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<幼稚園>

Hまったく関係なしの雑文です。ごめんなさい。

<幼稚園>

 三歳になり僕は世間の流儀に従って幼稚園へ通うことになった。
 もちろん、家の近くにも立派な幼稚園はたくさんあったのだが、
見栄っ張りな母はそこでは満足しない。当時、この地域で評判に
なっていた隣町の幼稚園に私たちの願書を出したのだ。

 まったくもっていつもながら余計なことをしてくれる人である。

 おかげで、せっかく仲良くなった近所の友だちとは疎遠になる
し、自宅が遠すぎてスクールバスが来ないために乗り合いバスで
通わなければならない。

 百害あって一利なしの決定なのだが、幼い身では反対する力も
なく、僕たち兄弟はその初日、乗り合いバスの最初のステップを
両手で押しつけて体を少し浮かせてから「よっこらしょっと」と
よじ登るはめになったのである。

 通勤時間帯とはいえ、普段はろくに乗降客のない停留所に二人
の幼児の姿。
 中扉を開けやると、その二人がまるで登山のようにステップを
登ってくるから車掌さんもビックリだ。

 僕はその時驚いた車掌さんの顔をはっきり覚えている。

 当時のバスは車高が高く、その分最初のステップも高い位置に
あって、もう少し身長があればいきなりステップに足を掛けられ
るのだが、身長が低い三歳児はいきなりそこへ足が掛けられなか
った。

 ただ、小さな身体でモゴモゴやってると、車掌さんが僕たちを
抱き上げてくれたんだ。

 (あそうか、今の人たちは運転手さん一人で運行するワンマン
バスしか知らないだろうから補足しとくとね、当時は電車と同じ
ように路線バスにも車掌さんというのが乗っていて、切符の販売
や運賃の精算、踏切でのバスの誘導なんて仕事をやってたんだ。
もちろん、ドアの開け閉めも車掌さんの仕事。当時はそれも手動
だった)

 その車掌さんが、次ぎ言うことはだいたい決まっていて……
 「坊やたち、だけなの?……お母さんは?」

 残酷なこと聞いてくるんだよね。
 というのも、うちの母は幼稚園に行く僕たち兄弟をただの一度
も近くのバス停まで見送りに来たことがない。

 あの人、朝の一連の仕事が終わると自分はさっさと布団の中に
戻ってそこから僕たちに「行ってらっしゃい」を言い二度寝する
んだ。

 まったく、鬼のような人間だよ。
 だから、バス停にいるのは僕たちだけ。高いステップも自力で
登らなければならなかったんだ。

 ただ、そうは言ってもいいことだって沢山あったよ。

 当時は三歳児が自分で定期券持って通園するなんて、もの凄く
珍しかったから、僕たち兄弟はたちまちそのバス路線では名物に
なってしまって、運転手さんや車掌さんたちからはもの凄く可愛
がられたんだ。

 いつも二人して一番前の二人掛けの席に陣取ると、運転手さん
ともお話しながら通ってた。

 今は運賃精算のために運転手さんの左側に必ずドアがあるけど、
当時はその必要がないから出入口は真ん中の中扉だけ。一番前に
はドアの代わりに運転手さんと並ぶように座席があって、ここに
座ると、運転手さんが見ているのと同じ景色が見られるから、子
供たちにとってはここが特等席だったんだ。

 バスはボロだけど、短くとも楽しい遠足気分。
 僕なんか『このまま夕方までずっと乗っけてくれてたらいいの
に……』なんて思ってた。幼稚園行かずに済むから。

 そこで……
 降車ボタンなんてない当時は「次ぎで下ります」って車掌さん
に合図を送るのがルールなんだけど、僕はシカとして黙ってる。

 乗ったバスがそのバス停を通過してくれることを期待したんだ
けどね。

 ただ、そんなことをしても車掌さんがそこを素通りすることは
一度もなかった。

 『あ~あ、今日も止まっちゃったよ』
 なんていつも思ってた。

 最寄のバス停で下ろされた二人を待っていたのは幼稚園の先生。
そこからは一緒に幼稚園まで行くことになる。

 でも、こうなると僕のテンションはドタ下がりだった。

 というのも、この幼稚園、僕にはちっとも面白い場所じゃなか
ったからなんだ。

 たしかに、お遊戯もしたし、お絵かきもやった。お歌も歌った。
遠足にも行った。幼稚園の行事はすべてこなしているわけだから
そういった意味では『困ったちゃん』として先生が母親に愚痴を
言うことはなかったんだけど……

 でもそれって先生の言うことは理解できるから、それに従って
行動したまでのことで、同じ年恰好の子が目の前で言ってる事、
やってる事などはまったく理解できなかったんだ。

 変な言葉遣いで、やたら衝動的に行動するし、訳の分からない
自慢話ばかりする。僕の心の中で彼らは『別の星から来た異性人』
だった。
 ホント、困ったことに……

 そんなわけで、幼稚園での僕は立派な孤立児。とにかく、同じ
年恰好の子たちとじゃれて遊ぶっていうことがまったくできない
子だった。
 だから、そういった意味で『困ったちゃん』だったんだ。

