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小暮男爵 ~第一章~ §2 / お仕置き契約書

<主な登場人物>

 学校を創った六つのお家
 小暮
 進藤(高志)(秀子)
 真鍋(久子)
 佐々木
 高梨
 中条


 // 小暮男爵家 //
 小暮美咲<小5>~私~
 小暮遥 <小6>
 河合先生<小学生担当の家庭教師>
 小暮 隆明<高3>
 背が高く細面で彫が深い。妹たちの間では
 もっぱらハーフではないかと思われている。
 小暮 小百合<高2>
 肩まで伸びた黒髪を持つ美少女。
 凛とした立ち居振る舞いで気品がある。
 小暮 健治<中3>
 小暮 楓<中2>
 小暮 朱音(あかね)<中1>
 武田京子先生<中学生担当の家庭教師>
 小暮 樹理<大学2年生>
 今は東京で寮住まい。弁護士を目指して勉強
 している。


 // 聖愛学園の先生方 //
 小宮先生<5年生担当>
 ショートヘアでボーイッシュ小柄
 栗山先生<6年生担当>
 ロングヘアで長身
 高梨先生<図画/一般人>
 創設六家の出身。自らも画家
 桜井先生<体育/男性>
 小柄で筋肉質。元は体操の選手
 倉持先生<社会/男性>
 黒縁メガネで頭はいつもぼさぼさ
 榎田先生<理科/男性>
 牧田先生<お隣りの教室の担任の先生>
 大柄な女の先生。陰で男女(おとこおんな)
なんて呼ばれることもある怖い先生。
 中井先生<家庭科/女性>
 本来の仕事のほかに頼まれるとお灸のお仕置きも
こなす生徒には怖い先生。
 黒川先生<校医/男性>
 温厚なおじいちゃん先生

 //6年生のクラス<担任/栗山先生>//
 小暮 遥
 瑞穂のライバル。飛び降りは参加せず。
 進藤 瑞穂
 学級委員、でもけっこうヤンチャ。
 佐々木 友理奈
 高梨 愛子
 飛び降りは参加せず
 中条 留美
 飛び降りは参加せず
 真鍋 明(男)

 //5年生のクラス<担任/小宮先生>//
 小暮 美咲
 中条 由美子
 高梨 里香
 真鍋 詩織
 お下げ髪、三つ編みを両耳で垂らし先端に
毎日色代わりの小さなリボンをつけている。
 佐々木 麗華
 進藤 広志(男)<家庭教師/会田先生>
 絵が得意。鷲尾の谷はお気に入りのスケッチポイント。


****<< §2 >>***/お仕置き誓約書/***

 小暮家にやって来てからというもの私は一日の多くをお父様の
抱っこの中で過ごしていました。
 私がそう望んだのではありません。リタイヤしたお父様が暇を
もてあましていて幼い私を手離そうとしないのです。

 私は独りになりたくてイヤイヤしたことが何度もあったようで
すが、そんな時でも一時的に河合先生が預かるだけで、またすぐ
にお父様の腕の中に戻されます。

 最初の頃はお遊びの時間はもちろん、食事、お風呂、おトイレ
……そのすべてが一緒の暮らしでした。
 こちらはそうした生活に無理やり慣らされたといったところで
しょうか。

 3歳という年齢を考えればそうした親子もそう不思議でないの
かもしれませんが、幼児期を過ぎてもお父様は私を離しません。

 お父様は、昼間ゴルフに出かけたり、書斎で書き物をしたりと
いう生活でしたが、その場所にもお父様のお人形として私は常に
参加していました。
 そんな時、私の面倒をみるお母さん役が河合先生になります。
彼女は私が幼い時はナニーとして、少し成長してからは家庭教師
として私を支えてくれたのでした。

 それにしてもいつもお父さんと一緒だなんて楽しそうですか?

