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5/27 勉強椅子

            勉強椅子

 普通は勉強机って言うけど、ぼくの場合机はどうでもよくて、
椅子の方が問題だった。
 その椅子は、僕が勉強する時には必ずやって来て僕を拘束して
終わるまでは離さない。

 なかなか快適で、お尻だけでなく背中も両腕もふっかふかだし、
およだれさんが出るとすぐに拭いてくれたりもする。
 年がら年中暖房が入っているので、冬は快適だが、夏は暑くて
仕方がない。

 ぐっしょり汗をかくから、バスタオルをお尻や背中に敷き込ん
で、ガーゼのハンカチや氷が必需品だった。
 もし、それが欲しくなったら「あ~あ~」と言って後ろを振り
向くと、ハンカチで汗を拭いてくれ、氷を口の中に入れてくれる。

 それだけじゃないよ。鉛筆は自動的に砥いでくれるし、問題集
のページも捲ってくれる。
 なかなか便利な機能がついているんだ。

 ただ、ちょっと便利すぎて困ることもある。
 だって、この椅子に座ると僕は何かを覚えるか、ひたすら問題
を解くだけになっちゃうからね。疲れて仕方がないんだ。

 だけど、この椅子は僕がちょっとぐらい疲れましたって言って
も開放してくれないんだ。
 それだけじゃないよ。両脇に丸太ん棒みたいなのがあるからね、
脇見をしようしても見えないし、それを無理に見ようとすると、
丸太ん棒が動いて僕の顔を正面に向けなおさせるんだ。

 だから僕に見えてるのは、その椅子が命じる問題集の問題だけ。
 とにかくそれをたくさん解かないと開放してもらえないんだ。

 もちろん、それって大変だからね。時々ストライキを起こす事
もあるんだけど、そうすると、さっきまで目隠しだった丸太ん棒
が動いて、外へ向いていた体が、一時期、背もたれの方に向けら
れてしまうんだ。

 でもって、頭なでなで、おっぱいにほっぺたをくっ付けてスリ
スリ。それでもってお尻をよしよしして、お背中をとんとんして
……

 「もう少し頑張りましょうね」ってお話するんだ。

 でもって、僕が落ち着くと、また以前の姿勢に戻してさっきの
続きを始めるというわけ。

 あっ、それから、いい事がもう一つあった。
 この椅子、疲れて寝ちゃっても起こしてくれるし、いよいよ、
どうにもならないくらい疲れちゃうと、ベッドまで運んでくれる
機能がついてるからね。そんな時は自分で廊下を歩いて帰る必要
がないんだ。

 なかなかに高機能な椅子だろう。
 これを10年以上使い続けたんだけど、最後は僕の体重が増え
過ぎちゃって、重量オーバーで使用不能になっちゃったんだ。

 いかがですか、一家に一脚。お子さんのいる家庭では特に重宝
しますよ。

 なんちゃってね。

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5/26 ママ語

ママ語

 僕は日本語のほかにもう一つ、別の言語を持っている。

 それが、ママ語。

 幼児の頃に習得して、いまだに使っている便利な言葉だ。

 この言葉の便利な処は一音か二音程度、どんなに長くても四音
もあれば、かなり込み入った内容でもやり取りできる点だ。

 例えば、「あ~」という言葉と共に母の胸でおっぱいを掴む。

 たった、これだけで……
 「あらあら、大変、お腹がしくしく痛むの。それで、お薬は飲
んでもいいけど、お医者さんには行きたくないのね」
 となる。

 これだけの文章を、「あ~」という一音で間に合わせることが
できるのだから便利な言葉なのだ。

 もちろん、この「あ~」は、顔の表情や仕草などを含め微妙な
ニュアンスを使い分けて百や二百通りに意味に差し替えることが
できるから、細々とした文法など最初から必要ないのだ。

 時には、発音さえ必要でない場合さえある。表情と仕草だけで
……

 「あなた、今度の事、あまり乗り気じゃないけど、やらなきゃ
いけないと思ってるみたいね。でもね、こんなに強いストレスを
抱えてたら、やりおうせたとしてもその後にしこりが残るから、
やめた方がいいわね」

 と、こんな事を言うのだ。

 この時、母は、『今度の事』が何なのか、まったく知らない。
なのに、『今度の事』の重要度やそれをどのように決断しようと
しているのかを、例えば、『重要度はB程度、70%位は積極的
にやろうと思ってる』みたいな心模様の色合いまで解き明かして
しまうのだ。

 こんな事はお嫁さんには間違ってもマネができない。
 なのに、この人は……
 「私とお義母様と、いったいどっちが大事なのよ!」
 なんて息巻くもんだから、女のというのは、つくづく不思議な
生き物だ。

 「そんなもの、合理的に考えれば、あったりまえじゃないか!」

 って本当は言いたんだけど、お母さんが……
 「それは絶対に言っちゃだめよ」
 って言うから、言わないけどね。

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<追伸>
 カレンのミサ曲はこれから先、色んなバージョンが残ってて
整理されずに尻切れトンボのものばかりなんです。
 要するに、私の悪い癖で、その瞬間、その瞬間、想いつく
ままに描き散らかしていますから、どれがどれやらわから
なくなってしまっています。
 おまけに、私の仕事も忙しくなって……
 更新は気長にお待ちください。
(読んでいる人がいればの話ですが…)


