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12月7日
<12月7日>
この絵は以前ご紹介したことがなかったでしょうかね?
この講もいつの間にか長くなってしまい、いったい何時
どれを出したんだか自分でも整理がつかなくなってます。
ごめんなさい。(^^ゞ
この絵はMIYUKIさんという方の作品です。
いかにも、『女の子が描いたんだなあ』って感じられる
優しさがあります。
私たちがサークルを立ち上げた頃は、まだまだ女性の
会員さんが描く小説は優しくて、お仕置き小説と銘打って
あっても、日常の心象風景にちょっとだけ色がついている
という程度。男たちが好むようなSMまがいの過激なもの
を書く人はいませんでした。
ですから私はそれが彼女達の本心だと勝手に解釈して
しまったのです。
ところが、ところが……親しくなった彼女からもらった小説
原稿は、男どもでも目の玉が飛び出るくらい過激なもので、
私はついに最後まで読むことができませんでした。
恐らくそれは、世間には発表するつもりのない、自分の
内心を写す日記のような作品だったのでしょう。
でも、それは私に見せるというのは……
『私を自由にして…』
という彼女なりのメッセージだったんだと思います。
『有無も言わさず抱きかかえられ、1mmも動かないように
拘束されて、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる
までひたすらお尻をぶたれる』
そんな自分を想像していたのかもしれません。ところが、
現実は彼女の思うようにはいきませんでした。
なぜって、相手の男もまた彼女と同じようなことを願って
いたものですから…
(*)MIUKIさんのイラスト
<左上>
ソファーの上で
<右下>
OTK
この絵は以前ご紹介したことがなかったでしょうかね?
この講もいつの間にか長くなってしまい、いったい何時
どれを出したんだか自分でも整理がつかなくなってます。
ごめんなさい。(^^ゞ
この絵はMIYUKIさんという方の作品です。
いかにも、『女の子が描いたんだなあ』って感じられる
優しさがあります。
私たちがサークルを立ち上げた頃は、まだまだ女性の
会員さんが描く小説は優しくて、お仕置き小説と銘打って
あっても、日常の心象風景にちょっとだけ色がついている
という程度。男たちが好むようなSMまがいの過激なもの
を書く人はいませんでした。
ですから私はそれが彼女達の本心だと勝手に解釈して
しまったのです。
ところが、ところが……親しくなった彼女からもらった小説
原稿は、男どもでも目の玉が飛び出るくらい過激なもので、
私はついに最後まで読むことができませんでした。
恐らくそれは、世間には発表するつもりのない、自分の
内心を写す日記のような作品だったのでしょう。
でも、それは私に見せるというのは……
『私を自由にして…』
という彼女なりのメッセージだったんだと思います。
『有無も言わさず抱きかかえられ、1mmも動かないように
拘束されて、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる
までひたすらお尻をぶたれる』
そんな自分を想像していたのかもしれません。ところが、
現実は彼女の思うようにはいきませんでした。
なぜって、相手の男もまた彼女と同じようなことを願って
いたものですから…
(*)MIUKIさんのイラスト
<左上>
ソファーの上で
<右下>
OTK
12月6日
<12月6日>
いきなり、ダイレクトな写真でお食事中の方(そんな人
いるかなあ?)失礼しました。
この写真の主、当然ながら薹のたったオバサンです
が、こうして見ると無理無理ちょっぴり少女と見えなくも
ありません。そこが気に入ってとっておいたんです。
(*^_^*)
悪趣味?……ですか?(^^ゞ
それは仕方ありませんよ。ぼくは人間の男性なんで
すから……
女性でも、妖精でも、もちろん天使でもありません。
(^◇^;)
煩悩の赴くままに暮らす大凡人です。大凡人だから
こそ、こんなものでも楽しいって感じられる。それもまた
いいじゃないですか。
ただ、これもまた最初に見た時は感じ方が今とは随分
違っていました。
とにかく女といえば母親ぐらいしかいない家で育ちま
したからね、女性器というものを、まじかに見る機会が
なかったんです。
もちろん、母親とはかなり大きくなるまで一緒にお風呂
に入っていましたが、そこで見ることができるのは陰毛と
割れ目まで。ご本尊を拝んだことは一度もありませんで
した。
ですから最初に生のこれを見た時は、しばらくその
映像が脳裏を離れなくてご飯ものどを通らないくらいの
ショックだったんです。
あまりの心地よさに?
