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第8章 愛の谷間で(1)

           << カレンのミサ曲 >>

 第8章 愛の谷間で

************<登場人物>**********
<お話の主人公>
トーマス・ブラウン<Thomas Braun>
……音楽評論家。多くの演奏会を成功させる名プロデューサー。
ラルフ・モーガン<Ralph Morgan >
……先生の助手。腕のよくない調律師でもある。
カレン・アンダーソン<Karen Anderson>
……内戦に巻き込まれて父と離ればなれになった少女。

(先生の<ブラウン>家の人たち)ウォーヴィランという山の中
の田舎町。カレニア山荘

<カレニア山荘の使用人>
ニーナ・スミス<Nina>
……先生の家の庭師。初老の婦人。とても上品
ベス<Elizabeth>
……先生の家の子守。先生から子供たちへの懲罰権を得ている。
ダニー<Denny>
……下男(?)カレニア山荘の補修や力仕事をしている。
アンナ<Anna>
……カレニア山荘で長年女中をしている。
グラハム<Graham>
……カレンの前のピアニスト

<カレニア山荘の里子たち>
リサ<Lisa >
……(2歳)まだオムツの取れない赤ちゃん。
サリー<Sally>
……(4歳)人懐っこい女の子。
パティー<Patty>
……(6歳)おとなしいよい子、寂しがり屋。
マリア<Maria >
……(8歳)品の良いお嬢さんタイプ
キャシー<Kathy>
……(10歳)他の子のお仕置きを見たがる。
アン<Andrea>(注)アンはアニー、アンナの愛称だが、先生が、
アンと呼ぶからそれが通り名に……

……(14歳)夢多き乙女。夢想癖がやや気になる。
ロベルト<Robert>または ~ロバート~
……(13歳)端整な顔立ちの少年
フレデリック<Friderick>本来、愛称はフリーデルだが、
ここではもっぱらリックで通っている。

……(11歳)やんちゃな悪戯っ子。
リチャード<Richard>たまにチャドと呼ばれることも……
……(12歳)ポエムや絵画が好きな心優しい子。

<先生たち>
ヒギンズ先生<.Higgins>
……子供たちの家庭教師。普段は穏和だが、怒ると恐い。
コールドウェル先生<Caldwell>
……音楽の先生。ピアノの他、フルートなどもこなす。
シーハン先生<Sheehan>
……子供たちの国語とギリシャ語の先生。
アンカー先生<Anker>
……絵の先生。
エッカート先生<Eckert>
……数学の先生
マルセル先生<Marcel>
……家庭科の先生

<ブラウン先生のお友達>
ラックスマン教授<Laxman>
……白髪の紳士。ロシア系。アンハルト家に身を寄せている。
ビーアマン先生<Biermann>
……獣医なので先生とは呼ばれているが、もとはカレニア山荘で
子供達のお仕置き係をしていた。今は町のカフェの店主。
アンハルト伯爵婦人
……戦争で息子を亡くした盲目の公爵婦人
フリードリヒ・フォン=ベール
……ルドルフ・フォン=ベールの弟
ホフマン博士<Hoffmann>
……時々酔っ払うが気のいい紳士

<ライバル>
ハンス=バーテン<Hans=Barten>
……アンのライバル、かなりのイケメン。
サンドラ=アモン<Sandra=Amon>
……12歳の少女ピアニスト。高い技術を持つがブラウン先生の
好みではない。

<幻のピアニスト>
セルゲイ=リヒテル(ルドルフ・フォン=ベール)
……カレンにとっては絵の先生だが、実はピアノも習っていた。

*****************************

§1 新たな目覚め

 カレンが目覚めたのは次の日の朝だった。
 野鳥のさえずりに、暖かい日の光。窓の外は少し冷えていたが、
ベッドの中は暖かい。

 カレンはその暖かさが自分のぬくもりだと気づく。
 そこはお父様の寝室。お尻がまだ少し痛かった。

 『そうか、私、お仕置きされて、お風呂に入って……』

 突然のフラッシュバック。そして、今、自分が素っ裸である事
にも気づくのだった。

 思わず毛布を自分の身体に引き寄せると……
 隣り住人が目を覚ます。

 「おう、カレン。目を覚ましましたか」

 お父様はいつもの声。
 でも、カレンはこの場から消え入りたかった。

 「どうしたの?……あっ、起きたんだ。よく寝てたね、あなた」

 隣りの隣りで寝ていたアンも目を覚ます。
 これで、一つの大きなベッドに寝ていた三人が、三人とも目を
さました。

 「カレン、大丈夫なの?あなた、昨日、お風呂場で倒れたのよ」
 アンがそう言ってまとっていた毛布を剥ぐとベッドの外へ。
 すると、彼女もまた丸裸だったのである。

 「ねえ、あなた、いつもその格好で寝てるの?」

 驚いたカレンが尋ねると……
 「違うわ。でも、昨日は、私たちお父様からのお仕置きだった
じゃない。その日の夜は純潔を示すために、お父様のベッドでは
裸で寝るのがこの家の決まりなのよ。だから、あなただって今は
何も着てないでしょう」

 「ええ、まあ……」

 「あっ、そうか、あなたは昨日お風呂場で倒れて、そのまま、
ここに運び込まれたんですもの」

 「えっ、それじゃあお医者様がみえてた時は、私、裸だったの」
 カレンは今さらながら顔を真っ赤にした。

 「そりゃそうよ。……でも、あなたその時、気がついてたの?」

 「そういうわけじゃあ、……でも、周りの雰囲気は何となく…」

 「なあんだ、あの気絶、仮病だったんだ。どうりで、お父様も
先生も何だかにやにやしてて……」

 「違うわ、仮病なんかじゃ」
 カレンは恥ずかしそうに声も小さかった。

 すると、お父様がカレンを気遣う言葉を……
 「大丈夫ですよ。今はパンツを穿いてますから……」

 「どういうことよ?」
 アンは迫ったがカレンは答えない。

 代わりにお父様が……
 「カレンは、見慣れないものを見たんでビックリしたんです。
それだけですよ」

 「見慣れないもの?」

 アンがわからないのでブラウン先生は言葉を継ぎ足す。
 「あなたには多分関係ない話です。何しろ、あなたという人は、
私とお風呂に入るとそれをよく握って遊んでましたからね。……
そんな人には何の抵抗もないんでしょうけど、世の中は、あなた
みたいな人ばかりじゃありませんからね……精細な心の持ち主も
いるわけです」

 「???」
 アンは最初それが分からなかったが、すぐにこう聞き返した。
 「ねえ、それって、私がごくごく幼い頃の話?」

 「ええ、そうですよ。今やられるとさすがに問題です」

 「ふふふふふふ。あっ、そう。そういうことかあ」
 アンは意味深に笑う。そして思いついたように……
 「ねえ、カレンってさあ、本当のお父さんとは一緒にお風呂に
入らなかったの?」
 と、尋ねた。

 「…………」
 ところが、カレンはそれには答えない。
 どう答えていいのかわからなかったのである。

 そんなカレンに代わって、またブラウン先生が答える。
 「アン、あなたもこの家を出たら分かるでしょうが、よそでは
こんなにたくさんお風呂をたてないんですよ。たとえ親子でも、
一緒にお風呂に入ることなんてないんです。私があなた方とこう
してお風呂に入るのは、日本人がやってるのを見て私が真似して
いるだけ。カレンが男性の裸を見た事がなくてもちっとも不思議
な事ではないんです」

 「へえ、お風呂って家(うち)だけの習慣なんだ」

 あんな厳しいお仕置きの翌日だと言うのにアンはいつも以上に
明るかった。そんな妹に励まされてカレンも少しずつ元気を取り
戻す。
 そんなカレンにお父様が……

 「私は子供達に隠し事を一切認めていません。身も心も、全て
をさらけ出してくれる子だけが、私の子供です。わかりますか?」

 「はい、お父様」

 「その純潔の証として、お仕置きしたあとは必ずその子を裸に
してベッドに寝かします。一晩添い寝です。あなたの場合はもう
大きくなってからここに来ましたら、それは大きなハンディだと
思いますが、あなたも私の娘である以上、我が家のしきたりには
従ってもらいます。いいですか?」

 「はい、お父様」

 緊張するカレンにアンが声をかけた。
 「大丈夫よ、カレン。お父様は何もしないから」

 「当たり前です」
 先生は気色ばんだ。

 ところが……
 「そうかなあ。幼い頃はよく抱かれた記憶があるんだけど……」
 アンが言うと、先生の頬が少し赤くなるのだ。

 「馬鹿なこと言わないでください。それは、あなたが寂しがる
から抱いてあげただけじゃないですか。おかげで、安心したのか、
翌朝はよくおねしょをしてくれましたよね」

 お父様にこう言われて、今度はアンが顔を赤らめるのだった。

**************************

 それからしばらくは平穏な日々だった。

 カレンは毎日学校へ行って授業を受け、(といっても同級生は
おらず個人授業なのだが)お父様の寝間で奏でるピアノも続けて
いる。すでに作った曲は100を越え、幼児用のピアノ曲集とし
て出版されるめどもたっていた。

 一方、アンは全国大会に向けて最終調整。練習場から、時折、
コールドウェル先生の罵声も響くが、最近はそれにも慣れてきて
『また、裸になってるのかしら』と思って通り過ぎるくらいだ。

 慣れたといえば、『お父様』にもだいぶ慣れたようで、今では
お風呂にもベッドにも一緒に入るが、もう何を見ても驚かない。
最初はぎこちなかった「お父様」という言葉も自然に出るように
なっていた。

 そんなカレンは、里子のなかでは一番の年長さんということも
あって、幼い子の面倒をみさせられることも多い。
 着替え、お風呂、食事……そして、最近ではお仕置きもカレン
の仕事になっていた。

 「だめよ、カレン、そんなに弱くちゃ。それじゃあ、撫でてる
のと同じじゃないの」
 よく、ベスに注意された。
 でも、最初は加減がわからないから、お尻を叩く手がどうして
も弱くなるのだ。

 そんなカレンは幼い子に人気があった。
 不始末をしでかした子がカレンの処へやってきては袖を引くの
である。

 「お姉ちゃん、お仕置きをお願いします」
 「あっ、ずるい。私も……」
 「えっ、私が先に来てたのよ……」
 幼い子たちにこう言われて戸惑うカレン。

 ベスに捕まる前に、カレンにやってもらって、免罪符を作って
しまおうという魂胆だった。

 そこへベスが顔を出すと蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。

 ベスは縦横共に体の大きな女性で、チビちゃんたちのお世話係
なのだが、という事は、この家では懲罰係でもあるわけで、今は
お姉さんぶっているアンでさえ、つい1、2年前まではその膝に
乗せられてお尻を叩かれていたのだった。

 「あんた、見るからにお嬢さん育ちだもんね。本当のお父さん
からは、お尻なんて叩かれたことなかったんだろう」
 ベスの大きな顔が降って来る。

 慌てたカレンは、つい……
 「そんなことありません」
 と言ってしまった。

 すると……
 「本当に?」
 再び、ベスの大きな顔が襲い掛かるのだ。

 「……」
 カレンは唾を飲み込む以外答えが浮かばなかった。

 「嘘はいけないね。……嘘をつく子がどうなるか……さっき、
あんたも見てたよね」

 そのどすの利いた声の主は、さっき、フレデリックを血祭りに
あげたばかりだ。

 「(まさか、そんな……嘘でしょう。そんなはずないわよね)」

 カレンは思ったが、事実はその『まさか』だったのである。

 「えっ!」

 カレンは、その太い腕に抱き抱えられると、テーブルのように
広いその膝にすえつけられる。
 あとは、チビちゃんたちと何ら変わらなかった。

 スカートが捲り上げられ、ショーツが下げられて、大きな手の
平がカレンのお尻に炸裂するのだ。

 「いやっ」
 カレンは最初恥ずかしさから悲鳴をあげたが……

 「パン、パン、パン、パン、パン」

 何もしないで耐えられたのは五六回。
 以降は、何とか抜け出そうと必死にならざるを得なかった。

 「パン、パン、パン、パン、パン」

 「いやあ、もう、だめえ、やめて……」
 彼女が泣き言を言い始めるのに十回も必要ではなかった。

 「あらあら、お嬢様がもうそんなはしたない声をだすのかい。
だらしないよ」
 ベスは皮肉を言うと、また、かまわずまだ叩き続ける。

 「パン、パン、パン、パン、パン」

 「いやあ、いやあ、いやあ、いやあ」
 カレンの口から気の利いた言葉が出てこない。
 足をバタつかせ、必死にベスの頚木(くびき)から抜け出そう
とするが、相手はプロ、30回が終わるまでは自由にさせてくれ
なかったのである。

 「ほら」
 まるで悪戯猫を庭に放り出すようにカレンを床の上に放り出す
と、ベスは、必死にお尻を擦りつづける少女を見ていた。

 もちろん、カレンにしても自分がベスからそうやって見られて
いることは承知していたが、お尻擦りをやめることができない。
 その時はそれほど痛かったからだ。

 「みんな、その痛みを抱えて大きくなるんだ。あんた一人が、
それを知らないなんて不幸だからね。ちょいと、お尻のほこりを
祓ってやったけど、感じたかい?」

 ベスはカレンに尋ねたが、カレンはその意味が分からず、ただ
ただお尻を擦るばかり。
 呆れたベスが再びカレンを膝の上に乗せたが、それにも彼女は
抵抗しなかった。

 「お譲ちゃん、女の子はお尻をぶたれると感じるものなのよ。
お父さんが臆病だと、娘は可哀想だね。楽しいことがみんな後回
しになっちゃって……」
 ベスは意味深な言葉を投げかけるが、カレンはまだそれを理解
する体にはなっていなかったのである。

 そんな報告をベスから聞いたブラウン先生は……
 「やはり、そうですか。ごくろうさまでした」
 と言うだけで、取り立てて表情も変えなかったが、心の中では
ニンマリ。胸をなでおろしたのだった。

********************(1)***

第7章 祭りの後に起こった諸々(4)

第7章 祭りの後に起こった諸々

§4 ブラウン家のお仕置き

 二人へのお仕置きは先生の書斎で行われた。
 書斎と言っても、ブラウン家の場合は堅苦しい場所ではない。
先生の書斎は、普段ならチビちゃんたちの遊び場にもなっている
いわばオープンスペースで、出入りは自由だった。

 ところが、今日は普段開いているはずの扉が閉っている。
 カレンにいたってはここに扉があることさえ、この時、初めて
知ったのだった。

 先生と三人で中に入ると、またびっくり。
 ヒギンズ先生は家庭教師なので普段でも家でお仕事だが、それ
だけじゃない、シーハン先生、アンカー先生、エッカート先生、
マルセル先生、コールドウェル先生まで、学校の先生方がずらり
とその場に居並んでいた。

 これにはカレンも目を白黒。
 「(学校の方は、大丈夫なのかしら?)」
 余計な心配までしたが、ブラウン先生にしてみたら、逆にその
ことが大事だったのである。

 恐る恐る部屋の中へ入ってきた二人に、コールドウェル先生と
ヒギンズ先生が近づいた。そして、コールドウェル先生がアンの、
ヒギンズ先生がカレンの衣装を解いていく。

 突然、手を触れられたカレンはお父様の視線を気にして部屋の
中を見回すと、先生はすでにソファに腰を下ろしてこちらを見て
いるから、抵抗しようとしたが、同時に、アンが素直にコールド
ウェル先生の指に従っているのを見て、それは諦めるのだった。

 ショーツ一枚。ブラさえ剥ぎ取られた二人に与えられたのは、
白い薄絹のワンピース。それを着て、まずはお父様の処へご挨拶
に行かなければならない。

 二人は、共にお父様のもとへ進み出て、そこに膝まづいたが、
カレンは最初で勝手がわからないから、常にアンの様子を見ては
それを真似たのである。

 「お父様、お仕置きをお願いします。私の心の中の悪魔が追い
出され、清き天使のこころになれますように」

 「大丈夫ですよ。試練を乗り越えれば、必ずよい子に戻れます。
そうなったら、また、一緒に遊びましょうね」

 アンの様子を見て、カレンも真似てみた。

 「お父様、お仕置きを……お願いします。私の………そのう…」
 言葉に詰まると、お父様がそれを救う。
 「私の心の中の悪魔が……」

 お父様の言葉を真似てみる。
 「私の心の中の悪魔が……」

 「追い出され……」
 「追い出され……」

 「清き天使の心に……」
 「清き天使の心に……」

 「なれますように」
 「なれますように」

 「大丈夫ですよ。美しい心は必ず取り戻せます。そうなったら、
また、一緒に遊びましょうね」

 先生の言葉はこの歳の子には幼すぎるかもしれないが、アンに
限らず山荘の子供たちは、いったんお仕置きを宣言されたなら、
どんなに幼い子でもお父様にお仕置きをお願いしなければならず、
その時は必ずお父様から『また、一緒に遊びましょうね』という
言葉が返って来るのだった。

 お父様へのご挨拶を終えたアンは、手順が分かっているから、
先に背の低い幅広のテーブルへと向う。
 後を追って、カレンも着いてきたが……
 「あなたは、ここで見てなさい。アンが終わったら、あなたも
同じことをやってもらうわ」
 アンと一緒にテーブルに乗ろうとしたカレンをヒギンズ先生が
止めたのである。

 だから、まずはアンの様子を見ていたのだが、そこでカレンは
全身に鳥肌がたつような光景を目撃するのだった。

 アンは自ら仰向けになってテーブルに寝そべると、そのあと、
自らは何もしなかった。何一つ行動を起こさなかったし表情さえ
も変えなかったのである。

 「……………………………………………………………………」

 コールドウェル先生によってアンのショーツが脱がされたかと
思うと、彼女の両足は高々と天井を向いて跳ね上げられる。

 当然、彼女の大事な処は外気に触れ、足元からなら恥ずかしい
場所が丸見えとなったが、それに驚いたのはカレンだけ。

 周囲の誰もがそれは当然のこととして受け止めていたし、その
足元へお父様がいらっしゃったこともまた当然のことだったので
ある。

 真剣な表情の先生は、まるでお医者様のようにアンの太股の中
を両方の手でさらに押し開いて観察すると、何かのお薬をそこへ
塗ってから元に戻す。

 アンがその薬が塗られた瞬間僅かに顔を歪めたのを覚えていた
カレンは『いくらか刺激のあるものだろう』ぐらい思っていたが、
自分がそれをやられた時は、たまらず姿勢を崩そうとするから、
周囲の先生たちに身体を押さえこまれてしまったほどだった。
 
 アンの観察を終えた先生は……
 「しばらく見ない間に、ずいぶん大人になりましたね」
 と言ってソファへ返っていったのである。

 その後は、浣腸。

 テーブルの上で四つん這いにされたアンのお尻へカテーテルの
管が通され、点滴用の大きなビーカーからは断続的に500㏄の
石けん水がアンの下腹へと送り込まれる。

 時間をかけてゆっくりと処置されるアン。

 彼女の顔には脂汗が浮き、下腹がごろごろと音を鳴らしている。
石けん水がお尻の穴から入ってくるたびに下腹は波打っているが、
そのことに関心をしめす先生は誰もいなかった。

 10分後、アンのお尻から出ていた細長い尻尾は抜かれる。

 たが、これで許されたわけではない。
 ふたたび仰向けに寝かされ、厳重にオムツを当てられてから、
ソファで待つお父様の処へ向う許可が出たのだった。

 「あっ……あっ……ぁぁぁ」

 突然の腹痛に、膝を突き、腰をかがめて這うようにお父様の元
へ向うアン。

 その、声にならない声はカレンの耳には乳を欲しがる赤ん坊の
ようにも聞こえたのである。

 そんな娘の両手を取って先生は……
 「あなたは、これからも、私の娘であり続けますか?」
 と尋ねる。

 「はい、お父様」
 答えはこうに決まっている。
 でも、それだけでなかった。

 「どんなことも、私の言いつけに従いますか?」
 「はい、お父様」
 脂汗を流してアンは答える。

 「もし、言いつけに背いたらどうします?」
 「どんなお仕置きでも受けます」
 アンが、思わず両方の目をしっかりとつぶる。お腹の中が今は
嵐なのだ。
 しかし、先生がそのことに同情することはなかった。

 「本当に、どんなお仕置きでも受けますか?」
 「本当です」

 「信じられませんね。あなたは前にもそう言って、同じ間違い
をしでかしたでしょう?」
 「今度は……本当です。もう悪いことはしません。……どんな
お仕置きでもうけますから……」
 アンの顔には脂汗だけではなく涙が光っていた。
 下腹を押さえて、もう必死に我慢してるのがわかる。

 でも、先生は冷徹にこう言い放つのだ。
 「どうしました?お腹が痛いのですか?……別にいいんですよ。
ここでお漏らししても……オムツは穿いてるんですから……」

 もちろん、こう言われたからといって、お父様の前で漏らす子
なんていなかった。オムツがお尻から離れてまだ数年しかたって
いないような子でもそれは同じだったのである。
 それを承知で、お父様は責め立てているのだ。

 「では、今度同じ間違いをしでかしたら、こんなお仕置きでは
足りませんよ。もっともっと厳しいお仕置きが待ってますけど、
それでいいんですね」
 「はい、お父様、アンはどんなお仕置きでも喜んで受けます」

 その瞬間、アンは全身に鳥肌をつけたまま両目を閉じて天井を
仰ぐ。
 今まさに、大洪水の一歩手前だったのである。

 「いやですか?ここで済ましてしまうのは?私は、いっこうに
構いませんよ。あなたがお漏らししたのは何度も目撃してますし、
オムツを替えたことだって何度もあるんですから。また、やって
あげますよ」

 お父様の意地悪な問いかけにアンは泣きそうになる。
 「いや、ごめんなさい。もう、だめなんです」

 苦しい息の下でうずくまるアンに先生も折れて……
 「そうですか、どうやら限界ですか。仕方ありませんね。……
行きなさい」
 やっとのことでお許しが出たのだった。

 「はい、ありがとうございます」

 健気にお礼を述べたアンだったが、その後、彼女は機敏に動い
たわけではなかった。
 下腹を押さえ、太股をしっかりと閉じた状態でよろよろと立ち
上がると、内股のまますり足で部屋を出て行ったのである。

 ちなみに、お仕置きを受ける子は、トイレを汚すという理由で
家の中のトイレを使うことが許されていなかった。
 子供達は裏庭の藪の中に身を潜めて、自分の身体の中のものを
吐き出さなければならない。
 もし、他の子が学校に行っていなければ、その姿は当然男の子
たちの目にもとまるわけで、悲劇はさらに増幅されるだろう。
 このため、女の子に対して本格的なお仕置きをする時は学校を
休ませて行うのが普通だったのである。


 アンの次はカレン。

 もちろん、カレンにとってこんな事は初めての事。アンの様子
だって衝撃的だったが、今さら逃げ隠れもできないわけで………
 カレンは果敢にアンのあとを追ったのだった。


 こうして、カレンが藪の中のトイレから戻ってくると、アンは
コーナータイムを過ごしていた。
 部屋の壁の方を向いて膝まづき、自らスカートの裾を捲り上げ
て可愛いお尻をみんなに見せびらかしている。

 この時、彼女はほっとしたに違いない。というのは、スカート
の裾を摘み上げたその手は、どんなにだるくなっても決して下ろ
してはいけなかったから。
 アンの両手はプルプルと振るえ、もう限界だったのである。

 「カレン、おトイレは終わったの?」
 部屋に戻るなりヒギンズ先生が尋ねる。

 「はい」
 そう答えたら次は二度目の浣腸を受けなければならなかった。

 これはお仕置きというのではない。腸の中に残る浣腸液を真水
で洗い流すだけ。
 これが終わって、次はいよいよ今回のお仕置きのメイン、お尻
への鞭打ちとなるのだが、その前に……

 「アン、カレン、二人とも、もう体だけは純粋に子供じゃない
が、今回は子供じみたことをしてお仕置きを受けるわけだから、
お臍の下の飾りは下ろしなさい。お互い、相手の飾りを下ろして
あげて、子供の体になってからお仕置きを受けるんだ」

 「はい、お父様」
 「はい、お父様」

 ブラウン先生のこんな注文にも、二人が逆らえるはずはなく、
アンとカレンはさっき浣腸されたテーブルでお互いの陰毛を綺麗
に剃り落としてから、少し高さのある鞭打ち用のテーブルに身体
を投げ出したのだった。

 「……………………」
 「……………………」

 二人はお父様の前でそれぞれ別のテーブルにうつ伏せになって
お尻を出している。

 処置したのは、やはりコールドウェル先生とヒギンズ先生。

 ワンピースの裾はすでに捲り上げられ、腰の辺りでピン留めさ
れているから落ちる心配はないし、ショーツも穿いてないから、
満月が二つ、お父様の前にあったのである。

 お父様はトォーズと呼ばれる、先が二つに割れた幅広革ベルト
のようなものを手にしている。
 ブラウン家で女の子がお尻に鞭を受ける時は大抵これだったの
である。

 「カレン、あなたはこれからも私をお父様として慕ってくれま
すか?」
 「はい、お父様。これからもお慕いします」

 最初のご挨拶のとき、浣腸のさなか、そしてこんな恥ずかしい
格好でいるときも、ブラウン氏は常にこう尋ねるのだった。

 そして、その返事は即座に求められた。
 もし、一瞬でも返事が遅れるようなら、子供達にはたっぷりと
考える時間が与えられることになる。

 その間、鞭は飛んでこないが、罰も終わらない。

 『私はお父様を心から愛しています。お父様のお言いつけには
すべて従います。従わなければどんな罰でも受けます』

 子供たちはお父様が期待するこの言葉をお仕置きの間何度でも
口にしなければならない。とりわけ、十歳を数年過ぎる頃からは、
ただ棒読みではお父様に認めてもらえなかった。心をこめた真剣
な態度が求められたのである。
 そして、それが認められてはじめて……

 「ピシッ」

 その鞭はお尻に炸裂するのだった。

 「ありがとうございます。お父様」

 カレンはお礼を言う。
 脳天まで電気が走るような厳しい痛みを与えた人にお礼を言う
なんて不自然に感じられるかもしれないが、それがお父様に対す
る子供たちの愛の証だったからさぼることは許されなかったので
ある。

 そして、お父様も最初の一撃のあとは小声で……
 「ありがとう」
 と娘に返すのだった。

 こうして、カレンへの最初の一撃が終わると、ブラウン先生は
お隣の満月へとやってくる。

 ここでも、やることは同じだった。

 「アン、あなたはこれからも私をお父様として慕ってくれます
か?」
 「はい、お父様。これからもお慕いします」

 そして……
 「ピシッ」
 その鞭はお尻に炸裂する。

 「ありがとうございます。お父様」

 そして、最後に……
 「ありがとう。私の愛をようく噛み締めて次を待っていなさい」

 「はい、お父様」

 ブラウン先生はアンの声に送られて、またカレンの満月へ戻る。
 そこには、先ほどつけた赤みがまだ完全には消えきらずに残っ
ていた。

 「カレン、これからは私の言いつけに何でも従いますか?」
 「はい、お父様、これからはどんなお言いつけにも従います」

 「ピシッ」

 「ありがとうございます。お父様」

 「ありがとう。カレン、君は優しい子だ。私の愛をしっかりと
噛み締めて次を待っていなさい」

 と、まあこんな調子で、二人への鞭打ちは続いていくのである。

 「お父様をお慕いします」
 「これからはどんなお言いつけにも従います」
 「お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 だいたいこの三つ誓いをワンサイクルとして……三セットか、
四セット。場合によっては、六セット、七セットと増えることも
あった。

