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<実録>お仕置きとしてのお灸 ~ 追記 ~

<追記>
 kkさんnaoさんコメントいただきありがとうございました。

 実は、僕、偉そうなこと言ってますが、お灸を自分で経験した事が
ほとんどありません。過去に母から一度だけ手の甲に据えられた事が
ありましたが、大半は『そんなことしてるとまたお灸すえるわよ!』
という脅しだけで仏間に引っ張っていかれて艾とお線香が用意される
と、そのあとはお説教だけというのがごく普通のパターンでした。
 熱い経験はたった一度ですが、それでもお線香に火がつけられると、
その立ち上る香りに今でも緊張します。
 しかもこのお線香の香り、メーカーによって香りに違いがあります
からメーカー指定です。私の場合最王手のN社じゃいけなくてK社の
あの香りでしかこの緊張感は得られません。
 『この場所、この香りの時、ものすごく熱いことされた』
 私の脳はその時の雰囲気を香りで覚えています。
 そういえば、この世界の重鎮Q太さんはかつてこの緊張する香りが
自分の場合はマッチすった時の残り香だっておっしゃってましたっけ。
 いずれにしても幼児体験というのは怖いものだと感じます。
 一罰百戒ということなんでしょうか、僕の家だけでなく他の家でも
お灸のお仕置きはそうそう頻繁に行われるわけではなく普段は脅しで
止めてしまうのが普通だったみたいです。
 ですから実際にお灸のお仕置きをやっているところへ出くわすのは
かなり低い確率のはずなのですが、人間、念ずれば通ずってことなん
でしょうね、だんだん鼻がきくようになります。
 当時、私の嗅覚は世間の人が『そんなの絶対ウソだあ~~』と叫ぶ
レベルでした。我が子の嘘に敏感な母親の勘と似ていていかに本人が
否定しようとも見抜いてしまうところがあるんですよ。
 もちろん、だからといって……
 『僕は、君がお仕置きされてる様子を見るのが大好きなんだ』
 なんて言えませんからね、冷静に素知らぬふりで過ごしていました。
 俗にいう『むっつりスケベ』というやつです。
 それでもまだ幼いころは親たちが気を許してくれていてよかったの
ですが、いくらオープンで牧歌的な時代とはいえ一定の年齢を超える
と、親だって警戒します。加えて肝心のお灸そのものが世間で下火と
なりましたから、気が付けば実際の現場を見る機会なんて滅多になく
なっていました。
 というわけで、青春期は心の奥に秘めるだけでおとなしくしていま
したが……ある失恋を期に心の充足感を求めて昔の思い出話が復活。
 現実の世界から虚構の世界へとフィールドも変化します。
 最初の頃は自分の心にフィットするものはないかと街の書店を徘徊
する日々でしたが、あまりに狭い範囲の趣味なのでぴったりくるもの
がなかなか見つからなくて……それで、最終的には自分で書いてみる
ことになったんです。
 ただこの小説、困ったことに書き始めると頭の中ではあっという間
に完結してしまいます。外に発信させる目的ならそれでも完結させる
べく努力もしますが、ブログと言っても私の場合はもともと自己満足
ですから、『今回は面白い夢がみれたなあ~~』と思えばそれでOK。
それ以上続ける意欲がなくなっちゃいます。
 つまり私の小説が書きだしだけなのはそういう理由なんです。

