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天国 ~第三話~

 *** 第三話 ***

 その人はマリアさんと呼ばれていて、なかなかの美人だったが、
当初はそれで苦労した。

 というのも、いくら『ここでは、みんな赤ん坊で暮らしている
のよ』などと説明されても、この時の私はまだ生きていたころの
大人の心を残している。

 いきなり、大きな手に抱かれて目の前に乳首を差し出されても
『はい、そうですか』というわけにはいかなかった。
 それになにより、ご無沙汰していた生理的変化までが起こって、
それを押さえるのに四苦八苦だ。

 その時の私の顔はきっと火事場金時みたいだったに違いない。

 ただ、そんな窮屈な暮らしは最初の三日間だけ。
 長くは続かなかった。

 というのも、その時口に含んだ母乳に何か特別な効能があるの
か、私の意識はしだいに薄らいでいく。

 母乳を吸うことに何の抵抗もなく、オムツが濡れて泣くことは
あっても、それを取り替えてもらう時、恥ずかしいという感情も
起きてこない。もちろん、マリアさんに抱かれていても変な気持
になどならなかった。

 むしろ、マリアさんに抱かれていないと不安で仕方がないから
そばにママがいないとよく泣いていたのを覚えている。

 大人なら理性で割り切って感情をコントロールできるはずなの
に、それが今はできない。
 もどかしさはつのるが、どうにもならないのだ。

 そんな私を見て、マリアさんは……
 「これではすべてをさらけ出すことが幸せの第一歩になるの。
隠し事はだめ……というより、そもそもできないの。人間社会は
心の中を他の人に覗かれる心配がないから平気で嘘が通るけど、
天国の住人同士は相手の心がお互い丸見えだから、隠し事なんか
できないの。天国での嘘は相手を傷つけてることになるわ」

 ママはさらりと言ってのけた。
 きっと、『だから天国はこんなにすばらしい処』と言いたいの
かもしれないが……それも、思えば怖いことだったのである。

 実際、マリアさん、いやママは、私の心がしっかり見えている
みたいで、寂しい、お腹がすいた、おしっこがしたい、おんもへ
行きたい……等々、とにかく心に思い描いたことは何一つ言葉に
表す前に実現させてしまう。

 最初は、偶然かとも思ったが、ほぼ100%先回りするので、
どうやらそうではないとわかったのだ。

 『でも、どうして、僕の心が分かるんだろう?』
 私は自問自答してみるが、それにはなかなか答えが出てこない。

 結局、出てきたのは……
 『ここがやっぱり天国だからなんだ』
 という感慨。間抜けな答えを探し当てただけだった。

 しかも、こうした能力は何もマリアさんに限ったことではなく、
家を訪ねる他の天上人も一様に僕の心を覗き込んでは微笑むのだ。

 それって、悪気はないんだろうが、僕にとっては裸でいるより
恥ずかしいことだったのである。

 7日後、赤ちゃん生活にも慣れてきた私は、手押しの乳母車に
乗せられて近くの公園へと出かける。
 天国に来て最初の公園。つまり公園デビューだ。

 青葉の美しい季節で、並木を吹き渡る風は乾いていて穏やか。
申し分のない条件だったのである。
 (もっとも、天国では天候も一律管理されてるから憂鬱な季節
というのは最初からないのだが……)

 ところが、マリアさん、乳母車を大きな楠の木陰に止めると、
近くのベンチでお友だちとおしゃべりを始め、なかなか僕をかま
ってくれないのだ。

 そんななか青い空だけを眺めている退屈な時間が過ぎていった
が……

 「わあ~~可愛い。私たち、見て驚いてるわよ」
 「赤ちゃん、この公園は初めてなの?」
 「私はヒナギクの妖精。あなたはエンジェルちゃんね」
 「ほら、こんなに目を輝かせてる。穢れのない瞳って素敵ね」

 頭の上でのガヤガヤがまるで音楽のようだ。

 「わあ、まだ卵から孵ったばかりって感じね。ほら、まだ殻を
着けてるわ」
 一人がそう言って私のオムツを引っ張った。

 私の前に現れたのは、いずれもトンボのような透けた羽を持つ
女の子たち。身長二十センチ位の小さなお友だちだった。
 彼女たちは乳母車の中に私を見つけると、寝そべった私の顔の
周りをめまぐるしく飛び回りだしたのである。

