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オモチャ(赤ちゃん人形)

 『オモチャ(赤ちゃん人形)』

 ボクの母親は一家の女主人(ミストレス)でワンマン、どんな
些細な事でも思うとおりにならないと癇癪を起こす人だったから
子供たちにとってはとっても怖い存在だった。

 仕事をしながら子育てもするとなると、そうならざるを得ない
のかもしれないけど、とにかくガッツの塊で、授乳やオムツ換え
に始まって、絵本を読み聞かせ、童謡を歌い、文字や計算だって
……幼い頃の経験というのはすべてが母の膝の上で起こっていた。

 つまり、彼女の場合、相対してものを言うんじゃくて、いつも
ボクたち子供をいきなり抱き上げてから全てが始まるんだ。

 ck母の膝は専業主婦のそれとは異なり仕事の合い間を縫って
あいている時にだけ使うことを許された場所だから、子供たちも
『今は他の事したいからいやだ』というわけにはいかない。

 突然……
 『来いと言ったら来い』ってな感じで引っ張り込まれる。

 しかも、母にとっては仕事との兼ね合いがあるから、短時間に
成果を上げなければならない。子守唄が途中で途切れたり、読み
聞かせの絵本が突然終了なんてのは日常茶飯事。
 結局、後は自分で続きを読まなければならなかった。

 それだけではない。文字の読み書きや計算もその僅かな時間で
母の満足する成果をださなければならないから、母の膝の上では
こちらも緊張の連続で、そう言う意味でも苦労した。

 母のお膝は楽しい場所、のどかな処というのは世間一般の話で、
うちの場合は揺りかごではあるものの、それと同時に奴隷船とか
監獄のようなものでもあったのだ。

 その監獄で、ボクは丸々小学校時代を過ごした。
 そう、丸々。

 低学年の頃ならまだしも五年生や六年生ともなれば、膝の上に
乗せる重さは半端でないはずだが、母親は膝の上にこだわり続け
抱き続けたんだ。

 こちらも……
 『母を早く楽にしてあげなければ』
 と思うから、ここでも短時間での決着が求められた。

 ただ、そんなガッツのある母だったが、残念な事に知識や教養
となると、ちょいと怪しいところがあった。

 そこで、ボクが四年生になる頃、勉強は他の人に任せなければ
ならなくなった。

 家庭教師を雇ったんだ。
 ただ……その光景は異様なものだった。

 それまで相対で勉強したことのないボクは、先生を前にあくび
ばかり。どうしても母の膝が必要だったのでおねだりしてみたが、
最初は当然のように拒否。

 ただ、相対でやっていてはあまりにも効率が悪いというので、
やがて渋々、母が膝だけを貸してくれることになる。

 その結果、母の膝の上に乗った少年が首を激しく振り、全身を
上下左右に揺らしながら、何がおもしろくておかしいのか嬉々と
して家庭教師の出す問題を解いているといった勉強風景になる。

 彼にしたら、知識の出所は家庭教師でもやってる事はいつもと
同じお母さんとの遊び感覚。勉強はこれでなければいけなかった。

 つまり、ボクにとって勉強する時の母のお膝は遊園地の乗り物
(マジンガーZと言った方がいいか)と大差なかったのである。

 こうやって幼児のように母の膝の上ではしゃぎまわっている姿
は、きっと第三者には異常と映ったに違いないが、結局のところ
我が家ではこうして勉強するのが最も効率的だったから、仕方が
なかったんだ。

 家庭教師の先生、そこは仕事と割り切ってすましてたけどね、
母と息子がじゃれあう様子を見ながら、きっと呆れてたと思うよ。

 ところが……
 こんな母との濃密な関係は何も昼間の勉強時間だけに限らない。
 夜はもっと凄かったんだ。

 一日の終わりは、当然、誰だって布団で寝るわけなんだけど、
その時ボクは母と一緒に寝る。正確には弟もいるから三人一緒に
抱き合って、というのが基本スタイルだった。

 他に寝る処がないわけではない。狭いけど自分の部屋があり、
そこには自分専用のベッドもあるのだから、通常はここがねぐら
のはずなんだが、そのベッドでボクが寝るのは、お仕置きとして
そこで寝なきゃいけない時と……あとは、Hな事をする時だけ。
 部屋に鍵がかかるから、その点でここは都合がよかった。

