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〘 第 1 回 〙 亀山愛育院

          亀山物語
                     合沢啓治(著)

<作品について>
 「亀山からの手紙」の原本みたいな作品です。
 昔の作品なので、SMチックで過激な場面も多々ありますが、
本人はあくまで「お仕置き小説」だと思って書いています。
 お仕置き場面でさかんに登場する『お灸』は作者が古狸だから。
現代人には馴染みのない分野で、理解は難しいかもしれませんが、
あくまで参考資料として置いておきます。

〘 第 1 回 〙 亀山愛育院
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<主な登場人物>

私(合沢啓治)/亀山愛育院の孤児。由美子の弟。

小島先生   /私の家庭教師であり、実質的には僕のママ。

大石胤子   /亀山村の村長さん。(三代目)女王様。

榊原 美里  /同級生の恋人。片想い。

森下景子先生 /由美子お姉様の家庭教師(ママ)であり、
       /かつ、学校では担任の先生でもある。

合沢由美子  /私をリンチにかけたお姉様の一人。私の姉。

小川静子   /泣き虫。リンチ四人組の一人。

桐山香織   /おっちょこちょいで早とちり。四人組の一人。
       途中でお灸をすえられそうになる。

安西遥香   /優等生だが、今回の事件に関与。四人組の一人。
途中でお漏らしをしてオムツ替えをさせられる。

美代子と彰子 /今回私のリンチには加わらなかったお姉様。

 お義父様  /亀山の子供たちは誰もがお義父様の子供として
(合沢徹)   /その家で家庭教師(ママ)と一緒に暮らしている。

 お義母様  /お義父様の奥さん。元々はお義父様のお付き合い
(合沢早苗)  /で亀山に来たのだが、今は子供たちにも優しい。

桐山高志 /幼稚園児(5歳)。由美子のお友達、香織の弟。 

 大原先生/高志君のママ。

 おばば様/亀山のお灸担当係。子供たちの実母を知る老婆。

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****<1>*********************

 私は生まれて間もなく亀山愛育院という処に預けられ、そこで
15の歳まで生活しました。母は、当時売れっ子芸者だったそう
ですが、許されぬ間柄の子を産んでしまったために自分では育て
られず噂で聞いた亀山を訪ねたんだそうです。

 ここのシステムはすでに他の人達が何度も説明していますから
あえて説明は省きますが、母(実母)もその例外ではありません。
おばばによって身体中にお灸がすえられ、それと引き替えに私は
ここへ預けられたのでした。

 もちろん私はそんな事は露ほども知りません。私の記憶に残る
最初の風景は合沢邸の美しい庭の緑。そこに向かって突き進んで
行くところでした。途中で身体がふわりっと浮いて景色が家の中
へと大きく変わりましたから、おそらくその瞬間ママ(小島先生)
が私を抱き上げたのでしょう。

 亀山の家庭はどこもそうでしょうが私たちの家庭教師は(小島)
先生ではなくてママなのです。ミルクやオムツの世話はもちろん
箸の使い方から着替えの仕方もすべて彼女に教わりました。

 何より、赤ん坊の頃の私は四六時中彼女のそばで暮らしていま
したから、恐らく昨今見受けられる保育園に預けて働くお母さん
方より私の方がママと一緒にいた時間がずっと長かったと思いま
す。

 もちろん彼女にも教師としての仕事がありましたが、ご存じの
ように亀山の先生方は預かった赤ん坊と同伴で出勤して、授業も
その子と一緒に教室で授業をやってしまうというお土地柄でした
から、私も生まれてすぐに学校へ通うことになります。

 教室には大きなメリーゴーランドがつり下げられ、時折、お姉
さんたちの笑い声が聞こえてきます。私が泣けば、授業は中断。
オムツ替えの時などはお姉さんたちが手伝ってくれたりしました。

 実にのどかなものです。もちろんこんな光景、私だけのもので
はありません。ここでは誰もがこうして育つものですから、他の
教室にはまた別の赤ちゃんがいました。

 ただ、私は男の子でしたから、それなりに人気がありました。
よく用もないのに他のクラスからもお姉さんたちがやってきて、
ミルクを飲ませたがります。見かねたママが「この子にミルクを
与えないように」というおふれを出したほどでした。

