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小暮男爵 << §4 >>

小暮男爵

***<< §4 >>****

 遥ちゃんと離れて久しぶりにお父様と一緒の暮らし。
 つい六ヶ月ほど前まではここが私の勉強部屋兼生活の場でした
から元の生活に戻ったというべきかもしれません。

 この部屋は、本来お父様の書斎。ですから、この部屋の大半は
お父様のスペース。百科事典や美術書、学術書などなど大きくて
重たい本が作りつけの本棚に収められ壁と一体化していますし、
ライティングデスクの上には、お父様が書き物をする為に集めた
資料がいつも山となって積まれています。

 その一角に、こんな部屋の雰囲気とは似つかわしくないピンク
の勉強机、ピンクの本棚が置いてあるのですが、この辺りが私の
居住スペースでした。

 机の上には学校の教科書や参考書が並び、壁には私が展覧会で
入選した時の絵や習字、家族旅行の写真などが貼られ、本棚には
図鑑や児童書、地球儀、バイエルの教本などが置かれています。

 人目につく場所に置いてあるのはいずれも勉強か習い事に関係
ありそうなものばかり。例外はお父様から買ってもらったピー子
という大きな熊のぬいぐるみくらいでしょうか。これだけは箱に
入りきれないので本棚の一番上で腰掛けてます。

 でもそれ以外のマンガやオモチャは、お父様との約束ですべて
大きなダンボール箱に入れてしまい、使う時だけ取り出すことに
なっていました。

 遊んだ後は、また元のダンボール箱にしまわなければなりませ
んから二度手間です。オモチャをしまう時は『めんどくさいなあ』
と思いますが、しまい忘れると叱られますから渋々やってました。

 もし、オモチャをしまい忘れる日が続くようだと、『お仕置き』
なんてことも……普段は優しいお父様ですが怒るととてつもなく
恐いんです。

 我が家の場合、お父様を怒らせた場合、パンツを剥ぎ取られて
お尻を叩かれるというのが一般的ですが、お仕置きはお尻叩きと
決まっていたわけでありません。ケースバイケースで種類は色々
でした。

 お庭や廊下に立たされたり、百行清書なんてのはまだ上品な方
で、悪さがすぎると、例えば自分の部屋のベッドでお浣腸の姿勢
でずっと待たされたり、お庭に自生しているイラクサをパンツの
中に仕込まれて登校させられたり、なんて破廉恥な罰もたくさん
用意してあります。

 イラクサというのは西洋のおとぎ話なんかに出てくるあれです。
これには刺毛と呼ばれる細かな毛がびっしりはえていますから、
歩くたびにそれがお股に刺さって大変なんです。

 ですから、家から見えない処でパンツから取り出し、学校近く
まで来たらまた入れ直す、なんてズルも上級生になると覚えます。

 登校した後は保健室へ行って先生からイラクサを取っていただ
くんですが、保健の先生からお薬を塗ってもらう処も恥ずかしい
場所ですし、何より半日くらいはそこが痛痒くて仕方ありません
でした。

 ですからクラスに戻ってからも、人目もばからずお股を掻いて
しまいます。
 すると今度は担任の先生から『美咲ちゃん、はしたないわよ』
って……でも、本当に痒いんですからこれは仕方がありません。

 ある時、先生に……
 「先生は、やられたことないから分からないのよ」
 って啖呵をきったら……
 「そんなことないわ。私も子供の頃は両親から散々やらされた
もの」
 と言われてしまいました。

 どうやら『イラクサパンツ』というのはこの辺りでは伝統的な
子供のためのお仕置きのようです。

 その他にも、勉強中に居眠りなんかしていると、冷たい鉄板を
イスに敷かれて、そこに裸のお尻を乗せなきゃならなかったり、
オナニー癖のある子なんか、ゴム製の貞操帯を締めさせられたり
もします。

 他にも色々あります。特に女の子は種類が豊富でした。きっと、
大人たちは日々子どもにどうやってお仕置きしようか考えている
んじゃないでしょうか。そのくらい女の子へのお仕置きの種類は
バラエティーに富んでいました。

 でも、そんな私たちには厳し過ぎるお仕置き事情も先生たちに
言わせると、最近は親が子供に甘いんだそうです。


 さて、話が脇道にそれてしまいましたが、さっきの続きです。

 同居していた遥ちゃんの部屋から元いたお父様の書斎へ、私が
荷物を運び入れると、お父様がさっそく私の学習机の前にご自分
のイスを置き、そこに腰を下ろして膝を叩きます。

 これは……
 『さあ、美咲、お勉強するよ、ここへいらっしゃい』
 というサインです。

 実は私、ここへ来て以来ずっとそうなんですが、ごく最近まで、
お父様のお膝の上でしか勉強したことがありませんでした。
 ひらがな、カタカナ、ローマ字、九九も四則の計算も、みんな
みんなお父様のお膝で覚えたんです。

