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第3章 / §4

第三章
   カレンの旅立ち


§4

 先生の家は、確かにサー・アランの邸宅に比べれば質素だが、
大自然の中にあって敷地も充分に広く、白い外壁を取り囲むよう
に周囲は手入れの行き届いた庭が広がっている。

 一行は黄色いバラを這わせた大きな門をくぐった辺りで、丁度、
庭に水をまいていた初老の婦人に出会った。

 「あら、先生、お帰りなさい」

 「やあ、ニーナ。ただいま。出かけた時は咲いていなかったの
に、今は良い香りがします。丹精した甲斐がありましたね」

 「はい、今年は天候に恵まれたせいですか、大きくて立派な物
が多いんですよ」

 「ほら、ほら、そんなにしがみついたら重たいよ」

 「どうかなさったんですか?」

 「いえね、途中で拾いものをしたんだよ」

 先生がそう言うと、その拾いものが二つ、先生の肩にぶら下が
ろうとして飛び跳ねている。

 「あらあら、あなたたちだったの。ちょうどよかったわ。ヒギ
ンズ先生も『もうそろそろ許してあげましょう』なんておっしゃ
ってましたから……」

 ニーナにつられて二人は笑顔を見せたが、まだ先生の腰からは
離れようとしなかった。
 というのも、家の中にまだ、恐い人が残っていたから……。

 と、その時だった。その恐い人が二階のテラスから顔を出す。

 「先生、お帰りになってたんですか。ちょうどよかった二階に
上がって来てくださいな。その悪ガキ二人組も一緒に……こっち
は、もう大変なんですから……」

 結構、貫禄のあるその中年のおばさんは、先生を見つけるなり
まくし立てる。

 事の次第はどうやらこの二人が知っていそうだが、先生は例に
よって小首をかしげて微笑むだけで、あえて二人に事情を尋ねない。

 そのまま全員が二階へと上がって行くと、そこは先生が仕事を
する広い書斎。

 この件では用がないかも知れないラルフとカレンも一緒。
 一方、チビちゃん二人は、本当は別の所へ行きたいのかもしれ
ないが、こちらもおつきあいすることになった。

 「見てくださいよ。先生。先生のピアノが、ほら!」

 見ると、先生の書斎に置かれた純白のグランドピアノに、クレ
ヨンで色とりどりの装飾がなされている。

 草花やお家や太陽やパティーやキャシーや先生もいる。

 「……ほう(^_^;)」
 先生はそれに気づくなり、にっこりと笑って見せた。

 「いやあ、これはなかなか見事な芸術的な作品じゃないですか
(^◇^)パティー、あなた、なかなか絵の才能がありますよ」

 先生はそう言ってパティーの腰を掴むと目よりも高く持ち上げ
る。
 それは彼女がピアノの屋根に描いた芸術作品をもっとはっきり
見せてやろうという親心だった。

 「おじちゃま、私の絵、好き?」

 「あ~、大好きだよ。心のこもった絵は大好きだよ。だから、
しばらくこのままにしておこうね」

 先生は、おねだりが功を奏して肩の上の見晴らしをを再び手に
入れたパティーに向かってこう言うと、ベスには……

 「……というわけだから、ベス、その絵はそのままでいいよ。
消してしまうのももったいないでしょう。あとはそのままにして
おきましょう」

 ブラウン先生はせっかく途中まで消してくれたベスの苦労より、
気まぐれで描いたパティーの絵を選んだのである。

ただ、先生のそれは誰に対しても寛容というわけではなかった。

 「ところで、このクレヨンはあなたのではないようですが……」

 「キャシーお姉ちゃんが貸してくれたの(^_^)」

 「そう、キャシーがね……親切なお姉さんでよかったですね」

 「わ、わたし知らないわよ。それはパティーが無断で……」
 いきなり振られたキャシーは青い顔になる。

 「キャシー。あなた……「これで描きなさい」ってパティーに
クレパスを渡しましたね」

 「私は……」

 「あまり見苦しいまねをしてると、またお尻が痛くなりますよ」

 先生にこう言われるとキャシーは今だ悪夢の残像が残るお尻を
確かめながら口をつぐんだ。

 すると、代わりにラルフが口を開く。

 「でも、先生。現場も見ていないのにどうしてわかるんですか?」

 「はははは(^◇^)」先生は高笑いをしてパティーを膝に下ろす
と、そのままピアノの前に座った。

 すると、まるで条件反射のようにパティーがピアノを叩き始め、
稚拙な音だがバイエルの一曲が聞こえ始める。

 「ラルフ、私はこう見えてもこの子たちの親ですよ。その親が
娘の考えていることぐらい分からなくてどうしますか。親を長く
やっているとね。子どもが今やっていること、感じていること、
それこそ何でもわかるようになるんです」

 先生は大きなピアノに向かって小さな指が奏でるメロディーに
満足そうだった。

 「どうしてです?そんなことが出来たら超能力者ですよ」

 「ええ、そうですよ。親は子どものことでは超能力者ですよ。
そんな事、そんなに不思議なことですか?」

 「どうして?」

 「愚問ですねえ。愛しているからに決まってるじゃありません
か。親だからじゃありません。愛しているから分かるんです」

 「愛している?」

 「そう、私が子どもたちを愛しているからです。あなたも私も
同じ屋根の下にいてこの子たちと過ごす時間は同じようなもので
しょう。……でも、私にはこの子を育てなければならないという
責任がありますから。今、この子たちが何をしているかをいつも
注意深く観察しています。すると、そのうち、この子たちが、今、
何を考えているか、おおよそ判断がつくようになるんですよ」

 「そういうもんですかね……」

 「そういうものです。さっきも、事実は、この二人が草原の枷
に一緒に繋がれていたというだけでしたが、私は、馬車の中で、
この事態をおおむね想像していましたから、どうしようかあれこ
れ考えながら二人の方へ歩いていったんです」

 「またまた……」
 ラルフはそんなことあり得ないと言わんばかりに嘲笑する。
 しかし、先生は大まじめだった。

 「あなたも、子供をもってその子を愛してみればわかります。
その子の顔色を見ただけで、たいていの腹の内は読めますから。
…愛する子供との間には言葉以上に必要なものがあるんですよ」