 この時は、五セット。計十五回、二人はお尻を叩かれた。

 許されたときは、二人ともお尻りは真っ赤、僅かに血が滲んで
いる。泣きたいと思ったわけではなかったが、終わった時は自然
に涙がこぼれていた。


 役目を終えたブラウン先生は、一足早くソファに腰を下ろして
いたが、そこへ二人はお礼のご挨拶にやってくる。

 「今日は、お仕置きありがとうございました。必ず、いい子に
なります」
 こう言って女の子たちは挨拶するわけだが、ここでもまた……

 「カレン、アン、これからもあなたたちは私を慕い続けてくれ
ますか?」
 「はい、お父様をお慕いします」
 「はい、お父様をお慕いします」

 「カレン、アン、これからは私のどんな言いつけも守りますか?」
 「はい、これからはどんなお言いつけにも従います」
 「はい、これからはどんなお言いつけにも従います」

 「カレン、アン、もし、言いつけに背いたらどんな罰でも受け
ますか?」
 「はい、お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」
 「はい、お言いつけに背いたらどんな罰でも受けます」

 二人は今まで散々言わされてきたことをここでも繰り返さなけ
けばならない。もちろん……
 『もう、いいでしょう。散々言ってきたじゃないですか!』
 とは言えなかった。

 「よろしい、二人とも良い子に戻りましたね。これからも私が
あなたたちのお父さんですよ。よろしいですね」

 「はい、お父様」
 「はい、お父様」

 こうして、痛くて、恥ずかしい罰は終了したのだが、とりわけ
カレンにとっては、このあとまだ、ちょっぴり辛いお仕置きが待
っていたのである。

 「では、お風呂にはいりましょうか」

 二人は、お仕置きも終わったことだし、それぞれ部屋に戻って、
真っ赤に熟れた自分のお尻を思い思いにお手入れしたいところだ
ろうが、ブラウン家ではそれはできなかった。

 お仕置きを受けた子供たちはお父様からお風呂に入れてもらう
のが習慣だったからだ。

 この時、ブラウン先生は……
 『自分の預かった子供の身体を知っておくのは親の役目』
 とばかり、二人の服を自ら服をぬがせ、子供たちの体を隅から
隅まで観察する。
 親子でお風呂に入ることも、年齢に関係なく特別なことではな
かったのである。

 もちろん、カレンはこの時、断りたかった。
 でも、今の今、お仕置きされた身、断りにくかったのである。

 アンと一緒に自分の身体がお父様によって調べられる。
 全裸にされ、恥ずかしい処も全部見られ、触られたりもする。
 でも、それは問題ではなかったのである。

 問題はお風呂に入ってから……

 「…………」

 アンのお尻を優しく撫でているブラウン先生を見ながら……
カレンは気が遠くなっていく。

 「おい、カレン、どうした!」
 先生の声が微かに聞こえるが、どうしようもない。

 『湯あたり?』
 いや、そうではない。

 幼い頃からブラウン先生と一緒にお風呂に入っていたアンとは
違い、カレンは、これまで一度も成人男性の生殖器というものを
見たことがなかったのである。

 『あんな不気味なものが人間に生えているなんて……』

 もちろん、子どものものは数回見たことがあったが、あんなに
立派なものを見たのは今回が初めて……
 卒倒するには十分な理由があったのだった。

********************(4)***

第7章 祭りの後に起こった諸々(2)

第7章 祭りの後に起こった諸々

§2 伯爵夫人の憂鬱

 二人は屈強な男数人に取り囲まれると、そのまま店の外へ。
 そして、待たせてあった大きなリムジンへ。
 車内は小娘二人が乗り込むには十分すぎる広さだった。

 「ねえ、私たちどうなるの?」
 不安になったカレンがアンに耳打ちすると……
 それに答えたのは助手席に乗っていた女性だった。

 「心配はいりませんよ。すぐに帰れます。ただ、二つ三つ私の
主人があなた方にお話をお聞きしたいだけです。……ところで、
あなた方、ご姉妹(きょうだい)かしら?」

 「ええ、まあ……」
 歯切れの悪い答え。お互い血の繋がりのない里子同士だからだ。
しかし、あえて否定する必要もないだろうと、カレンは考えたの
だった。

 「私はカレンと言います」

 「カフェでピアノを弾いてたのは?」

 「私です。……彼女はアンドレア。ピアノは彼女の方が上手く
て、今度全国大会に出るんです」

 「そうなの……」気のない返事のあと、彼女は次の質問をする。

 「それで、お父様のお名前は?」

 「トーマス・ブラウンといいます」

 「ああ、カレニア山荘の……それで納得したわ。私は伯爵家で
秘書をしているモニカ=シーリングというの。よろしくね」
 その女性は四十代半ばだろうか、サングラスを取って後ろを振
り向くと、肩まで垂らした長い髪に知的な顔がのぞく。
 キャリアウーマンタイプの美人だ。

 それにしても……
 『もし、話を聞くだけなら、あの店でもよさそうなのに………
だいいち、あの青年はどうしてあんなに高圧的なの?……私たち、
何か悪いことした?』
 カレンの頭の中に色んな疑問が錯綜するのだ。

 本当はそれをアンにぶつけたかったが、今の今、助手席のモニ
カに答えられてしまったから、それもしにくかった。

 そんなもやもやしたものを乗せながらも、車だけが制限速度を
越えて田舎道を疾走する。

 『私たち、拉致されたのかしら?』
 素朴な疑問がカレンの心から離れなかった。

**************************

 一時間ほどかけてたどり着いた先は、その大きさといい豪華さ
といいまさに『宮殿』と呼ぶにふさわしい建物だった。
 リムジンは敷地内に入って徐行し始めたが、それはフランス式
の大庭園を二人に見せ付けるために、わざとそうしているように
さえ思えたのだ。

 「すごいね、ここ」

 カレンが思わず感嘆の声をあげると、ここでアンが車に乗って
から初めて口を開く。
 「当たり前よ。だってここはアンハルト伯爵家のお屋敷だもの」

 「アンハルト?」

 「そう、私たちの昔の御領主様よ」

 『そうか、それであの人、あんなに高圧的な態度だったのか』
 カレンの頭の中にあった謎の一つが解けた。

 市民社会になって百年が過ぎた今でもヨーロッパではかつての
所領に隠然たる勢力を残す貴族が少なくない。店の人たちやアン
が怒ったような顔をしていても、容易に口を開こうとしない理由
がそこにあった。

 『身分が違う』からなのだ。

 そんな少女たちがもとより正面玄関から建物の中へ入れるはず
もなく、リムジンは建物の裏へと回って行く。
 二人は正面玄関に比べればはるかに小さな入り口を案内された
わけだが、それでもカレニア山荘の入り口から比べればはるかに
立派な造りだった。

 「ここで待っててね」
 モニカが一緒に下りて二人のために待合の部屋を案内する。
 そこは十畳ほどの小部屋だったが、リムジンの座席に比べたら
はるかに居心地がよかった。

 というのも、ここには誰もいないからだ。
 モニカが部屋を去ると、それまで口を閉じていたアンが口火を
きる。

 「まずいよ。カレン。こんなことお父様に知れたら、私たち、
ただじゃすまないわ」

 「ただじゃすまないってどういうこよ?……お父様が私たちを
お仕置きするとでも言うつもり」

 「やるわ、この流れなら……絶対」

 「まさか、お父様ってそんな理性のない方じゃないわ」
 カレンはアンが深刻がっているのが理解できなかった。彼女に
してみたら、いつも紳士的なあのブラウン先生が、こんなことで
子供をお仕置きするなんて信じられなかったのである。

 「あなたにお父様の何が分かるのよ。ついさっき、私たちの処
へ来たくせに……」
 アンの声が大きくなる。

 「だって、仕方ないでしょう。私たちが悪いわけじゃないもの。
無理やりこんな処へ連れてこられて……むしろ、私たちってさあ、
被害者じゃないの。どうして、お父様が怒るのよ」

 カレンはアンのうろたえぶりを不思議な顔で見ているが、アン
にしてみると……

 「まったく、もう……あなたは何もわかってないわ」
 となる。

 カレンの言うことは確かに一般的には正論なのかもしれない。
しかし、世の中、正論が必ず通るとは限らない。アンは地元の子、
この問題が必ずしも理屈通りにはいかない現実を肌で知っていた
のである。

 「いいこと、確かにこの伯爵家はもとは私たちの領主様だった。
いえ、今でもこの通り大金持ちよ。……でも、第二次大戦の時、
先代はナチに協力した人だったの。国を売った人だったの。……
そのため町では多くの人たちが捕らえられ、処刑されたの。……
そのわだかまりは今でも残ってるから、伯爵家に関わりを持つ事
には慎重でなければならないのよ。特に私たちのように町の人達
から支えられてる音楽家はなおさらなの」

 「………………」
 カレンはアンの大演説に口を閉ざす。
 彼女にしてみれば、この時、伯爵家の持つ特殊な事情を初めて
知らされたわけだが、だからと言って、今の今どうしようもない
のもまた現実だったのである。

 しばらく時間をおいてからカレンが口を開く。
 「だからって、どうするのよ。あの時、逃げればよかった?」
大声をださなきゃいけなかった?今から、ここを逃げ出すの?」

 カレンに叱られるように言われると……
 「………………」
 今度はアンの方が口を噤(つぐ)むよりなる。

 そんな二人の部屋にノックが響いた。

***************************

 「どうぞ……」

 恐る恐る応じたカレンの言葉に従ってドアノブが回りだす。

 入ってきたのは、さきほどカフェで老婆を介助していた青年だ
った。
 「遅くなって申し訳ない。お待たせしたかな」

 穏やかな笑顔にアンが即座に反応して起立する。
 「いいえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 カレンはソファに座ったまま目を丸くした。普段横着なアンの
こんな姿を初めて見てビックリしたのである。

 「どうぞ掛けてください。先ほどは失礼しました。母が迷惑を
かけてしまった。……僕の名前はフリードリヒ・フォン=ベール。
ご存知ですか?」

 「はい、お名前だけですけど……」

 いつも横柄なアンの緊張した姿。一方の伯爵は余裕の笑顔だ。
 そのせいもあるだろうか。あらためて見るこの男性はカフェで
見た時よりずっと凛々しく見えた。

 「君たちは、ブラウン先生の処のお子さんなんだってね。……
どうりでピアノがお上手なわけだ」
 伯爵も対面するソファに腰を下ろす。駱駝革の肘あてがついた
カシミアセーターをさらりと着こなしている。

 「私は弾いてませんけど、……カレンが何か失礼なことをした
みたいで……」
 アンの言葉に伯爵は初めてカレンの方を向く。

 「そうだ、君だ、君が弾いていたよね。あの曲は誰に習ったの?」

 「誰に……」
 そう言われてカレンは言葉に詰まった。

 あの曲はアフリカ時代、セルゲイじいさんの膝の上で、適当に、
それこそ適当に、ピアノを叩いていたら出来上がってしまった曲
なのだ。

 おじさんが『ここを叩いて』とか『こう、弾きなさい』などと
言って教えたことは一度もない。おじさんはカレンの気まぐれな
ピアノをいつも「上手い、上手い」としか言わなかったし、その
大きな手はカレンの小さな手を包み込んではいたものの、どんな
操作もしなかった。

 だから、彼女はこれまで、『この曲は、自分が作った曲だ』と
ばかり思っていたのだ。
 ところが、その自信が老婆の出現で、今、微かに揺らいでいる。

 そんなカレンの心底を知ってか知らずか伯爵はこう語りかけた。

 「そう、誰かに教わったわけでもないんだ。君の作曲なんだね。
じゃあ、偶然、似たメロディーだったのかもしれないな。………
実はね、君の弾いた曲とよく似た曲を、昔、兄が弾いてたものだ
から……」

 「お兄さま」
 カレンはつぶやく。

 「ほら、そこに写真があるだろう。先の大戦で行方不明なんだ。
おそらく亡くなっているだろうけど、母だけはまだ信じられない
みたいで…………今日は、偶然、君の曲に出会って、取り乱して
しまったというわけさ」

 伯爵の見上げる壁に青年の凛々しい写真が掲げられていた。

 「(あれが……)」
 カレンはその美青年と自分の知るセルゲイじいさんとを頭の中
で重ねてみた。

 しかし、結果は……
 「(それって、やっぱり人違いよ……)」
 目がくぼみ、頬がこけ、頭はぼさぼさで、無精ひげが伸び放題。
そんなむさいおじさんが、昔、こんなにダンディーだったなんて、
カレンには信じられなかったのである。

 「君のピアノは誰に習ったんだい?」

 「父に習いましたけど、でも、父もピアノは我流だったんです」

 「ブラウン先生が?」

 驚く伯爵にカレンは慌てて打ち消す。

 「いえ、違います。私の父は別にいます。先生の処へ来たのは、
ごく最近なんです」

 「あっ、そうか、あそこはたくさん里子を預かってるらしいね。
君もそのひとりなんだ」

 「はい」

 「どうだろう、よかったら、もう一度あの曲を弾いてくれない
かなあ」

 「ここで……ですか?」

 「そうだよ。母の前で弾いてほしいんだ」

 「お母さまの前で!」
 カレンの心に小さな衝撃が走る。
 あの時の映像がフラッシュバックしたのだ。

 「目が見えない母にとって、兄の残した曲は唯一の慰めなんだ。
普段は僕が兄のタッチに似せて弾いてみるんだけど、母はため息
をつくばかりでね。なまじ目が不自由だから音には敏感なんだよ。
僕のピアノじゃ『全然違う』と言ってそっぽを向く始末さ。それが、
今日の出来事だろう。びっくりしたよ」

 「………………」
 カレンは考えていた。
 その考えているカレンの袖をアンが引く。
 「だめよ、カレン……」
 アンはカレンの耳元でささやくが……

 「やってみます」
 何と、考えた末に出た結論は、伯爵の願いに応えるという返事
だったのである。

 「その代わり、一回だけにしてください。私たち、夕食までに
家に帰らなければならないので……」

 「わかった。助かるよ」

 こうして、カレンは伯爵とピアノの約束を交わしたのだが……
伯爵が部屋を去った後、アンが噛み付く。

 「あなた、なんてことしてくれたのよ。私、知らないからね。
こんなこと、お父様に知れたら、私たち殺されるわ」

 「オーバーね、殺されるだなんて。どうしてよ、いいじゃない。
ピアノを弾くくらいで、何でそんなことになるのよ」
 カレンは呆れ顔だ。

 「だって悪い事をしようとしてるんじゃないもの。それであの
お婆さんの気が晴れるなら人助けでしょう。良いことをしてるん
じゃなくて」

 「あのねえ……」
 アンは事態を把握できないカレンがもどかしかった。

 「それに、私、思ったの。……あのお婆さんにしても、伯爵様
にしても悪い人じゃないって……だって、伯爵様、偉ぶった様子
もなくて普通に私たちとお話ししてくださったもの」

 「…………」
 アンはため息を一つ。あとはもう諦めるしかなかった。

 10分ほどして、この屋敷の女中が二人を呼びに来る。
 そのあとを着いて行くと……

 『すっ……すごい……これがピアノ室?…うちの居間より断然
広いじゃないの』
 『さすが伯爵様ね。ピアノを弾くためだけにこんな豪華な部屋
を作っちゃうんだもの』

 足元の厚い絨毯や大きな窓を仕切るカーテン、伯爵様が座って
いるソファや高い天井までも届くような書棚、磁器の香炉や銀の
シガーケース、身の丈サイズの花瓶などなど、この部屋にまつわ
る数々の調度品の真の価値が庶民の二人に分かろうはずがない。
 しかし、それがブラウン先生の持ち物よりはるかに高価なもの
だという事だけは理解できたのである

 「カレン、いつでも、君のタイミングで始めていいからね」

 伯爵様にそう言われてピアノの前に座ったカレンだったが……

 『ピアノが遠いわ』

 そう思ったから椅子を引いた。しかし……

 『まだ遠いわ』

 そこでまた椅子を引く。でも……

 『おかしいなあ、まだ遠い』
 そう思って再度椅子を引くと……

 『えっ!?』
 今度は近すぎてお腹が白鍵に当たっている。
 仕方なく適当な処で我慢して、いざ弾こうとすると今度は……

 『え、ええ、ええっ……』
 鍵盤が霞んで見えてしまうのだ。

 こんな事は初めてだった。

 「(わたし、どうしちゃったのかしら)」

 カレンはうろたえたが、理由は簡単なこと。
 彼女はあがっていたのである。

 今までプレッシャーの掛からない処でばかり弾いてきたカレン
が初めて踏む舞台だ。あがらない方が不思議だった。

 「(とにかく、わたし、弾かなくちゃ)」

 そう思ってカレンはピアノを弾き始めた。
 それはいつも弾いている曲。メロディーラインなど間違えよう
がない。
 ところが、そんな曲なのにカレンは音を外してしまう。
 頭がかぁっと熱くなった。

 当然、そんな曲に感動する者などいない。
 伯爵もそのお母さまも、露骨に嫌な顔などしないが、がっかり
だったに違いなかった。

 一曲弾き終え……
 「(もう逃げ出したい)」
 カレンは思った。

 と、そんな思いが通じたのだろうか、ノックがして、執事さん
らしき人が部屋に入って来ると、伯爵に耳打ちする。

 すると、伯爵は……
 「お父様がみえたよ。でも、君達はもう少しここにいてね」
 そう言い残して部屋を出て行ったのである。

***************************

 静かになった部屋だったが、ほどなく残された人が動き出す。
若い二人ではない。目の見えない老婆がソファを立った。

 よろよろと歩き出す彼女の身に危険を感じたアンが思わず手を
差し伸べると……
 「あなたがカレン?」
 と尋ねるから……

 「いいえ、私はアンです」
 と答えると……

 「カレンさんの処へ行きたいの。連れて行って」
 と、頼まれたのだった。

 もちろん、どんな大きな部屋だといっても、それは静かな部屋
の中での出来事。老婆の声はカレンにも届いていた。

 緊張して待っていると……
 「あなたがカレンさんね」

 老婆はカレンの肩につかまり、彼女の身体を手探りで確認する。
 鍵盤の上に取り残されたカレンの手に触れると、皺くちゃな手
をその上に乗せてそっと包み込む。

 「弾いてごらんなさい」

 老婆に命じられ、手のひらの中で鳴らすピアノ。

 『何年ぶりだろう?』

 優しい音がカレンの耳に戻った。
 カレンのピアノの原点が戻ったのだ。

 「この音ね。あなたがカフェで弾いていたのは……」
 カレンが見上げる夫人の顔は、目を閉じたままでも満足そうに
見える。
 彼女は何度もうなづき、どこまでもカレンの手の感触とともに
ピアノの音を楽しむのだった。


*******************(2)****

第7章 祭りの後に起こった諸々(1)


        <<カレンのミサ曲>>

第7章 祭りの後に起こった諸々

************<登場人物>**********
(お話の主人公)
トーマス・ブラウン<Thomas Braun>
……音楽評論家。多くの演奏会を成功させる名プロデューサー。
ラルフ・モーガン<Ralph Morgan >
……先生の助手。腕のよくない調律師でもある。
カレン・アンダーソン<Karen Anderson>
……内戦に巻き込まれて父と離ればなれになった少女。

(先生の<ブラウン>家の人たち)ウォーヴィランという山の中
の田舎町。カレニア山荘

<使用人>
ニーナ・スミス<Nina>
……先生の家の庭師。初老の婦人。とても上品
ベス<Elizabeth>
……先生の家の子守。先生から子供たちへの懲罰権を得ている。
ダニー<Denny>
……下男(?)カレニア山荘の補修や力仕事をしている。
アンナ<Anna>
……カレニア山荘で長年女中をしている。
グラハム<Graham>
……カレンの前のピアニスト

<カレニア山荘の里子たち>
リサ<Lisa >
……(2歳)まだオムツの取れない赤ちゃん。
サリー<Sally>
……(4歳)人懐っこい女の子。
パティー<Patty>
……(6歳)おとなしいよい子、寂しがり屋。
マリア<Maria >
……(8歳)品の良いお嬢さんタイプ
キャシー<Kathy>
……(10歳)他の子のお仕置きを見たがる。
アン<Andrea>
……(14歳)夢多き乙女。夢想癖がやや気になる。
ロベルト<Robert>
……(13歳)端整な顔立ちの少年
フレデリック<Friderick>
……(11歳)やんちゃな悪戯っ子。
リチャード<Richard>
……(12歳)ポエムや絵画が好きな心優しい子。

<先生たち>
ヒギンズ先生<.Higgins>
……子供たちの家庭教師。普段は穏和だが、怒ると恐い。
コールドウェル先生<Caldwell>
……音楽の先生。ピアノの他、フルートなどもこなす。
シーハン先生<Sheehan>
……子供たちの国語とギリシャ語の先生。
アンカー先生<Anker>
……絵の先生。
エッカート先生<Eckert>
……数学の先生
マルセル先生<Marcel>
……家庭科の先生

<先生のお友達>
ラックスマン教授<Laxman>
……白髪の紳士。ロシア系。
ビーアマン先生<Biermann>
……獣医なので先生とは呼ばれているが、もとはカレニア山荘で
子供達のお仕置き係をしていた。今は町のカフェの店主。
アンハルト伯爵婦人
……戦争で息子を亡くした盲目の公爵婦人
ホフマン博士<Hoffmann>
……時々酔っ払うが気のいい紳士

<ライバル>
ハンス=バーテン<Hans=Barten>
……アンのライバル、かなりのイケメン。
サンドラ=アモン<Sandra=Amon>
……12歳の少女ピアニスト。高い技術を持つがブラウン先生の
好みではない。

<幻のピアニスト>
セルゲイ=リヒテル(ルドルフ・フォン=ベール(?))
……カレンにとっては絵の先生だが、実はピアノも習っていた。

*****************************

第7章 祭りの後に起こった諸々

§1 楽しい休日の暗転

 リチャードの詩を何度読んでも、カレンには曲ができなかった。
そこで実際に村のあちこちも歩いてみた。

 この村はあの詩の通りだ。
 若草色の山々に紫色の厚い雲がわき、そこから地面に向かって
差し込む光の帯は、たとえそこから天使が降りてきても驚かない
ほどに神々しい。
 森に住む動物たち植物たち、そのすべてが神からの賜り物だと
カレンは思った。
 きっとお祭りの当日は、数多くの花火が上がって山々に村々に
雷鳴を轟かすことだろう。それは神からの賜りものであり、村人
全員の感謝のしるしでもあるはずだ。

 子供の詩だから中身は単純、詩の意味は分かっている。
 でも、メロディーは浮かばなかった。

 彼女が生まれ育ったアフリカは赤い土と砂嵐の国。緑は僅かに
オアシスの町に申し訳程度にあるだけ。
 人々は高い塀を巡らして砂嵐を避けながら囲い込んだ緑を必死
に守って暮らしている。
 こんな豊かな大自然の歌などカレンにはできそうになかった。

 ところが、曲を作り始めて三日目の朝、彼女はあることを思い
出すのである。

 『リヒテル先生からもらった絵があったわ』

 カレンはサー・アランの屋敷から送られてきたばかりのピアノ
の一部を剥ぎ取る。
 そこにはリヒテル先生が故郷を偲んで書いたという板絵が貼り
付けてあったのだ。

 動乱の故国から脱出する時、いくつも荷物を作ることができな
いから、苦肉の策でアップライトのピアノに貼り付けた絵だ。
 逆に言うと、それほど大切な絵だったのである。

 若草色の森と霞む山々。沸騰したように湧き出す厚い雲と深み
のある青い空。手前に描かれた可憐な白百合との対比が美しい絵
だ。

 『これをむこうで見ていた時は、こんなのおとぎ話だと思って
みていたけど、この絵って、ここの風景に似ているわ』
 カレンは思った。

 そして、リヒテル先生との楽しかった思い出を、あれこれ想像
しながらいくつもの曲を作ったのである。

 七つ、八つ、簡単なメロディーラインだけを書いて先生の処へ
持っていくと、あとは先生の方で選んでくれて、こまかな作業は
全部先生がやってくれたのだった。

 「ん~~いいできです。やっぱり、あなたに頼んでよかった」

 こう言われると、カレンは肩の荷がおりる思いがしたのである。

**************************

 村のお祭りは、仮装行列が村じゅうを練り歩いたり、重い砂袋
を持ち上げる重量挙げや棒倒しのような男たちの競技があったり、
女たちが開くバザーのお店があったり、幼児達が王子様やお姫様
に扮して寸劇を披露したりと、学校の運動会と文化祭がごっちゃ
になったような催しで終日賑わったが、その間、入れ替わり立ち
代り楽器演奏を披露したのはカレニア山荘の子供たちだった。

 もちろん、村を讃える歌は山荘の人たち全員、つまり、大人も
子供もブラウン先生も混じって合唱した。
 もちろん、口パクの人もいたし音程を外す人もいたが、そんな
のはここではご愛嬌だったのである。

 そんなお祭りはもちろん誰にとっても楽しかったが、楽しい事
の後は、当然、疲れがやってくるわけで、とりわけ大人たちは、
次の日は休養をとるのが習慣になっていた。

 だから、学校も仕事もその日はお休み。
 ただ、若ければそれも心配ないわけで……

 「いいよ、カレンが一緒なら行っておいで……」

 眠そうなお父様からアンは外出の許可をもらう。
 せっかくのお休みも、家でゴロゴロするだけじゃもったいない
し、ピアノの練習も気乗りがしなかった。

 『この日は息抜き』と二人は村のお祭りの前から決めていたの
だった。

 「『太陽がいっぱい』っていう映画が町に来てるのよ。主演の
アラン・ドロンがかっこいいんだから……」
 アンはそういってカレンを誘ったのだ。

 ルートはいつも通り。馬車で山を降りて、駐車場となっている
農家の庭先からはタクシーに乗る。

 そうやって、町の古ぼけた映画館で映画を観るわけだが、この
映画だって封切りというわけではなかった。二年も前に公開され
た昔の映画だ。
 しかし、娯楽の少ないこの地方の少女たちにとってはこれでも
十分な娯楽だったのである。

 「よかったわね」
 「よかったわ。今年一番の感激よ」

 二人は映画を観終わって感激を分かち合ったが、感激したもの
はお互いに違っていたのである。
 カレンにとって、この映画はアラン・ドロンの映画であり、彼
の裸の肉体が脳裏から離れない。
 一方、アンはというと、ニーノ・ロータ(Nino Rota)の切ない
音楽が耳から離れなかった。

 「ねえ、お腹すいたわ。カフェでお食事しない」
 アンが提案すると、カレンが不安そうにしているから……
 「あなた、お父様からいくらもらったの?」
 アンはカレンの財布を覗き込む。

 「なんだ、まだこんなにあるじゃない。大丈夫。これだけあれ
ば夕食だって食べられるわ。ホテルにだって泊まれそうじゃない。
あなた、よほどお父様から信頼されてるのね。私、こんなにお小
遣いもらったことないわよ」

 二人は街角のカフェに入った。
 目の前に美しい町の公園が広がって、まるでこの店がこの公園
を所有出てるように見える。
 お昼も、もうだいぶ過ぎていたが、店内はそこそこのお客さん
でにぎわっていた。

 そこで、二人はサンドイッチとココアを注文して昼食。
 映画館で買ったパンフレットを見ていた。

 すると、誰かが声をかけた。

 「アンドレアお嬢様、ごきげんよう」

 アンがその声に驚いて見つめる先には、ロマンスグレーの中年
紳士が立っている。
 「おじさん!?……わあ、見違えたわ。カッコいいじゃない。
……ってことはまさか……」