ははははは(*゚▽゚)ノこれまたご冗談を……
そのまったく逆。寒気がして気持悪くてです。…>_<…
ところが、やってるうちに段々許せるようになって
くるから不思議です。
それでも、こんな写真を手許に置こうなんて考える
ようになるには、それから10年近くかかりましたね。
ぼくって恐ろしく晩熟(おくて)なんですよ。(^^ゞ
ただ、それでも少女のものだけは未だにありま
せん。
もちろん、ネットで見た事はありますが、それを
手許に置こうと思ったことはありませんでした。
あれはやっぱりパンツの方がいいようです。
*)アメリカのネットに行けばこんなもの山のようにあるでしょうが、
この写真はさすがに伏せておくべきでしょう。
<左上>
女の子(といっても実年齢はかなり高そうですが)が
オムツ替えのポーズをして鞭打ちを受けています。
<右下>
うつ伏せでお尻にケインの鞭打ちを受けている少女の写真。
大事なところが丸見えなんです。
**********************
泉(アングル)
**********************
いきなり、ダイレクトな写真でお食事中の方(そんな人
いるかなあ?)失礼しました。
この写真の主、当然ながら薹のたったオバサンです
が、こうして見ると無理無理ちょっぴり少女と見えなくも
ありません。そこが気に入ってとっておいたんです。
(*^_^*)
悪趣味?……ですか?(^^ゞ
それは仕方ありませんよ。ぼくは人間の男性なんで
すから……
女性でも、妖精でも、もちろん天使でもありません。
(^◇^;)
煩悩の赴くままに暮らす大凡人です。大凡人だから
こそ、こんなものでも楽しいって感じられる。それもまた
いいじゃないですか。
ただ、これもまた最初に見た時は感じ方が今とは随分
違っていました。
とにかく女といえば母親ぐらいしかいない家で育ちま
したからね、女性器というものを、まじかに見る機会が
なかったんです。
もちろん、母親とはかなり大きくなるまで一緒にお風呂
に入っていましたが、そこで見ることができるのは陰毛と
割れ目まで。ご本尊を拝んだことは一度もありませんで
した。
ですから最初に生のこれを見た時は、しばらくその
映像が脳裏を離れなくてご飯ものどを通らないくらいの
ショックだったんです。
あまりの心地よさに?
ははははは(*゚▽゚)ノこれまたご冗談を……
そのまったく逆。寒気がして気持悪くてです。…>_<…
ところが、やってるうちに段々許せるようになって
くるから不思議です。
それでも、こんな写真を手許に置こうなんて考える
ようになるには、それから10年近くかかりましたね。
ぼくって恐ろしく晩熟(おくて)なんですよ。(^^ゞ
ただ、それでも少女のものだけは未だにありま
せん。
もちろん、ネットで見た事はありますが、それを
手許に置こうと思ったことはありませんでした。
あれはやっぱりパンツの方がいいようです。
*)アメリカのネットに行けばこんなもの山のようにあるでしょうが、
この写真はさすがに伏せておくべきでしょう。
<左上>
女の子(といっても実年齢はかなり高そうですが)が
オムツ替えのポーズをして鞭打ちを受けています。
<右下>
うつ伏せでお尻にケインの鞭打ちを受けている少女の写真。
大事なところが丸見えなんです。
**********************
泉(アングル)
**********************
12月5日
<12月5日>
よろしいですな、パンチラ。男の子、永遠の憧れです。
今でこそ女性器などというなまめかしいものに胸が
ときめくようになってしまいましたが、幼い頃にはあの
純白でふっくらとした…あの綿の実のようなパンツこそ
がときめきの対象だったのです。
たとえ何かの拍子に女の子の割れ目が見えたとして
もそれにはあまりときめきをおぼえませんでした。
女の子というのはあくまで『スカートを風に膨らませ
ながら白いパンツが時折見える生き物』だったのです。
要するに短いスカートと白いパンツは女の子の象徴
であり身体の一部であってどちらが欠けても興ざめ
だったのです。
彼女たちは当然、私たち男の子とは住む世界を異に
します。その妖精のような生き物が身に着けている
スカートを捲って白い綿の実を見学するのは男の子たち
にとっては一種の宝探しでありインディージョーンズ
と同じくらいの冒険ですから、たとえ親や先生に叱られ
たってやめられないわけです。
女の子の姉妹(きょうだい)、特に姉がいる家に育った
子は私たちとは感覚が少し違うようでしたが、女といえ
ば母ぐらいしか知らない私には女の子というのは神秘
の生物だったのです。
えっ、母親は女ではないのか?