 「それって、何ですか?」

 「信頼関係です。言葉では言い表せない信用。これがなくなっ
たら親は子供をぶたなくなります。ぶてば虐待にしかなりません
からね。そして、愛され続けた子どもの方でも、そんな親の変化
をちゃんと感じ取って修正できるんです。これが親子の信頼関係。
お仕置きって、外から見ると野蛮な行為に見えますがね、これは
これで立派なスキンシップなんですよ」

 先生は、ラルフに向かって得意げに講釈していたが、キャシー
が部屋から逃げ出そうとするのを見つけると、慌てて呼び止める。

 「キャシー、あなたへのお話はまだすんでいませんよ」(`ヘ´)

 「お・は・な・しって……私は別に……ヾ(^_^)BYE」

 「別に?ですか?…『私はパティーにクレヨンを貸しただけ、
ピアノにお絵かきはしていません』とでも言うつもりですか?」
(`_´)

 「…(^_^;)…」

 「あなたがもっと幼くて、お馬鹿さんならそれも良いでしょう。
でも、あなたはもう10歳にもなってるし、何より、あなたは、
とっても賢い子なんです。そんな言い訳はしてほしくありません
ね」( -_-)

 「……(^_^;)……」

 先生はしばしキャシーの反応を待っていたが、応答がないみた
いなので、こう言わざるを得なくなった。

 「ごめんなさいが言えないみたいですね。どうやら、あなたは
自分でやってないから、私は悪くないと居直ってるのかもしれま
せんね。でも、幼い子をそそのかして罪に陥れるなんてことは、
ここでは許されないと何度も教えたはずですよ。忘れましたか?」

 「……ごめんなさい」
 キャシーの口からやっとゴメンナサイが出たが、ブラウン先生
は許さなかった。

 「しかも、あなたの場合は、単に自分で手を汚さないだけでは
なく、幼い妹たちがこの件でお仕置きでもされようものなら、隣
の部屋からその悲鳴を聞いては楽しんでいる。まったくもって、
悪趣味もいいところです」
σ(`´メ∂

 「……(-。-;)…………」

 「私はあなたのそんなところが嫌いなんです。そもそも、もし、
本当に自分が悪くないと思ってたら、あの枷の前で震えてたのは
なぜですか?叱られるような悪いことをしたと思っているからで
しょう」

 「……(-。-;)…………」

 「あなたは頭がよくて度胸もあるけど、人に対する思いやりは
欠けていますね。今日は、あそこへ行って座っていなさい。よい
と言うまでは降りてはいけませんよ」凸(ーーメ

 先生は、部屋の隅にしつらえられた小さな舞台に、これまた、
ちょこんと乗った木馬を指さす。それは幼児用の木馬を少しだけ
大きくしたようなもので、跨るとロッキングチェアのように前後
に揺れる。

 遊具のようなものだから、そこへ跨っても痛くもかゆくもない
はずなのだが、キャシーはなかなかその木馬に乗ろうとしなかった。

 「どうしました?恥ずかしいですか?私との約束ですよ。今度、
同じようなことをしたら、お馬に乗りますって約束したでしょう」

 ブラウン先生が少し強い調子で迫ると、キャシーの顔は今にも
泣きそうになった。

 「…………」

 というのも、この木馬へはショーツを脱いで乗らなければなら
ない約束になっていたからで、たとえ10歳の子供でも、それは
とてつもなく恥ずかしかったのだ。

 しかも、先生はこうした事には厳格で、同じ罰を14歳の子供
にさえ与えることがあった。

 「あなたはこうしたことが癖になってしまって、罪悪感が希薄
なのです。でも、それは直さなければなりません。そのためには
恥をかくお仕置きが一番いいのです」

 もちろん、10歳のキャシーは先生の命令に逆らえない。もう、
絶体絶命のピンチだったのである。

 「恥をかくって?」
 カレンはラルフに尋ねたが、答えたのはブラウン先生だった。

 「キャシー、お約束は覚えてますね」

 「…………」
 キャシーが無言のまま、小さく頷く。

 「分かっているならそうしなさい。お約束ですよ。ショーツは
脱いでお馬にまたがるんです。まごまごしてると夕食の時だって
下はすっぽんぽんです。それでもいいんですか?」(-_-メ)

 先生の怒りにラルフからは……
 「あ~あ、可哀想に……キャシーもいい加減に悟ればいいのに
……」

 パティーも不安そうに抱かれた先生の顔を見上げる。

 「お姉ちゃん、お仕置きなの?」
しかし、返ってきたのは小さな頷きだけだった。

 ここへ来て周囲はキャシーに同情的になったが、先生は譲らな
かったのである。

 「私は血も涙もない冷血人間ではありません。でも、しつけは
必要です」

 ブラウン先生は胸を張るが……

 「でもね、先生。今日はカレンも見てるし……キャシーだって
恥ずかしいですよ」

 ラルフが助け舟をだすが……

 「君もおかしなことを言いますね。恥ずかしいおもいをさせる
からお仕置きなんですよ。だいいち、ここは村の四辻ではありま
せん。ここには家族しかいないじゃありませんか。カレンだって
今日からはここの家族なんですよ」

 ブラウン先生は頑固だった。
 彼は、子供の悪戯やケンカ、しくじりといったことにはとても
寛容だったが、嘘をついたり人を陥れるようなことには対しては
厳格な人だったのである。

 「カレン、あなただってまだ子どもの年齢ですからね。これは
無縁ではありませんよ」

 先生はそう言い残して木馬の処へやってくると……

 「……!……」

 自らキャシーのショーツを引き落とし、短いスカートのすそを
腰の辺りまで跳ね上げてピンで留めてしまう。

 それが女の子にとってどんなに辛いか……。
 でも、ここではそれに逆らうことは誰もできなかったのである。

 「怖いかい?」
 ラルフがカレンの耳元でささやく。

「!」
 その声でカレンはハッと我に返った。

 今まで優しい人だとばかり思っていたブラウン先生の憤慨に、
少女の身体は、その瞬間まで固まっていたのである。

 すると、そんなカレンに向かってラルフが続ける。
 「先生って、モラルにはとても厳しい人なんだ。……何しろ、
わざわざ自費で小学校までは建てるような人だからね……」