 「ねえ、この子、きっと絵の才能があるわ。だって記憶に残す
画面の切り取り方が上手よ」
 「うそ……音楽の才能はもっと凄いわ。綺麗なメロディライン
を、今、私に三つも披露してくれたのよ」
 「だめだめ、詩人になるべきよ。だって感受性がとっても豊か
なんだもん。有名な詩人になるわ」

 彼女たちは口々に私の品定めを始めていたが、そのうちの何を
思ったのか一人の子が僕の産着の裾をまくってしまう。

 「あら、この子、男の子なのね。……ほらあ~」
 「やだあ~~、ホント、……可愛いのがついてる」
 「やめなさいよ、マリアさんに怒られるわよ。…………でも、
私にも触らせてね。…………わ~~ぷにゅぷにゅしてる」
 「え~~~私にも~~~私、まだ摘んでないよ~~~……」

 妖精さんたちは入れ替わり立ち代り私の大事な物を摘み上げる。

 「…………」
 私は妖精を見たのも初めてで、あまりの事に声を失ってしまう。

 そんな私を尻目に妖精さんたちはいよいよ意気軒昂だったのだ
が……。
 ママが乳母車へ戻って来ると……

 「ほら、ほら、男の子の大事な物をおもちゃにしないの」

 マリアさんが注意すると、声の方を振り向いてその瞬間だけは
緊張するものの、二三秒で元の笑顔へと戻る。

 「あっ、マリアさん。……だって、可愛いんだもん」
 「ねえ、この子、ちょっと貸してくれない」
 「どうするつもり?」
 「私たちのお家でお腹一杯にしてあげるわ」

 三人の妖精は、ボブヘアーやストレート、オカッパ頭の髪型に、
赤、青、緑といった色違いのスレンダーな衣装を身にまとい、月、
星、太陽といった飾りのついた小さな杖を手に持っている。

 三人に共通しているのは透明なトンボの羽のような物で空中を
切り裂いていることだろうか。幼い顔だちからすると幼女のよう
だが妖精というのは生まれてこのかた成長もしなし歳もとらない。
神様が生気を吹きかけて創り上げた最初の瞬間からこの形なのだ。

 歳をとらないというのは、最初から一定の分別や生きていく為
の能力を持って生まれてくるが、それでいて何年待っても子供の
心のままに生きているという意味だ。

 「だめよ、好意はありがたいけど、この子への食事は母である
私の仕事なの。物心つくまで、誰のお世話にもならないわ」
 マリアさんは毅然として、妖精たちの申し出を断った。

 実はマリアさん、ここで『食事』という言葉を使っていたが、
人間の時とは違いすでに僅かな粒子で構成されているにすぎない
我々にはもともと動物がとるのような食事は必要ではない。
 理論上はそのままで何億年も生きていけるのだ。

 ただ、今は魂だけとなった我々にも愛や奉仕は必要で、それが
いわば我々の仕事であり食事だった。

 天上人はお互いが奉仕し合うことで生まれる愛をエネルギー源
として生命を維持している。
 もし愛がなくなると、組織は形骸化し、やがては宇宙の藻屑と
なってしまうのだ。

 ただ、赤ん坊の私は、まだどうやって人に奉仕すればよいのか
を知らないため、マリアさんが色んな場所で奉仕して得られた愛
を分けてもらい、暮らしているのだった。

 妖精たちも、そこの事情は同じで、これまでの奉仕で獲得した
愛の一部を私に与えてもよいと申し出てくれたのである。

 ただ、マリアさんにしてみると、妖精がこうした申し出をする
時には、たいてい何か魂胆があるので、受けなかったのだ。

 マリアさんは私の口元に人差し指を差し出す。
 すると、それを合図に、私がその指をしゃぶりだす。
 あとは口に含んだマリアさんの爪の先から自然に愛のミルクが
出て来て、私の心が潤っていくという仕組み。
 つまり、お腹一杯になるというわけだ。

