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第4章 / §5

第4章
  子供たちのおしおき


§5

 短ソックスだけを残し素っ裸になったアンは、コールドウェル
先生の指示で、今までカレンがいた部屋の片隅で膝まづいたまま
両手を頭の後ろに回している。

 一方、カレンはというと、今までアンが弾いていたピアノに…

 「あなた、弾いて御覧なさいな」

 コールドウェル先生からいきなりそう命じられたのである。

 「弾くって……何を……」

 「何でもいいの。あなたが好きな曲を弾けばいいわ」

 「(そんなこと言われても……)」
 カレンはピアノを前に当惑するが……やがて、自然に手が動き
だす。

 「……………………………………………………………………」

 二分ほど弾いて、カレンははにかんだ笑顔を見せる。
 それが彼女の終わりのサインだった。

 すると、コールドウェル先生が……
 「これはあなたが作った曲なの?」

 「ええ、即興です」

 「じゃあ、今、作ったの?」

 「そうです。思いつきです。何か弾かなきゃいけないみたいで
したから。…私、正規にピアノなんて習わなかったから、皆さん
が知ってるような曲は何も弾けないんです」

 「そう、……」
 コールドウェル先生はカレンに対して何やら含んだような笑い
を見せると、その視線をアンにも向けて……

 「そうなんだって、アン。あなたとは大違いね」

 「……」
 アンは何も答えない。

 しかし、カレンにしてみればコールドウェル先生の仕打ちは、
自分を笑いものにするためにやっているとしか思えなかったので
その時は辛かった。

 「今度は、あなた、弾いてみなさいな」

 コールドウェル先生はアンに命じる。

 すると、裸のまま、アンがやってくる。そのあまりに鋭い視線
にカレンはおののいた。
 そして、弾(はじ)かれるようにピアノを離れると、もといた
部屋の隅へと戻る。

 そこで、カレンはアンの幻想即興曲を聴くのである。

 「(すごい!)」

 カレンは初めてピアノに心を揺さぶられた。
 それは、もちろん卓越した技巧の賜物ではあるのだが、何より
カレンへの挑戦だった。
 だからこそ、目の前に迫った発表会の課題曲ではなく、自分の
最も好きな、最も得意な曲を素っ裸でぶつけてきたのである。

 「………………」

 ただ、そんな思いをカレンが感じていたかというと……

 「(凄いなあ、スコルビッチ先生のピアノもよかったけど……
これには凄みがあるもの。私のピアノなんかとは格違いね)」

 カレンはアンのピアノに圧倒されて、ただただ感心するばかり
だったのである。

 と、その時、ドアのノックが聞こえる。
 約束の男が1分たがわず帰ってきたのだ。

 「ラルフです。カレンを迎えに来ました」

 コールドウェル先生は、思わずアンに演奏を中止させて、服を
着せようかと動いたが、アンの背中がそれを拒否していることを
悟ると、入り口付近に衝立を立てて、カレンと一緒に入り口へと
向かうのだった。

 「やあ、カレン。迎えに来たよ」

 ラルフの声にカレンはピアノの方を振り返ろうとするが……

 「助かったわ、カレン、あなたのおかげよ。……また、いつか
あなたのピアノを聞かせてね」
 コールドウェル先生は、そう言うと、後ろを振り返ろうとする
カレンの背中を押してドアの外へと押し出すのだった。

 再び、二人きりになって、ラルフが尋ねる。

 「何があったんだい?コールドウェル先生のところで、何だか
とっても焦ってたみたいだけど……」

 「……えっ?……」
 カレンは思わず言葉に詰まる。そして……

 「何って……私がピアノを弾いて……アンがピアノを弾いたの」

 「それだけ?」

 「……えっ?……ええ、それだけよ」

 彼女はアンが裸になってピアノを弾いていたとは言わなかった。
それは言う必要がないと思ったからだった。

 「ふ~~ん、僕は、コールドウェル先生のことだからね。アン
にお仕置きしたのかと思ったよ。だから、僕が邪魔だったんじゃ
ないかと思ったんだ」

 「お仕置き?」

 「あの先生ねえ、よく自分の生徒のお尻を叩くことがあるんだ。
厳しい人なんだよ」

 「あら、そうなの。でも、それはなかったわ」

 「そうか、今日はなかったんだ。発表会前だからね。……アン
を動揺させたくなかったんだろう」

 「…………」

 「で、君は何を弾いたの?」

 「……えっ?」
 カレンは裸のアンが無心でピアノに向かっていた姿を思い出し
ていたから、ラルフの言葉に思わず驚く。

 「どうしたの?」

 「別に何でもないわ。コールドウェル先生が、何でもいいって
おっしゃったからデタラメ弾いただけ」

 「そうか、デタラメか。……でも、君のデタラメは美しいから
ね。コールドウェル先生も驚いたんじゃないか」

 「そんなことないわよ。私が弾いてる時も厳しい顔してたもの」

 「そうか、残念だったね」

 「いいの。それは……だって、私のピアノはどの道、道楽だけ
ど、世の中にはこれで身を立てようとしてる人が、いっぱい、い
っぱい練習してるんですもの。私がそこで一緒になって比べられ
るはずがないわ」