 「小学校?」

 思わずカレンも口をついて言葉が出る。
 それに気づいてラルフの声はさらに小さくなった。

 「そう、ここは人里離れた場所にあるからね。孤児院から子供
を預かるだけじゃなく、小中学校まで作っちゃったんだ。おかげ
でみんな噂してるよ」

 「噂って……どんな……」

 「先生も、お歳だろう。もう、あっちの方が役に立たないもん
だから、子供で間に合わせてるんじゃないかって……」

 「あっちの方?」

 カレンがぼそっとつぶやく。彼女はまだ幼く、『あっちの方』
と言われても、それが何を指すものか、すぐにはピンとこなかっ
たのである。

 一方、その声を聞きつけた先生の方はヴォルテージはあがる。

 「ラルフ、聞こえてますよ。聞き捨てなりませんね。誰が青髭
ですか!」

 「誰もそんなこと言ってませんよ」

 「言ったじゃないですか、私が、さも子どもたちを自分の慰め
ものとする為に育てているようなことを……」

 「ですから、……噂ですよ。せ・け・ん・の・う・わ・さ……
まったく、年寄りはひがみっぽいんだから……」

 「あなたもそんな風に思ってるんじゃないですか?」

 「思ってませんよ!」

 「でも、小学校まで建てるなんて……凄いんですね」
 カレンが素直に驚くと、先生は少しご機嫌がよくなり、背広の
両襟を両手でぴんと伸ばしてやや反り返ると、例の得意げな笑顔
になって……

 「ありがとう、カレン。私に変な野心なんてありませんよ。ただ、
せっかく育てているのですから、子どもたちには私の望むように
育っていって欲しいのです。……男の子は男の子らしく、誠実で
勇気があって……女の子は女の子らしく、淑やかに、清楚に…」

 「(^_^;」

 「おかしいですか。…かもしれませんね。でも、私は、今様の
『自分でお金を稼いで成功することこそ女の子の幸せだ』などと
いう考えにはなじめないのです。それを野心というなら、そうで
しょうが……それに……この国では、小学校の認可は極めて下り
やすいのです。四五人の生徒とそれにふさわしい先生がいれば、
いつでも始められますからね。だから、この国の自由な教育制度
には感謝しているんですよ」

 先生はキャシーの木馬から戻ると、膝に抱いたパティーの為に
子守歌を弾いている。
 そのせいでもあるまいが、パティーは先生の胸の中ですぐに
寝てしまった。

 「あ~あ、この子、先生の膝で寝てしまって…ほら、パティー、
だめよ、先生のお膝で寝ちゃ」

 ベスが揺り起こそうとするのを先生が遮る。

 「あっ大丈夫。私がベッドに運びましょう。きっと、草むらに
繋がれていたんで、疲れたんでしょう。少しだけ昼寝をすれば、
また元気になりますよ」

 「キャシーもお昼寝させましょうか?」
 ベスがそっと助け舟を出すが……

 「いえ、あの子は夕食まであのままにしておいてください。もし、
その前にあそこを離れるようなら私に言いつけてください。もっと
目の覚めるようなお仕置きをしますから……今度の日曜日あたりは
特別な反省会を開いても、良いかもしれませんね」

 ブラウン先生の言葉は当然キャシーにも届いている。

 「…………」

 その瞬間は、まだ何か言いたげだったが……

 先生の鋭い眼光が、お尻りを丸出しにして木馬に跨るキャシー
の落ち着きのない瞳を射抜いてしまうと……

 「…………」

 そこはまだ子供のこと、少女はもう何も言えなくなって、ただ
ただ下を向いて耐えるしかなかったのである。

 「ベス、では頼みますよ」

 先生はパティーを抱きかかえると、部屋を出る。
 そして、ラルフには、カレンを連れて家の中を案内するように
命じたのである。

********************(4)*****

ギリンガムの水車場(コンスタブル)
ギリンガムの水車場(コンスタブル)

*************<第三章はここまでです>***

第3章 / §3

第三章
   カレンの旅立ち


§3

 先生とラルフ、それに新しい家族となった少女が、夜行列車を
乗り継いでたどり着いたのはウォーヴィランという山の中の田舎
町だった。

 週末こそ急行列車が臨時停車することもあるが、平日はというと、
お義理に列車がその駅に止まっても、誰も降りないし乗り込まない。

 だから、三人ものお客さんが降り立ったこの日は、その列車の
車掌さんにとっても特別な日。カレンが列車の床とプラットホー
ムの段差に戸惑っていると、車掌さんが抱っこしてぺんぺん草の
はえたホームへと下ろしてくれた。

 「ありがとうございます」
 カレンが恥ずかしそうにお礼を言うと車掌さんも恥ずかしそう
に帽子のひさしに手を添えてこたえた。

 抱っこだなんて、五、六歳の頃、お父さんからやってもらって
以来の事。ずいぶん久しぶりだったが、今はその時にはなかった
興奮が身を包む。

 『男の人から抱かれた!』
 カレンの体はもう完全な子供ではない。だから恥ずかしかった
のだ。心ひそかに興奮するカレンだが、もちろんそんな事は顔に
ださない。

 降り立った場所には青空と緑と新鮮な空気があったからカレン
にとってもそこは決して不快な場所ではなかった。

 「(わたし、ここで暮らすのね)」
 カレンは遠くアルプスの山々を見ながらあらためて自分が新た
なステージに立ったことを実感するのだった。

 と、それはともかく、ここはこんな田舎の駅なのだから、当然、
駅前にバスやタクシーなんて気の利いたものはない。
 先生たちは、駅前の農家に馬車を出してもらうと、それを足代
わりにして家路に着いていたのである。

 「馬車は初めてかい。お尻が痛いだろう?先生はドのつくほど
のケチんぼだから、お金はあるのに自分で車を買おうとはしない
んだ」
 ラルフの気遣いにカレンが笑う。
 「大丈夫です」
 カレンも慣れたのだろう。サー・アランの屋敷を出た時に比べ
れば、よく笑うようになっていた。

 しかし、ラルフの言葉に先生は不満そうだ。

 「ラルフ、何度言ったら分かるんですか、私はケチで車を買わ
ないのではありません。あの排気ガスの匂いがいやなだけです。
カレン、あなただって、ああした石油ガスの匂いは嫌でしょう?」

