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§1 <天使の庭で>

§1 <天使の庭で>

 私が亀山へやって来たのは60を少し過ぎた頃。体にはまだまだ
自信があったが、経営方針で息子と対立して退くはめになっていた。
 それまで独りで店を大きくしてきたという自負があったからよも
や店を追われようなどとは思ってもみず、落ち込んだこともあった
が、くよくよしていても始まらない。本当は何か別の事業を始めよ
うと目論んでいたのだ。
 ところがそんな折、友人から亀山に遊びに来ないかと誘いを受け
た。
 「だってあそこは功成り名を遂げたお偉いさんたちの御道楽だろ
う。都内7店舗ばかりの小さな店の隠居じゃ相手にしてくれないよ」
 私は破顔一笑して一度は断ったものの、内心では子どもとの暮ら
しにまったく興味がないわけではなかった。
 そもそもあの馬鹿息子と店の方針を争ったと言っても、その実、
奴が専務一派の甘言に奴がまんまと引っ掛かっただけの事であり、
店は早晩大手資本の傘下に組み入れられるはずである。
 それは私の脇があまかったからであり親としても息子から信頼を
得ていなかったからに他ならない。私は彼に適切な助言をしてやれ
なかった。
 要するに子育てに失敗したということだ。実際、息子が思春期を
迎えてからというもの親らしい事は何一つしてやれなかった。
 そのつけが今頃になってやって来たのかと思うと忸怩たる思いな
のだ。といって今さら成人した息子とよりを戻すことなど難しい。
そんな絶望的な状況の中で、私の心の中には新規事業立ち上げとは
百八十度違うまったく別の思いが心に浮かぶのだった。
 つまり、復讐心からくるような新たな事業を立ち上げなどより、
むしろこのまま隠とんして残った資産で血は繋がらなくとも自分を
慕う子どもたちと楽しく暮らしてみたいという夢だ。
 もともと子煩悩だった私は、実の息子とは果たせなかった子ども
との安らぎの日々を今一度望んでみたくなったのだった。
 『もし、この通りなら……』
 亀山移住を勧めるパンフレットを見ながら不思議と夢は膨らんで
いく。そこで、二度三度と誘う友人に折れて亀山への入山手続きを
とってみることにした。
 ところが、ところが、これが何と一年以上もかかったのである。
 精密な健康診断に加え、心理テストなども入念に行われ、勿論、
身辺調査も……いい加減頭にきていた頃になってやっと入山の許可
が降りた。
 このため、新しく始める事業の方はすでに準備が整い、従業員の
募集をかけるまでになっていたから……
 『ええい、そんな夢物語がこの世にあるはずがない。止めてしま
おう』
 と思ったのだが、せっかく苦労して手にいれた入山許可を一度も
使わない手はないと思い直し……
 『観光旅行のつもりで出掛けてみるか』
 ということになったのである。
 ところが、単身出かけたたった一回の観光旅行で私の考えは再び
変わってしまったのである。
 「離婚されたくなかったら、つべこべ言わず一緒に来い!」
 嫌がる妻を強引に説得、今回引退して私に権利を譲ってくださる
予定の安藤先生のお宅へ、夫婦して居候を決め込んだのだった。

