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天国 ~第三話~

 *** 第三話 ***

 その人はマリアさんと呼ばれていて、なかなかの美人だったが、
当初はそれで苦労した。

 というのも、いくら『ここでは、みんな赤ん坊で暮らしている
のよ』などと説明されても、この時の私はまだ生きていたころの
大人の心を残している。

 いきなり、大きな手に抱かれて目の前に乳首を差し出されても
『はい、そうですか』というわけにはいかなかった。
 それになにより、ご無沙汰していた生理的変化までが起こって、
それを押さえるのに四苦八苦だ。

 その時の私の顔はきっと火事場金時みたいだったに違いない。

 ただ、そんな窮屈な暮らしは最初の三日間だけ。
 長くは続かなかった。

 というのも、その時口に含んだ母乳に何か特別な効能があるの
か、私の意識はしだいに薄らいでいく。

 母乳を吸うことに何の抵抗もなく、オムツが濡れて泣くことは
あっても、それを取り替えてもらう時、恥ずかしいという感情も
起きてこない。もちろん、マリアさんに抱かれていても変な気持
になどならなかった。

 むしろ、マリアさんに抱かれていないと不安で仕方がないから
そばにママがいないとよく泣いていたのを覚えている。

 大人なら理性で割り切って感情をコントロールできるはずなの
に、それが今はできない。
 もどかしさはつのるが、どうにもならないのだ。

 そんな私を見て、マリアさんは……
 「これではすべてをさらけ出すことが幸せの第一歩になるの。
隠し事はだめ……というより、そもそもできないの。人間社会は
心の中を他の人に覗かれる心配がないから平気で嘘が通るけど、
天国の住人同士は相手の心がお互い丸見えだから、隠し事なんか
できないの。天国での嘘は相手を傷つけてることになるわ」

 ママはさらりと言ってのけた。
 きっと、『だから天国はこんなにすばらしい処』と言いたいの
かもしれないが……それも、思えば怖いことだったのである。

 実際、マリアさん、いやママは、私の心がしっかり見えている
みたいで、寂しい、お腹がすいた、おしっこがしたい、おんもへ
行きたい……等々、とにかく心に思い描いたことは何一つ言葉に
表す前に実現させてしまう。

 最初は、偶然かとも思ったが、ほぼ100%先回りするので、
どうやらそうではないとわかったのだ。

 『でも、どうして、僕の心が分かるんだろう?』
 私は自問自答してみるが、それにはなかなか答えが出てこない。

 結局、出てきたのは……
 『ここがやっぱり天国だからなんだ』
 という感慨。間抜けな答えを探し当てただけだった。

 しかも、こうした能力は何もマリアさんに限ったことではなく、
家を訪ねる他の天上人も一様に僕の心を覗き込んでは微笑むのだ。

 それって、悪気はないんだろうが、僕にとっては裸でいるより
恥ずかしいことだったのである。

 7日後、赤ちゃん生活にも慣れてきた私は、手押しの乳母車に
乗せられて近くの公園へと出かける。
 天国に来て最初の公園。つまり公園デビューだ。

 青葉の美しい季節で、並木を吹き渡る風は乾いていて穏やか。
申し分のない条件だったのである。
 (もっとも、天国では天候も一律管理されてるから憂鬱な季節
というのは最初からないのだが……)

 ところが、マリアさん、乳母車を大きな楠の木陰に止めると、
近くのベンチでお友だちとおしゃべりを始め、なかなか僕をかま
ってくれないのだ。

 そんななか青い空だけを眺めている退屈な時間が過ぎていった
が……

 「わあ~~可愛い。私たち、見て驚いてるわよ」
 「赤ちゃん、この公園は初めてなの?」
 「私はヒナギクの妖精。あなたはエンジェルちゃんね」
 「ほら、こんなに目を輝かせてる。穢れのない瞳って素敵ね」

 頭の上でのガヤガヤがまるで音楽のようだ。

 「わあ、まだ卵から孵ったばかりって感じね。ほら、まだ殻を
着けてるわ」
 一人がそう言って私のオムツを引っ張った。

 私の前に現れたのは、いずれもトンボのような透けた羽を持つ
女の子たち。身長二十センチ位の小さなお友だちだった。
 彼女たちは乳母車の中に私を見つけると、寝そべった私の顔の
周りをめまぐるしく飛び回りだしたのである。

 「ねえ、この子、きっと絵の才能があるわ。だって記憶に残す
画面の切り取り方が上手よ」
 「うそ……音楽の才能はもっと凄いわ。綺麗なメロディライン
を、今、私に三つも披露してくれたのよ」
 「だめだめ、詩人になるべきよ。だって感受性がとっても豊か
なんだもん。有名な詩人になるわ」

 彼女たちは口々に私の品定めを始めていたが、そのうちの何を
思ったのか一人の子が僕の産着の裾をまくってしまう。

 「あら、この子、男の子なのね。……ほらあ~」
 「やだあ~~、ホント、……可愛いのがついてる」
 「やめなさいよ、マリアさんに怒られるわよ。…………でも、
私にも触らせてね。…………わ~~ぷにゅぷにゅしてる」
 「え~~~私にも~~~私、まだ摘んでないよ~~~……」