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<実録>お仕置きとしてのお灸 ~ ケース3 ~

<実録>お仕置きとしてのお灸

<ケース3>

 私の家には内風呂がありましたから、普段はその風呂を使っていた
のですが、内風呂はどうしても狭いので窮屈。そこで月に2、3度、
お風呂屋さんを利用することがありました。
 何しろ大きなお風呂場は解放感がありますし、ここにはいろんな人
が訪れますから人間観察という意味でも楽しみでした。あ、もちろん
風呂上がりのコーヒー牛乳も格別でしたよ。
 そんなお風呂で出会ったのですが、おっそろしく灸痕のでかい人が
いました。背骨を挟んで二列に並んだお灸痕は圧巻で、そうですねえ、
直径が今の五百円玉くらいあったように思います。
 入れ墨じゃありませんけど、正直、怖かったです。
 『誰なんだろう?』
 と思っていると、連れの子供を見てわかりました。
 その子、私の家の近所にあった乾物屋さんの男の子だったのです。
 あ、私、今、思わず男の子なんて言いましたけど、実際は彼の方が
二つ三つ年上。しかもその彼の背中にもすでに立派な灸痕が備わって
いました。
 実はこれ、お仕置きでできたのではなくあくまで病気予防というか
施術。昔は…(といっても戦後のことですよ)国民皆保険がなかった
ので治療費が高額。庶民は病気が重くならないと病院へは行きません
でした。
 でも、庶民だって病気はしますし病気は治したい。痛みは取りたい
ですよね。そこでその代わりとなったのがお灸だったんです。誰かに
習ったツボの位置をたよりに薬局から艾を手に入れて自分なりに施術
していたみたいです。
 ただ、医者が出す新薬と違ってそんなに劇的には効きませんから、
何度も据え直すことになります。すると、長い間には火傷も成長して
五百円玉になるみたいでした。
 もちろん誰もがそんな大きな灸痕を残していたわけではありません
が、少なくとも体に良い事をしているという自覚はありましたから、
子供のお仕置きにはちょうどよいと考えたのでしょう。
 弘法大師以来の長い伝統(=お灸は弘法大師が広めたという俗説が
あるんです)もありますし、多少火傷の痕が残っても親の方の罪悪感
はほとんどゼロに近かったんじゃないでしょうか。
 というわけで、昔の子供は治療とは別にお仕置きとしてお灸をすえ
られた経験が少なからずあったみたいです。
 ちなみに、お灸は関西圏では『やいと』と呼ばれ、関東よりむしろ
盛んでした。とりわけ中国地方の山間部では子供が二歳になると親が
専門家の処へ連れて行って灸点を下ろしてもらっていた、という話を
聞いたことがあります。こうした処では病気になってもすぐに医者の
手配がままなりませんから日頃は民間療法だけが頼り。お灸はそんな
地域で暮らす人々にとってはいくつもある民間治療の大事な柱の一つ
だったみたいです。
 とはいえケロイド状の皮膚を背中に晒して大人にならなければなら
ないのは、さぞや辛いだろうなあと思っていましたから当人に尋ねて
みますと、まったくといっていいほど気にしている様子がありません
でした。
 『生まれた時に貧乏人の家か金持ちの家かは選べないし自分の場合
はこんな家に生まれたからこうなっただけ。顔かたちと同じだよ』
 と、淡々としたもの。多少、彼を憐れんでいたところがあった私は
恥ずかしい思いでした。
 幸不幸は結局のところ主観的な判断。親が子供と真摯に向き合って
育てていれば子供はそんな親との絆を大切にするでしょうし、恨みを
持つこともないはずです。
 よく『お仕置きすると子供の心が傷つく、それが連鎖する』と言う
人がいますが、私は、子供の心が傷つくことをあれこれ恐れるより、
それをどうやって癒してあげられるか、それが親の責任だと思います。
だって、心が傷つかずに大人になる子供はいないでしょうし、いたら
その子は大きなハンディを背負って社会に旅立つことになります。
 心の傷は確かにそれだけ見ればマイナスですが、治してしまえば、
それが人を成長させ、他人に対しても優しく接することができる能力
になります。ですから親が真に子供の成長や幸福を願って接する限り、
それがどんなお仕置きであっても私は必ずしも罪悪ではないと思って
いるのです。

