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10/30 病気の子供はいないんだ

10/30 病気の子供はいないんだ

 私の家は母中心で回っていた。父親だって店主として家にいる
し、仕事だって一応やってはいるのだが、存在感がないというか、
影の薄い人だった。

 よく言えば趣味人……道楽者……身も蓋もなく言えば遊び人で、
とにかく、あくせく働いてお金を貯めようなどと言う了見だけは
持ち合わせていない人だったのだ。

 だから、母はいつも父をなじっていたし、四六時中父の愚痴を
言っていた。

 ただ、僕はというと、彼を母ほどには悪くは思っていなかった。
 たしかに甲斐性のない人だったかもしれないけど、子供として
みると、穏やかで包容力があり、知的水準もそこそこ、何より、
とてつもなく優しかった。

 いつもにこにこしているし、甘えれば抱いてくれるし、色んな
ことを教えてる。工作も得意で、お庭の滑り台もブランコも鉄棒
もみんな彼の作品なのだ。

 だから僕にしてみれば、父はいつも母に責められている可哀想
な存在だったのである。

 そんな彼と僕はある年の夏祭りに二人で行ったことがあった。
 その瞬間はたいした事だと思わなかったので、はっきり何歳の
時の出来事かは覚えてはいないが、とにかく、小学校にあがった
かどうかという歳だ。

 『金魚すくい』や『綿飴』、『射的』や『お面売り』など華やか
な露天商たちが軒を並べる中にあって、そのはずれでアセチレン
ガスの炎に照らされて三人の傷病兵姿のおじさんたちが物乞いを
していた。
 一人がアコーデオンを弾きながら、一人が松葉杖姿、もう一人
は、募金箱みたいな白い箱を前に四つん這いになって頭を下げて
いる。

 暗い中で見にくかったせいか、それとも彼らの包帯の巻き方が
よほど上手かったのか、僕にはそのうち二人の手や足が一本ない
ように見えたのである。

 『戦争で負傷したんだ』
 可哀想に思った僕は10円をその箱に入れてあげたのである。

 ……と、ここまでなら問題はなかった。

 ところが、お参りがすんでの帰り道。林の奥から男達の甲高い
声がするので、何気に行ってみると、行きがけ出合った傷病兵姿
のおじさんたちがアンパンとサイダーを肴に松の木に寄り掛かり
馬鹿笑いしているのが見える。

 その時はすでに包帯は取れていて、ないように見えた手も足も
生えていた。

 僕は大急ぎでお父さんの処へ戻ると、事のいきさつを報告。

 「あのおじさんたちは、手や足がなくなったようにみせかけて
僕を騙したんだ。10円損しちゃったよ」

 僕がこう言って訴えると、父が……

 「そんな事はないよ。お前はあの人たちの為に良かれと思って
10円あげたんだろう?」

 「うん、だけどさあ……」

 「だったらそれでいいじゃないか。良い事ができたって思えた
んだから、それでその話はおしまいだよ。お前が騙されたと思う
のは10円あげた自分の行為が、商売や取引と同じように見返り
がなきゃいけないと考えているからさ。でもね、善意や愛や寄進、
奉納なんてものには結果や見返りを求めてはいけないんだ」

 「どうして?」

 「だって、慈善や慈愛はどんな見返りも求めないからこそ尊い
行いだと認めてくれるものだもの。だから見返りを求めて動く、
商売や取引とは別の名前になってるんだ。……いいかい、お前の
あげた10円をその人たちがどう使おうと、それはその人たちの
勝手だし、本当は手や足がなくなっていなかったのなら、お前が
10円あげて手足がないよりよほど良い事じゃないか」

 「えっ!?……どういうこと?」
 父のロジックは、年少のガキにとっては傷病兵のおじさんたち
の詐欺より難しかった。

 「何だ、考えてるのか?…だったら、お前にはまだ人を愛する
資格なんてないってことだな」

 父の言葉をその歳の頭で理解することは難しかったので、以後
は傷病兵の姿を見ても絶対に10円なんてあげなかったが、父の
言葉自体は脳裏の隅に残り続けていたのである。