 「まあ、そう言うと身も蓋もないけど……コールドウェル先生
なら、カレンの音楽的なセンスは分かると思ったんだけどなあ」

 「ありがとう、ラルフ。それって、褒め言葉よね。ありがとう。
あなたがやっと私を褒めてくれたわ。今日はお祝いしなくちゃ」

 「何の?」

 「だから、あなたが私を認めてくれたお祝いよ」

 「オーバーだなあ、そんなことでお祝いだ何て……」

 「だって、それでも、私にとっては大事な出来事なんですもの」
 カレンは青空に向かって明るく笑うのだった。

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愛しの小鳥(ブグロー)
愛しの小鳥(ブグロー)
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              第四章はここまでです。
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第4章 / §4

第4章
  子供たちのおしおき


§4

 「…………(先生かしら)」
 
 優しいタッチのピアノ。でも、ブラウン先生のものとは違う。

 「アンが弾いてるんだ」

 ラルフはそう言うとさりげなくカレンの肩を抱いて中庭へと
入っていく。

 そこは先生の自宅であるカレニア山荘と里子の子供たちが通う
ピノチオ小学校とを分ける庭で、この先の建物が一応校舎という
わけだが、それはあくまで便宜上の事。子供たちにしても、そこ
で働く先生たちにしても、カレニア山荘にあるすべての建物は、
彼らの自宅であり学校だった。

 「わあ~~素敵な場所ですね。まるで天国にいるみたい」
 中央の噴水に建つ白亜の天使と女神像が美しくて感激している
カレンに、ラルフは……

 「そうかい」
 としか言えなかった。彼には見慣れた風景だったのだ。

 「流れるようなメロディー。とっても上手だわ。まるで女神様
が奏でてるみたいだもの」

 「きっと、アンだよ。どっか頼りなさげに弾くからすぐわかる」

 「そんなことありませんよ。とっても繊細なんです。こんな、
柔らかな音、ピアノじゃなかなか出せませんから」

 「そうかなあ……」
 ウルフはそう言ったあと、思い出したように
 「あっ、そうだ。アンのやつコールドウェル先生からお仕置き
されるんじゃなかったっけ……」

 「えっ!、たしかダニーさんは先生に捉まったって……」

 「だからさ、捉まったって事はお仕置きされるってことなんだ。
でもピアノが聞こえてるからね、違うかもしれないな。とにかく、
行って見よう」

 「えっ、いいんですか?」

 「もちろん、かまわないさ。ほら、おいでよ……」
 ラルフはカレンの手を引いて走り出す。

 肩の関節が外れるんじゃないか、前につんのめって転ぶんじゃ
ないか、そんな勢いでカレンはラルフと一緒に走り出す。

 噴水のしぶきが心地よかった。

 「待ってよお~~」
 ラルフの衝動的な行動に翻弄されてカレンの息があがる。
 大きくて頑丈な手にがっしりと握られて、カレンの顎から上は
沸騰する。

 「(男の人に手を握られた!)」
 カレンの想いはたったそれだけ。でも、胸の鼓動は止まらない。

 「おい、アン。いるかい」

 ラルフはカレンの手を引いた勢いそのままにコテージのドアを
開けるが……

 「失礼しました」

 慌てて、またドアを閉めてしまう。
 カレンが怪訝そうな顔になると……中から再び声がした。

 「いいわよ、はいってらっしゃい」

 女性の声、大人の声だった。

 「失礼しました」

 ラルフはカレンと一緒に、今度は部屋をノックしてから丁重に
中へと入っていく。

 中にいたのはピアノに向かっていたアン・シリングとその脇に
立つコールドウェル先生。

 「どうしたの、ラルフ?……何か御用事?」

 コールドウェル先生は三十代後半のスレンダーな美人。普段は
長い髪を肩まで垂らしラフなシャツにタイトなスカート姿だった。

 「お忙しいのなら出直しますが……」

 「かまわないわ、レッスンもちょうど終わったところだから」

 「実は、この子が……」
 ラルフはそう言ってカレンの両肩を抱くと、まるで美術品でも
扱うかのようにしてコールドウェル先生の前へ差し出す。

 「私、カレン・アンダーソンといいます。今日から、こちらへ
住むことになりました。よろしくお願いします」

 「あなたそうなの」
 コールドウェル先生はそう言ってしばしカレンを舐めまわす。

 「誰かが噂してたわ。……先生の酔狂がまた始まったって……
原因は、あなただったのね」

 「先生、それはカレンに失礼ですよ。カレンは、あくまで先生
に請われてここに来たんでから……」

 「あら、そうなの」

 「…………」
 カレンは言葉がなかった。
 だって、自分の弾くピアノはあくまで独学。ブラウン先生の他
は誰も認めてくれてないみたいだし、当然、反論もできなかった。

 「弾かせてみればわかりますよ」
 ラルフはそう言うとカレンの肩を抱いて、今アンが座っている
ピアノの方へ押し出そうとするが……

 「せっかくだけど、それは結構よ」

 「どうして?」

 「だって、我流の人に滅茶苦茶やられて、せっかく整えた調律
を乱されたら困りものだもの。この子の発表会まで、もうあまり
時間がないの。今は、このままそっとしておいて欲しいの」