 「そのまさか。先月からここの支配人まかされちゃったんだ」

 「じゃあ、子供達のピアノ教室は?」

 「それも続けてる。掛け持ちなんだ」

 その顔にはカレンも見覚えがあった。
 『たしか、この人は……ビーアマン先生』

 アンのコンクールの日、お父様に紹介された中に彼の顔もあっ
たのをカレンは思い出したのだ。

 「おう、これはこれは、眠り薬のカレン嬢もご同席ですね」

 「こんにちわ」

 カレンは眠り薬云々を言われることには抵抗があったが儀礼的
に挨拶する。
 すると……

 「今日はいつも頼んでるピアノ弾きが風邪を引いて休んでてね。
アン、1時間だけその穴を埋めてくれないかなあ。お礼はするよ」

 ビーアマン先生は、通りに面したガラス張りの部屋に客寄せで
置いていた白いピアノへ視線を投げかけるのだが、アンはにべも
ない。

 「おあいにく様、私達、今日は休暇できてるの。仕事でピアノ
を弾くなんてまっぴらよ。それに、企業秘密もあるから他所では
ピアノを弾かないようにってコールドウェル先生にも釘をさされ
てるし……」

 「つれないなあ」

 「ピアノ教室はまだやってるんでしょう。教室のチビちゃん達
にでも弾かせれば?」

 「それが、今日は学校の遠足でね、ここには来てないんだ」

 「じゃあ仕方ないじゃない。諦めるのね。だいいち、こうして
ピアノの流れない日があってもいいじゃないの。静かでいいわ。
私なんて下手なピアノを聴かされるより、こっちの方がよっぽど
落ち着くわよ」

 「そりゃあ、君はそうだろうけど……ここはピアノの生演奏が
売りのカフェだからね。……」
 ビーアマン先生はそこまで言って、ふっと気がついた。

 「そうだ、カレン、君、コンクールは関係ないだろう。弾いて
くれないか?」

 「えっ!?私が……」
 カレンは驚いたが……

 「やめた方がいいわ。カフェのピアノなんて………お父様は、
こんな処でピアノを弾くのを喜ばないわ」
 アンが止めたのだ。

 「こんな処はないだろう。……今だって、こうして食事をして
るじゃないか」

 「今はお昼だからよ。……だって、夜はここ、酔っ払いの天国
だもん。こんな処でピアノなんて弾いてたらお父様から大目玉よ」

 「ねえ、アン、あなた言葉が過ぎるわよ。おじさまに向かって」
 カレンがアンの耳元でささやく。彼女はアンがビーアマン先生
に対してあまりにも馴れ馴れしいのが気になっていたのだ。

 すると、アンが怪訝な顔をするので……
 「ねえ、ビーアマン先生って、何の先生なの?」
 と尋ねるもんだから、今度はアンが笑い出した。

 「いやだ、知らなかったの。おじさんは、三年前まではうちで
働いてたの。もともとは獣医さんよ。だから、いちおう先生って
呼ぶんだけど……やってたのは動物じゃなくて、子供たちの世話。
それもお父様に命じられてのお仕置きの世話だったわ。そりゃあ
私たちにしてみたら怖い人なんだけどね、どっか気安いのよ」

 「ねえ、アン。あなたはお父様からお仕置きなんてされたこと
あるの?」

 「当たり前じゃない。男の子、女の子に関わらず、お父様から
ぶたれたことのない子なんてカレニア山荘には誰もいないわよ。
そんな時がビーアマン先生の出番なの。彼から私たちお浣………
ま、いいわ。……それは……」
 アンは思わず口を滑らせた自分を恥じる。

 「ねえ、アン、私、あのピアノ弾いちゃダメかなあ」

 「えっ、あなた弾きたいの?」

 「今日観てきた映画のBGM。あれが弾いてみたくなったの」

 「ふうん、そりゃあいいけど…でも、あまり長い時間はだめよ。
……ここ、夕方になると酔っ払いとか来るから……」

 「じゃあ、君が弾いてくれるのかい?」

 ビーアマン先生は大喜び。
 こうして、カレンのミニリサイタルが開幕したのだった。

****************************

 やがてニーノ・ロータ(Nino Rota)の哀愁を帯びたメロディー
がカフェの店内に響く。

 その時、客席に何か変化があったわけではなかった。
 コーヒーを飲む人、タバコを吸う人、おしゃべりが途中で途絶
えたわけでもない。
 
 しかし、カレンが一曲弾き終わると、あちこちで小さな物音が
聞こえ、……ある種の緊張感から解放された時のような安堵感が
カフェ全体を包む。
 まるでコンサート会場のようだ。

 カレンのピアノの音は最初とても小さく繊細で耳をそばだてて
いなければ決して聞き取れないほどだが、最後はほとんどの人が
ある種の高揚感をもって自分がその席にいることに気づく。

 そんなカレンのピアノを三曲も聴けば、彼女が席を立とうとす
る時……
 「僕は楽器のことは分からない。でも、あなたのピアノは好き
だから、もう一曲、お願いできないだろうか」

 こんな紳士が現れても不思議ではなかったのである。

 「でも……」
 カレンはそれを言うのが精一杯だった。
 その紳士だけではない。カフェ全体の雰囲気がカレンの次の曲
を望んでいた。その空気がカレンにも感じられるのである。

 「ねえ、アン。これは笑わないで聞いてほしいんだけど、……
彼女のピアノを聴いてるとね、ピアノって、本当に打楽器なんだ
ろうかって疑ってしまうんだよ。僕も数多くのピアニストの音を
聞いてきたけど、こんなのは初めてだ。ひょっとして彼女は今、
ギターを弾いてるんじゃないか?そんな錯覚に陥るんだ」

 ビーアマン先生の言葉がアンの心にも残る。

 そんな中、カレンはお客の注文に従いすでに六曲を弾き終えて
いた。さすがに疲れたので次の一曲で必ず終わりにしようと心に
決めて、「さて…」と思った時、自然とその指が動く曲があった。

 アフリカにいた頃、カレンの子守りをしてくれていたセルゲイ
おじさんといつも二人で弾いていた曲。おじさんがなくなった後
はカレンが彼のパートも弾いていた。
 題名はないが、優しく穏やかな曲を最後に選んだのだった。

 カレンはこの曲を弾くたびに思い出すことがあった。
 それは、セルゲイさんが最初ピアノの鍵盤を強く叩かせなかっ
たこと。
 弱く、弱く、音が聞こえる限界まで弱く叩いた音でメロディー
を奏でていた。

 最初は振動なのか音なのかわからない処から始まって、次第に
大きな音をそれに加えて制御していく。
 カレンのピアノは本来の音を弱めて音の深みを出しているので
はない。むしろ弱い音がベースとなり、すでにメロディーも完成
させているところへ、普通の音を入れて華やかさを演出している
のだ。

 カレンの奏でる音には、本来は外からは見えない根がちゃんと
存在していたのである。一見不要に見えるこの根があるからこそ、
そこに育つ草や木も自然に見えて、人の心を打つのだった。

 そんなカレンの音楽に弾かれるのは、何もカフェのお客ばかり
ではない。街行く人もまた、彼女の音を耳にすると、まるで吸い
込まれるように店の中へと入ってくる。

 そんな中に、黒ずくめの服を着た老女が一人、介添えの青年を
引き連れて入って来る。
 しかし、その瞬間だけはカフェ全体に少し異様な空気が流れた。

 老女は目が不自由で介添えの青年が手を取らなければ何もでき
そうにない。にも関わらず店に入った彼女はカレンの弾くピアノ
の方へ一直線に歩いていったのである。

 椅子につまづき、テーブルに進路を阻まれ、人にぶつかり……
お客が飲んでいたコーヒーカップさえ払い除けた。
 「ガシャン」
 という音がしてそのカップは床で砕けたが、そんなことさえも
彼女には関係なかったのである。

 彼女はついにカレンのピアノの前までやってくるが、そんな中
でカレンがピアノを続けられるはずもない。
 困惑と恐怖の中で、カレンは彼女の最初の声を聞くのだった。

 「ルドルフ、お前、生きていたのかい」

 歩行も困難、目も不自由な黒ずくめの老婆のわけの分からない
言葉に縮み上がっていると、一歩遅れた青年がよろけて膝をつい
た老女を抱く。

 「お母さん、これは兄さんじゃない。若い娘さんだよ。女の子
が弾いてたんだ」
 青年は老女の肩を抱いてとりなしたが、老女はきかなかった。

 「ルドルフ、お前、そこにいるんだろう。声を聞かせておくれ。
ルドルフ、後生だから、もう一度、母さんと呼んでおくれよ」

 老女はカレンの弾いていたピアノにすがりつく。
 身の危険を感じたカレンはすんでのところでその場を離れたが、
再び倒れこんだ拍子に鍵盤を叩いて……

 「ガシャン」
 という音が店内に響いた。
 そして、崩れ落ちたピアノの床で彼女は泣き続けたのである。

 『何なの?これ……』
 もちろん、カレンにはわけがわからない。
 単なる狂人の乱入なのか、でも、それにしては老女の身なりは
しっかりしているし、顔立ちも狂った人のようには見えない。
 介添え役の青年もそれは同じだった。

 困惑するカレンの両肩をいきなり掴む者がいる。
 「!!!」
 カレンの心臓は一瞬縮みあがったが、犯人はアンだった。彼女
は小声で……

 「さあ、出ましょう。長居は無用よ」

 そう言って、カレンにこの店からの脱出を促したのである。
 もちろん、カレンにとっても反対する理由はなかった。
 だから、二人してそっとその場を離れようとしたのだったが…

 「あ、君。君はここへ残って」

 それまで、床にひれ伏して泣き続ける老女を介抱していた青年
がいきなり、この場を立ち去ろうとしたカレンを呼び止めたので
ある。

 「いいから、行きましょう」
 アンは青年の言葉にかまわずカレンの腕を掴んだが、その様子
を見た青年はもっと強い言葉を二人に投げかけたのである。

 「いいか、これは命令だ。お前ら、そこへ立ってろ!」

 彼は何の権限があってそうしたのかわからないが、二人にはっ
きりそう命じられたのだった。

 「……………………………………………………」
 「……………………………………………………」
 もちろん、二人にそんなことを言われる覚えも義務もなかった
が、そこは世間を何も知らない小娘のこと。
 震え上がったまま、その場に立ち尽くしてしまったのである。

 もし、これが単なるならず者なら、ビーアマン先生にしても、
カフェのお客さんだってこの二人の少女にもっと協力的だったの
だろうが、彼らは単なる無法者ではなかったのである。

 そうこうしているうちに事態はさらに悪化する。

 異変に気づいたこの老婆と青年の配下とおぼしき男達がカフェ
に入ってきたのだ。
 すると、青年はやっと落ち着きを取り戻した老婆を椅子に座ら
せたまま、そこからその屈強な男たちに向かってこう命じるのだ
った。

 「このお二人を私の屋敷にお連れしろ。くれぐれも粗相のない
ようにな」

 こうして二人はわけがわからぬままに青年の屋敷に招待、いや、
連行されたのだった。

********************(1)****

第3章 童女の日課(3)

<The Fanciful Story>

          竜巻岬《10》

                      K.Mikami

【第三章:童女の日課】(3)
《お仕置きの作法》


 初日から三日間、アリスはペネロープから魔法の香水を与えら
れ続けた。

 それが四日目、ついに途絶えてしまう。
 しかしそれはアリスが何かまずいことをしでかしたからでは
なかった。

 「アリス。あなたはこの香水の効き目を知っていますか」

 「はい、お母さま。アンやケイトに聞きました」

 「では、あなたにはこの香水をもうふりかけないと言ったら、
あなたは悲しいでしょうね」

 「いいえお母さま。お母さまのご慈愛には感謝しますが、私が
友だちに比べて特別な庇護を受ける理由もありませんから」

 「そうですか。では、次はあなたが何か困った時に、そして、
それがあなたの責めに帰すべきでない時に使ってあげましょう」

 「はい、お母さま。よろしくお願いします」

 アリスのペネロープに対する受け答えはいつも完璧だった。
 育ちのよさ、躾の確かさが心地よいペネロープは、彼女を早く
一人前にして自分の傍に置きたいと考えさせるようになっていた。

 『天使、天使、私の天使、早く私と寝ておくれ』

 子どものようにはしゃぐ彼女の日記のなかでは、源氏名である
『アリス』の名前すらない。

 『天使』
 それがアリスを指す言葉だった。

 しかし、これは何もペネロープだけの願望ではない。チップス
教授も、美術を教えるハワード先生も、そして領主アランでさえ
も、みんながみんな彼女を狙っていたのだ。

 自然、彼らは些細なことではアリスにつらくあたるようなこと
はなかった。
他の子なら当然鞭が飛ぶような事でもアリスなら許されたので
ある。

 反省会でアリスが鞭を貰わなかったのは何もペネロープの香水
だけが理由ではない。心の準備ができぬままに日頃の雑事と一緒
にこの可憐な天使に罰を加えることなど彼らにはできなかったの
である。

 だから香水の効き目が切れたはずの四日目も五日目もコリンズ
先生に届けられるアリスの「学習態度」の項目はどの先生からの
ものも……

 『問題なし』

 アリスはいつ自分もアンやケイトたちのようにあの小ぶりの鞭
で手のひらを叩かれるか、反省室でコリンズ先生の籐鞭に歯を食
いしばらなければならないか、冷や冷やしながら授業を受けてい
たのだが、結局それは男の先生に関する限りまったくの取り越し
苦労だったのである。

 ただ、そうなってくると人間気の緩みも出てくる。

 お針仕事を習うスミス女史は、無愛想な男の先生たちと違って
細かい処にも気が付く優しい先生だと生徒の誰もが思っていたの
で教室はいつもにぎやか。

 「トイレへ行かせてください」

 アリスが授業中にこう言えるのも彼女だけだった。

 ところが、そんなある日のこと。
 トイレから帰ったアリスは自分がやりかけていた刺繍布がない
ことに気付く。
 代わりに、そこにあったのが、あの小ぶりの鞭だった。

 『変だな?』
 と思う間もなくスミス先生の声がした。

 「アリス、その鞭を持ってこちらへいらっしゃい」

 彼女はその尖った声ですべてを察したが、すでに手遅れだった。

 鞭を持って先生の処へ行くと、
 「あなたは、針の刺さった刺繍布を椅子の上に置きましたね。
私はそんな作法をあなたに教えましたか」

 「……いいえ」

 「なら、私があなたに何を望んでいるか分かりますね」

 「はい、先生。至らない私にお仕置きをお願いします」

 アリスはそう言って持ってきた鞭をスミス女史に差し出す。
 そして、アンやケイトたちがそうしていたように両膝をつくと
両手の平を頭の位置で前に突き出すのだ。

 「ピシッ、ピシッ、ピシッ」
 立て続けに三回。甲高い音が教室内に響いた。

 アリスの手も一瞬痺れたようになったがその甲高い音ほどには
威力がなくアリスはすぐにでも刺繍の作業を再開できたのである。

 「ね、それほど痛くないでしょう。こんなもの気付け薬よ。…
ふう、ふうって息を吹き掛けたら、すぐに治っちゃうから……」

 青い顔をして戻ってきたアリスをケイトが慰める。

 でも、アリスはなぜかそれに答えない。

 「大変なのはね、今日の反省会かな。コリンズ先生の鞭はお尻
だからね。寝るまでは痛いかもしれない。でも明日の朝は大丈夫
よ。そこまで持ち越すことはまずないから」

 再びケイトが声をかけるが、これにもアリスは無反応だった。
彼女の口を閉ざしたのは鞭打たれた手が痛かったからではない。
優しいと思っていたスミス先生にぶたれたことがショックだった
のだ。

 ところが、そんな気持ちを理解できないケイトは一方的にしゃ
べり続ける。

 「私が気が付けば良かったんだけど、私不器用でさあ。自分の
ことで精一杯なのよ」

 縫い物のような単純作業が大の苦手であるケイトはアリスとの
おしゃべりで気を紛らわせていた。それが、アリスに無視を決め
込まれて、彼女としても段々と心中穏やかではいられなくなって
いく。

 彼女はテーブルの前に置かれたお手本をわざと自分の方へ引き
寄せてみる。

 「…………」

 アリスは最初それを無言で引き戻したが、何度引き戻しても、
ケイトが意地悪を繰り返すので、しまいに……

 「やめてよね!」

 とうとう大声になってしまった。

 「アリス。ケイト。ついてらっしゃい」

 スミス先生は読んでいた本を閉じるとすっくと立ち上がった。

 『ほ~ら、言わんこっちゃない』

 アンの少し軽蔑したような眼差しに送られて二人はスミス先生
の後について隣の部屋へ。

 ケイトはもちろんアリスも同室の二人にそこで何が行なわれる
かを聞いていたので……

 『せっかく週末まで順調にきたのに今日は厄日だわ』

 と諦めるしかなかった。

 スミス先生に限らず教室の隣は先生方の個人的な書斎になって
いるケースがほとんど。
 ここは悪さのつづく生徒へのお仕置き部屋でもあったのだ。

 ここへ入ったら最後、どんな生徒もその教訓をお尻にため込む
まで部屋を出られない。おまけに、夕食後は反省室へも行かなけ
ればならなかった。
*******
 「アリス、他の教科と違って多少のおしゃべりは許しています
が。品のない大声までは許していません。あなたには針の付いた
刺繍布をそのままにして席を立った罪もありますから、今日は、
ここでお仕置きします」

 「はい、先生」

 「では、その椅子に、お尻の代わりに両手を着きなさい」

 アリスはすでに覚悟を決めていたので躊躇などはしなかった。
 言われるままに部屋の中央に置いてある背もたれ椅子の前まで
来ると、勢いよく体を折り曲げる。

 それを見た先生がスカートをまくり上げ、それがずり落ちない
ようにピンで止めた後、

 「では、ご自分でショーツを下ろしなさい」

 こう言われた時も、何のためらいもなくその指示に従ったのだ。
 だから彼女としては、 何の問題もないはずだった。

 ところが、

 「アリス、だめよ。それじゃあ。やり直しましょう」

 先生はこれほど完璧な姿勢はないと思われたアリスに、なぜか
また元の姿勢に戻れと命じるのである。

 そして、その矛先が次はケイトの方へ。

 「ケイト、あなたはなぜアリスにそんなにちょっかいを出すの。
誰だって他人とお話をしたくないことだってあるでょう。あなた
がしつこくしなければ、アリスだって大きな声を出さずにすんだ
はずよ」

 「でも私、アリスがあんまり何も言ってくれないから」

 ケイトはぼそぼそっとした口調で言い訳を言うが…

 「アリスもだけどあなたにも罪はあるわね」

 スミス先生が一言釘を差すと、ケイトはたちまち膝まづいて、
両手を胸の前で組む。
 乙女たちのいつもの姿勢だ。

 「ごめんなさい。悪気は…」

 「悪気のない子がお友だちのお手本を隠したりしないわね。私、
罰はあなたにも必要だと思ってるのよ」

 ケイトは異端審問に引き出された少女のように、顔を真っ青に
してスミス先生を見上げる。

 「本当にごめんなさい。もうしませんから」

 ケイトはその普段の言動とは反対に、これから予想される罰に
怯えてみせた。

 『なあんだ。普段強そうなことを言ってたって、先生の前に出
たらみんなと同じじゃない』
 アリスにはケイトの態度がみっともなく映ったのだ。

 「ケイト、その椅子の前で屈みなさい」

 先生にそう言われてもケイトはすぐにはそれに従わなかった。
わずか数歩の距離を行きつ戻りつゆっくりと時間をかけ、座板の
上に両手を着くのにも、もう少しでも遅ければ先生が痺れを切ら
して新たな罰を加えるのではとアリスが心配するほどゆっくりと
していたのである。

 「さあ、それだけじゃいけないでしょう」

 スミス先生の言葉にケイトはここでも抵抗する。

 「ごめんなさい」
 弱弱しい言葉で答えて……

 それは、あくまで親や教師の罰を恐れる子どもがみせる自然な
仕草だ。

 すると…

 「いいわ、ケイト。ご苦労さま」
 スミス先生はケイトを立たせてしまう。

 「どう、アリス。分かったかしら。あなたとケイトの違い」

 スミス先生の言葉にアリスはきょとんとした。

 「あなたはさっき私のお仕置きを馬鹿にしたの」

 『馬鹿にした?』

 アリスにはますます訳がわからない。自分では従順に対応した
つもりでいたのに何がいけないのだろうと思ったのだ。

 「あなたは今、童女なのよ。つまり小学生。親がちょっと眉間
に皺を寄せただけでも平気ではいられないわ。なのにあなたは、
こんなことぐらい朝飯前とでもいわんばかりに平然と椅子に手を
着いたでしょう。あんなふてぶてしい態度は、教師に対する侮辱
でもあるのよ」

 アリスはスミス先生に言われてやっと原因に行き当たった。

 「それは、あなたが日頃誰かと顔をあわせた時だけ童女を演じ
ようとしているからそうなるの。演じるんじゃなくて、なりきら
なきゃ」

 「ごめんなさい」

 「私に謝っても仕方がないわ。これは、あなたの為ですもの。
いつまでも童女のままでいたくないでしょう」

 「………」

 「……ま、いいわ。とにかくお仕置きはやり直し。新入生には
ちょっと可哀相だけど、演技なんて必要のないのを受けてもらい
ますからね、覚悟してね」

 スミス先生に忠告されてアリスは身も凍る思いだった。しかし、
今さら逃げも隠れもできない。

 『童女になりきるってこういうことなんだ』
 とは思ってみてもそれは後の祭りだったのである。

 「では、まずそのベッドに横になって」

 スミス先生はご自分が仮眠用に使っているベッドを指差す。
 そして、その一方でベッドの下からは籐でできた何やら大きな
四角いバスケットを取り出してきたのだ。

 「さあさ、アリスちゃんはどのくらい我慢ができるかな」

 そこに被せられていた羅紗布が取り去られた瞬間、

 「!!!!」
 アリスは思わず息を飲む。

 大きな注射器のようなピストン式浣腸器やエタノール、脱脂綿、
カテーテルそれにグリセリンの入った茶色い薬瓶も……もう何を
やるかは明らかだった。

 「あら、なかなか上手じゃないの、その表情。哀愁がこもって
いて素敵よ」

 スミス先生は冗談とも本気ともとれる言葉を投げ掛けてアリス
の様子を見るが、彼女は顔を引きつらせたまま笑い返す余裕がない。

 そんなアリスを尻目に、
 「ケイト手伝ってちょうだい」
 先生はケイトの応援を得ると着々と準備に取り掛かる。

 まず黒いゴムシートをアリスのお尻の下に敷くと短いスカート
を捲り上げて腰の周りに安全ピンで止めてしまう。これでアリス
の腰から下は白いショーツ が一枚だけとなって二人の目の前に
肉付きのよい股間が現れることとなった。

 「さあ、アリスちゃん。これからお仕置きの前処置を行ないま
すからね。パンツを脱いでください」

 スミス先生の声にアリスは素直に従おうとしなかった。もじも
じとしていてショーツは一向にお臍からはなれない。もちろんそ
れはさっきスミス先生から注意されたこともあるが、今度は本当
に恥ずかしくなったのだった。

 「さあ、どうしたの。さっきみたいにはいかないのかしらね。
だったらアンも呼びましょうか?」

 スミス先生に脅されてアリスはやっと決断する。
 ショーツを太股まで引き下ろしたのだ。

 「(あっ!)」

 すると、それを待っていたように、アリスの両足はケイトによ
って高々と持ち上げられ、女の子の大事な処全てに風が通るよう
になる。

 周囲は女子だけの世界。でも、そりゃあ恥ずかしかった。

 「さあ、まず消毒しますからね」

 スミス先生は脱脂綿にたっぷりとエタノールの含ませるとアリ
スのお尻の穴を拭いていく。

 「ぁっ……ぁぁ……ぁ~…ぃいっ……ゃっ……や~……」

 スミス先生の脱脂綿がアリスの感じやすい場所に触れるたびに
声にならない声が吐息となってアリスの口から漏れ始めた。

 「どうしたの。気持ちいいのかしら。幼い子は大人より体温が
高いからこれをやるとよけいに感じるのよ」

 スミス先生はご満悦である。

 「さあ、お尻の力を抜いて…」

 スミス先生が手にしたのはシリンジと呼ばれるおしゃぶりを二
周りほど大きくしたような簡易式の浣腸器。これを茶色い薬瓶に
差し入れてグリセリン溶液をたっぷり吸わせると一回。

 「…<あっ>……んんん」

 さらにもう一回。

 「…あっぁぁぁ…………」

 「まだだめよ」

 「…んnnnn…………」

 アリスの直腸には数回に分けて約百ccのグリセリン溶液が注
ぎ込まれた。

 「さあ、もういいわ」

 先生はティシュでお尻に栓をするとアリスの身だしなみを整え
て、あっさりトイレを許してしまう。石鹸水などと違いグリセリ
ンには速効性があるのだ。また彼女としても書斎を汚物で汚され
てはたまらないと考えたのだろう。

 「アン、ちょっと手伝ってちょうだい」

 スミス先生は教室に顔を出してアンも呼ぶと、ケイトと二人で
アリスを医務室に連れていくように命じたのだった。

 「ごめんなさいね、アン」

 アリスには当初アンを気遣う余裕があったが、彼女の運搬作業
はことのほか骨が折れた。アリスがお腹の痛みに耐え切れず途中
で何度もへたり込んでしまうからだ。

 「もう、ダメ」
 両手両膝を廊下の床につけて息も絶え絶えのアリス。

 「待ってて、いま看護婦さんを呼んでくる」
 アンが一足先に医務室へと走った。

 そして、看護婦を一人連れてきたのだ。

 「さあ、アリス。これになさい」

 看護婦は持ってきた室内便器(bedpan)を差し出すが、
今度はアリスがそれには応じない。異様な気配を感じ取った野次
馬たちがどこからともなく集まりだし、すでにアリスを取り囲ん
でいたからだ。

 「大丈夫ですから。わたしトイレまで行きます」

 彼女は健気にも立ち上がろうとする。

 「カラン、カラン」

 その時、天の助けか、授業の始まりを告げる鐘がなって野次馬
たちは立ち去ったが、安住の個室まではまだ遠かった。

 「ああ!」

 それはお城の中庭の真中あたりまで来た時だ。くぐもった声と
共にそれまで軽い負担でしかなかった二人の肩にアリスの全体重
がのしかかる。

 「もう、いいわ。ここでやりましょう」

 看護婦の提案に、アリスは最後まで首を横に振りながらも従わ
ざるをえない。

 「目標が小さいからようく狙ってね」

 天気のよい昼下がり燦々と降り注ぐ太陽の下でアリスは小さな
ベッドパンに自分の思いの丈をすべてぶちまけたのだった。

 彼女は、この時、周囲の茂みが自分を守ってくれていると信じて
いたのかもしれない。
 しかし、その低い茂みは何の役にもたっていなかった。
 なぜなら、アリスのその痴態は周囲の建物のほとんどの窓から
見ることができたのである。