§2 <天使の庭で>

§2 <天使の庭で>

 何がすばらしいと言えないくらいここはすばらしかった。まずは
住んでいる人たちが、みんな私たちと同じ常識を持つ穏やかな紳士
淑女ばかり。森に囲まれた環境で外界とは隔絶しているが、過不足
なく施設も充実しているから不満はない。もっとも、子どもにそれ
ほど興味のない人にとっては、刺激的な場所がないからきっと退屈
な田舎ということになるのだろうが、いずれにしても趣味を同じく
する私たちにとってはまさに『楽園』。その名が看板倒れでないこと
だけは確かだった。
 何より私を驚かせたのは子どもたち。
 品良く従順で勤勉。教養も高く芸事にも秀でている。いったい、
どうしたら、こんな子が育つのかと首をかしげたほどだった。
 正直に言ってしまうと、私はペドォフェリアの気があって、海外
では子どもをその目的のために買うこともあったのだが、そうした
子どもというはたいてい品がなく薄汚れていて、何より抱くとおど
おどしていて興が冷めていた。そんな暗部がこの子たちにはまるで
ないのだ。まるでどこかのお嬢ちゃまお坊ちゃまという感じだった
のである。
 「この子たちは本当に孤児だったんですか?」
 私が安藤先生に尋ねると……
 「育て方だよ。ここでは2歳以降の子は預からない。人間の性根
は3歳までに決まってしまうから、それ以前の育て方が悪いと知識
は増えても人間性には問題のある子になってしまうんだ」
 「三つ子の魂百までもというわけですか。ここでは赤ん坊にどん
な教育をしてるんですか?」
 「特別なことは何もしてないよ。ただね、この子たちの事実上の
母親である家庭教師が、日がな一日抱いて育てるから、子どもたち
はこの人を本当のママだと思ってついていくんだ」
 「生さぬ仲なのに?」
 「そうだ、彼女たちの方にも色々事情はあるみたいだがいずれに
してもだ、献身的に子育てに励んでくれるおかげで私達はこうして
楽しい美酒に酔いしれることができるというわけだ」
 「じゃあ、この子たちは家庭教師の彼女たちを本当の母親だと…
……」
 「いや、いや、そうじゃない。それは初めからちゃんと教えて
ある。勿論、私たちのこともだ。しかしそれを承知で私たちが少々
無理難題をだしたとしても、この子たちは実に健気に対応してくれ
るよ。それもこれもママのおかげだ」
 「ママ?」
 「彼らは自分の身の回りの世話をやいてくれる家庭教師をママと
呼ぶんだ。実際その通りの役回りだから、私はそれでいいと思って
いるがね」
 「私たちのことは?」
 「お父様、お母様だ」
 「おとうさまですか……私は、庶民の出なのでお父様はちょっと
……『お父さん』でいいですよ」
 「そうはいかないよ。その呼び名はここの決まりだからね。他の
呼び名はないんだ。……大丈夫、慣れるよ。私もすぐに慣れたから
……」
 「お父様かあ~~」
 「お父様といっても、私たちはこの子たちを親として教育する事
はほとんどないんだ。教訓を垂れたり知識を与えたりするのはもち
ろんOKだが基本的に子どもを泣かすような体罰はダメなんだ」
 「ええ、わかってます。そのことは女王様から厳しく注意されま
したから……」
 「…もっともね、子どもが無礼な事をすればママがすぐにお仕置
きをするから、ここの子は大人に向かって手に負えない悪戯をする
なんて事はまずないんだ」
 「ほんと、さっき、もう10歳は越えていそうな子をだきました
けどまるでぬいぐるみみたいにおとなしくて感動しました」
 「ここのお父様たちはほとんどが老人だからね。普段からおとな
しく接するように躾けてあるんだ」
 「ここの子ども達は夜ベッドに入る時は全裸って聞きましたけど
本当ですか?」
 「ああ、嫌だったら、パジャマを着せてもいいんだよ」
 「いえ、私は構わないんですが……子どもたちがよく嫌がらない