 「ええ」

 「ほれ、ごらんなさい。誰だってあんな匂いは嗅ぎたくないの
ですよ」

 得意げに先生が胸を張ると、ラルフが……

 「そうですかねえ。私は子供の頃、車が来ると喜んであの匂い
を嗅ぎに行ってましたけどね。……なんて言うか……そう、文明
の香りでしたよ。あれは……」

 「馬鹿馬鹿しい、よほど野蛮な町で育ったんですね。あなたは
……カレン、これから行くカレニア山荘はそれはそれは美しい所
ですよ。あなただって、きっと気に入るはずです。……四季折々
の草花に囲まれ、澄んだ湧き水にボート遊びもできます……おう、
早いですね。もう見えてきました。若い娘さんと一緒だと、とり
わけ、時間のたつのが早く感じられます。……???」

 ブラウン先生はそこまで饒舌に語りかけていたいたが、ふと、
窓の外に何かを発見したようだった。

 「あっ、すみません。ここで止めてください」

 先生は馬車をいったん止めさせると、にやりと笑って、馬車を
降り……

 「あなたたち先に行って待っててください。私もすぐに山荘へ
戻りますから」

 そう言い残して、今はツユクサの花が咲き乱れる草原へと歩み
出したのである。

 「どうかなさったんですか?」

 心配そうにカレンが尋ねると……
 ラルフは……

 「いえね、子どもたちがお仕置きされてるのを見つけたんで、
助けに行ったんですよ。とにかく子供の好きな人だから……」

 「……」

 カレンは先生が行こうとしている方向に目を凝らす。

 と、確かにそこには、生い茂る夏草に隠れるようにして二人の
幼い女の子が見て取れた。

 ただ、ラルフが言うように二人がお仕置きされているのなら、
大人の姿が見えないのが不自然だし、だいいち、遠目からにしろ
二人の少女が泣き叫んでいるという様子もなかったのである。

 「私たちも行ってみますか?」

 悪戯っぽい顔をしたラルフの誘いに、

 「いいんですか?山荘で待ってなくても……」

 と尋ねると、意外な答えが返ってくる。

 「かまいませんよ。どうせ、あの子たちも先生にとっては自分
の子供のようなものなんですから……」

 「子供のような?……」

 いぶかしがるカレンにラルフは説明する。

 「先生は里子を7人ほど育ててるんです。あれはその中の二人
なんですよ。…さあ、僕たちも行ってみましょう。ここからなら、
山荘へも歩いてそんなに遠くありませんから……」

 ラルフは御者に荷物を山荘へ運び込んでくれるように頼むと、
四百メートルほど行った先からカレンと一緒に先生のあとを追う。

 一方、先生の方は、一足先に目的地に着いていた。

****************************

 「やあ、二人とも元気だったかい」

 そこは広い草原の真ん中。色とりどりの草花に囲まれて女の子
が二人、先生を迎えてくれたのである。

 「先生、おかえりなさい」
 「おじちゃま、お帰りなさい」

 一人は6歳くらいで草原に両足を投げ出して座り、もう一人は
少しだけお姉さんで10歳くらいか、柵の間に首と両手を乗っけ
たようにして立っている。

 二人とも今すぐにでも先生に抱きつきたかったのかもしれない
が、それはかなわなかった。

 「おや、パティー、お昼ご飯は食べたかい?」

 「食べたよ。お昼ご飯のあとで、ベスおばちゃんがここへ連れ
て来たの」

 「おいた、したのかい?」

 「わからないけど、そうみたい。とっても怒ってたから」

 「そう、恐かったねえ。(∩.∩)でも、もう大丈夫だよ。
おじいちゃんが外してあげるからね」

 先生はパティーの前では終始笑顔で、彼女の頭をなで、おでこ
やほっぺを擦りあわせてはあやしている。そして、彼女の両足を
挟んでいた厚い板の掛け金を外してやると、自由になったお祝い
にと飛びついてくる彼女の暖かい抱擁を受けることになった。

 「わあ、ありがとう、ありがとう」

 ブラウン先生はパティーから首っ玉にしがみつかれて少々困惑
気味だったが、その顔は満面の笑みのままである。

 「わあ、寂しかったねえ。……でも、もう大丈夫だよ」

 先生は、じゃれつくパティーがこうして欲しいのだと悟って、
彼女のお尻をすくい上げると、肩の上へ。

 「(はははは)高いだろう。パティーは高いところが大好きだ
もんな」
 「うん」

 そして、その姿のまま、今度はキャシーの元へと向かうのだ。

 「やあキャシー、元気かい?君もこう毎日毎日同じ風景ばかり
じゃ、見飽きるでしょう?こいつもたまには角度を変えてやった
方がいいかもしれませんね。どうせ、明日もまた使うことになる
でしょうから……」

 先生が皮肉を込めて『こいつも』と言って叩いたのはピンクや
モスグリーンやライトブルーなんかで塗り分けられたぶ厚い板。
色だけはカラフルだが、こちらはパティーのとは違い、立ったま
まの姿勢で首と両手首を両方いっぺんに厚い板に挟まれていた。

 これはピロリー(pillory)と言って、その昔、破廉恥な罪を犯し
た者をさらし者にしておく為の枷。もちろん中世の頃のものでは
なく、先生が新たに挟む部分にクッション材をいれたりして考案、
新たに建具職人に作らせたものだった。
 
 つまり、地面に座っていられるパティーに比べて、立たされた
ままのキャシーの方がお仕置きとしても重いものだったのである。

 「ところで、キャシー。この間は森の入口でブナの木の妖精を
やってたみたいだけど、今日はこちらの草原で何をしてるのかな。
今回はモンシロチョウの妖精にでもなったのかい?」

 先生の言うブナの木は、森の入口にあって、ここにも同じ様な
枷が設置してあった。キャシーは、昨日まで、そこの住人だった
のである。

 彼女、そこに繋がれた時に……

 「わたし、ブナの木の妖精になったの」

 なんて、先生に強がりを言ったもんだから、先生がからかった
のだった。

 しかし、パティーもそうだが、このキャシーも、先生の登場に
笑っている。こちらは何だか苦笑いだが、二人には悲壮感はまる
でなかった。むしろ先生が現れて、二人は『助かった』と思って
いたのだ。

