2ntブログ

Entries

§3 < 避難所 > ~ お父さんのこと ~

*** §3 < 避難所 > ~ お父さんのこと ~ ***


 これまでお母さんのことばかり話して来たけど、それはあまり
に彼女の存在が強烈だったからで、うちにもお父さんと呼ばれて
いる人がいるにはいたんだ。

 いい人なんだよ。たくさんお酒を飲んで暴れたりはしないし、
お母さん以外の女の人に興味をしめさないし、博打もしないから。
質屋の仕事だって、店の表にはあまり出てこないけど質草の管理
なんていうお母さんには苦手な仕事もしっかりやってたもん。

 でも、我が家での存在感はいまいち。

 時間があけばすぐに書斎に入って読書してるかお習字書いてる。
師範なんてお免状もってたから、お母さんが「小学生でも教えた
らいいじゃなの」って言ってたけど……「あんな金切り声の中に
は居たくない」んだってさ。

 ま、僕は息子だったからお膝の上に乗せてもらって特別に教え
てもらってたけど、僕の書道の先生というのは別にいてこちらが
メイン。
 人付き合いが苦手なお父さんは教え方も上手じゃなかった。

 でも子供は好きで、書斎にいくと必ずお膝に抱っこしてくれて、
甘納豆をくれるんだ。旧制中学しか出てなかったけど、けっこう
物知りで、色んな雑学をお膝の上に座った僕の頭越しに講釈してた。

 そんなうんちく(自慢話でもあるけど)を頭よちよちしてもら
いながら聞いてるのって、お母さんと過ごす時にはない緩やかな
時間が流れてて心地よかったんだ。

 そうそう、僕が二歳で絵本を読んだのは、この人が教えたから。

 「そんな小さな子に教えても覚えるわけないじゃない」

 なんて最初は冷ややかだったくせに、僕がひらがなを覚えると
近所中にふれ回って、やたら本を買い与えたり、習い事に通わせ
たりするんだから、お母さんの方は現金な人なんだ。

 お父さんが僕にしてくれたのはそれだけじゃないよ。自転車の
乗り方や紐の結び方、リンゴの皮の剥き方、お庭にある滑り台も
ブランコもお父さんのお手製だったし、お裁縫なんかやらせても
お母さんなんかよりもずっと上手だったんだ。

 性格が地味で、寡黙で、人付き合いが下手で……っていいこと
あんまりないかもしれないけど、僕はお父さんが嫌いじゃなかっ
たんだ。
 何たって怒らないからね。安心してそばにいられるだろう。
 そこがいいんだよ。

 お母さんの場合だと……最初は、抱っこよしよししてくれてて
も……そのうち、「今日のテストはどうだった?」とか「ピアノ
は練習したの?」「宿題終わってないんじゃないの?」なんて、
こっちが言いたくないことを次々に聞いてくる。

 「ダメじゃないの、さっさとやってきなさい」なんて言われて
放り出されることもあるし…ご機嫌損ねたら、そのままお仕置き
なんてことも……
 とにかく、お母さんの抱っこは危険な乗り物なんだ。

 その点、お父さんは暇人だからね。そんなこと言わないの。
 僕の気がすむまで抱っこしてくれるもの。

 ただね、そこでいくら愚痴ってみても、問題は何も解決しない
んだ。

 僕に代わってお母さんに苦情を言ったり、言い訳したりはして
くれないから、そういった役にはたたないんだ。

 おまけに頓珍漢なことはすぐやっちゃうから、その点でも困り
ものなんだよね。

 あれは、小二の時だったけど、テレビを見ていたら番組の中で
韓国の天才少年というのが出てきて、なんだか難しそうな数式を
解いて見せたんだ。

 その子が僕とそれほどかわらない年恰好だったものだから、お
母さんの方は感心しきりだったんだけど……
 お父さんは……

 「要するに簡単な連立方程式を解いただけじゃないか。あんな
程度で天才だなんておかしいよ」

 「どうして?高校の教科書に出てくる問題なんでしょう。この
子たちまだ小学校の教科書もあがってないのよ」
 とはお母さん。

 「大丈夫さ。四則の計算さえできれば……この子たちにだって、
解法さえ教えてやれば、この程度の数式、答えを出すことぐらい
できるはずさ」
 なんてね、いたってクールなんだ。

 そこで……

 「ねえ、教えて、教えて」
 「ぼくも、ぼくも」
 って、男の子二人が食いついた。

 すると、本当は冗談だったのか……
 「三日はかかるよ」
 って、今度は少し弱気なお父さんだったけど、結局は、教えて
くれる事に……

 でも、案ずるより産むが安し。それまで方程式も知らなかった
のに、二日目には、中学の問題集に出ている簡単なもの程度なら
二人とも解いていた。

 「なんだ、こんなものか」
 ってなものである。
 ただ、二人にとってはこれはあくまでゲーム。勉強じゃなかった。

 だから、家の中だけでやめておけば問題なかったんだが……
 何かちょっとできると、すぐに天狗の鼻が伸びるのはお母さん
ゆずりで……学校へ行って自慢してしまったんだよね。

 すると、男の子って無機質なものが好きだろう。それにさあ、
みんな負けず嫌いときてるからね……

 「僕もやりたい……」
 「僕にも教えて……」
 ってことになる。

 つまり、連立方程式を解くことがブームになっちゃったんだ。
 結局、解けるようになったのは数人で、いずれも男の子だけ。
女の子たちは初めから冷ややかだった。彼女達は役に立たない事
にエネルギーをつぎ込む男の子たちこそ不思議だったみたいだね。