 ラルフはコールドウェル先生の言葉を一応聞いたが、終わると
すぐに踵を返した。

 「カレン、行こう」

 彼は怒って、カレンの肩を抱くと部屋を出ようとしたのである。
 ところが……

 「あ、あなた、……え~~と、何て言ったっけ……そうそう、
カレン。あなただけ残って頂戴」

 コールドウェル先生がカレンだけを呼び止める。
 そこで、ラルフも振り返るが……

 「ああ、あなたはいいわ。15分ほど暇を潰してから、この子
の引き取りにまた来てくれる?」

 コールドウェル先生の謎の言葉。しかし、ここでの暮らしにも
慣れてきたラルフは、それが何を意味するのか、感じ取ることが
できたみたいで……。

 「わかりました。先生」

 彼はコールドウェル先生には何も反論せず、カレンにだけ……
 「15分したら迎えに来るから」
 とだけ言って、部屋を出て行ったのである。

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 「(どういうことだろう?)」
 不安なカレンはどうしていいのか分からず、部屋の隅で小さく
なっていた。
 そこから蚊の泣くような声で……

 「あの~~~私、何をすれば……」

 と言ってみた。すると……

 「あなたは何もしなくていいわ。そこで見てればいいの」

 コールドウェル先生はそれだけ言うと、背筋を伸ばした。
 ただそれだけ、それだけで、しばし時間だけが過ぎた。

 「………………」

 コールドウェル先生は何も話さない。何かしたわけでもない。
強いてあげれば、ほんの少し顔つきが厳しくなっただろうか。
 カレンが見る限りそれだけだった。

 そんな空気のなか、アンだけが落ち着かない様子でいる。

 「…………」
 ピアノの鍵盤を叩くでもなく所在なさげに白鍵と黒鍵を交互に
なでている。

 そんな無意味な時間が30秒ほど続いただろうか。
 結局、沈黙を破ったのもコールドウェル先生だった。

 「アン、あなた、何かお話があるんじゃなくて……」

 「…………」
 そう言われた瞬間のアンの表情が凍りついたのが、カレンにも
はっきりわかった。

 鍵盤で遊んでいた細くしなやかな指の動きもぴたりと止まり、
両耳へ垂らした三つ編みのリボンが微妙に震えている。

 そんな沈黙がさらに三十秒ほど続いただろうか。
 コールドウェル先生が再び、こう言うのである。

 「あなた、早くしないと、ラルフは15分でここへ帰って来る
って言ってるわよ」

 こう言われたことが、アンの重い腰をピアノ椅子から押し上げ
ることになる。

 「…………」
 彼女はぜんまい仕掛けのお人形のようにぎこちなく立ち上がる
と、無言のまま、すぐ脇にいたコールドウェル先生の足元に膝ま
づく。
 そして、両手を胸の前に組んでこう言うのだった。

 「わたし……昨日、練習をサボって演奏会へ行きました」

 「ええ、知ってるわ。アッカルドさんでしょう。あなた行きた
がってたものね。でも、こんな大事な時期に丸1日近くピアノに
触らなくて大丈夫なのかしらね?……あなた、そんな天才だった
かしら?」

 「いいえ」
 アンは小さな声で答える。

 「しかも、お父様には『コールドウェル先生の許可はちゃんと
取ってあります』なんて嘘までついて連れて行ってもらったんで
すってね。私が出張で村を留守にしたことをいいことに…………
つまり、それって『私の指導は受けたくない。自分独りでやって
いきます』ってことなのかしら。私は、もういらないってこと?」

 「違います」
 アンは頭を振った。さきほどより声が少し大きくなる。

 「じゃあどうするの?怠けながらピアノが上達するようにして
くださいって言うの?……私、魔法使いじゃないから、あなたの
ために馬車やドレスやガラスの靴を出してはあげられないよ」

 「…………」

 「そんなに私が気に入らないなら、あなたへのレッスン、やめ
てしまいましょうか」

 「えっ、それは困ります」
 アンはそれまで伏目がちだった顔をあげてコールドウェル先生
を見つめる。

 「困ってるのはこっちよ」

 「ごめんなさい。どんなお仕置きでも受けますから」

 「おやおや、今度は随分と横柄なこと言うのね。……私は嫌よ。
あなたの悲鳴なんて聞きくないし、何よりそんな疲れるような事、
今さらしたいとも思わないわ。そんなことするより、やめちゃう
方が簡単よ」

