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10月1日付

<10月1日>

私たちの行為は、世間ではSMの
一種だと見られているようです。
劇の中に『責める人がいて、責め
られる人がいる』わけですから、
行為の形態からそう見られるので
しょうが、SMのように責める側
の親や教師、責められる側の子供
がそれで快感を得ることはありま
せん。(悲しみを得ることはあるで
しょうが)快感を得るのは、もっ
ぱらそれを見ている人だけです。
ここがSMとは違うところなのです。つまりこの趣味はSMのような
参加型の遊びではなく傍観型の遊びなのです。(勿論、シナリオに
基づいて寸劇をやることもありますが、役者はみんな大人、生身の
子どもが登場する余地はありません。仮に、これに子供を引き込ん
だ場合は、たとえ本当の親子であってもそれは子供への犯罪行為
でしょう)
我々の趣味はどこまでも空想の中で楽しむことが基本であり、
しかも、話の中身はつまるところ自分のことなのです。ただ、
よほどの自惚れ屋でもない限り、人は自分の容姿を完璧な
ものだとは思っていませんから、理想の姿に劇を仕上げる
ために美しい子どもたちに懸想するのです。
ですから、その限りでは何の問題もない
はずなのですが、ただその約束事が守れ
そうにないと世間で思われているから、
問題が生じるようです。
最後にこれだけは言っておきたいのですが、
我々の趣味に影響されて子どもに危害を
加える人の数が、猟奇ものや残虐ものと
いったビデオに影響されて罪を犯す人達
より数が多いとどうして言えるのでしょうか。
そこが不思議に思います。

*)
<左上>
幼児用の童話の本にでもありそうな赤頭巾ちゃんのイラスト
<右下>
こちらも幼児用の童話の本にありそうな西洋のお城のイラストです。


10月2日付

<10月2日>

 これは『常識に帰れ』という題
(アメリカで出版され和訳された
ものはありません)がつけられた
本に載っていた一枚の写真です。
 女の子の綺麗なお尻に見とれて
しまってコレクションしてしまい
ました。(^^ゞ
 ところで、この『常識』という
言葉。「そんなの常識じゃないか」
ってお互い分りあって使っている
ようですが、実はかなりあやふや
だったりします。(¨;)
 まず外国人と日本人では生まれ
育った文化が違いますから、当然
常識とするものも違ってきます。これはまだわかりますけど、
同じ文化で育ったはずの日本人同士でも、この常識は
異なるのです。
 世代間ギャップとでも言うんでしょうか、私たちが常識として信じて
きたことが、実は若い人たちの間では非常識と
なる事が多々あるんです。その一つがお仕置き
(体罰)ではないでしょうか。
 今では「それが子供の心を歪める」「絶対にし
てはならない」とされていますが、私たち世代
の考え方は違います。「それで人間一本心棒が通
る」という積極的な肯定派から「ない方がいい
けど必要悪だ」という消極的な是認派まで立場
はさまざまですが、いずれにしてもそれを「100
%悪」と言い切る人はまずいませんでした。
 つまり私たち世代にあっては「お仕置きは、
あるのが当たり前」だったのです。ですから、
その常識にそってこの趣味は成り立っている訳
で、その常識が非常識になると社会からは当然
白い目で見られることになるわけです。

*)
<左上>
どこにでもあるようなOTKの白黒写真ですが、
女の子の剥き出しになったお尻があまりに
プルンとしていて、まるでむきたてのゆで卵が
そこにあるようで、思わず笑ってしまいました。
<右下>
お菓子の缶に印刷してあったもので、母と娘が
お菓子作りをしている微笑ましいイラストです。
そうそう、母親の腕の中には赤ちゃんもいて、
おしゃもじのような物をもって自分も参加しよう
としています。

10月3日付

<10月3日>

左の絵は恐らくどこかのSM雑誌か
らもってきたものでしょうが、作者
不詳、出典不明、いつコレクション
したものかさえわからないというか
なり怪しげな代物です。思うに『お
灸』と『浣腸』というお仕置き小説
にとっては定番の責めと重なりあう
ので採集したんだと思います。
このようにお仕置き小説とSMとは
行為において重なり合う部分が多い
ので多くの人がお仕置き小説はSM
の一種、亜種又はソフトなSMなん
だと思っておいでのようですが、こ
の二つの行為は相手をどのように見
ているかという心根において大きく
異なるのです。
「なあんだ、気持の問題だけか」( ^▽^;)
とお思いかもしれませんが、私たちにとってはそれが
全てと言ってもいいほど重要なことなんです。
SMは相手を屈服させる快感に酔うサディストと自我
が崩壊するほどの肉体的精神的な苦痛により擬似解脱
(?)を体験したいとするマゾヒストとの利害が合致す
れば成り立ちます。ですから行きずりの少女を廃屋に
連れ込んで悪戯(調教)しても相手が愉悦を楽しむほど
に感化されてしまえばお話はハッピーエンドです。
コレに対し、お仕置き小説の場合は、最初から特別な
人間関係のない者同士では成り立ちません。責める側
に相手方を更生させるという大義名分がないならそれ
は虐待(又はSM)でしかなく愉悦の対象外なのです。
誇り高い(?)我々は、被虐加虐の快楽を非日常の暗いイメージでは
なく、普段の生活の中に見出したいと考えているのです。ガムでも
噛んでいるような気安さで楽しむ快楽。それが我々の望みなのです。