 こんな場所、楽しいはずないだろう。

 居場所のない僕は、幼稚園の行事がない時はいつも礼拝堂から
牧師館へと続く廊下にあった棚の上で昼寝をして過ごしていた。
 ここはよくお日様が当たるし誰もこないから快適だったんだ。

 こんな僕だけど弟は立派だったよ。園内にたくさんの友だちが
いて楽しい幼稚園時代だったみたい。
 兄弟でこんなにも違うはなぜだろうと思ったし、羨ましいなあ
とも思った。

 そのせいだろうけど、僕の記憶の中にこの幼稚園での出来事が
ほとんど残っていない。
 建物の様子や先生たちの顔だけはかろうじて覚えているけど、
そこでどんな行事があったかは頭の片隅にも残ってないんだ。

 僕にしてみたら、そんな幼稚園でのことより、その前の段階で
ある出張販売先での出来事の方がむしろ鮮明に記憶に残っている。
 (幼稚園に通いだし、母の出張販売に帯同する機会もめっきり
減ってしまったのが僕にはつまらなかったのだ)

 出張販売では、ご近所のおじさんおばさんも優しかったけど、
特に優しかったのは、夏でも重い外套を持ち歩きお髭ぼうぼうの
おじちゃんだった。

 おじちゃんは若い頃に経験した色んなことを面白おかしく話し
てくれたし、いつもは蛇の絵しか描かないその商売ものの筆で、
僕の為に楽しい絵を描いて見せてくれた。一緒にごはんやおやつ
を食べたりもしたんだ。

 ただ、それを見てしまった母にしてみると、それって予期せぬ
不幸だったらしくて……彼女、僕がそのおじちゃんと昼ごはんを
食べていた事実を知るや、いきなりお店をお休みにして僕を病院
へと連れて行ったんだ。

 ここでも余計なことをする人だった。

 お父さんは……
 「お前は、やることがいちいち大仰なんだよ。そんな事ぐらい
で病院まで引っ張って行って……そりゃあ変わり者かもしれない
けど、せっかく親切にしてくれたおじちゃんに失礼じゃないか。
おじちゃんが食べて問題ないんだら、こいつが食べても大丈夫さ」
 なんて話してたけどね。

 お母さんにしてみたら、そんなのん気な意見、とうてい受け入
れられないみたいで……。
 『だって、この子、道端に落ちてたものを拾って食べたのよ』
 って、そんな感じだったんだ。


 おや、話が脇道にそれちゃったから元に戻そう。

 実は大きくなってからこの幼稚園での出来事を僕が語る機会が
あったんだけど、それって、たまたま同じ小学校に行った友だち
がいたから出来たんだ。

 彼が『お前、俺の彼女取ったって殴られたことあっただろう』
『お前、学芸会で天使の役やったけど、あまりに下手で、みんな
に笑われてたじゃないか』『運動会は二人転んだからビリのお前
が一番になった』などなど、彼が自分の記憶だけでなく僕のこと
まで覚えていてくれたから難を免れたけど、僕自身はというと、
彼が説明してくれた記憶はただの一欠けらも頭の中に残っていな
かったんだ。

 いくら嫌いな場所だったとしても、まったく記憶がないなんて
どういうこと?俺って本当にバカなんじゃないか。
 その時は自己嫌悪だった。

 ただ、そんな中にあっても唯一鮮明な記憶がある場所もある。
 それは、行き帰りのバスの中。

 僕は利用する路線バスの運転計器の配置からどこのメーカーの
何年製で型式は……ってなことを全車覚えてたんだ。
 停止していた脳細胞がここでは覚醒していたというわけ。

 きっと運転席の計器類を食い入るように見ている姿が面白かっ
たんだろうね。運転手さんや車掌さんは、本来仕事中なんだから
雑談なんてできないはずなんだけど、お客さんが少なくなると、
僕たち兄弟にはよく声をかけてくれた。
 (今の言葉でなら『いじられた』というべきかもしれない)

 弟はまともな少年だったから、歳相応に大人に声を掛けられる
と、はにかむようなところがあったが、こちらは水を得た魚みた
いに大はしゃぎ。
 車内にたちまち甲高い声が響くから、乗っていたお客さんには
迷惑をかけたかもしれない。

 幼稚園とは違いここでは相手が大人ということで安心できたん
だろうね。自然とボルテージがあがるんだよ。
 特に、終点の二つ手前のバス停で大半のお客さんが降るから、
そこから終点まで(正確には終点も越えて営業所まで)は、僕と
運転手さん車掌さんとの井戸端会議だった。

 それだけじゃないよ。営業所に着いても僕たちはすぐに帰らな
かったんだ。

 車掌さんに抱っこされて、行く先案内の幕をクルクル回したり、
運転手さんのお膝に乗って営業所の中を一周してもらったりと、
もうやりたい放題だった。

 これって今やったら運転手さん首になっちゃうかもしれないな。
あくまで当時はこうだったということです。牧歌的な時代だった
から、たとえ規則の内容は同じでも適用が緩かったんだと思う。