 ですから、私にとって勉強するというのは、まずはお父様の膝
に乗ることから始まるのでした。

 「おう、随分重くなったなあ」
 お父様の意外そうな声。
 お父様のお膝は六ヶ月ぶりですが、その間にも私の身長も体重
も増え続けています。

 「やったあ~」
 六ヶ月前を思い出し、腰を浮かして小さく跳ね回る私。楽しい
記憶が蘇ります。この場所、私、嫌いではありませんでした。

 この懐かしいふかふか感。お尻の割れ目に当たる軟らかい棒も、
昔からのことですからね、気になんてなりません。

 私は施設から引き取られて以来。このお膝で育ったようなもの
でした。多くのお姉さまたちは新しい妹がやってくるとその後は
この場所を明け渡さなければなりませんが、私の場合は、大きく
なってもお父様のお膝がホームグラウンド。
 ここで勉強し、ここで食事をして、ここで着替えも済ませます。
もっと幼い頃はお風呂やトイレまでも一緒でした。

 私だけじゃありません。ここに呼ばれた子供たちはまずお父様
のお人形となって人生のスタートを切るのです。

 ただ、私の場合その期間があまりに長いのでお姉さまたちから
は『あなた、何から何までお父様でよく恥ずかしくないわね?』
なんて呆れられてましたけど、私は『それがどうして悪いの?』
って居直ってました。

 だって、食事も、着替えも、お風呂も、トイレも……もちろん
全部独りでできますけど、大好きなお父様にやってもらえるなら、
そっちの方が楽で楽しいでしょう。だから自分からお父様のお膝
を下りるつもりはありませんでした。

 そのうち『私はお父様にとって特別な存在』なんて特権意識も
芽生えちゃったりします。もちろん、勘違いなんですが……。
 このように私の幼年期はお父様に甘えられるだけ甘えて暮らし
ていたのでした。


 この夜の私は算数のドリルや漢字の書き取りで2時間びっちり
絞られます。
 実はこのイス、身体の自由がききませんし、勝手に休憩もとれ
ません。おまけに勉強が終わる頃には、私とお父様の体温で全身
汗びっしょりです。

 決して快適な環境じゃありません。
 おまけに私は勉強が好きじゃありませんから、その間はずっと
大変な思いでした。

 「ほら、よそ見しないの」
 「抱っこされてると頭だってお父様の胸の中から動かせないの。
よそ見なんてできないでしょう!」
 私は口を尖らせます。

 「ほら、またあくびして……あくびなんかしてる暇ないよ」
 「仕方ないじゃない出ちゃうんだから。これは止められないの」
 私はスリッパを履いた足でお父様の向こう脛を蹴ります。効果
ありませんが……。

 「もっと集中して……ケアレスミスが多くなったよ」
 「やってるよ。これが私の精一杯。もう、これ以上無理なの!」
 身体全体をブルブルっと震わせます。これってせめてもの抵抗
姿勢でした。

 私はお父様が何か言うたびにぶつくさ。素直じゃありません。
よい生徒じゃないんです。
 でも、これもまた幼い日から続くいつもこと。お父様を本当に
イヤイヤしているわけではありませんでした。

 お父様のお膝はいつもふかふか。小さく上下に体を揺さぶると
楽しいですし、大きな胸の中にセットされた私の背中は安心感で
いっぱいです。
 一瞬のすきを見つけて厚い胸板に横顔を押し付けるなんてのも
心が癒されることでした。

 実際、私の身体はお父様によってどうにも身動きできないほど
拘束されているわけですが、幼い頃からこうやって勉強してきた
私にとっては、これがもっとも落ち着く場所だったのです。

 それだけじゃありません。お勉強が終わった後にお父様のお膝
の上で汗を拭いてもらい下着を取り替えるのも私にとってはお気
に入りのひと時でした。

 もちろん、それって私の心がまだ子供だから成立していた関係
なんでしょうけど。私の周囲には性の情報が何もありませんから
性の歩みは今の子よりずっとゆっくり。
 この時代の私はまだ純粋な子供で、お父様を性の対象としては
捕らえてなかったみたいでした。

 ただ、そんな私も歳を重ねます。性の情報はなくてもこの頃に
なると本人も気づかないうちに大人の入口に辿り着いていました。

 2時間後……

 「よし、よく頑張ったね。じゃあ、……今日はここまでにして、
ネンネしようか」

 お父様はそう言うと私を膝の上に立たせます。幼い頃と違って
この頃になると身体もだいぶ大きくなっていましたから、これは
大変な作業だと思うのですが、お父様はお構いなしです。
 わざわざ不安定な膝の上に私を立たせて服を脱がせ始めます。

 私も幼い頃からやっていますから要領はわかっています。
 危なくなれば近くにある本棚の棚を掴んでバランスをとります
から不思議と膝から転げ落ちるなんてことはありませんでした。
 ただ、お父様がなぜこんなアクロバティクなことを続けるのか、
それはわかりませんでした。