 アリスたち三人はシャワー室で身を清めるとスミス先生の処へ
帰ってきた。

 「どうでした。無事おトイレまでたどりつけましたか?」

 「……(いいえ)……」
 アリスは首を横に振りながら、か細い声で答えようとしたが、
声にならなかった。

 「じゃあ、どこでやったの」

 「………」

 アリスはそれには答えることができず代わりにケイトが答えた。

 「中庭です」

 「まあ、そう。お腹の調子は大丈夫かしら」

 「まだ、すこしゴロゴロいってます」
 こう答えたのもケイトだ。

 「そう、それじゃあ最初は可愛くやりましょう。さあ、お膝の
上にいらっしゃい」

 スミス先生はベッドの上に腰をおろすと、自分の膝を軽く叩く。

 「………」

 だが、アリスはただただ首を横に振るばかりで従おうとしない。
 それは、これまでずっとよい子を通してきたアリスにしては珍
しい拒否反応だった。

 「どうしたの。先生のお膝の上はいやなの」

 「ごめんなさい先生。一時間たったらどんな罰でも受けます。
でも今はお腹が……」

 「わかってるわ。だから『可愛くやりましょう』って言ってる
でしょう。さあ、心配しないでいらっしゃい。お仕置きを受ける
のは生徒の義務なのよ」

 こう言われてはアリスも拒否できない。

 恐る恐る近寄るアリスにスミス先生は

 「まず、パンツを脱いで…」

 ところが、それはここへ来てから何度もやってきたことなのに
今はなぜかとても恥ずかしい気がするのだ。

 「どうしたの。恥ずかしいの?」
 先生はすでにバスタオルを膝の上に乗せてアリスを待っている。

 「………………」

 踏ん切りをつけたアリスがショーツを太股までさげスミス先生
の膝の上に倒れ掛かると先生はやさしくお尻を叩き始めた。

 「いいこと、アリス」

 「ピタ」

 「はい、先生」

 先生は軽いスナップでアリスのお尻を跳ね上げたが……それは
折檻というより、顔を見ることのできない話し相手のために先生
が入れる合いの手のようなもので、飛び上がるような痛みはなか
ったのである。

 「女の子というのはね、恥ずかしいという気持ちを持てなくな
ったら終わりなの」

 「ピタ」

 「はい」

 「恥ずかしいと思えるから努力もするの」

 「ピタ」

 「はい」

 「美しくなりたい、他人からよく思われたいという心も、突き
詰めれば、恥ずかしい思いをしたくないという心から出ているわ。
わかる?」

 「ピタ」

 「はい」

 「あなたもせっかく生まれ変わって童女にまでなれたんだから、
もっともっと童女の恥ずかしさを楽しまなきゃ」

 「ピタ」

 「はい……(恥ずかしさを楽しむ?)」

 「恥ずかしいお仕置きが待ってると思ったら、『何とかしなく
ちゃ』って思うでしょう。不思議にやる気が湧いてくるでしょう。
それが女の子なの。単にぶったり叩いたりすれば意識が覚醒する
男の子とはそこが違うのよ」

 「ピタ」

 「はい」

 「今日はお浣腸で、あなたの恥ずかしさを呼び覚ましてあげた
けど、日頃から自分で恥ずかしさを意識していないと、そのたび
ごとにより過激なことをしなればならなくなって、しまいに体を
壊すことになるわ。……」

 スミス先生のお小言は延々と続き、いつしか、先生の膝の上に
乗せたバスタオルも無駄ではなくなっていた。

 「あら、あなたまたお漏らし?……完全に出し切らずにここへ
戻って来たのね。……いいわ、私が、死ぬほど恥ずかしい方法で
オムツを穿かせてあげるわね」

 スミス先生の明るい声が部屋中に響いたのである。

********************<了>****

バカボンちゃんのスクールライフ(5)

§5 バカボンちゃんのお勉強 

バカボンちゃんのスクールライフ(5)<小説/我楽多箱>

 バカボンちゃんを大人になってからしか知らない人には信じら
れないかもしれませんが、幼い頃のバカボンちゃんというのは、
手に負えないほどセカセカした子だったんです。

 今なら、AD/HD(注意欠陥/多動性障害)の疑いで病院に
行っていたかもしれません。
 実際、ボンちゃんのママは彼の奇行が気になって、幾度となく
大学病院を訪れています。

 でも、何度診察してもらっても異常はみつかりませんでした。

 先生曰く、
 「身体的には何の問題もありません。脳波もこれといって問題
ありませんね。強いてあげるなら、この子の脳波はすでに大人の
波形なんですが、それが何か災いになってるということではない
でしょう」

 つまり、当時の常識では『問題なし』でした。

 では、当時ママが何を問題にしていたかというと、それは彼の
勉強スタイルでした。

 とにかく5秒とじっとしていません。首を回して、肩を回して、
天井を見て、床を見て、壁を見て、腰を浮かしてドスンドスンと
尻餅をついていたかと思うとベッドにダイブ、抱き枕と戯れます。
 それだけじゃありません。突然、独り言を言い出したり、笑い
出したり、そんなことがしょっちゅうなんです。

 こんな姿を他人が見たら……そりゃあ……
 「こいつ、気がふれたか!?」
 と思うのはもっともなんです。
 とても勉強している姿にはみえませんから。

 ですから……
 『この子、気が変になったんじゃないかしら』
 バカボンちゃんのママは憔悴し、祈祷師まで呼んだことがあり
ました。

 でもね……
 バカボンちゃんに言わせると、
 『もともと赤ちゃん時代はこんな感じだったのにママは覚えて
ないの?ママがある時から、「さあ、お勉強しましょうね」って
膝の上に乗せるようになったから仕方なくおとなしくしてたけど。
それが元に戻っただけのことさ』
 となるのでした。

 もちろん、バカボンちゃんだって、これをやめようとした事は
何度もあったんですよ。

 特に東京で出会った同世代の女の子が電車の中でまるでお地蔵
さんのように微動だにせず本を読んでるのを見た時は感激。
 自分もやってみようと思ったんですけどね……

 5分と、もちませんでした。

 最初はその女の子と同じように、椅子に座って背筋を伸ばして
本を読んでいたのですが、こんな慣れないことしてると段々眠く
なってしまいます。

 いつの間にか、いつものように電車の床に胡坐をかいて座って
読んでいました。いや、それでも足りなくて、最後は床に仰向け
に寝そべって読んでました。
 (これって、ボンちゃんのいつもの読書スタイルなんです)

 都会の電車は混んでるからこんなことできないでしょうけど、
バカボンちゃんの暮らした田舎は電車もすいているので、こんな
ことが平気でできちゃうんです。
 (もちろん、先生に密告する人がいたら叱られますけど)

 そんなわけで、ママや先生には内緒でやってるんですが……
 当時、電車の床は木製で、そこに防腐剤としてワックスが塗っ
てあったものだから、寝っ転がると白いシャツについちゃって…

 「何なの!この油!」僅かに着いた油の匂いを嗅ぐママ。
 「電車の中で転んじゃって……」
 「嘘、おっしゃい!また、電車の中で寝転んで本を読んでたん
でしょう」
 バカボンちゃんのママはとっても勘が良くて怖かったです。

 (ははは)お話が飛んでしまいましたけど、とにかくバカボン
ちゃんのお勉強は一人マンザイ。とても奇妙奇天烈でシュールな
現代舞踏みたいなものがずっと続きますから終わると体力的にも
かなり疲れます。

 幸い覗かれたことがありませんでしたが、もし間違ってそんな
光景を目にしたら、お友だちは、ドン引き。おつき合いをやめて
しまうでしょうね。

 ただ、副産物として、作曲や詩や小説やイラストなんかも続々
と仕上がりました。
 バカボンちゃんのお勉強はそりゃあ非効率ですけど、何の脈絡
もない色んなものが、次から次に同時進行でできあがっちゃう、
不思議な作業場でもあったんです。

 ちなみに、バカボンちゃんはテストの時も、覚えた瞬間の五感
を蘇らせるために、小刻みに身体のあちこちを動かします。
 テスト中、よく指を折る仕草をしますからね。
 「おまえ、幼稚園児じゃないんだから計算くらい頭でしろよ」
 ってよく言われてました。

 『ホント、石のお地蔵さんみたいにしてお勉強のできる人は、
羨ましいなあ』
 って……バカボンちゃんは、よく私に愚痴ってましたっけ。
   

バカボンちゃんのスクールライフ(4)

§4 バス通園
 
バカボンちゃんのスクールライフ(4)<小説/我楽多箱>

 バカボンちゃんは、3歳からバス通園をしていた。当時だって
幼稚園のスクールバスがなかったわけではないが、そのバスは、
隣町までしか来てくれない。

 そこで、仕方なく通学定期を買って幼稚園へ通うことになった。

 もちろん近隣にだって幼稚園はあったが、気位の高いママさん
が、どうしても評判の高い幼稚園へ行かせたいと頑張ったのだ。

 つまり全てはママの我がままからきている。

 おかげで、乗り合いバスで通園するはめに……
 しかもこの母親、自分でそうやって決めておきながら、バス停
迄さえ見送りにこない。
 玄関先でいつも「いってらっしゃい」と言うだけ。
 身勝手このうえない人なのだ。

 それでも今なら大半がマイホームパパだから、父親のマイカー
に揺られて通園って事だろうが、バカボンちゃんのパパさんは、
こちらもママさんに負けず劣らず自分の世界優先の人だからね、
そんな手間のかかることはしないんだ。

 だから、仕方なく。どうしようもないから、バカボンちゃんは
3歳の時からバス通園をしていた。

 ただ、唯一の救いもあった。当人がそのことをそれほど苦痛と
感じていなかったんだ。

 当時は、3歳の子が定期券を持ってバスに乗るなんてとっても
珍しかったからね。
 バカボンちゃんは、通うバスの運転手さんや車掌さんたちから
とっても可愛がられていたんだ。

 とにかく、最初の頃はステップに両手を突いてバスの入り口を
登ってたくらいだからね……
 「ぼく、お母さんはいないの」
 なんて、よく聞かれたもんさ。

 でも、そのうちそれが評判になって、いつの間にか同じ営業所
管内では知らない人がいないくらいの有名人になってた。
まさに、小さなマスコット状態だった。

 これはもう時効だと思うから言ってしまうけど、当時は営業所
の中まで行って、方向指示幕(今は電光板だけど当時は布で手動)
のハンドルを回すのを手伝ったり、運転手さんのお膝に乗っけて
もらって敷地内を一周してもらったり、詰め所でお弁当のおかず
を分けてもらったり、お茶を飲んだりしたんだ。

 運転手さんも、車掌さんも、まるで自分の息子が来たみたいに
優しかったからね。
 バカボンちゃんにとっては大事な大人のお友だちだったんだ。

 だからね、バカボンちゃんは考えた。
 『そうだ、将来、大人になったら、バスの車掌さんになろう』
 (もちろん運転手さんでもよかったんだけど、当時は、あんな
大きなバスを動かす自信がなかったから、第一志望は車掌さん)

 これって幼い頃だけじゃないよ。かなり成長してからも本気で
そう思ってたんだ。

 そこで、小学校の作文にもそう書いたら、ママに怒られた。
 「あなたって子は、どうしてもっと立派な夢が書けないの!」
 だってさ。

 『バスの車掌さんになることは立派なことじゃないのか?……
だいたい、商売なんかやってる人はお客さんのいる前では楽しそ
うにしてるけど、帰ったとたん眉間に皺をよせて苦しそうな顔に
なるし、サラリーマンの人たちは、夕方とっても疲れた顔して帰
って来るだろう。それに比べたら、バスで働く人たちはとっても
楽しそうだもん』
 
 これがバカボンちゃんの主張。

 『大臣になって威張りたい?』『大学の先生になって尊敬され
たい?』『実業家になってお金持ちになりたい?』

 バカボンちゃんにとっては、そんなのどれも、
 『それって、何?』
 だった。

 バカボンちゃんにとって興味のあることは二つだけ。
 『それが楽しいこと』
 『終わったらすぐにお母さんの処へ帰れること』
 これ以外には何の興味もなかったんだ。

  

バカボンちゃんのスクールライフ(3)

バカボンちゃんのスクールライフ(3)<小説/我楽多箱>

 バカボンちゃんは子供付き合いは苦手だが、別に暗い性格では
なかった。大人とはよくしゃべるし、独楽鼠のようによく動く。
むしろ、AD/HD(注意欠陥/多動性障害)の気があって日頃
あまり落ち着きがなかった。

 そんなバカボンちゃんに、先生が「これは焦らなくていいのよ。
落ち着いてやってね」といってあるテストをやらせた。
 クラス全員の子が参加するテストだが、先生はバカボンちゃん
の日頃の言動をみて、『この子にはこんな注意をした方がいいだ
ろう』と思って特別に注意したのだ。

 ところがバカボンちゃんはバカだから、先生の注意を……
 『僕はゆっくりやればいいのか』
 と思ってしまう。

 そこで出た結果は、クラスでビリから三番目。

 『あまり、IQが低いようですと、せっかく入学していただき
ましたが、退学していただくこともあります』なんて脅かされて
いたバカボンちゃんのママは結果を聞いて大慌て。

 学校へ飛んでいくと……
 「お母さん大丈夫ですよ。息子さんを退学にはしませんから」
 という先生達の言葉にも耳を貸さない。
 「お願いします。もう一度やらせてください。絶対に、こんな
はずありませんから」
 の一点張りで、再テストを必死にお願いしたんだ。

 そこで仕方なく。本当に仕方なく、バカボンちゃんだけ再試験。
 『親がそれで納得するなら、いいだろう』ということで形だけ
やってみた。

 この時、ママはバカボンちゃんを膝に乗せると、
 「とにかく急いでやるのよ。解けるだけ解くのよ。わかった。
今度、悪いお点だったら、お母さん、本当に死んじゃうからね」
 なんて脅すのである。

 怖くなったバカボンちゃんは今度は必死になって問題を解いた。
もう少し歳がいけばそのくらいじゃ驚かないだろうけど、そこは
小一(小二?)の子、簡単に信じちゃう。
 お母さんが死んじゃったら大変だからだね。そりゃあもう必死
だった。

 そこで、出た記録。
 お母さんの膝の上でやったから、あくまで参考記録なんだけど、
このテストの形式が変更されるまでとうとう破られなかったみた
い。まるでマンガみたいにシャカシャカと問題を解いていく姿を
見て、先生方は、みんな目を丸くしてたもん。

 とにかく、ママはこれで溜飲を下げて、鼻高々で帰っていった
んだけど……でも、これって、
 『バカボンちゃんって本当は天才なんだ。凄いなあ』
 ってことにはならない。

 ほかの子だって、同じようにママが膝に乗っけてやらせたら、
やっぱり成績はぐ~~んとアップしたと思うよ。
 幼い子にとってお母さんの存在は絶対だし、何よりお膝の上は
安心感が他とは全然違うもの。そもそも記録が伸びて当然だよ。

 バカボンちゃんの能力はやっぱりビリから三番目なんだ。

 だから、この現象のことを言うなら、『火事場の馬鹿力』
 だって、テスト終了後、バカボンちゃんは、ちょっぴりだけど
お漏らししてたもん。よっぽどママに『死ぬ』って言われたのが
怖かったんだよ。

 むしろ、『最後まで解けなかった』って茫然自失だったんだ。

 先生たちは大人だから、バカボンちゃんママが怒鳴り込んでも、
みんな紳士的に対応してたけどね。
 でも、きっと………

 『とんでもない親子を入学させちゃったな』
 って思ってたはずだよ。

 バカボンちゃん自身も、彼女が学校で問題を起こすたびに……
『困った親だなあ。恥ずかしいなあ』って思ってたくらいなんだ
から……
 

バカボンちゃんのスクールライフ(2)

 バカボンちゃんのスクールライフ(2)<小説/我楽多箱>

 ボンちゃんは今で言うお受験をした。
 こういうと何だか偉そうだけど、当時のお受験というのは、今
のように大変じゃないんだ。

 受験対策といってもそもそも予備校みたいなものはないから、
そういった事の面倒をみてくれる幼稚園に通って、レクチャーを
受けるんだけ。
 それだって手取り足取りといった感じじゃなくて、傾向と対策
を聞いて、あとは面接の予行演習をしてくれるだけだった。

 週に一回のペースで、三ヶ月もやったかなあ。
 そんなものだったよ。

 そもそもボンちゃんの両親は当初お受験なんて興味がなかった
んだけど、通ってた幼稚園がたまたまそうした幼稚園だったんで、
心変わりしたみたいなんだ。

 だから、受験対策も付け焼刃で、ラッキーを期待してやってみ
ようか程度。

 案の定『こんな子いりません』ってことだったらしいんだけど、
たまたま遠縁の人がその上の大学の先生だったり、叔母さんが、
そこの中学の先生だったり、従兄弟がすでに上級生で頑張ってた
りしたもんだから、『この子だけのけ者じゃかわいそうだ』って
ことになって入れてもらえたんだ。……つまり、情実入学。

 そのことを知ったのはボンちゃんが二年生の時。たまたまその
合否を判定する席にいた先生が担任で、ボンちゃんに教えてくれ
たんだ。

 不合格の理由は、お受験の時、他の子とボール遊びをするよう
に言われたんだけど、ボンちゃんはそれがうまくできなかった。
 もともとボンちゃんは自分と同世代の子とうまく付き合えない
タイプの子で、この時もほかの子が遊ぶのをぼんやり眺めてたん
だよね。だから本人もそれを聞いて……

 「あっ、なるほど」
 と思った。そのことは当人もよくわかってたから。

 だから、「この子には協調性がない」「孤立児」ということで、
入学予定者から外そうという意見が出たらしいんだけど、面接を
担当した先生が力のある人で、この人が、「まあ、いいじゃない
ですか」と言ってくれたんで、流れが変わったみたい。

 ま、ボンちゃんって、そういうラッキーな面は持ってるみたい。
 (ただ、この場合はそれがラッキーだったといえるかどうか…
…そこのところが、いま一つ疑問ではあるんだけどね)

 そんなわけで、ボンちゃんに対しては人付き合いができるよう
にと、入学後、色々配慮してもらったらしいんだけど、はたして
効果があったかどうか、……ん~~~~難しいところです。

 でも、そんな中のひとつで学級委員やったのは楽しかったよ。
先生にしたら『他の子たちとも順応できるように…』と思って、
やらしてくれたらしいんだけど、ボンちゃんにしてみたら、他の
子との関係以上に何より先生と接近できたものだから、そのこと
の方がよほど楽しかったんだ。

 とにかく、ボンちゃんという子は同世代といるより大人といる
方が心が落ち着くという変な子だったんだよ。


注)『バカボンちゃん』というのは、赤塚先生の『バカボン』を
パクったのではありません。僕の子供時代、近所のおばさん達が、
ちょっと足りない男の子の総称として使っていた言葉なんです。
 おそらく、『馬鹿な坊ちゃん』の意味だと思いますが、出処は
知りません。『バカボン』ではなくあくまで『バカボンちゃん』
とちゃんまで付けて呼ぶのが一般的でした。そうでない場合は、
単に『ボンちゃん』と呼ぶこともあります。

第6章 同床異夢のピアニスト(2)

          <<カレンのミサ曲>>

第6章 同床異夢のピアニスト(2)


§2 二人の月光/心を伝えるピアノ


 地方大会が終わり、すぐに本選出場の三名が決まった。

 一人はアン、もう一人はハンス、そして最後の一人にサンドラ
という名の女の子が選ばれた。

 装飾音に彩られた彼女のピアノはボリューム感があって華やか。
とても12歳とは思えない超絶技巧の持ち主だったから審査員の
心を捕らえたのだろう。
 しかし、ブラウン先生の評価が何故か今一だったのを、カレン
は隣りの席で感じていた。

 いずれにしても選ばれた三人は大会後のパーティーに出席して
その会場で一曲演奏しなければならない。

 ブラウン先生は、ここでも他の家族は返したが、カレンだけは
このパーティーに参加させたのである。

 ここで、カレンはアンに声をかけた。

 「おめでとう。アン」

 「ありがとう、久しぶりにうまくいったわ。すべては私の実力。
でも、ちょっぴりあなたのおかげよ。これ、しばらく貸しといてね」

 アンはそう言って、カレンの赤いスカーフを目の前でひらひら
させる。

 「それ、またお尻に敷くつもり?」

 「そうよ、まさか、あなたをお尻には敷けないでしょう」

 「えっ!?」
 カレンは開いた口が塞がらなかった。
 そこで、尋ねてみた。

 「私がそんなに嫌いですか?」

 「嫌いよ。いけない?……だって、あなたは、私が裸にならな
きゃできないことをいとも簡単にやってのける人ですもの。私が
面白いわけないじゃない」

 「…………」
 カレンにはアンの言っている意味が分からない。

 それを説明してくれたのはブラウン先生だった。
 「カレン、アンが言いたいのはね、あなたの集中力なんですよ。
あなたはピアノの前に座れば、即座に自分の世界にのめりこむ事
ができるでしょう。それが羨ましいと言っているんですよ」

 すると、アンがさらに続ける。
 「それに、私には二台のピアノを同時に弾きこなすなんてまね、
できないもの」

 「????」
 カレンが首をひねっていると、男の声がした。

 「何なの?二台のピアノって……」

 「何だ、ハンス。あなたそこにいたの!他人の家の痴話喧嘩を
立ち聞きするなんて、趣味が悪いわよ」

 「痴話喧嘩って?君が演奏前によく裸になるってことかい?」

 ハンスがそう言うと、アンは大きな目をさらに大きく見開き、
赤いほっぺをさらに真っ赤にしてから、ハンスの頬を平手打ちに
しようする。

 すると、彼はそれをかわし、襲ってきたアンの右手を取ると、
こう言うのだった。
 「そうかあ、フレデリックの言ったのは本当だったんだ」

 『あのやろう』
 そう思ったかもしれないが、後の祭りだった。
 アンの顔は血の気を失い目はうつろになって、その場に立って
いられないほどのショックをハンスに見せてしまったのである。

 「いいじゃないか、集中力を高める方法は人それぞれだもん。
でも、会場のどこで裸になったんだ。トイレかい?」

 「わたし、そんなこと、してません!!!」
 ハンスの言葉にアンは大声を出して横を向いてしまう。

 そして、ブラウン先生もまた……
 「ハンス君、失礼ですよ。ヤングレディーにそんな言い方は…
………」
 凛とした態度で若僧を注意したが、彼の耳元までくると……
 「大丈夫ですよ。ハンス君。今はもっと効果的なものが見つか
りましたから……」

 「効果的なもの?……あっ、そう言えば、今日は何か椅子下に
敷いてましたね。あれって、何かのおまじないですか?」

 「まあ、おまじないといえば、そうですが……この子が、その
おまじないの正体です」

 ブラウン先生はカレンの両肩を持ってハンスの前に押し出す。

 「えっ!?」
 いきなりハンスの鼻と30センチの処にまで近づいたカレンは、
戸惑い、恥ずかしくて顔が真っ赤になる。

 「へえ、この子が?」

 「正確に言うと、この子のピアノがおまじないの正体なんです」

 「この子もピアノを弾くんですか?」

 「ええ、簡単なものだけですがね、即興で……」

 「ひょっとして、二台のピアノを同時に弾くって……」

 「そう、彼女の事です」

 「聞きたいなあ、アンにそこまでさせたピアノを……」

 「ただ、ここではちょっと……」

 「いけませんか?パーティーも無礼講になってるみたいだし、
誰がピアノを弾いても硬いことは言いませんよ」

 「ええ、そうでしょうね。……でも、ここでは騒がしすぎます」
 ブラウン先生はあたりを見回す。そこはパーティー会場だから
多少騒わついてはいるものの騒々しいというほどではなかった。
 にもかかわらず、先生は難色を示すのだ。

 代わりに……
 「おう、サンドラ嬢が弾き始めましたね。こういう席には……
ああいう、ピアノの方が似合いますよ」

 「なるほど、曲芸みたいな超絶技巧だ。あの歳でこんなにたく
さんテクニックがあるんだから、うらやましいですよ」

 「ホントに……?」
 ブラウン先生は疑い深そうな目をして笑う。

 「だって、いろんなテクニックがあれば、それだけ表現の幅が
広がりますからね」

 「そりゃそうです。でも、もっと大切なことがありますよ」

 「もっと、大切なもの?」

 「そもそも、どんな音楽を相手に伝えたいのか。その完成形が、
あの子の音楽にはないのです。『私はこんなこともできますよ』
『あんなこともできますよ』という自慢話の羅列だけなんです」

 「そんなこと言っても、あの子はまだ幼いんだし……」

 「そんなことはありません。アンにしろ、あなたにしろもっと
幼い頃からそれはありました。お互い、たくさん名演奏を聞いて
育ちましたからね。何が人にとって心地よいことなのかがわかっ
てピアノを叩いています。だって、二人とも目標とする音がある
でしょう?」

 「そりゃあ、もちろん」
 ハンスが答え、アンが頷いた。

 「ところが、あの子にはそれがない。ただ、先生に言われた事
を一生懸命練習して身につけたから、聞いてくださいというだけ
のピアノなんです。ああいうのは、道行く人を驚かす大道芸では
あっても、芸術じゃありません」

 「厳しいですね。相変わらず先生は……」

 ブラウン先生の会話に、白髪の紳士が割り込んだ。

 「これは、ラックスマン教授。お耳に入ってしまいましたか。
お恥ずかしい」

 「いえ、私も彼女のついてはそうしたことを考えないわけでは
なかったのです。でも、歳も若いし経験を積ませてやるのもいい
かと思ってね」

 「確かに……せっかく全国大会へ出かけるんですから、彼女も
そうしたことを学んで来てくれるといいんですが……ただ、そう
考えると、12という歳はむしろ、もう遅いかもしれませんね」

 大人たちの話を聞きながら、カレンは話題の主のピアノを見て
いた。

 『鳴っている。鳴っている。ピアノが鳴り響いている。まるで
タイプライターのようにカタカタと……あれも、月光なのね……』
 カレンは思った。それは同じ楽譜をもとに弾いているはずなの
にまるで別の曲のように聞こえたからだ。

 彼女は吸い寄せられるようにサンドラのピアノの前に立った。

 まるで彫刻家が鑿と鎚で石を刻むような険しい表情。揺ぎ無い
信念と情熱がその顔にはほとばしっている。

 『12歳というこの少女が目指しているのはいったい何なのだ
ろうか?』
 カレンには理解できなかった。

 彼女にとっての音楽は自分の心をなごますものでしかない。
 『ブラウン先生は私のピアノを褒めてくれるけど……だったら、
先生のためのピアノが弾けるだろうか。…………無理だわ。……
だって、私のピアノは私のためだけのもの。……私と、お父様と、
それにリヒテル先生のためのものだもの』

 そんなことを思っているカレンの脇を、演奏を終えたサンドラ
がすれ違う。亜麻色の髪にフローラルな香りが残った。

 その跡を、背の高い青年が追う。
 彼が、サンドラのピアノの先生なのだろう。ウェーブの掛かっ
た灰色の髪をなびかせ、神経質そうな顔をしている。
 二人はブラウン先生への挨拶が目的だったようだ。

 そこで見せる彼女の笑顔は、ピアノを弾いている時とはまるで
別人だった。
 満面の笑みを浮かべ、さかんに、全国大会へ出場できるように
なったことの感謝を大人達の前で述べている。

 しかし、その姿は心からの感謝というより、必死に自分を売り
込んでいるように見えて、カレンにはこの子が末恐ろしくさえ感
じられたのだった。

 そんなサンドラの人当たりにほだされたカレンはそこから視線
を外して、主のいなくなったピアノをみた。
 そして、それを見ているうちに、今度は、そのピアノが無性に
弾きたくなったのである。

 もちろん、ここでこのピアノを弾けるのは本選にでる三人だけ。
そんなことは百も承知だから、カレンは物欲しげにピアノを撫で
て回るだけ。
 それで満足するしかなかった。