 「すごい、飲みっぷり。よっぽど愛に飢えてたのね」
 妖精の一人が驚くと……

 「そうでもないわ。この子の場合はこれくらい普通よ。もっと、
もっと、私から愛を吸い取ってよい子に育ってほしいわ」
 マリアさんは妖精たちに向かって自慢げに言葉を返す。
 それだけこの子の為に愛を蓄えてると言いたいのだ。

 「わあ~~~たいへ~~ん。こんなに勢いよく吸われたら、私
なんて、たちまち干からびてしまうわ」
 
 「何、弱気なこと言ってるの。そんなことじゃいいお母さんに
なれないわよ。お母さんは、自分の為だけじゃなく赤ちゃんの為
にもたくさんの愛が必要だもの。だからお母さんになると普段は
行かないような処もまわって、奉仕を重ね、赤ちゃんの為の愛を
確保するの。あなたたちみたいに勝手気ままに生きてる人達には
できない仕事よ」

 「できますよ、そのくらい。……でも、そんな苦労までして、
私、赤ちゃんなんて欲しくないわ」

 「あなたたちならそうでしょうね。だから、今のあなたたちに
この子は預けられないの。どうせ玩具にするだけだから。でも、
これだけは知っておいた方がいいわね」

 「……?…………どういうこと?……」

 「苦労も、努力も、自分の為より人の為にする方がより大きな
花を咲かせるってこと」

 「そうなの?……私は、他人の為より自分の為に頑張った方が
たくさん楽しいことが待ってると思うけどなあ」

 「そう、だったらそうすればいいわ。でも、そのうち分かるわ。
……そもそも赤ちゃんを育てることが苦労だなんて思っていたら
天国でのお仕事は勤まらないの」

 「何よ、だから私たちはいつまでも森の中をさ迷う妖精のまま
だって言いたいのね」

 「そうは言ってないでしょう……ただ、子育ての喜びは育てた
ことのない人には分からないってことよ」

 私は、マリアさんと妖精さんたちの会話を小耳に挟みながら、
お腹一杯になるまでミルクを飲み続けた。

 するとミルクを飲み終えた私の頭の中では、そもそも何が愛で、
どんな奉仕をすれば人が喜ぶのか。そんな情報が、ミルクを飲む
たびに次々と蓄積されていくことに気づく。

 そして、『今度は何か奉仕をしてみようか』と思うようになり、
それによって愛が得られると、その快感に、さらに大きな奉仕を
望むようになって……天上人はこうして成長していくのである。

 だから、天国での授乳は単に空腹を満たすためだけではない。
赤ちゃんにとっては勉強の場。立派な天上人へと成長するための
これが第一歩だった。

***********************

天国 ~第二話~

 *** 第二話 ***

 天国の門をくぐってすぐ、私は後ろを振り向く。
 手を離してしまった城の内先生を探すためだ。
 しかし、先生は見つからない。

 すると、今くぐったばかりの巨大な門がどんどん小さくなって
いく。
 それは人並みに流されるというより、川の流れのような何か別
の力で私の体は流されていくようだった。

 やがて、門が小さくなり、視界の大部分を青空が占めるように
なった頃、突然、巨大な顔が僕の視界を遮ったので驚いた。

 「あら、可愛いじゃない。あなた、お名前は?」

 女性はやさしい瞳で尋ねたが、私は答えられなかった。

 「………………」
 恐怖のあまり声が出ないというのではない。
 それまで忘れたことなどなかった自分の名前が、その瞬間から
まったく思い出せなくなったのだ。

 名前だけじゃない。生まれ育った家、家族、仕事、通った学校、
……その何もかが、そっくり頭の中から消え去っているのに驚き
声が出なくなっていた。

 突然起こった健忘症に、こちらは焦ったなんてもんじゃない。
顔面蒼白でオロオロしている。
 ところが、彼女、そんな私を見て笑っているのだ。
 まるで、私の心の中を見透かしているような笑顔だった。

 「いいのよ、無理に思い出さなくても……昔のことは、この際
綺麗さっぱり忘れてしまった方が、ここでは楽しく暮らせるわ。
だってあなたは、これからまったく新しい人生を歩むんですもの」
 彼女にしてみら、どうやらそれでよかったみたいだった。