 実際、先生は子供たちの期待を裏切らなかった。

 「ほら、クマさんが寂しがってるよ」

 先生は、キャシーにまとわりつく窮屈な首輪をはずしてやる為、
まずは、パティーを地面に下ろし、転がってしまったパティーの
クマのぬいぐるみを抱かせる。
 パティーに、もう抱っこから降りなさいというわけだ。

 「さあ、今度はお姉ちゃんのお仕置きを解いてあげようね」

 点数稼ぎというわけでもないだろうが、先生は、幼い子供たち
にとても優しかった。
 ただ、キャシーについて言うと、彼女の場合は無条件で自由の
身になったわけではなかったのである。

 そんなブラウン先生がキャシーの枷を外そうとした瞬間だった、
後を追ってきた二人が先生の前に登場する。

 「おや、お二人さん?馬車を降りたんですか?そのまま乗って
行けばよかったのに。ここは露草で足元が濡れますよ。……ま、
いいでしょう。ここから自宅まではそう遠くありませんから」

 先生は例によって小首を傾げて微笑を浮かべる。

 その笑顔の向こう側を覗き込むようにして、ラルフが止まり木
の住人をを発見する。

 「おやおや、キャシー。また君かい!まだ小さいのに悪戯だけ
は一人前なんだから……今日は何をやらかしたんだ!……あまり
目に余るようだとまた孤児院へ返されちゃうぞ!」

 少し嘲笑気味にラルフが叫ぶと、先生はむしろラルフを諌めた。

 「ま、そう怒りなさんな。この子にはまだ自分のしている事が
どれほどの悪事か分かっていないのです。何にせよ、子供は元気
なのが一番です。こんな所に縛ってしまうと、せっかく神様から
戴いた無限の可能性がしぼんでしまいます。特に女の子は独りに
しておいていいことはあまりありません。常にみんなのいる所で、
たっぷりと、可愛がってあげないとね……」

 先生はそう言って、あらためてキャシーの枷もはずしてはくれ
たのだが……

 「……こんな所に見張りもおかず孤独にしておくくらいなら…」

 「あっ、だめえ~」

 キャシーは事態の急変を悟って、慌てて叫んだものの、手遅れ
だった。

 先生は大柄な人ではないものの、10歳の少女くらいならどう
にでもなろうというもの。
 先生はキャシーの身体をいったん軽々と空中に放り投げてから
キャッチ。手頃な石の上に腰を下ろして……

 「いやあ~ん、ごめんなさい…だめえ~やめてえ~(パン!)」

 可愛いお尻を叩き始める。

 「いやあん、恥ずかしいから……」

 こんなに小さい子だから、そんなのは当然とばかりにショーツ
も剥ぎ取られてしまった。

 お嬢様の時は時間を掛けるので最初は軽くだったが、今度は、
最初から一つ一つ力を込めて叩き始める。

 「キャシー、私が何も知らないと思ってるんですか!(パン!!)」

 「いやあ、ごめんなさ~い」

 「あなたの悪い癖は、何かというと人をそそのかして悪戯する
ことです。妹たちがお仕置きされてるのが、そんなにおもしろい
ですか!それはあなた自身が直接やるよりいけないことですよ!
(パン!!)」

 「いやあ、痛い、痛い、もうやめてえ~」

 「やめて~じゃないでしょう!どうせ今度も、パティーをかど
わかしたんでしょう(パン!!)」

 「だめえ~~痛いの嫌い!(>_<)」

 「誰だって痛いのは嫌いです!(パン!!)」

 「いゆあ~~やめてえ~~(>_<)ゞ」

 「やめて~じゃないの!『わかりましたか』って、聞いてるん
ですよ!(パン!!)」

 「いやあん、わかりました。もうしませ~ん(/_;)」

 「本当に?(パン!!)」

 「ほんとう!やめて~だから、やめて~(>_<)ゞ」

 「本当?嘘じゃない?(パン!!)」

 「あ~~~ん、うそじゃないから~~~(T.T)」

 「信用できませんね(パン!!)」

 「ほんとに、ほんと、本当だから(>_<)」

 「今度、嘘ついたら、ローソクのお仕置きですからね(パン!!)」

 「いやあ~ん、だめえ~~、ローソクはだめえ~~(T_T)」

 「だめえ~って、仕方がないでしょう。キャシーがいい子なら、
こんなことにはならないんですから。そんなに嫌なら、言われた
ことをよ~く覚えておきなさい(パン!!)」

 「なりなます。いい子になります。約束します。本当に…約束
しますからあ~(;。;)」

 「だったら、本当に約束するね(パン!!)」

 「だから、ローソクだめえ~(>_<)」

 「本当だよ!!(パン!!)」

 「本当に約束します。いい子になります(>_<)ゞ」

 「ようし、じゃもういい」

 先生はほとんど力任せとも思えるような力で、10歳の少女の
お尻を一ダースも叩いた。

 もちろん、力任せと言っても理性を失っていたわけではないの
で手加減はしているのだが、幼い子には長い時間のお仕置きより
厳しくても短い時間の折檻が有効だというのが先生の持論だった
のである。

 先生は絹のハンカチでパティーの顔を拭うと、みんなで一緒に
手を繋いで家路につく。

 そして、もう家に着く頃には……

 「ねえ、おじちゃま、バーディーのお人形買って……」
 「この間、買ってあげたんじゃなかったかい?」
 「新しい着せ替えセットがでたのよ」
 「あ、パティーずるい。それ、私が最初に見つけたやつでしょ。
それは私が先よ」

 パティーにしろ、キャシーにしろ、つい先ほどまで自分たちが
お仕置きされていたことなんて、けろりと忘れて、先生の両足に
まとわりつくと離れなくなっていたのである。

 草原のグラスは大人の腰の高さほどもあり、二人のチビさん達
なら顔が隠れるほど。しかも、露を含んでいるから、押し分けて
通るうちにその人の服を濡らしてしまう。

 そんな露草にカレンが気を取られるうち、いきなり視界が開け、
そのお屋敷はいきなり彼女の目の前に現れたのだった。

 『山荘って……こんなに大きいんだ』

 カレニア山荘は木造のロッヂ風だが、ホテルほどもある大きな
二階建ての建物だったのである。

*******************(3)******

第3章 / §2

第三章
    カレンの旅立ち


§2


 次の日、車の後部座席には三人が乗り込む。
 ブラウン先生にラルフ、それにカレンだ。
 そのカレンは、古いピンクのトランクに着替えだけをねじ込むと、
白いレースのハンカチが乗った籐製のバスケットを一つ手に持っ
ていた。
 まるでピクニックにでも行くようないでたち。