 ところが、そこへ……

 「おい、お姉ちゃん、ピアノは撫でてるだけじゃ鳴らないぜ」
 こう言ってカレンに近寄ってくる男がいた。

 ホフマン博士だ。
 彼は予選会の前に出会った時は、もちろん立派な紳士だったが、
この宴会もお開きに近くなったせいか、かなり酒が回っていた。

 『まずいわ』
 カレンはとっさに作り笑いを浮かべて、その場を立ち去ろうと
した。ところが、一足早く酔っ払いの中年男に捕まってしまう。

 「いや、」

 羽交い絞めにされたカレンは、大声を出して人を呼ぼうとした
もののできなかった。
 それほどまでに、彼は素早く、カレンを生け捕ってしまったの
である。

 酒臭い息を吹きかけながら、博士はカレンを抱きかかえると、
まるで子供のように膝の上に乗せて、十八番にしているショパン
の前奏曲を弾き始める。

 彼は、ピアニストでも芸術家でもないから、そのピアノの音は
この会場では騒音のようなもの。
 周囲もビアノが鳴り始めた瞬間だけ振り向くが十六小節すべて
を聴く者はいなかった。
 『また、先生が酔って弾いているのか』
 という顔をしたあとはまたそれぞれの仕事に戻ってしまう。

 「さあ、弾いてみな」
 博士は短い曲を弾き終えたあと、カレンにピアノを勧めた。
 というより、それは強制したというべきなのかもしれないが、
背中を押してくれたのである。

 それに応えて、カレンがピアノに手をつける。

 ベートーベンの月光だった。

 さっき博士が弾いていたから、当初は、誰も気にも留めないが、
そのうち、誰かがその違いに気づいてピアノの方を向くと、その
数がしだいに増えていく。

 とうとうブラウン先生たちのグループまでもがそれに気づいた
のである。

 『カレン!』

 押っ取り刀でカレンの前に現れたブラウン先生は渋い顔だった。
 それに慌ててカレンは演奏をやめてしまうが……

 「おう、お父さん登場ですな。なるほど、これはいい眠り薬を
お持ちだ」
 先に口を開いたのはホフマン博士だった。

 「他人の薬を、こっそり試し飲みとは感心しませんな」
 ブラウン先生はホフマン博士をたしなめたあと…

 「カレン、このピアノは本選に出場する三人のために用意され
たものです。あなたのものではありませんよ」
 と叱ってみせた。

 そこで、カレンは慌ててホフマン博士の膝をを下りたのだが、
その時はすでに多くの人がピアノの前に集まって、ブラウン先生
の眠り薬の効き目を確かめたあとだったのである。

**************************

 帰りのバスの中、ブラウン先生は不機嫌そうな顔で外の景色を
眺めているから、カレンはずっと申し訳なさそうにしていたが、
バスを下り、カレニア山荘に向かう馬車の中では、アンが小声で
話掛ける。

 「気にすることないわ。お父様、今はもうそんなに怒ってない
から……」

 「…………」

 「私はあなたより付き合いが長いから分かるの。あの先生は、
いつもあんな調子なのよ。あなたのせいじゃないわ」

 「でも……」

 「それより、あなたの月光は絶品ね。サンドラなんか目じゃな
かったわ」

 「そんなこと」

 「それが証拠に、あの部屋にいたほとんど全ての人が集まって
きたじゃない。あれはあなたの奏でる二台のピアノを聴きたくて
みんな集まったの」

 「二台のピアノ?」

 「そう、音の鳴るピアノと音の鳴らないピアノよ」

 「音の鳴らないピアノって?」

 「余韻ですよ。音を鳴らすだけがピアニストの仕事なら、自動
ピアノは天才的なプレヤーなんでしょうけど、誰もそんなことを
言う人はいないでしょう。それは機械では無音の部分をどうにも
デザインできないからなんです。あなたのピアノに感激するのは
鳴るピアノと鳴らないピアノのハーモニーが絶妙だからその音が
美しく響くんですよ」

 突然、先生が二人の話しに口を出す。こんな狭い馬車の荷台、
どんなに小声で話していても、その声が先生に伝わらないはずが
なかった。

 カレンは恐縮したが、カレンに先生の言葉の意味は理解できな
かった。彼女が弾くピアノはあくまで天性のもの。理屈があって
奏でるものではなかったのである。
 だから、カレンは黙ってしまう。

 そのカレンに向かって先生は……
 「まあ、いいでしょう。本当はあんな酔っ払いの膝の上ではなく、
もう少し勿体をつけてあなたの才能を発表したかったのですが、
仕方ありません。その代わり、その赤いスカーフはもう少しだけ
アンに貸してやってくださいね」

 ブラウン先生は、また元の笑顔を取り戻してカレンを見つめる
のだった。

***************************

 夕食のあと、カレンはリチャードの部屋へ行く。
 朝、あのサウナの中で先生に頼まれた作曲の仕事がずっと気に
なっていたからだ。

 すると、そこにはすでにアンの姿が……。

 「あら、カレン。あなた、この子の出来損ないの詩にあわせて
曲を作れって、お父様に命じられたんですって……」

 アンはリチャードのベッドに大の字になると、その詩が書かれ
た紙を天井を向いて詠んでいた。

 「えっ……ええ、……まあ……」

 「それにしても相変わらず、下手くそな詩ね。無理に、こんな
大人びた表現にしなくていいのよ。…書いてるの、どうせあなた
だってわかってるんだから……」

 こう言われたから、そこにいたリチャードが反論する。
 「だって、最初書いたのはお父様が『子供っぽくて村のお祭り
にふさわしくない』って……」

 彼はそう言うと書いた詩をアンから取上げる。

 「こんな韻を踏んだような詩、今どき流行らないわ。最近は、
大人だってビートルズを聴く時代なんだから……お父様は、頭が
古いの。化石化してるのよ。………ねえ、カレン、あなただって、
そう思うでしょう」

 「それは……」
 自信のないカレンは歯切れの悪い言葉でお茶を濁す。

 「ただ、わたし、教養がないから、こんな難しい詩にどうして
曲をつけていいのか、かわからなくて……」
 本音を正直に吐露すると……

 「簡単よ。ミサ曲と同じで韻を踏む感じで和音を合せるの。…
…といっても、あなた楽譜のこと、まるっきり知らないそうね。
……いいわ、私がやってあげる。全国大会までは少し時間がある
から……ときどき、お父様も無理な注文つけるから困るのよね」

 「でも、それじゃあ……私が頼まれたことですし……」

 「それじゃあ、あなた、自分でできるの?」

 「それは……」

 「こんなものは創作活動というより塗り絵みたいなものなの。
誰がやっても、そう大きく違わないわ。スカーフのお礼よ。……
それよりさあ、六時十四分。あれ、もう一度聴かしてくれないか
しら」

 「六時十四分って?」

 「だって、題名しらないもの。あなたが私のレッスン場で弾い
た曲のことよ。六時十四分に弾いたでしょう。だから六時十四分」

 「でも、あれは……」

 カレンは口をつぐんだ。
 カレンの弾く曲は一期一会。本人でさえ二度と弾けないのだ。
ところがそれを……

 「だったら、私にちょうだいよ。私が色んな処で弾いて広めて
あげるわ」
 アンは明るくおねだりするのだった。


 困惑するカレンを尻目にアンは彼女の手を引き、居間へ。
 そして、そこのピアノで『六時十四分』を再生する。

 「たしか、こう、だったわよね」
 
 アンは自らピアノを弾き、聴き覚えたカレンのピアノを楽譜に
起こしていく。それは、昨夜、ロベルトやブラウン先生がやって
くれたのと同じ作業だった。

 ただ違うところがあるとすれば、出来上がった楽譜がすっきり
していること。先生がつけた装飾音などなくとも、その音はより
シンプルに誰の心にも美しく響いたのである。


 こうして二人の取引は無事収まったようにみえたたのだが……

 「カレン、これは君の曲ではないですね。……アン、ですかね、
……こんなお茶目な曲をつけるのは……」
 村のお祭りで詠う曲を先生の処へ持って行ったカレンは、再び
ブラウン先生の渋い顔に出会うのだった。

 「この詩はたしかに韻を踏んで書かれています。でも、あなた
サー・アランの屋敷にいた頃、私に言いましたよね。私が奏でる
ミサの曲は韻を踏んだものじゃないと……私は明るいメロディー
が好きなんだと……」

 「ええ……」

 「だからそれでいいんですよ。私はあなたに曲を乗せてほしい
とは言いましたが、それはこんな韻を踏んだ旋律を期待したから
ではないんです。あなたの感性でメロディーをつけてください」

 「…………」
 カレンが黙っていると……

 「だから、簡単なことだ言ったでしょう。私はあなたにそんな
難解な宿題なんて出しませんよ。これはね、あなたなら一時間も
あればできますよ。詩を何度も何度も読み直してください。詩の
心を自分の心とすれば、メロディーは自然にあなたの脳裏を流れ
ます。今までだってあなたはそうして音楽と向き合ってきたじゃ
ありませんか」

 ブラウン先生はそう言ってアンの作った曲を付き返した。

 「ごめんなさい。作りなおします」
 カレンが申し訳なさそうにそれを受け取って、部屋を出ようと
すると……

 「そうだ、肝心なことを忘れてました。『六時十四分』あれは
いい曲ですね。最近、アンが、よく弾いてますけど……あれは、
あなたの曲でしょう」

 「あれは……」

 カレンはそこまでしか言わなかったが、ブラウン先生はカレン
の顔色を見て判断する。

 「やはり、そうですか。アンに聞いたら『これは私のものです』
なんていいますからね。おかしいと思っていたんです。あなた達、
ひょっとして楽曲を取替えっこしたんじゃないんですか?アンは
あなたにお祭りの歌を提供して、あなたのピアノ曲を得た。そう
いうことですね」

 「…………」

 「音楽は誰に権利があるかではなく、誰の心にあるかで決まる
んです。きっとアンはあなたに憧れを持っているんでしょうね。
あなたの曲をじぶんの物にしようと一生懸命練習していました。
おかげで、コールドウェル先生はまたおかんむりですよ」

 「私にアコガレ?」

 「そうですよ。……何か不思議ですか?……私もそうですよ。
…いえ、これからはもっと増えるでしょうね。いずれ、あなたの
ピアノはこれから楽譜として出版されるでしょうから」

 「そんなこと……」

 「予定してますよ。そんなこと……」

 ブラウン先生はお茶目に笑ったあと、こう続けるのだった。

 「どんなに精緻な譜面を残しても、どんなに高性能な録音機で
音を残しても、その音楽を真に弾きこなせるのは本人しかいない
んです。アンが、どんなに憧れようと、どんなに練習しようと、
あなたの曲があなたの身体を離れることはないんですよ」


********************(2)****

バカボンちゃんのスクールライフ (1)

バカボンちゃんのスクールライフ<小説/我楽多箱>

 バカボンちゃんの学校は大学の系列校だった。
 だから、小学校なのにやり方が大学と同じなんだ。

 どういうことかというとね、まず、どんな教科でもその日やる
単元を必ず予習してこなければならない。
 先生はそこを予習してきたものとして授業を進めちゃうからだ。

 心配な時は最初に子供達へ聞き取りなりテストなりをやって、
みんながちゃんと予習してきたかを確認してから授業を進めるん
だ。

 でもって、やる授業は教科書の内容じゃなくてたいてい別の事。
つまり、普通の学校でいうなら『自由研究』ってことになるかな。
 (要するに、受験には何の役にもたたない内容。楽しかったけど)

 もともと実験校って呼ばれてて、色んな教育方法を試すために
作ったみたいなので、教科書通りに授業を進めることはほとんど
ないんだ。

 そのくせ、教科書の内容だってちゃんとテストはするんだよ。
ふざけてるっていうか、理不尽このうえないんだ。
 要するに、教科書の内容とその後の自由研究のための下調べと
両方予習してこなければならないから親は大変なんだ。

 『えっ、子供は大変じゃないのか?』

 もちろん、大変だよ。だけど、子供だけに任せてたらたちまち
我が子は置いてけ堀くっちゃうもん。
 だから、親は毎日最低でも二時間は子供の勉強をみてやらない
といけないわけ。

 そんなわけで、バカボンちゃんの学校では、九九もローマ字も
みんな課題、つまり宿題だったんだ。
 そう、一学期の終わりに「夏休みの間にお父さん、お母さんに
習ってきてくださいね」だって……

 学校では時間をさいて教えてくれないんだ。薄情なもんさ。

 昔、『小さな恋のメロディー』という映画があって、その中で、
11歳の少年ダニーが宿題を忘れて、放課後、先生からお尻叩き
の罰を受けるというシーンがあったけど、あれ身につまされちゃ
ったなあ。

 そりゃあ、予習してこないからってお尻叩きはないけどさあ、
やってこないと最悪その時間を僕のために潰しちゃうことになる
だろう、みんなに迷惑が掛かるわけで、それなりにプレッシャー
なんだよ。

 ある友達が同じ映画の同じシーンを見て「イギリスの学校って
厳しいんだな、宿題わすれたくらいで、上履きでお尻叩かれるん
だから……その点、日本の小学校は楽だよね。宿題なんてやって
なくても『家にプリント忘れてきました』って言えばいいんだか
ら」って言いやがんの。

 僕の頭は一瞬「????」となったけど……事情を聞いて納得。
 うらやましかったなあ。そんなこと言ってみたかった。

(酒飲んで書いてますから内容はいい加減です。あまり深く考え
ないでください)

第3章 童女の日課(2)

<The Fanciful Story>

             竜巻岬《9》

                       K.Mikami

【第三章:童女の日課】(2)

《童女初日2》


 「ここが教室なの。お日さまがあたっててすがすがしいわね。
お庭も綺麗。バラが咲いてるわ」

 アリスが感動しているのを皮肉るようにケイトが釘を差す。

 「だからいけないの。眠くなって仕方がないわ」

 彼女たちが学ぶ教室には食卓テーブルが置いてあってビニール
のテーブルクロスがかかっている。椅子もベンチ式の長椅子で、
三人がそれに腰掛けて平行に並ぶのだ。

 そこへもう年の頃は七十を越えたであろうか。一人の若い助手
を連れてお爺さんが現われた。

 「お早ようございます。皆さん」

 「お早ようございます。チップス先生」

 アンとケイトは不自然なほど大きな声で挨拶する。

 「今日は新入生がいるということじゃったが、あなたかな」

 「はい。アリスといいます。よろしくお願いします」

 「おお、なかなかべっぴんさんじゃな。どれどれ、ハイネ君は
なんと言ってきたか…」

 老人は二十代半ばのうら若い女性から手紙を受け取ると開いて
読み始める。そこにはアリスの性格や教養などが事細かに書いて
あった。そしてお仕置についても……

 『堪え性は籐鞭E、ストラップ鞭E、浣腸B、お灸A』

 とランク付けして記載してあったのだ。

 「アリス君は甘えん坊だったようじゃな。…では、あなたには
これをあげよう」

 チップス先生がアリスのために差し出したのは『マザーグース』
これをお手本に書き取りをしろというである。

 もちろん嫌とは言えないし、渋々受け取るようなことも、ここ
ではタブーだ。

 「はい、ありがとうございます。一生懸命やります」

 『目を輝かせ、感動して…』
 アリスはぺロープの言葉を思い出していた。

 装飾文字を含め同じ文章を丁寧に十回も書き写すだけの単調な
作業。つい欠伸の一つも出ようというものだが、それは許されな
い。

 アリスが思わず口をだらしなく開けようとした瞬間。

 「ケイト」

 老教授が呼んだのはアリスではくケイトの名前だった。

 「前へ」

 老教授は言葉をおしむかのように必要最小限のことにしか口を
開かなかった。

 しかしそれでいて十分に意思の疎通はできるらしく、ケイトは
老教授の前へ出ていくと手の平を上にして両手を前に差し出す。

 「ピシ、ピシ、ピシ」

 続け様に三回、ケイトの手の平に小振りな籐鞭が飛んだことで、
アリスは欠伸一つがここではどういう結果をもたらすかを知った
のである。


 童女の午前中の勉強は、この他に古典詩の暗唱に終始する国語
と簡単な算数。それに長老の話を聞くだけの退屈な宗教が割り当
てられ、そのいずれもチップス先生が担当していた。

 そして、午後はイコンを模写する美術やフルートを習う音楽、
それに刺繍や簡単な繕い物などをやる針仕事という科目もこなさ
なければならなかった。


 「どう、一日のお勉強が終わった感想は。疲れたでしょう」

 「ええ、少し。でも楽しかったわ。だってこれまでずっと養育
係とマンツーマンでしょう。やることといったら、彼女のご機嫌
とりばかりで、何一つ新しい知識を吸収できなかったんですもの」

 「それはここでも同じよ。授業の内容はどれもピントのずれた
ものばかりだけど、私達はそれを大真面目で聞かなきゃならない。
つまりチップス先生のご機嫌とりをやらされているのは、ここも
同じだもの」

 「そうなの」

 「残念だけどケイトの言うとおりよ」
 アンがアリスの三つ編みを悪戯しながら答えた。

 「お母さまが私たちに求めてるのは童女のような純真さなの。
知識や教養というわけじゃないの。それに先生に対する女らしい
心づかいかな。それができれば童女も少女も卒業できるんだけど
……これが意外に難しいのよ」

 「ケイトさんは少女になったことがあるんでしょう」

 「ええ、私もアンも童女と少女の間を行ったり来たりなの」

 「アンさんも?」

 「そうよ、……私って正直でしょう。面白くないことがあると、
つい顔に出ちゃうのよね」

 「でも、お母さまはなぜ人まで雇って赤ん坊のまねをさせたり
こうして子供の格好をさせたりするの」

 「はっきり分からないけど、お母さまにはお母さまなりの信念
があるみたいよ」

 「私、知ってるわ。二年間だけでも頭を空っぽにしていると昔
の感情を振り払えるんだって‥‥これ禅(zen)っていうじゃ
ないの……知らないけど」

 「だって、私、まだ昔のことを覚えてるわよ」

 「いえ、そうじゃなくて問題は感情よ。憎いとか、悲しいとか。
もしここを出られたら『昔のことで復讐してやるんだ』って思え
るかってことよ」

 「それは……」

 アリスは当然あると信じ込んでいたものを心の中に探し始める。
でも、確かにあったはずのそれは、今は、事実だけしか浮かんで
こない。思い出に感情が伴わないのだ。

 『あんなに義母を憎んでいたはずなのに』

 アリスには今の自分が不思議だった。

 「ねえ、私たちこれからどうなるの。レディーになったあと。
ずっとこのまま、このお城で暮らさなきゃならないの」

 「それはわからないわ。私、レディーになったことがないから。
でも、大抵はここの養育係をやるか、葡萄園の管理や書庫の整理
なんか任されて、そのままご領主さまのお気にいりかお母さまの
娘としてここで暮らしてるみたいね」

 ケイトの言葉にアリスは少しがっかりした表情を見せる。

 「そう、やっぱりここは出られないのね」

 「でも、なかにはご領主様が経営する修道院付きの私立学校で
教師をしたりシスターになる人もいるらしいわよ」

 「あなた、元の世界が恋しくなったんでしょう」

 「いいわね。恋しい世界がある人は…」

 アンやケイトの言葉はアリスを少しだけ恥ずかしくした。

 「でも、外出することはできますよ。昔のお父さんやお母さん
に会うことだってできますよ。必ず戻ってくるという約束とここ
のことを口外しないという約束さえできれば」

 アリスは聞き慣れない声にはっとしてあたりを見回す。

 「コリンズ先生、こんにちわ」

 アンが教えてくれたその人は体の線がはっきり見えるスーツを
着込み、ロングヘアーを右手でかきあげると、切れ長の涼しい目
でアリスの方を見ている。

 「あなた見かけない子だけど…」

 「はい、今日から童女にしていただきました」

 「ああ、アリスちゃんね。私はコリンズというの。あなたたち
の養育係よ」

 「童女でも養育係っているんですか」

 「幼女や赤ちゃんの時のように一日べったりとはついていない
けど。一応、親がわりというか、学級担任の先生兼寮母のような
ものなの」

 コリンズ先生の言葉がまだ終わらないうちにケイトがアリスに
耳打ちする。

 「つまり、お仕置き係ってわけ」

 しかし、それはコリンズ先生の耳にも伝わって、

 「それはケイトちゃんだけの問題でしょう。……正しい生活を
送っていれば何も問題のないことよ。……ハイネの報告によると、
アリスちゃんはとても手のかからない赤ちゃんだったみたいね」

 「そんなこと」
 アリスは赤面した。

 「本当よ。試練の初日からおむつを素直に受け入れる人なんて
珍しいもの。この人たちなんか二ヵ月も三ヵ月も死ぬの死なない
のってもめた挙げ句、やっと屈伏したんだから。その点あなたは、
今までで一番手のかからない赤ん坊だったって書いてあったわ」

 「私、まだ子供だから……それに、あの時は…西も東も分から
なくて……」

 「おかれた情況はみんな同じですもの。おむつを拒否して当然、
暴れて当然だけど、それに分別をつけることができるのはきっと
あなたの育ちのせいね。お父様やお母様によい躾を受けたんだと
思うわ」

 「ハイネさんもここにいるんですか」

 「いいえ、彼女は今、シャルロッテと一緒にリサの面倒をみて
るの。あの子は大変よ。甘えん坊でわがままであなたと比べても
子供だわね。それを二人がかりで叩き直してる最中よ。ハイネに
会いたいの」

 「ええ、とっても」

 「あなた素直ね。でも、ここでは素直にしているのが一番よ。
ペネロープ様は素直な子には特にやさしいの」

 コリンズ先生の言葉にケイトがぽつりとつぶやく。
 「ええ、そうでしょうとも。どうせ私達は素直じゃありません
からね」

 ケイトの愚痴とも冗談ともとれる発言に今度はアンが、
 「私たちって、どういうことかしら。私は素直よ。誰かさんと
違って反省会の時も嘘や隠しだてはしないもの」

 「あ、アン。何よその言い方。私を裏切る気」

 二人の痴話喧嘩は無視してコリンズ先生がアリスに話を続ける。

 「そうだ、今日の晩餐、その姿じゃまずいわね」

 「え、どうしてですか」

 「ペネロープ様が、今夜、あなたをお披露目してくださるの。
だから今回の夕食だけ、あなたの席はご領主様とペネロープ様の
間になるわ……ちょっとした王女様気分が味わえるわよ。でも、
そのためにはそのお洋服ではちょっと淋しいでしょう」

 コリンズ先生はアリスの手を引っ張っていくと衣裳部屋で絹物
の正装に着せ替えて送り出してくれたのである。

 会場内に入ると領主アランもペネロープもすでに着席していた。
そこへアリスが恐る恐る入って行くと、まずアランが声をかける。

 「おう、これは美しい。以前会った時よりもまた一段と美しく
なってる」

 「お招きにあずかりまして光栄です」

 「どういたしまして、プリンセス。あなたのようなお美しい方
なら、いつでも大歓迎だ」

 「アリス、こちらへいらっしゃい」
 今度はペネロープが声をかける。

 「お招きにあずかしまして…」
 アリスがこう挨拶すると、

 「あなたと私は親子なの。そんな他人行儀な挨拶はおかしいわ。
あなたが私を母親として慕ってくれる事が大事なの。そうすれば
私はあなたのために何でもしてあげられてよ」

 「はい、お母さま」

 そうは言っても、おむつやナプキンまで取り替えさせたハイネ
と比べればアリスにとってペネロープはまだ遠い存在。今はただ、
彼女が自分を嫌っていないことだけを辛うじて理解できたにすぎ
なかった。

 「静かに」

 ペネロープの声にざわついていた場内が一転静まり返る。それ
に気を良くして彼女はアリスを紹介する。

 「今日、新たに童女に加わった子がいます。すでに顔を見た人
も多いと思いますが、まだ慣れないことも多いはずですから一番
下の妹として面倒をみてあげてください」

 ペネロープは座ったままでアリスを紹介した。だがアリスには、
「立ってご挨拶なさい」と命じたのである。

 それに答えてアリスが
「今度みなさんの妹となったアリスです。よろしくお願いします」
と言うと、ささやかながら場内から拍手が沸き起こった。

 以後は普段と変わらぬ食事風景となりアリスの前に次々に並べ
られた食事もフランス料理のフルコースディナー。ただし、緊張
していた彼女にはその美味しさを堪能する余裕はまだなかった。

 だから、部屋に戻ってきてケイトに質問されてもアリスは答え
ようがない。

 「どうだった。料理。鴨の肉美味しそうだったじゃない」

 「…そんな料理あったかしら、知らないわ」

 アリスは怪訝そうに首を振る。

 「何言ってるのメインディシュよ。じゃああの魚料理は、つけ
あわせトリフじゃないの」

 「………」これにも彼女は首を振るだけ。しまいには

 「それ、どんなお皿に乗ってたっけ…」

 と逆に質問する始末だった。

 食事中の彼女はただただ出てきた料理を口に運ぶだけ。どうか
粗相が無いように終わってほしいと願うだけだった。

 「なんだつまんないなあ、こんなチャンス、あとはお誕生日ぐ
らいなものなのよ」

 ケイトはお湯をはった洗面器に浸したタオルを絞ってアリスに
渡す。二人は裸になってそれで体を拭くのだ。

 「私の誕生日にはまたあそこで食事しなくちゃいけないんです
か?」

 「そうよ、あなた嫌なの」

 「だって緊張しちゃって」

 「あなた変わってるわね」

 アリスとケイトの話にそれまで本を読んでて参加していなかっ
たアンまでが加わる。

 「いいじゃないの。それだけこの子は権威を尊ぶすべを知って
いるのよ。だから目上の人に好かれるの」

 「そうか、私達みたいになすれっからしじゃ可愛げなんてない
ものね」

 「あ、また言った。何でもかんでも私達って言わないでちょう
だい。少なくとも私は権威を尊ぶすべも知っていますし、可愛い
つもりでもいるんですから」

 「何言ってるの、女の子のくせにネイチャーなんか読んでる子
のどこが可愛いのよ」

 「いいでしょう。個人的な趣味にまで口を挟まないで。そんな
事よりあなた宿題すんだの。私、あんたの汚いお尻にもう二度と
ワセリン塗ったりしないわよ。獣みたいな悲鳴を一晩じゅう聞か
されるもうんざりよ」

 「わあ、感に触る。アン、私がいつ獣みたいな声をあげたのよ」

 「いつもやってるじゃないの。オランウータンが発情したみた
いなヘンテコな声を張り上げて……」

 「失礼ね。あれは可愛い子ぶって泣いてるだけでしょう。黙っ
てお仕置き受けてたら可愛くないって言われそうだから……」

 「あっ、そうなの。ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。
あなたってまったく天邪鬼なんだから……だいたいね。どっちに
しても、あれなら完全に逆効果ね」

 「そうだ、それはそうと、あなた今日はもう反省室に行ったの」

 「え、いいえ。今日は叱られたこともなかったから」

 「いえ、そうじゃなくて。コリンズ先生の処へは毎日いかなけ
ればならないの。すっぽかすと大変よ」

 「わあ、どうしよう」

 「とにかく今からでも行った方がいいわね」

 アリスはあわてて反省室へ。

 「ねえ、アン。あの子いくつもらってくるかしら」

 「そうねえ、普通なら一ダースってところだけど。今日は初日
だから大負けに負けて半ダースってところね」

 「私はそんにいかないと思う。あの子、コリンズ先生にしても
結構、気に入られてるみたいだもの。三つじゃないかな」

 「それじゃあ、罪が無いってことと同じじゃない」

 「そういうこと」

 「いくらコリンズ先生でもそこまでは甘くないわよ」

 「じゃあ、賭ける」

 「いいわよ」

 しかし、この二人の賭けはそもそも成立しなかった。アリスは、
結局、ただの一回も鞭をもらわずに帰ってきたのである。


****************<了>********

お馬鹿中学生の思い出/小説ということでお願いします

7/14

 僕の学校生活は恵まれていたと思う。
 よその学校を知らないから断定的にはいえないけどね、虐めも
差別もなかったし、何より先生が優しくていつも甘えてた記憶が
あるんだ。

