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(1/25)   赤ん坊

(1/25)      赤ん坊

 私を評するクラスメイトのお母さんたちのお世辞はたいてい決ま
っていた。

 「しっかりした坊ちゃんで、とっても利発で、何より大人びてら
っしゃるからお母様も手がかからないでしょう。うらやましいわ。
うちの子なんて、ほら、まだこんなに甘えて。赤ちゃんがぬけない
から困りものだわ」

 だいたいこんな言葉が母にかえってくる。だが、彼女自身はこん
な私への評価をどのよう受け止めていたのだろうか。ふとそんなこ
とを考えてみた。

 お友だちのお母さん方の評価はあくまで外でみせる私の姿が基
準。しかし、私にとって外での姿はあくまで営業用のものであって
家の中でみせる人格は恐らく同級生の中でも一番赤ん坊に近かった
かもしれなかった。

 実際、母親は勉強や習い事には熱心だったが、いわゆる仕付けに
は甘くて、自慢にならないからこれまで人には話さないできたが私
の部屋からほ乳瓶が消えたのが小学五年生の時。小学四年生頃まで
はお風呂におまるが置かれていた。何のためかというと、これが一
緒に入る母の前で用を足すのが好きだからというんだからとんでも
ない困ったちゃんである。小学六年生の頃でも母親の前でならフル
チンは当たり前。おチンチンもお尻の穴も母親からなら握られても
覗かれても何ら関係なかった。

 昼間がそんな調子だから、夜だって当然のごとく母と同じ布団で
添い寝。母が私と添い寝しなくなったのが、13歳も終わりの頃。
これだって母が私を嫌ったというよりは私の方が何となく気まずく
なって別れたのである。

 しかも、事はこれだけではない。
 母は私を舐めて育てた。比喩的にではなく本当に事あるごとに舐
めていた。昼間はさすがに人目があるから指やほっぺぐらいなもの
だが、夜、布団の中ではどこといって体に制限がなかったような気
がする。小学校も高学年になれば性欲もまったくないわけではない
から何やら妙ちくりんな気分が体中を包みこんだことも一度や二度
ではなかった。

 もちろん『近親相姦』だなんてそんなたいそうなものではないが
その入口くらいは母が手ほどきしたということになるのかもしれな
い。

 子供なんだからマザコンは当たり前だろうが、それにしてもその
ラヴラブぶりは近所でも評判だったことだろう。やくざの親分の言
う『チンコロ』もそれはそれで的を得た表現だったに違いなかった
のである。

 色んな事情からやむを得ず父と結婚した母にとって私はたんなる
息子以上の存在だったのかもしれない。それは父方の家に対しては
大事な商品であり、対社会的にはプライドの一部。そして内なる世
界ではペットでもあったのだ。

 恋人?その一線は越えていないはずだが『抱き合えば言葉はいら
ない』というような関係ではあったような気がする。とにかく不思
議なそして強烈なインパクトを持った親子だったことに違いはなか
った。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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