 いえいえ、そこはそんなにこれは快適な生活ではありませんよ。

 お父様が私を抱く時、そこはゴツゴツとした岩のような筋肉の
ベッドですし、まるで束子のような顎鬚が私の頭や顔にチクチク
当たります。おまけに男性特有の体臭が鼻を突きますから思わず
顔をしかめます。
 母親に抱かれる時ような優雅な世界ではありませんでした。

 幼児にとって、むしろそこは過酷な場所。愛情を押し売りして
くるありがた迷惑な世界だったのです。

 ただ、いいこともありました。
 それは、ここがこの小暮家にあっては最も安全な場所だったと
いうことです。

 というのは、小暮家の子供たちになったら避けて通れないはず
のお仕置きが、お父様に抱かれている私には一度もありませんで
した。

 そりゃあそうでしょう。お父様に四六時中抱かれている私は、
この家では赤ちゃん扱い。そんな赤ちゃんに、体罰を仕掛ける人
なんて誰もいませんから。

 その一方で人畜無害だと考えられていた私が、お姉さまたちの
お仕置きを見学する機会はよくあります。

 躾の厳しい小暮家では、娘といえどお父様の前でパンツを脱ぐ
のは当たり前。お臍の下を裏表しっかりチェックされたり、その
中までも検査されます。

 そうやって近々にお仕置きされていないことをを確認してから
平手や竹の物差しでお尻を叩かれるのです。

 強くは叩きませんがそれでも悲鳴があがることはよくあります。
時には女の子全員を集めてその前でお仕置きなんてことも。

 それだけじゃありません。お父様の家では特に女の子に対して
お浣腸やお灸がなされることも少なからずありましたから、その
恥ずかしさは半端ではありませんでした。

 今なら、これらは『虐待』という領域なのかもしれませんが、
当時は少しぐらい度を越したお仕置きでも、それは父親の権利で
あり愛情。躾の為にはやむを得ないと考えられていましたから、
非難する人は稀だったのです。

 ですから決して理由なくお仕置きするわけではありませんが、
お父様が躾の為にこれは必要と判断すれば、子どもたちはその後
厳しいことになります。

 私は、最初の頃、そうした悲劇の様子をお父様の腕の中でただ
ただ楽しく見学していたのでした。

 というのも、それがどれほど痛いのか、どれほど恥ずかしいか、
そもそもお仕置きをされたことのない私にはわかりません。
 ですから気楽なものなのです。お姉さまの悲鳴や悶絶にも私は
笑顔や拍手で答えます。

 お父様の腕の中から垣間見るお姉さまたちの地獄絵図も幼い私
にとっては退屈しのぎ見せ物(ショー)にすぎませんでした。


 さて、それではこの小暮家の娘たち、いったいどんな時にお父
様からお仕置きされるのでしょうか。
 これには、だいたい四つのパターンがありました。

 『宿題や勉強を怠ける』
 お父様は女の子だから学問はいらないとは思っていませんから
成績が落ちるとお仕置きです。

 『嘘をつく』
 特に自分を守る為につく嘘には厳しい結果が待っていました。

 『お父様や学校の先生、家庭教師、お姉さまなどはもちろん、
庭師や下男、賄いのおばちゃんに至るまでおよそ自分より年長の
人は全て私たちより偉い人というルール』
 家の娘なんだから使用人の名は呼び捨てで構わないなんていう
お嬢様ルールはここにはありません。目上の人は誰であっても、
『○○さん』と敬称を付けて呼ばなければなりませんでした。

 そして、お父様が何より気にしていたのが兄弟の仲でした。

 『兄弟げんかは理由のいかんに関わらずタブー』
 取っ組み合えば無条件で悲鳴が上がるほどのお尻叩きです。
 特に自分より年下の子をいじめようものなら、その結果は悲惨
というほかありませんでした。

 血の繋がらない兄弟姉妹、親子、だからこそ仲良しを一番気に
かけていたのでした。


 では、そんな本格的なお仕置きがいつ開始されるのか。

 男爵様の家ではだいたい10歳くらいから本格的なお仕置きが
始まります。
 いえ、それ以前にもお仕置きはあるにはあるのですが、それは
危ないことをやめさせる為に手を出すといった程度。
 過激なお仕置きではありませんでした。