 小学校時代、僕は「孤立児」と呼ばれ、要注意児童だったけど、
その分、担任の先生も僕には気を使ってくれて、休み時間には、
よく頭を撫でられたり、膝に抱っこしてもらった。

 『えっ、それって教育的効果があるの?』とか、『逆効果じゃ
ないの?』という話はおいといて、本人はいたって極楽だった。

 学級委員だった学期もそうでなかった学期も常に担任の先生が
命じれば喜んで雑用に走り回った。テストの○付けなんかも頼ま
れればやってた。気がつくと先生の腰巾着。担任の先生は『第二
のお父さん、お母さん』って感じで甘えてたんだ。

 そんな馴れ馴れしい態度は中学校でも続いていて……
 「先生、そこはさあ、もっと丁寧に説明しなきゃ3以下の子は
わからないよ」とか……
 「もっと声を張らなくちゃ。そんな暗い顔して授業してちゃ、
こっちもやる気がなくなるよ」とか……
 あろうことか、先生の授業にいちゃもんをつける『超問題児』
になってたんだ。

 そんな折も折り、『さすがにそれはないだろう』という事件が
起きてしまった。

 歴史を担当していた先生が、どうも授業の進行が下手で何時も
もたもたしている。だから何時ものようにクレームをつけに行っ
たんだ。

 『えっ?お前の中学、そんなことして大丈夫なのか?』

 へへへえ、それができるんだな。うちの中学。ものすごく自由
な校風で、穏当で正当な理由があれば、こんなふうに授業を批判
することも許されてたんだ。

 先生っていうのは、見上げる存在じゃなくて、お友だち感覚。
普段からとっても馴れ馴れしい感じで付き合ってたんだ。
 (それが教育的にいいかどうかはわからないけど、生徒として
は楽しかったよ。そんな中学だもん、生徒を敬称付きで呼ぶって
わかるだろう)

 でも、それがやりすぎちゃった。

 「ねえ、先生。そもそも先生は僕より知識があるのかなあ」
 なんてね、正気の沙汰で言ってしまったんだ。

 声は小さいし、授業進行はもたもたしてるし、何を説明しても
自信なさげだし、……それは言っちゃいけないんだろうけど……
教育大はじめ旧帝大出の先生が居並ぶなか、東都大(仮名)出と
いうのも『大丈夫か?』ってことの中身だったんだ。
 (本当に、増田先生(仮名)、ごめんなさい)

 この時、周囲に同じ社会科の先生たちがいたんだけど、驚いた
というよりあっけに取られてた。

 でもね、増田先生はとってもやさしい先生で、落ち着きを取り
戻すと思わず笑ってたよ。

 「そうか、わかった。じゃあ、倉川君も中学の問題じゃ物足り
ないだろうから高校生の問題でも二人でやってみようか」

 ということになった。つまり、同じ問題を解きあって競争する
ことになったんだ。このあたりになると、さすがに正気を取り戻
した周囲の先生たちがにこやかに笑ってた。
 お馬鹿でしょう。信じられない馬鹿ですよね。
 (このあたり、キーボード叩いてて、今でも冷や汗です……)

 もちろん、結果は赤っ恥。今でも問題の一部は覚えてるけど、
中国史が全然出来なくて泣いた。

 でもね、増田先生は全然怒らなかったんだ。

 むしろ……
 「これからどんな風に授業を進めた方がいいのかな。君なりに
どうしたらいいか考えてるんだろう。教えてよ」
 って、協力を求められたんだ。(もちろん、真剣な話だよ)

 そこで、当時、社会科関係ではちょっとうるさ方だったY女史
やT君(ともに僕の親友にしてクラスメート)に協力を求めて、
工夫してみることにしたんだ。

 結果、先生の授業はぐんと分かりやすくなったし、何より先生
自身が明るくなったから、僕の赤っ恥もいくらか役に立ったのか
もしれない。

 『えっ!嘘みたいな話』だって……(;゜0゜)

 はははは、嘘です。(*^o^*)
 本当は増田先生が人一倍努力したからよくなったの。ぼく達は
単なるお賑やかし。

 ただね、僕もその時、実験的に教壇に立ったけど、その時思っ
たんだ。
 「授業をするってこんなに難しいんだ」
 って……
 だって、知ってることの三分の一も伝えられなかったもん。

 「お調子者の倉ちゃんも、少しはお利口さんになったかな」

 こう言って、担任の先生にあとで頭を撫でられたんだけど……
小学生時代とは違って中学生だからね、本当はそんなことされる
の嫌だったんだけど、今の立場を考えると、その手を跳ね除ける
こともできなかった。
 これが中学時代の一番辛いお仕置きだった気がするなあ~~。

 (つまらない話でごめんなさいね)

第6章 同床異夢のピアニスト(1)

        <<カレンのミサ曲>>

第6章 同床異夢のピアニスト


************<登場人物>**********

(お話の主人公)
トーマス・ブラウン
……音楽評論家。多くの演奏会を成功させる名プロデューサー。
ラルフ・モーガン
……先生の助手。腕のよくない調律師でもある。
カレン・アンダーソン
……内戦に巻き込まれて父と離ればなれになった少女。

(先生の<ブラウン>家の人たち)ウォーヴィランという山の中
の田舎町。カレニア山荘

<使用人>
ニーナ・スミス
……先生の家の庭師。初老の婦人。とても上品
ベス
……先生の家の子守。先生から子供たちへの懲罰権を得ている。
ダニー
……下男(?)カレニア山荘の補修や力仕事をしている。
アンナ
……カレニア山荘で長年女中をしている。
グラハム
……カレンの前のピアニスト

<里子たち>
リサ
……(2歳)まだオムツの取れない赤ちゃん。
サリー
……(4歳)人懐っこい女の子。
パティー
……(6歳)おとなしいよい子、寂しがり屋。
マリア
……(8歳)品の良いお嬢さんタイプ
キャシー
……(10歳)他の子のお仕置きを見たがる。
アン
……(14歳)夢多き乙女。夢想癖がやや気になる。
ロベルト
……(13歳)端整な顔立ちの少年
フレデリック
……(11歳)やんちゃな悪戯っ子。
リチャード
……(12歳)ポエムや絵画が好きな心優しい子。

<先生たち>
ヒギンズ先生
……子供たちの家庭教師。普段は穏和だが、怒ると恐い。
コールドウェル先生
……音楽の先生。ピアノの他、フルートなどもこなす。
シーハン先生
……子供たちの国語とギリシャ語の先生。
アンカー先生
……絵の先生。
コモンズ先生
……数学の先生
マルセル先生
……家庭科の先生


<先生のお友達/ライバル>
ラックスマン教授
ビーアマン先生
エリアス婦人
ホフマン博士
ハンス

****************************

§1 朝の習慣 / 天才アンのピアノ

 窓が明るくなる頃、カレンは目を覚ました。
 そして、ベッドに上半身だけを起こすと、ふっとため息をつく。

 『朝、何をするのか聞いてなかったわ』

 彼女は仕方なく台所へ。
 もちろん、もう女中ではないと知らされていたが、そこに行け
ば『何をすればいいのか分かるかもしれないし、分からなくても
そこを手伝えばいい』と考えたのだ。

 「あら、カレン。もっとゆっくり寝ていればいいのに……」
 台所へ入るとさっそくアンナが声をかけてくれる。
 「……何なら、朝は食事を運んであげてもいいのよ」

 こう言われて、カレンは頬をポッと赤くなる。

 そんな身分でないことは分かってるし、からかわれたと思った
のだ。
 だから、エプロンをしてそこで朝の仕度を手伝った。
 何よりこうしていることが、カレンには楽だったのである。

 そんな、五、六人が忙しく働く台所に若いメイドが駆け込んで
来て……
 「ねえ、誰か先生の処へバスタオルを持って行ってくれない」
 彼女はそう言いながらカレンに目を止める。

 「ねえ、あなた、持って行ってくれる。今髭剃り中だから……
西の廊下をまっすぐ行った突き当りにバスルームがあって、……
先生はたいていそこだから……」

 カレンは、若いメイドにバスタオルを二枚押し付けられると、
そのバスタオルを抱えて廊下を渡る。たしかにその突き当たりの
部屋では人の気配がしていた。

 ガラス戸に人影が映ったので、戸の外から……
 「カレンです。バスタオルを二枚お持ちしました」
 と言うと……

 「お~カレン、入ってきなさい」
 耳慣れた先生の声がした。
 
 そこで、戸を開けてみると、中には多くの男性……といっても
先生以外は自分より年下の子たちなのだが、蒸し風呂の熱気の中、
そこは男の体臭でむせ返っていた。

 カレンは思わずのけぞる。顔をしかめて、こんな処はさっさと
用を済ませて抜け出そうと思った。

 ところが、そんな女の子の事情が分からない先生は、カレンを
近くに招き寄せる。

 「昨夜、居間に顔をださなかったんで紹介しそびれたが、もう
一人いたんで、紹介しておくよ。……おいで……リチャードだ」

 先生は男の子を呼び寄せカレンに引き合わせてくれた。
 それに対してカレンは、いつもの笑顔ではなく、戸惑いながら
一言、「はい」と力なく答える。

 誰かを紹介されること自体、特別なことではない。これまでだ
ってたくさんの子供たちを紹介されてきている。でも、問題は、
その周囲の様子が今までとは少し、いや、だいぶ違っていたから
カレンは戸惑っていた。

 何時もなら、たとえ居間でくつろいでいる時だって、ブラウン
先生はこざっぱりとした格好でいる。
 ところが、この時の先生はパンツひとつの裸同然の姿。

 おまけに、背もたれが倒れるタイプのデッキチェアーに長々と
寝そべって、腰の下には枕まで入れているから、お腹だけが突き
出て見えて、カレンにすればとても卑猥に感じられたのだった。

 『サウナの中だからパンツひとつでいるのは当たり前。カレン
だってもうお客さんじゃない。家族なんだからこの姿でもいいん
じゃないか』
 先生はきっとそう思っていたのだろう。
 しかし、少女にその常識は通じにくかった。

 カレンが近寄っても先生は上体すら起こそうとしないし、先生
の足元ではフレデリックが木のへらを玩具がわりに遊んでいるし、
枕元ではロベルトが剃刀片手に何だかニヤニヤ笑っている。
 こんな光景、カレンにとっては不気味と言う他ない。

 「リチャードです」

 汗に濡れた手を差し出したのはまたしても年下の少年。12歳
だという。子供と言ってしまえばそれまでだが、やはり身に着け
ているのはパンツだけ。

 カレンは目のやり場に困った。

 もちろん、だから何かが起こるというわけではない。ただ、女
の子にしてみると、それだけで、何やら得体の知れない圧迫感の
ようなものを感じて不安なのだ。

 「はじめましてリチャード、私がカレンよ」

 震える言葉が今の彼女の心を表している。
 ただ、そうしたことを、ここにいる男性たちは誰一人気づいて
いないのも確かだった。

 「そういえば、リチャード。昨夜は夕食のあと、部屋に戻った
みたいだが、何かしてたのかね?」

 「詩を書いてたんです。村のお祭りで発表する。村を称える詩」

 「ああそうか、君に頼んでいたね。何か、面白いフレーズでも
思いついたのかね?」

 「そういうわけでもないけど……アンお姉ちゃまも今は忙しい
し……自分で考えて……」

 「そうだな、でも、何か出来たんだろう?詠んでみなさい」

 ブラウン先生に勧められて、リチャードは自作の詩を詠み始め
る。

 「故郷に連なる山々は若草色の思い出か。今朝、暁に連なりし、
紫雲(むらさきぐも)は神々の幼き使いの子供たち、彼らの寝床
と覚えたり。見よや光臨。光の帯を滑り来て、父より受けし祝福
を晴れたる空に轟かす。木陰のリスよ、谷間の百合よ、川辺の熊
も露草も、皆この楽園に我らと生きん」

 リチャードが詩を吟じている間、カレンは仕事に戻った男達を
観察していた。

 フレデリックは、先生の大きな足の指を揉みながら持っている
木のへらで土踏まずの辺りを一生懸命マッサージしている。結構、
力仕事だ。
 一方、ロベルトはというと、こちらは先生の顎に石けんを塗り
ながら剃刀で髭を剃っている。繊細な仕事。とても真剣な表情だ。

 そして、ブラウン先生はというと、その男の子たち三人の仕事
ぶりを満足した様子で受け入れ、なされるままにして寝そべって
いた。

 そんなだらしない先生がこんな事を言うのである。
 「カレン、あなたは、どうやら男のこんな姿を見たことがない
ようですね」

 「いえ」
 カレンは思わず嘘を言ってしまう。

 寝そべったままの先生に、それは分かっていたようだったが、
それを責めるつもりはなかった。

 「あなたの顔には、『男性はいつも雄雄しいものだ』と書いて
ありますよ」

 「えっ!?」

 「(ははは)図星でしたか」
 先生はにこやかに笑ってからこうも続けた。

 「でもね、そういつも雄雄しい姿ばかりじゃ、男だって疲れて
仕方がありませんよ。むしろ、だらしのない姿をしている時の方
が多いんです。ただ女性の前では極力そうした姿を見せないよう
にしているだけ。雄雄しい男なんて見栄、男の見栄です」

 先生はそこまで言って、ようやく上半身をデッキチェアーから
起こした。

 「もし、あなたが他の家の人なら、ここへは入れないでしょう。
でも、あなたは、すでにここの家族なんですから、こうしたこと
には慣れるしかありませんよ」

 「はい、先生」

 カレンは先生に求められるまま、持ってきたバスタオルを渡す。

 「私は、あなたがお父様とどんな家庭生活を送っていたか知り
ませんけど、ここにはここのルールがあります。恥ずかしいこと
も共有できるから家族なんですよ……」

 ブラウン先生はカレンからバスタオルを受け取りしな、さらり
と言いのけたが、これには『あなただって、家族の中では外では
起こりえないような恥ずかしい思いをすることがあるんですよ』
と言っていたのである。

 「あなたは若い女性だから、この年寄りの身体を到底理解しえ
ないでしょうが、年をとるね、足の裏のマッサージとあごひげの
逆剃りを同時にやってもらうと、天にも昇る心地なんです。……
朝はね、これがないと始まらないんですよ」

 先生はそんな朝の習慣をどこか自慢げに語ると、バスタオルで
体を拭いてバスローブに着替える。
 ただ、その際……

 「カレン、さっき詠んだリチャードの詩。月並みで感動もない
駄作に思えるかもしれませんが、君の方であれに曲を乗せてくれ
ませんか」

 「えっ……」
 いきなりの提案にカレンが動揺すると……

 「アンはまだこれからも忙しいだろうし、ああいう詩につける
メロディーは、男なんかに頼むより、君の方がよほどいいものが
できるような気がするんですよ」

 「えっ……そんな……わたし、そんな事したことないし……」
 カレンは突然の提案にただただ戸惑い、断ろうとするのだが…

 「いいですかカレン。誰だって『最初』ってあるものなんです。
このロベルトだって、最初に髭剃りを頼んだ時は手が震えて私も
怖くて仕方がありませんでしたけどね、今では床屋顔負けの腕だ。
特にこの子の深剃りは絶品でね、まるで女性と抱きあっ……あ、
いや、……とにかく慣れですよ。君ならできますから……」

 「でも……」

 「大丈夫、まだ一週間もある。気にしないで……」

 「気にしないでって……えっ、そんなにすぐに……」

 「そんなに怖がらなくてもいいじゃないですか。君ならこんな
こと、一時間もあればできることなんだから」

 ブラウン先生は呆然とするカレンに得意の笑顔を振りまくと、
大きな顔を近づけてきて有無も言わさずという感じで迫ってくる。

 だから、ほとんど弾みで……
 「は……はい、やってみます」
 狼に睨まれた子羊のようにカレンは小さな声で答えてしまう。
 笑顔の先生の押しの強さに押し切られた格好だが……
 おまけに……

 「あっ、そうだ、今日はアンの演奏を聞きに行きますからね。
カレン、あなたも着いていらっしゃい。きっと、心に残る名演奏
が聞けますよ」

 ……ということで、その話は実質的には一週間すらなかったの
である。

****************************

 ブラウン家の朝の食卓は夕食の時と同じ。まずチビちゃんたち
が大人達のお膝の上でお給仕を受けながら食事をしたあと、大人
たちがゆっくりご飯を食べるというスタイルだ。

 その席には今日の主役、アンも来ていた。彼女だって、この家
の年長の子供なわけだから、他の妹たちの食事の面倒をみている。
 それはコンクール当日でも変わらなかった。

 その様子に何か特別おかしなことがあるわけではなかったが、
カレンが目を合せようとすると、アンの方がわざとそれを外して
いるような気がしてならない。

 『わたし、嫌われてるのかなあ……たしかに、昨日一度会った
きりだし、特別親しいわけじゃないから……でも、ひょっとして
先生に命じられて私の前で裸になったことを気にしてるのかしら
……』

 カレンもそのことは依然として気になっていた。

 「アン、今日は、もちろん私は行くつもりだが、他の子たちは
お前が気にするようなら遠慮させるよ」

 ブラウン先生は穏やかに尋ねたが……

 「大丈夫です。どうせ、舞台からは観客席に誰が座っていても
見えませんから……」
 
 彼女は、膝に乗せたサリーの口にスプーンを運び入れながらも、
どこかそっけなく答えた。

 そんなアンの気持をコールドウェル先生が代弁する。

 「大丈夫ですわ。先生。アンもこれで少しは度胸が付きました
のよ。今回は、そんな一皮向けたアンの姿をご覧に入れることが
出来ると思いましてよ」

 「そうですか、それは楽しみですね」

 ブラウン先生の言葉にアンが微妙に反応したのが、カレンには
わかった。

 『そうか、この子、気が弱いんだ。……でも、そんな子を私の
前で裸にしたりして……誰かが、荒療治だって言ってたけど……
あれって度胸をつけさせるためだったのかしら?……でも、それ
って大丈夫なの?……かえって萎縮したりしないのかしら……』

 カレンは他人事ながら心配になった。
 
 結局、アンが参加するコンクールへの応援部隊は、13歳以上
の子供達や彼女に関わっている学校の先生や家庭教師、女中頭の
アンナや庭師のニーナ・スミスまで総勢14名。

 もちろん、コールドウェル先生も一緒だった。

 山を馬車で下りると、駐車場にマイクロバスが止まっていて、
それに乗り換えて街の公会堂へと向かう。

 公会堂は古い建物で、楽屋側から見ると電気の配線はむき出し
になっているし、水道管が漏水して壁のいたるところで水が染み
出している。

 そんなオンボロでも近在では一番の大きな建物だった。
 時計台の時計は正確に時刻を刻んでいたし、ステンドグラスも
街のボランティアによって常に綺麗に磨き上げられている。正面
玄関の床を飾る大理石だって、どこにも剥げたところがなかった
から、観客の側から見る限りどこにも不足のない建物だったので
ある。

 だから、ピアノコンクールの地方予選も会場は決まってここが
使われていたのだった。

 会場に到着するとブラウン先生はこの地方の名士たちと挨拶を
交わす。職業柄、この手の人たちを無視できない彼は子供たちを
アンナにまかせて、まずはロビーで繰り広げられる社交の場へと
赴くのだ。
 そんな彼の仕事場へ、なぜかカレンだけは一緒に来るようにと
指示されたのである。

 ラックスマン教授、ビーアマン先生、エリアス婦人、ホフマン
博士、次々と握手を交わしていくと、彼らはそのつどアンと同じ
ように「彼女は何者か?」と尋ねるのだった。

 すると、先生は、はにかんだように、しかし、少し毒をもった
言い回しで……

 「(はははは)最近、手に入れた眠り薬です。どうやら、私も
歳をとったせいか睡眠薬がないと寝つきが悪くなってしまいまし
てね。この子のピアノがその薬代わりというわけです」

 こんな事を言えば相手がどんな反応を示すか、勿論、ブラウン
先生は承知していた。
 そう、アンのついでにカレンもこれら名士たちに顔見せさせて、
何かの折には売り込んでみよう、そんな下心があったようだった。

 もちろん、これは、カレンが売れるだけのものを持っていると
踏んでのこと。誰にでもこんなことをするわけではない。

 そんなことは知らないカレンは、ただただ機械的に紹介された
相手と握手をして回っていたのだが……
 そのなかで一人だけ、ハンスという名の青年にだけは他の人達
とは別の感情を抱いて握手を交わしたのである。


 カレンは先生の隣りに席を占め、演奏会は定刻に始まったが、
誰もが名演を繰り広げたというわけにはいかなかった。地方予選
という性格上、個々の技能に大きなばらつきがあるからだ。

 しかし、ブラウン先生はどんなピアノを聴いても眉ひとつ動か
さない。それどころか、どんなに稚拙でお粗末な演奏に対しても
惜しみない拍手と笑顔を送るのだ。

 それは彼の職業的な義務でもあったからだが、むしろ、聞くに
値する演奏に出くわすと、先生の視線がとたんに厳しくなるから、
隣りのカレンにしてみれば、先生の評価基準のようなものがおぼ
ろげながら見えてきて楽しい時間だったのである。

 『ハンスだわ』
 そんななか、さっき握手を交わしたハンスが舞台に上がった。
面長の顔は目鼻立ちがはっきりしていて肩まで髪を伸ばしている。
自分とは同じ歳。でも、なぜかとても大人にみえる少年だった。

 『軽くハンドキスされたからかもしれない。……でも、なぜ、
今もこの手は震えているのだろう』
 カレンは舞台上のハンスを見て思う。

 『思えば、ハンスだけじゃない。ラルフにも、ロベルトにも、
心がときめいた。私の身体って……いい男と見れば誰に対しても
ときめいてしまうのだろうか。それって淫乱ってことじゃないの』

 カレンはそっと心の中で自戒する。

 でも、それはカレンが十六の歳まで男の子を好きになれるよう
な環境になかったから起こっているだけのこと。清楚に見えるが、
彼女の心の中は、『男への免疫がない』『警戒心がない』『誰もが
白馬の王子様に見える』という幼い少女のものだったのである。

 もちろん、ブラウン先生やフレデリックまでもその対象にして
いるわけではないのだが……

 「……………………」

 カレンはハンスの演奏が熱を帯びるたびに、自分の身体もその
心棒が熱くなっていくのを感じる。正確には音楽そのものという
より、演奏する彼の姿を見ていて、胸も、お腹も、その下も……
身体の全てで、吹き荒れる若い性の嵐を抑えることができないで
いたのだった。

 仮に、部屋に独りでいて、彼の演奏する姿をテレビを見ていた
ら……ひょっとして彼女はオナニーをしていたかもしれなかった。

 『先生の目が厳しいわ。きっと、彼、いい演奏をしてるのね』
 彼女は上気した自分の顔を見られるのが恥ずかしくて、先生の
顔をそっと覗きこんでは納得するのだ。


 そして、いよいよ最後は、アンの登場。

 「いよいよです。緊張しないですんなり入れるといいですけど
ね」ブラウン先生はそう言ったあと、思い出したようにカレンに
尋ねる。「……おっ、そうだ、コールドウェル先生が、あなたの
スカーフをどうとか言ってましたよ。しばらくお借りしますとか
……」

 カレンはすぐにその事に思い当たった。昨日、アンのレッスン
を見学した際、そこに赤いスカーを忘れていったのだ。
 折があれば再びアンの所へ行って返してもらおうと思っていた
のだが……

 「……(えっ!!あれ、わたしの)……」

 カレンはそのスカーフを思いもよらない場所で再発見するので
ある。

 アンは白いワンピース姿で登場したが、本来なら何も手にして
いないはずの手に、そのスカーフがさりげなく握られているでは
ないか。

 「(どうして?)」

 カレンの疑問をよそに彼女は場内のお客様方に軽く一礼すると、
カレンのスカーフを椅子の上に置いて、その上に腰を下ろす。
 そうやって、やおら、ピアノを弾き始めたのである。

 op.58、第1楽章。

 「……(すっ……すごい)……」

 カレンはたちまちアンのピアノに圧倒される。

 彼女は、今、おろしたての白いワンピースを着て、ショパンの
ピアノソナタ第3番を弾いている。

 しかし、彼女にとって、それは重要なことではなかった。

 どんな晴れやか衣装も、どんなに難しい曲も、大勢の観客さえ
も、いったんピアノに取りついた彼女にとっては、その先はどう
でもよいことだったのだ。

 『カレンという女をお尻に敷いて、自分の音楽をその耳の奥へ、
一番奥までねじ入れるんだ』

 彼女にとって大事なことはそれだけ。それだけのためにピアノ
を弾いていたのである。

 「(ピアノが自分で鳴ってるわ。アンが、どこにも見えない。
彼女、ピアノと完全に同化してるんだわ)」

 カレンはアンのピアノに心の奥底で狼狽する。しかし、それは
不幸を感じておろおろしているのではない。むしろ、喜びに心が
乱舞しているのだ。

 「(これが、天才と言われるアンのピアノなのね。私、たとえ今、
彼女が裸でピアノを弾いていても、その姿を見ることなんてでき
ないわ。だって、私の頭の中には、ピアノと一体になって奏でる
アンの音だけしか入ってこないもの)」

 その衝撃はカレンにとって、ハンスの時とはまったく対照的な
感動だったのである。

 「(終わったのね)」
 カレンは拍手さえ忘れて椅子に座っていた。

 まるでノックアウトされたボクサーのようなうつろな目をして
いるカレンに向かってブラウン先生が尋ねた。

 「どうですか?アンのピアノは……」

 「ええ、……すごいんですね。……アンさんのピアノって……」

 「ええ、凄いんですよ。だから天才なんです。ただ、天才って、
なまじ才能が有り余ってるせいか移り気でしてね、なかなか一つ
の事に集中できないんです。それを今回は、あなたが物の見事に
集中させてくれた。私からも感謝感謝ですよ」

 ブラウン先生は、アンの演奏が終わった後も放心状態のカレン
の手をとって、満面の笑みを浮かべるのだった。


*******************(1)******  

7/6 『君』・『ちゃん』・『さん』って甘えかなあ?

