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12月2日
<12月2日>
私は修道院というのがどういう世界なのか知りませんから
あくまで外から想像するだけですけど、戒律の厳しい世界
でしょうから、当然そこに住まう人達はストレスが溜まること
でしょうね。
そのはけ口の一つが他人の罪を見つけてはそれを是正
してやる事。
大きなお世話なような気もしますが、子供の躾として頼ま
れたり、若妻の性の火照りを鎮めたり。あるいは変化のない
暮らしに刺激を求める中年のおばさん達が自ら罰を求めて
懺悔するなんてのもあったみたいで、けっこう需要もあった
みたいです。
いえ、シスターたち自身もその惰性を恥じてお互いを鞭打
っていたと伝え聞きますから、中世のヨーロッパは、まさに
スパンキング天国だったのかもしれません。
いずれにしても、平和な時代だったんでしょうね。
もし混沌とした時代だったら、それこそ日常がSM状態な
わけですからそんなことをして楽しむ必要がないわけです。
救われることを前提とした苦行。それが『お仕置』きという
ものなら、その伝統はその後の学校や家庭でも脈々と受け
継がれてきたような気がします。
そして私たちこそはその最後の生き証人なのかもしれま
せん。
だからあえて言い放ちますが、『お仕置き』というのは
純粋な教育行為でもなければ、懺悔告解でもなく、半分は
最初からレクレーションだったんです。
こんなこと言うと、そこここから「ほら、みたことか」なんて
声が聞こえそうですが、逆に現代の苦行僧たちに問い
かけましょう。
「そもそも、それがいけませんか?」
被虐加虐は人の根源的な欲求であり、たとえ親子で
あっても存在する遊びなんです。それを他人行儀な理屈を
捏ね回して自分を追い込んで何が面白いんですか?
長続きしませんよ。
*)絵は二枚とも平先生のHPから
平さんのHPへ
<左上>
上から四段目の左のイラスト。
<右下>
一番上にある卵型の縁取りの絵です。
私は修道院というのがどういう世界なのか知りませんから
あくまで外から想像するだけですけど、戒律の厳しい世界
でしょうから、当然そこに住まう人達はストレスが溜まること
でしょうね。
そのはけ口の一つが他人の罪を見つけてはそれを是正
してやる事。
大きなお世話なような気もしますが、子供の躾として頼ま
れたり、若妻の性の火照りを鎮めたり。あるいは変化のない
暮らしに刺激を求める中年のおばさん達が自ら罰を求めて
懺悔するなんてのもあったみたいで、けっこう需要もあった
みたいです。
いえ、シスターたち自身もその惰性を恥じてお互いを鞭打
っていたと伝え聞きますから、中世のヨーロッパは、まさに
スパンキング天国だったのかもしれません。
いずれにしても、平和な時代だったんでしょうね。
もし混沌とした時代だったら、それこそ日常がSM状態な
わけですからそんなことをして楽しむ必要がないわけです。
救われることを前提とした苦行。それが『お仕置』きという
ものなら、その伝統はその後の学校や家庭でも脈々と受け
継がれてきたような気がします。
そして私たちこそはその最後の生き証人なのかもしれま
せん。
だからあえて言い放ちますが、『お仕置き』というのは
純粋な教育行為でもなければ、懺悔告解でもなく、半分は
最初からレクレーションだったんです。
こんなこと言うと、そこここから「ほら、みたことか」なんて
声が聞こえそうですが、逆に現代の苦行僧たちに問い
かけましょう。
「そもそも、それがいけませんか?」
被虐加虐は人の根源的な欲求であり、たとえ親子で
あっても存在する遊びなんです。それを他人行儀な理屈を
捏ね回して自分を追い込んで何が面白いんですか?
長続きしませんよ。
*)絵は二枚とも平先生のHPから
平さんのHPへ
<左上>
上から四段目の左のイラスト。
<右下>
一番上にある卵型の縁取りの絵です。
12月1日
<12月1日>
これはおなじみLeeさんの絵です。
こんな風に親に手を引っ張られたり、体ごと抱えられて
お仕置き場に向かう時の心境は何とも表現に困るほど
のショックでしたね。
それこそト殺場に向かう牛と同じでもうどうしようもあり
ませんから頭の中は真っ白でした。
もともと子供というのは自分で稼いで食べていくことの
できない、いわば寄る辺なき身の上ですから、世の中で
親の他に頼る人はいないわけです。
ですから、親に嫌われると家の中に身の置き所がなく
なってしまうわけで、それは、ぶたれて痛いとかいう
物理的な問題だけじゃないものがあるわけです。
そしてそれは、年長となり理(ことわり)がわかる歳に
ならなくても、ごく幼い子でも直感的に感じられる恐怖
でした。
ですから、お仕置きが終わったからといって親に
ほおって置かれると子供はどんどんナーバスに
なっていき心の傷は広がっていきます。
そうならないためにも『今でも愛しているよ』という
親のメッセージは大事で、たとえ大人に近い体に
なっていたとしても抱けるうちは抱いてあげれば
いいと私は思うんですよ。
実際、私の家はそうでした。
そして、もし…そんな抱擁を思春期の照れから
嫌がるようなら、また、お仕置きをしなおせばいい
んです。
前にも説明したようにお仕置きで子供が得られる
感化は『親が怒っている』という事実だけ。ただ、
それを知識ではなく事実として心に刻むことが
大事なんです。
ですから親子の儀式の最後は「ごめんなさい」と
「よしよし」なんです。たとえ18歳の娘でもそれは
同じなんですよ。
(*)
<左上>
Leeさんのイラスト(1)
<右下>
Leeさんのイラスト(2)
これはおなじみLeeさんの絵です。
こんな風に親に手を引っ張られたり、体ごと抱えられて
お仕置き場に向かう時の心境は何とも表現に困るほど
のショックでしたね。
それこそト殺場に向かう牛と同じでもうどうしようもあり
ませんから頭の中は真っ白でした。
もともと子供というのは自分で稼いで食べていくことの
できない、いわば寄る辺なき身の上ですから、世の中で
親の他に頼る人はいないわけです。
ですから、親に嫌われると家の中に身の置き所がなく
なってしまうわけで、それは、ぶたれて痛いとかいう
物理的な問題だけじゃないものがあるわけです。
そしてそれは、年長となり理(ことわり)がわかる歳に
ならなくても、ごく幼い子でも直感的に感じられる恐怖
でした。
ですから、お仕置きが終わったからといって親に
ほおって置かれると子供はどんどんナーバスに
なっていき心の傷は広がっていきます。
そうならないためにも『今でも愛しているよ』という
親のメッセージは大事で、たとえ大人に近い体に
なっていたとしても抱けるうちは抱いてあげれば
いいと私は思うんですよ。
実際、私の家はそうでした。
そして、もし…そんな抱擁を思春期の照れから
嫌がるようなら、また、お仕置きをしなおせばいい
んです。
前にも説明したようにお仕置きで子供が得られる
感化は『親が怒っている』という事実だけ。ただ、
それを知識ではなく事実として心に刻むことが
大事なんです。
ですから親子の儀式の最後は「ごめんなさい」と
「よしよし」なんです。たとえ18歳の娘でもそれは
同じなんですよ。
(*)
<左上>
Leeさんのイラスト(1)
<右下>
Leeさんのイラスト(2)