なあと思って……」
 「嫌がったりしないさ。彼らにはそれがごく幼い頃からの習慣だ
もの。なんだったら、おチンチンやおマンコを触ってもいいんだよ。
もちろん姦淫行為なんてのは論外だけど、そのくらいことは許され
てるんだ。……亀山ルールでね」
 「亀山ルールですか?でも、そんなことしたら、街中に噂が広が
って変体扱いされませんか?」
 「そんなこと言ったら、この街のお父様たちはみんなヘンタイ
だよ。わかるだろう」
 安藤先生は意味深に片目をつぶって見せた。
 「子どもたちだってあまり執拗にやらなければ騒いだりはしない
よ。そうしたこともママたちから因果を含めて教えられてるから…
…もし、子どもが本気で嫌がったら止めればいい。ただそれだけの
ことさ。そもそも、そこいらの分別がつかないような人物を女王様
はこの街には入れないから、そこらあたりは、あくまで君の判断で
いいんだ」
 「…………」
 困惑した私の表情を見て、先生は続ける。
 「この街が楽園であり続けられるのは、ここに住むみんなが共通
の良識をもっていて、それを頑(かたく)なに守り続けているから
なんだ。人間だからたまに羽目をはずす事だってあるけど、それを
規則違反として処罰したらここは楽園ではなくなるからね」
 「高い次元の自己責任ってことですね」
 「そういうことだ。規則を作って人を罰することは容易(たやす)
いが、それでは大人も子どもも窮屈だろう。大事なことは、大人に
とっては愛したい子どもに巡り合うことであり、子どもにとっては
愛されたい大人に巡り合うことなんだから。…両者がそれに向けて
努力することが大事なんだよ」
 「巷ではここのことを『青髭館』だとか『子ども妾』なんて言っ
てますけど、それは違うってことですね」
 「…………」先生はしばし苦笑いを浮かべたあと「確かに大人は
性欲を持った生き物だからね、この街の日常がまったくポルノっ気
がないものだとは言わないけど……それは色んな意味で教授を受け
る子どもの側にしたら仕方のないことだと思うんだよ。大人から授
けられるものは紙に書き起こせる知識だけではないからね」
 「……なるほど、そんなことを言うのは下衆のかんぐりという訳
ですか」
 「理性と感情を厳格に分ける事ができるなんて考える現代人の病
がそんな妄想を生むのさ。そもそも人間が人間に伝えていくものは
知識だけではない。その人が持っている着想力や思考処理といった
ものは、彼と言う人間の癖というか個性を知ってはじめて伝わって
いくものだからね。ここで保育園がないのも、まだ言葉や知識で物
事を把握できない赤ん坊に親という存在を肌で認識させるためなん
だ」
 「スキンシップ」
 「そうだ、ここではそれを何より大事にしてきた。だからこそ、
いつの間にかこんなに大きな組織になったんだ。今の人は『知識や
理屈を言い合って人間はコミュニケーションを取っている』ぐらい
に思っているようだが、実は、大半の事は言葉に出さずともお互い
理解できるし、むしろその方が相手を傷つけず自分の意見を言えて
相手の深い腹の底まで読み解くことができるから、その方がよほど
有意義なんだよ」
 「腹芸というやつですね」
 「日本人が長い歴史の中で作り上げてきた意思伝達の手段だ。異
民族との接触が多かった西洋人はお互いの意思の疎通を言葉に頼っ
てきたが、同民族だけで長年暮らしてきた日本人は細やかな意思を
伝えるのに言葉は不向きと考えていた節があるんだ。むしろ、言葉
では相手方に強く自分の気持が伝わりすぎてお互いの人間関係が気
まずくなる。そこで、微笑んだり何気ない仕草で間接的にこちらの
意向を相手に伝えるすべを獲得していったんだ」
 「赤ん坊も同じということですか?」
 「人間の英知がそこまで達していないので理屈ですべてを説明で
きないが、赤ん坊は言葉を獲得する以前からすでに母親と会話でき