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<実録>お仕置きとしてのお灸 ~ ケース2 ~

<実録>お仕置きとしてのお灸

<ケース2>
 ケース1は中一の子でしたが、これ以上年齢が上の子がお灸をすえ
られてるところは見たことがありません。
 何しろ銭湯の女湯に小五の男の子が混じっていても誰も注意しない
時代ですからね、今からみればいろんな意味で自由な時代でしたが、
それなりに親にも分別がありますから、それから先はさすがにヤバい
と考えて用心していたのでしょう。
 ただ、そうやって上はダメでも下の年齢はというと、これにはほと
んど制限がありませんでした。ですから幼稚園児のお仕置きヤイトと
いうのは結構見物させていただきました。
 そんな中で、今でも一番鮮明に覚えているのは、やはり恵美ちゃん
事件でしょうかね……
 頃は五月、これもケース1と同じように友達と遊んでいるさなか、
きっかけは偶然だったんです。
 当時、近所に木造アパートがあったんですが、そこの裏庭は子ども
たちの格好の遊び場になっていました。
 道路でチャンバラやってて親たちから『危ない』と言われこちらへ
移ってきた直後です。
 幼い子のけたたましい鳴き声がしますから、男の子ばかり四五人が
そこへ行ってみると、震源地はアパート一階の窓。そこの窓は低くて
小二のガキでも容易によじ登れるくらいの高さでしたから、さっそく
みんなチャレンジします。僕もその一人でした。
 すると、そこにはちょっぴり衝撃的な光景が……
 よじ登ったはいいが最初は全員何も言いませんでした。
 「あら、いっぱい来たのね」
 最初に口をきいたのはその子のお母さん。何でも看護婦さんなんだ
そうですが、お父さんはいません。母一人子一人の母子家庭だったの
です。
 その一人娘の恵美ちゃんはこの時四、五歳ぐらいでしたか、普段は
とっても明るい子で、この庭でも近所のお姉さんたちと一緒に遊んで
いましたからよく知っています。
 でも、その時の様子はちょっと異常だったのです。
 仰向け大の字でお母さんに押さえつけられ下半身素っ裸でしたから。
 当然、可愛いワレメなんかもばっちり見えていますが、お母さんは
それを気にしている様子はありませんでした。
 そればかりか……
 「これから、恵美ちゃん、おいたをたくさんしたから、お灸をすえ
られるのよ。あなたたちも悪戯ばっかりしているとどうなるかわかる
から、見ていきなさいな」
 と、娘のお仕置きを見ていくよう僕たちに勧めたのです。
 お母さんの手には、この時すでに火のついたお線香が……
 「いやあ~~~ごめんなさいするから~~~」
 恵美ちゃんは僕たちがやってくる前からも必死の懇願を繰り返して
いましたが……
 「だめよ、恵美、ごめんなさいは聞き飽きました。あなたにはもう
一度アッツイのをしないとわからないんだから……さあ、いつまでも
ギャーギャー泣かないの。いつまでそうやって泣いてても今度という
今度は許しませんからね」
 お母さんは完全にやる気ですから、悪ガキたちにとってもそりゃあ
ショックでした。
 実際、悪ガキたちのほとんどにお灸の経験がありますから、それが
いかに熱いか実感があります。
 所詮は他人事と冷ややかに見てもいられませんでした。
 そして、小さなヴィーナス丘(恥丘)に、これまた小さな艾が乗せ
られ、脅しじゃないことが始まります。
 「ぎゃあ~~~~」
 火が回ると恵美ちゃんのボルテージがさらに一段とヒートアップ。
 「………………」
 その間、悪ガキたちの中からは誰一人声がでませんでした。
 それって、他人の不幸を面白がってというんじゃありません。鬼気
迫るお母さんの迫力に見入ってた、そんな感じだったのです。
 すえられたのは自分じゃないし、艾だって小さくて、お線香の頭と
たいした違いがありません。火をつけたらすぐ終わってしまう程度の
ものなんですが、それでも幼い子たちにしてみたら地獄の断末魔って
感じで、あれで六つもすえられちゃいましたか、終わると恵美ちゃん
はぐったりです。
 普段ならここぞとばかり囃し立てたりする悪ガキたちなんですが、
この時ばかりは固唾をのんで見守って最後まで声が出ませんでした。
もともと仲の良い親子ですからね、その意味でもショックだったんで
しょう。
 今、親がやったら児童相談所ですかね。(笑)
 でも……
 この時は招かれざるお客の乱入で思わぬ公開処刑となりましたが、
普段の生活でも親たちは、人の目のない処を選んで子供を連れ込み、
子供が泣こうがわめこうがいっこうにお構いなしにお仕置き、なんて
こと、珍しくなかったんです。
 べつに恵美ちゃんちだけが特別ということではありませんでした。
 『あそこは子供を甘やかし過ぎてる』なんて批判されてる我が家に
おいてさえ、そんなことが何度もありましたから。
 親だって人間ですからね、積もり積もったうっぷんがその瞬間一気
に子供へ向く時だって、そりゃあありますけど、昔はお仕置きという
親がガス抜きするための大義名分がありましたからね、逆に、あまり
大きな事件には発展しなかったみたいです。
 今は核家族の時代(私は周囲の人たちとの関係が希薄なので孤家族
と呼んでいますが)親身になって相談できる人にも恵まれてませんし、
何より今の人は全ての事に対して生真面目にものを考え過ぎるような
気がして…それがかえって親子の溝を深めているように感じるんです。
 『子供は大人のおもちゃ。でも、おもちゃだからこそ愛されもする
し、育ててももらえる。これが何一つとっても逐一議論しなきゃなら
ない難しい相手だったとしたら、あなたはその子を愛せますか?』
 こんなこと言うと、今の世の中、白い目で見る人も多いでしょうが、
これは親の本音だと思いますよ。
 愛されて育つ子供は、お仕置きの理由づけに多少の無理があっても
親についていきます。逆に、どんな立派な理屈で説得されても、親が
自説に酔っているだけなら、子供の心は空虚なままでしょう。
 お仕置きの効果は親が怒っていたという事実だけ。理屈なんてない
のかもしれませんが、沸騰しているやかんにほんのちょっと指を触れ
させて『これは熱いんだよ』と実感させる。
 お仕置きの役割は、こういうことだと思うんです。