 我が家ではシャツもパンツも脱いでパジャマだけで寝る習慣に
なっていましたから、着替えの途中私は真っ裸になります。当然、
裸になった私の体はお父様の目と鼻の先に晒されるわけで、その
鼻の先が私のビーナス丘やお臍に当たるなんてことも……。
 ですから、ひょっとしたらそれが目的だったかも……。

 いずれにしても私とお父様の間にはそれ以上何も起こりません
でした。


 着替えが済んだ私は、そのまま抱きかかえられて、高い高いを
されたり、肩車されたり、頬ずりされたり、お父様とひとしきり
じゃれあってから布団に入ります。

 これってお勉強頑張ったご褒美なんですから、私としては純粋
に嬉しいことなんです。そりゃあ他の人に見られれば恥ずかしい
かもしれませんが私とお父様だけの場所なら何も問題ありません
でした。

 ところが、その夜は久しぶりのお着替えで緊張したのか、服に
お父様の手が掛かった瞬間、私の顔が一瞬曇ります。

 『えっ!!』
 どぎまぎする私。
 それって、当の私にも説明できない心の動きでした。

 きっと、それまで一度も意識したことのなかった私の性がその
瞬間だけ、人生で初めてうずいたんだと思います。
 いくら外からの情報が無い私でも女の子としての身体が素直に
反応したわけです。

 もちろん、お父様が自分とは違う性であることは私だって幼い
頃から知っています。知ってはいますが、それを体で感じたこと
など一度もありません。この時が初めての経験でした。

 私はほんの一瞬顔を曇らせただけでしたが、でもそんな微細な
変化にもお父様は気づきます。

 「どうしたんだい?私の顔に何かついているのかな?」
 お父様の苦笑い。

 「んんん」
 私は首を振ります。
 そして……
 「何でもない」
 私は素っ裸でお父様に抱きつきます。

 この時、ほんのわずかに膨らみかけていた幼い胸の先がお父様
に触れます。すると、また、あの電気信号が起きました。
 でも、ヴィーナスの丘はスベスベで産毛だけ。若草もまだ萌え
だしていません。
 そんな体で私はお父様に体当たりします。

 「……(う・れ・し・い)……」

 いつものようにお父様に抱きしめられた時、さっきまであった
胸の痛みは消えうせ、いつもの安らぎが戻っています。

 ん~~~これって、ファザコンというやつでしょうかね?

 かもしれませんね。ただ私だけじゃなくうちの姉妹はみんなが
そうだった気がします。お母様がいない家にあってお父様という
のは力も優しさも兼ね備えた絶対的な存在なのです。いわば神様
みたいなものでしたから、誰もが逆らえないだけじゃなくて誰も
がその愛を目指すことになるのでした。

 『お勉強は大変だけど、ここでお父様に抱いてもらえるのは、
そんな辛い時間を我慢したご褒美』
 私はお勉強を当時そんなふうに考えていました。

 そして、そのフレーズはお仕置きの時も同じでした。
 『お仕置きは大変だけど、辛い時間を耐えたらお父様はきっと
次の瞬間は優しくしてくれる』

 実際、お父様は私の期待を一度も裏切りませんでした。
 お勉強もお仕置きも最後は必ずお父様の抱っこの中でハッピー
エンド。

 ですから、私にとっては膝の上でのお勉強も膝の上でうつ伏せ
になるお尻叩きも同じ出来事(?)。お父様から幸せを得るため
の儀式だったのでした。

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小暮男爵 < §3 >

小暮男爵

***<< §3 >>****

 その日は、夕食までは何も変わったことはありませんでした。
 五年生になってやっとお父様との添い寝から独立できた私は、
夕食の間じゅう一つ年上の遥ちゃんとおしゃべり。遥ちゃんとは
歳が近いこともあって何でも話せる間柄でした。

 ところが、それが一段落して、さて自分の部屋へ戻ろうとした
時です。私は家庭教師の河合先生から呼び止められます。

 「美咲ちゃん、お父様が何か御用があるそうよ。お父様、居間
にいらっしゃるから行ってちょうだいね」

 こう耳元で囁かれたものですから、す~っと頭の中から血の気
が引いていきます。

 『お仕置き!?』
 嫌な言葉が頭をよぎります。
 私に限らずそうなったことがたくさんありました。

 でも、行かないわけにはいきません。
 11歳の少女に逃げ場なんてありませんからそこは残酷でした。

 我が家の居間は、普段なら恐い場所ではありません。板張りに
ソファが並ぶ20畳ほどの洋間で、子供たちが自由にレコードを
掛けたりテレビを見たりします。

 おかげで少し騒々しい場所でもありましたが、お父様にとって
はそんな喧騒もまた楽しいみたいでした。
 ですから、よほどのことがない限り『うるさい』だなんておっ
しゃっいません。

 もちろん子供たちの出入りは自由。ただ我が家では、夕食後、
家庭教師の先生に居間へ行けと言われたら、それは要注意だった
のです。

 ここでは、お父様の耳元でパンパンに膨らました紙袋をパンと
破裂させても、ジャムがべっとり着いた手でお父様の襟を握って
も、お膝に乗って思いっきり跳ね回っても、それを理由に叱られ
ることはありません。
 ただ、無礼講のはずのこの場所も、子供たちにしてみたら天国
ではありませんでした。

