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第10章 カレンの秘密(2)

第10章 カレンの秘密

§2 薔薇の誘い(2)

 「聴いてみたいですか?……お嬢様のピアノ」

 ブラウン先生がカレンの後ろにやってくる。

 「…………」
 カレンは黙ったまま少しだけ顎を引く。

 「ほう、あのお嬢さん、もうこんな大きなホールでリサイタル
を開くんだ。やっぱり家が金持ちだといいですね。でもお客さん
入りますかね」
 ラルフもやってくる。

 「今日の夕方ですね。ちょうど予定も入っていませんし訪ねて
みましょう。ラルフ、切符の手配をお願いしますよ」

 ブラウン先生の鶴の一声で三人の初日の予定は決まったのだ。

******************

 会場にお客は半分ほどだったが、それでも千人近い聴衆がいた。
 一学生で、取り立てて大きな大会での受賞暦もない彼女がこれ
ほど多くの人たちを呼べるのは、もちろん、サー・アランの尽力
あっての事。
 彼は自らの人脈をフル活用して、集められるだけの人をここへ
終結させたのである。

 「おう、ラックスマン教授!個展の成功おめでとうございます」
 「いやあ、早速の祝辞、いたみいります。ブラウン先生!」
 二人は一足早くこのホールのロビーで再会することになった。

 「いやあ、それにしても奇遇ですな。あなたも、ひっとして、
サー・アランに頼まれた口ですかな……」

 「いえいえ、私たちはただの通りすがりです。空港でたまたま
ポスターを見て、立ち寄ったまでです」

 「おう、カレンさん、お久しぶりです。待ってましたよ。今日、
会えるとわかっていたら、今日からお頼みすればよかった」
 ラックスマン教授はブラウン先生の手をとり、続けてカレンの
手もとった。

 「では、ブラウン先生の処へはサー・アランから『商品券付き
夜のディナー付きの招待状』は届かなかったと……」
 ラックスマン教授の笑顔には意味深な毒があった。

 「ええ、そのようなものは……残念ながら」

 「では、何ゆえにこんな無名のピアニストのリサイタルなど…」

 「いえ、シャルダン嬢にはちょっとした、ご縁がありましてな」

 「ほう、それはまた、どのような……」

 ラックスマン教授がそこまで言った時、話題の主サー・アラン
が現れる。

 「みなさんお揃いですか?」
 そう言って近づいたサー・アランだったが、思わぬ来客を見つ
けてのけぞった。
 「ブラウン先生!……いやあ、わざわざおいでくださっている
とは知らず失礼しました。秘書のモーガンさんへは一応招待状を
お送したのですが、もし、いらっしゃると分かっていれば汽車の
切符やホテルの手配などはいたしましたのに……」

 「いやいや、お気になさらないでください。ここへは他に用が
ありまして……でも、兆速の進歩をとげられたお嬢様のピアノも
是非拝聴したいと思いまして、立ち寄らせていただいたのです」

 「ありがとうございます。娘も、今やすっかり学院の生活にも
慣れて、ピアノに打ち込んでおります。それもこれも全て先生の
おかげです。何とお礼を申してよいか……」

 「いえいえ、私などは伝(つて)を頼って口をきいたに過ぎません。
すべてはお嬢さんの天分と努力の賜物です。今日は存分に聞かせ
ていただきます」

 「ありがとうございます。コンサートのあと、よろしければ、
一席設けますので、先生もどうかご出席ください」

 「よろしいのですか?私のような者がお邪魔して……」

 「何をおっしゃいますやら。本来なら、いの一番にご招待申し
上げなければならないところを大変に失礼いたしました。娘とも
ども先生との宴席を楽しみにしております」

 サー・アランは人の良さそうな笑顔を振りまく。彼はもともと
商人で腰が低く、爵位をちらつかせて仕事をするタイプではい。
とりわけブラウン先生に対しては『娘の命の恩人』とでも言わん
ばかりの扱いだったのである。

 当然、ブラウン先生一行には会場真ん中やや前方に設けられた
貴賓席の一角が用意された。

 「メインはラフマニロフですか。……女の子に戻ったお嬢様は
どんなピアノを聞かせてくれますかね」

 パンフレットを見ながらブラウン先生がつぶやくと、ラルフが
怪訝そうに尋ねる。

 「女の子に戻ったって?あの子、もともと女の子じゃないです
か」

 「あなた、いつもどこ見て生きてるんですか?私たちが最初に
サー・アランの屋敷に呼ばれたとき、父親はあの子を何と呼んで
ましたかね?」
 
 「あっ、そうそう、たしかフランソワだ。いや、僕もその事は
変だとは思ったんですよ。女の子なのにフランソワですからね」

 「きっと、家にいた当時は、男の子でいたかったんでしょう」

 「どうして?」

 「さあ、はっきりとはわかりませんがね。勝気なお嬢様として
は、女の子に魅力を感じなかったんでしょうね。だから、周囲に
も自分をそう呼ばせ、父親もそれを認めていました」