 ま、これだけ歓待を受けたんだら、ある意味当然なのかもしれ
ないけど、僕は『大人になったらバスの車掌か運転手になろう』
と心密かに決めていたんだ。

 遠くへ行けて(幼児にとっては隣町は遠くの場所)、しかも、
仕事が終われば家はすぐそば。こんな結構な仕事はないと思って
た。
 (幼児のことだからね、常にこの営業所へ来てこの営業所から
帰れると思ってたんだ)

 弟と一緒にそんな将来の就職先候補で30分も遊んでから家に
帰ることも多かった。

 おかげで家にたどり着く頃はいつもニッコニコだから、母は…
 「そう、そんなに幼稚園が楽しかったの」
 なんて言っていたが、それは母の大いなる勘違いで……

 幼稚園なんてちっとも楽しくなかったが、今さっきの出来事が
いつも僕をニコニコ顔にしていたのである。


 幼稚園から帰ったあとは、抱っこしてもらいながらのオヤツの
時間。母は厳しい時ももちろんあるが、普段は僕たちを赤ちゃん
扱いなんだ。

 シュークリームなんかは特にそうなんだけど、たっぷりと口元
にクリームを残すのが僕の得意技だった。

 えっ?なぜこれが得意技なのかって……

 だって、綺麗に食べてしまったら、お母さんがほっぺや口元を
ペロペロしてくれないだろう。せっかくのサービスが飛んじゃう
じゃないか。
 くすぐったいけど、コレがとってもいい気持なんだよ。

 さてと、オヤツが済めばその後に予定はない。
 習い事はあったが、それは隣町で済ませてから帰って来ていた。
 そのあたり通園バスでなかったため、かえって都合がよかった
のかもしれない。

 習い事のある日は、当然、帰宅時間も遅くて夕方。幼児として
は遅い時間に帰り着くことになるが、それでも近所の子と将棋を
指したり、紙芝居を見たり、駄菓子屋さんを覗くくらいの時間は
あった。

 幼稚園の子とはあまり馴染めなかった僕だが、近所の子の場合
は、飾った言葉で話さないし、親の自慢なんてしないし、たとえ
何かあってもすぐに仲直りができた。なかなか顔を出さない僕に
対しても見捨てることなく親切にしてくれたから、僕も友だちで
あり続けることができたんだ。

 そんな友だちも辺りが暗くなる頃にはみんな家に帰る。そして
次に友だちの顔を見るのはたいてい翌朝。
 これが当時の常識だった。

 今のように夜昼かまわず幼児を連れまわす親なんてこの時代は
まだいなかった。花火やお祭りの日でもない限り夜更かしだって
絶対にありえなかったんだ。

 私の家もそんな常識的な家族(?)だったから、僕たち兄弟も
日が落ちてからはずっと家の中で過ごしていた。

 母と一緒にお風呂に入り、母と一緒に夕ご飯を食べて、あとは
子供向けのテレビ番組を見たら寝るまでお勉強。
 これが我が家の生活のパターンだ。

 思わず『お勉強』なんて書いちゃったけど、これは机に向かい
しかめっ面してやるものではない。『畳敷きの帳場に知育教材を
並べ、それで遊んでいる』といった方が正しいかもしれない。
 うちは夜にお店がひとしきり忙しいので、お店をやりながらの
育児だったんだ。

 初めてお店に来た人は驚いたと思うよ。

 お店に入ったら、いきなり女店主の膝に乗った幼児がラッパを
吹いてお出迎え。その脇では別の子がインディアンの格好をして
狭い帳場を走り回ってる。
 『おいおい、ここは託児所か』って光景だ。

 そのうち、持ってきた質札をその子たちが店の奥で質草の管理
をしている父親に届けに行ったりもする。

 みょうちくりんな質屋だったけど……
 でも、これが『あたしんち』だったんだ。

 出張販売の時もそうだが、僕にしてみたら、行動が予測不能な
幼稚園の同輩より、お店にやって来る色んなお客さんたちを観察
している方が面白くて、帳場は飽きることがないドラマだった。

 ただ、夜に限って言うとそうした時間はあまり長くは続かない。
 何しろ幼児だろう、すぐに眠くなるんだ。
 眠くなるとどうなるか。

 一般家庭のように、パジャマに着替えてから『お父さん、お母
さん、おやすみなさい』と挨拶して、自分の部屋の布団で寝る。
 なんて美しい光景にはならない。

 うちの場合は、お客さんが途切れると、母が僕たちと知育玩具
で遊んでくれるのだが、たいていはお勉強の最中に寝てしまい、
そのまま母の膝から布団へと運んでもらうことになる。

 うちでの「おやすみなさい」は寝言で言うことになっていた。

 もちろん、大半はそのまま寝てしまうのだが……
 たまに、ふと気がつけば、目の前にお母さんのオッパイが……
 なんてことも……

 そんな時は、せっかくだからそれをペロペロ舐めてから撃沈(
眠りに着く)するというのが我が家の流儀。そのあたりとっても
ルーズな家庭環境だったのである。


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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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