ははははは(*゚▽゚)ノご冗談を……
な、わけないじゃないですか。
母親というのはね、幼い子にとっては神様と同じ。
いえ、天罰は必ず落ちるかどうかわかりませんが、
こちらの方は、まごまごしてると必ず雷が落ちますから
ね、神様以上の存在というわけです。
母親というのはどんな子にとっても
『世界一怖くて、世界一優しい人』
そんな人の性別なんて無意味なんですよ。(*^_^*)
*)
<左上>
少女の『パンチラ』イラストです。大昔のゲームの中の一コマ。
<右下>
ショーツと靴下だけしか身につけていない少女(10歳位でしょうか)
がベッドに仰向けになってこっちを気にしているみたいなんですが、
ショーツの端に手がすでに掛かっているのはこれからこれも脱ごうか
という決意の表れなんでしょうか。意味深なイラストではあります。
よろしいですな、パンチラ。男の子、永遠の憧れです。
今でこそ女性器などというなまめかしいものに胸が
ときめくようになってしまいましたが、幼い頃にはあの
純白でふっくらとした…あの綿の実のようなパンツこそ
がときめきの対象だったのです。
たとえ何かの拍子に女の子の割れ目が見えたとして
もそれにはあまりときめきをおぼえませんでした。
女の子というのはあくまで『スカートを風に膨らませ
ながら白いパンツが時折見える生き物』だったのです。
要するに短いスカートと白いパンツは女の子の象徴
であり身体の一部であってどちらが欠けても興ざめ
だったのです。
彼女たちは当然、私たち男の子とは住む世界を異に
します。その妖精のような生き物が身に着けている
スカートを捲って白い綿の実を見学するのは男の子たち
にとっては一種の宝探しでありインディージョーンズ
と同じくらいの冒険ですから、たとえ親や先生に叱られ
たってやめられないわけです。
女の子の姉妹(きょうだい)、特に姉がいる家に育った
子は私たちとは感覚が少し違うようでしたが、女といえ
ば母ぐらいしか知らない私には女の子というのは神秘
の生物だったのです。
えっ、母親は女ではないのか?
ははははは(*゚▽゚)ノご冗談を……
な、わけないじゃないですか。
母親というのはね、幼い子にとっては神様と同じ。
いえ、天罰は必ず落ちるかどうかわかりませんが、
こちらの方は、まごまごしてると必ず雷が落ちますから
ね、神様以上の存在というわけです。
母親というのはどんな子にとっても
『世界一怖くて、世界一優しい人』
そんな人の性別なんて無意味なんですよ。(*^_^*)
*)
<左上>
少女の『パンチラ』イラストです。大昔のゲームの中の一コマ。
<右下>
ショーツと靴下だけしか身につけていない少女(10歳位でしょうか)
がベッドに仰向けになってこっちを気にしているみたいなんですが、
ショーツの端に手がすでに掛かっているのはこれからこれも脱ごうか
という決意の表れなんでしょうか。意味深なイラストではあります。
12月4日
<12月4日>
平牙人先生の小説に加藤かほる先生が付けた挿絵です。
もうハイティーンになるような娘(こ)がオムツ姿を見られたら
死ぬほど恥ずかしいかもしれませんが、唯一の救いは、
見られているのがいずれも同性ということでしょうかね。
これはやはり大きな違いだと思います。特に女の子に
とっては……
男だってそこのところの事情は同じはずなんですが、
女の子ほどには傷つかない。
というのも、男の場合は勉強や仕事といった自分の
体を離れた処での実績を社会が評価してくれますから、
容姿や体裁にそれほど神経を使わずにすみますが、
女性の場合はその評価の大半が自身の体そのもの
ですから、同じように恥をかいたとしてもその傷の度合い
が違ってくるわけです。
お仕置きが盛んだった私たちの頃でも、親は娘が
思春期にさしかかると見せしめの体罰というのは
しなくなっていました。
男の目があれば、たとえお仕置きをした方がいいと
思っても控えるのが常識だったのです。
なら、女の子はハレンチな体罰を受けずに大人に
なれたかというと、そうは問屋がおろしません。
要は男の目や世間体さえクリアできればいいわけ
ですから、場所を借りてちゃんと行われていたよう
です。
例えば、女性しか住むんでいないお屋敷や口の
堅い聖職者を信頼して牧師館やお寺の庫裡の一室
を借りたり……今ではあり得ませんが、意外に多い
のが学校。
これには先生も協力して…と言いますから、
お口あんぐりです。
(*)
<本来左上にあった絵>
加藤かほる先生の挿絵(1)
(下段右の写真)
<本来右下にあった絵>
加藤かほる先生の挿絵(2)
(一番下の段右の写真)
平牙人先生の小説に加藤かほる先生が付けた挿絵です。
もうハイティーンになるような娘(こ)がオムツ姿を見られたら
死ぬほど恥ずかしいかもしれませんが、唯一の救いは、
