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12/31 この一年、ありがとうございました

12/31 この一年、ありがとうございました

 コメントを頂いた皆様、拍手を頂いた皆様、本当にありがとう
ございました。
 通りすがりの皆様も、こんな、独りよがりでつまらないブログ
ですが、お暇の節はまたお立ち寄りくださいませ。
 
 来年もまたよい一年でありますように、お祈り申し上げます。

               管理人/TUTOMU KURAKAWA

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12/31 越野眞砂さんのイラスト

12/31 越野眞砂さんのイラスト

 越野眞砂さんは、(デビュー当時はたしかsandさんと名乗
られていました)私の好きなイラストレーターの一人です。

 学校もの、病院もの(看護婦中心ですが)などを得意とされて
います。
 スパンキングだけでなくお浣腸の絵も多くて、ちょっぴり古風
な感じのするところも、私のような古狸をご機嫌にさせてくれる
理由かもしれません。

 『過激なお仕置き』という感じのテーマが多いのですが、私が
好むくらいですから、グロテスクな感じの絵ではありませんよ。
 絵の中ではけっこう過激なことをしているのに、観てる方には
あまり圧迫感が伝わってきません。むしろ、ほのぼのと感じられ
る不思議な絵です。

 有名な売れっ子画家さんではありませんので、どこででも見ら
れるわけではありません。
 今でしたらKindle本の丘浩美さんの小説の挿絵やミストレスを
扱った『女神の愛』(三和出版)などで見ることができます。

 ただし、それらは題材そのものが私の趣味ではありません。
 やはり、彼女(?)の絵で引かれるのは同人誌。

 『令嬢訓育画報』や『訓育研究』、『まさごのむかしの絵(十五
枚組)などは、世に出てからかなり時間が経ってましたが、まだ、
風俗資料館やタコシェ(本屋)さんから通販で取り寄せることが
できました。

 感想、たった一言ですが……『よかったです』

 それもお金が掛かるし面倒だという方は、ネットに流れている
ものをご覧ください。
 (最初から、こう言えばよかったですね(^^ゞ)

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<<参考資料>>

google検索結果
越野眞砂の画像検索結果

海外サイトに流出した物
<Handprints Spanking Art & Stories Page Drawings Gallery >
G114
G144
G144(2)

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12/30 人生最初の家出

12/30 人生最初の家出

 ある日、僕は家出を決意する。
 お父さんが食べたお菓子を僕が勝手に食べたって言われて頭に
きたからだ。ほっぺ抓られたのも痛かった。

 僕はお母さんに「僕、家出する」と高らかに宣言したのだ。

 ところが、お母さんは……
 「あら、そうなの……それじゃ、下着の準備しなきゃいけない
わね。お菓子もあった方がいいわね。ビスケット持って行く?」
 と言うので、下着とお菓子を通園バッグに詰めてもらった。
 普段は幼稚園で食べるお弁当が入っているバックだ。

