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小暮男爵 <§2>

小暮男爵

***<< §2 >>****

 小暮家にやって来てからというもの私は一日の多くをお父様の
抱っこの中で過ごしていました。
 私がそう望んだというのではなく、リタイヤしたお父様が暇を
もてあましていて幼い私を手離そうとしないのです。

 私は独りになりたくてイヤイヤしたことが何度もあったようで
すが、そんな時でも一時的に河合先生が預かるだけで、またすぐ
にお父様の腕の中に戻されます。

 最初の頃はお遊びの時間はもちろん、食事、お風呂、おトイレ
……すべて一緒の暮らしだったのです。
 こちらはそうした生活に無理やり慣らされた感じでした。

 3歳という年齢を考えればそうしたこともそう不思議でもない
のかもしれませんが、幼児期を過ぎてもお父様は私を離しません。

 お父様は昼間ゴルフに出かけたり書斎で書き物をしたりという
生活でしたが、その場所にもお父様のお人形として私は参加して
いました。そんな時は河合先生が私の面倒をみるお母さん役です。

 『お父さんといつも一緒なんだから楽しそう』ですか?

 いえいえ、そこはそんなに快適な場所ではありませんよ。

 お父様が私を抱く時、そこはゴツゴツとした岩のような筋肉の
ベッドですし、まるで束子のような顎鬚が頭や顔にチクチク当た
ります。おまけに、男性特有の体臭が四六時中まとわりつきます
から、母親に抱かれるような優雅な世界ではありませんでした。
 幼児にとってはむしろ過酷な場所。ありがた迷惑な世界だった
のです。

 ただ、いいこともありました。
 そこはこの小暮家にあっては最も安全な場所だったのです。

 というのも、小暮家の娘たちなら避けて通れないお仕置きが、
お父様に抱かれている私には一度もありませんでした。
 そりゃあそうでしょう。お父様に四六時中抱かれている私は、
この家では赤ちゃん扱い。そんな赤ちゃんに、体罰を仕掛ける人
なんて誰もいませんから。

 その一方で人畜無害だと考えられていた私が、お姉さまたちの
お仕置きを見学することはよくあります。

 小暮家の厳しいお仕置きでは、お父様の前でパンツを脱ぐのは
当たり前。お臍の下を裏表しっかりチェックされた上に、その中
までも検査されます。

 そうやってから平手や竹の物差しでお尻が叩かれ悲鳴があがり
ます。時には女の子全員を集めてその前でお仕置きなんてことも。
 小暮家では女の子にお浣腸やお灸がなされることもありました
から、その恥ずかしさは半端ではありませんでした。

 今なら虐待ということなのかもしれません。
 理由なくはやりませんが、お父様が決断すると、それは厳しい
ことになります。
 私はそれを訳もわからず楽しく見学していました。

 それがいったいどれほど痛いのか、どれほど恥ずかしいのか、
そもそもお仕置きされたことのない私にはわかりません。
 幼児は気楽なものです。お姉さまの悲鳴や悶絶にも笑顔や拍手
で答えます。
 お父様の腕の中から見るお姉さまたちのお仕置きは、幼い私に
は退屈しのぎ見せ物(ショー)だったのでした。


 さて、それではこの小暮家の娘たち、いったいどんな時にお父
様からお仕置きされるのでしょうか。
 これには、だいたい四つのパターンがありました。

 『宿題や勉強を怠ける』
 お父様は女の子だから学問はいらないとは思っていませんから
成績が落ちるとお仕置きです。

 『嘘をつく』
 特に自分を守る為の嘘は最悪の結果でした。

 『お父様や学校の先生、家庭教師、お姉さまなどはもちろん、
庭師や下男、賄いのおばちゃんに至るまでおよそ自分より年長の
人は全て私たちより偉い人というルール』
 家の娘なんだから使用人の名は呼び捨てで構わないなんていう
お嬢様ルールはここにはありません。目上の人は誰であっても、
『○○さん』とさん付け呼ばなければなりませんでした。

 そして、お父様が何より気にしていたのが兄弟の仲でした。
 『兄弟げんかは理由のいかんに関わらずタブー』
 取っ組み合えば無条件で悲鳴が上がるほどのお尻叩きです。
 おまけに年長の子は年下の子の面倒をみさせられます。特に、
その子をいじめたりしようものなら、その結果は悲惨というほか
ありませんでした。

