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<実録> お仕置きとしてのお灸 <ケース4>

<実録> お仕置きとしてのお灸

<ケース4>
 僕も一度だけお灸をすえられたことがあります。
 加害者は母親。忘れもしない三年生の春休みで、当日は従妹たちが
家に泊りがけで遊びに来ていて大盛り上がり。
 とても勉強するような雰囲気ではなかったのですが、母親はそれを
咎めて僕を仏間まで引っ張っていくと、手の甲に艾を乗せて火をつけ
たのでした。
 「あなた、いつになったらお母さんとの約束をはたすの。学校から
出てた課題、一つも手を付けていないじゃない。春休みは短いのよ。
あっと言う間に新学期になっちゃうの。どうしてもやりたくないなら、
やりたくなるようにしてあげます。こっちへいらっしゃい!」
 と、まあこんな感じだったかな。
 まったくもって不届きな学校で春休みにまで課題を出してたんだ。
 で、この時はその場に居合わせた従妹たちも同席しての公開処刑。
 はなから『こりゃヤバいな』と思ったけど、どうしようもなかった。
 「いいこと、これはとっても熱いお灸だけど、終わるまでは絶対に
艾を払いのけちゃダメよ。もし、そんなことしたら、今度はあなたの
体を押さえつけて、お尻のお山にものすごく大きなのを据え直します
からね。そんな恥ずかしいことされたくなかったらしっかり我慢しな
さい」
 と、正座した僕の手を取ると、母は鬼の形相で脅してきたんだ。
 やがて、拘束された右手に艾が乗せられ、火がつけられて……
 お定まりのコースだ。
 たしかに、そりゃあ熱かった。半端なかった。熱いという言うより
むしろ錐でもまれているような強烈な痛みに襲われてそりゃあ頭の中
はパニック。
 そんな地獄の苦しみを今でもはっきり覚えている。
 ただ、それはそんなに長い時間続いたわけではない。あっという間
に終わってしまった感じだった。
 実はこの時期(昭和30年代後半)私が生まれ育った地方の片田舎
では、時ならぬお灸ブームが起こっていた。そのブームに乗って犠牲
になった子供は少なくないと思う。私だけではなかったのだ。
 被害者は、恐らくこのブームがなければ生涯一度もお灸なんてすえ
られないよい子がほとんど。流行り病のようなブームのおかげでみな
余計な体験をする羽目になったわけだ。
 まったくもって迷惑千万な話だが、子供は親には逆らえないから、
『じっとしてろ!』と言われたら、その時はただじっとしているだけ。
 これが、古くからお灸文化の根付いている場所ならその作法なども
しっかり伝承されているはずだから、どの程度で艾の火をけすべきか、
火傷になった場合の対処方法なども親たちがしっかりした知識を身に
つけたうえでやってくれるんだろうが、あの時は僕の家の近所という
ごく狭い範囲で起こったブームだからもともとの火元は井戸端会議。
そこで盛り上がって我も我もとお母さんたちが見よう見まねで始めて
しまったのだ。
 やり方も乱暴で、小さく円錐形に固めた艾を子供の皮膚の上に乗せ、
お線香で火をつけると、やがて火が回って子供が熱がるだろうから、
その時は火を消してやればいい……とまあ、こんな感じ。
 お灸をしごく簡単に考えているふしがあった。そう思いつきなのだ。
もっと厳しく言えば、これって大人たちの遊びだったかもしれない。
 だから、うちの母親も艾に火をつけたあとは僕が泣くのをひたすら
待っていたのである。
 ところが、いつになっても僕が泣かないものだから、首をかしげる
だけで、ついには艾が燃え尽き火が消えてしまったというわけだ。
 何ともしまらないお仕置きだが、しかもその後はどう薬をつけても
痕が残るから、しまいに……
 「なんで、あなたは泣かないのよ!泣かないからこんなことになる
んでしょうが……」
 となった。
 「だって、そんなこと言ったって、我慢しろっていったのはそっち
じゃないか!!」
 と僕は僕で当初は不満たらたらだったが、母のあまりの狼狽ぶりに
やがて何も言えなくなってしまう。
 『やっぱり、僕が熱いって言わないのがいけなかったのかなあ』
 しまいにはそう思えるようになっていった。
 おかげで、僕の手の甲にはケロイド状に輝く灸痕がはっきりと残る
ことになったが……でも、不幸中の幸いというのか、僕はそのことを
恥ずかしいと思ったことはない。……ん~~ちょっぴりあったか……
でも、ほとんどなかった。
 というのも、すえた相手が母親だったからだ。
 生まれてこの方母親べったりで暮らしてきた少年にとっては、多少
無理なお仕置きがあったとしても別の人が好きになることはないし、
心が傷つくこともない。もちろん、その絆が切れることだってない。
大人たちのようにちょっとしたことで『これを契機に別れましょう』
とはならないのだ。
 逆に親の方はそんな強い立場を利用して大義名分をたてに弱い立場
の子どもをいじったりからかったりして遊ぶことが少なくなかった。
これはいつも接している母親ならなおさらなんだ。
 要するに子供は親のおもちゃだってこと。子供の立場でいうなら、
おもちゃになってあげてるから可愛がってもらえてるともいえる。
 親子といえどギブアンドテイクでなければ良好な人間関係は長続き
しないんじゃないのかな。一方的な愛の注ぎ込みは危険だよ。
 それに、僕は親からおもちゃにされながら愛されてきたから親が今
何を考えているかわかるもの。相手の気持ちがわかれば、『この人は
嫌いだ』という人はぐっと少なくなるよ。
 今はお仕置きというと、その言葉を聞いただけで忌み嫌う人が多い
けど、これも大事なスキンシップだと思ってる。
 対人関係で大事な事は『何をされたか』じゃなくて『誰にされたか』
じゃないだろうか。その人とどういう人間関係にあるかが問題なんだ。
 好きな人だから、頼れる人だから乗り越えられるお仕置きってのも
あるんじゃないのかなあ。
 ひと昔前のスポーツ選手とそのコーチみたいに。
 もし相手が嫌いな人だったら、同じように頭をなでられ褒められて
も、やっぱりそれは不快だもの。嫌いな人のすることは些細なことも
全て虐めとしか感じられないはずだよ。
 そのあたりは親子も恋愛も同じじゃないのかと思う。
 もちろん、そうは言ってもそんな関係に甘えて親が子に虐待を繰り
返せば、それはそれで話は別なんだけどね。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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