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小暮男爵 << §8 >>

小暮男爵

***<< §8 >>****

 世の中には学習指導要領なんてものがあるそうですが、私たち
の学校では、教科書に書かれているような内容はおおむね家庭で
勉強するのが常識になっていました。

 いつも授業の始まりに行われる宿題の確認テストで生徒全員が
合格すればそれでOK。その後は教科書には書かれていない内容
を勉強することになります。

 国語と算数は一応その単元に則した内容の授業を心がけていた
ようですが、他の教科はそんなお構いなし。先生が自由に課題を
決めて授業しますから、途中から脱線に次ぐ脱線なんてことも。

 この日も、国語はクラス全員が宿題になっていたテストに合格
しましたから、先生も教科書は開きません。どんなことをしたか
というと……

 紫式部と清少納言の生い立ちや境遇の違いについてと源氏物語、
枕草子に出てくる二人の性格の違いについて。はては、平安貴族
の日常生活や恋愛事情なんてものまで………

 小宮先生の名調子に乗せられて私たちは平安時代の優美な世界
に心を躍らせて聞いています。その後、平安貴族になったつもり
で寸劇。古語は難しくて爆笑また爆笑でした。

 もちろんそれは学力とは無縁なんでしょうけど、宿題テストが
不合格になって、その後、無味乾燥な教科書の復習をやらされる
より、私たちにとってはずっとずっと楽しい授業でした。

 理科の先生はいつも私たちに楽しい実験ばかりを見せますから
理科というのは動植物の観察か実験をやるための教科だとばかり
思っていましたし社会科は社会科見学であちこちまわりますから
これは遠足の時間なんだと思っていました。

 この他にも写生会、学芸会、演奏会など一学期中にはたくさん
の行事や催し物が組んであります。

 ですから、教科によっては教科書を一度も開かないまま学期末
なんて事も。
 (さすがに学期末には教科書を開いておさらいはしますけど)

 おかげで、掛け算の九九もローマ字もここではすべて夏休みの
宿題。
 うちの場合、教科書的な知識を授けるのは学校の先生ではなく
家庭教師のお仕事。もし家庭教師がいないければお父様お母様の
お仕事でした。

 この日は一時間目が国語で二時間目が算数。
 実は私、算数が苦手で、『何でこんな教科があるんだろう?』
と思っていました。

 他の教科は宿題さえやってくれば、その日先生がどんな楽しい
お話をしてくれるのかわくわくしながら待つことができます。
 でも、この算数だけはどんなに真面目に宿題をこなしてテスト
がうまくいっても授業があまり代わり映えしません。

 「これは高等数学の基礎なの。今、あなたたちは高校生のお姉
さんたちと同じレベルの事を考えてるのよ」
 なんて、先生は得意げにおっしゃいますけど、私にはちょっと
変わったパズルやゲームをやってるだけに思えます。

 何より不満なのは、算数って、数字や記号や図形ばかりで人が
出てこないことなんです。男の子には理解不能なんでしょうけど、
女の子って人が基準なんです。
 人が行動して、おしゃべりして、物語があって、そこから答え
を導き出してくるんです。人が答えを教えてくれるんです。
 数字や記号はいくら眺めていても何も答えてくれませんから。

 それに算数って、ほんのちょっと答えがずれただけでも『X』
でしょう。残酷なんですよ。もし答えが近かったら『これ正解に
近かったから5点のうち2点あげるね』とか言ってくれてもいい
と思うんですけど。
 せっかく苦労してやったのに『X』だけじゃ寂しいもの。

 とまあ、こんな理由で私は算数が苦手でした。
 でも、広志君は男の子だからでしょうか、この算数が得意で、
クラスで一斉に同じテストをやっていても、たいていは一番早く
解いてしまいます。

 そこで、私はこの子を頼りにしていました。いくら問題用紙を
眺めていても答えが浮かんでこない時は、問題文ではなく手近に
いる広志君に助けてもらうのです。

 私が問題の番号を消しゴムに書いて立てておくと……
 それに気がついた広志君が自分の消しゴムに答えを書いて私が
見えるように立てておいてくれます。

 これで、途中の計算式は分からなくてもとりあえず正解は確保
できますから、後はどうしてそうなったかを考えるだけでした。

 これだけ見ると、私ってだらしのない女の子に見えるかもしれ
ませんが、私だって不器用(?)な広志君のために家庭科や図工
の宿題では随分手伝ってあげましたから、お互い持ちつ持たれつ
なんです。