 そして、大人になり、あのCMに出会う。


****~CM~<ジョニーウォーカー黒ラベル>****

 一人の男が暗がりで女に金を渡して、BARへ入ってくる。

 先に中で待っていた彼の友人が……
 「だまされたな。今の人、病気の子供がいるって言ってただろ、
ありゃ、嘘なんだ」
 と、教えると……

 騙された友人は、微笑んで……
 「良かった。病気の子供はいないんだ」
 と、つぶやく。

 その瞬間、詐欺を教えた友人の微妙な表情が何ともいえなくて
深いところに灯がともった。
 
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 長い長い時間の末に、私はやっと父の言葉を理解したのである。

10/20 『St.Mary学園』って何だ?

10/20 『St.Mary学園』って何だ?

 ごめんなさい。ただ衝動的に描いてみたかっただけ。
 気まぐれです。

 僕は幼い頃からADHD( 注意欠陥 多動症障害)の気があって
一つの事に集中できないたちなんだ。
 中学校くらいまでは10分はおろか5分だって同じ教科を勉強
しなかった。
 というか、できなかった。

 国語やって、詩を書いて、社会やって、理科やって、作曲。
 数学やって、スケベ小説、作曲、詩を書いて、英語、また詩を
書いてスケベ小説。数学。国語。部屋中走り回る発狂タイム。

 とまあ、こんな調子で、趣味も勉強も一緒くた。おまけに部屋
中を踊りまくったり、奇声ををあげたり、一人漫才なんかもする
もんだから、どんな親しくても他人にはこの姿は見せられない。
 『こいつ、ついに気が違ったんだ』
 と思われること請け合いだから、それだけは避けてきたんだ。

 中学を卒業すると、それ以降は次第次第に収まったみたいで、
あまり顕著ではなくなったけど、でも時々昔のなごりみたいなの
が顔を出すみたい。

 もちろん、こんな調子の学校生活だもん、成績なんか上がる訳
ないけど、でも、こうでなきゃ、どのみち勉強できなかったんだ。

 おかげで、長い時間かけてこつこつやらなきゃならない英語や
国語といった教科がまったくだめだった。はっきり言って使い物
にならなかったもん。

 特に英語は酷くて、先生に訳せって言われると、今の機械翻訳
と同じで文法にただ単語を放り込んで並べるだけの作業しかしな
いもんだから、「それじゃ意味が通じないでしょう。訳すという
のは日本語にすることよ」とか「君は英語と数学の区別がついて
ないんじゃないのか」なんてよく言われてたんだ。

 そんなわけで、今度のSt.Mary学園も単なる作者の気ま
ぐれ。この先、続けるかどうかもわからない。
 ちなみに、St.Mary学園は略すとSM学園になるからね、
この世界では僕以外のライターさんたちもよく使ってる『超有名
私立学校』なんだ。

 ***********************

10/19 昔、長男に生まれると……(2)

10/19 昔、長男に生まれると……(2)

 昨日の続き。
 昔、長男として生まれると、他の兄弟より物質的に豊かだった
し、他の兄弟以上に父母、祖父母がよく面倒を見てくれた。
 こんなこと書いてると『きっと楽しい子供時代だったんだろう』
なんて思われるかもしれないけど、これがそうでもないんだ。

 世の中はギブアンドテイク。色々やってもらったってことは、
その結果だって求められるんだ。成績優秀で品行方正。そんな、
絵に描いたような少年を求められても、こっちも困るんだけど、
そのパフォーマンスだけは演じなければならないから、私生活が
とても窮屈なんだ。
 大人たちが決めた日課や計画に沿って行動させられるからね、
自由気ままにしていられる時間が少なかった。いつも誰かに干渉
されてる感じだった。

 もちろんお母さんは僕の面倒をよくみてくれたけど、それって、
どこか『長男を育てている義務で、こうしています』ってところ
があって、母と子が本当に打ち解けていたのか疑問もあるんだ。

 その点、弟は、僕より成績が落ちるし、勉強抜け出して草野球
ばかりやってたから、「お兄ちゃんを見習いなさい」っていつも
怒られてた。お仕置きもされてた。
 でも、それって逃げ出せたらそれもできたわけで、長男の僕に
はその隙は与えてくれなかったんだ。

