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§2 愛の中にある『愛のお外』

***** < 愛の中にある『愛のお外』 > *****

 ちいちゃんのママは育てた子すべてを愛していた。仕事をしな
がら寝る間も惜しんで僕らのために尽くしてくれていたからね、
僕らもママには我がままは言わなかった。

 よく、街で幼い子が泣いて騒いでるだろう。
 あれ、当たり前のように思うかもしれないけど、ぼくたちに、
それはなかったんだ。

 『ねだったものを買ってくれない』とか『まだここで遊びたい』
と思っても、ママがダメって言えば黙って従った。
 どんなに幼い時でもそれでママを困らしたことはなかったんだ。

 「ちぇっ」なんて、舌打ちくらいはしたかもしれないけど……
少なくとも地面に寝っ転がってイヤイヤをするってことだけはな
かった。

 それをママに言うとね……
 「それはあなた方が偶然良い子だったからよ」
 って嬉しそうに微笑むんだけど……

 でも、僕はお母さんの育て方に何か秘密があると見ている。
 だって子供一人ひとりの資質がそんなに大きく違うわけがない
はずだし、何より僕たち姉弟三人、個性はまったく違うんだよ。
同じ反応をするなんておかしいよ。

 で、出た結論なんだけど……
 手っ取り早く言ってしまうと、これって飴と鞭の効果なんだよ。

 普段はとっても優しい。僕の体験から言っても、『甘やかし』
何てレベルは超えていて、小学校時代を通じて赤ちゃん状態だっ
た。

 一緒に抱き合って寝て、一緒にお風呂に入って、一緒にトイレ
まですませた。

 ん?
 『さすがに、トイレは一緒じゃないだろう』
 って……

 ところが、そうでもないんだ。
 僕はお風呂に入ると不思議にウンコがしたくなる。
 本来ならもちろんトイレへ行くところだけど、そうすると廊下
に濡れた足跡が残る。それに素っ裸では風邪をひいちゃうしね。

 そこで、何と、浴室内にオマルが置かれることになったんだ。

 ん?
 『普通の家じゃ考えられない』
 って……

 だろうね、僕もそう思うよ。だけど、うちじゃそうなんだ。

 お風呂場でお母さんの見ている前でオマルに跨ってウンコ。
 終わると四つん這いになってモーモーさんのポーズ。
 お尻をティシュで拭いてもらって、お尻の穴をお湯で綺麗に
してもらったら、また湯船に浸かるの。

 もちろん赤ちゃんの時だけじゃないよ。3年生、4年生くらい
まではずっとこんな感じのお風呂兼おトイレだったんだ。

 この人、不思議とそういうことにはあまり頓着がなかったの。
 「しっかりしなさい」とか「だらしがないわよ」ってなことは
男の子にはあまり言わなかったんだ。

 だから、小学生時代は赤ちゃん時代とそんなに変化がなかった。

 でも、これって男の子だけの話で、茜の姉ちゃんに対しては、
「しっかりしなさい!」とか「だらしがないわよ!」なんて言葉
を頻繁に使ってたんだ。

 お母さんにしてみるとね、お姉ちゃんというのはお弟子さんとか
子分とかいう関係だったんだね、きっと………だから、家のこと
(うちの場合は商売も含むんだけど……)なんかを覚えさせて、
手伝ってもらおうなんて虫のいいことを考えてたんだよ。
 だから厳しく仕込まれてたんだ。

 お姉ちゃんは『メジラ』なんて言われて暴れん坊みたいに思わ
れてたけど、あれって、単にお母さんの気性をそのまま受け継い
だから、ああなるだけなんだよ。

 それに対してぼく達男の子というのは、自分とは生理も違うし、
家の手伝いなんかはさせられないし、そもそも育てる目的が、家
の後継ぎの養成だろう。勉強さえある程度できていれば経済力も
おのずとつくだろうから、それでいいって考えてた節があるんだ。

 この場合の後継ぎは、必ずしも質屋を続けるって事じゃなくて、
家名を上げてくれるなら仕事は何でもいいんだよ。
(このあたり、現代の人には言ってる意味が分からないかも)

 とにかく、お母さんにとって大切なことはね、自分が息子から
この先も嫌われないでいることなんだ。
 このあと、息子にはお嫁さんが来るだろう。その人に負けない
だけの楔(くさび)を息子の心に打ち込んどかなきゃって考える
わけなの。