 「じゃあ、彼女、同性愛?」

 「ラルフ、あなたは、どうして、そうすぐに突飛な想像に走る
んでしょうね。ここだからいいですが、人前で滅多なことを言う
ものではありませんよ。……彼女の場合、恐らくそういう意味で
はないはずです。……いずれにしても、戸籍上はフランソワーズ
なわけで、家の外に出ればそんな我ままも通用しませんからね。
……今は、フランソワーズで通しているはずです。ポスターにも
そうあったじゃないですか」

 これを最後にブラウン先生のおしゃべりが止まった。
 舞台にそのフランソワーズが上がったのである。


 彼女はオーケストラをバックに3曲を弾いた。

 『今回はうまくいったみたいね』
 カレンがブラウン先生の表情を見ていて確信する。

 そのブラウン先生は演奏が終わると立って拍手を送りブラボー
を連呼した。
 そして、舞台がはね、観客が帰り支度をするなかで、カレンに
こう尋ねたのである。

 「どうですか、カレン、彼女のピアノは?変わりましたか?」

 ブラウン先生の問いに、カレンはしばらく考えてこう伝える。
 「変わったと思います。だって、幸せそうだから……」

 「あなたは、やはり、いい感性をしてますね。私もそう思いま
すよ。今の彼女には落ち着きがあります。しかも、それでいて、
華やかだ。恐らく、彼女、恋をしてますね」

 「そんなこと、ピアノを聴いただけでわかるんですか?」

 ラルフが驚くと、先生はさも当然とでも言わんばかりに……
 「楽器の演奏はその人の心模様がそのまま音楽に現れるんです。
私を誰だと思ってるんですか。そのあたりの駆け出し評論家など
と一緒にしないでださい」

 カレンは先生が得意げにスーツの襟を正して見せたのを笑った。
彼女はちょっとおちゃめに見得を切る先生が大好きなのである。

 「何しろ、あの子は私がお尻を叩いた子ですからね。成功して
もらわなければ困るのです」

 「ええ、あの時はビックリしましたよ。何考えてるだこのエロ
オヤジは…って思いましたから」

 「そうですか、あなたらしい感想ですね。でもね、ラルフ君、
私は見込みのない子のお尻を叩いたりはしませんよ。こうすれば
よくなるだろうと思うから叩いたんです」

 「でも、それで萎縮しちゃったら…そんな場合だってありえる
でしょう。女の子が満座の中で恥をかかされたんだから……」

 「そんな娘はきっと自らをフランソワだなんて名乗りませんよ。
彼女、男の子のようになりたいと願ってたみたいでしたからね。
だから、男の子のように躾けてあげただけです」

 「すごい理屈……」
 ラルフが小声でつぶやくと……
 「なんですか!」
 先生の声は大きい。

 「いえ、何でも……でも、今はフラソワーズなんでしょう?」

 「ええ……しかも、タッチが自然でやわらかい。女の子がああ
したピアノを弾く時は誰かを想って弾いているんです。つまり、
恋をしているんですよ」

 「誰を?」

 「それはわかりません。でも、自分のために弾いていないのは
たしかですね。このカレンのように……」

 「カレン、そうなのかい?」

 ラルフに質問されてカレンは下を向く。それが答えだった。

 「それって、いいことなんですか?」
 ラルフは今度はブラウン先生に尋ねた。

 「ええ、もちろん。……所詮、自分の為にすることには限界が
あります。自分のためする時は、疲れたら、困難だったら、やめ
ればいいんですから。努力もそこまで、成果もそこまでです。…
…でも、人の為にする時には、その人への思いがある限りやめら
れないでしょう。努力は続き、成果もついてくるというわけです。
多くの人は自分の為にする欲こそがより大きな成果をあげている
と思っているようですが、事実は逆で、人の為にすることこそが、
その人により大きな成果をもたらすことになるのです」

 ブラウン先生のいつものお説教が終わるちょうどその頃、サー
・アランが三人を誘いにやってきた。

 「いやあ、結構でしたよ。お嬢さんのピアノは………お屋敷に
おられた頃と比べても格段に腕をあげられました。私、感歎いた
しました」

 「ありがとうございます先生。その賛辞は、是非、娘に聞かせ
てやってください。まずは、夕食をレストランの方でご用意しま
したので、そちらへお移りください」

 サー・アランはそう言って、三人を観客席からレストランの席
へと移動させたのである。

 そこは劇場からほど近くにあるホテルのレストラン。ここには
先ほどフラソワーズの演奏を聞いた多くの観客が招かれていた。

 その客の多くが音楽関係者。という事はブラウン先生やラルフ
もそれを黙殺するわけにはいかず、あちこちで友人知人に捕まり、
サー・アランと共に社交を重ねていた。

 ただそんななか、握手する相手のいないカレンだけがポツリと
独りで一番奥の席に座る。
 手持ち無沙汰な彼女は最近覚えた三つ編みを悪戯しながら店内
をぼんやり眺めていた。

