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僕にとっての保育園

*)Hでも何でもない雑文です。

<僕にとっての保育園>

 僕は『保育園』という処へは行ったことがない。三歳になって
幼稚園へあがるまではずっと母のもとで過ごしていた。
 ただ、生まれてその日までずっと家の中にいたのかというと、
そうでもない。『公園デビュー』ならぬ『お店デビュー』という
のがあった。


 僕の母はいわゆる体育会系の人だから頭は大したことないのだ
が、とにかく頑張り屋さんだった。働かない父に代わって家業を
切り盛りしていたうえに子育てまでしなければならなかったから
大変だったと思う。

 特に僕が赤ん坊の頃は、僕を負ぶって出張販売までしていた。
子守はいたが、僕が彼女になつかなかったから仕方なくそうして
いたらしい。

 出張販売というのは、各種の催し物会場の一角を借りて流通品
(中古品や質流れ品)を売りさばく商売のことで、大半は建物の
中に場所を借りて期間限定で商売を始めるのだが、中にはお祭り
の露天商さんみたいに『青空マーケット』というのもあった。

 いずれにしても、そこは本来、子連れで商売ができるような処
ではない。ましてや赤ん坊を連れてくるなんて論外だったに違い
ないのだが……ところが彼女、同業者からの批判何するものぞ、
そのブースの中で、正々堂々、僕にミルクを与えながらオムツを
替えながら接客していたのである。

 家から持ってきた濡れタオルで僕のお尻を拭いてから接客する
もんだから、待たされたお客の困惑はいかばかりか……
 まったくもって無茶苦茶な話だが母は平気だった。その明るさ
と社交術でその無茶を乗り越えて商売していたのだ。

 「あんた、男だったらよかったのに……女にはもったいないよ」
 なんてね、隣りで商売していたご主人が、母にお世辞を使って
いたのを覚えている。

 僕はそんな場所で人生の産声を上げた。
 だから、ここが僕にとっては保育園というわけだ。

 周囲みな大人ばかりの世界で言葉も覚えた。当然、言葉遣いも
周囲の大人たちの会話から覚えていくので、話し言葉も当初から
大人仕様。
 母の話だと、僕は世間一般の子供たちが話すいわゆる幼児語と
いうやつを一切話さなかったらしい。

 慣用句をやたら使いまくるへんてこな幼児で……
 『こんなガキに理路整然とものを言われるのは気色悪い』とか
『可愛げがない』なんてよく言われていた。

 でも、僕自身はというと、こんな環境が決して嫌ではなかった。

 よちよち歩きができるようになるとご近所のブースにも出かけ、
お菓子なんかもらって帰って来る。見知らぬ人に抱かれても滅多
に泣かないから大人の方でも扱いよかったのかもしれない。
 お客さんたちも僕を見て微笑むことはあってもいやな顔になる
人は少なかった。

 僕自身は決して可愛くはなかったが、それでも、『赤ん坊』と
いうわけだ。

 だから『大人は恐い』という幼児の常識は僕には通用しない。
逆に『大人は誰でも自分に優しい』と単純に信じ込んでいたので
ある。

 変な話に聞こえるかもしれないが、こうした仕事場で出会う人
の中で最も恐いのは母だった。仕事中の母に触る時は、そうっと
後ろに回って、そうっと服の端を掴んでから甘えなければならな
かった。

 母はやたらまとわりつく僕が面倒くさくて、よくおんぶもして
くれたが……そもそもデパートの一角で赤ん坊をおんぶしながら
接客している売り子なんて周囲どこにもいなかったのである。

 やがて言葉がしゃべれるようになった僕は周囲にいる大人たち
の会話から色んな言葉を覚えていったが、なかには覚えてはいけ
ないものもあったようで……。

 ある日のこと……見事に太ったおばさんが真珠のネックレスを
買ってくれたのだが……その時、僕はそのおばさんを前に……
 「ねえ、お母さん。こういうのを『豚に真珠』って言うんだよ
ね」
 と、言ってしまったのだ。

 もちろん、お母さんは冷や汗がタラ~リだったが、相手は大人。
一瞬、顔色が変わったものの幼児相手に怒った顔は見せない。
 「あら、坊や。小さいのに難しい言葉知ってるのね」
 と、ニコニコ顔で褒めてくれた。

 だから、こちらも単純に嬉しくて……
 「おばちゃん、また来てね」
 とバイバイして見送る。

 つまり、僕とそのおばちゃんとは良好な人間関係だったのだ。

 ま、こうした失敗談はいくつもある。
 ブースの前を通り過ぎようとする人の袖を引いて、
 「ねえ、おじさん、買いなよ。今、五割引だよ」
 なんて、生鮮品を扱っているおじさんの真似をして自分勝手に
商品を値引きして呼び込みをかけたもんだから、母が慌てて取り
押さえたなんてこともあった。

 世間知らずの子供に振り回されて、母にしてみたらさぞや邪魔
な存在だっただろうが……それでも、僕を見つめるその顔は……
『作っちゃったから仕方がないか』と諦めてるみたいだった。

 あっ、ちなみに弟は僕と違い性格がよかったので、子守さんで
間に合ったみたい。そもそも彼の方が可愛かったからマスコット
として使うなら適任だと思うのだが母がこうした出張営業に彼を
連れ出すことはほとんどなかった。

 これについては、純粋な赤ん坊時代を除き、よくしゃべる僕の
方が母にとって退屈しのぎのラジオ代わりになるという説もある。

 実際この仕事は催し物の合間合間を利用しての商売というのも
多くて、その場合は幕間だけが商売の時間。結構暇な時間もある
から、そんな時は母から絵本を読んでもらって過ごしていた。


 ま、いずれにしてもその日の夕方は母の背に負われながら帰宅。
商品の搬入搬出が最初の頃はリヤカーだったのもよく覚えている。
 (今なら、当然それは自動車なんだろうけど、これはそれほど
大昔のお話ということです)

 「あんたは何の役にも立たないんだから静かにしてなさいって
言ってるでしょう。どうして言う事がきけないの」
 「また余計なことばかりして……お母さん赤っ恥かいたわ」
 「もう絶対におまえなんか連れて来ないからね」
 母の背中に抱きつく僕は母から散々に言われながら帰るのだが、
家につく頃にはたいていその背中で寝ていた。

 ならば、僕を連れて出なければよさそうなものだが、それでも
次の催し物の日がやって来ると……
 「どうしようかあ、この子………あんた一人、家に置いておく
のも心配だし………いいわ、おいで」
 ということになるのだった。

 一方、そう言われて母に抱かれた僕はというと……
 その催し物会場がどんな処であれ、そこではいつもお母さんと
一緒にいられるわけだから、こちらもそれはそれで十分だったの
である。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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