 だから、僕が色気づいた時だって……

 そう、その日僕は……
 お母さんと一緒に街を歩いてた。

 すると、自分と同世代の女の子に自然と目が行く。
 気がついたお母さんが……

 「どうしたの?」
 ってきくから……

 「何か、変な気持がする」って言ったら……

 「あら、大変、病気かしらね……」
 彼女はその時はそう言ったけど、どうやら分かってたみたいで
……

 おうちに帰ったら、女の子の裸ん坊さんの写真をたくさん僕に
見せるんだ。
 そこで、たまらず……

 「もっと変な気持がする」
 って言ったら……

 「あらあら、ちいちゃんもいつの間にか、大人さんになったのね」
 って、嬉しそうに言うんだ。

 それからしばらくして、「お気に入りの可愛い子が見つかったよ」
って報告すると……

 お母さんが……こういう風に言いなさい。こんなプレゼントを
持っていくの。相手がこんなことを聞いてきたらこう答えるのよ。
って、想定問答集みたいなもので色々練習したんだ。

 それで、無事デートの約束を取り付けると……

 デート用の服を新調して、プレゼントを持たされて、想定問答
集を暗記して出陣したんだ。

 ま、その時は小さな恋のメロディーだったからそれだけだった
けど、ハイティーンになっても、実はそれほど変わらなかった。

 お母さんのレクチャーを受けてデートして……
 でも、とうとうホテルに誘ったことは一度もなかった。

 お母さんは「自宅でもいいのよ」って色々用意してくれたけど
それもしなかった。

 そんなのが三人ほどあってから……ママが……

 「いいこと、ちいちゃん、大人になったらね、大人のオマルを
買わなきゃいけないの」

 「オマル?」

 「そうよ、あなただっておしっこしたいでしょう?……いいわ、
お母さんが坊やにぴったりのを探してあげるから」
 って……

 で、そのオマルと今でも暮らしてるんだけど……

 あれは新婚旅行から帰って三日目だったかな。
 オマルが見えないから、
 「ねえ、オマルどこにいったか知らない?」
 ってお母さんに言ったら……

 「そんなこと言っちゃいけません!」

 今度はめっちゃくちゃ怒られちゃった。

 でも、当の本人は都会育ちだからね、何のことだか分からなか
ったみたい。

 こんなこと書いてると異常な世界に思えるかもしれないけど、
うちの田舎では、これってけっこう多いパターンなんだよ。
 
男の子はお母さんにべったり甘やかされて育てられるからね。
大人になってもお母さんの影響力は絶大なんだよ。精神的には、
赤ちゃんに近いと言っていいくらいなんだ。

 こうして、息子を通じて家を支配しているお姑さんは沢山いる
んだ。男尊女卑のお土地柄だなんていっても、結構、ハッピーな
老後なんだから。
(もちろんお嫁さんは大変だけど……こちらも、『よし、男の子
を産んでこの家を乗っ取るぞ!』ってファイトを燃やすってわけ)

 さてと…話をもどすけど、

 お母さんは僕を極力手許から離さなかった。

 うちはお店での営業だけじゃなくて、色んなイベントごとに
便乗して質流れ品の展示即売会みたいなものもあちこちで開いて
いたんだけど、そんな会場にも、お母さんはぼくたち兄弟をよく
連れて来てたんだ。

 物心ついた直後から記憶があるから、二、三歳のころから連れ
て来てたんじゃないかなあ。そうすると、子供ってやっぱりお母
さんのそばにいつでもいたいじゃないですか。
 我がまま言ったら商売の邪魔になるので返されちゃうでしょう。
自然と、我慢強くなっちゃうんだ。

 で、その時お姉ちゃんはまだ小学校の低学年だったはずなんだ
けど、これがお母さんを助けて働いているって感じだったんだ。
どの程度、戦力になっていたかは疑問だけど、ママのお側(そば)
で遊んでるだけの僕らから比べると、仕事らしいことをしていた
のはたしかだよ。