 「えっ…………」
 アンは次の言葉が浮かばなかった。

 これが小学校時代なら、こちらが何と言おうとまずはお仕置き。
でも、それを我慢さえすれば、そのうちまたよしよししてもらえ
る。それで円満解決だったのである。

 「あら、黙ってるところをみると、止める方に気持が固まった
のかしら?」

 「…………」
 アンは再び頭を振る。今度はもっと強い調子で……

 すると、しばらく部屋全体が沈黙したあとに……

 「時間がないわ。決めてちょうだい。私のレッスンを受ける気
があるの?ないの?」

 「あります」
 アンの答えは明快だった。
 しかし、となると……

 「そう、だったら、あなたの決意を聞かせて欲しいわね」

 「決意?」

 「簡単なことよ。ここではこんな場合、子供たちならどうする
事になってたの?」

 こう言われて、アンは慌てて膝まづいた自分の背筋を伸ばして
両手を組みなおす。

 「どうぞ、悪い子にお仕置きをお願いします。どんな厳しい罰
にも耐えます。これからはずっと良い子になります」

 アンは、ここへ来てからもう何十回となく口にしてきた言葉を
話す。

 「わかりました。それでは、私からあなたに愛を授けましょう。
何一つ不平を言わず、ようく噛み締めて受けるようになさい」

 これもまた、何十回となく聞いた言葉だった。

 「はい、先生」
 アンに限らない。ブラウン先生と暮らす子供たちはみんなこう
言うしかなかったのである。

 そして、その次にはたいて、先生の前にお尻を出してその痛み
に耐える。これがごく普通のパターンだった。

 ところが……

 「わかったわ。だったら私の言うことは何でもきくのね」
 こうことわると、アンの返事は聞かずに……

 「だったら、裸になりなさい」

 「えっ!?」

 「ここで、全裸になるの。スリップもブラもショーツもみんな
脱ぎ捨てるのよ」

 「…………」
 アンが戸惑ってると、さらに……

 「早くなさい。ラルフが帰って来るわ」

 「だって…………」

 「何が、『だって』よ。約束でしょう。私の言いつけは何でも
守りますって……それとも、何かしら…あなた、その貧弱な身体
をラルフに見てもらいたいの?」

 「…………」
 アンは震えたように首を振る。
 そして、仕方なく、本当に仕方なく、ぽつりぽつりと着ている
服を脱ぎ始めるのだった。

 でも、この時、驚いていたのはアンだけではなかった。
 部屋の片隅でことの成り行きを見守っていたカレンもまた目を
丸くしていた一人だったのである。

 「…………」
 彼女はアンが自分の視線を気にしているのを感じて目をそらす。

 窓にはブラインドが下りていて外からは見えないし、何より、
女の子同士だから、たとえ裸を見られてもそれほど恥ずかしくは
ないのかもかもしれない。でも、こんな処で裸になるなんて普通
ではありえないことだったのである。

**********************(4)***

第4章 / §3

第4章
  子供たちのおしおき


§3

 「ラルフさん。わたし…お仕置きを望む子なんているわけない
と思うの……キャシーだってきっと後悔してると思うし、それが
できないのは彼女の意志が弱いから……まだ、あの子は子供なん
だし……」

 カレンは珍しく雄弁だった。ダニーやラルフの言葉が彼女には
しっくりいかなかったのだ。
 しかし……

 「君には不思議なことかもしれないど、僕にもキャシーの気持
って、わかる気がするんだ」

 「えっ?」

 「僕も親父には虐待されて育った口だから、キャシーの気持が
分かるんだよ。僕だって表向きは誰に対しても『お仕置きなんて
絶対いやだ。そんなことやるべきじゃない』って思ってる。……
思ってるけど……」

 「…………思ってる…けど?何なの?」
 ラルフの葛藤はカレンには疑問だった。

 これまで心地よいことをして、心地よくないことは避けるのが
人間の当たり前だと単純に思い込んでる少女に向かって、それを
どう伝えたものか、ラルフも言葉が詰まったのだ。

 「心のどっかで『開けろ』『開けろ』って声が聞こえるんだよ」

 「あ・け・ろ?」

 「そう、みんなが『開けちゃいけない』って叫んでいる壺を。
どうしても開けたくて仕方がないくなるんだ。それを開けても、
良いことなんか何もないのは分かってるのに……悪いことばかり
起こるって知っているのに、どうしようもなくそうしたくなるん
だ」

 「それ、きっと病気です。悪い病気です」
 カレンは決然として言い放つ。

 「かもしれない。でも、これってみんなが持ってるような気も
するんだよ」

 「私は、……そんな気持…持ってませんから」
 逃げるようにして言い放つカレンの顔に、ラルフは自分の言葉
の真実を悟る。そして悟ったあとは、それまでとは違う穏やかな
表情になるのだった。

 「僕が大きくなって、父の折檻から逃れられたと気づいた時は、
正直『これからの俺の人生はバラ色だ!』と思ったものさ。でも、
そんな考え、長くは続かなかった。……そうじゃなかったんだ。
それが証拠に、お仕置きはなくなっても、ちっとも人生がバラ色
には輝かないんだ」

 「どうしてですか?」

 「本当は、お仕置きのない暮らしは逆にとっても不安なんだよ。
……自分の存在が否定されちゃったみたいで……親の愛がなくな
っちゃったみたいで……だから、僕の心は、お仕置きを心配しな
くていい歳なのに、いつもお仕置きをされたくないって気持と、
お仕置きされたいって気持が同居してせめぎあってるんだ」