 で……これで準備は整ったのだが……

 「あら、どうしたの?行かないの?」

 お母さんはアイロンかけながらこう言うんだけど……

 「う………………うん」

 まだ、もじもじしてたら……

 「早くしないとお外寒くなるわよ」

 「そうなの?」

 「……それで……どこに行くつもりなの?」

 「う~~~~ん、どこでもいい」

 「どこでもいいの?」

 「どこでもいいけど…………ママと一緒……」

 「ママと一緒じゃいやなんでしょ?……」

 「違う」

 「???……」
 お母さんはしばらく意味が分からなかったけど、そのうち……

 「あら、あなた、お母さんと一緒に家出するつもりなの?」
 さすがに察しがいい。

 「うん」

 「……そうなの……だったら、仕方ないわね……」

 お母さんは一つだけため息をついたけど、アイロンをやめて、
僕と一緒にお外へ出た。

 で……
 近くの公園にやって来て……
 そこのブランコに揺られながら、二人でビスケットを食べた。

 すると、近所のおばさんが……
 「まあ、勉ちゃん、今日はお母さんと一緒にお散歩かしら……」
 って言うもんだから……

 「家出……」
 って答えたら……

 「お母さんと一緒に家出したの?」
 って変な顔で笑ってた。

 で……
 お母さんの抱っこでビスケットは食べたけど……
 「ビスケットじゃお腹一杯にならないわね。おうちでご飯食べ
ようか?」
 って、言うから……

 「うん」
 って、小さな声でご返事したら、お母さんがおんぶしてくれた。

 一緒に家に帰って……
 一緒にご飯食べて、
 一緒にお風呂に入って、
 一緒のお布団で寝たら……

 「坊やは、まだ、お母さんの愛の中でしか生きられないの」
 「うん」
 「お仕置きイヤイヤでも、ここが一番いいのよ」
 「うん」
 「お外の風はまだ冷たいの。勉ちゃん独りじゃ風邪ひいちゃう
わ……わかった?」

 「う……うん」
 そう言ってお母さんのオッパイの中でネンネ。

 でも……
 この時、お母さんのオッパイを力一杯握ってたから……
 朝、お母さんのオッパイに痣ができちゃってて……

 「あ~あ、痣になってる」
 お母さんは、最初、困り顔だったけど……

 「『痣のつくほど抓っておくれ、それを惚気(のろけ)の種に
する』か……」

 お母さんが独り言のように言うと、お父さんが……

 「『痣のつくほど抓ってみたが、色が黒くてわからない』って
のもあるよ」
 って言うんだ。

 「それ、どういう意味?」

 「ん?……ぼくのにぎにぎじゃ仕方ないわねってことよ」
 って、お母さんは笑って許してくれた。

 僕の最初の家出は、父兄同伴だったんだ。
 
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12/29 ぼくんちの食事風景

12/29 ぼくんちの食事風景

 このブログで、僕はよくお母さんに溺愛されてたとか、過保護
だったとか自慢(?)してるけど…それって、大人になった今だか
らそう思ってるだけで、子供時代はそんな風に思ったことなんて
一度もなかった。

 日常生活で、空気や水の存在をいちいちありがたがらないのと
同じで、子供時代、母親のしてくれてることはごく当たり前の事
だったからだ。

 むしろ、少しでもそれが気に入らないと『うざったい』としか
思わない。
 子供なんてわがままな世間知らずだから、これが自然なんだ。

 そんな子供時代、母親がやってたことで一番うざったいことが
食事だった。

 普通の家庭では、よほどの幼児でもない限り、食事って一人で
するもんだと思うけど……うちの場合は、小学校時代を通して、
母が膝の上に抱くか、すぐそばにひき寄せて、スプーンで食べさ
せるのが一般的だった。

 もちろん全てじゃない。大半は一人で箸を使って食べるんだけ
ど、嫌いな物があると、どうしてもそこには箸をつけたがらない。
 そんな時、母は僕たち兄弟を幼児とみなして、身体をぐぐっと
引き寄せて拘束すると、その嫌いなもの……例えば、ほうれん草
なんかをスプーンに乗せて、僕たちの口に運ぶのである。

 当然、食べたくないから口を閉じているのだが……
 「あ~~~ん、しなさい」
 こう言って口を開けさせる。

 逆らうと、鼻を摘まれるから苦しいし、大きな顔が目の前に迫
ってくるから、怖くて口を開けるしかなかった。

 「噛み、噛み、しなさい」
 こう言われながら頭を撫で撫で……顔は笑顔に戻っているが、
飲み込むまでは監視されているからごまかせなかった。

 仕方なく口の中で何回かくちゃくちゃやって涙目で飲み込むと
ほっぺすりすりがご褒美だった。
 ちなみに、僕はほうれん草とプリンやゼリーが苦手だった。

 うざったいけど……
 「好き嫌いがあると大きくなれないのよ」
 と言われると仕方がなかった。

 こうして、お母さんのご機嫌をとったあとは、大好きなお肉。
 これだって、一般家庭じゃまずやらないだろうなと思う方法で、
うちでは食べることになるのだ。

 まず、お母さんがお肉を口の中に入れてもぐもぐする。
 こうして柔らかくなったら、(昔のお肉は今と違って固かった)
それを口の中に箸を入れて取り出し、もう一度ソースを付けて味
付けすると、スプーンに乗っけて僕の口元へ……