 でも、通常、夜に寝る場所は母の布団の中と決まっていたんだ。

 幼い頃なら、まだ可愛いで済まされるかもしれないけど、もう
来年は中学生という少年が母のパジャマをしっかりと握りしめて
寝る姿というのはあまり絵にならないかもしれない。

 でも、これは我が家の習慣であり、さらにそこでは実年齢では
とうてい考えられないようなことが起こってたの。

 どういうことかと言うと……
 昼間は恐ろしくてそばに寄るのだってはばかられる母親なのに、
ここでは一転、猫なで声で寝床にやってくる。

 「ぼくたち、良い子ちゃんしてましたかあ~~」
 たいてい、満面の笑みでご機嫌な様子だった。

 もう時効だからぶっちゃけちゃうけど、ボクたち兄弟は、母の
布団の中で本物の赤ちゃんを演じ続けてたんだ。

 オムツをはめ、哺乳瓶でミルクを飲んで、母の本物のオッパイ
だってまだまだ現役で舐めちゃう…そんな夜って想像できるかい?

 母はそういう方向でボクたちを可愛がってたし、ぼくたち兄弟
も拒否しないもんだから、何となく赤ちゃん時代の習慣が続いて
いたんだけど、それって、昼間以上に他人には見せられない光景
だった。

 母が大きな手が体中をすりすりしてくれて、ほっぺをぺろぺろ、
アンヨやお手々をもみもみ、お背中をトントン、お尻もヨシヨシ。

 本物のオッパイも大きな指もよくしゃぶってたし、名前はあと
から知ったけど、ディープキスだってお気に入りだった。

 オーラルセックス(?)……
 そういえば、何かにつけて体中を舐められてた記憶あるなあ。
 とにかくこれが母の愛情表現だったんだ。

 対するこちらも、今日一日の出来事は赤ちゃん言葉で伝えて、
母の機嫌がよければお漏らしだってやっちゃうという悪乗りぶり。
 まさに筋金入りの困ったちゃん家族だった。

 濡れたオムツは母が取り替えてくれるんだけど……これだって、
恥ずかしいだなんて感じだことがない。
 むしろ熱いタオルとふかふかの新しいオムツがとっても気持ち
よくて、こちらは何度もおねだりしたくらいだった。(もちろん
いつもやってたわけじゃなく滅多にやらしてはくれなかったけど)

 そう、小学生にしてボクたちすでに変態だったんだ。

 でもね、いいこともあったよ。
 その日がどんなにか大変な一日でも、ここだけはいつも別世界
であり続けたから、お仕置きのあったその日もボクは枕を濡らす
経験がなかったの。終わりよければすべてよしというわけだ。

 女の子の場合は母親が同性だから、こういう気持はわからない
だろうけど、男の子にとっての母親は神秘的で神格化された存在
だから、『女神様の為なら…』という思いで、何でも受け入れて
しまうところがあるんだよ。

 それに、これは何かの原因で途中からそうなったんじゃなく、
赤ちゃん時代の習慣がそのままずっと変わらなかったというのが
真相。そのせいか、兄弟共に不自然さは感じていなかった。

 実は、兄弟が勉強に励んでいたのもこんな母との関係を続けた
かったからで……立身出世を志したり、お金持ちになりたいとか、
名声に憧れた……なんてのはもっと成長してからのお話で、この
時代は純粋に母を喜ばすのが目的だったの。

 少年達、うぶだったんだろうね、ママがヨシヨシしてくれたら
他に欲は何もなかったんだ。

 というわけで、ボクたち兄弟は小学生の間はどんなに成長して
も母の赤ちゃんであり続けたし、母にとってもボクたちは大事な
赤ちゃん人形(オモチャ)だった。

 「ほら、お前たち、いつまでお母さんに甘えてるんだ」
 ってお父さんには叱られてたけど……

 でも、こんなこと母が拒否すればそれまでだったはずなのに、
いつも一緒になってお布団の中で楽しんでたのお母さんだもの。
 お母さんだってボク達との事まんざらじゃなかったって思うよ。

<*>
 と、まあ、これがボクの少年時代。
 ボクのお仕置き小説の底辺をなしている赤ちゃん的な甘え精神
やご都合主義もここから来てるの。
 だから、どんなに厳しいお仕置きがそこに描かれていても……
『この親は子供を愛しています』なんて書かれていなくても……
あくまでお仕置きが大前提のお話だから、たとえ行為は同じでも
SMのような悲惨さとは無縁なんだ。
 ま、そんなんでよければ書いてあげるよ。

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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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