 ここはお父様に愛撫されるだけの場所ではありまん。子供たち
はお仕置きだってここで受けます。

 たとえ高校生になった娘でも、お父様が命じれば妹たちがいる
この場所でパンツを脱がなければなりません。

 お父様は娘たちのお尻を素っ裸にして平手打ち。お浣腸やお灸
だってあります。
 ですから、この場所にはお尻への鞭打ちの際に身体を拘束して
おくラックやお浣腸、お灸などの用意もされています。

 私はこの居間でお姉さまの悲鳴を何度も聞きましたし、あまり
見たくありませんが、お姉さま方の大事な部分だって幾度となく
目の当たりにしてきたのでした。

 そんな場所に行くようにと河合先生に耳打ちされた私は心配で
たまりません。そこで、まずは入口から中の様子を窺いますが…

 「ほら、どうしたんだ。おいで」
 すぐに気づかれてしまい、お父様が私を中へ招きいれます。

 その顔はいつに変わらぬ笑顔でしたから、こちらも、ついつい
つられていつもと変わらぬ笑顔で部屋の中へ。

 お父様のお誘いにやがて駆け出すと、いつものように無遠慮に
ポンとその膝の上へ飛び乗ります。
 その様子はまるで飼いならされた仔犬のようでした。

 「おう、いい子だ、いい子だ」
 お父様はオカッパ頭の私の髪をなでつけ、その大きな手の平で
私の小さな指を揉みあげます。
 これもまたいつものことでした。

 『取り越し苦労だったのかもしれない』
 お父様がいつも私にやってくる愛情表現で接していましたから
そう思ったのです。

 でも、そこからが違っていました。

 「今日、お父さんね、河合先生と一緒に上杉先生に会ってきた
んだ」

 その瞬間『ギクッ』です。
 私は逃げ出したい思いですが、その思いは察知されて大きな腕
の中に抱きかかえられてしまいます

 『ヤバイ』
 私は直感します。でも、大好きなお父様の抱っこの中で、私は
おとなしくしているしかありませんでした。

 実はクラス担任の上杉先生と私はあまり相性がよくありません。
 だって、あの先生、友だちの上履きに押しピンを立てただけの
軽~い悪戯まで取上げて、まるで私がその子を虐めてるみたいな
ことを言いますし、テストの点が合格点にわずかに足りないだけ
で放課後は居残り勉強です。

 私にとってはこの先生の方がよっぽど『私をいじめてる』って
感じがしていました。

 「上杉先生、心配してたよ。美咲ちゃんは本当はとってもいい
子のはずなのに、最近、なぜか問題行動が多いって……」

 「モンダイコウドウ?」

 「例えば由美子ちゃんの体操着を隠したり、里香ちゃんの机に
蜘蛛や蛇の玩具を入れたり、瑞穂ちゃんの教科書に落書きしたの
もそうなんだろう?……昨日も男の子たちと一緒に登っちゃいけ
ないって言われてる柿の木に登って落ちたそうじゃないか。幸い
怪我がなかったけど、柿の木の枝は急に折れるから危ないんだ」

 「うん、わかってる」

 「分かってるならやめなきゃ」
 か細い声で俯く私の頭をお父さんは再び撫でつけます。

 自慢のストレートヘアは友だちにもめったに触れさせませんが、
幼い頃から習慣で慣れてしまったのか、お父様だけはフリーパス
でした。

 「でも、由美子ってこの間体育の時間に私の体操着引っ張って
リレー一番になったんだよ。あの子、いつもずるいんだから……
里香だってそう。宿題のノート見せないなんて意地悪するから、
私もちょっとだけ意地悪しただけだよ。……瑞穂の教科書は違う
わよ。あれはあの子がミミー描いていいよって言ったから描いて
あげたの。私が勝手に描いたんじゃないわ。そしたらさ、あの子、
それが自分の思ってたより大きかったから騒ぎだしちゃって……
先生には叱られるし、ホント、こっちの方がよっぽど迷惑してる
んだから」

 私はさっそく反論しましたが……
 「…………」
 見上げるお父様の顔はイマイチでした。

 「それだけじゃないよ。学校の成績も、いま一つパッとしない
みただね。朝の小テストは今週三回も不合格だったみたいだし」

 「あれは……」

 「あれは宿題さえちゃんとやっていれば誰にでもできるテスト
なんだだよ。……不合格ってのは宿題をやってないってことだ。
……違うかい?」

 「それは……先生もそう言ってた」

 「それと……単元ごとのテストは、合格点が何点だったっけ?」

 「80点」

 「そうだね。でも、美咲ちゃんのは、ほとんどが80点以下。
河合先生も最近は勉強に集中していないみたいだって……何か、
やりたくない理由があるのかな」

 「……そういうわけじゃあ……」
 私は即座に何か反論したかったのですが、ちょっぴり考えると
そのまま口をつぐんでしまいます。

 いえね、この頃は近所の男の子たちと一緒に遊ぶことが多くて、
それが面白くて仕方がなかったんです。だけど、男の子たちって
やたら動き回るのが好きでしょう。家に帰る頃にはくたくたで、
もう何をする気にもならないんです。勉強どころじゃありません
でした。