 でも、これに困ったのは担任の先生で、たちまち禁止令が出て、
チョン。
 火元のお父さんは学校に呼び出されて……

 「算数は順序だてて学んでいかないと混乱します。余計な知識
を子供に与えないでください」
 って、先生に叱られちゃったんだ。

 でも、僕はそんなお父さんが好きだったよ。
 だって、そのお膝に座れば、学校やお母さんが教えない大人の
世界をたくさん教えてくれたもの。

 先走りだっていいじゃないか。だって大人の知識は楽しいもの。

 先生には叱られたけど、この先も、お父さんは僕をお膝に乗せ
たり肩車したりして大人への窓をいくつも開けてくれたからね。

 そりゃあ、お母さんから見れば、お金を稼げないダメ夫だった
かもしれないけど、僕には大事な人だったんだ。

 あっ、それと、もう一つ。子供たちにとってお父さんには大事
な役割があったんだ。

それは避難所。

 『何から避難するのか?』(゜〇゜;)??? 

 馬鹿なこと訊かないでほしいなあ。
 お母さんに決まってるじゃないか。(^◇^;)

 あの人、普段はぼく達を赤ちゃん扱いして、溺愛してるように
みえるけど、いったん怒り出すと相手が幼い子どもだってこと、
忘れちゃう人なんだ。

 性格的には超ドS人格。

 冗談抜きに、『殺される!』って思ったことが何度もあるもの。

 とにかく怒ると見境がなくなる人なんだ。

 子供って、そんな時に行き場がないだろう。
 だって、帰る場所はこの家しかないんだから……

 だからね、そんな時は、お父さんに助けを求めるんだ。

 すると、お父さんはとにかく無条件に抱っこしてくれて、まず
は頭や身体をよしよししてくれる。

 もちろん、お母さんは悪い子を追っかけてくるよ。
 そして、僕の目の前で『引き渡しなさい』って矢の催促だけど、
お父さんは聞こえないふりをしてお母さんには渡さないんだ。

 お父さんは頼りない人かもしれないけど、一応は、男だろう。
お母さんだって力ずくで取り返すって事はできないみたいなんだ。

 それで、お母さんの呼吸が少し穏やかになった頃になって……

 「どうしたの?」
 って僕に尋ねるから、お父さんの胸の中でぼそぼそってわけを
話すと……それに、外野のお母さんが反論したりして……

 その間も、お父さんはずっと僕の頭をなで続けてくれる。

 でも、結論は色々だった。

 「もう、いいじゃないか」
 ってお母さんを諌めてくれることもあれば……

 「そんなことしたら、お母さんだけじゃなくて、お父さんも、
ちいちゃんを嫌いになっちゃうぞ。今日は、お母さんにごめんな
さいしよう」
 ってこともあるし……

 「そんなことしたら、お母さんが怒るの無理ないよ。今日は、
ちょっと、痛い痛いしようか。そうしないと、ちいちゃんいい子
に戻れないもの」

 なんてね。(゜Д゜≡゜Д゜)ショックな結論もあった。

 こうなると僕の体はお母さんの胸の中に強制送還。
 こんな時は、当然、お母さんからお仕置き。

 パンツも剥ぎ取られて、お尻ぺしぺし。

 でもね、この時のお尻ペンペンは、もし、お父さんの避難所に
たどり着いてなかったら、こんなものじゃすまなかったはずなの。

 だって、ぶたれててもお仕置きが軽いのがわかるもん。

 この時はいったん頭の天辺まで上っていた血も、だいぶ下の方
まで下がってるからね。お母さんの興奮もそんなに強くないから
なんだ。

 でも、それでも、みんな泣くよ。(`Д´≡`Д´)

 誰だってこの人には昔からもの凄く怖い目に何回もあってきて
るんだもん。たとえ、軽くぶたれてるなあとは思っても、心の中
は恐怖でいっぱい。お尻からの痛みはやっぱり僕の頭の天辺まで
届くんだ。

 だから……やっぱり、泣いて「ごめんなさい」なんだよね。

 だけど、お父さんを介さない時のような「この世の終わりだ」
「殺される!」ってほどのショックはないからね、たとえ最後は
お尻をぶたれることになっても、お父さんの懐に逃げ込む価値は
十分にありなんだよ。

 そんなお父さんは、僕らから見ればお父さんだけど、お父さん
にだって、当然、お母さんはいるわけで、そのお母さん、つまり
ぼく達からみればおばあちゃんにはまったく頭が上がらなかった。

 要するにぼく達がお母さんに頭が上がらないってのと同じ様に
おばあちゃんの処では典型的なイエスマンなんだ。

 おばあちゃんはぼく達の家の裏に隠居所を建てて住んでるから、
形の上では別居なんだけど、四六時中うちに出入りしてるからね、
実質的には同居も同じ。

 特に、お昼時はお母さんが商売で家をあけてることが多いから、
学校がお休みの日の昼食は子供たちもおばあちゃんちで取ること
が多かったんだけど……

 ただ、そこでみるお父さんは少し違ってた。

 まず、とっても明るい顔をしてるんだ。笑顔が多いし、ちょっ
とふざけた顔をすることもある。お父さんがおどけてるなんて、
普段のお家では見たことがないもの。

 それによく子供たちの自慢話をする。これも、お家ではあまり
やらないことなんだ。食事中もよく甲高い声で笑うしね。
 とにかく、とても楽しそうなんだ。

 そのくせ、おばあちゃんに何か言われると、すぐにしょげ返っ
ちゃう。

 僕は子供の頃、それがどういうことなのか、わからなかった。

 だって、子供の僕から見れば、お父さんはとっても優しくて、
何でも知ってて、何でもしてくれる偉い人、立派な人だもん。
 ぼく達とは別の世界に住んでる人だって思うじゃないか。

