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お馬鹿中学生の思い出/小説ということでお願いします

7/14

 僕の学校生活は恵まれていたと思う。
 よその学校を知らないから断定的にはいえないけどね、虐めも
差別もなかったし、何より先生が優しくていつも甘えてた記憶が
あるんだ。

 小学校時代、僕は「孤立児」と呼ばれ、要注意児童だったけど、
その分、担任の先生も僕には気を使ってくれて、休み時間には、
よく頭を撫でられたり、膝に抱っこしてもらった。

 『えっ、それって教育的効果があるの?』とか、『逆効果じゃ
ないの?』という話はおいといて、本人はいたって極楽だった。

 学級委員だった学期もそうでなかった学期も常に担任の先生が
命じれば喜んで雑用に走り回った。テストの○付けなんかも頼ま
れればやってた。気がつくと先生の腰巾着。担任の先生は『第二
のお父さん、お母さん』って感じで甘えてたんだ。

 そんな馴れ馴れしい態度は中学校でも続いていて……
 「先生、そこはさあ、もっと丁寧に説明しなきゃ3以下の子は
わからないよ」とか……
 「もっと声を張らなくちゃ。そんな暗い顔して授業してちゃ、
こっちもやる気がなくなるよ」とか……
 あろうことか、先生の授業にいちゃもんをつける『超問題児』
になってたんだ。

 そんな折も折り、『さすがにそれはないだろう』という事件が
起きてしまった。

 歴史を担当していた先生が、どうも授業の進行が下手で何時も
もたもたしている。だから何時ものようにクレームをつけに行っ
たんだ。

 『えっ?お前の中学、そんなことして大丈夫なのか?』

 へへへえ、それができるんだな。うちの中学。ものすごく自由
な校風で、穏当で正当な理由があれば、こんなふうに授業を批判
することも許されてたんだ。

 先生っていうのは、見上げる存在じゃなくて、お友だち感覚。
普段からとっても馴れ馴れしい感じで付き合ってたんだ。
 (それが教育的にいいかどうかはわからないけど、生徒として
は楽しかったよ。そんな中学だもん、生徒を敬称付きで呼ぶって
わかるだろう)

 でも、それがやりすぎちゃった。

 「ねえ、先生。そもそも先生は僕より知識があるのかなあ」
 なんてね、正気の沙汰で言ってしまったんだ。

 声は小さいし、授業進行はもたもたしてるし、何を説明しても
自信なさげだし、……それは言っちゃいけないんだろうけど……
教育大はじめ旧帝大出の先生が居並ぶなか、東都大(仮名)出と
いうのも『大丈夫か?』ってことの中身だったんだ。
 (本当に、増田先生(仮名)、ごめんなさい)

 この時、周囲に同じ社会科の先生たちがいたんだけど、驚いた
というよりあっけに取られてた。

 でもね、増田先生はとってもやさしい先生で、落ち着きを取り
戻すと思わず笑ってたよ。

 「そうか、わかった。じゃあ、倉川君も中学の問題じゃ物足り
ないだろうから高校生の問題でも二人でやってみようか」

 ということになった。つまり、同じ問題を解きあって競争する
ことになったんだ。このあたりになると、さすがに正気を取り戻
した周囲の先生たちがにこやかに笑ってた。
 お馬鹿でしょう。信じられない馬鹿ですよね。
 (このあたり、キーボード叩いてて、今でも冷や汗です……)

 もちろん、結果は赤っ恥。今でも問題の一部は覚えてるけど、
中国史が全然出来なくて泣いた。

 でもね、増田先生は全然怒らなかったんだ。

 むしろ……
 「これからどんな風に授業を進めた方がいいのかな。君なりに
どうしたらいいか考えてるんだろう。教えてよ」
 って、協力を求められたんだ。(もちろん、真剣な話だよ)

 そこで、当時、社会科関係ではちょっとうるさ方だったY女史
やT君(ともに僕の親友にしてクラスメート)に協力を求めて、
工夫してみることにしたんだ。

 結果、先生の授業はぐんと分かりやすくなったし、何より先生
自身が明るくなったから、僕の赤っ恥もいくらか役に立ったのか
もしれない。

 『えっ!嘘みたいな話』だって……(;゜0゜)

 はははは、嘘です。(*^o^*)
 本当は増田先生が人一倍努力したからよくなったの。ぼく達は
単なるお賑やかし。

 ただね、僕もその時、実験的に教壇に立ったけど、その時思っ
たんだ。
 「授業をするってこんなに難しいんだ」
 って……
 だって、知ってることの三分の一も伝えられなかったもん。