 でも、それを言ってもお父様は納得しそうにありませんから。

 そもそも、うちはお姉さまたちがいけないんです。みんな揃い
も揃って秀才ばかりですからね、何かと比べられるこちらはいい
迷惑でした。

 「樹理お姉さまはあなたの歳には3年先の教科書をやってたわ」
 とかね。
 「遥お姉さまがこの問題を解いたのは2年生のときよ。凄いで
しょう。誰かさんとは大違いね」
 なんてね。
 河合先生にいちいち比べられるのもしゃくの種でした。

 それに、お父様の顔色を窺うと……
 『どうして、お前だけできが悪いんだ』
 って言われそうなんで、強いプレッシャーです。

 「まだ、あるよ。これは上杉先生も笑ってらっしゃったけど。
この間の家庭科の宿題。あれはみんな樹理お姉ちゃんに作っても
らったんだろう?」

 「えっ!……あっ……いや……そ……そんなことは……」
 私は心細く反論しますが……実はそんなことがあったんです。

 「美咲ちゃん本当のことを言わなきゃだめだよ。お父さん嘘は
嫌いだからね」
 お父様に諭されると……

 「うん」
 あっさり認めてしまいます。
 私はもの凄く不器用で縫い物はいつも高校生の樹理お姉ちゃま
を頼っていました。樹理お姉ちゃまはやさしくてたいていの事は
やってくれましたから頼み甲斐があるんです。

 「他人に作ってもらった物を提出するのも、これはこれで先生
に嘘をついたことになるんだよ。宿題は下手でも自分で仕上げな
きゃ。そんなこと、わかってるよね」

 「はあ~い」
 私は消え入りそうな声を出します。
 でも、心の中では……
 『わかってるけど、できませ~~ん』
 でした。

 そして、その心根を隠すように顔はお父様の胸の中へと消えて
いきます。

 これって、甘えです。
 お父様と私は施設から連れてこられて以来ずっと大の仲良し。
こんなに体が大きくなった今でもお父様はまるで私を幼女のよう
な感じで抱いてスキンシップします。

 これって、慣らされちゃったってことなんでしょうけど、私も
また、そんなお父様の抱っこが嫌いじゃありませんでした。

 『お姉さまの誰よりもお父様は私を可愛がってくださってる』
 そう確信していた私はお父様に嫌われたくありませんでした。
お父様の命令には何でも従いますし、なされるまま抱かれると、
たまにその手がお股の中にも入り込むことがあってもイヤイヤを
したことがありません。
 むしろ知らず知らず甘えた声を出してはお父様に抱きつきます。

 でも、そんな蜜月も終わろうとしていたのです。
 
 「美咲ちゃん、こっちを向いてごらん。これから、大事な話を
するからね」
 お父様はご自分の胸の中に沈んだ私の顔を掘り起こします。

 「お父さん、いつまでも美咲ちゃんが赤ちゃんだと思って来た。
正確に言うと、赤ちゃんのままでいて欲しかったんだ、だから、
これまでは何があっても河合先生に『あの子はまだ幼いから……』
って言い続けてきたんだけど、これからはそうもいかないみたい
なんだ。これからは甘いシロップばかりじゃなくて、時には苦い
お薬も必要なのかもしれないなって思ってるんだ」

 「えっ!?私、お薬飲むの?」

 「はははは、そうじゃないよ」
 お父様は大笑います。

 でも、私は分かっていました。お父様の言う苦いお薬が、実は
お仕置きの意味だということを……でも、とぼけていたのです。

 お父様のお家の同じ屋根の下にはたくさんの姉たちがいます。
 その姉たちがどんな生活をしているのか。
 その扱いが自分とはどう違うのか。
 五年生にもなれば大体の事はわかります。
 そして、そんな特別待遇がいつまでも続かないこともこの歳に
なれば理解できるのでした。

 お父様と顔を合わせるたびに抱っこされてきた私。これまでは
何をやらかしてもお父様の懐に飛び込めば誰からも叱られません
でした。
 そんな私も、これからはお姉さまたちと同じ立場で暮らさなけれ
ばならなくなります。

 「これからしばらくはお父さんの部屋で一緒に暮らそう」
 お父様の言葉はその最初の一歩を刻むもの。
 ですから、私は戸惑いながらもイヤとは言いませんでした。

 私が観念したのが分かったからでしょうか。
 「最初は辛いことが多いかもしれないけど、美咲もいつまでも
赤ちゃんというわけにはいかないからね」
 お父様は宣言します。