見られているのがいずれも同性ということでしょうかね。
これはやはり大きな違いだと思います。特に女の子に
とっては……
男だってそこのところの事情は同じはずなんですが、
女の子ほどには傷つかない。
というのも、男の場合は勉強や仕事といった自分の
体を離れた処での実績を社会が評価してくれますから、
容姿や体裁にそれほど神経を使わずにすみますが、
女性の場合はその評価の大半が自身の体そのもの
ですから、同じように恥をかいたとしてもその傷の度合い
が違ってくるわけです。
お仕置きが盛んだった私たちの頃でも、親は娘が
思春期にさしかかると見せしめの体罰というのは
しなくなっていました。
男の目があれば、たとえお仕置きをした方がいいと
思っても控えるのが常識だったのです。
なら、女の子はハレンチな体罰を受けずに大人に
なれたかというと、そうは問屋がおろしません。
要は男の目や世間体さえクリアできればいいわけ
ですから、場所を借りてちゃんと行われていたよう
です。
例えば、女性しか住むんでいないお屋敷や口の
堅い聖職者を信頼して牧師館やお寺の庫裡の一室
を借りたり……今ではあり得ませんが、意外に多い
のが学校。
これには先生も協力して…と言いますから、
お口あんぐりです。
(*)
<本来左上にあった絵>
加藤かほる先生の挿絵(1)
(下段右の写真)
<本来右下にあった絵>
加藤かほる先生の挿絵(2)
(一番下の段右の写真)
12月3日
<12月3日>
英国の挿絵画家で児童文学者である
Cicely Mary Barker(シシリー・メアリー・バーカー)さんの作品
です。
勿論、お仕置きとは何の関係もありません。
前にも述べたと思いますが、私にとってお仕置きを
想像するうえで必要なのは赤く腫上がったお尻では
ないのです。
私にとって大事なことはその世界がどこまでも美しい
こと。風景も人の心も全てが心地よい世界でなければ
ならないのです。
生来気の弱い私は『家なき子』ですら満足に最後まで
読む事ができませんでした。悲しいお話は自分では
読まず母の胸にしがみつくと母が読んでくれるお話を
聞いて宿題の読書感想文を書いていました。
胸の中で泣き止まない私に呆れた母親が、悲劇の
結末を適当に改ざん、ハッピーエンドに作り変えて
話していたなんてことも……
そんなわけで私はお仕置き小説を書きながらも
いわゆるSM小説とか、その手の雑誌を最近まで
見たことがありませんでした。
もし、偶然にも開いたページにグロテスクな絵が
載っていたら私はしばらく小説が描けなくなって
しまうからです。
私のお話の源泉は特殊な場所に置いてある
特別な小説からではなく、こんな無垢な子供たちと
穢れのない風景を見ながら恐ろしいお仕置きが
幾つも重なる怖い怖いお話を描いてきたのです。
そうやって予定調和の中に必ず納まるコップの
中の嵐をあきもせず50年近くも書き続けてきた
わけです。
馬鹿でしょう。自分でもそう思いますが、
やめられませんでした。(^^ゞ
(*)シシリー メアリー バーカーさんの花の妖精
<左上>
花の妖精(スイートピー)
<右下>
花の妖精(夕顔(?))
英国の挿絵画家で児童文学者である
Cicely Mary Barker(シシリー・メアリー・バーカー)さんの作品
です。
勿論、お仕置きとは何の関係もありません。
前にも述べたと思いますが、私にとってお仕置きを
想像するうえで必要なのは赤く腫上がったお尻では
ないのです。
私にとって大事なことはその世界がどこまでも美しい
こと。風景も人の心も全てが心地よい世界でなければ
ならないのです。
生来気の弱い私は『家なき子』ですら満足に最後まで
読む事ができませんでした。悲しいお話は自分では
読まず母の胸にしがみつくと母が読んでくれるお話を
聞いて宿題の読書感想文を書いていました。
胸の中で泣き止まない私に呆れた母親が、悲劇の
結末を適当に改ざん、ハッピーエンドに作り変えて
話していたなんてことも……
そんなわけで私はお仕置き小説を書きながらも
いわゆるSM小説とか、その手の雑誌を最近まで
見たことがありませんでした。
もし、偶然にも開いたページにグロテスクな絵が
載っていたら私はしばらく小説が描けなくなって
しまうからです。
私のお話の源泉は特殊な場所に置いてある
特別な小説からではなく、こんな無垢な子供たちと
穢れのない風景を見ながら恐ろしいお仕置きが
幾つも重なる怖い怖いお話を描いてきたのです。
そうやって予定調和の中に必ず納まるコップの
中の嵐をあきもせず50年近くも書き続けてきた
わけです。
馬鹿でしょう。自分でもそう思いますが、
やめられませんでした。(^^ゞ
(*)シシリー メアリー バーカーさんの花の妖精
<左上>
花の妖精(スイートピー)
<右下>
花の妖精(夕顔(?))