 ま、普通の人の感性なら、『そんなもの食べられるか!』って
なもんだろうけど……
 僕はお母さんの唾のついたお肉を喜んで食べていた。

 だから……
 「美味しいか?」って聞かれると、当然のように「おいしい」
って答えたんだ。

 母だってそこは同じ。僕が吐き出してしまった食べ物を平気で
食べてたもん。親子なんだからこれが普通なんだ。

 今は、『母親の口の中の菌が子供に移る』とか言って、そんな
ことはしないみたいだけど、いいじゃないか、あとで歯を磨けば
いいんだから……

 お仕置きもそうだけど、今の世の中、親子のスキンシップを削
ぐ方向ばかりで動いてるもんだから、今の子は知識としての善悪
は知っていても、感性で善悪を感じ取れてないよね。罪の意識が
どっか他人事。客観化され過ぎちゃって実感が伴ってないんだ。
だから、何かのきっかけで容易に犯罪へ走っちゃうんだよ。

 こんなことやってて、子供が本当に幸せな人生を送れるのかな?
って思っちゃうよ。

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12/28  やいと

12/28  やいと

 関東ではもっぱらお灸ですが、関西以西では『やいと』という
表現がよく使われます。私の家では多くの場合『お灸』でしたが、
個人的には『やいと』という言い回しの方が、子供へのお仕置き
とう感じがして好きです。

 その『やいと』という題で私の好きな一遍の小説があります。
今回、作者さんの承諾は頂いていませんが、他の方々にも読んで
頂きたくて発表する事にしました。

(*)
 以下は、『直』さんがかつてお灸サイトに発表したものを私が
自分にとって読みやすいようにいくらか手を入れたものです。
 万一、直さんがこれをご覧になって「それは困る」という事
ならば、即刻削除しますので、コメントにご連絡ください。

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            やいと
                      by直
                 加筆・修正/tutomu kurakawa


 私の生まれた四国の田舎では昭和50年ごろまでは普通にやいと
がありました。家でも近所でも大人は治療に、子供は治療だけで
なくにお仕置きにもヤイトが普通が行われていました。

 私の家では艾の袋が仏壇に置いてあり、お風呂屋さんに行くと
黒い痕をつけた子供や大人をよく見かけました。
 ごく普通に存在したヤイトですが、友だちの話では「もの凄く
熱くて痛い」と言う子や、「チックってするだけでたいしたこと
無い」って言う子もおって、本当のことは経験するまでは分かり
ませんでした。

 そんな私にも、ついにその日が訪れます。
 小学校2年生を過ぎても時々オネショをする私に対して、近所
の叔母からヤイト据えたらって言われ、覚悟を決めて初めて据え
られたのが夏休みでした。

 「直ちゃん パンツずらしてここに横になり」
 って言われ座布団が2枚敷かれたところに横になると、ヤイト
線香に墨がついて腰に印がつけられ、小さな艾でしたが初めての
経験をします。

 母が腰を軽く押さえて、艾に火が点ると、「チック」と「痛っ」
が同時に感じられて、4箇所次々に据えられましたが、泣くほど
の熱さや痛さでは無く拍子抜けしたヤイトでした。

 友達が「すごーーーく熱い」って言ってたのが嘘のようでした。
あれが初めてのやいとでした。

 毎日寝る前にヤイトを据えられ米粒ぐらいの黒い痕が4つ腰に
残りましたが、ホクロではなく、規則正しく並んだヤイトの痕で
した。

 ところがその後、お転婆の私は、けんかや人を泣かしたりして、
再び「やいとを据えなあかん」と言われ、ものすごく熱くて痛い
ヤイトを経験することになります。

 オネショの治療も一段落したある日、従姉妹とけんかした私は、
癇が起きてると言われて癇のヤイトを据えるはめになりました。

 私はいつも通り座布団に横になります。チックってするいつも
のヤイトだと思ったからです。
 ところが、いつもならパンツをずらして腰に据えるのですが、
その日は何故か背中(ブラのホックの下あたり)に墨で印が付け
られ、母が太腿に乗って動かないように体を押さえられたあげく、
何だか前回より少し大きいかなって感じの艾が乗っかります。
 でも、そこまではあまり深刻に考えていませんでした。