 お父様の大きな顔が同意を求めて迫ってきました。

 絶体絶命のピンチ!
 でも、私は頷きます。

 『…………』
 
 この家で育った幼女が一人前の少女として認められる為の試練
の一週間。
 他のお姉さまたちはもっと幼い頃に済ましてしまった儀式を、
私はこの時初めて受け入れたのでした。

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小暮男爵 <§2>

小暮男爵

***<< §2 >>****

 小暮家にやって来てからというもの私は一日の多くをお父様の
抱っこの中で過ごしていました。
 私がそう望んだというのではなく、リタイヤしたお父様が暇を
もてあましていて幼い私を手離そうとしないのです。

 私は独りになりたくてイヤイヤしたことが何度もあったようで
すが、そんな時でも一時的に河合先生が預かるだけで、またすぐ
にお父様の腕の中に戻されます。

 最初の頃はお遊びの時間はもちろん、食事、お風呂、おトイレ
……すべて一緒の暮らしだったのです。
 こちらはそうした生活に無理やり慣らされた感じでした。

 3歳という年齢を考えればそうしたこともそう不思議でもない
のかもしれませんが、幼児期を過ぎてもお父様は私を離しません。

 お父様は昼間ゴルフに出かけたり書斎で書き物をしたりという
生活でしたが、その場所にもお父様のお人形として私は参加して
いました。そんな時は河合先生が私の面倒をみるお母さん役です。

 『お父さんといつも一緒なんだから楽しそう』ですか?

 いえいえ、そこはそんなに快適な場所ではありませんよ。

 お父様が私を抱く時、そこはゴツゴツとした岩のような筋肉の
ベッドですし、まるで束子のような顎鬚が頭や顔にチクチク当た
ります。おまけに、男性特有の体臭が四六時中まとわりつきます
から、母親に抱かれるような優雅な世界ではありませんでした。
 幼児にとってはむしろ過酷な場所。ありがた迷惑な世界だった
のです。

 ただ、いいこともありました。
 そこはこの小暮家にあっては最も安全な場所だったのです。

 というのも、小暮家の娘たちなら避けて通れないお仕置きが、
お父様に抱かれている私には一度もありませんでした。
 そりゃあそうでしょう。お父様に四六時中抱かれている私は、
この家では赤ちゃん扱い。そんな赤ちゃんに、体罰を仕掛ける人
なんて誰もいませんから。

 その一方で人畜無害だと考えられていた私が、お姉さまたちの
お仕置きを見学することはよくあります。

 小暮家の厳しいお仕置きでは、お父様の前でパンツを脱ぐのは
当たり前。お臍の下を裏表しっかりチェックされた上に、その中
までも検査されます。

 そうやってから平手や竹の物差しでお尻が叩かれ悲鳴があがり
ます。時には女の子全員を集めてその前でお仕置きなんてことも。
 小暮家では女の子にお浣腸やお灸がなされることもありました
から、その恥ずかしさは半端ではありませんでした。

 今なら虐待ということなのかもしれません。
 理由なくはやりませんが、お父様が決断すると、それは厳しい
ことになります。
 私はそれを訳もわからず楽しく見学していました。

 それがいったいどれほど痛いのか、どれほど恥ずかしいのか、
そもそもお仕置きされたことのない私にはわかりません。
 幼児は気楽なものです。お姉さまの悲鳴や悶絶にも笑顔や拍手
で答えます。
 お父様の腕の中から見るお姉さまたちのお仕置きは、幼い私に
は退屈しのぎ見せ物(ショー)だったのでした。


 さて、それではこの小暮家の娘たち、いったいどんな時にお父
様からお仕置きされるのでしょうか。
 これには、だいたい四つのパターンがありました。

 『宿題や勉強を怠ける』
 お父様は女の子だから学問はいらないとは思っていませんから
成績が落ちるとお仕置きです。

 『嘘をつく』
 特に自分を守る為の嘘は最悪の結果でした。

 『お父様や学校の先生、家庭教師、お姉さまなどはもちろん、
庭師や下男、賄いのおばちゃんに至るまでおよそ自分より年長の
人は全て私たちより偉い人というルール』
 家の娘なんだから使用人の名は呼び捨てで構わないなんていう
お嬢様ルールはここにはありません。目上の人は誰であっても、
『○○さん』とさん付け呼ばなければなりませんでした。

 そして、お父様が何より気にしていたのが兄弟の仲でした。
 『兄弟げんかは理由のいかんに関わらずタブー』
 取っ組み合えば無条件で悲鳴が上がるほどのお尻叩きです。
 おまけに年長の子は年下の子の面倒をみさせられます。特に、
その子をいじめたりしようものなら、その結果は悲惨というほか
ありませんでした。

 もちろんそれってお父様がなさるお仕置きなんですが、私には
それこそが究極の弱い者虐めだったような気もします。
 お父様が怒るとそのくらい厳しいお仕置きでしたから。


 さて、そんな本格的なお仕置きが開始されるのが、この家では
10歳から。それ以前にもお仕置きはありますが過激なお仕置き
はありません。
 河合先生がご自分の判断でお尻叩きをすると驚いた子どもたち
がお父様の処へ逃げ帰るというのがあるくらいです。