 もちろんそれってお父様がなさるお仕置きなんですが、私には
それこそが究極の弱い者虐めだったような気もします。
 お父様が怒るとそのくらい厳しいお仕置きでしたから。


 さて、そんな本格的なお仕置きが開始されるのが、この家では
10歳から。それ以前にもお仕置きはありますが過激なお仕置き
はありません。
 河合先生がご自分の判断でお尻叩きをすると驚いた子どもたち
がお父様の処へ逃げ帰るというのがあるくらいです。

 それが10歳を過ぎると状況が一変します。お父様がご自身で
判断して子供たちにお仕置きをなさいます。
 それって河合先生の時とは違い、子たちたちにしてみたらとて
も重いものだったのです。

 ただそれに先立ち、子どもたちはお父様へ一通の誓約書を提出
しなければなりませんでした。

 『もし約束を破ったらどのようなお仕置きもお受けします』
 簡単な誓約書は、しかしその後、長く私たちを縛り付けます。

 私も他の姉妹と同じように10歳になった時に誓約書を書いて
います。

 「いいかい美咲。この誓約書は、これから先、お前が児童施設
で暮らしたいのなら、いらないものだから書かなくていいんだよ。
どうするね。施設へ帰るかね」

 お父様はその時わざわざこんなことを言います。でも、その時
私は児童施設へ帰るつもりなんてありませんでした。
 私だけじゃありません。恐らくこの誓約書のせいで児童施設へ
帰る決断をした子は一人もいなかったと思います。

 私は、すでにお父様の実の子でないことを知っていましたが、
私には目の前にいるこの人以外に愛された経験ありませんから、
この人が世界で一番大事なお父様ですし、ちょっぴり口うるさい
ですけど、お父様と一緒にずっとずっと私の世話を焼いてくれた
河合先生がお母様です。
 もちろん、お姉さまともこのお家とも離れたくありませんから
答えは簡単だったのです。

 むしろ……
 『なぜ、そんなことわざわざ聞くんだろう。……ひょっとして、
お父様、私のことが嫌いになったのかしら……』
 なんて、余計な心配までしました。

 でも、お父様は私が誓約書を提出すると、まるで何事もなかっ
たかのように私を膝の上に抱いてあやし始めます。
 10歳にもなった少女と赤ちゃんごっこを始めるわけです。

 でも、そんなお父様に私の方も不満はありませんでした。
 女の子は何かにつけてお付き合いが大事ですからね、お父様が
望むなら私だって赤ちゃんとして振舞います。
 幼い頃やったおママゴトの延長ですから難しいことは何もあり
ませんでした。

 ガラガラが振られると笑い、おじやの入ったスプーンが目の前
に現れれば口を大きく開けて受け入れます。お風呂でもお父様が
私の服を全部脱がせて一緒に湯船に浸かり、流しで身体を隅から
隅まで洗ってもらうなんてことも……

 ある日突然こうなったわけではありません。歳相応という言葉
を知らないお父様によって、この時代は赤ちゃん時代からの習慣
がたくさん持ち越されていたのでした。
 お父様にしてみたら幼児も赤ちゃんも同じだったのでしょう。

 そして、こうしたことに抵抗感を示さない私はお父様の信用を
勝ち取っていきます。

 この時、お父様はすでに70歳近く。これまでも多くの女の子
たちを施設から引き取ってきましたが、さすがにこれ以上は無理
ということで私が最後の里子となっていました。
 つまり、私より年下の子はもうこの館へ来ないわけですから、
ずっと私がお父様のお膝を独占できるわけです。

 そんな事もあってお父様は私を幼女のままで育てたかったんだ
と思います。でも河合先生がそれを許さないので仕方なく誓約書
を取り出したという感じでした。

 そんな事情から、誓約書を提出した後も四年生の間は今までと
何ら変わらず私はお父様の赤ちゃんとして過ごすことになります。

 でも、五年生になって、とうとうその時が……
 お父様の家で暮らす少女なら避けて通れない試練の時が訪れた
のでした。

 小五から中一にかけて、大人たちはありとあらゆる機会を使い
子どもたちを躾けようとします。言いつけに背く子は無条件で罰
します。きついきついお仕置きは歳相応とはいえないほどの体罰
です。
 それがこれからはお姉さまたちだけでなく、お父様から寵愛を
受けていた私にも例外なく降りかかるのでした。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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