、家では鬼の家庭
教師でもあるんですから。もっとも、えこひいきがあるといけないから
学校で直接習ったことはほとんどありませんでしたけど。(∩.∩)
 そのママですが、僕に勉強を教えてる時は、はっきり言ってとっても
怖いです。…>_<……いつだったか……
 「そんなに眠いなら目を覚ましてからやりましょう」
 なんて言われてね、お風呂場まで襟首捕まれて連行。ばっしゃばしゃ
頭からお水をかけられたことがありました。
 そんな風ですから終わるとぐったりです。終わった瞬間そのままママ
のお膝でおネンネなんてことも家(うち)では日常茶飯事でした。
 でも、まだ体力が残っている時はそれからママの『よちよち抱っこ』
というのが始まります。
 ママは僕と茜と一緒の布団で寝ます。茜はすでにその頃にはサービス
を受けてしっかり寝入っていますから、たいていは僕だけがママを独占
して一緒におネンネです。
 えっ?、『おネンネ』だなんて幼児じゃあるまいし…ですかσ(^^)
 ところがですね、ママはお勉強の時とはうってかわって、お昼間でも
滅多に見せない穏やかな笑顔で僕の体をよちよちしてくれるんですよ。
(*^_^*)
 頭を撫で撫で、アンヨを揉み揉み、お尻を摺り摺り、お背中トントン、
話す言葉だって赤ちゃん言葉です。イタズラしておっぱいを舐めても、
強く叱られたことなんて一度もありませんでした。
 ちなみにママのおっぱいはAカップ。でも、先っちょはちゃんとあり
ましたからそれで十分でした。(*^_^*)
 とにかく、お布団の中では赤ちゃん時代と何ら変わらない愛撫をして
くれるんです。ですから僕も赤ちゃん時代と変わらない甘え方をします。
そこにはお互い何のわだかまりもありませんでした。
 今は子供の自立を妨げるとか言ってかなり幼い子でも独りで寝かせる
みたいですが、僕たちの世界ではたとえ中学生になっても親の方から…
 「もうあなた大きいんだから独りで寝なさいね」
 なんて言うことはありませんでした。
 ただ、春期期になると心の中に変な気持が沸き起こってしまうので、
自ら独りで寝ようとしますけど……それまでは赤ちゃん時代からずっと
続いているママの『よちよち抱っこ』『よちよちネンネ』のサービスを受
けて寝るのがここでは当たり前だったのです。
 もちろんどんなにきついお仕置きを受けた日も夜の営みだけはいつも
同じです。ですから、体が大きくなった後も『夜、独りで寝る』という
のは不安でした。巷の子供たちに笑われそうですが…
 「そんな悪い子とは一緒に寝られません」
 なんてママに言われて自分の部屋のベッドに放り込まれるのは、ここ
ではそれ自体が立派なお仕置きだったんです。
 飴と鞭がしっかり使い分けられていたようですが、いずれにしても、
当時を振り返って、『あの時代は不幸だったなあ』と思ったことは一度も
ありませんでした。
 びっくりするような事はまだまだありますかけど、それはまた次回と
いたしましょう。




< 第 2 話 >

<第2話>
 僕たちの世界では巷の一般常識にはないことが沢山あります。それは
僕たちが山を離れて下界で暮らすようになってはじめてわかったことで、
亀山にいる間は亀山の常識が僕たちの常識。僕たちにとってはここが、
世界のすべてでした。(*^_^*)
 そんな常識のギャップは色々あるんですが、まずはトイレからいって
みますか。 食事中の方はいないと思いますがゴメンナサイ。m(__)m
 実は子供たちはトイレで大の方をする時水洗トイレでも水を流さない
んです。和式のトイレに現物を残したままドアを開けて出てきます。そ
れから、おもむろに近くの大人を見つけて自分の出したものを確認して
もらわなければなりませんでした。
 学校だと保健室の桜木先生の場合が多いんですが、お家だとその時に
よってママだったり賄いのおばちゃんだったりします。お当番の日は、
お義母様に見てもらったことだってありました。
 でも、どうしてそんなことにこだわるのでしょうか。一つは健康管理。
昔はうんちでその子の健康を知ることが一般的でした。そして二つ目は、
お浣腸のお仕置きの際、それが使うお薬の量や濃さ、我慢の時間などを
判断するのに重要な資料となるからでした。