てると思うよ。ロジックではなく感性でね…それもかなり深い内容
まで踏み込んで感じ取っているはずだ」
 「そんなことわかるんですか?」
 「『三歳までの間で最も長い時間、肌を接した人物の言葉が、その
後にあっても最も長く記憶に留めている』というのが私の持論という
か、実感なんだよ」
 「何だか難しいお話ですね」
 「そうかい。簡単な事さ。『赤ん坊にとっての母親はミルクを買っ
た人物ではなく、哺乳瓶で自分にミルクを与えてくれた人』だって
ことさ。だから、成長した後もその人が言った事は他の人の話より
長く記憶に残るし、その人の気持は理屈ではなく感じることができ
るんだよ」
 「テレパシー?」
 「いや、そんな大仰なものじゃなくて、ちょっとした仕草や顔の
印象でその人の心情を掴み取ることができるってことさ。機微に触
れるってことかな……他の人以上の感度でね」
 「確かに、ママと言っても相手はなさぬ仲の子どもですからね。
血のつながりはないし……」
 「血の繋がりはどうでもいいけど。二歳までのスキンシップは、
赤ん坊に親を認知させるための絶対条件だからね、ママは授業中も
自分の預かった赤ん坊を手放さないんだ。先生が赤ん坊を負ぶって
授業している教室なんて世界中探してもおそらくここだけだよ」
 「成果は目に見えるものなんですか?」
 「見えるも何も、さっき君はここの子どもを抱いて…『どうして
こんな天使のような子が育つんだろう』って感嘆してたじゃないか。
それが成果さ」
 「なるほど(・o・)……」
 「たとえどんなに多くの物を与えたとしても、寄る辺なき身の上
の子に帰るべき心の家がなかったら、あの笑顔は出てこないんだよ」
 「そうですね(*^_^*)」私は思わず苦笑した。
 「そして、そんな笑顔が見られないなら……私たちもまたこんな
山奥には用がない。献身的なママの愛も、私たちのお金も、厳しい
お仕置きも、何一つ欠けてもこの街は存続しないんだ。だから入山
には厳しいテストがあるんだ。ここに入山したければ何より子ども
を愛していて、かつ極端には走らない美徳が求められるんだよ」
 「……なるほど、それでこんなに手間がかかったのか(・0・)」
 ほつりと独り言。ただ、私は自分がそれほど立派な人間だと自覚
していないので多少困惑してしまった。
 「そう、かしこまって考えることじゃないさ。君の常識、良識で
行動すればいいんだから。……もし、不都合があったら女王様から
叱られるだけだ」
 「どんなことしたら叱られちゃいますかね(^_^;)」
 「一番多いのはえこひいきだな。もちろん子どもはどの子だって
可愛い。でも、誰にも『特にこの子だけは…』という子がいるもん
だ。ただそうすると、知らず知らずその子だけを優遇してしまう。
これが最も陥りやすい過ちだよ」
 「そんなことも女王様は把握してるんですね」
 「我々だけじゃない。先生方のえこひいきにも厳しく目を光らせ
てるよ。先生方もお互いがチェックし合って、おかしなことがあれ
ばすぐに女王様に報告が上がるようになっている」
 「ほう~(・0・)」
 「とにかく、彼女はこの亀山では絶対君主。ここでは一番偉い人
だからね。彼女によってここの秩序は保たれてると言っていい。
我々だって亀山の秩序を乱す輩と思われたら追放ということだって
あるよ(^_^)b」
 「えっ!誰か追放された方がいるんですか(?_?)」
 「いやない。でも数少ない規則の中にそう書いてあるよ(*^_^*)」
 安藤先生はウイスキーが回ってきたせいもあるのだろうか、赤い
顔を天井に向けにこやかに笑うのだった。(^◇^)
 私たち夫婦は、当初二週間の予定で滞在したが、それが二週間の
延長となり、さらに二ヶ月の延長、さらには、やむを得ない用事で
下山する時以外は、とうとうここにいついてしまったのである。