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<実録>お仕置きとしてのお灸 ~ケース1~

      <実録>お仕置きとしてのお灸

 <ケース1>

 被害者は中一の女の子(今はもう70歳くらいになっているはず)
 僕はその子の弟と外で遊んでいたが、何らかの事情でその子の家で
遊ぶことになった。
 つまり、その子にとっては『ただいま』というわけだ。
 ところが、家に上がり込むなり、どうもそこにはただならぬ気配が。
 ぶっちゃけ、その子のお姉さんが正座させられていて、どうやら
お母さんから叱られている様子。
 僕はお姉さんのしょげかえった様子から直感的に『これはお仕置き
の前だな』と思った。(終わったあとなら、もっと疲れた顔になって
いるからだ)
 こういう場合、世間の親たちの常識的な判断は、『あなたたち、
もう一度、お外で遊んでらっしゃい』となるのが普通だった。
 だって、いくら幼いといっても僕たち男の子だからだ。
 ところだが、その時は違っていた。
 「いらっしゃい」という声とともにそのままお母さんがその子の手
を引き、隣の部屋へと移っていったのだ。
 ここで襖を閉めてしまえば、僕にとっても事はそんなに大きな事件
とはならないはずだった。何度も言っているが当時の親の常識では、
お灸は残虐非道な折檻ではなく、あくまで子どものためを思ってやる
お仕置きなのだから別に隠れてやっていたわけではない。胸を張って
やっているのだ。
 だから、女の子だってそこは必ずしも例外とはならないわけで……。
 人目をはばかりつつも灸痕の目立たない場所を選んでやっていた。
 だから、お母さんが移った隣の部屋でお仕置きとしてのお灸がすえ
られていたとしても、それは事件ではない。
 ただ、問題は、僕たちが遊ぶ部屋から退去した後、故意か偶然か、
二つの部屋を仕切る襖がいくらか開いているということだった。
 結果、僕たちが遊んでいる部屋からも隣の部屋の様子が垣間見える
わけで……たぶん、わざとそうしたんだと思う。
 つまり、お母さんの思いは公開処刑。
 ちなみに、小三当時の僕には性欲というものがまだなく、お姉さん
の白い背中にお灸が二列で据えられていくのを見ていても、それは、
たんに『かわいそう』と思うだけだった。
 だから、この時唯一鮮明に覚えているのは、お姉さんが当初ピンク
のブラをしていたことぐらいだろうか。
 ただ、このピンクのブラこそがこの日のお仕置きの原因だったのだ。
……その事実は後で知ることになる。
 今の子たちにすれば『女子がブラをして当たり前じゃん』と思うん
だろうけど、僕が子供だった頃(だから半世紀以上前のことだけど)
僕の田舎では誰もが当然にブラを身につけられるわけではなかった。
 発育状態が今より遅いということもあるとは思うけど、乳バンドを
許されるのは体育の授業の時だけ。それも許可がいるから実際に使用
しているのは胸の発育がいいごく少数の子だけ。
 胸の揺れを抑える純粋な実用品だったのだ。
 しかしそこは背伸びしたいお年頃。自分を美しく見せることに余念
のない女子たちにはそれが大人への扉に見えたのかもしれない。
 ある日、誰かがその掟を破って自分の胸には分不相応なブラをして
登校すると、その後わずか数日で我も我もとそれに続くようになり、
学校中の女子トイレは極狭個室のファッション会場になってしまった。
 ジュニアブラなんて結構なものがまだなかった時代。多くの子が、
その時身につけていたのは母か姉さんのサイズ。そりゃ目立ちます。
ちなみに、うちの田舎では、なし崩し的に中3ぐらいになるとそれは
OKなんですが中1ではまだ早いというのが先生たちの判断でした。
 結果、授業中も服を着ていてもわかる巨乳の子が続出するわけで…
………ついに事件が発覚。
 お母さんも、学校からの連絡帳で自分のブラが娘に無断借用されて
いたことを知ることになります。
 どうやらこの時のお母さんの怒りはこの無断借用ブラジャー事件が
きっかけだったみたいです。

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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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