 ですから、たとえ修学旅行や社会科見学などで街へお出かけした時も
担任の先生に報告して見てもらいます。巷の人たちはこれを話すと驚き
ますが僕たちにしたらあまりに幼い頃からの習慣なので特別恥ずかしい
なんて思ったことがありませんでした。それどころか、立派なうんちが
出た時などはお友だちに自慢して見せてまわったぐらいでした。(*^^)v
 僕は小心者ですからとてもそんな度胸はありませんでしたが、かつて
肝の据わった女の子がいてお浣腸のお仕置きを察知すると、保健室から
無断でイチヂク浣腸を持ちし学校近くの茂みで勝手に用を足したなんて
ことがありました。
 一度排泄してしまえば二度目はとっても楽ですからね。(^_^)b
 でも結局ばれちゃって……中学生のお姉様なので男の子には関係あり
ませんが、お仕置きを見学させられた女の子たちの話では悪さがばれた
その子は全校生徒(女子のみ)の前でとっても厳しいお仕置きを受けた
んだそうです。
 「見てるこっちが辛くなるくらい凄かったんだから」
 クラスメートたちが興奮気味に話していたのを覚えています。
 うんちの話のついで言うと、僕たちはよくオムツのお仕置きをされま
した。巷ではないと思いますけど、きついお鞭のお仕置きが行われる際、
肝心な時に粗相がないように事前にお浣腸をしてお腹の中の物を綺麗に
しておくことがあるんです。
 先生は「これはお仕置きではありません」なんて言いますけどね……
僕たちにとってはこれだって立派なお仕置きなんです。何しろ、先生の
ご機嫌を損ねると着けてるオムツの中に用を足すよう強制されることだ
ってあるんですから……
 『いったい、これのどこがお仕置きじゃないだ!』
 って突っ込みたくなります。
 そしてそんな時は連帯責任ってことでしょうかね。他のクラスメート
たちはこの可哀想なお友だちのためにオムツ替えを手伝わなければなり
ませんでした。つまりうんちの着いたオムツに触るんですよ。僕はこれ
が大嫌いで、ママにも…
 「そんなのママや先生のお仕事じゃないの!?」
 と言ったことがあります。でも、ママは…
 「そんなことはないわ。お友だちが困ってる時にお手伝いをするのは
とっても立派なことなのよ。恥ずかしいことじゃないわ。あなただって、
お友だちのお世話になったことがあるじゃないの」
 なんてかわされてしまいます。
 でも、これには不思議なこともあります。普段はちょっとしたことに
もやれ「不潔!」だの「ばっちい」だのって連呼している女の子たちが
これだは違和感なくやり遂げるんです。
 しかも、どこか嬉しそうな顔で……
 で、考えたんですが、こんなことやらさせられてる方はもちろん顔が
真っ赤で死にたいくらい恥ずかしいわけですから、女の子にとっては、
ばっちい仕事もその子に対する優越感の方が気持ち的に勝っていたのか
もしれません。
 いずれにしても女の子というのはそのあたり不思議な生き物なんです。
 オムツを穿かされる罰は他にもあります。最初の回でもお話ししまし
たが亀山の子供たちは不始末をしでかすと、よく赤ちゃんに戻されたん
です。
 オムツを穿かされ、上下一体になったベビー服を着せられて、お家の
ベビーベッドで一日過ごす罰なんてのがその典型なんですが、ただ寝て
ればいいんじゃなくて、朝、昼、夕方と一日三回もママのお膝の上で俯
せになってスパンキング(幸いこれは『今あなたはお仕置き中ですよ』
という確認の為のものでそんなに痛くはありませんが…)を受けなけれ
ばなりませんし、ほ乳瓶のミルクを美味しそうに空にしなければ満足に
お昼ご飯も食べさせてもらえませんでした。そのくせお勉強はお勉強で
こちらだけは年相応にやらされますし、お見舞いに来たクラスメートの
からかいにも耐えなければなりません。何より辛いのはトイレで……
 「おトイレに行きたいって?赤ちゃんがおトイレなんて使えるわけが
ないでしょう。そのままそこにしちゃいなさいな。そのためのオムツで
しょう。大丈夫よ、やったあとはちゃんと取り替えてあげるから」
 なんて、お目付役のお義母様にまで言われてしまいます。
 もちろん、だからといって今さらここにはできませんから、辛抱して
いると……
 「あら、あら、うんち出ないの。だったらお浣腸してあげましょうか」