 そして火がつけられたのですが……
 当初は艾の燃える匂いはするもの何も変化はありませんでした。
ところが、チックする感じを待っていた私の背中がホカホカって
暖かく感じられた途端でした。

 『ひぃーーーー』
 ギューーッ…とキリキリと差し込む熱さと痛さで、声も出ずに
唸ってしまいました。

 痛さが遠退いてから私は大声で「熱い痛い」って泣きました。

 そしたら母と叔母が……
 「ヤイト据えてるんやから熱いのは当たり前やないか。熱くて
痛うなとヤイトなんか効かんやろ。やいとは、熱くて痛いもんや」
 ってたっぷり線香を2本分1時間近く据えられました。

 これ以降、私は何度となくやいとをすえられることになります。
おかげで、小学生から中学生になる頃には、背中から腰にかけて
1cm近いヤイトの痕が規則正しく並ぶことになります。

 そんな話をヤイト友だちにしましたら、彼女も私が経験した事
と同じように据えられていたとのこと。しかも、四国の田舎では
そんなことはごく普通の出来事のようでした。

 次回はどんぐりやいとの自伝を・・・・・


【どんぐりやいと】

 小学校の間に何回もヤイトを経験した私は、中学校に入っても
お転婆がひどくて、母も「これだけヤイト据えているのに、落ち
着きの無い子は一度どんぐりやいと据えてもらわなアカン」と、
言い出します。

 「どんぐりやいとって、どんな、やいとやろ???」
 と思っていると、近所に住む叔母がその答えを出すのに時間は
かかりませんでした。

 その時、叔母の次女の薫ちゃんの腰には、10円玉大のヤイト
の痕が……
 『ひょっとして、あれ?』
 私はその灸痕に目を丸くします。

 そうです。大きくてどんぐりのように固く摘んだもぐさで据え
るヤイトだからどんぐりやいとなんです。
 これは、1火燃えつきるのに1分近くかかります。

 私の地方のヤイトは1度据え始めると、5~6日は連続で毎日
据えられます。2日目以降は瘡蓋もできて熱さや痛みはやわらぎ
ますから初日ほどの熱さはありません。

 ところが、どんぐりやいとは違います。薫ちゃんは3日目なの
に見れば歯を食いしばって我慢しています。
 『これはただ事ではない』と思いました。

 薫ちゃんのヤイトが終わり、「直ちゃんもこっちへ来なさい」
と、叔母さんの声。

 「中学にもなってもまだ悪さが過ぎてるいうのなら、どんぐり
やいと据えなきゃならんあぁ」って……

 覚悟はできていても、やはりヤイトはヤイト、怖いです。不安
な気持のまま座布団のところでうつ伏せになります。そうすると
パンツをずらされ背中も露出されます。やいと線香で墨を硯から
背中、腰と印がつけられていきます。

 「どんぐりやいとって言っても薫ちゃんの半分ぐらいの大きさ
だから」
 って叔母さんが言いながら艾をしるしの上に据えていきます。

 そして、線香にマッチで火がつけられやいと線香の独特の香り
がプーンとしてから……
 「中学生だから押さえんでもいいかな」て母が。
 叔母さんが、「暴れたら、やいとが増えるよ」って言いながら
尾てい骨の上に火を着けたみたいです。

 艾の燃える香りがしてきてホカホカってお尻がしたかと思った
途端に、キリキリと熱さと痛さがギュッとします。
 でも、まだまだ続きます。

 「熱い。痛いいいいいいいいいいいいいいいいい」
 『これがどんぐりやいと?』

 そうなんです。どんぐりやいとは単にその大きさだけではなく、
艾の固さがどんぐりのように固いのもその言われだったのです。
 結果、持続時間が長いヤイトになります。

 「判りました。よくわかりました。反省できました」
 でも やいとは続きます。
 「熱い、痛い、もういや、だめ、私もう十分に反省しますから
ヤイトだけは許して」
 って言ってもこれは続きます。