 女の子って独りは嫌いです。何をやるにもお友だちが頼りです。
たとえ自分がこうやろうと固く心に決めていても必ずお友だちに
賛同を求めます。そこで反対されても構いません。お友だちとの
おしゃべりで心は落ち着き、お友だちとのコミュニケーションで
新たな知識も受けられます。
 とにかく、人のあいだにいると、ほっとするんです。

 ですから、私が頼りにしているのも人生の判断材料にしている
のも全部人、人、人。数字の入り込む余地はありません。算数も
いりません。
 でも、学校へ通っている以上、お付き合いでこの教科もやらな
きゃならない。苦痛だなあと思いながら算数をやってるわけです。


 話がちょっぴり脱線してしまいましたが、苦手な算数が終わる
と、次の三、四時間目は図工の時間。

 その日は昨夜までの雨があがって天気がよくなりましたから、
図工の先生が、『三時間目はお外でスケッチ、四時間目はそれを
教室で仕上げましょう』と言い出します。

 これにはみんな大賛成でした。
 辛気臭い教室を離れて外に出られるだけでも、気晴らしになり
ますから。

 私は、算数の時間の御礼に広志君を手伝ってあげようと思いま
した。

 「ねえ、ヒロ君はどこでスケッチするの?」

 でも……
 「どこでもいいだろう。あっち行けよ」
 「いいじゃない。一緒に描こうよ」
 「いやだよ、あっちへ行けよ!」
 広志君、算数の時間とは打って変わってそっけないんです。

 「ケチ、ちょっとぐらい絵がうまいからって、もういいわよ!」
 私は捨て台詞を残すと、一旦はその場から離れて女の子たちと
合流しましたが、でも、なぜか彼のことが気になって、離れた処
からずっと広志君の様子を窺ってたんです。

 また折を見て一緒の場所でスケッチをしたいと思っていました。
 実はこの時、私は広志君にほのかな憧れを抱いていましたから。

 ところが……
 『えっ!』
 私は驚きます。

 その時広志君は図画の先生からスケッチの場所として指定され
ていた校庭の花壇付近を離れ、独りだけ高い金網フェンスがある
校庭の隅にいたんです。
 しかも、さっきから何だかしきりに辺りの様子を窺っています
から、『おかしいな?』とは思ってたんですが。

 それが、いきなり持っていた画板やパステルの箱を破れた金網
のすき間に差し入れます。
 そして、広志君自身も……

 『いや、それって、やばいよ』
 私は広志君が脱走するところを見てしまいました。

 広志君は、今、古くなった金網が腐りかけ捲れているのを利用
してフェンスの向こう側へ出ようとしています。

 でも、そのフェンスの外というは、昔から、それこそ私たちが
この学校に入学した時から担任の先生に……
 「いいですか、この先には急な崖があります。危ないですから
絶対にこの柵を登って向こう側へは行っちゃだめですよ」
 って、注意されている生徒立入禁止の区域でした。

 『どうしよう?……どうしてそんなことするのよ』
 『広志君って普段はとっても冷静な子のはずなのにどうして?』
 私の心臓がどぎまぎします。

 私は女の子たちの群れからそ~っと抜け出すと、私も広志君の
後を追って彼の場所へ。
 もちろん、当初は見つけて一緒に引き返すためでした。

 だって、このタブーはおそらく胤子先生の比じゃないはずです。
 もし見つかったら、お仕置きは確実。それも、恐らくはクラス
のお友だちみんなの見ている前での見せしめ刑です。

 実は、昔、このフェンスをよじ登ったお転婆娘がいたんですが、
その子がそうでした。
 クラス全員の見ている前で100回もお尻を叩かれたんです。

 大半は、先生がその子をお膝の上にうつ伏せに寝そべらせて、
平手でお尻を軽くペンペンしただけだったんですが、最後には…
 「こんな危ない事をする子に、みなさんも『いけませんよ』と
いう気持を伝えましょう」
 とか言われて、机にうつ伏せにしたその子のお尻をで一人二回
ずつ竹の物差しでぶつことに……。

 みんな遠慮して強くは叩きませんでしたが、その子にとっては
お尻への痛みより、恥ずかしさや屈辱感が何よりたまらなかった
と思います。
 先生たちは女の子には恥ずかしい罰の方が効果があると考えて
こうしたお仕置きを多用していたのです。

 それだけじゃありません。閻魔帳に載るXだって、こんな時は
一つだけじゃありません。あの時は二つ、いえ、三つだったかも
しれません。

 そんな危険を冒してまで、広志君はなぜ柵の中へと入り込んだ
のでしょうか?
 その時はまったく理解できませんでした。

 広志君がフェンスの外へと消えた瞬間、私は先生に告げ口する
ことも考えました。それが生徒としては普通の判断ですから。

 でも……
 『好きな子のあとを追ってみたい。広志君の秘密が知りたい』
 そんな思いがあって、私は別の決心をします。

 『私も……』

 私は広志君が消えた場所までやってくると金網フェンスの地面
付近に開いた僅かなすき間を発見。
 誰かに見られていないか辺りを窺いつつ一瞬で滑り込みます。
 何のことはない広志君と同じことをしたのでした。