 それが10歳を過ぎると状況が一変します。お父様がご自身で
判断して子供たちにお仕置きをなさいます。
 それって河合先生の時とは違い、子たちたちにしてみたらとて
も重いものだったのです。

 ただそれに先立ち、子どもたちはお父様へ一通の誓約書を提出
しなければなりませんでした。

 『もし約束を破ったらどのようなお仕置きもお受けします』
 簡単な誓約書は、しかしその後、長く私たちを縛り付けます。

 私も他の姉妹と同じように10歳になった時に誓約書を書いて
います。

 「いいかい美咲。この誓約書は、これから先、お前が児童施設
で暮らしたいのなら、いらないものだから書かなくていいんだよ。
どうするね。施設へ帰るかね」

 お父様はその時わざわざこんなことを言います。でも、その時
私は児童施設へ帰るつもりなんてありませんでした。
 私だけじゃありません。恐らくこの誓約書のせいで児童施設へ
帰る決断をした子は一人もいなかったと思います。

 私は、すでにお父様の実の子でないことを知っていましたが、
私には目の前にいるこの人以外に愛された経験ありませんから、
この人が世界で一番大事なお父様ですし、ちょっぴり口うるさい
ですけど、お父様と一緒にずっとずっと私の世話を焼いてくれた
河合先生がお母様です。
 もちろん、お姉さまともこのお家とも離れたくありませんから
答えは簡単だったのです。

 むしろ……
 『なぜ、そんなことわざわざ聞くんだろう。……ひょっとして、
お父様、私のことが嫌いになったのかしら……』
 なんて、余計な心配までしました。

 でも、お父様は私が誓約書を提出すると、まるで何事もなかっ
たかのように私を膝の上に抱いてあやし始めます。
 10歳にもなった少女と赤ちゃんごっこを始めるわけです。

 でも、そんなお父様に私の方も不満はありませんでした。
 女の子は何かにつけてお付き合いが大事ですからね、お父様が
望むなら私だって赤ちゃんとして振舞います。
 幼い頃やったおママゴトの延長ですから難しいことは何もあり
ませんでした。

 ガラガラが振られると笑い、おじやの入ったスプーンが目の前
に現れれば口を大きく開けて受け入れます。お風呂でもお父様が
私の服を全部脱がせて一緒に湯船に浸かり、流しで身体を隅から
隅まで洗ってもらうなんてことも……

 ある日突然こうなったわけではありません。歳相応という言葉
を知らないお父様によって、この時代は赤ちゃん時代からの習慣
がたくさん持ち越されていたのでした。
 お父様にしてみたら幼児も赤ちゃんも同じだったのでしょう。

 そして、こうしたことに抵抗感を示さない私はお父様の信用を
勝ち取っていきます。

 この時、お父様はすでに70歳近く。これまでも多くの女の子
たちを施設から引き取ってきましたが、さすがにこれ以上は無理
ということで私が最後の里子となっていました。
 つまり、私より年下の子はもうこの館へ来ないわけですから、
ずっと私がお父様のお膝を独占できるわけです。

 そんな事もあってお父様は私を幼女のままで育てたかったんだ
と思います。でも河合先生がそれを許さないので仕方なく誓約書
を取り出したという感じでした。

 そんな事情から、誓約書を提出した後も四年生の間は今までと
何ら変わらず私はお父様の赤ちゃんとして過ごすことになります。

 でも、五年生になって、とうとうその時が……
 お父様の家で暮らす少女なら避けて通れない試練の時が訪れた
のでした。

 小五から中一にかけて、大人たちはありとあらゆる機会を使い
子どもたちを躾けようとします。言いつけに背く子は無条件で罰
します。きついきついお仕置きは歳相応とはいえないほどの体罰
です。
 それがこれからはお姉さまたちだけでなく、お父様から寵愛を
受けていた私にも例外なく降りかかるのでした。

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小暮男爵 < §1 >

小暮男爵

***<< §1 >>****

 その日、私は孤児院の庭で大きな木にぶつかりました。
 見上げると雲衝く様な大男が私を見下ろしています。
 私は不安げに笑いましたが……すると、三歳になったばかりの
私はいきなりその大男に抱きかかえられます。

 それが、男爵様との最初の出会いでした。
 そして、その時、地面を離れた足が再び施設の土を踏むことは
ありませんでした。

 私は男爵に抱きかかえられたまま孤児院の園長先生にお別れを
言い、そのまま黒塗りのシボレーに乗せられます。

 いきなりの環境の変化。でも、私は泣かなかったそうです。
 私は男爵様の膝の上でまるで何事もなかったかのように変わり
ゆく車窓の景色を眺めていました。

 そうやって連れて来られたのは横浜の山の中にあった男爵様の
別荘。
 別荘と言っても、そこが男爵が住まう家であり、私たち養女、
養子たちが生活する家でした。

 その建物に入り居間のソファまでやって来て私はようやく足を
地面に着けることができます。
 「いいかい、ここが今日からお前の家だ。まずは兄弟(姉妹)
たちを紹介しようね」