7/6

 楽隠居できると思ってブログ開いたのに、何かと忙しくて日記
も書けない。
 同様の悩みを抱えている人も多いみたいだけど……ブログって、
なるほど続けるって大変な事だと思いました。

 さて、いつものように昔話をひとつ。

 あれは高校生の時でしたが、大学を出て奉職したばかりの体育
の先生が、僕の名前を「倉川」って、呼び捨てで呼んだものです
から腰を抜かすほどびっくりしました。

 『えっ?教師が生徒を呼び捨てで呼んでどこがおかしいんだ。
当たり前じゃないか』
 って、多くの人はお思いかもしれませんが、僕の人生にあって
これは一大事件だったんです。

 だって、これまで、幼稚園から小学校、中学校、この高校でも
生徒の名前を呼び捨てにする教師に出会いませんでしたから。

 幼稚園や小学校は当然、中学、高校でも先生は生徒を呼ぶとき
『○○君』『○○さん』と敬称を付けて呼ぶのが普通で、生徒の
方でも、先生を呼ぶときは『○○先生、いらっしゃいますか』と
敬語を使うのが基本的な慣わしだったのです。

 それが、いきなり「倉川」ときたんで、正直、面食らいました。

 私が怪訝な顔をするので、むしろその事が不思議だったらしく、
相手も怪訝な顔になりました。

 ま、私はおとなしいたちなので、その時はそれ以上波紋が広が
らなかったのですが、この先生、点呼の時にも各生徒を呼び捨て
にしますから、これには生徒たちの間で動揺が広がります。
 (この学校では、生徒どうしでも相手の名前を呼び捨てにする
のは喧嘩する時だけなんです)


 まだこの学校に赴任してきたばかりで、この学校の事情をよく
ご存じないのだから、もう少し穏やかに対処すればよかったので
しょうが、高校生というのは血の気の多い人たちが多いものです
から、この先生、その後生徒達から吊るしあげにあってしまった
のです。

 最初は、「そんなの常識じゃないか」と言っていてた先生も…
…多勢に無勢。何より、自分の味方になってくれると思った同じ
体育の先生方からも色よい返事がきけなくて、孤立無援になって
しまったんです。

 おまけに保健の授業では重箱の隅を突くようなどうでもいい事
をねちねち質問されて、追い詰められていきます。
 ……とうとう、白旗だったみたいで、ほどなく、『君』『さん』
を付けてくれるようになりました。
 (最初、それがとてもぎこちなかったので笑ってしまったのを
覚えています)


 私はこんな学校で育ったからそう思うのかもしれません。世間
の常識には反するかもしれませんが、先生といえど生徒に対して
は一人一人に敬称を付けて呼ぶべきだと今でも思っているんです。

 『教えを請う者だから』『幼いから』というのは、私の心の中
では理由になっていません。生徒の人格を尊重するというのなら、
それは長幼の序に関わらず守るべき礼儀だと思うからです。
 仮に、『呼び捨てでなければ、教師としての権威が保てない』
などとおっしゃるむきには、『そのような力のない教師に教えを
請わなくても他を探します』とだけお答えしておきます。

 こちらも、物心ついた頃から目上の人を敬うように厳しく躾ら
れてきましたから、それなりの対応をとってきました。
 ならば、相手にも応分の礼儀、態度を求めます。
 それがぼく達の学校のルールでもありましたから……。

 そんな事情もあって、中学以降は先生とも大人の付き合い(?)
になり、子供じみた体罰はありませんでした。実生活での体罰は
小学校時代ですでに打ち止めになっていたんです。
 僕の小説に小学生がやたらと多いのは実体験がそこにしかない
から。もし、中学時代にあったら性欲がからんでもっと面白い物
が書けたと思うんですが、そこはとっても残念です。
 

第3章 童女の日課(1)

<The Fanciful Story>

           竜巻岬《8》

                      K.Mikami


【第三章:童女の日課】(1)
《童女初日1》


 童女となったアリスには、幼女の時に受けたのと同じ仰々しい
儀式が待っていた。ペネロープから賜り物をさながら聖体拝受の
ようなうやうやしさで受け取るあの儀式だ。
 そして、それが終わるといきなり素裸になるように命じられた
のである。

 「裸になりなさい。身につけているすべてを脱ぐのです」

 ただ、ペネロープにそう言われてもアリスはまったく驚かない。
幾多の試練に耐えてきた彼女は、まるでお風呂にでも入るような
気軽さでペネロープの要望に答えたのだ。

 「美しい体をしていますね。お乳も張り、ウエストも締まって、
…お尻にも、だいぶ肉がついてきたみたいだし……」

 ペネロープは羨ましげに若い体を眺める。

 「後を向きなさい。……もう、先日の傷跡は消えたみたいね」

 皺々かさかさの手がアリスの双丘に触れると、反射的に電気が
走った。
思わずアリスのお尻がぷるんと飛び上がる。

 「いいわ、こちらを向きなさい」

 ペネロープは再びアリスを向き直らせると、愛用の籐椅子から
五十センチの所へアリスを立たせたまま、あとは何もしなかった。

二人だけの部屋に沈黙の時間が訪れる。

「……どう、恥ずかしい」

 ペネロープが次に口を開くまで二分とかからなかったが、観賞
され続けたアリスに にしてみればその間が一時間にも感じられ
るしじまだ。

 「いいえ、お母さま」

 「そう、……でも、これからは恥ずかしいと感じるようになら
なければならないわね」

 ペネロープの答えはアリスには意外だった。これまではずっと
『恥をかけ』『恥ずかしさに慣れろ』と言われ続けてきたような
気がしていたからだ。

 「これまではね、前の人生の錆び落としが目的だったの。でも、
これからは、ここでの生活に必要な素養や教養を学んでいかなけ
ればならないわ。女の子にとって恥ずかしいと感じる心は大事な
素養の一つよ」

 「では、もう人前でパンツを脱がされることはないんですか」

 「見ず知らずの人たちの前ではね……でも……お仕置きは別。
これからあなたはいろんな先生にいろんなことを習うけど、その
先生たちには一定の懲罰権を与えているの」

 「………」
 アリスはあからさまにがっかりした顔になった。

 「……ただ、幼女の時のように薮から棒にパンツを脱がされる
なんてことだけはないわね。悪さをしない。怠けない。規則さえ
守っていればその危険はぐっと少なくなるはずよ」

 ペネロープはそれだけ言うと再び口を閉じた。そしてその後も
ずいぶんと長い間、アリスの裸の体を眺め続けたのである。

 一方のアリスはペネロープに見つめられたまま何もすることが
できない。全裸のまま義母の前にただただ立っていなければなら
ないのだ。特段の恥ずかしさはないが何か悪さをして立たされて
いるような不思議な気持ちになる。

 そのうちペネロープが静かに目を閉じて考え込むようになった
のでアリスは部屋のあちこちを見回し始めた。

 まるでベッドの上を歩いているような厚い絨毯に乗っているの
はペネロープの籐椅子と自分自身。それに脱ぎ散らかした服だけ。
作り付けのクロークだろうか、壁には大きな扉がいくつもついて
いる。

 本が並ぶ本棚、お人形の住まいの飾りだな、たくさんのお花が
生けられた大きな花瓶とそれを支える小テーブル、クラシックな
事務机や椅子。コブラン織のタペストリーは女性同士のいわゆる
69。山百合を模した鉄枠窓からは春を告げる東風がゆるやかに
流れこんでいた。

 「アリス」

 アリスはそのきつい声にはっとして正面を向く。
 「あっ、はい……」
 そこには不機嫌そうなペネロープがいた。
 彼女は何も言わずただ膝を叩く。

 「………」

 どうやらここにうつぶせになれというのだろう。アリスとして
はお仕置きされる心当たりがないのだが、彼女はそれに応えざる
を得ない。

 「ピシッ、ピシッ、ピシッ」

 スナップのきいた一撃が三つアリスのお尻に炸裂する。しかし、
お仕置きはそれだけだった。

 そして再び、アリスは立たされたまま放置される。
 ペネロープはまた目を閉じたが、今度はアリスがよそ見をする
ことはなかった。

 「…<いったい何をしているんだろう?>…」

 アリスにはペネロープの行動はまったくの謎だった。
 そう、それは彼女がペネロープくらいの年令になるまで、それ
はまったくの謎だったのである。

***************************

 数分後、ペネロープは一人目覚めて呼び鈴を鳴らす。
 メイドにアリスのための服を用意させるためだ。

 「はい、ペネロープ様」

 呼ばれたメイドがいったん引き下がって再び現われた時、彼女
の手には臙脂のジャンパースカートとピンクのブラウスがあった。
靴下はレースの付いた短ソックスだか、下着は飾り気のない綿の
ショーツとスリップだけ、ブラジャーもまだ許されていなかった。

 「これからあなたが寝起きするお部屋を案内してあげましょう」

 身仕度がすんだアリスを伴ってペネロープは城の東側へと進む。
そこに童女や少女たちが暮らす一角があった。

 部屋の前まで来ると、はしゃいだ声がする。

 「何か楽しそうね」
 そう言ってペネロープが入っていくと、それまでの嬌声がぴた
りと止まった。

 「紹介するわね。今度、この部屋で一緒に暮らすことになった
アリスよ」

 アリスはまず背の低い子の方へ握手を求める。
 彼女は童顔で金髪を三つ編みに束ねているが、背はアリスの肩
ぐらいしかない。

 「彼女はアン。おちびさんだけど勉強はできるのよ」

 「よろしくアリス」

 「よろしくお願いします。アンさん」

 「そちらのノッポさんは、ケイト。ちょっとおっちょこちょい
だけど、なかなか心根のやさしい子よ」

 ケイトは、浅黒い顔にショートカットヘアーで、スポーツマン
タイプ。アンとは対照的にアリスの方が彼女の肩ぐらいまでしか
身長がなかった。

 「よろしくお願いします。ケイトさん」

 「よろしくね、アリス」

 「ベッドはこの間までリサが使っていたのが空いてるからそれ
をお使いなさい。私は戻るけど、わからないことがあったらこの
二人にお聞きなさい。…………二人とも妹の面倒をしっかりみて
やってね」

 「はい、お母さま」「はい、お母さま」「はい、お母さま」

 期せずして三人の声がコーラスのようにそろった。

 そこでこれもまた期せずして笑いが起こる。

 ペネロープが部屋を出るとアリスはたちまち質問攻めにあった。

 「どこから来たの?」「ロンドンは変わった?」「マンチェスタ
ーは?」「昔の名前は?」「ボーイフレンドいたの?」「今は街で
どんな服が流行ってるの?」「ビートルズが解散したって本当?」
「ねえ、あなた、今、いくつなの?」

 立て続けの質問はアリスを困惑させる。彼女たちは、アリスに
興味があるというより外界の情報に飢えていたのだ。
 しかし、アリスにしてもその質問の多くに答えることができな
かった。

 「ねえねえ、チャールズ王子が学校で女王陛下の写真を売って
お小遣い稼ぎしてたって本当?」

 「知らないわ、私だってもうここへ来て一年にもなるのよ」

 「一年?!」
 「たった一年なの!」

 二人は思わず顔を見合わせる。彼女たちは童女になるまで四年
もかかっていたのだ。それがたった一年前まで娑婆にいたなんて
彼女たちには信じられないことだったのである。

 「一年前ってことはあんた十四歳で竜巻岬から飛び降りたの」

 「へえ、当時はまだ子供じゃないの」

 「今でもよ。だってあなたまだ十五歳なんでしょう」

 「ええ、まあ…」

 「羨ましいわね」

 「どうしてですか」

 「だって私たちみたいに演技なんてしなくても地のままで生活
できそうじゃない」

 「そんな。私だってそんな幼い頃のことなんて」

 「冗談よ。でも、私たちより有利なことは確かね。年代が近い
もの」

 「アンさんはいくつなんですか」

 「あなたの倍以上生きてるわ」

 「彼女にしてもあなたから見れば十才以上お姉さまよ」

 「お二人はどうして自殺なんか考えたんですか」

 アリスが質問すると二人は急に苦虫をかみ殺したような複雑な
表情の笑いを浮かべてそれには答えない。

 「ここでは自殺の原因に触れることはタブーよ」

 「ごめんなさい。私、無神経で」

 と、話はここでひと区切りついた。
 ところが、思いついたようにケイトが言う。

 「アン、こうした場合。やっぱり部屋の掟を今後の教訓として
この子に残すべきじゃないかしら」

 すると、アンもまた、思いついたように……

 「そうね。今日が初日で可哀相なのは可哀想だけど、やっぱり
掟は掟だものね」

 「掟って?」

 「だから、あなたが他の人の自殺の原因に触れることよ」
 「そうよ、……そういうのって……ここじゃ一番のタブーなの」

 二人は目配せをしてお互いの意志を確認するのだ。
 そして……

 「アリス、この部屋ではね、掟を破った子には愛のお仕置きが
あるの」

 アリスはアンの言葉を耳元で聞きながら彼女が指し示す方向を
見ると、すでにケイトがベッドに腰を下ろして手招きしている。

 「ごめんなさい。私、まだここの掟を知らなかったんです」

 後ずさりするアリスをアンが抱き、耳元でこう囁くのだ。

 「それは知ってる。だから、可哀相だとは思うわよ。だけど、
昔から言うでしょう。『鞭を惜しむはその子を憎むなり』って。
私たちはあなたを憎みたくはないのよ」

 アンがアリスを少し強くお腹と胸で押すと、アリスはそれには
逆らわなかった。

 「さあ、さあ、お仕置きを受ける時はどうするのかしら。……
教育係りに教えてもらったでしょう」

 促されるままアリスはケイトの足元に膝まづくと、両手を胸の
前で組む。

 「今日、お仕置きを与えてくださいます先生に感謝します。心
を入れ替えるチャンスを与えてくださいました神様に感謝します」

 「よろしい。ではこちらへいらっしゃい」

 ケイトが地声を一調子下げて、自分の膝を軽く叩く。
 もう、その後はお定まりの光景だった。

 「…パン…パン…パン…パン…パン…パン…」

 半ダースほどスナップのきいた平手打ちが白いお尻を直撃した
だけですでに声が出始める。

 「…ああ、いや……痛い……ごめんなさい……ああ、……ああ」

 「…パン…パン…パン…パン…パン…パン…パン…」

 一ダースを越えるあたりからは可愛いお尻が跳ね回り、慌てて
アンが取り押さえに走ったが、とうとう二ダースもいかないうち
に、二人は獲物を取り逃がしてしまったのだった。

 アリスは目を真っ赤にして荒い息をつき、時々嗚咽も混じって
いる。

 このあまりにも幼い新人に、二人は思わず苦笑いだ。

 「どうしたのお嬢ちゃん。そんなに痛かった。このくらいの事
で音を上げてるようじゃ、立派なレディーにはなれませんことよ」

 「ごめんなさい。私…もう、一度やりますから」

 二人はアリスの言葉に再び笑い転げる。そして、これは何より
のおもちゃが手に入ったと思ったのである。

***************************

 初日に手荒い祝福を受けたアリスだったが、同室の二人は年令
も若く経験も浅い妹にとても親切だった。ベッドメイクから食事
のマナー、勉強に至るまで、二人がこまめに世話を焼いてくれた
おかげで、アリスはなに不自由なく童女の生活をスタートさせる
ことができたのである。

 童女の生活は朝六時に起床。目覚ましはないが、メイドが汚れ
物を片付けるついでに寝坊助のシーツを剥ぎ取るので、たいてい
起きることができる。

 その追剥ぎが残していった洗いあがりのシーツでベッドメイク
をすませると、次はシャワー室へ。
 シャワー室といっても個室はなく、天井に這わせた細いパイプ
に穴があいているだけのシンプルなもの。そこへ一列にならんで
体を洗うのである。

 「あ、私、自分でやります」

 シャワー室に入ったアリスはメイドが自分の体を洗おうとする
ので思わず声をかけたが、それはかなわなかった。

 「駄目よお嬢ちゃん。童女は自分で体を洗っちゃいけないの。
これは私達の仕事だからね」

 腕っ節の強そうなメイドはそう言うとスポンジに石けんをつけ
てゴシゴシとやり始める。胸もお尻も恥ずかしい股間さえも一切
おかまいなしだった。

 たしかにアリスも本当の童女の頃にはそうして洗ってもらった
記憶があるにはあるが、メンスという爆弾を抱え、体つきも変化
した今の身には屈辱的ですらある。

 「我慢しなさい。少女になれば自由になるわ」

 ケイトの視線の先におしゃべりを楽しみながら体を洗っている
少女たちの姿が……。
 しかし、そんな少女たちから少し離れてアリスたちと同じよう
にメイドから体を洗われている子もいるのだ。

 「あの子は」

 「あれはお仕置き。少女にふさわしくないことをした子は……
ああやってお仕置きされるの。あのスポンジ固いから半日くらい
は、お臍の下がひりひりするわね」

 「へえ、ケイトさんよく知ってますね」

 「私も一度は少女に上がったことがあるもの。ここではレディ
になるまではどこに所属させるかはお母さまの気分しだいなの。
少女になってからも童女や幼女に格下げされることなんて、よく
あることなんだから」

 「ケイトよしなさい。そんなこと言ってるとあなたもリサみた
いに幼女へ落とされるわよ」

 アンが注意してその会話はそこで途切れた。


 シャワー室を出て身繕いをすませるとペネロープの所へ行って
朝の挨拶。

 それは童女初日に素裸にされたあの部屋で行なわれる。
 その時は随分広いと思われた部屋だが、十八人もの子供たちが
入れ替わり立ち替わり訪れると窮屈にさえ感じられるから不思議
だ。

 ペネロープは、そんな挨拶にきた子供たち一人一人に声をかけ
る。

 「お早ようございます。お母さま」

 アリスも他の子供たちと同じようにその場に膝まづき、両手を
胸の前に組んで挨拶する。

 「アリス、今日から童女としてのお勉強が始まります。私は、
あなたの学力を知りませんが、おそらく退屈な授業でしょうね。
でも、決して自分の知識をひけらかしたり、退屈な素振りを見せ
てはいけませんよ」

 「はい、お母さま」

 「女の子のお勉強は単に知識を得るだけではなく、人間関係の
大事な躾でもあるのです。あなたはどんな時でも目を輝かせ感動
して大真面目に先生のお話を聞かなければなりません」

 「はい、お母さま。お母さまの意にそうようにいたします」

 「よろしい、アリス。では左手を伸ばしなさい」

 恐る恐る伸ばされた少女の左手首にペネロープは一滴二滴香水
を垂らす。

 すると、そのフローラルな香りがあたり一面に広がり、挨拶に
訪れた他の子供たちにもささやかな波紋を広げたのである。


 次は城主アランへの挨拶。
 ただこちらはペネロープほどには手間がかからなかった。彼の
前で膝まづいて両手を胸の前に組む作法は同じだが、

「お父さま、お早ようございます」
 と言うと……

 彼は、「おはよう」と一言返すだけだったのである。

 朝の食事は大広間で取るのがしきたりで、童女六人、少女七人、
レディー八人がここで一斉に会することになる。

 「わあ、朝からすごいご馳走ね」

 アリスはレディーたちの食卓を見ながらつぶやく。
 しかし、それはレディーたちのもの。

 少女たちが着席するテーブルではやや品数が少なくなり、……
童女である自分たちの席に乗っていたのはコーンフレイクと昨日
のシチューの残り物、それにオレンジジュースが一杯だけだった。

 「なるほどね。おいしいものが食べたければレディーになりな
さいってわけか」

 アリスの愚痴にアンがすぐに反応する。

 「ご不満かしら王女さま」

 アンはおどけてアリスの椅子を引く。

 「いいえ、これだって幼女の時に比べれば、まだましだわね。
だって、オートミルの代わりにシチューがついてるもの」

 アリスは、赤面してすぐにその場を繰り繕ったが……

 「アリス様、どうぞわたくしめのお肉をお召し上がりください」

 ケイトまでもが自分の皿にあったシチューの肉をアリスの皿に
移し替えようとするのだ。ただし、彼女はこうも付け加えたので
ある。

 「その代わり、どうかその高貴な左手をわたくしめに、しばし
お預けを……」

 アリスは訳がわからぬままケイトの前に左手を出そうとするが、
アンがそれをたしなめる。

 「アリス。もったいないからやめなさい。あなたの左手はお肉
の切れ端はおろかレディーたちの食事より貴重なものなのよ」

 「えっ?…どういうこと?」

 意味の分からないアリスはきょとんとしている。
 一方、ケイトはというと、早々にアリスの左手を我が物のよう
に両手で包み込み、愛おしそうに頬摺りを始めているのだ。

 「この香り、いつ嗅いでも麗しいわ」

 マタタビを嗅いだ猫のようになっているケイトを尻目にアンが
説明してくれた。

 「あなたはまだ知らないでしょうけど。あなたのその左手が、
お母さまの香りを放ち続けている限り、あなたはお仕置きの心配
をしないですむの。どんな意地悪な先生も、あなたのその匂いを
嗅げばお仕置きを諦めるわ」

 「まさか、……そんな規則があるんですか」

 「規則というより不文律ね。お母さまが、あなたのデビューを
祝って特別につけてくださったんだと思うけど……」

 「ペネロープ様、いえ、お母さま。何もおっしゃらないから」

 「どのみち半日程度しかもたないの。ただ、お母さまに頂いた
大事な愛の証だもの。大切にしないと罰があたるわよ」

 アンの忠告を聞いたとたん、アリスは思わずケイトに奪われて
いた左手を勢い良く引っ込めた。

 それを周囲の人たちが笑ったことから、アリスはそこで初めて
この会場で自分に注目が集まっていたことに気がついたのである。


****************<了>********

第5章 / §3 月下に流れるショパンの曲(2)

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第5章 ブラウン家の食卓

§3/月下に流れるショパンの曲(2)


 「アリス、大丈夫ですか?」

 ブラウン先生はすぐさまアリスを抱きかかえてくれたが、彼女
は先生の差し出すその手を遠慮して自ら起き上がる。

 「ごめんなさい。カエルは苦手なんです」

 アリスは青い顔でソファに座りなおすと自分の心臓が今も動い
ていることを確認してほっとした様子だった。

 「リック、謝りなさい」

 ブラウン先生が叱っても、リックはカレンにあげたはずの蛙を
手のひらに収めなおすと、その子を愛おしく観察しながら、少し
頬を膨らまして立っている。

 しかし、ロベルトがリックの両肩を掴むと、彼は渋々カレンに
頭を下げた。

 「ごめんなさい」

 もちろん、謝ったのはリックだが、アリスにはその後ろに立つ
ロベルトが謝ってくれたようで、心を落ち着けることができたの
である。

 「カレン、ダージリンを飲みますか?気持が落ち着きますよ」

 「いえ、結構です」

 「では、部屋に戻りますか?今日は、この子たちにもあなたの
ピアノを聞かせてあげようと思ったのですが、それはまたの機会
ということにしましょう」

 「……!……」

 そんな時だった。ロベルトが奏でるチターのメロディーが居間
に流れ始める。すると、カレンはブラウン先生の親切心にその事
を忘れかけていたが、彼女にはまだ大事な仕事が残っていたのを
思い出したのである。

 「大丈夫です。先生、わたし、うまく弾けるかどうか分かりま
せんけど、とにかく弾いてみますから……」

 彼女はまだ脈打つ自分の心臓に手を置くと、静かに立ち上がっ
てピアノ椅子に向かう。
 すると、ブラウン先生も、これなら大丈夫だと感じたのだろう。
カレンを止めず、彼女の好きにさせたのだった。

 「それでは、お願いしましょうか」

 話がまとまり、ロベルトのチターの音色がいったん途絶えるが、
アリスはあえてその音色を求めた。

 やがてカレンはロベルトの弾く『第三の男』に自らのピアノを
添わせる。そして、ロベルトが演奏をやめた後も、彼の心を引き
継いぐように、今、この瞬間に生まれたばかりのノックターンを
奏で続けたのである。

 「(美しい、何て美しい旋律なんだ。でも、これって何という
曲なんだろう)」

 ロベルトは思った。彼はカレンのピアノが今という瞬間にしか
聞くことの出来ない儚いものだとは、この時はまだ知らなかった
のである。

 思うがままに一曲弾きあげたカレンにブラウン先生が尋ねる。

 「ときにカレン、あなたは譜面が書けますか?」

 「…………」
 カレンは、頭の後ろから聞こえてくる先生の声に恥ずかしそう
に首を振る。
 彼女は正規の音楽教育を受けていないから、簡単なメロディー
程度は書けても、細かな表現まで譜面に現すことができなかった
のだ。

 「もったいないですね。実にもったいない。これまで、数百、
いや数千の楽曲がビールの泡のように毎晩消えていたとは………
ほらほら、静かにしなさい」

 カレンが振り返ると、ブラウン先生は思いもよらない姿になっ
ていた。
 キャシーに背中から抱きつかれ、膝にはワンパク小僧を乗せて
いる。そのフレデリックの頭を撫でながら呟いたのだった。

 そんな老人の呟きは、間近にいた一人の少年、一人の少女の耳
にも届いたようで……

 「あのくらい僕だって弾けるよ」

 フレデリックが言えば……キャシーも……

 「わたしの方がうまいもん……」

 二人は争って先生の身体を離れる。そしてキャシーの方が一歩
早くカレンの膝にのしかかる。

 「こら、お行儀が悪いですよ」
 ブラウン先生はキャシーをたしなめたがカレンは構わなかった。

 そして、今しがた自分で弾いた曲を、再び稚拙なピアノで聞い
たのである。

 「どう、ぴったりでしょう」
 キャシーは自慢げだが、フレデリックが茶々を入れる。

 「嘘だね、そうじゃなかったよ」

 彼はキャシーをカレンの膝から剥ぎ取ると、今度は自分がその
椅子に腰掛けようとしたのである。

 「えっ!」

 カレンは驚く。キャシーとフレデリックでは身体の大きさ重さ
が段違いなのだ。
 慌てたカレンが、その場を外れようとすると……

 「あっ、けちんぼ、いいじゃないか。僕も抱っこしてよ」
 公然と要求したのである。

 「フレッド、君はもう大きいんだよ。カレンの迷惑を考えなさ
い」

 ブラウン先生に言われて、また口を尖らすので……
 「いいわ、でも、あまり激しく動かないでよ」
 カレンの方が妥協したのである。

 そうやって始まった演奏。
 「…………!……………!……………!……………!…………」

 フレッドの弾いた曲にカレンは驚いた。夜想曲を弾いたはずの
自分の曲が彼にかかればまるっきりマーチなのだ。音程の怪しい
処、和音を外れる処もあったが、とにかく楽しい。心が浮き浮き
する。

 「(人は見かけによらないわね)」

 ただこの演奏は何より本人が浮かれていて、重たいお尻を浮か
せては盛んにドスンドスンとやるもんだから、カレンは膝の痛み
に耐えての鑑賞だったのである。

 そんな大変な一曲を弾き終わって、フレデリックは満足したの
か、意気揚々、カレンの膝を下りて行く。

 「ねえ、お父様、私の演奏、どうだった?」
 「ああ、よかったよ。キャシー。だいぶ、耳がよくなったね」
 「ほんと!やったあ~~」
 「ねえ、僕のは……」
 「上手だったよ。相変わらずいいセンスをしているね。どこの
音楽会社からだって編曲の仕事が今すぐにでも舞い込みそうだ」

 ブラウン先生は自分に抱きつく二人の子供たちをとにかく褒め
ちぎる。いつもは厳しい先生も、この時ばかりは一人のやさしい
お父さん、好好爺となっていた。

 カレンにも当然そんなご機嫌な先生の声は聞こえているから、
『今のうちに…』とでも思ったのだろう。今度はフレデリックの
演奏を自分もまねてみたのである。

 そして、それが終わると……
 カレンは今の演奏の評価を求めて先生の方を振り返ろうとした。
 ところが、そこに思わぬ大きな人影が立っていたものだから……

 「えっ!!!」

 慌てた彼女はピアノ椅子を飛び退く。
 わけも分からず、ただ反射的にカレンは身を引いたのだ。

 すると、その人影は何も言わずにカレンが退いた椅子に座り、
さきほど彼女が弾いていた夜想曲を弾き始めた。

 そして、その一音一音を確かめるように頭の中に浮かべて感じ
取ると、譜面台の五線紙に音符を載せていくのである。

 「ロビン、拾えましたか?」

 再びチビちゃんたちの拷問に会っている先生はそう言って尋ね
たが、ロベルトは返事をしなかった。

 『まだ、何かが足りない』
 そんな不満が、『できました』という答えにならないのだ。

 彼は一通り楽譜を書き終えると、その譜面に則してカレンの曲
を弾いてみる。

 たしかに、それは、今しがたカレンが弾いた曲に似ている。

 カレンもまた……
 「(私の弾いた曲だわ)」
 と思った。

 しかし……
 「(何かが違う)」

 ただ、その何かは、当のカレンにもわからなかった。

 「ん~~~~好い線いってますけどね」
 わだかまりの残る二人の中へ満を持して先生がやってきた。

 「私がやってみましょうか」
 今度はブラウン先生がロビンからピアノの席を奪うと、静かに
カレンの曲を弾き始めた。

 「………………………………………………」
 「………………………………………………」

 唖然とする二人。先生はカレンのノックターンを寸分たがわず
弾いてみせたのである。

 カレンは感激する。
 「(これだわ、私が、今、弾いたのは)」

 そして、それが終わると……
 もの凄い勢いで、さっきロビンが仕上げたばかりの楽譜に音楽
記号を書き足していく。殴り書くといった感じで……

 「ん~~~そうですねえ~~~こんなものでしょうかね」

 結果、単純で耳障りのよさそうなカレンの曲のために、楽譜は
紙が真っ黒になるほどのお玉杓子を乗っける事になったのだった。

 「ロビン、あなたにこれが弾けますか?」

 ブラウン先生に尋ねられたロベルトはしばらくその楽譜を見て
考えていたが、とうとう首を横に振ってしまう。

 「でしょうね、カレンだってそれは同じはずです。彼女にして
も、主旋律くらいは覚えているでしょうが、細かなタッチまでは
すでに忘れてしまうでしょうから。…ですからね、カレンの曲は
厳密には、一生に一度だけ出会う名曲なんです」