 中に入る時はさすがに緊張しました。女の子には相当なスリル
です。

 でも中に入ってみると、そこはコンクリートが打たれた土手の
上といった感じの場所。幅が1m位ありますから子供にとっても
結構広くて安全な処に思えました。
 眼下には私たちが普段通学で利用する車がずらりと並んでいる
広い駐車場が見えます。

 『え~~っと、うちのポンコツ、リンカーンは……』
 眺めのよさに思わず我が家の愛車を探してしまいます。

 この土手は、庭師や電気工事の人たちがたまに利用しますから
道幅も広くて安全に作られていたのでした。

 ただ、今いる土手を2mほど滑り下ると、そこには30センチ
ほどの幅しかない未舗装の土手があって、さらにそこから先は、
地面がありません。ほぼ直角に近い急斜面。駐車場の周囲を彩る
ために植えられた木々がちょうどそこに頭を出しています。

 この崖から駐車場の地面までは高さが5m。もし、崖から足を
滑らせたら駐車場の地面に激突。怪我だけではすまないかもしれ
ません。
 舗装された一番上の道からなら悠然と眺められる駐車場もここ
から眺める時は目もくらむような高さを感じます。

 だからこそ、学校はここにフェンスを建て子供たちの立ち入り
を禁止していたのでした。


 私は広志君の後を追い、すぐにフェンスの外へ出てきたつもり
でいましたが、気がつけばあたりに広志君の姿が見えません。

 『あれ?……』
 あちこちキョロキョロ探していると……いきなりでした。

 「きゃあ~~~」

 誰かに両肩を掴まれます。
 驚いたの何のって私の悲鳴は校舎までも届いたみたいでした。

 それだけじゃありません。慌てた私は恐怖心から訳も分からず
私の肩を掴んだその人に、もの凄い力で抱きつきます。

 「ばか、やめろ!」
 その人にとってもそれは予想外だったのでしょう、二人は土手
の上であたふた。

 「いやあ~~~」
 結局、二人はバランスを崩すと抱き合うようにして崖の斜面を
滑り落ちます。

 その瞬間、ぬちゃっという感覚がパンツを通してお尻に……。
 昨日までの雨で斜面がぬかるんでいたところへ、お尻をつけて
滑ったものですから、シャツもスカートもパンツもドロだらけで
した。

 「何よ、何すんのよ」
 私は広志君の顔を見て怒ります。
 彼もまた、シャツもズボンも泥で真っ黒でした。

 「ごめん」
 彼が謝ってくれて、私はほんのちょっぴり恥ずかしくなって、
すねた顔になります。
 いえ、本当は抱き合っての草スキー、とっても楽しかったんで
すが、そんなこと恥ずかしくて言えませんでした。

 でもこれって、危ないスポーツでした。
 何しろ、草スキーの終点で、二人はその足先をすでに恐い崖の
先に突き出して止まってたんですから。
 もう少しで本当に崖から落ちていたところだったんです。

 身体は無事でしたが……
 「あっ、私のパステルが……」
 私は駐車場の地面に散乱する私のパステルを見つめます。
 どうやら土手で揉み合った時に、私のパステルが犠牲になった
みたいでした。

 「拾いに行かなくちゃ」
 私が言うと、広志君が……
 「もう無理だよ、ここ、下りられないもん。いいよ、今日は、
僕のを使いなよ。二人で一緒に描けばいいじゃないか」

 私の願いはこうして図らずも実現します。

 でも、女の子って偏屈です。
 「いいわよ、自分で取りに行くから……こんなのヒロ君のせい
だからね」
 私はわざと勢いよく立ち上がってみせます。

 すると……
 「いやあ~!」
 またもやバランスを崩して本当に崖から落ちそうに……
 それを助けてくれたのも広志君でした。

 「ごめん、本当にごめん、一緒にスケッチしようよ。だって、
今、戻っても先生に見つかっちゃうもん」

 作戦成功。広志君の泣き顔って素敵です。

 でも、私がイニシアチブを取れたのはそこまで。
 この後の私は、もう何もできませんでした。
 『ヒロ君と二人だけのスケッチ』という望みがかなった私は、
その後はヒロ君の言いなりだったのです。