 妖精さんたちは入れ替わり立ち代り私の大事な物を摘み上げる。

 「…………」
 私は妖精を見たのも初めてで、あまりの事に声を失ってしまう。

 そんな私を尻目に妖精さんたちはいよいよ意気軒昂だったのだ
が……。
 ママが乳母車へ戻って来ると……

 「ほら、ほら、男の子の大事な物をおもちゃにしないの」

 マリアさんが注意すると、声の方を振り向いてその瞬間だけは
緊張するものの、二三秒で元の笑顔へと戻る。

 「あっ、マリアさん。……だって、可愛いんだもん」
 「ねえ、この子、ちょっと貸してくれない」
 「どうするつもり?」
 「私たちのお家でお腹一杯にしてあげるわ」

 三人の妖精は、ボブヘアーやストレート、オカッパ頭の髪型に、
赤、青、緑といった色違いのスレンダーな衣装を身にまとい、月、
星、太陽といった飾りのついた小さな杖を手に持っている。

 三人に共通しているのは透明なトンボの羽のような物で空中を
切り裂いていることだろうか。幼い顔だちからすると幼女のよう
だが妖精というのは生まれてこのかた成長もしなし歳もとらない。
神様が生気を吹きかけて創り上げた最初の瞬間からこの形なのだ。

 歳をとらないというのは、最初から一定の分別や生きていく為
の能力を持って生まれてくるが、それでいて何年待っても子供の
心のままに生きているという意味だ。

 「だめよ、好意はありがたいけど、この子への食事は母である
私の仕事なの。物心つくまで、誰のお世話にもならないわ」
 マリアさんは毅然として、妖精たちの申し出を断った。

 実はマリアさん、ここで『食事』という言葉を使っていたが、
人間の時とは違いすでに僅かな粒子で構成されているにすぎない
我々にはもともと動物がとるのような食事は必要ではない。
 理論上はそのままで何億年も生きていけるのだ。

 ただ、今は魂だけとなった我々にも愛や奉仕は必要で、それが
いわば我々の仕事であり食事だった。

 天上人はお互いが奉仕し合うことで生まれる愛をエネルギー源
として生命を維持している。
 もし愛がなくなると、組織は形骸化し、やがては宇宙の藻屑と
なってしまうのだ。

 ただ、赤ん坊の私は、まだどうやって人に奉仕すればよいのか
を知らないため、マリアさんが色んな場所で奉仕して得られた愛
を分けてもらい、暮らしているのだった。

 妖精たちも、そこの事情は同じで、これまでの奉仕で獲得した
愛の一部を私に与えてもよいと申し出てくれたのである。

 ただ、マリアさんにしてみると、妖精がこうした申し出をする
時には、たいてい何か魂胆があるので、受けなかったのだ。

 マリアさんは私の口元に人差し指を差し出す。
 すると、それを合図に、私がその指をしゃぶりだす。
 あとは口に含んだマリアさんの爪の先から自然に愛のミルクが
出て来て、私の心が潤っていくという仕組み。
 つまり、お腹一杯になるというわけだ。

 「すごい、飲みっぷり。よっぽど愛に飢えてたのね」
 妖精の一人が驚くと……

 「そうでもないわ。この子の場合はこれくらい普通よ。もっと、
もっと、私から愛を吸い取ってよい子に育ってほしいわ」
 マリアさんは妖精たちに向かって自慢げに言葉を返す。
 それだけこの子の為に愛を蓄えてると言いたいのだ。

 「わあ~~~たいへ~~ん。こんなに勢いよく吸われたら、私
なんて、たちまち干からびてしまうわ」
 
 「何、弱気なこと言ってるの。そんなことじゃいいお母さんに
なれないわよ。お母さんは、自分の為だけじゃなく赤ちゃんの為
にもたくさんの愛が必要だもの。だからお母さんになると普段は
行かないような処もまわって、奉仕を重ね、赤ちゃんの為の愛を
確保するの。あなたたちみたいに勝手気ままに生きてる人達には
できない仕事よ」

 「できますよ、そのくらい。……でも、そんな苦労までして、
私、赤ちゃんなんて欲しくないわ」

 「あなたたちならそうでしょうね。だから、今のあなたたちに
この子は預けられないの。どうせ玩具にするだけだから。でも、
これだけは知っておいた方がいいわね」

 「……?…………どういうこと?……」

 「苦労も、努力も、自分の為より人の為にする方がより大きな
花を咲かせるってこと」

 「そうなの?……私は、他人の為より自分の為に頑張った方が
たくさん楽しいことが待ってると思うけどなあ」

 「そう、だったらそうすればいいわ。でも、そのうち分かるわ。
……そもそも赤ちゃんを育てることが苦労だなんて思っていたら
天国でのお仕事は勤まらないの」

 「何よ、だから私たちはいつまでも森の中をさ迷う妖精のまま
だって言いたいのね」

 「そうは言ってないでしょう……ただ、子育ての喜びは育てた
ことのない人には分からないってことよ」

 私は、マリアさんと妖精さんたちの会話を小耳に挟みながら、
お腹一杯になるまでミルクを飲み続けた。

 するとミルクを飲み終えた私の頭の中では、そもそも何が愛で、
どんな奉仕をすれば人が喜ぶのか。そんな情報が、ミルクを飲む
たびに次々と蓄積されていくことに気づく。

 そして、『今度は何か奉仕をしてみようか』と思うようになり、
それによって愛が得られると、その快感に、さらに大きな奉仕を
望むようになって……天上人はこうして成長していくのである。

 だから、天国での授乳は単に空腹を満たすためだけではない。
赤ちゃんにとっては勉強の場。立派な天上人へと成長するための
これが第一歩だった。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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