 「……そんなバカなこと」
 カレンは小さな声で独り言を言った。
 でも、ラルフはそれを拾い上げる。

 「バカなことだってことは僕だって百も承知さ。でも、これは
損得なんかじゃないんだ。どうにもならないことなんだ。君は、
そんな気持ちになったことが本当にないの?」

 「……」
 カレンは口ごもった。

 『私は、お仕置きされたいだなんて、そんな馬鹿な事を思った
ことなんて一度も……』
 そう思いながらも、カレンは何かが心にひっかかっているのに
気づく。

 『でも、何だろう?この心のざわめきは……』
 そう思い始めた頃、またラルフが口を開いた。

 「君はこれまで幸せな人生だったんだね。お父さんが行方不明
だっていうのに、周囲の人たちから大事にされたんだろうなあ。
僕からみればうらやましいよ。……先生に言わせるとね、幼い時
につけられた心の傷は、生涯、治らないんだそうだ。……あとは
それと、どうやって付き合っていくか、だけなんだって………」

 「ブラウン先生はお医者様もなさってるんですか?それとも、
学校の先生とか?」

 「違う違う。大学の先生もアルバイトでやってるけど小さい子
を学校で教えたことなんてないよ。ただ20年以上も孤児の面倒
をみてるだろう。自分なりのポリシー(哲学)はあるみたいなんだ」

 「ポリシー?」

 「キャシーの場合で言うと、虐待にならない程度に力を弱めて、
当分の間はお仕置きが必要というのが先生の判断なんだ。それが、
あの子の灯台になるって……」

 「灯台?」

 「自分を見失わないための目印というか、自分が今どこにいる
かを知るコンパスとでもいうか、そんな意味なんだけど、君には
ちょっと難しいか」

 少しラルフが微笑んだのを馬鹿にされたと思ったカレンは語気
を荒げる。

 「でも、パンツも脱がせて木馬に跨らせるなんて、女の子には
虐待です」

 カレンの剣幕に、ラルフはたじろぐ。

 「おいおい、いきなり何だよ。僕にそんなこと言ったって……
僕は先生の秘書でしかないんだよ。哀れな使用人さ。その苦情は
先生に言ってくれよ」

 カレンに詰め寄られたラルフはおたおたしながら顔の前で右手
を振る。

 「えっ!」
 それに気づいたのか、カレンの頬が少しだけ赤くなった。

 「それに、パンツなんて……ここではことあるごとに脱がされ
ちゃうから、みんなもう、慣れっこじゃないかなあ」

 「ことあるごと?」

 「そう、先生は幼い子に羞恥心なんて認めてないからね。……
男の子であれ、女の子であれ、先生のご機嫌を損ねると、すぐに
パンツをとられちゃうんだ」

 「中学生みたいな子も……」

 「少しは配慮してくれるけど……お仕置きする人の前ではやっ
ぱり脱がなきゃならないことにかわりはないよ」

 「私も……」

 不安になったカレンが声を落として尋ねると……

 「たぶん、大丈夫だと思うよ。君は里子じゃないんだから……
ただ……」

 「ただ、何なの?」

 「君はまだ16歳だからね。先生にしたら、まだ子供って扱い
じゃないかと思うんだ。先生の頭の中では18歳だって子供なん
だから。ついこの間も、ここを巣立った子が間違いをしでかして
警察のご厄介になったことがあったんだけど、その時も、先生は
ここへその子を呼びつけて、ここにいた時と同じようにお仕置き
したからね」

 「その人、いくつなんですか?」

 「18歳。……先生にしたら、それでも子供なんだ」

 「そうですか……でも、まさかお仕置きされるなんて思っても
みなかったでしょうから、ショックでしょうね」

 カレンは独り言のように小さな声で呟く。その顔は何か考えて
る様子だったが、そんなカレンをラルフは再び驚かす。

 「そんなことないよ。ショックじゃないと思うよ。だって事実
を知った先生は彼女にお仕置きするからいらっしゃいって手紙を
出して、それで彼女がやってきたんだから……」

 「じゃあ、わざわざお仕置きされるために?……逃げるとか、
無視するとかすればいいのに……」

 「他人ならそうするかもしれないね。でも、巣立ったといって
も、先生は依然として彼女のお父さんだし、カレニア山荘は彼女
のお家で、ウォーヴィラン村はふるさとだもん。お仕置きされる
ならもう行かないっていう選択肢は彼女にはなかったんだと思う
よ」

 「……………………」

 「君にはわからないか。でも仕方がないよ。君はここで育った
子じゃないんだから……」

 ラルフにはこう言われてしまったが、彼女の気持はカレンにも
感じることができたのである。

 その時だった。二人の微妙な空気の中へそのピアノの音は入り
込んでくる。

********************(3)*****

第4章 / §2

第 4 章
  子供たちのおしおき


§2

 ラルフはその公園の隅でうごめく古びた麦わら帽子を見つける。

 「……やあ、ダニー」

 麦わら帽子がこちらを向くと、彼は、滑り台のはげたペンキを
塗り替えているところだった。

 「やあ、ラルフ。今日は可愛らしい恋人を連れてるじゃないか。
お前さんにしては上出来だよ」

 老人は、赤ら顔に刻まれた深い皺を波打たせて機嫌よさそうに
挨拶する。

 「僕のお客じゃないよ。先生が連れてきた新しい家族なんだ。
まだ16歳だけど、先生は寝間でこの子にピアノを弾かせたいら
しいぜ」

 「なんだ、あんた、ピアニストかい。でも、そりゃあいいかも
しれんな。グラハムはいい人だったけど。爺さんだったからな。
先生も、やはりこんな綺麗な娘(こ)の方がいいんじゃろう」