 「先生、色々ありがとうございました」
 お嬢様のお見送りはなかったが、サー・アランが車寄せで一行
を見送る。

 「それでは、これでおいとまします。吉報をお待ちください」

 「申し訳ありません。フランソワは何だか気分がすぐれないと
申しておりますので……」

 「いえいえ、お見送りは結構です。私は私の仕事をこなすだけ
ですから」

 ブラウン先生はいつもの様にこやかな笑顔。しかし、次の瞬間
は、その顔を少し引き締めて、こう付け加える。

 「……でも、これだけはお嬢様にお伝えくださいますか?」

 「何でしょう?」

 「『もし、あなたが音楽院に行くようなことになったら、この
程度のことで部屋に引きこもっている暇はありません』」

 「なるほどそうでしょうね。わかりました。伝えましょう」

 「音楽院というのは子ども相手の音楽教室とは訳が違います。
みんなが演奏家としてプロを目指して集まって来る処ですから、
毎日毎日全神経を音楽のことにだけに費やして暮らしています。
利用できるものは全て利用しても、最後に頼れるのは自分だけと
いう厳しい世界なんです。それを乗り越えさせる原動力はピアノ
で相手を振り向かせたい、自分の思いを伝えたい、と願う純粋で
愚かしい心だけなのです」

 「愚かしい?ですか?」

 「そう、愚かしいことです。人を振り向かせるには、音楽より
言葉の方が有効でしょう。権威やお金、容姿や暴力、計略だって
あります。それを音楽だけで、ピアノだけで、と願うのに合理性
なんてありません。馬鹿げています。でも、その愚かしさを貫く
人にしか、人を感動させるピアノは弾けないのです」

 「娘は愚かしくないというわけですか?」

 サー・アランが少し渋い顔をするが……

 「いえいえ、娘さんはまだ若い。やりたいもたくさんおありで
しょう。それはそれで大変結構なことです。多種多様の感性は、
その音楽に深みと余韻を与えます。でも、常に最後にはピアノが
残らないのなら、音楽院での暮らしは、ただただ空虚なものにな
ってしまうと申し上げているのです」

 「それを、昨夜、あなたが教えてくださったんだ」

 「いえいえ、そんな厚かましいことは想っていませんよ。ただ、
音楽院というところは一般社会より一世紀も昔の時計が支配して
いますからね……それをお嬢様に伝えたかっただけなのです」

 「野蛮なところなんでしょうかね?」

 「外の方にはそう見えるかも知れません。でも、何かをなそう
とすれば、そこはくぐらなければならない試練の火の輪なのです。
時計は古くても、それが必要だからそこに掛かっているんです。
そうしたことはいかなる分野にあっても同じでしょうが……おお、
これはこれは、話し込んでしまって、すっかり遅くなってしまい
ました。最後に、素敵なピアノありがとうございました。あの様
な名品を頂戴できるとは身に余る光栄です」

 「どういたしまして、でも、本当に必要だったのは、どうやら
演奏者の方だったようですね?」

 「ははは(^_^;)……それでは」
 先生はそれには答えず、フェルトで作られたハットのひさしに
軽く右手を添えると、例の調子で微笑んでみせた。

 「お願いしますよ」
 先生は運転手に一声かけて前を向く。
 車はこうして広い広いサー・アランの屋敷を出発したのだった。

****************************

 「何だかサー・アランは彼女の才能を知っていたみたいでした
ね?」

 ラルフが言うと……

 「当然です。音楽の事は知らなくても、彼は立派な教養人です。
私の気持ちを汲んで取りはからってくれたのでしょう。それは、
私も同じです。彼の気持ちに答えなければなりません。それが、
紳士というものです」

 凛とした先生の視線は何だが自分だけのけ者にされたようで、
ラルフには少し抵抗感がある。そこで……

 「はいはい、さようですか、私も大人なんですけどね……」
 と、少し腐った様子で言うと……

 「そう、そう、たしかに年齢的には……君も……そうですね」

 先生は、一人前の紳士を主張するラルフの顔を、まるで背伸び
する子供を見下ろす親のような目で見つめる。

 「あのう……」
 そんなブラウン先生に、今度はカレンが口を開いた。

 「先生、よろしかったらどうぞ。サンドイッチ作ってきました
から」

 すると、とたんに先生の顔色が変わった。

 「おう、これはこれは…忘れていました。ありがとうカレン。
あなた、気が利きますね」

 「いえ、これ、本当はスコルビッチさんが作ったんです」

 「おう!そうでしたか。あなたはなかなか正直だ」

 ブラウン先生の満面の笑みがお気に召さないのか、ラルフは、
つまらなさそうに、こう呟いた。

 「女の子は得ですね。何を言っても褒められるんだから」

 そんなラルフを無視して、先生はサンドイッチを一つ手にいれ
る。

 「君、つまらないひがみは、紳士の品格をさげますよ」

 ブラウン先生はそう言ってラルフをたしなめたが、すぐに、手
にしたサンドイッチに挟み込まれた小さな紙片に気づくことに
なる。

 「なんですか?それ?」

 異変に気づいて、ラルフが頬をすり寄せると、先生は少し厄介
そうな顔を作りながらも、こう言ったのである。

 「ナターシャ・スコルビッチ先生の伝言ですね。……『この子
を世に出してください』とだけ書いてありますね」

 「この子って?」

 「カレン以外にいますか?」

 気色ばむ先生にラルフはネクタイを緩めながら……

 「いや、お嬢様のことかと……」

 「だったら、こんなことする必要がないじゃないですか。面と
向かって、『お願いします』でいいでしょう。……彼女もやはり、
あなたの才能には目をつけていたみたいですね。あなたは幸せ者
だ」