 でも、今はそれが分かるんだ。

 お父さんにとっておばあちゃんは自分をずっとずっと愛し続け
てくれたお母さんさんなんだもん。だから、ぼく達がお父さんの
懐に飛び込むように、お父さんにとってもそこが避難所だったん
だ。

 お母さんにしたら大いに不満だろうけど、お父さんはお母さん
つまりおばあちゃんの愛の中からは独立してなかったんだよ。

 これってお嫁さんにとっては大変辛いことなんだろうけど……
でも、こんなケース。昔の田舎では、そう珍しくなかったんだ。

 だから、今とは逆。女の子の方が厳しく仕付けられちゃうんだ。
何しろ、心の中ではオマルだなんて思われてるお家でお姑さんと
も一緒に暮らさなきゃならないんだもの。よっぽどしっかりして
なきゃもたないよ。

 これに対して男の子は、学校時代は勉強ができて、社会に出た
らお金を稼いでくるのが仕事で、それ以外はすべてお母さんたち
のよしよしの中で育つだろう。凡庸とした性格で育っちゃうんだ。

 特に昔は、長男がお家を継いでお母さんも同居してるケースが
ほとんどだったからね、その後やってくるお嫁さんに対抗する為
にも、男の子は何かにつけて、よちよちして育てちゃうんだ。

 だから、長男の甚六だなんて言われちゃうんだけどね。

 お母さんは、お父さんのこと、常々「そもそもお婆さまの教育
がなってないから、あの人、ああなのよ」って、僕にまで愚痴を
こぼしてたけど……

 育てられてた僕にすると……そもそも僕の家だってお姉ちゃん
とぼく達とでは明らかに対応が違ってたもん。

 それに、お母さんだって頻繁に実家に帰ってたから……それって、
五十歩百歩って気もするんだけど。

 いずれにしても昔のお嫁さんが今より苦労していたのは確かで、
そんな困難を乗り越える為にと、お母さんたちは日々厳しい訓練
(躾、お仕置き)を娘に課していたみたいです。


 はははは……ホントかなあ。(^^ゞ
 でも、僕の実感だよ。(*^_^*)
 

 下の絵はシャルダンさんの有名な絵画「ブランコ」
 お父さんってね、世の中の役にはたたなかったかもしれないけど、
 この絵みたいに遊ぶにはいい人だったよ。

ブランコ(シャルダン)


**************************
 

§2 愛の中にある『愛のお外』

***** < 愛の中にある『愛のお外』 > *****

 ちいちゃんのママは育てた子すべてを愛していた。仕事をしな
がら寝る間も惜しんで僕らのために尽くしてくれていたからね、
僕らもママには我がままは言わなかった。

 よく、街で幼い子が泣いて騒いでるだろう。
 あれ、当たり前のように思うかもしれないけど、ぼくたちに、
それはなかったんだ。

 『ねだったものを買ってくれない』とか『まだここで遊びたい』
と思っても、ママがダメって言えば黙って従った。
 どんなに幼い時でもそれでママを困らしたことはなかったんだ。

 「ちぇっ」なんて、舌打ちくらいはしたかもしれないけど……
少なくとも地面に寝っ転がってイヤイヤをするってことだけはな
かった。

 それをママに言うとね……
 「それはあなた方が偶然良い子だったからよ」
 って嬉しそうに微笑むんだけど……

 でも、僕はお母さんの育て方に何か秘密があると見ている。
 だって子供一人ひとりの資質がそんなに大きく違うわけがない
はずだし、何より僕たち姉弟三人、個性はまったく違うんだよ。
同じ反応をするなんておかしいよ。

 で、出た結論なんだけど……
 手っ取り早く言ってしまうと、これって飴と鞭の効果なんだよ。

 普段はとっても優しい。僕の体験から言っても、『甘やかし』
何てレベルは超えていて、小学校時代を通じて赤ちゃん状態だっ
た。

 一緒に抱き合って寝て、一緒にお風呂に入って、一緒にトイレ
まですませた。

 ん?
 『さすがに、トイレは一緒じゃないだろう』
 って……

 ところが、そうでもないんだ。
 僕はお風呂に入ると不思議にウンコがしたくなる。
 本来ならもちろんトイレへ行くところだけど、そうすると廊下
に濡れた足跡が残る。それに素っ裸では風邪をひいちゃうしね。

 そこで、何と、浴室内にオマルが置かれることになったんだ。

 ん?
 『普通の家じゃ考えられない』
 って……

 だろうね、僕もそう思うよ。だけど、うちじゃそうなんだ。

 お風呂場でお母さんの見ている前でオマルに跨ってウンコ。
 終わると四つん這いになってモーモーさんのポーズ。
 お尻をティシュで拭いてもらって、お尻の穴をお湯で綺麗に
してもらったら、また湯船に浸かるの。

 もちろん赤ちゃんの時だけじゃないよ。3年生、4年生くらい
まではずっとこんな感じのお風呂兼おトイレだったんだ。

 この人、不思議とそういうことにはあまり頓着がなかったの。
 「しっかりしなさい」とか「だらしがないわよ」ってなことは
男の子にはあまり言わなかったんだ。

 だから、小学生時代は赤ちゃん時代とそんなに変化がなかった。

 でも、これって男の子だけの話で、茜の姉ちゃんに対しては、
「しっかりしなさい!」とか「だらしがないわよ!」なんて言葉
を頻繁に使ってたんだ。

 お母さんにしてみるとね、お姉ちゃんというのはお弟子さんとか
子分とかいう関係だったんだね、きっと………だから、家のこと
(うちの場合は商売も含むんだけど……)なんかを覚えさせて、
手伝ってもらおうなんて虫のいいことを考えてたんだよ。
 だから厳しく仕込まれてたんだ。