 「ねえ、なぜこっちへ来たの?先生に叱られるよ」
 「こっちに僕のお気に入りの場所があるんだ。だからフェンス
の外で描きたかったんだ。おいでよ、見せてあげるから」

 ヒロ君が私の手を取ります。
 ぐいぐい引っ張ります。
 走ります。
 足元が滑ります。
 そのたびにヒロ君が私を抱きかかえます。
 まるで夢のように幸せな世界でした。

 もちろん、30センチ幅しかないぬかるむ土手で、もし、足を
滑らしたら今度こそ本当に5m下へ真っ逆さま。なんですが……
幸せいっぱいの私にはそんな不幸なこと頭の片隅にもありません
でした。


 私たちは右手に駐車場を見ながら細い土手の上を走ります。
 そして、100mほど行った先の大きな畝を越えると、辺りの
景色が一変しました。

 そこは明るく緩やかな緑の谷が遠くの町や青空を抱きかかえる
ようにして広がっています。私たちの頭上を覆う厚い雲は、渦を
捲いて怖いくらいですが、その雲間から差し込む光の柱はとても
神々しくて、まるで宗教画のようです。その陽の光を伝い今にも
天使が下りてきそうでした。

 「ここ日本じゃないみたい。西洋の絵にこんなのあったわよね、
こんな景色。わあ~~綺麗。いいなあ~こんなの。学校の近くに
こんな処があったのね。私、この学校に来て、ここ初めて見るわ」
 私は思わず感嘆の声を上げます。

 私はこの学校に四年以上通っています。でも、ここへ来たこと
は一度もありませんでした。幼いせいもありますが、誰かさんと
違って先生の言うことをきいて、規則をちゃんと守ってきました
から学校の近くにこんなに美しい谷があるなんて、全然知らなか
ったのです。

 「ここは僕が見つけたんだ。春には菜の花が一面に咲いてた。
この辺全~部、ま黄色だったんだから。僕はここでスケッチした
いだけなんだ。学校のお庭はもう見飽きちゃったからね。………
ねえ、おいでよ」

 広志君はさらに私の手を引いて緩やかな谷を下っていきます。
 でこぼこした道、大きな石や岩もあって歩きにくいけど楽しい
別世界へ招待。
 心の奥底では先生の恐い顔と声がちらつきますが一生懸命振り
払います。

 『私にこんな勇気があったなんて……』
 私は自分で自分に驚きながらも広志君の誘いを断る勇気はまっ
たくありませんでした。広志君のなすがままだったのです。


 広い谷の一番奥まった場所。ちょっぴり涼しいその場所には、
大きくて立派な白百合が少し間を置いてあちこちに咲いています。
 広志君、ここが最もお気に入りの場所のようでした。

 ここからは近くの百合の花だけでなく、遠くに三角屋根の教会
や赤いレンガの倉庫、発電所の高い煙突からたなびく煙も鉄橋を
通過していく列車もはっきり見えます。

 私はパステルを落としてしまったので、広志君と肩を接する様
に腰を下ろして、彼のパステルでスケッチします。

 ほとんど同じ位置で描いてますから、出来上がったものは同じ
景色なのかなと思いきやこれがまったく違っていました。

 広志君は、県展の特選を始め新聞社や放送局主催のコンクール
では入選佳作の常連。デッサン力を私と比べてはいけませんが、
そうではなく、広志君の絵にはここからでは見えるはずのない物
がたくさん書き込まれているのです。

 「ねえ、この観覧車や丸いガスタンクやテレビ塔って、どこに
あるの?」

 私が不思議そうに尋ねると……
 「僕の心の中。前に見たことのあるものを当てはめるんだ」

 「それって、インチキじゃないの?」

 「そんなことないよ。この方がバランスが取れてて美しい構図
になるなら何でも足すし、何でも省略していいんだ。絵画は美の
追求。写真の模写じゃないんだから、これでいいんだよ」

 広志君は私の出来上がったスケッチを一瞥すると、鼻で笑って
……。

 「あっ、やめて!!」
 私の制止もきかず、私の絵に大きな木を一本描き加えます。

 「ほら、これに葉っぱを描けばいいんだよ。よくなるから」
 広志君はご満悦でしたが私は何だか自分の世界を汚されたよう
で不満です。

 でも、仕方なくその木に枝や葉っぱを描き足すうち……
 『やっぱり、こっちの方がよかったのかなあ』
 と思うのでした。

 「ねえ、この木、もともとヒロ君が描いたでしょう。先生に、
この絵、そのまま提出しても怒られないかなあ?」
 私は不安を口にしますが、でも、私たちが学校に帰って真っ先
に怒らるのは、もちろんそんなことではありません。

 幸せな時間が過ぎ行く中、私たちはもっともっと大事なことを
すっかり忘れてしまっていたのでした。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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