 線香1本休むことなく据えられます。叔母さんが艾を乗せ母が
火をつけて行きます。二人で据えるから次から次と背中から腰と
全部が煙が出てるみたいに熱くて痛いです。
 終わると背中から腰にかけて7箇所の黒い痕がついています。

 おまけに……
 『やれやれ、やっと、終わったあ……』
 と思っていると……

 「じゃあ また明日……」
 という言葉を聞くことになるのでした。


【灸痕】

 中学校の夏休みにどんぐりやいとを経験した私の背中には黒い
痕が残ったままになっていました。そんな状態で新学期を迎えま
ます。

 その新学期の初日には身体検査がありました。体重測定や身長
測定、内診もあり上半身は裸に近い状態です。

 「あ、直ちゃんヤイトの痕が黒いわぁ」
 と、さっそく友達が指摘がします。
 続けて…
 「ねえ、中学生でも泣いた?」
 などと質問が……

 私はちょっと恥ずかしくなりましたが……
 「ドンマイ、ドンマイ」
 2人の友だちが元気付けてくれました。

 「私も据えられたんだから……」
 と黒い痕や瘡蓋の取れたばかりのやいとの痕を見せてくれます。
 おかげで、クラスで3人も夏休みにお灸の躾があったって事に
なり私一人じゃないって安心できたのです。

 ただ、二人の背中には6つの灸痕が並んではいましたが、一人
の子は大きな灸痕が1つだけ黒く、残りの子もブラのホックの下
に左右2つだけで、やはり夏休みに据えられた数だけは私が一番
多かったようです。

 クラスで一番活発な…いえ、早い話、お転婆でゴンタの直子が
夏休みにヤイトも一番多く据えられるのは、ある意味自然なこと
だったのです。

 でも、そんな効果がそういつまでも続くものでもありません。
瘡蓋がとれ秋風の吹く頃になるとヤイトの熱さも怖さも忘れて、
一段とまたお転婆が激しくなります。男子を泣かしたり、一緒に
なって暴れたりする日々でした。

 と、ここまではまだご愛嬌で済んだのですが、ある事件で私は
とんだ過ちをしでかすことになります。

 悪い友だちではありましたが、まさか万引きをするとは……
 そうなんです。駄菓子屋ですが、お金を払わずに帰ったのです。
早い話、集団万引きです。腹に据えかねた駄菓子屋のおばさんが
学校に言いつけに……

 どうなるか、結果は見えています。遊び友達男3人女3人全員
が職員室に呼ばれ、正座して反省会です。しばらくして学校から
連絡があった親たちが集合してきます。すぐに叩かれる男子たち。
私も母から思いっきりお尻を叩かれ。全員、明日までに反省文を
持参することとなりました。

 家に帰るとすぐに反省文を書きなさいと母から言われ……
 とりあえず「今回の反省と二度としない誓いの言葉」をない頭
を使ってひねり出します。
 もう、それだけで私には十二分にお仕置きだったのです。

 でも、部屋から出て反省文を母に見せに行くと、すでにヤイト
の準備ができてます。反省文を渡しながら「ヤイト?」って聞く
と「当然」という返事が……。

 「最初は指に据えようか?それともお尻か?」
 と言われながら、小さな艾が人差し指に一つ火がつけられると
……
 「あぢーーーーーぃ」

 5火も据えられてから、今度は「うつ伏せになり…」と言われ
自分でパンツをずらします。自然に尾てい骨の上を何回か押えら
れて、いつもの位置に艾を乗せられ待つこと数秒。
 「あじゃーーーーー」
 何、この熱さ、痛さ、そうです。またもやどんぐりヤイトです。

 これって忘れようとしても忘れられない痛さです。大変な熱さ
です。声なんて出ません。涙が自然にあふれてきます。腰全体が
熱くて痛いって感じなんです。

 でも1箇所だけが千切れそうに痛いです。
 「もう二度としません。絶対にしません。ヤイト許して。いや、
やいと いやや」
 と何度も言いながらも、何回も何回も新しい艾に火がついて、
その晩はたっぷりと反省をさせられました。