 男爵はそこにずらりと居並ぶ新しい兄弟を紹介していきます。
 ただ、いきなり起こった変化の中で私はそれを理解することが
できませんでした。きっと、紹介された十人の兄や姉たち、その
誰一人覚えることがなかったと思います。

 ただ、誰かが……
 「もっと可愛い子かと思ってた」
 という問いかけに男爵が…
 「可愛いじゃないか。何よりこの子は芯が強そうだ。車の中で
一度も泣かなかった」
 と言われ、お父様から頭を撫でられたのを覚えています。

 次は突然のことでした。

 『あっ』
 私はパンツを脱がされるとまるで岩山のような男爵の膝の上に
腰を下ろします。どうやら、その場でお漏らしを始めたようで、
周囲の大人たちが慌ててタオルや替えのパンツを用意し始めます。

 でも、そのことに私は慌てていませんでした。
 というのも、当時の施設ではパンツが濡れたまま遊んでいる子
なんて珍しくないからです。

 「乾くまで待ってればいいのに……」
 私が思わず発してしまった言葉に、周囲はどん引きしてしまい
ます。
 が、男爵様だけはそれを笑っています。
 私もそんな男爵様の顔を不思議そうに見ていました。

 そんな物怖じしない性格が気に入ったのか男爵様はノーパンの
私をさらに強く引き寄せ優しく頬ずりを繰り返します。

 実はこの男爵様、ペドフィリアの傾向があって、子どもたちも
その性癖を満足させるためにここに集められていたのでした。
 口の悪い人たちが『子供妾』と呼ぶあれです。

 ですから養女と言っても、私たちに男爵の財産を相続する権利
はありません。ただ、食べさせてもらい、着させてもらい、住ま
わせてもらうだけ存在なのです。

 そうですね、報酬らしいものといえば……しっかりとした教育
を受けさせてもらった事とお婿さんを探してもらった事くらいで
しょうか。

 そうそう『男爵様と知り合い』というのも社会に出てから結構
役に立ちました。おかげで、大人になってからも路頭に迷うこと
なく暮らせましたから、そういった意味での報酬はあったみたい
です。

 ただ、男爵はみずからの性欲の満足のために子どもたちを受け
入れているわけですから、実のお子さんのように『蝶よ花よ』と
いうわけにはいきません。
 私たちの生活は沢山の規則で縛られていて、些細な罪も厳しい
体罰で精算することになっていました。

 痛い罰、恥ずかしい罰もここでは日常茶飯事です。
 ですが、不条理な罰はありませんでした。

 罰には立派な理由がついていて、規則どおりに暮らしていれば
体罰の心配はありません。
 それができない時に厳しいことになるというわけです。

 ただ、そうは言っても相手は子ども。大人とは違い、分かって
いても色んなことをやらかします。
 おかげで、どんなに注意深く慎み深く生活している子どもでも、
二週間、三週間、いえ一月に一度は必ず男爵家のお仕置き部屋で
泣き叫ぶことになるのでした。

 いえ、事は家庭だけじゃありません。
 ここでは学校も同じでした。

 養女となった私たちが通う学校はお父様と同じ性癖を持つ方々
が資金を出し合って作った小学校や中学校。よって、お仕置きも
毎日の恒例行事です。何しろお父様たち公認なんですから幼い子
にも容赦はありませんでした。

 お父様たちに協力的な先生方のもと、子供たちは色んな理由を
つけられてぶたれます。まるで森でさえずる小鳥たちのように、
子供たちの悲鳴が毎日人里離れた山の中に響きます。

 それだけじゃありません。一歩敷地の中に入り込めば、他では
絶対に見られない破廉恥なお仕置きが目白押しでした。

 もちろんここも文部省が認可した正規の私立学校ですよ。でも
ここへ入学できるのは、特別な性癖を持つお父様方の子供たち
だけ。
 クラスメイトだってつまりは同じ環境なわけですから、私たち
には比べるものがありません。つまり私たちは自分たちのことを
ことさら不幸と感じたことはありませんでした。

 住めば都という言葉があるように、私たちにとってはこの山里
がふるさと。男爵様の家が我が家。学校もその一部にすぎません。

 『男爵様が用意してくれた広い広い庭でみんな暮らしている』
 そんな感じでしょうか。
 すべては男爵様の手の中にあったのかもしれませんが、それで
十分幸せでした。

 厳しいお仕置きがあると言っているのに幸せだなんて、不思議
ですか?変ですか?

 だってどんなに厳しいお仕置きがあったとしてもそれは生活の
中のほんの一コマ。大半の時間は優しいお父様にたっぷり甘えて
暮らしていましたから私的には幸せ感の方が大きいんです。
 お仕置きがあってもなくても、施設がここよりいい所のはずだ
なんて思ったことは一度もありませんでした。

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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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