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第7章 祭りの後に起こった諸々(3)

第7章 祭りの後に起こった諸々

§3 最後の晩餐

 楽しいひと時は30分ほど続き、カレンだけでなくアンまでも
がピアノを弾いた。

 アンはそれまで自分なりに工夫を重ねてきたカレン式のピアノ
を披露する。
 それはとても軟らかなタッチで、カレンだけでなく伯爵夫人を
も魅了したが、ただ、カレンと同じ音が弾けたわけではなかった。

 依然、カレンの音はカレン本人にしか出せなかったのである。

 やがて、そんな三人の楽しい語らいも、女中がやって来て水を
さす。
 居間の方へ来てほしいというのだ。

 部屋を出る時、女中は伯爵夫人に手を貸そうとしたが、夫人は
あえてこう言うのだった。

 「カレン、あなたが私を連れて行ってくださるかしら?」

 「はい、喜んで……」
 カレンは、伯爵夫人の言葉に何の躊躇もない。

 こうしてカレンが夫人をエスコートする形で、三人は居間へと
やってきた。

 そこで……
 「お父様」
 「お父様」
 二人は異口同音につぶやく。

 さっき伯爵が部屋を出る時、二人はその知らせを耳にしていた
はずだったが、それからがあまりに楽しい時間だった為にお父様
の事はしばし忘れていたのだった。

 「どうしたんだね、二人とも……親が娘の迎えに来るのは当然
のことだと思うがね」

 ブラウン先生はいつもの営業笑い。
 何の敵愾心も感じさせない穏やかな微笑みを浮かべて、二人を
暖かく迎え入れた。

 「では、食堂の方へ参りましょうか」
 伯爵が誘うと……

 「大変恐縮です。閣下。子供がお邪魔をしたうえに夕餉の心配
までいただき、不肖ブラウン、心が痛みます」

 ブラウン先生、つまり父親が伯爵の前で最大限気を使っている
のが二人の娘にもわかった。

 もちろん、伯爵の方は、
 「そんなにお気になさらずに……こちらがお呼びたてしたので
すから、このくらいは容易(たやす)いことです」
 と、軽く受け流すだけだったが……。

 爵位を持つ人たちの普段の食卓は、その家によって、夫婦だけ
だったり、成長した子供と一緒だったりと形態はさまざまだが、
アンハルト家の食卓には、先代の伯爵夫人のほか、現当主、画家
や音楽家、占星術師など多くの人たちが同席を許されていた。

 「おう、これは、これはブラウン先生。こんな処でお会いする
とは奇遇ですなあ」
 コンクールにも顔を見せていたラックスマン教授が目ざとく見
つけてブラウン先生と握手を交わす。

 「50キロの道のりを飛んでまいりました。子どもを持つと、
何かと苦労が絶えませんよ」
 これが先生の応じた言葉だった。

 夕食は当然ながら豪華な晩餐となった。
 当然、それはブラウン先生と二人の少女たちをもてなすために
用意された料理なのだが、貴族の食卓だから、常に豪華な食事を
しているというわけではない。

 大きな所帯は経費も大きい。貴族の家だからといって日常的な
食事にまで大きなお金をかける家はむしろ珍しく、そういった事
も含めブラウン先生としては出された豪華な料理を前に、心中は
複雑だったのである。

 デザートまでが済み、食後の会話を楽しみ、居間に戻って葉巻
をくゆらす。その場に笑い声は絶えないが……それは少女たちの
甲高い声ではない。そこは大人たちの社交の時間だった。

 一連の行事が終わり、ブラウン先生としてはなるべく早く帰り
たかった。だからそのきっかけを探っていたのだが、伯爵の方が
それを許さなかった。
 伯爵としては最後にもう一品、二つ目のデザートを待っていた
のである。

 もちろん、ブラウン先生もそんな相手の希望は分かっている。
だから、結局はこう言うしかなかった。

 「カレン、最後にもう一曲ご披露しなさい」

 食後の胃もこなれ、頃合いのよい時間。
 カレンは再び居間のピアノに着く。

 ピアノ室に移動してもよかったのだろうが、
 『あの程度なら、ここでも……』
 伯爵は軽く考えていたのだ。

 ところが……

 「……………………………………………………………………」
 「……………………………………………………………………」
 「……………………………………………………………………」
 「……………………………………………………………………」
 「……………………………………………………………………」