 「わたしのこと?」

 「そうです。誰もがあなたのピアノに感動し、あなたの音楽を
今一度聞きたいと願っています。ピアニストにとってこんな嬉し
いことはありません」

 ブラウン先生はそう言ってカレンの頭をなでた。

 「……ただ、残念ながら、クラシックの道は……もう遅いかも
しれませんね。あそこは杓子定規で融通の利かない世界ですから
……」

 先生の目じりの皺が深くなり柔和な笑顔がのぞく。まるで実の
娘か孫でも見ているような優しい目だ。

 「……でも、大丈夫。型にはまったクラシックだけが音楽じゃ
ありませんから……ジャズ、ポップス、映画音楽……万人が感動
できる音楽にこそ値打ちはあるのです。軽音楽だなんて言って、
馬鹿にしちゃいけません」

 先生はいつの間にかまっすぐ前を見ている。
 そこには、広い広い葡萄畑の真ん中をまっすぐ切り裂くように
未舗装の道が丘の向こうへと続いていたが、あるいはもっと遠い
世界が、先生には見えていたのかもしれなかった。

******************(2)******

第3章 / 登場人物と§1

カレンのミサ曲


*************<登場人物>*********

(お話の主人公)
先生/トーマス・ブラウン
……音楽評論家。多くの演奏会を成功させる名プロデューサー。
ラルフ・モーガン
……先生の助手。腕のよくない調律師でもある。
カレン・アンダーソン
……内戦に巻き込まれて父と離ればなれになった少女。


(アラン男爵の家の人々)
サー・アラン
……広大な葡萄園とワイン醸造所を持つ人の良い男爵。
フランソワ
……サー・アランの娘。内気な娘だがカレンには敵愾心を持つ。
ナターシャ・スコルビッチ
……フランソワのピアノの先生。あまり容姿を気にしない。
その他
……お屋敷の女中頭(マーサ)メイドの教育係(スージー)等


(先生の家の人たち)
ウォーヴィランという山の中の田舎町。カレニア山荘
ニーナ
……先生の家の庭師。初老の婦人。とても上品
ベス
……先生の家の子守。先生から子供たちへの懲罰権を得ている。
パティー
……先生の里子(6歳)おとなしいよい子、寂しがり屋
キャシー
……先生の里子(10歳)他の子のお仕置きを見たがる
ヒギンズ先生
……子供たちの家庭教師。普段は穏和だが、怒ると恐い。

****************************


第三章
    カレンの旅立ち


§1

 先生の取った行動は都会なら眉をひそめる人もいただろうが、
田舎ではそれほど突飛なものでもなかった。
 14歳は、都会でならもうそろそろ大人の女を主張し始めても
おかしくない年頃だが、田舎ではまだまだ純粋な子どもの年齢な
のだ。

 実際、くだんのお嬢様にしたって、つい数年前までは素っ裸で
川遊びをしていたのだから、田舎は生活の全てがまだまだ牧歌的
だった。

 実際、サー・アランの招いた招待客の中にも先生を非難する者
はいなかったし、無礼な振る舞いに出た14歳の小娘がみんなの
前でお尻を叩かれたとしても、それほど驚くには値しなかったの
である。

 もっとも、当のお嬢様だけは、やはり納得できなかったようで、
その後、何度も父親に抗議したり、愚痴を言ったりしたようだが、
サー・アランは受け付けなかった。

 そんなこんなでお嬢様は自分の部屋へ引きこもり、やがて、
夜もふけていった。

 ブラウン先生は夜の静寂(しじま)の中、居間のピアノで夜想曲
を弾いている。

 と、そこへカレンがやってきた。

 いや、正確には誰かに連れてこられていた。先生の視界の隅で、
彼女を押し出すような影がもう一つ見えた。
 それが誰なのか、先生にはおおよその見当がついていたが、
あえて呼び止めたりはしなかった。

 カレンの登場に、
 「どうしたのかね?」
 と尋ねると……

 「きれいなメロディーに誘われて……」
 と、たどたどしい答えが帰ってくるが、その顔は明らかに不安
でいっぱいというものだったのである。

 「これが弾けるかね?」

 「……少しだけなら」

 「じゃあ、弾いてごらん」

 「でも、それはご家族のピアノですから………わたしは………
メイドですし…」

 「そんなことはないよ。たしかにピアノは今もここにあるが、
これは、すでに私のものだ。サー・アランが気前よく私に譲って
くれたんでね。……持ち主の私が弾いてご覧なさいと言っている
んだから、メイドかどうかは関係ないだろう?」

 「…………」

 「それとも、まだ仕事が残っているのかね?」

 「…………」
 カレンは首を横にする。

 「もし、今、君に仕事があるとしたら、荷造りだけのはずだよ。
それも、ご主人に聞いただろう?」

 「…………」
 小さな顎が震えるように頷く。

 「聞くところによると、君の荷物は、あのピアノの他はトラン
ク一つで充分らしいから、それは明日の朝でも間に合うだろう」

 「私、やっぱり先生の処へ行くんでしょうか?」

 「そうだよ、嫌かね?」

 「いやって……そんなこと……」

 「ここのように広いお屋敷じゃないがね、君のアップライトを
置くスペースくらいはあるよ。……私もね、ちょうど、ベッドで
寝しなに聞くためのピアノ弾きを探していたところなんだ」

 「えっ!私が先生にピアノをお聞かせするんですか?!………
だって、そんなの無茶です」

 「無茶じゃないよ。私の所にはたくさんの子供たちがいるが、
みんな君より下手な子ばかりだよ。それとも、私の要請を断って
他に行く処でもあるのかね?」

 「いえ……でも、わたし、そんなに上手じゃないし……」

 「上手とか下手とかは問題じゃない。君の音楽に対する感性が
私は好きなんだ。相性というのかな。これは理屈じゃないからね、
うまく説明できないけど、こういう事ってどうしようもないこと
なんだ。中には、『テクニックはあるんだが、あの人のピアノを
聞くとどうも肩が凝る』というのもある。タキシードを着て聞く
音楽とパジャマで聞く音楽は違うんだ」

 「……(^_^)」

 「今、笑ったね。(^_^)…これは何もここのお嬢様だけの事を
言ってるじゃないよ。もっと、ずっと、ずっと著名なピアニスト
でもそれは同じなんだ。……ところで、スコルビッチ先生は普段
君にピアノを教えてくれるのかい?」

