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第11章 貴族の館(3)

              第11章 貴族の館

§3 修道院学校のお仕置き(1)

 『わあ、立派ね!家のオンボロ校舎とは大違いだわ』
 カレンは思った。

 時計台を持つ三階建ての本棟を中心に図書館や体育館、運動場
までしっかりと整備されていて、そこは立派な私立学校だった。

 「ここで2歳から15歳までの子が学んでいます。時計台校舎
の左側が9歳迄の子が学ぶ『幼児学校』。こちらは男の子も一緒
ですが、15歳までの子が学ぶ『基礎教育学校』は生徒は全員が
女の子です」
 正門を入ったところで伯爵は誇らしげに学校を語った。

 「何人くらい生徒さんはいるんですか?」

 「定員は特に定めていないので、各学年人数はまちまちなんで
すが、だいたい10人から15人前後です」

 「そんなに少ないんですか」

 「何しろ、私たち一門の為に作った学校ですから、一般からの
入学希望者がそんなにいないんです。……それでも最近はこれで
増えた方なんですよ。私が通っていた頃には1クラスに3人しか
いないなんて時がありましたから」

 「でも、その方がマンツーマンに近くてお勉強がはかどったん
じゃありませんこと……」

 「たしかに……おかげでよくぶたれました」
 伯爵は笑う。そして……
 「では、女の園の方へ行ってみますか」

 こう言って二人を誘うと、カレンが……

 「あのう……伯爵様は……男性ですよね。いいんですか?」

 こんなふうに申し訳なさそうに訊ねるから、伯爵は、一瞬その
質問の意味が分からず困惑するが、すぐにまた頬の筋肉を緩めて
……
 「大丈夫も何も、私は理事長ですからそれは仕方ありませんよ」

 伯爵はカレンの疑問にこう答える。
 「お嬢様。女の園といっても、それは生徒だけの事で、教師や
聖職者には男性もいます。女性だけでコミュニティーを維持する
のは大変なんです。重しがいるんですよ……」

 「重し?」

 「有無も言わさぬ強い力です。女性だけの社会では往々にして
みんながいい子になろうとして馴れ合いになってしまい、うまく
いかないことが多いんです。そんな時は誰かが悪役になってやら
ないと……」

 「悪役?」

 「例えば生徒にとって自分のお尻を叩く先生は悪役でしょう。
でも、それって誰かがやらないといけないでしょうから……」

 「そんな……」
 カレンは頬を赤くして俯いた。

 「そりゃあ、男性の前でお尻をだすなんて嫌でしょうけど……
でも、これはこれでいいこともあるんですよ」

 「どんなことですか?」

 「女性同士だと、それってずっと遺恨として残りますけどね、
男性の場合は『所詮、男に女の気持なんて分からないから仕方が
ない』って諦めがつきますから……

 「そんな……」
 カレンは再び頬を赤くして俯いた。

*************************

 校舎へ入る入り口は時計台の真下に一つだけ。でもここを入る
と、すぐに左と右に分かれる。左へ行く子たちはまだ幼いから、
それほど強い体罰を受けることはなかったが、右側へ行く女の子
たちは常にその事を頭において行動しなければならなかった。

 とりわけ、土曜日の午後は『一週間の精算』と称して、素行の
悪い子たちには、その罪に見合うだけの罰が用意されていた。
 もっとも、誰もがそうなるのではなく、災難はごく一部の生徒
に限られるから、土曜日の放課後が特別ではない。
 三人が廊下を歩くと、どこからともなく女の子たちの甲高い声
が木霊して、そこは華やいだ雰囲気だ。

 お仕置きがどんなに怖くても、所詮、当事者だけの問題。指名
を受けなかった彼女たちにしてみれば、『一週間の精算』など、
よその国の出来事だったのである。

 ただ、伯爵が二人を案内して石の階段を下りて行くと、そこは
地下室という場所柄もあるだろうが、重苦しい空気が漂っていた。

 この地下室は、大戦中はトーチカとして利用されていた物なの
だが、頑丈すぎて取り壊しに骨が折れる為、そのままの形で残り、
その地面の上に、戦後、新たに校舎を建てたのだ。

 当初は、物置として使われていたが、悲鳴が外に漏れることが
少なく、暗く陰鬱な空気が、生徒の恐怖心を煽るという理由から、
いつの間にかお仕置き専用の部屋になっていた。

 当然、構造も昔のままで、階段を下りると、そこから放射線状
に七つもの廊下が走っている。七つともその突き当りの部屋が、
お仕置き部屋で、今、まさにその最中。各部屋とも防音には気を
配っているので、伯爵やニーナにしてみれば、生徒の悲鳴が外に
漏れてうるさいということはなかったのだが、カレンだけはその
耳のよさが災いして、どの部屋の音も拾ってしまう。彼女にして
みれば、その地下への階段に足を踏み入れた時から、少女たちの
悲鳴と鞭の音が頭の中で鳴り響いていたのである。

 階段を下りた伯爵は、まず一号路と呼ばれる東側の廊下を進む。
東側と言っても自然光が差し込む窓はなく、朝日が当たることも
ない。地下室はどこもそうだが、電気の照明がなければ真っ暗で、
何もできない世界だった。