 なんてことなります。ただでさえ我慢しているのにお浣腸なんて……
もう辛抱できるわけがありませんでした。
 そこへ示し合わせたようにクラスメートがやって来て、嬉しそうな顔
でお義母様のオムツ換えを手伝うんです。もちろん直接僕のうんちには
触れたりはませんが、蒸しタオルでお尻を拭いたり、ベビーパウダーを
はたいたりはします。当然、僕の大事なところはみんなから丸見え。
 もうその瞬間は頭の回線がショートして昇天。つまり放心状態でした。
(×_×)
 そうそう、でも大事なことが一つあります。どんなに凄いお仕置きが
あった日も夜はママと一緒のお布団で眠ります。これは僕の家だけでな
く亀山ではどこでも当然のお決まりでした。
 僕はそんな日に限ってママのおっぱいを指先でツンツンしたり舌先で
舐めまわしながらおネンネしたのを覚えています。
 変でしょう。11歳にもなった子がママのおっぱいを悪戯しながら寝
るなんて…でも、これもここでは常識だったんです。亀山の子供は叱ら
れた分だけ甘えることでできるようになっていました。
 これって前に話しましたっけ…とりとめなく話してるもので……(^^ゞ
 それはともかく、僕たちがオムツを穿かせられるお仕置きには、もう
一つ別のケースがあります。
 それは継続的なお仕置きとして、例えば一週間オムツを穿きなさいと
命じられること。命じるのはたいていママです。
 「あなたが今回のことを簡単に忘れないようにこれから一週間パンツ
は与えません。代わりにオムツを穿いて学校へ行きなさい」
 なんて言われるわけです。これってお尻の周りが少しごわごわするこ
とを除けば痛くもかゆくもありません。それに男の子の場合はその上に
半ズボンを穿きますからね、ほとんど目立ちませんでした。
 楽な罰のようにも思えますが、ただ、季候のいい時期には長く穿いて
いると蒸れますからね、体育なんかはNGです。そんな時はたいてい病
気を理由に見学にしてもらっていました。そして、最も困るのがこれも
トイレ。
 このオムツはいったん脱いでしまうと自分一人では元のように穿くこ
とができないんです。そこで保健室に行って桜木先生に脱がせてもらい
室内便器(おまる)に跨って用を足す事になるんですが、これってけっ
こう高い音がするんですよ。
 カーテンの向こうに誰かいないか気になって、とっても恥ずかしい思
いをしたのを覚えています。
 僕みたいな男の子ですらこうですからね、女の子にとっはもっと過酷
でした。
 まず彼女たち短いスカートを穿いていますからね、すぐ友だちに『オ
ムツ穿いてる!』ってばれちゃうんです。それに保健室のトイレだって
恥ずかしくて行きそびれる子が沢山いました。
 でもちょっと考えてみてください。これって、変でしょう。だって、
家(うち)の場合は中庭に素っ裸でさらし者になることだって、お浣腸
されて自分のうんちをクラスメート全員に見られることだってある世界
なんですよ。それが、たかだかおしっこの音ぐらいでどうしてそんなに
恥ずかしがらなきゃならないのか。疑問がわくと思います。
 でも、それが乙女心というもののようでした。彼女たちはうんちより
おしっこをしている姿を他人に見られたくないみたいでした。ですから、
カーテン越しにせよその音を知り合いに聞かれたくないんですよ。
 思えば、茜だってママの抱っこでおしっこをしている姿を見ていたら
もの凄く怒りましたからね…きっとそういうものだと思います。
 実際、保健室に行きそびれてお漏らししてしまったなんても子もいま
した。
 もちろん学校の先生方は家庭から『誰々ちゃんをオムツで登校させま
したよ』という情報は得ています。ですから注意はしているのですが、
事故は起きます。そこで、お昼ご飯の時までに一度もおトイレに来ない
子は強制的にお浣腸で出させることになったのでした。
 『めでたし、めでたし』って……ちっともめでたくないか。
 失礼しました。(^^ゞ



Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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