 ピアノが始まってしばらくすると、その部屋が水を打ったよう
に静まり返る。表現のしようがないほどの繊細な音が周囲の人々
から会話の声ばかりか葉巻を灰皿にねじ込む物音さえも奪い去る。
葉巻は灰皿に乗せられたまま燃えていく。
 誰もがカレンの弾くピアノの音をほんの一瞬たりとも聞き漏ら
したくなかった。

 「(街の喧騒の中ではさほどとも聞こえなかったのに。お母様
はこれを聞かれたのだ)」
 とりわけ、緊張が高まってトランス状態で弾く時のカレンのピ
アノを伯爵はこれまで聞いたことがなかった。それだけに、彼の
驚きは強烈だったのである。

 「(何故だ。これは紛れもなく兄さんの音ではないか。誰にも
決して真似のできないはずの天上の音楽。それをどうして彼女は
奏でることができるんだ。……聞かねばなるまい。もっと詳しい
話を……)」

 伯爵はカレンのピアノを聞くうち、手にしたブランデーグラス
が重いと感じてテーブルの上に置いてしまう。そんな伯爵の気持
がブラウン先生には手に取るようにわかるのだ。
 しかし、だからこそ、いけなかった。

**************************

 帰りの車中、ブラウン先生は無口だった。
 無口だったが、怒った様子もないから娘たちはほっと胸をなで
下ろして家路についたのである。

 「今日はもう遅いから寝なさい」
 そう言った時も先生は笑っていた。

 その次の日の朝も、いつもと変わらない朝だった。

 女中さんたちのなかにカレンの笑顔があって、子供たちの声は
誰の声も甲高く、ブラウン先生もいつものように笑顔で他の先生
たちと談笑している。

 「さあ、みんな、学校へ行く時間よ」
 ベスの声が山荘じゅうに響き渡る。

 学校は山荘のお隣。規模だって寺子屋ほど小さなスペースなの
だが、それでも出かける時は、居間で、でんと構えているお父様
に抱きつき、『行って来ます』のキスをするのが慣わしだった。

 だから、二人とも居間へと出発する準備を整えていたのだが…
 「今日はお父様からお部屋で待っているようにとのことです」
 アンナとベスからカレンとアンは伝言を受ける。

 「あっ、そう……」
 二人とも気のない返事。
 しかし、だったら待っているしかなかった。

 子供たちがすべて出払い、通いの女中達も自宅へ帰って行って、
山荘には気心の知れた使用人たちと家庭教師のヒギンズ先生だけ
が残っていた。

 そうなってはじめて、ブラウン先生は二人の娘たちを呼び出し
たのである。

 おずおずと居間のカーペットを進む二人。カレンはわけがわか
らずそれでも神妙にしているが、アンの方は今にも心臓が口から
飛び出しそうなほど緊張していて、顔は真っ青だった。

 「カレン、おいで……」
 ソファに腰を下ろしたブラウン先生はまずカレンを近くへ呼び
寄せる。

 「はい、お父様」
 心なしか元気のない声。詳しいことなど分からなくても女性は
周囲の空気がよどんでいるのを敏感に感じ取る生き物。

 『何だか、ヤバイ』
 女の勘が働くのだ。

 「あらためて聞くが、君は、私のことをこれからも本当の父親
だと思って、ここで暮らすつもりがあるかね?」

 「えっ!…………あっ……はい、お父様」
 突然の質問に驚くカレンだったが、自信なさげに答える。

 「本当に、心の底からそう呼べるかね。私のことを『お父様』
って……私は単なるパトロンでは嫌なんだよ」

 「はい、最初にお約束した通りです。本当の父が見つかるまで
は、先生が私のお父様ですから」
 カレンは意を決したように今度は少しだけ声を張った。

 「わかった。だったら、お前は私の娘として、私から罰を受け
なければならないが、それでもいいのかな?」

 「(えっ!!……どうして!!)」
 カレンは驚いた。その突然の宣言がアンの予測通りだったから
だ。

 「お前は、アフリカで生まれ育ったから、この町の事情は知ら
ないだろうが、あの伯爵家の先代は、戦時中はナチの幹部だった。
彼としては戦争で多くの犠牲を払うよりその方が得策と考えたの
だろう。たしかに彼の読み通り戦争の被害は少なかった。しかし、
結果として、この町でも罪のない多くの人が処刑されたから、今
でも、伯爵家に対して恨みを持つ人は決して少なくないんだ」

 「(やっぱり、その話なんだ。アンの言うとおりだったわ)」
 カレンは思った。

 「私も、君達も、この山荘も学校も、ここにある全てのものは、
町のみなさんが有形無形のいろんな援助をしてくださるおかげで
成り立っている。決して私の力だけで、全てがうまくいっている
わけではないんだよ。……わかるかい?」

 「はい、お父様」

 「もし、そんな町のみなさんの中に伯爵家を快く思わない人が
大勢いるとしたら…『我々が伯爵家と個人的に仲良くしている』
なんて噂がたつだけで、援助の手をやめてしまう人か出てくるか
もしれない。そうなって困るのは、君だけじゃない。まだ小さい
子供たちを含め、山荘の人たちみんななんだ。それも、わかるだ
ろう?」

 「は、はい、で、でも、私、そんなこと…今まで知らなくて…」
 カレンは慌てて弁解する。

 「わかってるよ。私は君のお父さんだから、娘の事は一番よく
知っている」

 「(よかった)」
 カレンは心の中でそうつぶやいた。許されると思ったからだ。
ところが……

 「でも、多くの人はそんな君の事情は知らないし、そもそも、
そんな事どうでもいいことなんだ」

 「どういうことですか?」

 「肉親を殺された人たちにとっては、先代の伯爵様だけでなく、
伯爵家そのものが敵だし、伯爵家と親しくする人も心許せない人
になってしまう。もちろん、伯爵様に石を投げたり、法に訴える
事はできなくても、離れていることはできるからね。私たちから
も、自然と離れていってしまうんだ。そんな人に君は『あれは、
偶然仲良くなっただけなんです』っていちいち説明に回るかね。
というより、そんな事説明したところで、その人の気持に変化が
起こると思うかね」

 「…………」

 「『伯爵様とは親しいけれど。私はいつまでもあなた方の味方
ですよ』などと言ってみても、肉親を殺された人たちにとって
は、そんなご都合主義の理屈は届かないんだ」

 「じゃあ、どうすれば……」

 「この場合はどうすることもできないんだ。伯爵のそばにいた
事が罪だし、やさしくしてもらった事が罪なんだ。……もちろん
法律的には君に何の責任もないし、落ち度だってない。……でも、
この家の子として……君を罰しないわけにはいかないんだよ」

 「…………」
 カレンは思わず唇を噛んだ。
 『とっても不条理なこと……でも、逃れられない』
 そう思ったのである。

 「だから、さっき私が尋ねただろう。これからも私の子どもと
してここに残るかいって……いいんだよ、今からでも……嫌なら、
それも……無理にとは言わないから……君には別の引き取り先を
探してあげるからね」

 すると、カレンはこう尋ねるのだった。
 「あのう…それって、アンも、同じ罰を受けるんでしょうか?」

 この時、それまで真剣そのものだったブラウン先生の顔が緩む。
彼はどうやらカレンの意図を見抜いたようだった。
 「同じ罰を受けるよ。二人一緒だ。……恥ずかしくて、痛くて、
辛い罰だ」

 「……そうなんですか」
 カレンはぽつりと一言。でも、それは迷っているからではない。
決断のきっかけを探っているだけ。『この家を出る』なんていう
選択肢はアンにはないはず、もちろん、カレンにだって最初から
なかった。

 「アンはどうなんですか。そんな理不尽なことをするこんな家
から逃げだしますか?」
 先生は事のついでにといった感じでアンにも尋ねる。これも、
先生にしてみたら、彼女がここを出る決断は絶対にしないという
確信があってのことだったのである。

 案の定、アンの口からは……
 「私は、これからもお父様の子供ですから……」
 
 「よろしい、……では、カレンはどうしますか?」
 
 「はい、私もお父様の子供です」

 「よろしい、二人がそう言ってくれるのなら、私だって親です。
命に代えてもあなたたちを守りますよ」

 ブラウン先生の顔はいつになく厳しい。普段なら、お仕置きの
場面でも多少の笑顔はみせてくれる先生なのに、この時ばかりは
まったく笑顔がない。それほどまでに、この問題は根は深かった
のである。


*******************(3)*****

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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