 好々爺の皺が笑う。

 「カレン、さっき草原でパティーとキャシーが枷に繋がれてた
のを見ただろう。あのピロリーもこのダニー爺さんが作ったんだ。
家の修理だけじゃなくて、こんな子どもたちが遊ぶ遊具もみんな
大工仕事はダニーのおかげさ」

 ラルフが褒めるとダニーは照れくさそうに笑ってから、
 「あの二人はには、お許しがでたのかい?」

 「ああ、ぼく達が馬車での帰り道に通りかかってね。先生が、
外してやったよ。……もっとも、キャシーの方は、その後また、
コレだけどね」

 ラルフは、右手にスナップをきかせて胸の前で振ってみせる。
 まるでオートバイのアクセルをふかしているようなポーズだが、
これで木馬の持ち手を握ってるさまを表しているのだ。

 ダニーにしても、もうそれだけで何のお仕置きかが分かるよう
で……

 「あいつ、また、跨ってるんだ?」

 「仕方ないよ。例によってキャシーがたきつけたみたいだから
……先生、おかんむりなんだ」

 「やっぱりそうか。性悪で困ったもんだ。何かというと友達を
引っ張り込みやがる。先生があれほど嫌ってるっちゅうのに…」

 「幼いときからの性癖だからね、そう簡単には治らないよ」

 「『三つ子の魂百までも』っていうじゃろ、あれじゃな。……
でも、先生はよく辛抱してなさる。根競べじゃな」

 ダニーの言葉にラルフが反論する。

 「ただね、先生も、本当はあの子が好きなんじゃないかなあ。
頭もいいし明るい子だからね。あの性癖だって、もとを正せば、
幼い頃の虐待が原因なんだろうし、それは先生も承知してますよ。
それに何よりキャシーって、あんなに色々お仕置きされてても、
いつもけろっとしてるじゃないですか。やっぱり孤児院よりここ
の方が住み安いんですよ」

 「そりゃあそうだろうよ。孤児院って処は、ただ子供を飼って
おくだけの施設じゃからな。お仕置きにしても、めしにしても、
こことは月とすっぽんじゃもん」

 「孤児院でも、お仕置きってあるんですか?」
 カレンが口を挟んだ。

 「えっ!?……もちろん、ある、なんてもんじゃないさ」
 ラルフが一瞬戸惑い、やがて笑って答えると、その後をダニー
が付け足す。

 「…ああいう処はね、お譲ちゃん。大勢の子どもたちが少ない
職員と一緒に暮らしとるんじゃ。体罰もなしに秩序を維持しよう
なんて土台無理な相談なんじゃ。……そう言や、あんた……」

 ダニー爺さんはそこまで言うと、カレンを下から上へ舐めるよ
うに見上げてから。

 「見るからにお嬢様らしい素振りじゃね。……だったら孤児院
なんか見たことないじゃろうけど……あそこへ行くとな、こんな
小さな子にだって鞭をつかうんだよ。ここでのお仕置きなんか、
可愛いもんさね」

 ダニーはしゃがんだ自分の頭の高さぐらいに手を置く。
 それほどまでに小さな子にも鞭を使うと言いたかったのだ。

 「…………」

 一方カレンは、お嬢様と言われて思わずはにかんだ。もちろん、
お世辞だろうが、そんな事を面と向かって言われたのは、これが
初めての経験だったのだ。

 「キャシーにしてみりゃあ、先生のスパンキングなんて、昔の
虐待に比べれば軽いもんだろうし……むしろ、心の奥底では……
先生のお仕置きを望んでるんじゃないかって、思うんですよ」

 ラルフがキャシーをやぶ睨みにして解説すると、ダニーもそれ
に続く。

 「あんたもそう思うかね。わしもそうなんじゃ。……あの子に
とって、ここでのお仕置きは、罰ということ以上に先生との絆に
なっとるじゃないかってね」

 「きずな?……まさか……だって、お仕置きって、嫌なことで
しょう?」
 ダニーのため息混じりの言葉にカレンは素直に驚く。

 「(ふふふ)お嬢様には、分からないことさ」

 嘲笑するように言われて、カレンはむきになった。
 「わたし、お嬢様なんかじゃ」

 「わかってるさ。君がお嬢様でないことぐらい。でも、キャシ
ーの気持は分からないだろう?」

 ラルフに言われて、その一瞬、カレンの心臓が止まった。

 「えっ?」

 「あの子、元々はね、もの凄く寂しがり屋さんなんだよ。……
だから、本当は誰からも『良い子、良い子』してもらいたいんだ。
だけど、これだけライバルが多いと、先生の愛を自分一人が独占
なんてできないから、そこで、わざと悪さを仕掛けては先生から
お仕置きをもらってるってわけ」

 「だって、お仕置きって辛いことでしょう?」

 「そりゃあ、お仕置きなんて、痛いし恥ずかしいかもしれない
けど、こちらは『良い子、良い子』と違って、やらかせば、必ず
かまってくれるじゃないか。彼女にしたらそっちの方が大事なん
だよ」