5/25 母の死

 母の死

 小学四年生になる直前、母が死んでしまった。

 なんて、書いたらセンセーショナルだろうなあ。

 だけど、彼女は生きてる。今でも生きてる。八十を越えたけど。

 ただ、僕にとっての母はこの時すでに亡くなってしまっていた。

 どういうことかというと……

 実は彼女、それ以降、僕に新しい知識を授けることができなく
なってしまったのだ。

 三年生ですでに、彼女の知識は底をついたみたいで、四年生に
なると家庭教師と称する人が自宅にやって来て、あれしろ、これ
しろ、とうるさく言ってくるようになった。

 それが、僕には面白くなかったから成績が落ちた。

 だって、新しい知識や経験は、生まれて以来、ずっとお母さん
のおっぱいの中で起きていたのに、それができなくなるなんて、
僕にとっては一大事なのだ。

 つまり、僕にとっては母が死んだのも同然だったのである。

 もちろん、家庭教師のお姉さんは立派な人だし、沢山の知識も
持ってる。

 だけど、その人は僕を膝の上に抱いてくれないし、頭も撫でて
くれない。ほっぺすりすりもしないような人から、いったい何を
学ぼうというのか。

 僕は正気でそう思ってた。
 だって僕にとっての勉強は立身出世の為にやってたんじゃない。
僕を愛してくれるお母さんを喜ばせるためにやってたんだから、
得体の知れない家庭教師が喜んでもしょうがないのだ。

 そこで、こちらもしょうがなく、勉強中はお母さんが同席する
ことになったんだけど……
 やっぱり、昔ほどの効率はあがらなかった。

 そこで、さらにしょうがなく。彼女は私を昔のように膝の上に
乗せて勉強させたのである。

 家庭教師のお姉さんは驚いただろうね。四年生にもなった子が
幼児みたいにお母さんの膝に乗せられて勉強してるんだから。

 でも、それ以上に驚いたのは僕の情報処理能力だったみたいで、
次回から、勉強の内容が格段に難しくなってしまった。

 困ったものだけど、僕の生い立ちからは仕方がなかった。

 つまり、ここからは母が死んで自分で知識を求めなくてはなら
ない。『世間的には当たり前』の始まりだったのかもしれないけど、
それが僕には辛かったのである。

 思えば母は性急過ぎた。二歳でたまたまひらがなを覚えたのが
きっかけで、矢継ぎ早に知ってる知識は何でもつめこもうとした
ものだから、小3で早々手持ちの在庫がなくなっちゃったという
訳。

 何しろ、女学校ですら親の賄賂でようやく卒業できたような人
だもん。持ってる知識も経験もささやかなものだったんだ。

 さてさて、絶対的な神様がいなくなってこれからが僕の苦難の
日々だったのである。

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「秘密の花園 (2)」 (5/1)

***** < 秘密の花園 (2) > ****** 5/1 *****
昨日は、秘密の花園で遊んで、久しぶりに楽しかった。
もったいぶった言い方をしたが、要するにブログを見ていたという
だけのこと。

そのブログにはユニークなタイトルがついていて、小説がメインの
構成になっている。そこにあった小説が、おもしろかったのだ。

お仕置き小説というのは、お仕置きの行為にばかり目がいくと、
どうしてもSMの方へ傾いてしまう。もちろん、何がしかの性欲が
あって描いているからそれがいけないということではないのだが、
SMとお仕置き小説を分けるのは、実は、気持の問題だけ。

お仕置きする側(親や教師)とお仕置きされる側(子供)との間に
愛情関係が存在しなければ、それは単なる虐待行為になってしまう。
不条理を前面に出すなら、それはSMの世界だ。

これに対し、お仕置き小説には、それぞれの人の心が条理や常識で
動いていなければならない。

ところが、長い時間、たくさん描いていると、知らず知らず感性が
摩滅していき、その部分がなおざりになってしまうことが多い。
親は子供を愛しているのが当然として、作者自身は心の内に秘めて
はいるのだが、作品の表現からは抜け落ちていってしまう事が多く
なる。

すると、これを読んだ人は、『お仕置き小説ってソフトなSM小説
ってことですか?』とか、『親が子どもを虐待している話ですよね』
って感想になってしまうわけで、作者の意図は伝わらなくなって
しまう。

最初、彼女(彼)の作品に出会った時、私は思わず押入れを探して
みた。私だってかつては同じような作品をいくつも描いていたから。

ところが、あまりに時間が経ち過ぎてしまって、数回あった引越し
の際、どこかで捨ててきてしまったようで、見つからなかった。

ならば、今から昔と同じようなものが書けるだろうか?去るものは
日々に疎し…で、すでに感性が摩滅してしまっている気もするが…
『もっと人の気持ちを大事にして小説を書かなければならないな』
とは思っているのである。

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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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