§3 <天使の庭で>

§3 <天使の庭で>

 お父様の朝は隣で寝ているチビちゃんたちのパンチと蹴りで始ま
る。さらにはトイレへ行くのが面倒な子もいて、そうした子がお隣
さんだとこちらもパジャマがびっしょりなる。
 ただその程度のことで気分を害するようなお父様というのはこの
街にはいないから、この子たちは常に天使でいられるのである。
 「ほら、しっかり立って」
 私は寝ぼけ眼の少女をベッドの脇に立たせると蒸しタオルで股間
を拭き上げる。もう11歳にもなるというのに、驚くほど悪びれた
様子がない。
 「…………」
 まるで、そうしてくれるのが当たり前とでも言わんばかりの眼差
しだ。
 むしろ大人たちの方が……
 「御前様(女中さんたちは我々をそう呼ぶことが多い)、そのよう
な事は私たちがいたします」
 女中たちはそう言って私から蒸しタオルを取上げようとするする
が、どうやら、彼女たちの方がよほど私の気持が分かっていない様
だ。
 「大丈夫だ。私がやるよ」
 にこやかに断ると相手もそれ以上無理強いはしなかった。
 そもそも私がやっているのは苦役でもなければボランティアでも
ない。これが好きだからやっているのである。
 まだ、下草もろくに生えていない少女の臍の下に手を入れている
だけで幸せなのだ。しかも彼女は熱いタオルを股の中に入れ、ごし
ごし擦っても嫌がったり恥ずかしがったりはしない。といってこと
さら苦痛に耐えている様子でもない。『ごく当たり前のことが当たり
前に起こっている』そんな表情で身じろぎ一つしないのである。
 彼女をこのスケベおやじの前に立たせているのはむろん愛情だけ
ではない。安藤先生の場合は、この子が赤ん坊の時からの付き合い
だから愛情もあるだろう。しかし、私は初対面から数日しか経って
いないのだ。少女にしてみれば私の存在はほとんど他人に他なら
ない。にも関わらず、こうして初老男の前にすっぽんぽんで立って
いられるのは信頼と権威がそうさせているのだった。
 ここでは、庭師や賄のおばちゃん、大工さん、バキュームのおじ
さんに至るまで子どもを邪険にする大人はいない。大人は常に自分
たちに優しくしてくれるという『大人への信頼』があるのだ。
 それと物心つく頃から色んな機会をとらえて「お父様はとっても
偉い人」と教えられ続けた結果、頭の芯にまで刷り込まれた『お父
様の権威』というものが少女を金縛りにしているようだった。
 もちろん、だからといってお父様の側も好き勝手をやっている訳
ではない。嫌がれば止めるという分別はここでは誰もが持っている。
だからこそ続いてきた関係だった。
 私は茜の身体を一通り拭いてやると、ショーツやシュミーズを着
せてやる。
 歳も歳だし彼女が独りで着替えができないわけではないが、大人
たちが着替えさせている時は逆らってはいけないと日頃から躾られ
ているのだ。
 私たちは子どもたちの教育や躾にほとんど口を出さないが、すべ
てはこちらの意向に沿うよう先生方が子供たちを御指導くださるの
で、こちらとしてはその事に何の不満もなかった。
 要するに私たちは完成されたお人形(アンドロイド)をただ抱く
だけでよかったのである。
 ま、これも私たちが若ければ自分の手で仕付けて、教育して、
自分の色に染めたいところだが、何ぶん、みなさんお年より。この
中では一番若い私にしたところでそれはしんどい事だったのである。
 だから、私たちはお父様と名乗らされてはいるが、実質的には子
どもたちのおじいさん、おばあさんといった役どころだった。
 しかし、それでもなお亀山での生活はこの上なく楽しい田舎暮ら
しだったのである。