 「そんなの嘘よ。女の子がそんな馬鹿なことするはずないわ」

 カレンはむきになって反論したが……大人たちは同意見だった
とみえて顔を見合わせて笑う。

 「あの子が、ほかの子のお仕置きを見たがるのも『ざまあみろ』
って思いの他に、自分もそこでやられてる気分になって、一緒に
楽しんどるんじゃ」

 ダニーの言葉はカレンの心に深く突き刺さった。

 「まさか、そんなこと。自分から罰を受けたいだなんて……」

 カレンの声は最初大きかったが、尻すぼみで小さくなる。
 というのも、さっきから、ある疑念が自分の心の奥底から突き
あがってきて、それを振り払いきれないでいたからだった。

 「(そんなことって……)」
 彼女は言ってるそばから自信がなくなってしまったのである。

 ダニーが続ける。

 「先生も手ぬるい事しとるから、あいつが付け上がるんじゃ。
その腐った性根を治すためにも、ここらでもっとガツンとやって
やらなきゃ、あの子のためにもならんよ」

 「それについては、先生が、この日曜日にでも特別反省会を…
なんておっしゃってたよ。本当にやるかどうかは分からないけど
ね」

 「ほう、そりゃあ耳よりじゃな。その時は、お弁当でも持って
見物に行かんとな……(はははははは)」
 ダニーは屈託なく笑い飛ばした。

 「……ところで、今日のお仕置きは誰がやったの?」

 「シーハン先生さ。……最初、しこたま尻を叩かれたあとに、
石炭部屋の隅に膝まづかされて、『今日は、お漏らしするまでは
許しません』なんてどやしつけたられたもんだから、やっこさん
たち、最初は二人して赤ん坊みたいにギャーギャー泣いとったん
だが……」

 「どうせ、最初だけでしょう」

 「そのうち静かになったもんで、気になって見に行ったんだ。
まだ泣いとったら、シーハン先生には内緒で、二人をわしの部屋
にかくまってやろうかと思ってな……」

 「で?、どうでした?」

 「泣きながら懺悔してるのかと思ったら、すでに、こそこそと
おしゃべりを始めてとって、井戸端会議の真っ最中じゃったよ。
……『お前ら、また、叱られるぞ!』って注意したら、今度は、
二人してげらげら笑い転げる始末でな………こっちも頭にきて、
二人の尻を二つ三つはり倒してから、『お前ら、まじめに懺悔の
お祈りをしろ』って言ってやったんだが……その大声が先生にも
聞こえちまって……」

 「そうか、それであの二人、外の枷に繋がれたってわけか……
なるほどね、あいつら、らしいや」

 ラルフは苦笑する。
 彼にしてみれば、その時の様子が手に取るように分かるらしく、
思わず、したり顔になったのだった。

 「まったく女の子ってのは、何をされてもすぐに泣くくせに、
慣れるのも早いもんだから、お仕置きする方も往生するよ。……
そもそも女の子にお仕置きなんかやって効果があるのかね?」

 「(はははは)ダニーもあの子たちには、相当に手を焼いてる
みたいだね」
 ラルフは明るく笑う。どうやらダニー爺さんの言葉は自分にも
納得できる意見だと思ったようだった。

 「いやね、シーハン先生には、お仕置きのあと、あそこを時々
見回るように頼まれてはいたんだ。殊勝な態度ならわしが許して
やってもよかったんだよ」

 「なるほど、目算が外れたというわけか。…………ところで、
ダニー、今日はもう他に可哀想な子はいないのかい?」

 「あ~、そう言えば、アンがコールドウェル先生にとっつかま
ってたっけ……今頃、中庭じゃないかな」

 「アンかあ……じゃあ次は、そこへでも行ってみるかな」

 ラルフがこう言うと、久しぶりにカレンが口を挟む。
 「アンさんて、小学校の何年生ですか?」

 「小学生じゃないよ。あの子14歳だったかな。今ここにいる
里子の中では一番のお姉さんさ」

 「そうですか……じゃあ、もうお尻叩きからは卒業ですね」

 カレンが何気に言うと、ダニーが笑って……

 「世間では、お嬢様にそんなにキツイお仕置きは似合わんのか
もしれんけど、うちに来たらそうはいかんよ。うちは年齢に関係
なく娘っ子のお仕置きはお尻叩きと決まっとるからね。あんまり
羽目を外しすぎると、おまえさんだって、ガツンとやられるよ」

 ダニーの忠告はカレンのほっぺをふたたび赤く染める。

 「じいさん、最初からそんなこと言って脅かしたら、この子、
逃げちゃうよ」
 ラルフはなだめたが……

 「だめだめ、そんなこと言っとるから、おまえさんは女に縁が
ないんじゃ。女なんてものはな。最初が肝心なんじゃぞ。最初に
厳しいことをびしっと言っておかないと、あいつら、すぐに他人
に甘えようとするし、他人をなめちまってわがままで高慢になる
しな」

 「わかった、わかった、気をつけるよ」

 そのダニーの忠告をお土産に二人は老人のもとを離れる。
 カレンとラルフはまた二人だけの時間を持つことになった。

********************(2)*****
絵本(ソフィー・アンダーソン)
絵本(ソフィー・アンダーソン)
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第4章 / 登場人物 & §1