 じゃあ、僕らは何の役にもたっていないのかというと……
 それがそうでもなかったんだ。

 幼児がそこにいると、自然と大人達があやしてくれるだろう。
つまり、人寄せになるんだよ。

 このあたり、今とは違って、大人達は見知らぬ子供にも気軽に
声を掛けていたし、触ったし、抱いてた。
 要するに、気軽に遊べる玩具が置いてあるって感じなんだ。

 そういった意味では、お母さんの営業に貢献していたとも言え
るんだ。

 ただ、子どもだからね。失敗も多かった。

 ある日、もの凄く太ったおばさんが真珠のネックレスを買って
くれたんだけど、その人が帰りしな……

 「ねえねえ、お母さん。こんなのを『豚に真珠』って言うんで
しょう」
 って、言ってしまったの。

 おばさんは一呼吸おいて振り返ると、笑ってたけど、お母さん
は冷や汗たら~り。

 「坊やはおりこうさんなのね。そんな難しい事をよく知ってる
わね」
 って、褒めてくれたんだけど……

 以後、しばらく母からは出入り止めを言い渡されてしまった。


 ま、そんなこともあったけど、その日何が起ころうとも、夜は
お母さんに抱っこしてもらいながら眠るという習慣だけは、我が
家では揺ぎ無いものだったんだ。

 どんなに厳しいお仕置きがあった日も滅多に一人で寝かされる
ことはない。

 逆に……
 「独りで寝たい」
 と言っても許してくれないんだ。

 お仕置きはお仕置き、ネンネよしよしはネンネよしよし。我が
家ではこの二つはものの見事に両立していたの。

 お母さんはもともと気性の激しい人だったから、お仕置きする
時はそりゃあ大変だった。『この世の終わりかあ~』ってぐらい
の恐怖だもん。
 でも、終わるとね、すぐに抱いて赤ちゃんのようにあやして
くれたんだ。

 そんなお母さんの口癖が……
 「あなたたちは今、お母さんの愛の中にいるの。あなたたちが
そこから出る事は絶対にできないのよ」
 というもの。

 年齢が高くなると、馬鹿馬鹿しいとは思うのだが、あまりにも
幼い時から脳裏に刷り込まれているためか、その言葉自体が不快
に感じられることもなかった。

ま、一種の催眠術みたいなものなんだろうけど、我が家ではその
呪文が親子の絆を保たせていたのかもしれないね。

 では、本当にお母さんの愛のお外に出る方法は、本当になかっ
たのか?

 いや、これが一つだけあったんだ。

 「おかあさん、……ね、…ぼく、愛のお外へ行きたい」

 こう言って寝床でおねだりするとね、お母さんはそれまで以上
にぎゅ~っと僕を抱いてくれる。

 すると、不思議なことに愛のお外へは、割とすんなり行けるのだ。

候女の2歳の肖像


 そこには……
 妖精の花園
 仏様の世界
 天使達の楽園
 未来の国
光のループ滑り台
 などなどあって、どこに行くかはその日の運しだい。
 どこへ飛んでも、たいていは僕を楽しませてくれるんだけど…
 ただ、ごく稀には怖いことがあったりもして……

 そんな時は……
 「おかあ~~さ~~ん」
 って叫ぶんだ。心で叫べばいいんだよ。

 すると、突然、目の前にお母さんのおっぱいが現れて……

 それをお鼻やほっぺでくちゅくちゅってやると……

 「どうしたの?怖い夢だったの?」
 ってお母さんが聞くから……

 「うん」
 って小さくお返事してから、また眠るんだ。

 考えてみれば、これが人生最初のお仕置きだったような気がする。

 お母さんが、「愛のお外に出ちゃいけないよ」って言ったのに、
出ちゃって……(故意ではないけど欲望はあった)

 怖い、怖い、ことが起こったんだけど……

 それって、大きなお母様の愛の世界の中で起こったことだから、
別に特別なことは何も起きてなくて……

 明日は明日で、また、お母様の愛の中でいつもどおりの生活が
始まる。

 お仕置きってね、こういうことだと思うんだよ。

 コップの中の嵐。

 しかし、どんなに怖い目にあっても子どもはまた新たな楽しみ
を求めて、常に新しい世界へのチャレンジは続ける。

 それは人の本性だからね、仕方のないことなんだ。

 やがて、子供のチャレンジは……

 お母様の愛のエリアを本当に乗り越えてしまい、はるか彼方に
飛んで行ってしまうんだけど……

 愛されていたという自信が、僕に推進力を与え続けてくれて、
色んな世界を経験させてくれるはずなんだ。
 そして、今度は僕が愛する人の為にバリアを張ることになると
思うよ。

 恐怖の夢からは本当の勇気は湧いて来ないし、
 楽しい夢ばかり見ていては何も生まれない。
 困難を克服する勇気というものは『愛されている』という自信
から生まれてくるものなんだ。

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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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