 『ここには、私のお友だちはいないわね』

 そんなことを思って、タバコの煙と料理の油がくすぶり続ける
テーブルを離れられるずにいたのである。

 すると、そんなカレンのテーブルを目指して誰かがやってくる。
その顔にまったく見覚えがなかったが、彼の方はこちらを笑顔で
見て近寄ってくるから、『私の近くに彼の知り合いでもいるのか
しら』と思い、あたりをキョロキョロと探してみた。

 しかし、周囲に人影はなく、彼の目的はやはりカレンだった。
 「カレン・アンダーソンさんですか?」

 「ええ」

 「やっぱり、そうなんだ。感激です」
 青年、それもかなり二枚目のその青年から握手を求められて、
カレンはどぎまぎする。

 恐る恐る右手を出すと、彼はことのほか強い力で握り返した。
 「お写真、見たんですが、小さくて、不鮮明だったから、ひょ
っとして違うかもしれないと思ったんですけど、やっぱり、先生
だったんだ」

 「せんせい?」
 カレンは首をかしげる。
 『この人、とんでもない誤解をしてるんじゃないか』
 そう思ったのだ。

 「僕、クリスチャン=アドラーといいます。実は、僕、先生の
ファンなんですよ。いや、正確には妹があなたのファンなんです。
『カレニア山荘の思い出』妹はあの曲に憧れて、ピアノを始めた
んですから。僕も好きですよ。あなたの曲は全てのメロディーが
美しいもの。先生、よかったらこれにサインしてください。妹の
分と私の分と二冊お願いします」

 彼は二冊の教則本をカレンの目の前に差し出した。

 それは紛れもなくカレンがブラウン先生の手を借りて出版した
本だったから、彼は誤解していたわけではない。
 しかし……

 「えっ!?……サイン……ですか?」
 カレンはそれにも困惑する。

 彼女はこれまで一度もサインを頼まれたことなどなかったから
気の利いた書体で綴ることなどできなかった。そこで、ごく普通
に、Karen Andersonと署名を入れたのである。

 『私が、知らない人にサインを求められるなんて……』
 カレンは気恥ずかしかったが嬉しかった。
 しかし、小春日和の日にも風は吹く。

 その風は、アドラーの肩ごしから吹いた。
 「クリスチャン、何やってるの?」

 笑顔のフランソワーズは次の瞬間、カレンと目を合せてきょと
んとした顔になった。

 「……!?……あなた、カレンなの?……」

 「はい」

 「で、何してるのよ。こんな処で……」
 フラソワーズは驚く。
 すると……

 「どうしたの?フラソワーズ。君、先生を知ってるのかい?」
 アドラーが怪訝そうに尋ねるから、フランソワーズの方こそが、
余計に困惑してしまう。

 「先生って……あなた?……どうしてよ……馬鹿言わないで…」
 フランソワーズは笑いだす。

 「どうしたの?君は知らないかもしれないけど、彼女の作品は
今、小学生には凄く人気があるんだよ。妹も彼女のファンなんだ」

 「へえ~~あんたにそんな才能があるなんて知らなかったわ。
どれ、見せて……」

 フランソワーズはカレンの本を手に取った。
 そして、パラパラとめくるように読むと……

 「へえ~、あなたにはこういうのお似合いかもね。そういえば、
私の処で女中だった時も、やたら耳障りなピアノを弾いてたのを
覚えてるわ」

 「えっ!?カレンさん、フラソワーズの処にいたんですか?」

 「ええ、……」
 カレンは恥ずかしそうに俯くが、フランソワーズはさらにそれ
に解説をつけたのだった。

 「この子、うちの女中だったの。おまけに家にいた頃は箸にも
棒にもかからなかったんだから……そんな子が、なぜ先生なの?
笑っちゃうわ。……この子、もうすぐ首になるところをブラウン
先生に貰われていったの。拾われたのよ」

 「ブラウン先生って……サー・トーマスかい?」

 「そうよ、あまり思い出したくない人物よ」

 「へえ、それじゃあ、先生に君は才能を見込まれたんだ」

 「馬鹿ねえ、そんなんじゃないわよ」

 フランソワーズは、『カレンなんて眼中にない!』そう言いた
かったのかもしれない。
 しかし、言葉を盛れば盛るほどクリスチャンの興味はカレンに
向くのだった。

******************(2)****

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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