 お姉ちゃんは『メジラ』なんて言われて暴れん坊みたいに思わ
れてたけど、あれって、単にお母さんの気性をそのまま受け継い
だから、ああなるだけなんだよ。

 それに対してぼく達男の子というのは、自分とは生理も違うし、
家の手伝いなんかはさせられないし、そもそも育てる目的が、家
の後継ぎの養成だろう。勉強さえある程度できていれば経済力も
おのずとつくだろうから、それでいいって考えてた節があるんだ。

 この場合の後継ぎは、必ずしも質屋を続けるって事じゃなくて、
家名を上げてくれるなら仕事は何でもいいんだよ。
(このあたり、現代の人には言ってる意味が分からないかも)

 とにかく、お母さんにとって大切なことはね、自分が息子から
この先も嫌われないでいることなんだ。
 このあと、息子にはお嫁さんが来るだろう。その人に負けない
だけの楔(くさび)を息子の心に打ち込んどかなきゃって考える
わけなの。

 だから、僕が色気づいた時だって……

 そう、その日僕は……
 お母さんと一緒に街を歩いてた。

 すると、自分と同世代の女の子に自然と目が行く。
 気がついたお母さんが……

 「どうしたの?」
 ってきくから……

 「何か、変な気持がする」って言ったら……

 「あら、大変、病気かしらね……」
 彼女はその時はそう言ったけど、どうやら分かってたみたいで
……

 おうちに帰ったら、女の子の裸ん坊さんの写真をたくさん僕に
見せるんだ。
 そこで、たまらず……

 「もっと変な気持がする」
 って言ったら……

 「あらあら、ちいちゃんもいつの間にか、大人さんになったのね」
 って、嬉しそうに言うんだ。

 それからしばらくして、「お気に入りの可愛い子が見つかったよ」
って報告すると……

 お母さんが……こういう風に言いなさい。こんなプレゼントを
持っていくの。相手がこんなことを聞いてきたらこう答えるのよ。
って、想定問答集みたいなもので色々練習したんだ。

 それで、無事デートの約束を取り付けると……

 デート用の服を新調して、プレゼントを持たされて、想定問答
集を暗記して出陣したんだ。

 ま、その時は小さな恋のメロディーだったからそれだけだった
けど、ハイティーンになっても、実はそれほど変わらなかった。

 お母さんのレクチャーを受けてデートして……
 でも、とうとうホテルに誘ったことは一度もなかった。

 お母さんは「自宅でもいいのよ」って色々用意してくれたけど
それもしなかった。

 そんなのが三人ほどあってから……ママが……

 「いいこと、ちいちゃん、大人になったらね、大人のオマルを
買わなきゃいけないの」

 「オマル?」

 「そうよ、あなただっておしっこしたいでしょう?……いいわ、
お母さんが坊やにぴったりのを探してあげるから」
 って……

 で、そのオマルと今でも暮らしてるんだけど……

 あれは新婚旅行から帰って三日目だったかな。
 オマルが見えないから、
 「ねえ、オマルどこにいったか知らない?」
 ってお母さんに言ったら……

 「そんなこと言っちゃいけません!」

 今度はめっちゃくちゃ怒られちゃった。

 でも、当の本人は都会育ちだからね、何のことだか分からなか
ったみたい。

 こんなこと書いてると異常な世界に思えるかもしれないけど、
うちの田舎では、これってけっこう多いパターンなんだよ。
 
男の子はお母さんにべったり甘やかされて育てられるからね。
大人になってもお母さんの影響力は絶大なんだよ。精神的には、
赤ちゃんに近いと言っていいくらいなんだ。

 こうして、息子を通じて家を支配しているお姑さんは沢山いる
んだ。男尊女卑のお土地柄だなんていっても、結構、ハッピーな
老後なんだから。
(もちろんお嫁さんは大変だけど……こちらも、『よし、男の子
を産んでこの家を乗っ取るぞ!』ってファイトを燃やすってわけ)

 さてと…話をもどすけど、

 お母さんは僕を極力手許から離さなかった。

 うちはお店での営業だけじゃなくて、色んなイベントごとに
便乗して質流れ品の展示即売会みたいなものもあちこちで開いて
いたんだけど、そんな会場にも、お母さんはぼくたち兄弟をよく
連れて来てたんだ。

 物心ついた直後から記憶があるから、二、三歳のころから連れ
て来てたんじゃないかなあ。そうすると、子供ってやっぱりお母
さんのそばにいつでもいたいじゃないですか。
 我がまま言ったら商売の邪魔になるので返されちゃうでしょう。
自然と、我慢強くなっちゃうんだ。

 で、その時お姉ちゃんはまだ小学校の低学年だったはずなんだ
けど、これがお母さんを助けて働いているって感じだったんだ。
どの程度、戦力になっていたかは疑問だけど、ママのお側(そば)
で遊んでるだけの僕らから比べると、仕事らしいことをしていた
のはたしかだよ。