 女社会の亀山にあって男の子というのはよく言えばアイドル、
悪く見ればオモチャでした。女の子たちはことあるごとに、私を
おままごとのゲストとして招き入れ、私の身体をあちこちいじり
まわしては事あるごとに裸にしたがったのです。

 世間ではお医者さんごっこというと、男の子の邪心がからむ、
Hな遊びのようですが、ここではむしろ、男の子の方が女の子の
お道具になっていました。彼女たちは、お医者さんの治療だと称
して、私のお尻に円柱形の積み木を押し入れたり、洗濯ばさみで
おちんちんを挟んだりしたのです。

 もちろんそんなところをママに見つかれば大目玉ですが、何度
注意されても結構しつこくやってきました。(^^ゞ

 事ほどさようにここでは男の子の力は弱く、私の他にも男の子
は数人いましたが、いずれも幼い頃から女の子に圧倒されてしま
って世間で見かけるような荒々しい子というのはいませんでした。

 そのせいでしょうか、何かの原因で男女に諍いがあったとして
も怒られるのはたいてい女の子。お仕置きも女の子に対して特に
厳しくて、巷ならそこまでは……と思うような過激なお仕置きも
しばしばでした。

 学校では毎日のように少女達の悲鳴が聞こえてきますし、校庭
にはピロリーと呼ばれる晒し台なんかもあって気候がよい日には
誰かしらがそこに引っ掛かっていました。

 この備え付けの枷は、首と両方の手首を一枚の大きな板で固定
するもので、厚い板は存在感がありますから幼い子などはここへ
連れてこられただけで泣いたりします。罰を受ける時は、通常、
着衣のままですが、たまに、ショーツだけが許されていてそこに
跪くことも。さらに、おいたが過ぎれば、その最後の布きれさえ
剥ぎ取られることだって……そう、すっぽんぽんのさらし者です。

 正確に言うと、直射日光を遮る帽子と足下を冷やさないための
靴下だけは身につけてますけど、そりゃあ、恥ずかしいですよ、
そんな時は……

 まさに幼児虐待。こんなことされたらさぞや心の傷はいかばり
かと、今の親御さんなら心配なさるでしょうね。でも、意外にも
本人たちは罰が終わるとケロッとしていました。

 それは物心ついて以来、裸にならなきゃならない罰がここでは
他にも色々あったからで、親や教師だけじゃなく司祭様や現役を
退いた老女たちも、公園で少女たちの不埒な素行を見つければ、
その場で公園に設置してあるピロリーに少女たちを繋ぐことがで
きたのです。

 そう、亀山という処は少女たちの裸を見たいなら街をぶらつき
さえすればそれでよかったんです。教育には直接携わっていない
大人でもちゃんとした理由があれば少女のお尻をむき出しにして
平手で叩くことぐらいはできましたから、少女たち(もちろん、
少年も同じですが)にとって大人は最初から怖い存在だったわけ
です。

 ならば、子供たちは日々大人の影に怯えて暮らしていたのかと
いうと、それも違っていました。

 街の住人たちは子供たちをことのほか気にかけていましたし、
事あるごとにその小さな身体を抱きたがりました。ママや先生達
からも『誰であれ大人たちからの愛を拒絶してはならない』と、
口を酸っぱくして教えられていましたから、子供たちはごく自然
に大人たちからの愛撫を受け入れて暮らすようになります。

 『知らないおじさんに着いて行っちゃダメよ』
 世間でいう親の金言はここではまったくあてはまりませんで
した。

 自分を抱いてくれる。オモチャを買ってくれる。一緒に遊んで
くれる。知らないことを教えてくれる。それは大人たちが子ども
たちに対してごく自然にやってくれる事であり、見知らぬ大人の
背中で顔見知りの子供が眠っていたとしても誰からも咎められる
ことはありませんでした。