 「前世の名前が思い出せないということは、あなたがこの天国
の住人になったということでもあるの。おめでたいわ」

 「……おめでたい?」

 「そうよ、あなたが前世の記憶を持ち続ける限りあなたは昔の
場所へ戻りたくなるでしょう。でも、ここは許可なく外へは出ら
れない規則なの」

 「えっ?……でも、さっきまで私はその前世の話を先生と……」

 「先生?……ああ、城の内君のことね。でも、それは門のお外
のことでしょう。城の内君だって、今はもう忘れてるはずだわ」

 「……そうなんですか……」

 「でも、大丈夫よ。あなたの生前データはいったん頭の中から
消えても、天国図書館に行けば見ることが可能だし、城の内君の
ように何か御用があって外に出る時は復活させることもできるわ」

 「……図書館?」
 僕が、ポツンと独り言を言うと……

 「そう、天国図書館には、森羅万象の全てが記録されてるの。
楽しいわよ。昔の自分に会いたくなったら訪ねてみるといいわ。
ただ生きてる頃には分からなかった真実が明らかになるかもしれ
ないので、そこは注意してね」

 「不都合な真実があらわになるということですか?」

 「まあ、そういうことね。時々ショックで倒れちゃう人がいる
から……」

 「心の準備をしておけということですよね?」

 「ま、そういうことかしらね。……でも、まず赤ちゃんを卒業
しないとね。……さあ、これからは私があなたのお母さんですよ。
私と一緒に楽しく暮らしましょうね」

 彼女の顔は満面の笑み。最後は赤ちゃんをあやすような優しい
言葉になった。

 でも、私の心は不安で一杯。
 『こんなでかい赤ん坊がいるか!!!』
 とも、思ったのだ。

 本当はこんな環境の激変、とうてい受け入れられるはずがない
から、一刻も早く逃げ出したいとも思ったのだが……
 ところがそれができなかった。

 「……!!(いつの間に)!!……」

 というのも、私から離れていったのは、生前の知識ばかりでは
なかったからだ。
 いつの間にか体から衣服がなくなっている。

 慌てて大事な処だけを隠したが、そんなことお構いなしに彼女
は私を軽々と抱き上げる。
 そんな彼女に私は抗う暇すらなかった。

 というのも今の私は彼女の手のひらに乗ってしまうほど小さい
のだ。

 「さあ、見て御覧なさい」
 姿見の前に立った彼女。
 私は、その彼女の手のひらに腰を下ろしている。

私は、ここで今の自分と初めて向き合うことになるのだった。

 『そんなバカな!何だよ、コレ!!なぜいきなり縮んだんだ!』
 私は心の中で叫んだ。
 正確に言うとあまりのことに声が出なかったのだが。

 その後、女神様のベッドに寝かされた私は、あらためて自分の
体をまじまじと見つめてみる。

 全体が縮んで小さくなっただけでなく頭だけがやけに重い気が
した。その重い頭を起こすと、手足やお腹が見えてきて、そこは
ぷくぷくしているのだ。

 『何だか、赤ん坊みたいな身体になってしまったなあ』
 思う間もなく、それを決定付けるものが見えた。

 ……オチンチン。
 『うっ……嘘だろう!!』
 そのスペード形の姿は赤ん坊そのものだったのである。

 「驚いた?……でも、仕方がないの。天国という処は何一つの
穢れも持ち込めない神聖な場所だから、大人のあなたをそのまま
の姿で迎え入れることはできないのよ」

 「大人はみんな穢れているってことですか?」

 「仕方がない事は理解しているわ。生きていくうえにはそれも
また必要なことでしょうから。でも、あなたが天国を選んだ以上、
それはいったん捨て去らなければならないの」

 「もし、地獄を選んだから……」

 「逆にそれを最大限利用して生きていくことになるわね。……
あなたたちが地獄を悲惨な場所だと思い込むのは、地獄では成功
する人より失敗する人の方が多いからなの。悪い事をアマチュア
として二つ三つつまみ食い的にやるのは簡単だけど、プロとして
永続的にやっていくとなると、そこには才能もいるし努力も必要
だわ。そうしたこと、出迎えたメフィストから習わなかった?」