 じゃあ、僕らは何の役にもたっていないのかというと……
 それがそうでもなかったんだ。

 幼児がそこにいると、自然と大人達があやしてくれるだろう。
つまり、人寄せになるんだよ。

 このあたり、今とは違って、大人達は見知らぬ子供にも気軽に
声を掛けていたし、触ったし、抱いてた。
 要するに、気軽に遊べる玩具が置いてあるって感じなんだ。

 そういった意味では、お母さんの営業に貢献していたとも言え
るんだ。

 ただ、子どもだからね。失敗も多かった。

 ある日、もの凄く太ったおばさんが真珠のネックレスを買って
くれたんだけど、その人が帰りしな……

 「ねえねえ、お母さん。こんなのを『豚に真珠』って言うんで
しょう」
 って、言ってしまったの。

 おばさんは一呼吸おいて振り返ると、笑ってたけど、お母さん
は冷や汗たら~り。

 「坊やはおりこうさんなのね。そんな難しい事をよく知ってる
わね」
 って、褒めてくれたんだけど……

 以後、しばらく母からは出入り止めを言い渡されてしまった。


 ま、そんなこともあったけど、その日何が起ころうとも、夜は
お母さんに抱っこしてもらいながら眠るという習慣だけは、我が
家では揺ぎ無いものだったんだ。

 どんなに厳しいお仕置きがあった日も滅多に一人で寝かされる
ことはない。

 逆に……
 「独りで寝たい」
 と言っても許してくれないんだ。

 お仕置きはお仕置き、ネンネよしよしはネンネよしよし。我が
家ではこの二つはものの見事に両立していたの。

 お母さんはもともと気性の激しい人だったから、お仕置きする
時はそりゃあ大変だった。『この世の終わりかあ~』ってぐらい
の恐怖だもん。
 でも、終わるとね、すぐに抱いて赤ちゃんのようにあやして
くれたんだ。

 そんなお母さんの口癖が……
 「あなたたちは今、お母さんの愛の中にいるの。あなたたちが
そこから出る事は絶対にできないのよ」
 というもの。

 年齢が高くなると、馬鹿馬鹿しいとは思うのだが、あまりにも
幼い時から脳裏に刷り込まれているためか、その言葉自体が不快
に感じられることもなかった。

ま、一種の催眠術みたいなものなんだろうけど、我が家ではその
呪文が親子の絆を保たせていたのかもしれないね。

 では、本当にお母さんの愛のお外に出る方法は、本当になかっ
たのか?

 いや、これが一つだけあったんだ。

 「おかあさん、……ね、…ぼく、愛のお外へ行きたい」

 こう言って寝床でおねだりするとね、お母さんはそれまで以上
にぎゅ~っと僕を抱いてくれる。

 すると、不思議なことに愛のお外へは、割とすんなり行けるのだ。

候女の2歳の肖像


 そこには……
 妖精の花園
 仏様の世界
 天使達の楽園
 未来の国
光のループ滑り台
 などなどあって、どこに行くかはその日の運しだい。
 どこへ飛んでも、たいていは僕を楽しませてくれるんだけど…
 ただ、ごく稀には怖いことがあったりもして……

 そんな時は……
 「おかあ~~さ~~ん」
 って叫ぶんだ。心で叫べばいいんだよ。

 すると、突然、目の前にお母さんのおっぱいが現れて……

 それをお鼻やほっぺでくちゅくちゅってやると……

 「どうしたの?怖い夢だったの?」
 ってお母さんが聞くから……

 「うん」
 って小さくお返事してから、また眠るんだ。

 考えてみれば、これが人生最初のお仕置きだったような気がする。

 お母さんが、「愛のお外に出ちゃいけないよ」って言ったのに、
出ちゃって……(故意ではないけど欲望はあった)

 怖い、怖い、ことが起こったんだけど……

 それって、大きなお母様の愛の世界の中で起こったことだから、
別に特別なことは何も起きてなくて……

 明日は明日で、また、お母様の愛の中でいつもどおりの生活が
始まる。

 お仕置きってね、こういうことだと思うんだよ。

 コップの中の嵐。

 しかし、どんなに怖い目にあっても子どもはまた新たな楽しみ
を求めて、常に新しい世界へのチャレンジは続ける。

 それは人の本性だからね、仕方のないことなんだ。

 やがて、子供のチャレンジは……

 お母様の愛のエリアを本当に乗り越えてしまい、はるか彼方に
飛んで行ってしまうんだけど……

 愛されていたという自信が、僕に推進力を与え続けてくれて、
色んな世界を経験させてくれるはずなんだ。
 そして、今度は僕が愛する人の為にバリアを張ることになると
思うよ。

 恐怖の夢からは本当の勇気は湧いて来ないし、
 楽しい夢ばかり見ていては何も生まれない。
 困難を克服する勇気というものは『愛されている』という自信
から生まれてくるものなんだ。

*************************

§1 メジラ武勇伝

ちいちゃんの思い出

          メジラ武勇伝


 まず最初にお断り。某メスゴジラより『てめえ、こんなこと流し
てみろ、お前の恥ずかしいことも全部流すからな』というメールが
ありましたので、以下の文章を付け加えます。

 『この物語はフィクションであり、事実や真実ではありません』

 さてと、気を取り直して……

 メジラの武勇伝って、実はあげればきりないほどあるんだけど、
今でも家族の間で語り草になってるのをいくつか上げてみます。


*****************************

(1) お受験タメ口事件

 お受験の面接で、予行演習のお約束を忘れ、応対した面接の先生
に向かってタメ口で答え始めると、聞かれてもいないことまでしゃ
べりだしたんだ。
 いったいどっちが偉いのか分からない様子に場内は漫才でも見て
るみたいに大爆笑。両親は卒倒寸前だったんだって。
 ん……見てみたかった。(*^_^*)