 そんな濃密な社会のためでしょうか、子どもたちは大人たちを
疑いません。

 仮にこの街で出会う見知らぬ大人が、戯れに「裸になりなさい」
と命じたしましょう。それでも、ここの子どもたちなら誰一人逆
らわないはずです。

 えっ、信じられませんか?でも本当のことなんです。それほど
までに子供たちは大人に対しては絶対服従でした。(^^ゞ

 もちろん、大人たちにもしっかりとした分別がありますから、
いくら子供が自由になると言っても邪な心を抱いて一線を越える
ような事はありません。揺るぎない理性と深い愛のもと、大人は
子どもに対して強い権限を持っていました。

 一見ハレンチに見える子供へのお仕置きも、そんな分け隔ての
ない愛に支えられて成り立っていました。

 市井の人ですらそんな状態ですから、ママ(=家庭教師)は、
お義父様から預かった子どもたちに対して実の母親以上に献身的
でした。

 それは時としてうっとうしいと思えるほどの過干渉でしたが、
いざ自分が親になってみると『自分はそこまではできないな』と
実感してしまいます。そのくらい彼女は私を愛していましたし、
兄弟も分け隔てなく愛していました。

 そのせいでしょうか、私はママから幾度となく厳しいお仕置き
を受け入れましたが、それを恨んだ事は一度もありませんでした。
 ママと僕の距離はそれほどまでに近くて、何か不都合なことが
起きても『ママだから』という理由だけで心が簡単に許してしま
うのです。

 要するに、みんな超マザコンというわけです。

 彼女は、僕の体重が重くなりすぎてどうしても膝の上には乗れ
なくなるまで、私を抱いて勉強をみてくれましたし、事あるごと
に抱きしめ、頬ずりしてくれます。おかげで、添い寝には体重が
かかりませんから、これは小学校高学年になっても毎晩でした。

 私も私で、赤ちゃんの時からの習慣でしたから、そんな濃厚な
スキンシップが当たり前のように思っていました。当然、恥ずか
しいなんて感じたことは一度もありません。

 ただ、中学二年生の頃になると私の方がママを女として感じる
ようになってしまい、一時距離を置くようになっていたのですが、
そんな時もママの方は相変わらずで「今日は一緒に寝ましょう」
なんて平気で言います。どうやら、私の体が男となっていっても
抵抗感はないようでした。

 もちろん、怪しい関係なんて一度もありませんよ。(^_^;)

 そんなべたべたスキンシップは昔からのこの街の伝統のような
ものでした。男の子も女の子も、家庭だけでなく、学校でも教会
でも、町中至る所で子供たちは大人たちから事あるごとに抱かれ
続けます。

 それは、『どんな時でも子供を見つけたら抱き上げなさい』が
街の掟だったからです。
 街には子供たちには直接関わらない庭師さんや大工さん、魚屋
さんや八百屋さんなんて職業の人たちも沢山いましたが、女王様
から『それもあなた方の仕事』ということで雇われていました。

 おかげで街の誰もがとりたてて用もないのに子供たちを見つけ
ると挨拶代わりに抱き上げます。ただ、それは当の子供たちにと
っては心地よいことばかりではありませんでした。

 髭がもじゃもじゃな人や体臭のある人なんかがいますから。

 でも、それをあからさまに『嫌』と拒否することもできません。
子供の方は子供の方で、大人に抱いてもらうことが義務みたいに
なっていたからなのです。露骨にイヤイヤをすれば最悪お仕置き
だってされかねませんから、それなりに気を使います。

 まあ挨拶と思えば我慢できますから私はそう思っていつも作り
笑顔で耐えていました。

 あっ、そんなこと誰が決めたのか?ですか(^^ゞ

 それは亀山の村長さんです。この孤児の町を造った初代の女王
様、大石胤子さんが……
 『本当の母親がいない孤児だからこそ、実の母親以上のスキン
シップが必要なんです』
 と言って決めたみたいです。
 偉い人なんですが、女性なんでみんな女王様なんて呼んでいる
んですよ。

 今の村長さんは三代目。代々一族の女性がその地位を受け継い
でいて、ママや先生、司祭様やお義父様なんていう大人たちも、
彼女にはだけは頭が上がりません。何しろ『女王様』というのは、
大人たちの行いを見ていて、『この人は不適格』と判断すれば、
どんな人でも辞めさせることができるんですから大変な権力者
です。