§4 <天使の庭で>

§4 <天使の庭で>

 亀山では食事の時に当番に当ったコテージの子どもたちが私たち
のテーブルへとやってくる。普段は下座でママと一緒のテーブルな
のだが、当番の日だけは私たちと一緒に食事をする決まりだ。
 一つのコテージ(長屋)には、ママが面倒をみている子どもが
二三人。だいたい六歳違いで姉妹(兄弟)として暮らしている。
 例えば15歳の姉(兄)がいればその下は9歳、さらにその下は
3歳というわけだ。15歳14歳の子はすでに赤ちゃんを卒業して
いるので食事風景も大人と同席といった感じだが、13歳以下の子
どもたちは全て赤ちゃんとして扱われ、お父様の膝の上か、膝小僧
が当たるほど近くに椅子を置いて、料理も大人たちが取り分けてや
ることになる。
 それだけではない。お父様たる者、どの子に対しても二口三口は
料理をスプーンに乗せてその子の口元へと届けてやらなければなら
なかった。
 これも朝の着替え同様、『なぜ、私がこんなわずらわしい事を…』
なんて感じる人は…何度も言うが…そもそも亀山にはいないのだ。
私もそうだが、ロリコン趣味のある大人たちにしてみれば、13歳
にもなった少女が自分の差し出すスプーンを銜えて微笑むなんて…
…何より夢のように楽しい出来事だったのである。
 無論、彼女たちにだって自我が育っていないわけではない。が、
そこは女の子、順応性には長けている。彼女たちは13歳という年
齢を跳ね除けると、赤ちゃんや幼女にでもなった気で私たちのオマ
マゴトに参加してくれるのである。
 私も12、13の子を膝の上に抱いて幾度となく食事をしたが、
……その瞬間は、十も二十もいっぺんに若返った気がした。
 だから、その期を逃さず彼女達に服やオモチャなんかをねだられ
るとついつい「ああ、いいよ」と安請け合いしてしまうのだ。

§5 <天使の庭で>

§5 <天使の庭で>

 朝、子どもたちが学校へ行くと屋敷はとたんに静かになる。勿論、
そこで一息ついて自分の用事を済ますこともできるのだが、私は子
どもたちからは一足遅れてよく学校へ行った。普通、父兄が学校へ
行くというのは、父兄会や学芸会、運動会、卒業式といった行事の
ある時に限られるものだが亀山の学校はとってもアットホームで、
お父様やお母様がいつ顔を出しても嫌がらない。
 むしろ歓迎してくれると言ってよかった。その証拠に子どもたち
が学ぶ教室の後ろには中二階があり、父兄席として確保されたその
場所から誰もが授業の様子を見学できるのである。
 それだけではない。休み時間には教室へ下りていってうちの子を
抱いたり請われて宿題を教えることだってある。そんなことをやっ
ていると他の家の子ども達もせがむから他の子も抱くはめになる。
 ちょっとした人気者になった気分でそれはそれは楽しかった。
 もし、巷で見知らぬ男がいきなり自分の身体を抱こうとすれば、
泣き叫ぶか大人の手を払い除けて拒否するのが普通の反応だろう。
 しかし、ここではそんな子どもの姿は見た事がない。むしろそれ
が誰であれ、大人が抱きたいと両手を差し伸べさえすれば、まるで
手なずけられた子犬のようにものの見事にその人の胸の中へすっぽ
りと収まってみせたのである。
 子ども達は物心つく頃から目にする大人すべての胸に抱かれて
育つ。誰もが優しく接してくれる楽園では中に一人ぐらい見知らぬ
顔が混じっていても警戒しないのかもしれない。
 ただ、子どもたちにとっては私の膝の上だけが目的ではないよう
で、頭も首も背中も腰もとにかく私の身体の全てが彼らの遊び道具
だった。 それは老人にはちょっぴり大変なのだ。
 だから、お年を召してそんな事には耐えられないと学校へはあま
り足を運ばれなくなったお父様もいらっしゃるにはいらっしゃるの
だが、私だけではない、見ているとほとんどのお父様やお母様がご
自分の身体を子どもたちに自由に使わせる事で若い精気を存分に取
り込んでおられるようだった。
 そんなわけで始業の鐘が鳴り始めると私たちは子ども達との別れ
が名残惜しくてならなかったのである。

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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