 この時代はまだ今のようにお受験の為の予備校のようなものが
なくて受験する子はその面倒をみてくれる幼稚園へ通うというのが
通例だったんだ。受験対策も今みたいに完璧なものじゃないからね、
こんな間違いだってあったみたいだよ。

 ただ、この件については僕もミイちゃんもメジラにあまり強い
ことは言えないの。…>_<
 …というのは……

 僕も面接の時、先生の言葉尻をとらえて……
 「先生さあ、そんなことも知らないんじゃ世間の人に笑われるよ」
 なんて言っちゃってるし……

 ミイちゃんはミイちゃんで、一番最後に……
 「あのねえ、幼稚園の先生にこう言いなさいって言われたの。
これでいいですか?」
 って確認しちゃったんだ。

 こんな風にみんな完璧じゃなかった。(^_^;)
 何しろメジラを育てたお母さんにぼく達も育てられたんだもん、
大人をフレンドリーな仲間としてみてしまい、立派な人として敬わ
ないところがあるんだよ。だから三人とも大人とのあらたまった席は
苦手なんだ。

**************************

(2) 全裸リンチ事件

 メジラは幼稚園時代も悪だったけど、入学してからもそれは変わら
なかったんだ。
 まだ入学して間もない頃、生意気な男の子を女の子三人で取り
囲み、相手がびびると、全裸にしたうえ正座して謝らせるなんて
ことをしでかしてるんだ。
 
 「男の子ならいざ知らず、女の子のやることじゃない」
 って先生たちはカンカンだったみたいだね。

えっ?男の子ならいいのか?

 もちろん、そんな問題じゃないけど、当時は、男の子以上に女の
子はおしとやかに振舞うのが当たり前という時代なのよ。ハレンチ
な行動は慎まなきゃいけなかったんだ。

 「学園の風紀に関わります。しばらく停学させましょう」
 とか……
 「学校の信用問題です。退学にすべきです」
 なんて意見も出たらしいけど……
 園長先生がメジラのためにお仕置きを考えてくれて……

 『その子の前で全裸で土下座して謝る』ということで、何とか
首が繋がったみたいです。(^^ゞ 

 『そんなこと、学校でできるのか?』

 今では考えられないようなお仕置きが当時は現実的に(法律的じゃ
なく)可能だったんだ。だから、その子や先生たち、お父さんお母
さんたちの見ている前で本当に土下座したみたいだよ。
m(__)mゴメンナサイ

 まるで北野武監督のやくざ映画みたいでしょう。(^◇^;)
 あの人、何かと役者を裸にしたがるから……

 今ならコレってポルノなのかな?でも、ホントのお話だよ。
 夏になるとね、娘(7、8歳くらいまでだけど)を全裸にして
公園で遊ばせてる親が沢山いたんだから。

 僕が見て一番びっくりしたのは小五の子。田舎の川で友達と全裸
で泳いでるのを見たことがあるもん。家まで水着取りに行くのが
面倒だったんだってさ。
 もちろん女の子だよ。男ならそんなの珍しくもないもの。

 『えっ!?男の子でもビックリ?』

 困ったなあ。(^o^ゞそのあたり、現代人にはわからないか。
とにかく今とは常識が違うんだよ。
 当時の田舎は牧歌的で、今みたいに何かというと『いやらしい』
『いやらしい』っては感じでは相手を見てなかったんだ。

 とりわけうちの場合はアットホームな分、お仕置きも厳しくて、
いくら子供への折檻が常態化していた当時とはいえ、周囲と比べて
も図抜けて何でもありの学校だったんだ。

 ただね、それが分かったのは卒業してからの事なの。それまでは
この学校の厳しいお仕置きが社会の常識だって思ってたし、それで
不幸もべつに感じてなかったんだ。

 住めば都っていうけど、僕にとってはお仕置きのデメリットより
先生方誰にでもすぐに甘えられるこの世界が嫌いじゃなかったんだ。
それはメジラだって同じだと思うよ。

**************************

(3) ブロマイド密売事件

 メジラはただ凶暴だっただけじゃないよ。商売人でもあった
んだ。

 あれは彼女が小二の年だったかな、皇太子様が綺麗なお嫁さんを
もらった年で、お父さんはわざさわざ東京まで出かけて行って
その時の様子を写真に撮ってきたんだ。

 遠くからの写真でね、ろくにお二人のお顔も判別できないような
代物なんだけど、メジラはこれをご近所の写真屋さんに持ち込んで
焼き増しすると、ブロマイドと称して、お友だちに1枚50円で
売ってたんだ。

 きっと、お母さんの遺伝子を引き継いだんだろうね。すぐに商売
っ気出すんだよ。(^_^)b
 ただ、お父さんも、お母さんも、もの凄い剣幕で怒ったからね、
お金だけは返したみたい。

*************************

(4) 柿の木落下事件

 これは彼女が小三の時のお話。

 当時、学校の裏庭に危ないから登ってはいけませんと書かれた
柿の木があったんだけど、彼女はその警告を無視。
 男の子たちの要望に応えて登っちゃったんだ。

 ところが、今度は下りられなくなってね、先生たちが見守る中、
落下。

 園長先生にキャッチしてもらったんだけど、先生もその衝撃で
転んでしまって手の骨を骨折。

 先生たちからのお仕置きとは別に、メジラはお家で初めてお尻に
お灸をすえられたんだ。

 その時、ぼくたちもお母さんに無理やり見学させられてたんだ
けど、凄かったね、悲鳴が人間離れしてたもん。

 まさに、メジラの雄たけびだった。

 ( ^▽^;)楽しかったね(^∇^;)ウン

*************************

(5) 女ターザン事件

 これは彼女が小四の時。

 メジラはもともと体育会系の子だから、教室で女の子たちとちま
ちましてるのは嫌いなんだ。

 休み時間はたいてい男の子とお外で遊んでる人なんだ。

 その日もターザンごっこをしていて、木から木へ飛び移って遊んで
たんだけど……その時は、どういうわけかロープがいつもより長くて
……飛び移るのが木の枝じゃなくて職員室になってしまったらしい。

 一説にはメジラが自分でアクロバティクな技を決めようとして
ロープを長くしたけど、子供の浅知恵でイメージどおり行かなかった
とも言われている。

 とにかく……
 窓ガラスにそのまま顔面体当たりで突っ込むメジラ。
\(◎o◎)/!