 「メフィスト?……いえ……出迎えてくれたのは、城の内先生
だけです……」

 「そう、城の内君はせっかちだから……誰だって『天国と地獄、
どっちがいいですか?』なんて尋ねられたら、大半の人が『地獄
なんてとんでもない。絶対、天国に行きます』って言うでしょう
ね。ただ、メフィストの説明を聞いた人の中には自ら地獄行きを
希望する人も少なくないのよ」

 「これって、途中から変更って……できるんですか?」

 「地獄に住まいを移すってこと?」

 「まったくできないことはないけど、滅多に認められないわね。
そりゃあ、天国って退屈なところよ。神の前にみんな平等だから、
自分だけいい思いはできないし、そのくせ、規則や上下関係には
うるさいしで、結構ストレスも溜まるけど、規則通りに生活して
いれば何一つ不都合なことには出会わないわ。だから、歳月をを
重ねるごとに、みんなここの暮らしに順応していき、他の場所で
暮らそうなんて思わなくなるのよ。……それに何より、あなたの
そうした大人の意識も、あと三日もすれば完全に頭の中から消え
うせてしまうのよ」

 「…………」
 私は女神様の言葉に瞬間的に恐怖を感じる。
 しかし今の私は『まな板の鯉』、どうすることもできなかった
のである。

 「そんなに怖い顔しなくてもいいわ。ここは天国、これからの
あなたは、その一員としてここで暮らすの。飛びぬけてお金持ち
になることはないでしょうけど、誰一人不幸にもならない不思議
な世界なの。そして、ここでは、私があなたのお母さんなのよ。
よろしくね」

 『この人が、ここでの……私の……母?!』

 私は自分の顔を知っているから、とうていこの人が私の母親で
ないとわかるのだが……郷に入り手は郷に従え、流されるままに
流れていったのである。

**********************

天国 ~第一話~

 *** 第一話 ***

 「ここは天国ですか?」

 「そうだよ、まるで原宿みたいに賑わってるだろう」

 「ええ、まあ……」
 たしかにそこにはたくさんの人がいた。いずれも、私と同様に
天使と二人連れで歩いている。

 連れているという表現になるのは、連れている天使がいずれも
大人の天使ではないからだ。ここでいう天使は、姿形が赤ん坊に
近いいわゆるエンジェル。
 某お菓子メーカーのロゴだ。

 だから、実際に案内を受けているのは大人でも、端から見れば
まるで幼い孫の手をひくおじいさんといった風に見えるのだった。

 そんなことに驚いてあちこちキョロキョロしていると、突然、
聞き覚えのある声が……

 「久しぶりだね。相沢君」

 私は聞き覚えのある声にハッとしてその声の主を見る。
 その顔は確かに城の内教授。

 「せっ……せんせい。先生がなぜここに」

 「なぜって、おかしなことを言うね、君も……君が僕の葬儀に
来てくれたのは知っているよ。……君は僕が死んだことも忘れて
しまったのかね」

 「いえ、決して、そのようなことは……」

 意外な展開に私はしどろもどろだ。
 この城の内さんというは、僕が院生の頃にお世話になった指導
教員で、その後も就職の世話など色んなことでお世話になった方
だった。

 もう二十年以上も前にお亡くなりなっていたが、その声を私が
忘れるはずがない。むしろ今の今までなぜ気がつかなかったのだ
ろうと思うほどだった。

 「本当は君のお父様がこうしたことには適任なんだが、何しろ
お父様は地獄での生活を希望されたものだから、ここにはおられ
ないんだ」

 「えっ!?父がですか?あの人は、僕なんかから見ても慎重な
人だったのに……また、ずいぶんと大胆な……」

 「慎重だったからこそ、ルシフェルの話を最後まで聞いて決断
なさったようだ。普通の人間はルシフェルが話し出してもまとも
に受けあわない人が多いからね。そもそも『天国と地獄どちらへ
行きたい』と問われて、地獄と答える人はほとんどいないだろう
から……君だってそうなんだろう?」

 「ええ、まあ……」

 「それが当たり前なんだが……実は地獄というのは世間の人が
イメージするものとはだいぶ違っていて、むしろ、今まで生きて
きた人間社会の方に近いんだよ。……そこでお父様は成功された」

