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9/23 『おにばばの店』のモデル(2)

9/23 『おにばばの店』のモデル(2)

 おにばばの店のモデルになったお婆さんは口うるさくて厳しい
人でした。目の前の公園で子供たちが危ない遊びをしていると、
店を飛び出して行って怒鳴りつけますし、お婆さんの目の届く処
では喧嘩もご法度です。

 ですから、子供たちは陰でぶつくさ文句を言っていたのですが、
近くに適当な駄菓子屋がなかったせいか、ぶつくさ言いながらも
みんなここでお菓子を買っていました。

 当時は日本が高度成長期に入った直後で、みんながみんな豊か
ではありませんでした。中にはそんな駄菓子さえ買えない貧しい
子もいたのです。そんな子は店の前を物欲しそうにうろつくだけ。
でも、お婆さんはそんな子を見つけると簡単な用事を言いつけて、
それが終わると駄賃にお菓子を与えていました。

 僕もそんなふうに見えたのかなあ、(^^ゞ
 一度、買い物を言いつかって……やってあげると、当時50円
だっか、一番安いプラモ、(それも箱が日に当たって焼けていた
から相当古いやつです)それを貰った経験があります。

 お婆さんにとって駄菓子屋は商売というより、子供たちと触れ
合う楽しみだったような気がします。物の豊かさより心の豊かさ
が人を幸福にしていた時代、私は好きです。

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9/22 『おにばばの店』のモデル

9/22 『おにばばの店』のモデル

 おにばばの店に出てくる婆さんと校長先生との関係が作品では
説明されてなかったので、補足すると、『校長先生は、昔この婆
さんの旦那さんに学費を出してもらって大学やイギリス留学した
経験があり、普段からその奥さんである婆さんに頭が上がらなか
った』この話はそんな設定で描かれていたんです。
 だから、婆さんは、まるで息子にでも会いに行くように小学校
へ出向き、子供たちを叱りつけていたのでした。

 こう描いても、今の人たちはきっと、ピンとこないでしょうが、
奨学金制度がまだ十分ではなかった戦前は、貧富の差も大きくて、
才能はあるのに親が貧乏で高等教育が受けられないという人は、
村(町)の有力者にお金を援助してもらって大学へ行くケースが
少なくありませんでした。

 でも、そうなると出資者の意向を無視できませんから、就職先
や結婚で、その人たちは口を出してきます。「お前、大学を出た
ら、県庁に入れ」「この人と結婚しろ」と命令してくるケースも
少なくありませんでした。
 もちろん、それって法律上の義務ではありませんが、昔は義理
固い人が多くて、そうした意向を無視できない場合も多かったの
です。

 しかも、就職してからも、色々注文をつけてきて……
 この校長先生もそうしたしがらみから、婆さんのこんな暴走を
許していたという設定だったわけです。

 実際、モデルになった婆さんがいたんです。万引きとか目の前
の公園で危ない遊びなんかしているとよく学校に乗り込んできて
いました。(お灸はありませんよ。あれはフィクションです)
 そんな時、母がその裏事情を教えてくれたのです。

 ちなみに、こうしたことは何も学校だけに限りません。市役所、
県庁にはそうした地元有力者の息のかかったお偉いさんが山ほど
いて、重要な情報は垂れ流しされますし、予算の使い方も有力者
の意向に沿うように作られるのが当たり前だったのです。

 逆に言うと、地元有力者にとって貧しく才能のある子は自分達
にとっても金の卵ですから喜んでお金を出してくれたわけです。

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「しおごはん」さんありがとう

9/20 「しおごはん」さんコメントありがとうございます

 まずは、コメントいただいたのに一週間以上もご返事が遅れて
しまい大変申し訳ありません。

 私の場合は、見ての通り、夢のようなというか荒唐無稽な物語
しか描けませんから、しおごはんさんのような、地に足が着いた
というか、リアリティーのある物語が描ける人が羨ましいのです。

 このブログは、頑張りすぎず、ぼちぼちやっていくつもりです。
 これからも、よろしくお願いします。

9/11 Teach Your Children

9/11 Teach Your Children

  これは『小さな恋のメロディー』という昔の映画のラストで
流れた曲(Teach Your Children)を「こんな意味かなあ?」って、
思いつつ管理人が日本語にしたもの。
 この映画の哲学がそのまま投影されてるみたいで、流れてくる
単語を耳で拾いながら、とびっきり感動したのを覚えています。
 実はこれって、その後お仕置き小説なんか書くようになっても、
変わらない僕の哲学なんだ。
 (ただし、英語は苦手なんで意味を取り違えてるかも…(^^ゞ)
 僕もあの頃は若かったなあ、高校生だったもの。

    Teach Your Children
           <いい加減な意訳です/管理人>

青二才の君には生きていくよりどころが必要だ
まず、自分に正直になろう
過去なんかどうでもいい

君の子供たちによく伝えなさい
父の夢には時間が掛かったんだということを

君は子供に夢を託すだろう。
しかし、それは必ずしも君の望んだ選択とはならないはずだ。

でも、子供に、なぜ?って聞いちゃいけない。
答えを聞いたら落胆するだけさ。
君がやるべきは、子供らを見つめ、ため息をつくこと。
やがて、彼らは君を愛してるって気づくはずだから