 見ていた子のお話ではまさにスタント映画も真っ青だった
らしいよ。

 今ならこれ、大事故だったんじゃないかなあ。
 当時の木造校舎の窓ってねえ、窓の桟が薄い木でできてるし、
ガラス自体も今とは比べ物にならないくらい薄かったからね、
子供の体当たりでも破壊できたけど、今なら完全に跳ね返されて
落下してると思うんだ。

 ぼく達が入学した年のことだからよく覚えてるけど、最初は……
 「大変、お前のところのお姉ちゃんが病院へ行ったよ。死んじゃ
ったって……」
 なんて、デマが飛んだほどだったもん。

 お姉ちゃんは一応病院に行ったけど、幸いかすり傷程度だった。

 僕たちも学校へ迎えに来たお父さんと一緒に病院へ行ったんだ。

 その時、お母さんはメジラを抱いて……
 「これはお地蔵様のご加護があったからよ」
 って、ホント、涙を流して喜んだんだよ。\(゚▽゚)/

 だけど、これでめでたしめでたしってことにはならなかったんだ。
(ー_ー;

 家に帰ったら、メジラ二回目のお灸。
 でもって、二度目の雄たけび。

 「ぎゃあ~~~~」(`Д´≡`Д´)!!
 この時はお股の中にもすえられたから前回以上に凄かったんだ。

 お灸のあとも、お姉ちゃんたら四つん這いで……
 「あっ、あっ、あっ」(゜Д゜≡゜Д゜)?
 なんて訳の分からないことを言いながら、お股を押さえて畳の上を
さ迷ってた。

 ( ^▽^;)愉快だったね(^∇^;)ウン、愉快、愉快

 ただ、本人は……
 「別にそこだけが特別熱かったわけじゃないわよ」(`ε´)
 なんてね、うそぶいていたけど。

 ( ^▽^;)負け惜しみだよね(^∇^;)僕もそうだと思うよ

**********************

(6) うんち写真事件

 これも四年生の時のお話。

 今は、世の中の流れを気にして、また当時の先生方が現役を退い
たことをいいことに、「うちでは開校当時から体罰には反対でした」
なんて平然と保護者に嘘を言ってるけど、僕が知りうる限り、僕の
子供時代はその地域ではエリート校と呼ばれる有名校ですら体罰は
当たり前のように行われていたんだ。

 もちろん、それは小説に出てくるような極端な話じゃないし、
色情魔みたいな先生がいたって事でもないんだけど、ある程度、
校長から黙認され、親からも受忍されてたことは確かだし、公式
文書には載らない学校独自の不文律の制度として刑罰化されてた
ことも嘘じゃないんだ。

 ただ、そんな時代の中にあっても僕だちの学校は特別だった。
 なにしろ、お浣腸をお仕置きにしてたんだから………>_<…
 おそらく日本で唯一の学校だったと思うよ。

 そのためもあって(大義名分は子供の健康管理なんだけど…)
子供たちはオマルに用を足した後、出てきたウンコをお家ならお父
さんやお母さんに、学校では先生に見せて記録を取ってもらって
からでないと捨てちゃいけないことになってたんだ。

 そのせいで僕らのウンチに対する意識は一般の子とはだいぶ違っ
ていたんだ。

 よく、世間じゃ「恥ずかしいから、学校でおしっこはしても
ウンチは絶対にしない」って子がいるだろう。
 
 あれがぼく達にはまったくないんだな。
 むしろ、立派にとぐろを巻いたのが出ると友達に自慢したくて
仕方がないんだ。
 これって、女の子も同じなんだよ。
 ウンコはその子が作った工作の作品と同じ感覚なんだよ。

 だから低学年の頃は男の子女の子関係なくお互い立派なウンコを
自慢しあっていました。(*^^*ゞ

 ところが、それが四年生になると、男の子と女の子を先生たちが
分け始めたんだ。

 体操服に着替える場所も、トイレも、男の子は女の子の領域へ
入っちゃいけないって言い出したんだ。

 「どうしてダメなの?」
 「だって、女の子は恥ずかしいもの」
 「嘘だね、この間、亜紀ちゃん家(ち)に行ったら今までと同じ
様にウンコ見せてくれたもん」
 「これから、恥ずかしくなるの」

 僕は先生とこんなやり取りしたけど納得できなかった。僕だけ
じゃないよ。恐らく、この学校の男の子なら全員が納得できない
と思うよ。
 もちろん、お姉ちゃんが四年生だった時だってそれは同じだった
はず。

 だから、男の子は四年生になっても今まで通り女の子のウンチを
見たくて仕方がないんだ。

 それって変な意味じゃないんだよ。純粋な好奇心と親愛の情
なんだから……
 だって、ぼく達、みんな天使なんだもん。

 これって、今の人たちにはたんに皮肉で言ってるように聞こえる
かもしれないけど、ぼく達は本気で『ぼく達は天使だ』って思って
たんだ。

 で、そんな天使達の希望にメジラが一枚かんだのよ。(ー_ー;