 「お調子者の倉ちゃんも、少しはお利口さんになったかな」

 こう言って、担任の先生にあとで頭を撫でられたんだけど……
小学生時代とは違って中学生だからね、本当はそんなことされる
の嫌だったんだけど、今の立場を考えると、その手を跳ね除ける
こともできなかった。
 これが中学時代の一番辛いお仕置きだった気がするなあ~~。

 (つまらない話でごめんなさいね)

7/6 『君』・『ちゃん』・『さん』って甘えかなあ?

7/6

 楽隠居できると思ってブログ開いたのに、何かと忙しくて日記
も書けない。
 同様の悩みを抱えている人も多いみたいだけど……ブログって、
なるほど続けるって大変な事だと思いました。

 さて、いつものように昔話をひとつ。

 あれは高校生の時でしたが、大学を出て奉職したばかりの体育
の先生が、僕の名前を「倉川」って、呼び捨てで呼んだものです
から腰を抜かすほどびっくりしました。

 『えっ?教師が生徒を呼び捨てで呼んでどこがおかしいんだ。
当たり前じゃないか』
 って、多くの人はお思いかもしれませんが、僕の人生にあって
これは一大事件だったんです。

 だって、これまで、幼稚園から小学校、中学校、この高校でも
生徒の名前を呼び捨てにする教師に出会いませんでしたから。

 幼稚園や小学校は当然、中学、高校でも先生は生徒を呼ぶとき
『○○君』『○○さん』と敬称を付けて呼ぶのが普通で、生徒の
方でも、先生を呼ぶときは『○○先生、いらっしゃいますか』と
敬語を使うのが基本的な慣わしだったのです。

 それが、いきなり「倉川」ときたんで、正直、面食らいました。

 私が怪訝な顔をするので、むしろその事が不思議だったらしく、
相手も怪訝な顔になりました。

 ま、私はおとなしいたちなので、その時はそれ以上波紋が広が
らなかったのですが、この先生、点呼の時にも各生徒を呼び捨て
にしますから、これには生徒たちの間で動揺が広がります。
 (この学校では、生徒どうしでも相手の名前を呼び捨てにする
のは喧嘩する時だけなんです)


 まだこの学校に赴任してきたばかりで、この学校の事情をよく
ご存じないのだから、もう少し穏やかに対処すればよかったので
しょうが、高校生というのは血の気の多い人たちが多いものです
から、この先生、その後生徒達から吊るしあげにあってしまった
のです。

 最初は、「そんなの常識じゃないか」と言っていてた先生も…
…多勢に無勢。何より、自分の味方になってくれると思った同じ
体育の先生方からも色よい返事がきけなくて、孤立無援になって
しまったんです。

 おまけに保健の授業では重箱の隅を突くようなどうでもいい事
をねちねち質問されて、追い詰められていきます。
 ……とうとう、白旗だったみたいで、ほどなく、『君』『さん』
を付けてくれるようになりました。
 (最初、それがとてもぎこちなかったので笑ってしまったのを
覚えています)


 私はこんな学校で育ったからそう思うのかもしれません。世間
の常識には反するかもしれませんが、先生といえど生徒に対して
は一人一人に敬称を付けて呼ぶべきだと今でも思っているんです。

 『教えを請う者だから』『幼いから』というのは、私の心の中
では理由になっていません。生徒の人格を尊重するというのなら、
それは長幼の序に関わらず守るべき礼儀だと思うからです。
 仮に、『呼び捨てでなければ、教師としての権威が保てない』
などとおっしゃるむきには、『そのような力のない教師に教えを
請わなくても他を探します』とだけお答えしておきます。

 こちらも、物心ついた頃から目上の人を敬うように厳しく躾ら
れてきましたから、それなりの対応をとってきました。
 ならば、相手にも応分の礼儀、態度を求めます。
 それがぼく達の学校のルールでもありましたから……。

 そんな事情もあって、中学以降は先生とも大人の付き合い(?)
になり、子供じみた体罰はありませんでした。実生活での体罰は
小学校時代ですでに打ち止めになっていたんです。
 僕の小説に小学生がやたらと多いのは実体験がそこにしかない
から。もし、中学時代にあったら性欲がからんでもっと面白い物
が書けたと思うんですが、そこはとっても残念です。
 

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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