初々しい君は先輩達の経験した怖さを知らない
だからその怖いもの知らずの若さで親たちを助けてあげようよ。
人生を終えるまで真実を探し続ける彼らを

君の両親によく教えてあげよう
僕らの苦しみだってゆっくりしか過ぎ去らないことを

君は親に夢を託すだろう
しかし、それは必ずしも君の望んだ選択とはならないはずだ。

でも、親になぜ?って聞いちゃいけない。
答えを聞いたら落胆するだけさ。
君がやるべきは、親たちを見つめ、ため息をつくこと。
やがて、彼らは君を愛してるって気づくはずだから

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9/10 母という人

9/10 母という人

         < 最初のおしおき >

 さて、私の最初のお仕置きは何だったか、ふっと考えてみた。
 うちの母親は発展家で気も強い。たとえ幼児や赤ん坊でも本気
になって怒るし、体罰なんてのも日常茶飯事だ。本来子育てには
向いてないタイプだったと思う。

 とにかく、物心ついた時から母親に赤ん坊らしくあやされたと
いう記憶がない。他人を甘やかしたり甘えられたりするのが苦手
な人なのだ。
 どんな時でも「子供だから仕方がない」とは言わず、幼い子に
対しても、何でも大人と同じ対応を求めた。

 普通、幼児の頃は犬のことを「ワンワン」魚を「オトト」なん
て言ったりすると思うが、我が家では、物心ついた時から「犬」
は「イヌ」であり、「魚」は「サカナ」だった。
 だから、かなり長い間「オトト」というのは、そういうサカナ
の名前だとばかり思っていたのだ。

 会話だってそうだ。幼児がよく使う単語途切れ途切れの文章で
はだめで、母と話す時は、必ず日本語として成り立つように整理
してから話さなければならなかった。

 そんな環境で育っているから、幼稚園へ行った時もお友だちと
会話が成立しないのだ。
 入園しても、私は、お友だちの中で浮いてしまっていた。
 幼児らしい会話ができなかったのだ。相手も当然そうだろうが、
こちらも、お友だちが何を考えているのか理解できなかった。

 『電車ごっこって何?どうして縄跳びの紐をみんなで腰に巻き
つけるとそれが電車になるの?電車って切符を買って乗るものだ
よ。見たことあるだろう。乗ったことないの?』
 と、まあこんな会話をしてしまう鼻持ちならないガキだった。
 そりゃあ、友だち無くすわなあ。

 そのかわり、先生とはうまがあった。相手の言うことは何でも
わかるし、こちらの言うこともほぼ100%聞いてくれる。おか
げて幼稚園時代は先生の腰に張り付いて暮らしていた。
 ここが一番の安息の場所だったというから、幼稚園時代の私は
典型的な孤立児だったのである。

 さて、そんな問題多き母だが、私が彼女を嫌っていたかという
と、そうではない。母は性格も明るかったし、ボキャブラリーも
豊富で、おしゃべりしていても人を飽きさせない。日常生活も、
約束事さえ守っていれば実に楽しい人なのだ。

 母は、私によく童話を聞かせたが、その内容は必ずしも原作に
忠実ではなくて、悪人として絵が描かれている人物も、母の手に
かかると、ことごとく良い方に脚色されて善人になっていた。
(私の小説に悪人がほとんど出てこないのもそのためだ)

 例えば、赤ずきんちゃんのオオカミは、道草好きの赤ずきんち
ゃんを戒めようとして、おばあさんに頼まれ、おばあさんの代わ
りにベッドで寝ていただけだし、お菓子の家の魔女も、ヘンゼル
とグレーテルに自分でこしらえたお菓子を食べさせたくてお菓子
の家を造ったことになっている。最後には、二人をお父さんお母
さんのもとへ送り届けているのだ。白雪姫にいたっては継母の方
が善人で、白雪姫は継母の言いつけを守らないわがまま娘という
設定なのだからグリム兄弟もびっくりだろう。

 私はそんな善人ばかりで成り立つ童話を、母の膝の上とベッド
の中で聞いて育った。
 どうして母がそんな手の込んだことを考えついたかは不明だが、
母は私をとにかく溺愛していたから、物語の中でさえ悪い感化を
与えたくなかったのかもしれない。

 ただ、そんな中にあって、唯一の物語に刺激を与えていたのが
子供たちの気まぐれな悪さ(いたずら)だった。

 赤ずきんは道草をしていた罰として最後にお母さんにしこたま
お尻を叩かれることになっていたし……ヘンゼルとグレーテル、
白雪姫も、やはり最後はお仕置きされる設定になっている。

 当然、この他のお話でも、色んな場面で子たちへのお仕置きは
頻繁に出てくる。当然、こうした場面は母によって用意される訳
だが……それは不思議と私がお昼にしでかした悪さとリンクして
いた。

 母としては、我が子を戒める意味でそんなお話をこしらえるの
だろうが、聞かされるこちらは心地よいわけないから、そこから
逃げようとする。
 しかし、そこは幼児の悲しさ。頭のてっぺんからつま先まで、
母の胸の中に抱きかかえられると、お話が終わるまでピクリとも
身体を動かす事ができなかった。

 で、思うのだが『これが一番最初のお仕置きだったのかな』と
最近は感じているのである。

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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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