 「本当ですか?」

 「本当だよ。だから、君自身、生きてる時にはそんなにお金に
困らなかっただろう?」

 「う…………まあ、大変ではありましたけど……」

 「それは地獄で成功なさったお父様が君の為に常に仕送りして
くださったからなんだ」

 「そんなことできるんですか?……でも、父はもともと商売の
方は下手くそで…」

 「ひょっとしたら、その生前の失敗を取り返したかったのかも
しれないな。実際、そういう理由で地獄を希望する人も多いんだ」

 「じゃあ、なぜ、私の手を引いて有無も言わさずここへ連れて
きたんですか?ひっとしたら私も話次第では『地獄へ行っても』
なんてことが起こったかもしれないし、そうすれば、父と会えた
かもしれない」

 「いや、そのことだけどね、お父様から僕が直接頼まれたんだ。
あの子は何が何でも天国へ上げてやってくれってね」

 「そんな通信ができるんですか?」

 「ああ、テレビ電話程度の事はね。テレパシーでなんともなる」

 「テレパシー?」

 「そう、今は退化しているが、もともとは人間に備わっている
通信手段だよ。ただ、あの門をくぐると、それもできなくなる」

 「どうしてですか?」

 「あの門の中は全知全能の神が支配するエリア。私たち人間の
能力はすべて封印されてしまうんだ」

 「神?ですか……では、ここは、やはりキリスト教の……」

 「いや、いや、そうではない。ここの神様は、キリスト教の…
仏教の…といったたぐいの存在ではないんだ」

 「というと……」

 「ここの神は、世にいくつあるかわからない宇宙のほぼ全てを
統括している存在なんだ」

 「いくつあるか分からない?宇宙っていくつもあるんですか?」

 「たくさんあるみたいだな。数え切れないほどにね。私たちが
住んでいた地球もその数え切れない宇宙の一つに所属していて、
我々が宇宙の外に出ると、そこにはまた別の宇宙が存在していて
……というわけだ」

 「途方もない話ですね」

 「そう、その途方もない世界を支配しているのが、この神様と
いうわけだ」

 「へえ~~それはどんな人ですか?……会ってみたいですね。
老人……あるいは女神」

 「どちらでもないよ。神様はガス体だからね、形はないんだ」

 「でも、私にはこうして見ている限り……ここはキリスト教の
宗教画に出てくる天国の風景によく似てる気がしますが……」

 「それはね、君の頭が勝手にそう想像しているだけのことさ。
君は言葉が通じるから相手を人間の形になぞらえて見ているが、
相手方は、大半、生前は人間じゃない」

 「人間じゃない?……そうか他の宇宙で成熟した生物もここに
はたくさん来てるんだ」

 「そういうこと。彼らは君のことを牛か馬になぞらえてるかも
しれない。でも、ここに住む人たちはみんな仲良く暮らしている。
ここはそういう場所なんだ。だって、神様がそうであるように、
我々もそうした意味では微量のガス体でしかないんだから……」

 「意思を持つガス体」

 「そう、それもごく微量の……ただ、微量でも意思も持ってる
し、通信手段もある。どうやら我々が長年、魂と呼んできた物の
正体がこれのようだ。しかも、その取るに足らない質量は、時と
して信じられないほどの影響力を生きている人間に与えたりも
するから……不思議なものだ」

 「交流は、天国人だけですか?」

 「日常生活ではそうだけど、地獄の人たちとの交信も、神様の
許可を得た上でなら可能だよ」

 「でも、それって地獄を支配する神様というか悪魔が天国人と
の付き合いなんか許さないんじゃないですか?」

 「はははは……そんなことはないさ。ここの神様は全知全能。
天国も地獄も煉獄も、全てを支配しているから神様の許可一つで
そこはどうにでもなるんだ。……ただし、どんなに些細な事でも
全て神様の指示に従わなければならないから、そこはちょっぴり
窮屈だけどね」

 「自由な行き来は……」

 「さすがにそれはできないよ。お互い生き方が違うもの。同居
はできないんだ。ただそのおかげでこちらは安心安全で心豊かな
社会を享受できる。何事も一長一短はあるってことさ。とにかく、
細々したことは門をくぐってから、お母さんが教えてくれるから
尋ねてくれよ」