 弟がなにかと問題を起こしてお母さんの折檻を受けるのは日常
茶飯事だったけど、終わると屈託のない笑顔でお互い抱き合った
り、転げまわったりしている。

 その点、僕は問題をあまり起こさないからお仕置きされること
も少ないけどお母さんの屈託のない笑顔をあまり見たことがない。
変顔しあってお互い転げまわって笑いこけたりはしないんだ。

 「あんた、そんな馬鹿騒ぎなんて望まなかったじゃない」
 とは、お母さんの言い分なんだけど、僕からすると、そういう
こと望んでもやってくれなかったような気がするんだよ。だから、
始めからそんなこと望まなかったって……

 もちろん、お母さんは僕を優しく何度でも抱きしめてくれたよ。
幼い頃、苛めっ子がちょっとでも僕にちょっかいだそうものなら、
鬼のような形相で追っ払ってもくれたんだけど、僕にはその追っ
払われた苛めっ子を泣きながら追いかける幼い女の子の姿が忘れ
られないんだ。
 その子にとってはことの是非より、人間として苛めっ子は魅力
ある人物だったはずなんだもん。

 「あなたは何も問題を起こさないんだもの、お仕置きなんて、
必要ないでしょう」
 と、よく母に言われた。でも、これって褒め言葉なんだろうか。
一歩外へ踏み出す勇気がないだけなんじゃないか?
 そんな疑問がわいた時、お仕置きに不思議な憧れを抱くように
なったんだ。

 愛情って、生の気持をぶつけ合って生まれるもんだと思うんだ。
 子供が悪さしたら大人は怒るよね。そしてそれをやめさせよう
としてお仕置きするよね。それは教育とかじゃなくて人間として
の生の気持だよね。

 僕は人間関係で大事なことは美辞麗句や理屈よりその生の気持
だと思うんだよ。だから、所詮は他人でしかない教育評論家と称
する人たちが、物知り顔で、お為ごかしに、お仕置きのことを、
『あんなものは百害あって一利なし』みたいに否定する姿を見て
いるとね、どうにも違和感を禁じえないんだ。

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10/18 昔、長男として生まれると……

10/18 昔、長男として生まれると……

 僕は長男として生まれた。
 今の人にしてみると、それって『一番最初に生まれた男の子』
という意味でしかないんだろうけど、僕が生まれた昭和30年代
にあっては、それは特別な意味を持ってたんだ。

 僕が生まれたのは戦後だから、制度としての『家』は、すでに
なくなってたんだけど、人々の意識の中には、『家を守る』とか
『家を継ぐ』なんて気持がまだまだ強く残っていて、家の後継者
の第一番目の候補者が、この長男なんだ。
 
 つまり、時代劇で言えば、『お世継ぎ』ってことになるのかな。
 当然、大事にされた。され過ぎたというべきかもしれない。

 僕の田舎は特に封建思想の根強い地域だから、その辺が極端で、
産着に始まって、玩具、ランドセル、学習机、おやつに至るまで
次男以下とは生活のすべてで差がついていたんだ。

 おかげで、弟はいつもブーブー言ってたんだけど、お母さんは
きかなかった。長男と次男で差をつけるのは当たり前の事だって
彼女は信じてたみたいなんだ。

 こんな事書いてると「わあ~~長男って得じゃん」なんて思う
かもしれないけど、ところがどっこい、そうでもないんだ。

 例えば、お入学の時に買ってもらう学習机。僕としては近所の
子と同じキャラクターものが欲しかったんだけど……
 「いけません、あんなちゃらちゃらしたもの」
 と言われて、届いたのは……大人たちがよく書斎に置いている
木製デスク。そりゃあキャラクターものより値段は高いかもしれ
ないけど、子どもにしてみたら、そういう問題ではないからね。

 もちろん、机だけじゃないよ。椅子もベッドも本棚も、部屋に
あるものすべてが大人仕様なの。ランドセルがなければ子供部屋
ってわかんないよ、きっと……

 そうそう、筆箱も大人がよく持ち歩いていた重厚な皮製のペン
ケース。
 その後泣いて頼んで、像が乗っても壊れない筆入れもいちおう
買ってはもらったんだけど、学校へ持って行くのはやっぱりNG
だったんだ。