 普段はみんなに尊敬され威張っているお義父様でさえ女王様が
「不適格」と言えばここを出ていかなければなりませんでした。
もちろん子どもたちとの力の差は月とすっぽん以上なわけですが、
私たち子どもにはとても優しい人でした。

 そんな人ですから、大人たちから理不尽な仕打ちを受けると、
女王様の処へ駆け込む子もいました。大人たちの方が正しければ
女王様にこっぴどく叱られることもありますがクリスタルパレス
(女王様の住まい)に行けばたいてい味方になってくれました。

 といって私が女王様を頼ったことは滅多にありませんでした。
そんな必要がないほどママと私は良好な関係にありましたから。
 恐らく実の親子でもここまではと思うくらいママは私を抱いて
育ててくれたのです。小学校3、4年生までは赤ちゃんが離乳食
をほおばるようにママの差し出すスプーンで食事をしていました
し、お風呂でも身体は自分では洗いません。おちんちんも含め、
身体はすべてママが洗うものだったのです。
 そう、大変な甘えん坊さんだったわけです。

 ただ、これは私が男の子だったからかもしれません。とにかく
亀山は女の子がメインの社会。男の子はお客さんみたいなもので、
勉強さえある程度できるなら他のことはあまり強く強制されませ
んでした。

 結果、ママは私を可能な限り赤ちゃんとして扱い、私もまた、
女ばかりの社会の中にあって毒気を抜かれてしまったのか男の子
らしい猛々しさはどこにもありませんでした。

 あれは小学四年生の初夏でしたか、上級学校(小学四年生から
中学三年生までの学校)に進学したばかりの私はクラスメイトの
美里という子に気があって、事あるごとにからかっていたのです
が、そのうち彼女の機嫌を損ねてしまい、反対に上級生の女の子
たちから吊し上げられてしまったのです。

 ところが泣きはらした私の顔を見て今度はママが怒りだします。
私の腕をむんずと掴かむと気乗りしない私を引きずるようにして
学校に乗り込んでいきました。

 私は争い事は嫌いですから、ママに思いとどまるようにお願い
したのですが、無駄でした。

 放課後の静かな学校に吹き荒れたママ台風によって、職員室は
大荒れ。結局、翌日に私が上級生のクラスに行って首実検をする
はめになったのです。

 「どの子にやられたの?」

 教室へ現れた私とママを見て当の上級生たちも戦々恐々の様子
で、その青ざめた表情は幼い私にさえわかるほどでした。

 ママは頑張ります。担任はもとよりその子たちのママに直談判。
必要ならその子たちのお義父様にも手紙を書いて、私を泣かせた
女の子たちが二度と私にちょっかいを出さないように厳しい懲罰
を与えて欲しいと迫ったのでした。

 こんな場合、世間では……
 『そうは言っても相手は女の子ですから』
 なんて割を食うのは力の強い男の子と相場が決まっているよう
ですが、ここではまったく逆です。私の方にちょっとぐらい非が
あっても罰せられるのは決まって女の子の方だったのです。
 まして、今回は年下の男の子を集団でリンチにかけたわけです
から事は重大です。

 そんなわけで担任の森下先生が下した結論は『土曜日の午後、
修道院の裏庭で特別反省会を開きます』というものでした。

 特別反省会というのは名前は反省会ですが要するにお仕置きを
公開でやりますということでした。ごく幼い頃ならいざ知らず、
このくらいの歳の女の子になると恥をかかされることには敏感
です。単にぶったり叩かれたりすること以上に辛い事になります。

 そのためそうたびたび行われるものではありませんが、犯した
罪が特に重い場合は、お仕置きに関わりのないクラスメートにも
お仕置きを見せて戒めにすることがありました。

 ただ、その場合でも、異性の参加を認めるというのは希でした
から、私が被害者という立場でそこに立ち会ったのは、この時の
ママの怒りがいかに強かったかという証明でもありました。

 『あとで復讐されたらいやだもん。もう帰りたいなあ』

 そんなことを思い続けながら私は舞台の袖で公開処刑の様子を
観察していました。
 以下はその記録です。

 あっ、本日はこれまでですか。(^o^ゞ
 では、続きは次回といたしましょう。m(__)m

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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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