 たまに河合先生がご自分の判断でお尻叩きをなさることもあり
ますが、驚いた子どもたちがお父様の処へ逃げ帰るという光景が
よくありました。

 それが10歳を過ぎると状況が一変します。お父様がご自身で
判断して子供たちにお仕置きを宣言なさいます。
 それって河合先生の場合とは違い、愛されてきた子どもたちに
してみたら、とても重いことだったのです。

 ですから、お父様はそれに先立ち、子どもたちに誓約書を提出
させます。

 『もし約束を破ったらどのようなお仕置きもお受けします』

 簡単な文面の誓約書です。でも、この一枚の紙切れは、その後、
私たちを長い間縛り付けることになるのでした。

 私も他の姉妹と同じように10歳になった時に誓約書を書いて
います。

 「いいかい美咲。この誓約書は、これから先、お前が児童施設
で暮らしたいのなら、いらないものだから書かなくていいんだよ。
どうするね。施設へ帰るかね」

 お父様はその時わざわざこんなことを言うのです。でも、私の
人生はここから始まったようなもの、はじめから児童施設へ帰る
という選択肢なんてありませんでした。
 私だけじゃありません。恐らくこの誓約書のせいで児童施設へ
帰る決断をした子は一人もいなかったと思います。

 私たちはすでにお父様の実の子でないことを知っていましたが、
私たちは目の前にいるこの人以外に愛された経験がありません。
この人が世界で一番大事なお父様ですし、ちょっぴり口うるさい
ですけど河合先生がお母様です。
 もちろん、お姉さまたちともこのお家とも離れたくありません
から答えは簡単でした。

 むしろ……
 『なぜ、そんな事をわざわざ聞くんだろう。……ひょっとして、
お父様、私のことが嫌いになったのかしら……』
 なんて、余計なことまで心配してしまいます。

 そんな私が誓約書を提出すると、お父様はいつものように私を
膝の上に抱いてあやし始めます。
 10歳を過ぎた少女と赤ちゃんごっこを始めるわけです。

 でも、そんなお父様に私の方も不満はありませんでした。
 女の子は、何かにつけてお付き合いが大事ですから、お父様が
望むなら私は赤ちゃんにだってなります。
 幼い頃やったおママゴトの延長ですから難しいことは何もあり
ませんでした。

 ガラガラが振られると笑い、おじやの入ったスプーンが目の前
に現れれば口を大きく開けて受け入れます。お風呂でもお父様が
私の服を全部脱がせて一緒に湯船に浸かり、流しで身体を隅から
隅まで洗ってもらうなんてことも……

 でも、これだってある日突然こうなったわけではありません。
赤ちゃん時代からの習慣がこの歳になってもたくさん持ち越され
ていただけのこと。お父様にしてみたら、幼児も赤ちゃんも同じ
ということのようでした。

 そして、こうしたことに何一つ抵抗感を示さない私はお父様の
信用を勝ち取っていきます。

 この時、お父様はすでに70歳近く。これまでも多くの女の子
たちを施設から引き取ってきましたが、さすがにこれ以上は無理
ということで私が最後の養女と決めていました。

 つまり、私より年下の子はもうこの館へ来ないわけですから、
ずっと私がお父様のお膝を独占できるわけです。

 そんな事もあって、お父様はずっとこのまま私を幼女のままで
育てたかったのかもしれません。でも、河合先生がそれを許して
くださらないので仕方なく誓約書だけは書かせた、そんな感じで
した。

 そんな事情からか、誓約書は提出したものの、その後も四年生
の間は今までと何ら変わらず私はお父様の赤ちゃんとして過ごす
ことになります。

 でも、さすがに五年生になって、とうとうその時が……
 お父様の家で暮らす少女なら避けて通れない試練の時が訪れた
のでした。

 小五から中一にかけて、大人たちはありとあらゆる機会を使い
子どもたちを躾けようとします。言いつけに背く子は無条件で罰
します。きついきついお仕置きは歳相応とはいえないほどの体罰
です。
 それがこれからは年長のお姉さまたちだけでなく、お父様から
寵愛を受けていたはずの私にも例外なく降りかかろうとしていた
のでした。


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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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