 翌日学校に行くと、みんなごく自然に昨日家で受けたお仕置き
の痕を見せ合います。当然のごとく、全員がヤイトを据えられて
いました。指にも黒い痕が2人。みんな十分な反省をしてました
が、その事が、またお互いの安心感というか絆みたいになって、
次の悪戯、悪さへと繋がるのでした。


【Mの目覚め】

  万引きのヤイトがよく効いた私は 大人しくなり、お転婆も
少なくなり普通に日々を過ごしていました。生理も始まり性にも
目覚めて、友だちともエッチなことを話したりするようになりま
した。

 ある日のこと、妹が、その時何をしたのかは分かりませんが、
縁側に座布団を敷かれて、ヤイトを据えられそうな感じになって
います。

 私と同じように「もーせーへんから、ヤイトいやや」「ごめん
なさい」と謝る声が泣き声です。それでも母はやいと線香に墨を
つけて腰に背中にと印がつきます。
 線香に火をつけて、艾がひねられ尾てい骨の上に乗せられます。
 線香の火が艾に移され煙が立ち上がりながら艾が黒く変化して
いきます。

 艾が全体に黒くなった頃に妹が大きくうなります。
 一番の熱くて痛いときです。でも母は次の艾を墨で印した処に
乗せ火をつけていきます。
 「悪さする子にはヤイト据えなアカン」といいながら……

 それを見ていた私は、あそこがジューーンとなり濡れてしまい
ます。これが私が経験した初めてのMへの目覚めです。

 とにかく怖いヤイトやけど、心のどこかで据えられてみたいと
思う気持ちが芽生えていました。怖いもの見たさみたいな、相反
する変な気持で心が満たされ、気がつけばあそこが濡れちゃって
います。

 そんな気持ちの高まりを抑えられないまま、駆け込んだトイレ
で、あそこを拭きながらヤイトを据えられてる自分を想像します。
 あとは、ご想像ください。

 ただ、当時はすでに勉強もそこそこ、何よりめっきり大人しく
なっていましたから、昔のように母の方から私にヤイトを据える
理由がありません。おかげで、本物のやいとの方は随分ご無沙汰
でした。
 順風満帆に見える生活の中で、実は、悶々とした日々を送って
いたというわけです。

 そんなある日曜日。私は家で一人で留守番する事になりました。
すると……
 『チャンスだ。そうだ自分で据えてみよう』
 と、思い立ったのです。

 仏壇から艾と線香をとりだし、小さく丸めて鏡の前に……。
 お尻を見ると1cmぐらいの尾てい骨の上にヤイトの痕があり
ますから、そこに艾を乗せてみますが、最初は横になってないの
で落ちてしまいうまくいきません。
 そこで、唾でヤイトの痕を湿らせ艾を乗せると…
 『やったあ、動かない』

 あとは、線香に火を着け、ちょこんと艾に火を移すと煙が出だ
しますから……
 「直子 ヤイトや」
 と自分で言いながら燃えていきます。
 「アヂィーーーーーーイタイーーーーもうしません」
 と言いながら1火だけで終了。

 後片付けして窓も全開で自分の部屋に行き オナ……そして、
戸締りをして何も無かったように……
 自分では大成功のつもりだったのですが……

 3時過ぎ、母と妹が帰宅すると……
 「誰か?ヤイトした?」
 ほんのりと仄かに残る残り香に母が反応します。
 縁側に座布団を出して……
 「直子 ちょっと来てみ」
 パンツをずらすと……自分で据えてまだ水ぶくれになっている
ヤイトの痕がありますから……

 「自分でせんでも据えちゃるのに」
 と言われながら、水ぶくれを潰ぶして尾てい骨の処とその上に
縦に並んで2箇所艾を乗せられて、たっぷり線香2本。

 据えられてる間はMは関係ありません。
 お仕置きはお仕置き。ヤイトはヤイトでした。
 『もうしませんから許してください』
 って、母の膝の上で本気で思ってました。


**************************

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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