 彼女、家からお父さんにもらったハーフのカメラを持ち出すと
女の子たちのウンチを撮りだめては1枚10円で男の子たちに売っ
てたんだ。

 写真館のご主人はそんなうんちの写真なんて受けてくれないから
当時助手だった若いお兄さんを抱き込んでやってた。

 特にクラスの人気者だった女の子には注文が多くて10枚も
プリントしたって喜んでたね。(ー。ー;

 でも、それってさあ、女の子たちはメジラに「いいよ」って
言ったかもしれないけど、その写真を男の子に売るなんて言って
なかったから、その女の子は男の子から自分のウンチを見せられ
て恥ずかしくなったんだ。

 確かに、その場で消えてなくなる現物と違って写真にしてしまう
と、長く残っちゃうからね。意味が違うのかもしれないね。

 で、その子が先生に泣きついちゃったもんだから、メジラは御用。
 お仕置きは一週間のオムツ暮らしだった。

 あっこれ、ショーツがオムツに代わるだけで普通に用は足せるん
だよ。
 ただね、出たものは家で出したものまで全部学校に持って来て
みんなに見せなきゃならないの。これが辛いんだよね。
 しかも、これに関しては男の子も見る事が許されてたんだ。

 メジラのウンチだからどれほど観客があったか分からないけど
……でも、恥ずかしいだろうと思うよ。
 仲間内でわいわいがやがややってるのと違ってお仕置きとして
見られるのはまた別だもん。女の子にはけっこう堪えるお仕置き
みたいなんだ。

 そうそう、それと……
 お母さんのたっての願いで、土曜の午後はオムツ浣腸の刑も行わ
れたんだ。

 お薬をお尻の穴から沢山入れられて…目いっぱい我慢させられて
……そのあと必ずオムツの中にウンチをさせられるってやつ。

 最後はもちろんそのオムツを取り替えてはくれるんだけど……
その時にね……

 「さあ、あなたの心がどれだけ汚れているを目を見開いてよ~く
御覧なさい。……ほら、ほら、目を閉じたらいつまでたっても取り
替えてあげませんよ。いつまで目を閉じてる気?……さあ、勇気を
もってあなたの汚い現実を直視するの。すべてはそこから始まる
のよ」

 ってね……ま、こんな感じで自分のウンチを見せられながら取り
替えるんだ。

 昔、園長先生がよく言ってたよ。

 「ここで、お浣腸のお仕置きができるのは、ここがいかに子供
たちを無垢な心のまま育てているかの証なの。他の学校では真似
しようとしても決してできないことをここではやっているのよ」

 ってね。誇らしげに言ってたんだ。

 (・_・)〆さあ、お浣腸の時間ですよ。

***************************

(7) その他の武勇伝

a)
 テストの点に厳しいお家のお友だちに同情して、テストの時に
その子と答案用紙を交換しあい、その子の分まで答案を書いて
やったまではいいが、再び答案用紙を交換して今度は自分の答案を
書く段になったら時間がなくなり、結局は自分が落第点に……
 こう見えてね、メジラって姉御肌でお人よしなんです。
_〆(・・ )♪

b)
 クレジットカードがまだ珍しかった時代、お父さんのカードを
持ち出してお友達と飲み食い。精算時にカードを出して捕まる。
 彼女、父親がカードを使うのを見ていて、これさえあればどんな
お店でも自分の名前を書くだけでお金がいらないと勘違いしたら
しい。
 ちなみにそのお店はカードの取り扱いはなく、また、カードの
名義もお父さんのだからそもそも使えるわけがない。
 お母さんもそうですけど、メジラに経済観念はありません。
ヽ(^_^;))

c)
 欲しい玩具をお父さんに拒否され、自分でお金をためることを
決意。近所の画家さんに自分をヌードモデルとして売り込む。
 「君では幼いから」と言われたら「だったら裸になってもいい
です」と言ったそうだ。
 どうやらその画家さんはお友だちでご同業の方からモデル探しを
依頼されてたらしいのだが、それはもちろんロリコン画ではない。
 向こう見ずなところもお母さんそっくりです。(⌒~⌒;A

d)
 仮病で学校を休むのには熱がないといけないと思ったらしく
体温計を熱湯に浸けて壊してしまう。
 理科や機械物にも弱い人です。(^∇^;)

e)
 お浣腸のお仕置きを感じた彼女、先手を打ってイチヂクを盗み、
自分で先に使ってしまう。一度やってしまえば二度目はぐんと楽だ
からね。
 でも、そんなことをしても出た量や苦しみ方で分かってしまうの
だが……決断即決、イヤとなったら嫌。これはお母さんからの遺伝
ですね。(⌒-⌒;)

f)
 当時学校のストーブは教室の温度が10度以下の時だけ使用する
ことになっていた。その日は気温11度。残念に思った彼女はその
温度計を氷の張った池に浸けに行って溺れ、用務員(今は技術員
さんか?)さんに助けられる。
 わが姉ながら……馬鹿だねえ。(-。-;)


**************************


<ご挨拶>
メジラのこと、少しはわかってもらえましたか。
でも、僕もミイちゃんも姉を嫌ってるわけじゃありませんよ。
むしろ大好きです。だって、学校ではメジラの弟というだけで
誰も虐めたりしませんし、母の性格もありますが、何より一番
沢山その裸を見た女の人ですから(^0^;)
 (おいおい、それかよ。(-。-;)
ただ、あまりに近しいんで、あらも一緒に見えちゃうんですよ。
これからもよろしくお付き合いください。

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

最新記事

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR