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第 4 話
< 第 4 話 >
翌朝、僕はクリスタルパレスへ出かけた。クリスタルパレスはその名
の通り全面ガラス張りの宮殿で、お天気の良い日には巨大な宝石のよう
に輝いて見える。主は亀山では女王様と呼ばれている人物。
有り体に言えばこの街を造った創立者のお孫さんでこの街の責任者と
いうか町長さんみたいな人だ。ただ、その権限は絶大で、お父様でさえ
その意向に逆らうことができない。だからこそ女王様だなんて呼ばれて
いるんだろうけど、普段、会いに行くと子供たちにはとても優しい人だ
った。
評判の甘え上手(自身はそうは思っていないがあくまで亀山での評価)
だった私は、ママやお父様たちのことで女王様に愚痴を言ったことなど
なかったが、子供たちのなかにはママやお父様たちといった親子関係や
学校の先生との関係、さらには友達関係で悩む子も少なくなかった。
そんな子供たちが駆け込み寺のように利用していたのがこのクリスタ
ルパレスであり、女王様だったのである。
ここには家や学校にはないマンガやオモチャが置いてあって今で言う
ゲームセンターみたいな役割を果たしていた。そして、そこで語られる
子供たちの本音を吸い上げては学校や家庭にフィードバック。厳しいお
仕置きのもとで我が儘の言えない子供たちとの風通しの役を担っていた
のである。
それだけではない。子供たちの悩みが主に大人側に問題のある時は、
子供たちを一時的にママやお父様の愛から外して、ここで預かったりも
する。
女王様のもとで一緒に暮らす彼らは『光の子供たち』と呼ばれたが、
ほとんどが短期間で、女王様の指示で大人たちが受け入れ方法を整える
とすぐにでも返された。子供は寄る辺なき身、いっぱいおっぱいを飲ん
だ場所を代えるという決断は彼らにはあまりに重かったのである。
ただ中には例外もあって、大人たちがどんなになだめすかしても赤ち
ゃんのままでいるのを拒み、自ら自立を望んだ子供たちだっていた。
そんな気骨のある子供たちは別のママやお父様を世話してもらうか、
いっそクリスタルパレスを住まいとしたのである。
ま、私のような凡才は、一時(いっとき)自立したいと決意しても、
大人たちからなだめられると、すぐに赤ちゃんに戻ってしまうのだが、
彼らの場合は、なまじ才能も豊かで好奇心や探求心に恵まれていたため
家庭的には不幸だったようである。
そんな子供たちも引き取って女王様は面倒をみていた。つまり孤児院
の孤児院というわけだ。
最初のお父様と離れてしまう子は年に数名いたが、さらに女王様の処
で中学卒業までずっと暮らす子となると、年に一年に一人いるかどかと
いったところだった。ところが、皮肉なことに亀山を下りて成功した者
の多くがここの出身者なのだ。彼ら(彼女ら)はお父様の直接的な援助
が受けられないため、他の子たちとは異なり勉強の世界(インテリ)で
自立できるよう女王様から仕向けられるのである。
ただ、それならこの子たちにはお仕置きなんて必要ないのかというと、
それとこれとは話は別なようで、中庭には各種の晒し台やお浣腸で汚れ
たお尻を洗う泉、大声で泣き叫んでも声が外に漏れないように防音設備
のあるお仕置き部屋など亀山の一般家庭(?)に必要なものはここでも
必需品だった。
私が訪れた時も中庭では一人の女の子がちょうど素っ裸で立たされて
枷に捕まるところだった。(何度も言うがこんな事ここでは日常茶飯事だ)
「ひょっとして香澄ちゃん」
僕の声かけに香澄は最初、豆鉄砲を喰った鳩のような目をしていたが、
やがてその瞳に生気が戻ると満面の笑みになる。
「健、兄ちゃん。帰ってきてたの!」
香澄は女の子をほったらかして僕に10秒ほど抱きついた。その間に
僕は彼女の髪をくちゃくちゃにしてなで回しおでこ同士をこすりつける。
これって特別なことをしたのではない。巷でなら握手を交わした程度
のことだ。
「一時帰郷。君はここで働いてるの?」
「そう、離婚して…子どもも手が放れたら…私って行くところがない
じゃない。だったら……昔のつてを頼ってここに入れてもらったの」
「楽しい?」
「ええ、とっても…とにかくここは疲れないわ。肉体的には大変だけ
ど精神的にはとっても楽なの。とにかく言うことをきかない子はお尻を
ピシャピシャっと叩いて抱けばいいんですもの」
「なるほど、世間じゃ体罰がどうのこうのってうるさいからね」
「あんなのナンセンスよ。今の親は、乳飲み子を保育園に放り込んで
ろくに面倒もみないもんだから親子関係が脆弱でちょっとしたお仕置き
にも子供の心が傷ついてしまうだけ。もとはと言えば親の責任よ」
「そういえば、女王様も同じこと言ってたよ。ちょっとしたお仕置き
で子供の心が傷つくようなら、それは戸籍上はともかく実質的にはそも
そも親子じゃないって……」
「女王様には多くの子供たちをお仕置きで育てて、何人もの成功者を
出してきたプライドがあるの。だから『お仕置きが百害あって一理なし』
みたいな言われ方をすると、カチンとくるわけ」
「この子は、何?……ママのお仕置きが厳しくて逃げて来たとか?」
「まさか。……あっ、忘れてた」
香澄は苦笑いを浮かべるとその場にうずくまり必死に体を小さくして
恥ずかしさから逃れようとする少女の背中に回り込む。
そして、その耳元で…
「今度はおじちゃまのお膝に抱っこしていただきましょう。……ね、
枷に捕まってるよりその方がずっと楽でいいでしょう」
そう説得されてベンチに腰を下ろした僕の膝の上へとやってくる。
「お願いします」
少女は一言そう断って私の膝を椅子代わりにしたが、さっきまで地面
にしゃがみ込んで震えていたとはとても思えないほど堂々たるもので、
前も隠さないでやってくる姿は開き直っているとも見える落ち着きぶり
だった。
「(ほう、お愛想笑いもできるのか)」
彼女は私の膝でごく自然に笑って見せた。亀山の子供たちのならいだ。
『抱かれたら笑う』という習慣は生きていたようだ。
そうなると、こちらも何かしてやらなければなるまい。
「タオルケット、いいかな」
まずは香澄からタオルケットを受け取ると、少女にそれを優しくくる
んでやる。そして、おでこをこっつん、ほっぺをすりすりして微笑む。
これも亀山のならい。習慣だった。
「良い子じゃないか?……お嬢ちゃん、お名前は?」
「倉田真里」
「倉田先生は優しい?」
「ママは優しいよ」
「そう、だったら、どうしたの?」
「…………」
そこまでハキハキ答えていた真里の口が急に開かなくなった。代わり
に香澄が……
「お父様が毎晩Hなことするからあそこにはもう居たくないって女王
様に泣きついてきたの」
「この子のお父様って?」
「河村誠一郎」
「電気屋さんか。創業者でワンマンだったからな」
さもありなん、なんて顔をすると…
「そんなことないわよ。この子がそう言うから一応関係者に当たって
みたけど、河村さんはここに来てまだ日が浅いこともあって子供たちに
はとっても気を使ってくださってるの」
「ということは……」
「そう、女の子特有の病。思春期には特に多発するわ」
「でも、僕のお膝ではご機嫌みたいだけどなあ」
私が笑顔を一つ投げかけると少女はそれと同じくらいご機嫌な笑顔を
返してくれた。
「それはあなたが、ここでの作法、女の子の抱き方を知ってるからよ。
そこらが、会長はまだ慣れてらっしゃらないもんだから……」
「会長職を退いて二年くらいだもんね」
「ここへ来てまだ1年たってない。恐らく思春期の子という事で大事
にし過ぎたのね。ところが、女の子というのは不安そうに抱かれるのが
一番いやなのよ」
「この子いくつ?」
「12歳よ。まだまだ赤ちゃんなんだから、言うことをきかない時は
お尻を二つ三つ、ピシッピシッってどやしつければそれでいいんだけど、
巷のならいでなかなかそれがおできにならないからかえって溝が深まっ
ちゃったってわけ」
「確かに、素っ裸で男性とベッドを共にするのは女の子にとっちゃあ
辛いよね」
「いえ、お父様が赤ちゃんの時から何度も抱かれ続けた方なら女の子
も対応できるんだけど、河村さんの場合は今年こちらにお見えになった
ばかりでしょう。お互いが固くなっちゃってて……」
「なるほど…そりゃあ、無理かもね」
「でも無理じゃ困るわ。過去、そんなケースは五万とあるけど大半の
子がクリアしてきたんですもの。真里だけが、できませんってわけには
いかないわ」
「で、他のお父様にはそわせなかったの?」
「もちろん本人の希望を聞いて二三人そわせてはみたけど、やっぱり
そっちの方がよほどハードルが高いみたいで……結局、女王様が「私の
処へ残りますか?」って聞いたら、「やっぱり、お仕置きされてもいいか
ら元のお父様のお家へ帰りたいって……それで、ここにいるってわけ」
「なるほど、新しいお父様が怖かったんだ。……それって、ちょっと、
辛抱すればすむことなんだけどね」
「それができないから子供なんじゃないの」
「ぼくなんか初めからお母様のペットだったからな。当番の日なんて、
おっぱいはしゃぶらなきゃならないし、ほ乳瓶でミルクは飲まなきゃい
けないし、オチンチンなんて毎晩のように触られてたけど。それでも、
変な気持になった事なんて、一度もないよ」
「だって健ちゃんは男の子だもん。女の子ってのは元来が臆病だし、
肌を触られることにとっても敏感なの……」
「でも、今回みたいなこと、あんまり聞いたことないけどなあ」
「そりゃあそうよ、私たちにとっては物心つく前からやってる儀式で
しょう。今さら、『体が大きくなって気が変わりました』なんてお父様に
言いにくいもの」
「そうかなあ。そんなことに女の子はドライだと思うんだけど……」
「だから、それって、幼い頃からずっと抱き続けてもらってるお父様
だからそうなの。だからちょっとぐらいイヤな事でも辛抱できるのよ」
「そう言えば『女の子は何をされたかより誰にされたかが問題なんだ』
なんて言ってた人がいたけど、そういうことかな」
「それはいえるわね。この子だって前のお父様だったら、こんな問題
は起こさなかったと思うもの」
「で、これからこの子どうするの?」
「もちろん河村のお父様の処へ返すんだけど、今夜あたりおばば様に
来てもらうようなこと言ってたわ」
「おやおや、そりゃ可哀想に……」
私が憐憫の情で横座りした少女の顔をタオルケットごしに覗く込むと
彼女もまた私を少し悲しい目で見上げる。どうやら家へ帰ってこれから
何をされるかは分かっているようだった。
「おばば様に心棒を通してもらうんだ」
「ええ、色々考えたんだけどその方がいいと思って……女王様も同じ
意見なの。女の子ってのは色々に夢や願望はおしゃべりするけど、一旦
『ここで暮らしなさい』って言われたらもうそこで暮らせるものなの。
そのあたりの辛抱は男の子より上よ。……だから、おばば様に『あんた
のお家はここ』『あんたのお父様は河村先生』って念押してもらうが手っ
取り早く諦められるわ」
「あきらめちゃうの?」
「そう、女の子は自分の力で夢を実現することが男の子以上に難しい
から、どう綺麗に諦められるかで幸せが決まってしまうの。お股の中に
つけられたお灸の痕は、世間の人たちには残酷なことのように映ってる
みたいだけど、私にとっては、『ここで頑張らなくちゃいけないんだ』っ
て本気にさせてくれたからむしろありがたいお灸だったわ」
「……えっ、それって本気?」
「ええ、私の場合もおばば様からやられた当初はそりゃあショックだ
ったけど……でも、それで決心がついたら、後はスムーズに行ったわ」
「…………」
「何、変な顔して?……男性には分からないことよ」
「女の子って、厳しい世界だね」
「野心をもてばね、男の世界をハンデ背負って生きなければならない
から。でも、女の世界で妥協して生きるんなら、責任はないしお気楽な
人生よ。……さっ、そろそろ帰りましょうね」
香澄はそう言いながら僕の膝から少女を抱き上げ近くに止めてあった
特大の乳母車へと乗せ換える。
「裸のまま連れて行くのか」
「そうよ、何?忘れたの?赤ちゃんはいつもこんな時は裸ん坊さんよ」
「寒くないか?」
「『寒くないか』?よく言うわねえ。お兄ちゃまはどこの御出身なのよ?
これに乗ったことないなんて言わせないわよ」
「そりゃあそうだけど、今日はちょっと風もあるし……」
「大丈夫よ。体はすっぽり籐篭の中だもの。それに子供は体温が高い
から……」
「そりゃあ……まあ……そうだけど……」
「なによ、やけにからむわねえ~~はっああ~ん、さては情が移った
んでしょう」
香澄が笑う。でも確かにそうだった。不思議なことにほんの短い時間
でも抱いてしまうと、それまでその子にそれほど感心を示さなかったの
に『何とかしてやりたい』という気持になるのだ。
そんな大人の心理を女王様はよくご存じだったのだろう。「どんな時で
も子供は見つけしだい抱きなさい」が亀山の掟だった。
翌朝、僕はクリスタルパレスへ出かけた。クリスタルパレスはその名
の通り全面ガラス張りの宮殿で、お天気の良い日には巨大な宝石のよう
に輝いて見える。主は亀山では女王様と呼ばれている人物。
有り体に言えばこの街を造った創立者のお孫さんでこの街の責任者と
いうか町長さんみたいな人だ。ただ、その権限は絶大で、お父様でさえ
その意向に逆らうことができない。だからこそ女王様だなんて呼ばれて
いるんだろうけど、普段、会いに行くと子供たちにはとても優しい人だ
った。
評判の甘え上手(自身はそうは思っていないがあくまで亀山での評価)
だった私は、ママやお父様たちのことで女王様に愚痴を言ったことなど
なかったが、子供たちのなかにはママやお父様たちといった親子関係や
学校の先生との関係、さらには友達関係で悩む子も少なくなかった。
そんな子供たちが駆け込み寺のように利用していたのがこのクリスタ
ルパレスであり、女王様だったのである。
ここには家や学校にはないマンガやオモチャが置いてあって今で言う
ゲームセンターみたいな役割を果たしていた。そして、そこで語られる
子供たちの本音を吸い上げては学校や家庭にフィードバック。厳しいお
仕置きのもとで我が儘の言えない子供たちとの風通しの役を担っていた
のである。
それだけではない。子供たちの悩みが主に大人側に問題のある時は、
子供たちを一時的にママやお父様の愛から外して、ここで預かったりも
する。
女王様のもとで一緒に暮らす彼らは『光の子供たち』と呼ばれたが、
ほとんどが短期間で、女王様の指示で大人たちが受け入れ方法を整える
とすぐにでも返された。子供は寄る辺なき身、いっぱいおっぱいを飲ん
だ場所を代えるという決断は彼らにはあまりに重かったのである。
ただ中には例外もあって、大人たちがどんなになだめすかしても赤ち
ゃんのままでいるのを拒み、自ら自立を望んだ子供たちだっていた。
そんな気骨のある子供たちは別のママやお父様を世話してもらうか、
いっそクリスタルパレスを住まいとしたのである。
ま、私のような凡才は、一時(いっとき)自立したいと決意しても、
大人たちからなだめられると、すぐに赤ちゃんに戻ってしまうのだが、
彼らの場合は、なまじ才能も豊かで好奇心や探求心に恵まれていたため
家庭的には不幸だったようである。
そんな子供たちも引き取って女王様は面倒をみていた。つまり孤児院
の孤児院というわけだ。
最初のお父様と離れてしまう子は年に数名いたが、さらに女王様の処
で中学卒業までずっと暮らす子となると、年に一年に一人いるかどかと
いったところだった。ところが、皮肉なことに亀山を下りて成功した者
の多くがここの出身者なのだ。彼ら(彼女ら)はお父様の直接的な援助
が受けられないため、他の子たちとは異なり勉強の世界(インテリ)で
自立できるよう女王様から仕向けられるのである。
ただ、それならこの子たちにはお仕置きなんて必要ないのかというと、
それとこれとは話は別なようで、中庭には各種の晒し台やお浣腸で汚れ
たお尻を洗う泉、大声で泣き叫んでも声が外に漏れないように防音設備
のあるお仕置き部屋など亀山の一般家庭(?)に必要なものはここでも
必需品だった。
私が訪れた時も中庭では一人の女の子がちょうど素っ裸で立たされて
枷に捕まるところだった。(何度も言うがこんな事ここでは日常茶飯事だ)
「ひょっとして香澄ちゃん」
僕の声かけに香澄は最初、豆鉄砲を喰った鳩のような目をしていたが、
やがてその瞳に生気が戻ると満面の笑みになる。
「健、兄ちゃん。帰ってきてたの!」
香澄は女の子をほったらかして僕に10秒ほど抱きついた。その間に
僕は彼女の髪をくちゃくちゃにしてなで回しおでこ同士をこすりつける。
これって特別なことをしたのではない。巷でなら握手を交わした程度
のことだ。
「一時帰郷。君はここで働いてるの?」
「そう、離婚して…子どもも手が放れたら…私って行くところがない
じゃない。だったら……昔のつてを頼ってここに入れてもらったの」
「楽しい?」
「ええ、とっても…とにかくここは疲れないわ。肉体的には大変だけ
ど精神的にはとっても楽なの。とにかく言うことをきかない子はお尻を
ピシャピシャっと叩いて抱けばいいんですもの」
「なるほど、世間じゃ体罰がどうのこうのってうるさいからね」
「あんなのナンセンスよ。今の親は、乳飲み子を保育園に放り込んで
ろくに面倒もみないもんだから親子関係が脆弱でちょっとしたお仕置き
にも子供の心が傷ついてしまうだけ。もとはと言えば親の責任よ」
「そういえば、女王様も同じこと言ってたよ。ちょっとしたお仕置き
で子供の心が傷つくようなら、それは戸籍上はともかく実質的にはそも
そも親子じゃないって……」
「女王様には多くの子供たちをお仕置きで育てて、何人もの成功者を
出してきたプライドがあるの。だから『お仕置きが百害あって一理なし』
みたいな言われ方をすると、カチンとくるわけ」
「この子は、何?……ママのお仕置きが厳しくて逃げて来たとか?」
「まさか。……あっ、忘れてた」
香澄は苦笑いを浮かべるとその場にうずくまり必死に体を小さくして
恥ずかしさから逃れようとする少女の背中に回り込む。
そして、その耳元で…
「今度はおじちゃまのお膝に抱っこしていただきましょう。……ね、
枷に捕まってるよりその方がずっと楽でいいでしょう」
そう説得されてベンチに腰を下ろした僕の膝の上へとやってくる。
「お願いします」
少女は一言そう断って私の膝を椅子代わりにしたが、さっきまで地面
にしゃがみ込んで震えていたとはとても思えないほど堂々たるもので、
前も隠さないでやってくる姿は開き直っているとも見える落ち着きぶり
だった。
「(ほう、お愛想笑いもできるのか)」
彼女は私の膝でごく自然に笑って見せた。亀山の子供たちのならいだ。
『抱かれたら笑う』という習慣は生きていたようだ。
そうなると、こちらも何かしてやらなければなるまい。
「タオルケット、いいかな」
まずは香澄からタオルケットを受け取ると、少女にそれを優しくくる
んでやる。そして、おでこをこっつん、ほっぺをすりすりして微笑む。
これも亀山のならい。習慣だった。
「良い子じゃないか?……お嬢ちゃん、お名前は?」
「倉田真里」
「倉田先生は優しい?」
「ママは優しいよ」
「そう、だったら、どうしたの?」
「…………」
そこまでハキハキ答えていた真里の口が急に開かなくなった。代わり
に香澄が……
「お父様が毎晩Hなことするからあそこにはもう居たくないって女王
様に泣きついてきたの」
「この子のお父様って?」
「河村誠一郎」
「電気屋さんか。創業者でワンマンだったからな」
さもありなん、なんて顔をすると…
「そんなことないわよ。この子がそう言うから一応関係者に当たって
みたけど、河村さんはここに来てまだ日が浅いこともあって子供たちに
はとっても気を使ってくださってるの」
「ということは……」
「そう、女の子特有の病。思春期には特に多発するわ」
「でも、僕のお膝ではご機嫌みたいだけどなあ」
私が笑顔を一つ投げかけると少女はそれと同じくらいご機嫌な笑顔を
返してくれた。
「それはあなたが、ここでの作法、女の子の抱き方を知ってるからよ。
そこらが、会長はまだ慣れてらっしゃらないもんだから……」
「会長職を退いて二年くらいだもんね」
「ここへ来てまだ1年たってない。恐らく思春期の子という事で大事
にし過ぎたのね。ところが、女の子というのは不安そうに抱かれるのが
一番いやなのよ」
「この子いくつ?」
「12歳よ。まだまだ赤ちゃんなんだから、言うことをきかない時は
お尻を二つ三つ、ピシッピシッってどやしつければそれでいいんだけど、
巷のならいでなかなかそれがおできにならないからかえって溝が深まっ
ちゃったってわけ」
「確かに、素っ裸で男性とベッドを共にするのは女の子にとっちゃあ
辛いよね」
「いえ、お父様が赤ちゃんの時から何度も抱かれ続けた方なら女の子
も対応できるんだけど、河村さんの場合は今年こちらにお見えになった
ばかりでしょう。お互いが固くなっちゃってて……」
「なるほど…そりゃあ、無理かもね」
「でも無理じゃ困るわ。過去、そんなケースは五万とあるけど大半の
子がクリアしてきたんですもの。真里だけが、できませんってわけには
いかないわ」
「で、他のお父様にはそわせなかったの?」
「もちろん本人の希望を聞いて二三人そわせてはみたけど、やっぱり
そっちの方がよほどハードルが高いみたいで……結局、女王様が「私の
処へ残りますか?」って聞いたら、「やっぱり、お仕置きされてもいいか
ら元のお父様のお家へ帰りたいって……それで、ここにいるってわけ」
「なるほど、新しいお父様が怖かったんだ。……それって、ちょっと、
辛抱すればすむことなんだけどね」
「それができないから子供なんじゃないの」
「ぼくなんか初めからお母様のペットだったからな。当番の日なんて、
おっぱいはしゃぶらなきゃならないし、ほ乳瓶でミルクは飲まなきゃい
けないし、オチンチンなんて毎晩のように触られてたけど。それでも、
変な気持になった事なんて、一度もないよ」
「だって健ちゃんは男の子だもん。女の子ってのは元来が臆病だし、
肌を触られることにとっても敏感なの……」
「でも、今回みたいなこと、あんまり聞いたことないけどなあ」
「そりゃあそうよ、私たちにとっては物心つく前からやってる儀式で
しょう。今さら、『体が大きくなって気が変わりました』なんてお父様に
言いにくいもの」
「そうかなあ。そんなことに女の子はドライだと思うんだけど……」
「だから、それって、幼い頃からずっと抱き続けてもらってるお父様
だからそうなの。だからちょっとぐらいイヤな事でも辛抱できるのよ」
「そう言えば『女の子は何をされたかより誰にされたかが問題なんだ』
なんて言ってた人がいたけど、そういうことかな」
「それはいえるわね。この子だって前のお父様だったら、こんな問題
は起こさなかったと思うもの」
「で、これからこの子どうするの?」
「もちろん河村のお父様の処へ返すんだけど、今夜あたりおばば様に
来てもらうようなこと言ってたわ」
「おやおや、そりゃ可哀想に……」
私が憐憫の情で横座りした少女の顔をタオルケットごしに覗く込むと
彼女もまた私を少し悲しい目で見上げる。どうやら家へ帰ってこれから
何をされるかは分かっているようだった。
「おばば様に心棒を通してもらうんだ」
「ええ、色々考えたんだけどその方がいいと思って……女王様も同じ
意見なの。女の子ってのは色々に夢や願望はおしゃべりするけど、一旦
『ここで暮らしなさい』って言われたらもうそこで暮らせるものなの。
そのあたりの辛抱は男の子より上よ。……だから、おばば様に『あんた
のお家はここ』『あんたのお父様は河村先生』って念押してもらうが手っ
取り早く諦められるわ」
「あきらめちゃうの?」
「そう、女の子は自分の力で夢を実現することが男の子以上に難しい
から、どう綺麗に諦められるかで幸せが決まってしまうの。お股の中に
つけられたお灸の痕は、世間の人たちには残酷なことのように映ってる
みたいだけど、私にとっては、『ここで頑張らなくちゃいけないんだ』っ
て本気にさせてくれたからむしろありがたいお灸だったわ」
「……えっ、それって本気?」
「ええ、私の場合もおばば様からやられた当初はそりゃあショックだ
ったけど……でも、それで決心がついたら、後はスムーズに行ったわ」
「…………」
「何、変な顔して?……男性には分からないことよ」
「女の子って、厳しい世界だね」
「野心をもてばね、男の世界をハンデ背負って生きなければならない
から。でも、女の世界で妥協して生きるんなら、責任はないしお気楽な
人生よ。……さっ、そろそろ帰りましょうね」
香澄はそう言いながら僕の膝から少女を抱き上げ近くに止めてあった
特大の乳母車へと乗せ換える。
「裸のまま連れて行くのか」
「そうよ、何?忘れたの?赤ちゃんはいつもこんな時は裸ん坊さんよ」
「寒くないか?」
「『寒くないか』?よく言うわねえ。お兄ちゃまはどこの御出身なのよ?
これに乗ったことないなんて言わせないわよ」
「そりゃあそうだけど、今日はちょっと風もあるし……」
「大丈夫よ。体はすっぽり籐篭の中だもの。それに子供は体温が高い
から……」
「そりゃあ……まあ……そうだけど……」
「なによ、やけにからむわねえ~~はっああ~ん、さては情が移った
んでしょう」
香澄が笑う。でも確かにそうだった。不思議なことにほんの短い時間
でも抱いてしまうと、それまでその子にそれほど感心を示さなかったの
に『何とかしてやりたい』という気持になるのだ。
そんな大人の心理を女王様はよくご存じだったのだろう。「どんな時で
も子供は見つけしだい抱きなさい」が亀山の掟だった。