*)
<左上>
パイプベッドに仰向け大の字に縛られた女の子が男によってお臍の
下にお灸をすえられているところと、その奥では、膝ま付き後ろ手に
縛られた女の子がおっぱいポロンの女性からお浣腸を受けている
ところ。
ま、常識的に見て「SMだなあ~~」って感じの絵です。
<右下>
これは一応私が描いた絵。お尻叩きのための拘束台に縛り付け
られた少女がそこで寝ている絵です。『懲罰台のうたた寝』なんてね、
麗々しく題名までついていますけど下手な絵です。(^^ゞ

10月4日付

<10月4日>

 私は小説(そんな大層なものではあ
りませんが)を発表するようになって
からというものほぼ一貫して女の子を
主人公としてきましたが、実は、私が
この趣味を始めた頃の対象者は男の子
でした。

 初恋のお相手が同級生の弟だったの
です。私は彼の家に遊びに行くと何も
知らない兄を尻目に「分からないことは教えてやるよ」などと図々しい
物言いで彼を膝に抱いては鉛筆を握るマシュマロのような手を包み
込み、頬にたなびく産毛をそっと吹いてみたり、半ズボンから伸びた
太股を揉んだり撫でたり時には自分の太股で揺すってみたりとやり
たい放題です。明るく愛らしいその子が膝の上にいる時が私の至福
の時間だったのです。

 次に好きになったのもやはり11歳の男の子。品があり、プライドが
あり、その顔は大人になりたいと願って凛々しい。
 でもそれでいて時折見せるどこか物憂げな表情が子どもを感じさせ
て私の心を締め付けます。

 当時私は中学生。ただ家が近いこともあって、事情が許す限りその
子の校門で『出待ち』までして一緒に帰りました。

  『一緒に帰りました』(右の写真は別人デスヨ)
 (`Д´≡`Д´)??いえいえ、これは正確な
表現じゃありませんね。実は私、その子に声を
かけてお近づきになれたわけではないのです
から…
 ☆ヽ(∇⌒*)よろしぅ♪

 どう声を掛けていいかわからずじまいでした。
(相手にされずです)

 ですから……『その子の帰り道を毎日つけて
いた』というのが正しいでしょうね。要するに
ストーカーだったわけです。

 でも、楽しかったなあ、あの子を見ていると
それだけ癒されましたから(’-’*)♪

 ある日その子がバスの中で色鉛筆を落とした
のを見て自分でも驚くほどのスピードで拾いに行きました。……そして
「ね、これ、くれないか?」って……ひゃあヽ(≧▽≦)ノバカですね~

*)
<左上><右下>
記事とは無縁の共に男の子の写真です。
このお二人さんもすでに成人しています。

10月5日付

<10月5日>

 左はとある修道院ですが、
こんなものを見ながらよく
空想の翼を広げて孤児院の
お話を書きます。私自身は
孤児院の出身でも関係者で
もありませんからその実態
は知りません。普通、小説は知らない事実は調べてから書くという
のが常識ですが、この世界は夢の世界。なまじ実態を知ってしまうと、
嘘を書きたくないという思いからかえって筆が進まず、中身も平凡な
ものになってしまうことが多いんです。

 実はこれ、女の子も同じで、物語に登場する女の子は、正真正銘、
街を行きかう『女子』ではちょっと具合が悪いんです。あくまでこちら
サイドの生理にかなった理想化された『女の子』ということになります。
つまり女の子という姿かたちを借りているだけで、スカートやショーツ
を穿いていても心は男の子なのです。(^◇^;)

 孤児院も実態はどうでもいいんですよ。
孤児院、修道院、教会といった閉鎖的で、
ストイックで、神秘的で…という日本人の
持つイメージ。西洋コンプレックスをくす
ぐってくれる建物(外観)や内装、衣装、儀
式などその有り様(雰囲気)を借りて着飾っ
てるだけなんですから。

 ですから、小説を書き始めた頃はこれで
も書物を積読して歴史的経緯やその有り様
にでるだけ副ったものを書こうなどと無謀
な挑戦を試みましたが……挫折してしまい
ました。(×_×)

 その言い訳というか、開き直りで言うわ
けなんですけど、私たちの世界は何も事実
に則さなくてもファンタジーでいいような気がします。その方が楽しい
ものができますから。むしろ、その夢の世界と現実とを混同しない理性
こそが大事なんじゃないかと思うんです。

*)
<左上>
修道院のイラスト(ワインのラベルだったかなあ)
<右下>
ヨーロッパのお城の写真
共にあまりに古いことでどこから持ってきたかは忘れてしまいました。

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無原罪の御宿り(ムリーリョ)
無原罪の御宿り(ムリーリョ)
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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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