 僕としては、すべてキャラクターもので揃えてもらってた弟の
方がよほど羨ましかったよ。

 長男というのは家の看板だからね。世間様に恥ずかしい格好は
見せられないという思いが強くあったみたいなんだ。

 これって何も物だけじゃないよ。学業だってそれなりの実績が
求められるのは長男だけで、次男以下には『成績はよいにこした
事がない』程度。出来なくてもあきらめてくれるからこっちの方
が楽なんだ。

 お母さんは、あきめることが許されない長男の僕に対しては、
つきっきりで勉強を教えてたもん。当然、『成績が悪い!』って
叱られるのもたいてい長男(僕)なんだ。

 『弟より勉強時間は長いし、習い事も多いし、長男なんて何の
得があるんだろう?損ばっかりじゃないか』
 って思ってたよ。

 ただ、色々かまってもらえる分、お母さんとの距離が他の兄弟
より近かったのも事実で、長男には…甘えん坊で、依頼心が強く、
楽天的、普段は、ぼ~~っとしているなんて特徴があった。

 こんな子だからね、お母さんが、「お仕置きします!」なんて
角を出しても、じたばたしないで、自分からパンツを脱いじゃう
ようなところがあって、昔から『長男の甚六』なんて呼ばれてる
けど、あれって、あながち間違いじゃない気がするんだ。

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10/17 ハッピースクールライフ(とりとめのない話)

10/17 ハッピースクールライフ(とりとめのない話)

 こう言っては何だが、僕の学校生活はこれといった問題が何も
持ち上がらなかった。
 もちろん、それって本人が単に鈍感なだけとも言えるが……

 先生は優しかったし、友達から虐められたという記憶もない。
お仕置きについては今よりおおらかだったから廊下に立たされる
なんてのまではあったが、僕が小説に書くような過激な事は何も
なくて、毎日のように行われていた体罰も、生徒と先生がじゃれ
あってるような感じのものが多かった。

 僕がもらった一番厳しいお仕置きは、社会の先生に分厚い本を
三冊も渡されて「これ明日までに読んでこい。テストするから」
って言われたこと。

 とにかく目一杯のスピードで読み飛ばし、知識としてはろくに
頭に入っていないはずだったが、僅かな情報の繋ぎ合わせで答え
を書くと、先生は喜んでくれた。

 これが何を意味するのか、その時は分からなかったが、通知表
を開いて驚いた。こりゃダメだなと思っていた数字が社会の欄に
ポンと押してあったのである。

 あとで、そのことを先生に尋ねると……
 「通知表の評価は総合的に判断してつけるから、期末の結果は
気にしなくていいよ。第一、お前、それでなきゃ困るだろうよ」
 と、おでこを当てて顔を覗き込まれた。

 実はこの先生、授業がいつもモタモタしていたものだから僕が
思わず、「先生は僕より知識があるの?」と言ってしまった人で、
それ以来、僕はこの先生の助手みたいにこき使われてて、『口は
災いの元だなあ』と常々自戒していた。しかもこの先生ときたら、
事あるごとに難しそうな本を僕に手渡しては、これを読め、あれ
を読め、誰々先生の講演会を聞いて来いなんてあったから、この
時もさして不思議な感じはしなかったんだよ。

 ま、これは特殊な例にしても、クラスを見渡しても、どの子も
先生と対立関係にあるという子はおらず、先生は第二の保護者。
内申書の記述なんて、どれもべた褒めしているものばかりだから、
そういう意味で高校入試の評価の対象にならないと言われたほど
だった。

 僕の小説に登場する生徒へのお仕置きは極端に厳しくて、実際
にはありえないことだけど、それだって、生徒と教師の信頼関係
が大前提でこのくらいまでなら出来るかな?と思いながら書いて
いるんだ。
 お仕置きとしての限界を意識しつつ、目一杯空想の翼を広げて
描いたのが、僕の小説ってことになるじゃないかな……と、自分
では思っているんだけどね。

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Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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