 「お母さんって?……母はまだ生きてるはずですが……」

 「天国のお母さんさ」

 「天国の母?」

 「そう、お母さん。……天国の門をくぐるとね、君は赤ちゃん
になる」

 「それって……つまり、その……先生みたいにですか?」

 「そう、私みたいにだ」
 先生は少し自嘲気味に自らの姿を確認する。
 先生は続きのベビードレスを着用していたのである。

 「私だけじゃないよ。ここでは誰もがそうなんだが、天国では
人生を最初からやり直さなければならない。そのためのに母君が
必要と言うわけさ」

 「でも、先生はもう亡くなられて30年ほど経っていると思い
ますが……」

 「30年、そうか、もうそんなに経つか……」
 先生は苦笑しつつも感慨深そうだったが……

 「いや、確かにそうなんだが、三十年の月日もここで暮らせば
たった三年に過ぎないんだよ。つまり、君と私の歳の差もぐっと
縮まって今はたった三つ違いというわけだ。だから、私も未だに
こんな格好をしている」
 先生は自らのベビー服を引っ張って見せた。

 「じゃあ、最初は私もオムツをして……ってことですか?」
 恐る恐る尋ねると……

 「そういうことだな。当初は恥ずかしいが、すぐに慣れるよ。
それに、天国に入るとすぐに自分の分身ができる」

 「分身?……自分の子供という意味ですか?」

 「そう子供。それも遺伝子が100パーセント同じクローンだ。
こいつと三日も経てば意識が交代することになる」

 「交代?……ということは、それで私は用済みですか?」

 「用済みって……死ぬって事?」

 「ええ、……まあ」

 「そんなことはないよ。現に私だって、こうして生きてるじゃ
ないか。代替わりしたあとはイドにデンと構えて成長をその子の
成長を見守りつつ、その体のご隠居さんとして悠々自適に暮らす
ことができるんだ」

 「悠々自適?…………」
 私がいま一つ先生の話が飲み込めないで困惑していると……

 「可愛いぞ、自分の純粋な子供というのは……もちろん最初は
単なる赤ん坊だがね。成長するごとに『あっ!こいつ確かに俺だ』
って実感するようになるから」

 「では、その赤ん坊を育てる人が天国にはいるんですね?」

 「そう言うことだ。……女神様……」

 「女神様?」

 「子供たちはそう呼ばされてる。本当は煉獄出の少女なので、
身分はそんなに高くないんだが、権威がないと舐められてしまう
からね、子供たちにはそう呼ばせて絶対服従を課しているんだ」

 「怖いですね?」

 「そんなこともないよ。後ろには大先輩が控えているわけだし
そんな無茶な事もしないよ。そうそう、この間も我が子が寝た後、
ちょっと起きてきて悪戯にオッパイを舐めてみたんだが、嫌がる
素振りも見せずに、フェラまでしてくれたよ」

 「…………」

 先生は私が困惑の表情を浮かべたのを気になさったのだろう。
 「天国はこんなことには鷹揚なんだ。……何でも彼女、子育て
が上手く行けば、天上人に引き上げてもらう約束があるらしく、
仕事ぶりはこちらも頭が下がるくらい献身的だから、そこは安心
してていいんじゃないかな」

 僕は先生の言葉が終わるか終わらないうちに、大きな人並みに
呑まれ、大勢の人たちに押し込まれるように天国の門をくぐった
のだった。

*************************

天国 ~序~

**********<天国>**********

<序>

 初夏の一日、またとないよき日和に僕はお葬式を見ていた。

 不思議なもので、自分の葬儀というのはこうして見ていても、
悲しくない。むしろ『偏屈の長男が大学病院なんか務まるだろう
か』とか『次男の開業資金は結局嫁さんの実家に出してもらった』
『おっ!?元の嫁さん、来てたんだ。相変わらず外面だけはいい
女だ』とか『おふくろさんはいつまで生きてるだろうか』………
などなど、家族のことばかりが気になってしまう。

 私は、これといって才能のない男で世の役にはたたなかったが、
思えば男の子二人、共に医者にできたことだけが誇りだった。
 ま、それで無理して寿命を縮めてしまったのかもしれないが…