 「そんなことしません」
 カレンは慌てて首を横に振った。彼女は、いつの間にか繊細な
先生のピアノに魅了され、他の事はあまり考えられなくなってい
たのだ。

 彼女は先生が何者かを正確には知らない。だから、今はまだ、
ピアニストだと思っているのかもしれない。しかし、そんな事は
どうでもよかった。彼女にとって大事なことは……今、ここに、
自分にとっても共感できるピアノがあるという事。もうそれだけ
で、充分、幸せだったのである。

 「ナターシャさんは、私がピアノを弾いていると、わざと同じ
曲を演奏するんです。『私が下手だから、ひょっとして、意地悪
してるのかも』って思いましたけど………ただ、それだけです。
レッスンなんて受けたことありませんから」

 「そうですか、とにかく弾いてみませんか?」

 先生の勧めは、ついにカレンの心を動かす。

 「でも、お嬢様に聞かれたら……」

 「かまいませんよ。(∩.∩)大丈夫。あのお方には、まだ、
それが誰のピアノかを聞き分ける能力すら備わっていませんから」

 「まさか、そんなことって……」

 「いえ、そんなことがあるんです。だからいけないんですよ。
あのお方に見えているのは目の前の譜面だけです。……それを、
さながらキーパンチャーのように事務的に打ち込んでるだけ。…
それも、一言一句間違ってはいけないって、おどおどしながらね」

 「私だって、そんな……」

 「あなたは違います。……あなたにはスコルビッチ先生と私の
ピアノの違いだけでなく、その瞬間の心が分かるはずです。……
今、奏者が笑っているのか、泣いているのか、悩んでいるのか、
その心の動きがわかるはずです」

 「そんなことできません。……ただ、そうかなって勝手に思う
だけです」

 「分かるじゃありませんか。それって当たってるはずですよ。
それはね、自分が弾いていても他人が弾いていても、より楽しく
より美しく奏でたいという欲求が常に心の奥底にある人だから、
できるんです。自然と耳が肥えて、演奏者の微妙なタッチの差を
聞き分けられるようになるのです」

 「私はそんな……お嬢様のようなテクニックはありませんし…」

 「テクニックって?……そんなものは、必要となれば、いくら
だって学べますよ。大事なことは、自らの想いをピアノに託して
伝えたいと願う情熱。それと、神様から頂いたほんのちょっぴり
のセンスですかね。……これだけあれば、芸術家には充分な才能
なんです」

 「私には、そんな大それた事は……」

 「いいえ、謙遜する必要はありませんよ。半世紀、この世界に
身を置く男がそう言うのですから自信を持っていいのです。……
あなたは、今の自分にとってどんな技術が必要かを正確に把握で
きる人です。そして、ナターシャにもそれは分かっていますから
ね、あなたの求める技術を弾いてあげてたんですよ」

 「えっ?」

 「あなたはさきほど、ナターシャさんは私に何も教えなかった
と言いましたが、私はそうは思いませんよ。言葉で教えなくても、
あなたのピアノを聞いてそれはどう弾きこなすべきかを伝える事
はできますからね。あなたはそこで学んだはずです」

 「…………」
 カレンの口は開かなかったが、彼女には思い当たる節があった
のである。

 「あなたはナターシャさんが弾いたピアノを持ち帰って、あの
ピアノでなぞったでしょう」

 「…………」カレンは静かにうなづた。

 「あなたは知らないでしょうが、かつて彼女のリサイタルでは
そのS席がクラシックで優勝したサラブレッドと同じ値段だった
こともあるんです。そんな彼女に、あなたは、一晩で5曲も6曲
も弾かせているとしたら……これはもう、彼女の好意と言う他、
ありませんね。……カレン、あなた、本当に何も感じてなかった
のですか?……そんな事はないでしょう?」

 「ええ、毎回毎回、そのピアノが微妙に違うのは、感じていま
した。でも、ナターシャさんは何もおっしゃいませんでしたし…」

 「言えませんよ。彼女はお嬢様を教育するためにここへ招かれ
ているのですから……でもね、あなたの類稀な才能には、気づい
ていたはずですよ」

 「本当に、わたし、弾いてもいいですか?」

 「もちろん、さっきからずっとそれを期待してたのです。……
さあ、どうぞ」
 ブラウン先生は、ピアノ椅子から立ち上がると、新しい才能に
席を譲ったのだった。

 「……(すごいなあ、これがホンモノのピアノなんだ)」

 カレンは初めてその豪華なグランドピアノの前に座った。
 興奮のためか頬が赤く染まり、どぎまぎしているのが先生にも
わかる。
 鍵盤を叩くその瞬間まで、指先がかすかに震えていたが……

 「…………………………(これは!!!)」

 そんな彼女が弾き始めたのは静かなメロディー。しかもたった
16小節だけ。
 しかし、圧倒的な余韻が残った。

 「これは何という曲ですか?」

 「私の即興です。ミサの時、心の中でいつもこのメロディーを
つぶやくんです。神父様には悪いんですが……」

 「韻を踏んだ曲は苦手ですか?」

 「……」
 先生にそう問われて、カレンは頬を赤く染めた。

 「でも、美しい。ハ長調にも、まだこんなに美しいメロディー
が残っていたなんて、驚きです」

 先生がカレンのメロディーに感銘を受けていた、まさに、その時、
招かざる客が声を掛ける。

 「先生、まだこんな処にいらしたんですか?明日は早立ちだし、
もう、寝ましょうよ。そのピアノの荷造りはこっちでやってくれ
ますよ」

 「ラルフ……」
 先生は、さも残念と言わんばかりの顔になった。

 そのラルフが近づいてピアノから飛び上がるように立ち上がっ
た少女に気づく。

 「おっ、カレン。さっそく弾いてたのかい?…でも、よかった
じゃないか、ピアノのおまけで、お前も連れて行ってもらえる事
になって……」

 ラルフがこう言うと、先生は苦虫をかみ砕いたような顔をして
こう反論する。

 「ラルフ、君のような朴念仁には理解できないかもしれません
がね、おまけは彼女じゃなくて、このピアノの方なんですよ。私
がこのピアノを褒めそやし、サー・アランにこのピアノが欲しい
と申し出たのはね、ピアノが欲しかったからじゃない。この子が
欲しかったからなんだ」

 「彼女、そんなに高い売り物になるんですか?」

 「……」
 先生はとうとう口をつぐんでしまった。

******************(1)******
リュートを弾く天使

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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