 「一期一会?」

 「そう、カレンはね、その瞬間、瞬間で、今どんな音色が最も
周囲の人を感動させられるかを感じとる能力を持っていて、それ
をピアノで表現しているんです。ですから、僅かでも時が移ろう
と、もう次の瞬間はその音色そのメロディーにはならないんです。
つまり、一期一会というわけです」

 「……そんなあ~~、私はただ適当にピアノを叩いているだけ
なんです。そんなこと考えてません」

 カレンは、先生の言い方が、まるで自分を化け物のように見て
いる気がして心地よくなかった。

 「(はははは)こんなこと、考えてできるもんじゃないよ」

 珍しくすねてみせるカレンの姿にブラウン先生は笑う。
 しかし、それはカレンには理解できなくてもロビンには感じる
ことのできる感性だったのである。

 「つまり、映画のBGMを常に即興で作り出せる能力ってこと
ですか?」

 「あなた、うまいこと言いますね。そういうことですよ」

 ブラウン先生はやっと出てきた共感者に満足そうな例の笑顔を
浮かべると、こう続けるのである。

 「ですからね、細かなことはいいのです。あなたのできる範囲
で……あなたにカレンのピアノを拾ってあげて欲しいんです」

 「えっ、僕がですが?」

 「そうですよ。他に誰がいるんですか?……まさか、このチビ
ちゃんたちにできる芸当じゃないでしょう」

 「僕だってできるよ、それくらい。和音くらい知ってるもん。
コールドウェル先生に作曲の仕方も習ったんだから……」
 フレデリックは先生の袖を引いたが、ブラウン先生は彼の頭を
撫でただけ。

 一方、驚いたロビンは……
 「それって、毎晩ですか?」

 「そうです。いい耳の訓練になると思いますよ」

 「だって、そういったことは先生ご自身がなさった方が……」
 ロベルトが不満げにこう言うと……

 「…………」先生はことさら渋い顔になってロビンを見つめる。
 それは引き受けざるを得ないということのようだった。

 「私は、眠り薬の代わりにこの子のピアノが聞きたいと思って
引っ張ってきたんです。寝る間際にそんな余計な事ができるわけ
ないでしょう。だいたい、君はその時間、マンガなんか読んでる
みたいですね。だったらこの方がよほど有意義な時間の過ごし方
というものですよ」

 ブラウン先生の厳とした物言いで、そのことは決着したようだ
った。

 「さあ、チビちゃんたちはもうベッドの時間ですよ」

 ブラウン先生は、チビちゃんたちをベッドへと追いやったが、
同時にご自身も……

 「今日は少し早いですが、私達も、もう寝ましょうか」

 先生の一言で、三人はそのまま先生の寝室へ。

 そしてこの夜、カレンはブラウン先生の為に最初の夜の眠り薬
を調合し、ロビンがその製法を書き記したのだった。

*************************

 月光の差し込む屋根裏部屋で、カレンはアンが弾く今夜最後の
ピアノを聴いた。

 カレンにとってはカレニア山荘での最初の一日。色んなことが
あったが、彼女の日記には、この時に聞いたアンのピアノの事が
記されていた。

 『私はピアノのことはわからない。だから、アンが何という曲
を弾いているのかも知らない。…でも、今、私の心は彼女の音に
引き寄せられるている。私には、こんなにも人を鼓舞するような
魅惑的なピアノは生涯弾けないだろう。羨ましい。先生が言って
いたアンの本当の実力って…ひょっとしたら、こんな事なのかも』

 カレンはそんなことを思いながら、床についたのである。

********************(3)*****

<A Fanciful Story>

           竜巻岬《7》

                      K.Mikami

【第二章:幼女の躾】(3)
《幼女から童女へ》


 アリスはリサと同じようにお仕置きを受ける覚悟をしていた。
しかし、昨晩は「今日はもう遅いから寝なさい」とハイネが言う
ので、『私は明日なのかあ』と思っていた。

 ところが、朝食がおわってもその気配がない。
 お祈り、食事、絵本の読み聞かせ、お散歩……いつもの日課が
いつものように繰り返されるだけなのだ。
 お昼近くになり、たまらずアリスの方から尋ねてみると……

 「ん、そうね、今回、あなたはいいわ。聞くところによると、
リサが強引にあなたを図書室へ引っ張っていったらしいし………
それに、私たちも部屋の鍵を掛忘れたり、おしゃべりに夢中にな
ってて部屋に戻るのが遅れたりしたから、あながち、あなたたち
だけの責任じゃないのよ」

 「でも、私たちが悪さをしなければハイネだって鞭で三ダース
もぶたれずにすんだんですもの。やっぱり私には罪があると思う
んです。もう覚悟はできてます。どんな罰でも受けます」

 アリスは勇気を振り絞って告白してみた。彼女としても、自ら
『罰を受けたい』などと申し出たのは、人生これが初めての経験
だったのである。

 「そう、そこまで言うのならお話するけど、実はペネロープ様
があなたのお仕置きを免除してくださったの。それにリサの受け
たお仕置きはとても厳しいものなのよ。せっかくペネロープ様が
免除してくださってるんだから、あなたは好意には甘えてた方が
いいわ」

 「でも、それじゃ嫌なんです。ハイネさんにも、リサさんにも
それじゃ悪いですし、何より私が仲間はずれにされたみたいで…」

 「そう、わかったわ。それならペネロープ様に話してみるけど、
あとで後悔しても知らないわよ」

 こうしてハイネはペネロープに相談に行ってみたが、その答え
はハイネにとってはむしろ意外なものだった。

 「そう、あの子そんなこと言ってるの。困ったわね」

 ペネロープはしばし考えてから、こう言ったのである。

 「ま、いいわ。…そんなにお仕置きして欲しいのなら、やって
あげましょう。その代わり、中途半端はだめよ。思いきり厳しく
してちょうだい。この際、そんな殉教者精神が何の美徳にもなら
ないことを教えておくことも大事なことかもしれないわね」

 こうしてアリスに対し幼女としては異例ともいえるお仕置きが
敢行されたのだった。

 「ねえ、もう一度聞くけど、本当にお仕置きしてほしいのね」

 お仕置き部屋にアリスを連れてきたハイネは、あらためて問い
ただす。

 「…………………」

 一方、確認を求められたアリスはこの期に及んで戸惑っていた。
というのも、そこはアリスが赤ちゃん時代、ハイネに折檻されて
いるところをペネロープに助けてもらった、あの思い出の部屋だ
からだ。

 「ペネロープ様がね、『そんな聞き分けのない子は逆にうんと
厳しいお仕置きが必要ね』っておっしゃってるの…………どう?
それでもやる?」

 「…………」

 「あなた、顔が青いわよ。大丈夫?……今さら後悔してない?」

 「…………」
 アリスにためらいの気持ちがないといえば嘘になる。
 しかし……

 「あなたはまだ幼女なんだもの『あれはもののはずみでした』
って、泣いて謝るっても恥ずかしいことではないのよ。幼女って
甘えるのが仕事だから……」

 「甘えるのが仕事…………」
 アリスは思わずハイネの言葉を鸚鵡返しにつぶやく。

 「前にも教えてあげたけど、もう忘れちゃったの?…だったら
それだけでもお仕置きね」
 ハイネは含み笑いで答え、こう続けるのだった。

 「いいこと、幼女の時期というのは、甘えてはお仕置きされ、
甘えてはお仕置きされ、を繰り返す時期なの。そのなかで自分の
居場所というか、心のよりどころを肌で感じて覚えていくの」

 ハイネはアリスを膝の上に抱くと頭を撫で始める。
 最初は抵抗のあったアリスだが今ではすっかり慣れてハイネに
身を任せている。

 「ペネロープ様の考えではね、自殺する人の多くは帰るべき心
の拠り所がないからすぐに自暴自棄になるんだって、そしてそれ
は、しっかりした幼女時代を送っていない事に原因があるんです
って……だから、ここでは、しっかり甘えさせて、しっかりお仕
置きさせて、それが両方しっかりできるようにならないと幼女は
卒業できないのよ」

 「………………」

 「あなた、迷ってるんでしょう。だったら、私がもう一度ペネ
ロープ様に申し上げて……」

 ハイネが助け船を出すと、それにははっきりと首を横に振った
のである。

 「じゃあ、いいのね」

 「はい。私が決めたことですから」
**********
 最後はきっぱりとそう言い切ったのだった。

 「そう、わかったわ。では、これに着替えなさい」

 ハイネはアリスに着替えを手渡す。それは白いニットのシャツ
と黒いブルマース。

 「ここでは汚れてもいいようにそれを着るの。……着替えたら
こっちへ来て」

 アリスが着替えている間、ハイネは処置台で浣腸の準備をする。
ゴムの水枕みたいな容器に石鹸水を入れているのを横目で見なが
ら、それでもなぜかアリスの心は落ち着いていた。

 無理やり何かをやらされるのと自らすすんでやることの違いと
言ってしまえばそれまでだが、お仕置きするハイネの側にしても
これまでのような情熱が感じられないことをアリスは女の直感で
感じ取っていたのかもしれない。

 「さあ、ブルマーを脱いだら両足を高くあげて………そうよ、
赤ちゃんがおむつを替える時のあのポーズよ」

 「え?お浣腸って横向きに寝てやるものじゃないんですか」

 「おや、あなたよく知ってるわね。確かにお医者様ではそうよ。
でも、これはお仕置きのためのお浣腸だから、女の子がもっとも
恥ずかしがるポーズでわざと取らせるの」

 やがて肛門にガラスの管が突き立てられるとクリップが外れて
大量の溶液が波打つように体の中へと入ってくる。
 それはこれまでのピストン式の浣腸器のように途切れることが
ないため、まるで浣腸液に溺れているようで、いったいあとどれ
くらい体の中に入ってくるのだろうという不安もあった。

 「……(あっ、いや)……」

 アリスは、声こそ出さないものの、その想定外の量の多さに、
思わず身体を捻る。このままでは、ひょっとして石鹸液が口から
溢れ出すんじゃないか、そんな妄想さえ頭をよぎったほどなのだ。

 「いやあ、止めて」

 とうとう耐え切れず、思わず叫ぶが、もとよりハイネがそれを
許すはずがない。
 代わりに……

 「大丈夫よ。ゆっくり深呼吸をすればもっと楽に入るわ。ほら、
ほら、お尻の力を抜くのよ。これはそんなに力を入れなくても漏
れたりしないものなのよ」

 アリスはハイネに励まされ続けてようやく一リットルもの溶液
をお腹の中に貯め込んだが、大変なのはこれからだった。

 少しでも体を動かせばお腹の石鹸水も一緒に動く。まるで盥を
お腹の中に入れて歩いているみたいなのだ。

 「あ~あ~」

 グリセリンのような激しい便意こそないが、それでもちょっと
した衝撃で、あたりは水風船に針を刺したようなことになりかね
ない。

 「はあ~はあ~」

 二枚の板を渡した簡単なトイレに膝をついてまたがるだけでも、
ハイネの肩を借りての大仕事だったのである。

 「さあ、いいこと。ここで三十分、我慢するのよ」

 「(えっ!三十分ですって……)」

 ハイネはアリスの両手を皮手錠で拘束しながら、『そんなこと、
あなたなら簡単よ』と言わんばかりだが、万歳をさせられている
アリスにしてみたら、『それは絶対に無理』と確信がもてるほど
の長い時間だったのである。

 「どうかした?……ひょっとして、自分でお仕置きを申し出た
こと後悔してない?」

 ハイネは意地悪く中腰になってアリスのブルマーを覗き込む。
 しかし……
 「………はあ……はあ…………あっ…………」

 大きく肩で息をつき、時折襲う大波に体をよじりあるいは伸び
上がるようにして、やっとの思いで恥ずかしい洪水を耐えている
アリスには、ハイネのそんな意地悪な質問にも、そもそも答える
余裕がなくなっていたのである。

 「あ~~もう、だめ」

 アリスは時々絶望を口にする。最初は七分後、その次は五分後、
さらには二、三分おきに「もう だめ」だった。
 しかし……

 「だめよ、まだまだ頑張りなさい。もしこんなに早く漏らした
ら、あんたの一番恥ずかしい処に焼きごてだからね」

 どんなに他のことに気を回す余裕がなくてもこの『焼きごて』
という言葉は強烈だった。

 「はあ、はあ、いやあ~~~……はあ、はあ、だめ~~~…」

 アリスの息が荒い。それでもハイネが「焼きごて」「焼きごて」
と威嚇し続けるたびに、アリスは緊張感を取り戻し、何とか持ち
こたえている。若さや羞恥心、幼い時の躾の厳しさなどもそれを
支えていたのかもしれない。それでも……

 「ああっ、!!!!」
 二十分近くになると、それまでにはなかった大きな声が出た。

 「ああっ!!!!!」
 とても、少女とは思えない低くて凄みのある声が部屋中に反響
する。
 さらに大きな波、重い波がアリスの小さく堅い堰を突き崩そう
としていたのだ。

 「ああっ!!、ああっ!!」という大声の間隔が次第に狭まり
……やがて………

 「だめ、だめ、だめ、いや、いや、いや、いや、いや、いや、」

 最後はそれだけ言ってぐったりとなった。

 大半のものが一気に吹き出した後で、ハイネはアリスの汚れた
ブルマーを脱がせる。

 「もう全部出しちゃいなさい。どうせここはトイレなんだから」

 ハイネは、汚物となったブルマーをアリスから貰い受けると、
そう吐き捨てて、さっとカーテンを引く。
 わずかな時間だが、アリスに密室を提供してくれるのはハイネ
のやさしさからくる心遣いだった。

 「どう、もうすんだ?」

 十分ほどアリスの好きにさせたハイネが再びカーテンを開ける。

 「さあ、いつまでもめそめそしてられないの。お仕置きはまだ
たくさん残ってるんだからね」

 彼女は備え付けのホースの蛇口をひねるとまだ拘束されたまま
のアリスの下半身を洗い始める。

 「さあ、もう終わったの。今のうちに全部出しちゃいなさい。
そんなもの身体に残しておいても何の得にもならないわよ」

 ハイネは水道ホースの先を絞って、水を勢いよくアリスのお尻
に噴射すると、自らの手で下腹をさすり、肛門をこじあけ、性器
までもを丹念に洗い清めたのだった。

 「ごめんなさいね。ハイネ。こんなことまでさせちゃって」

 「何をおっしゃいます王女様。これは私のお仕事よ。それに、
あなたへのお世話も、もうすぐ終わりみたいだし……これくらい
何でもありませんことよ」

 「もうすぐ終わりって」

 アリスが尋ねると

 「ペネロープ様があなたの童女への昇進を決断なさったみたい
なの」

 「でも、あなたは私とずっと一緒なんでしょう」

 「そうはいかないわ。今の私はあなたの子守りが仕事だけど、
あなたがここの生活に慣れて、自分のことを一通りできるように
なればお払い箱なの」

 「えっ、私から離れちゃうの?」

 「だって童女になるってそういうことだもの。……これからは
ペネロープ様が本当のお母さまよ」

 「え?もう、会えないの」

 「そんなこともないわ。あなたの先生としてなら、これからも
会う機会はあるはずよ。……でも、それはあくまで先生と生徒で
あって、こんなことまではしてあげられないわね」

 ハイネはアリスの股間に入れたタオルで彼女の大事な処をひと
なでする。

 「いや、やめてハイネ」

 アリスは困惑したが、久しぶりの笑顔も戻ったようだった。

****************************

 「次は懲罰台。……前に一度上がってるから要領は分かってる
わよね。今度も手足は固定してあげるけど猿轡はなしよ。どんな
に痛くても声を出さないようにしてね。でないと、鞭の数がまた
増えることになるから……わかった?」

 「わかりました。でも、…………はい、先生」

 アリスが小学生のようにちょっとおどけて手をあげる。
 すると、ハイネもそれに答えて。

 「なんですか。アリス・ペネロープさん」

 「このブルマー、また履くんですか?」

 「どうして?それはまだ使ってないから気持ち悪くないわよ」

 「いえ、そうじゃなくて。どうせ懲罰台の上ではまた脱ぐんで
しょう」

 「そうですよ。だから穿くの。ここは空調が効いてるから裸で
だってできるけど、それじゃ脱がされたって気持ちがなくなって、
恥ずかしさが半減してしまうもの。お仕置きは苦痛半分、恥ずか
しさ半分なのよ」

 「(なるほど、そういうことか……)」

 アリスは恥ずかしさの罰を受けるため、また新たなブルマーを
穿くと懲罰台に……

 「はい、いくわよ……………………………………………………」

 ハイネは柳の小枝を束ねた一本鞭を握って、そう宣言したが、
それっきり、なかなか最初の一撃をアリスのお尻にヒットさせな
かった。

 手にした鞭をわざとアリスの目の前で空なりさせたり、可愛い
お尻にこすりつけたりして、『痛いよ』『痛いよ』という恐怖感を
アリスに十分味合せてから、やおら強い一撃を放ったのである。

 「ピシッ」

 「(ひぃ~~~~)」
 籐鞭より一回り太い柳の枝鞭が、アリスのお尻にまとわりつく
ように赤い筋をつける。

 「はい、ふた~つ」

 「ビシッ」
 「(ひぃ~~~~)」

 柳の枝鞭の衝撃は、籐鞭に比べればいくらか小さいが、まるで
剃刀で切られたような鋭い痛みが残るのだ。

 「はい、み~っつ」

 「ピシッ」
 「(いゃゃぁぁぁ)」

 「はい、よ~っつ」

 「ピシッ」
 「(ぅぅぅぅぅぅ)」

 「はい、いつ~つ」

 「ピシッ」
「(ひぃぃ~~~)」
 ハイネは淡々と鞭を振るい、アリスの方も声を出さないという
約束事を必死に守った。

 「はい、む~っつ」

 「ピシッ」
 「(もうやめて~)」

 「はい、なな~つ」

 「ピシッ」
 「…キャ…」

 必死の我慢も七つ八つと重なる頃には限界にきていた。子犬が
いじめっ子に悪戯された時のような掠れた甲高い声が漏れる。

 「それ、や~っつ」

 「ピシッ」
 「…あぁ…」
 アリスはほとんど生理的に拘束された両手を振り解こうとする
が……

 「それ、ここのつ」

 「ピシッ」
 「痛い」

 この時初めて意味のある声が出ると、あとはもう感情を押さえ
きれなかった。

 「さあ、もう少しよ。それ、じゅっか~い」

 「ピシッ」
 「もう、やめて、ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません」

 それはアリスの理性が言わせた言葉ではない。どうにも耐えら
れなくなった彼女の体が無意識に声を出させるのだ。

 「やめなさい。あんまり言うと本当に焼きごてが待ってるわよ」

 「それ、じゅういち」

 「ピシッ」
 「いやあ、だめえ~~死んじゃう、ごめんなさい、だめえ~~」

 それから先は、鞭がお尻に当たっているかどうかに関係なく、
「あわ、あわ、あわわ、わあわ」と声にならない声をあげ、まる
で幼児が泣き叫ぶようにわめきだした。

 「よしよし、よくがんばったわ。これが最後よ。じゅ~に~」

 「ピシッ」
 「いやあ~もういやあ~死んじゃう、ごめんなさい、だめ~」

 恐らくアリス自身も今自分が何を言っているのか、どんな姿で
ハイネに見られているのか、そんなことを思う余裕はなかったに
違いない。
 その清楚な顔は涙と汗とよだれでくちゃくちゃ、おかっぱ頭の
髪は脂汗にまみれてざんばらになっていた。

 「はい、はい、おしまい。おしまい。……もう終わりましたよ。
そんなに痛かったの?」

 ハイネは鞭のお仕置きが終わると幼い子をあやすような優しい
口調に戻り、顔も笑っている。

 「仕方ないわね。あなた慣れてないのね。……きっと、あなた
のご両親はあなたを大事にし過ぎて鞭を与えたことがないのね。
一ダースぐらいの鞭くらいで取り乱すなんて、あなたの歳なら、
恥ずかしいことなのよ。……こんなの親が厳しければ小学生でも
耐えるわよ」

 アリスは、ハイネの言葉を、自分が泣きだしたからだとばかり
思っていたが……

 「あ!」

 懲罰台を下り、あらためてブルマーを穿こうとして、アリスは
初めてそこが濡れている事に気付いたのである。

 ハイネがまるで母親のような口調で叱る。
 「だから、さっき全部出しておきなさいって言ったでしょう。
仕方ないわね。さあ、さっさとこれに着替えて……」

 そんな有様だから、ペネロープが部屋へ入ってきたのも気付く
はずがなかったのである。

 「!?………………!!」

 アリスはどこかで嗅いだことのあるなつかしい匂いを感じとり、
辺りを見回して、そこで初めてペネロープがここにいるのを発見
するのである。

 「アリス!こっちへ来なさい!」

 その声は普段は温厚なペネロープがたまにみせる凄味の効いた
声だった。

 「はい、おかあさま」
 アリスとしては覚悟を決めるしかない。

 「そこに膝をついて両手を胸の前で組むのです」

 ペネロープはアリスに恭順を示すポーズを取らせると、静かに
語り始めた。

 「あなたのお仕置きを見ていました。お浣腸は途中でこぼすし、
鞭には声をたてるし、とても私の娘にふさわしいとは言えませんね。
本来なら幼女で修業した方がよいのかもしれませんが、今はリサを
救ってやらなければならないで、あなたを童女に引き上げることに
します」

 「お礼を言って」
 ハイネが耳元でささやくのでアリスは慌てて……

 「はい、ありがとうございます。お母さま」

 アリスはお礼を言ったが、でも、次にはこう切り返す。

 「でも、なぜリサさんと私が関係あるんですか」

 この言葉にあわてたハイネが…
 「アリス、やめなさい」
 と諭す。この城の幼女は目上の人から求められた時以外、自分
の意見を言えなかったのである。

 しかし、ペネロープはそれにはかまわずこう答えた。

 「幼女は養育係を張りつけておかなければならないので人手が
要るのです。あなたもいったんは童女にしますが、まだ荷が重い
と分かれば幼女に戻すかもしれません。それは覚悟しておいてね」

 「はい、お母さま」

 「よろしい、では、今日のぶざまなお仕置きを償いなさい」

 「はい、お母さま」

 アリスはハイネに教えられた通り、『はい、お母さま』を連発
したが、それはこれから自分の身に何が起こるかがわかっていた
からではない。
 たとえ何がどうなっているのか分からなくても、この城の幼女
は、こう言わなければならなかったのである。

 「では、そこに仰向けになって寝るのです」

 ペネロープは処置台に視線を移して指図する。

 「はい、お母さま」

 アリスが処置台で仰向けになる。
 もちろん、ペネロープの言葉に異論など唱えられない。
 後はハイネが手伝ってくれた。

 「気持ちをしっかり持つのよ」

 ハイネはアリスのブルマーを太ももまで引き下げると、腰枕を
使って剥出しになったアリスのお臍の下が寝ているアリスからも
よく見えるように腰の位置を調整し、さらに両手両足を処置台に
固定しようとした。

 ところが……

 「ハイネ、その子を縛る必要はありません。この子はそんな事
をしなくても立派に耐えられます。ほら、ごらんなさい。ここ…」

 ペネロープは、今剥出しになったばかりのアリスの三角デルタ
を指差す。そこにはかなり近寄って見なければならないほどかす
かにだが、灸痕が残っているのだ。

 「あなたがたはお灸のことを『東洋の焼きごて』だなんて大仰
な呼び名で呼んでるけど、お浣腸もお鞭もまともに受けられない
この子だって、かつて何度か経験があるお灸なら声一つたてない
はずよ」

 ペネロープはさも自信ありげにハイネに呟くと古い灸点に三つ
四つ艾を乗せて一気に線香の火を近付けた。

 「…<え、まさか>……」

 アリスの驚きは当然だろう。
 しかし、そのまさかだったのである。

 「……<いや、どうしてペネロープ様がお灸なんて知ってるの
よ!!!>……<何よ、そんなにたくさん全部いっぺんに>……
<無理よ!嫌、やめてよ~私、そんなことされたことないのに>
……<あっ、いやあ~~>…<あっ熱い、痛い>…<ひ~~>…」

 アリスにとってそれは熱いというより、鋭い錐で揉み込まれる
ような強烈な痛みだった。
 ただペネロープの言う通り、彼女はこれには声をたてなかった
のである。

 「今度はうつぶせになって………」

 次はお尻のお山だった。

 「………<ああ、いや熱い、痛い>……<痛い、痛い、>……
<いやあ~~~もういや、やめてえ~~~何でお灸なのよ~~>」

 アリスは心の中で必死に懇願する。
 しかし、鞭の時のように取り乱すことはなかった。

 「さあ、もう一度仰向けに戻りますよ。今度はね、赤ちゃんが
おむつを替える時のポーズよ………」

 「…<ああん、そんな処すえられたことないのに>……<いや、
やめて、お嫁にいけない><ひい~熱い、痛い。いゃあつ~い>」

 結果に自信を持ったペネロープは、まるでハイネに見せつける
かのようにアリスにいろんなポーズを取らせ、さらに十数か所、
なかにはとても他人には言えない処までもお灸をすえたのだった。

 しかも、お灸に関してはペネロープの言った通り、鞭やお浣腸
とは異なり、どんなに責められても、アリスはついに一言も声を
出さなかったのである。

 「どう?私の言ったとおりでしょう。一ダースの鞭でさえお漏
らしするこの子がこんなに沢山お灸をすえても声一つ上げないで
耐えたでしょう。つまり、お仕置は慣れなの。この子は今の親に
甘やかされて育ったから、鞭や浣腸をされたことがないだけよ」

 ペネロープはハイネに薀蓄を述べると、今度はアリスに向って。

 「どう?アリス、久しぶりのお灸の味は?」

 「…………」

 「………昔のお母さんを思い出したかしら?」

 「…………」
 アリスは青ざめた顔でお義理に頷く。
 すると……

 「お灸は、昔、日本に旅行した時に向こうの母親がやっている
のを見て習ったんだけど、これまではあまり試す機会がなかった
の。ここの人たちは、もの凄く残酷なお仕置きだって言うんです
もの。そんなことないわよね?」

 「………………」
 本当は『はい、お母さまと言わなければならない。
 それは分かっていたが、アリスはとうとう言えなかった。

 「あなたの灸痕を見つけて、思い出して、やってみたんだけど、
ことのほかうまくいったわ。これからはあなた限定でこのお仕置
きをやってあげますね」

 「(そんなあ~~~)」
 泣き出しそうなアリス。あまりのことに反論も思いつかない。
 アリスはこの時とんでもないことの実験台にされたのである。


********************<了>*****

Appendix

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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