 そんなことを思っていると、不意に肩を叩かれた。

 見ると、そこには黒ずくめのタキシードにシルクハット姿の男
が立っている。

 彼はグレーのハットを脱いで銀の柄の付いたステッキにそれを
乗せるとうやうやしくお辞儀をしてきた。
 まるで、ドサまわりの手品師だ。

 「これはこれは、お初にお目にかかります。合沢智様でしょう
か?……」

 私は、ゆっくりと彼の風体を眺め、この男が自らを名乗る前に
察した。

 『こいつ、悪魔か、でなきゃその使いだな。……ということは
俺もとうとう地獄行きというわけだ。ま、それも仕方がないか。
何しろ息子二人を医学部にやるにあたっては、まともじゃ資金の
めどがつかないので、それなりに色々やってきたし………天国へ
行きたいというのは無理があるのかもしれんなあ』

 「私は児玉次郎と申しまして、天上世界より、あなた様のこれ
からの身の振り方をご相談したく、参上いたしました。

 「身の振り方か……でも、どっちにしても、僕の行く道は地獄
しかないんだろう?」
 自虐的に尋ねると……しかし、意外な答えが帰ってきた。

 「いえ、そんなことはございませんよ。あなた様に関しまして
はまだ決まっていないからこそ、こうしてご相談に伺ったのです」

 「というと、天国へ連れて行ってくれるのかな?」
 苦笑すると……

 「はい、可能でございますよ。主人、申しますにはそのお方の
望む方向で処理せよということでございました」
 あっさりした返事が返って来た。

 「と、申しますもの、あなた様の場合、生前の善悪の行いが、
極めて拮抗しておりまして、どちらへ導くかまだ決められないの
です」

 「どちらへとは……」

 「はい……人間、亡くなりますと、その魂は天国か地獄、又は
天国へ直接迎えられないものの、努力すれば天国での生活も可能
というお方もおられますので、そういうお方の場合には、煉獄と
いう選択肢もございます。ただ、あなた様の場合は、天国と地獄、
その双方での基準を満たしておりますから、こちらも決めかねて
おりました」

 「……なるほどね、それで、私の好きな道を選ばせてやろうと
……そういうわけだ」

 「さようでございます」

 「なるほど、レアケースというわけだ」

 「はい、だいたい110万人に一人くらいでしょうか。でも、
過去、何人もおられますから……」

 「そりゃそうだ、今までに死んだ人が100万なわけないから。
……でも、それなら、大半の人は天国へ行きたいと言うんだろう?
誰だって、好んで地獄へは行かないだろうから……」

 「いえ、ところが、それがそうでもございませんで……」

 「ん?そうなの?」
 僕にとってそれは意外な答えだった。

 「と、申しますのも、人間社会にはちょっとした誤解がござい
まして……地獄へ行けば、日々苛まれるだけで決して浮かび上が
れないと思われてる方が多いのですが、そうではございません。
地獄は能力主義の社会ですから、実績を積めば栄耀栄華も夢では
ございません。むしろ、生身で暮らしていた頃以上に、リッチな
生活を送っている方がたくさんおられるのです」

 私は、この先、彼から地獄が天国に比べいかに住みよい場所か
の講釈を聞かされることになるのだが……

 「……あっ、わかったよ。でも、僕は今さら生前の競争社会に
戻るつもりはないから、栄耀栄華はなくていいよ。幸い人間社会
でもそれなりやるべき事はやってしまったんで、あとは穏やかに
暮らしたいんだ」

 「そうですか、承知しました。でしたら、あなた様のお望みに
従いましょう。でも、天国という処、地獄と違って何ぶん制約の
多い処ですのでご承知おきください。何しろ、神様というのは、
皆様、ストイックでらっしゃるから」

 「(はははは)でしょうね。でも、今の私には、そちらの方が
合っている気がするんですよ」
 私はこう答えた。

 すると……
 今までどこに隠れていたのか一人の天使がいきなり私の手首を
掴むなり、あっという間に天上高く私を体を飛ばしてしまう。

 天国までの所要時間、わずかに5秒。
 私はこの時自分の居場所が確定したのである。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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