  カレンのミサ曲


************<登場人物>**********

(お話の主人公)
先生/トーマス・ブラウン
……音楽評論家。多くの演奏会を成功させる名プロデューサー。
ラルフ・モーガン……
……先生の助手。腕のよくない調律師でもある。
カレン・アンダーソン……
……内戦に巻き込まれて父と離ればなれになった少女。

(アラン男爵の家の人々)
サー・アラン……
……広大な葡萄園とワイン醸造所を持つ人の良い男爵。
フランソワ……
……サー・アランの娘。内気な娘だがカレンには敵愾心を持つ。
ナターシャ・スコルビッチ
……フランソワのピアノの先生。あまり容姿を気にしない。
その他……
……お屋敷の女中頭(マーサ)メイドの教育係(スージー)等

(先生の<ブラウン>家の人たち)ウォーヴィランという山の中
の田舎町。カレニア山荘
ニーナ・スミス
……先生の家の庭師。初老の婦人。とても上品
ベス
……先生の家の子守。先生から子供たちへの懲罰権を得ている。
パティー
……先生の里子(6歳)おとなしいよい子、寂しがり屋
キャシー
……先生の里子(10歳)他の子のお仕置きを見たがる
アン
……先生の里子(14歳)夢多き乙女。夢想癖がやや気になる。
ヒギンズ先生
……子供たちの家庭教師。普段は穏和だが、怒ると恐い。
ダニー
……下男(?)カレニア山荘の補修や力仕事をしている。
コールドウェル先生
……音楽の先生。ピアノの他、フルートなどもこなす。
シーハン先生
……子供たちの国語とギリシャ語の先生。
グラハム
……カレンの前のピアニスト

****************************

第四章
  子供たちのおしおき


§1

 そこはカレンにとって見知らぬ不安な土地だったが、そこに
吹く風が、何かとても心地よく感じられるのも事実だった。

 これは理屈をつけて説明できることではない。少女の直感と
でも言おうか、そこに暮らす人の穏やかな表情や軟らかな物腰が
カレンを安心させたのかも知れなかった。

 「やあ、ニーナ。紹介するよ。先生が今度新しく連れてきた娘(こ)」

 ラルフがバラの剪定に余念のないストローハットのニーナに声
を掛ける。

 「ああ、さっき先生と一緒だった娘さんだね。名前は、なんて
言うんだい」

 その顔は陽に焼けて女性としてなら真っ黒だったが、ストロー
ハットの奥からは屈託のない笑顔が躍り出る。

 「カレン……カレン・アンダーソンです」
 少し緊張気味に、はにかむように……でも、その初々しさが
ニーナにも好感が持てた。

 「私はニーナ・スミス。ここのお庭を先生から任されてるの。
あなたは先生から何か言いつかってるの?」

 「言いつかってるって……私はただ、……」

 「ただ、……何?」

 「ただ、……夜、ピアノを弾いてくれないないかって……」

 「まあ、あなたピアニストなの!」
 言外に『まだ若いのに…』という言葉が隠れている。
 今までカレンと同じ仕事をしていた人たちは、みんなお年寄り。
10代のピアニストを先生が指名するのは珍しかったのだ。

 「いえ、そうじゃありません。だから、それは……私にも……
何が何だか……」

 「ラルフ、どういうこと?……この子のピアノ?…聞いたこと
あるんでしょう!?」

 「どうって、言われても……ただ、先生は気に入ってるみたい
ですね。寝間で眠り薬代わりに聞きたいって言ってますから…」

 「それじゃあ間違いないわ。うちの先生は、心が安らぐ一流の
ピアノ弾きしかここには連れてこないの。凄いじゃない。あなた、
先生の眼鏡にかなったのね。私もそのうち聞かせてもらうわ」

 ニーナはこう言ってカレンを褒めちぎったが、同時に、ラルフ
へこうも耳打ちしたのだった。

 「ねえ、この子もひょっとして孤児かい?」

 「……」
 ラルフが首を縦にすると……

 「やっぱり……大丈夫かい?」
 ニーナは何だか納得したような顔になった後、少し心配そうに
聞き返す。

 「先生にその気はないと思いますよ。もう16ですから」

 「分からないよ、こればかりはね」

 カレンは未だ手つかずの生娘だった。サー・アランの館でメイ
ドをやっていたと言っても、それは草深い田舎でのこと。周囲を
信心深い人たちに囲まれていた当時は、人々の噂になるような事
は起こりにくい。身を焦がすような恋にも出会わぬまま、カレン
は、今、こうして16歳を春を先生の処で迎えている。男の下心
などは知るよしもなかった。

 ただ、そのことは別にしても、今しがた見てきた事は、やはり
少女には気になる出来事だった。
 そこで、ニーナと別れ、ふたたびラルフと二人きりになった時
を狙って尋ねてみたのである。

 「キャシーって、いつもああして先生から怒られてるんですか?」

 「いつもってわけじゃないけど、他の子と比べたら、多いかも
しれないね」

 「やっぱり」

 「先生に言わせると、『それはその子が望むから…』ってこと
らしいけどね」
 バラの庭を歩くうち二人は子供たちの遊具が揃った公園のよう
な処へと来ていた。

*********************(1)****
母と子(エミール・ムニエル)
母と子(エミール・ムニエル)
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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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