 「暗い廊下ですね。電気代を節約されてるんですね」
 ニーナが心配すると、伯爵は笑って……

 「それもありますが、生徒たちを怖がらせる為の演出ですよ。
お仕置きを受ける時は気を引き締めてもらいたいので、わざと、
暗くしてあるんです。

 そんな薄暗い廊下を三人が歩いて行くと、その先が急に明るく
なっていて、スポットライトを浴びたようにドアの前に七八人、
木製ベンチに腰を下ろした少女たちがいる。

 いずれもここの女生徒たちだが、年齢はばらばらだった。
 10歳の子もいれば15歳の子もいる。その範囲の子を預かる
学校だから、その範囲の女の子がそこにずらりと並んでいたので
ある。

 まだ乳離れの済んでいないあどけない顔から、もうどこか大人
の匂いを感じさせる少女まで、さまざまな少女たちが、いずれも
沈痛な面持ちで息を潜め、そこに並んでいたのだった。

 と、ここで一人の少女が伯爵に気づく。

 「!」

 気づいた瞬間、その子はまるでビックリ箱を開けた時のように
勢いよく立ち上がったが、それに気づいた他の子供たちも次から
次に同じような勢いで椅子の前で直立不動の姿勢をとる。

 最後に一人、この中では最年少とおぼしき少女が泣き止まずに
椅子にそのまま座っていたが、その子も気がついた友だちに注意
されて立ち上がる。
 どうやらこの学校では、伯爵様に出合ったら、こうしなければ
ならないと教わっているようだった。

 カレンにはその光景がまるでナチスの軍隊のように見える。

 「ここにいるのはどんな子供たちなんです?」

 ニーナが伯爵に質問すると、伯爵はそれには直接答えず、今、
目の前で直立不動になっている12 3歳とおぼしき少女に尋ね
た。

 「君はなぜ、ここにいるのかね?」

 「ギリシャ語の成績が悪かったからです」

 「何点だったの?」
 「35点でした」
 「そう、それはもう少し頑張らないとね」

 伯爵は隣りの子に……
 「君は?」
 「数学の宿題をやってこなかったからです」
 「そう、残念だったね」

 さらに次の子にも……
 「君は……」
 「ローラに悪戯して……それで……」
 「ローラってお友だち?」
 「はい」
 「悪戯って?」
 「靴に画鋲を刺して……悲鳴上げるんじゃないかと思って……」
 「よく、やるやつだ」

 「君は、さっき、泣いてたよね。ここは初めてかい」
 「…………」少女は何も言わずにうなづく。
 「先生に、ここへ来るように言われたんだね」
 「…………」少女はまた何も言わずにうなづく。
 「先生はどうしてそんなこと言ったの?」
 「私が先生なんか嫌いだって言ったから……」
 少女が初めて口を開いた。
 「そう、先生にそんなこと言っちゃいけないんだよ。女の子は
誰に対しても『あなた嫌い』なんて露骨に言っちゃいけないんだ。
今日は我慢しなくちゃね。…でも、私が先生にあまり痛くしない
ように言ってあげるからね」
 「…………」
 伯爵にこう言われて少女はまた何も言わずにうなづく。

 「ニーナ先生、こんなものですけど、よろしいでしょうか?」

 「はい、ありがとうございます」
 ニーナの喜ぶ顔を見て、伯爵も笑顔になって……
 「みんな、座っていいよ」
 生徒へ着席の許可を出した。

 「ここにいる子供たちは、まだ、ましな方です。本当に問題の
ある子は個別に呼ばれますからね、お友だちと顔を合せることは
ないんです。お仕置き、見ていかれますか?」

 伯爵に勧められるとニーナ・スミスは少し微笑んでから……

 「でも、私のような者がよろしんでしょうか?」
 あらためて伯爵に訊ねたのである。

 「かまいませんよ。貴族の娘といえど子供は子供です。過ちを
償う姿を見られたとしても恥ではありません。それに、あなたは
しっかりしたお方で分別もおありのようだし何より校長先生でも
ある。カレンさんにしても今は立派な作曲家という社会的な立場
がおありだ。いわばこの子たちを指導する立場にあるのですから
この子たちの方から不平を言う資格はありませんよ。……どうぞ
お気遣いなく」

 伯爵がそう言った直後だった。丸いドアノブが回り、部屋から
一人の少女が出てきたのである。

 彼女は部屋の中へ向って……
 「ありがとうございました。失礼します」
 と大きな声で最敬礼してから開けた扉を閉める。
 
 そして、急いでいたのか、小走りにその場を立ち去ろうとする
ので……
 「待ちなさい、ドリス」
 伯爵が呼び止めた。

 すると、彼女はドアの処では神妙に見えた顔から一転、こちら
を振り返った時は、すでに明るい笑顔だった。
 「ばれちゃった」

 「叔父さんに、ご挨拶はないのかい?」
 伯爵にそう言われると、ドリスは体をくねらしながら答える。

 「ごきげんよう、おじ様」
 ただ、その時も彼女は両手をお尻から離さない。
 どうやら部屋の中でもそれなりに可愛がられたようだった。

 「今週もお世話になったみたいだね」
 「へへへへへ」ドリスは照れくさそうに笑う。
 「何したの?」
 「何って、特別なことは…………ただ、ちょっと…………」
 「ただちょっと、何だね?」

 「算数の成績がちょっと悪かったの」
 「何点だった」
 「15点」
 「50点満点で?」
 「…………」
 伯爵の言葉にドリスは首を振る。100点満点で15点だった
のだ。

 「算数は嫌いかい?」
 「どうして?」
 「だって、算数って、数字や記号ばかりで誰も人が出てこない
でしょう。誰もいないところで何かやっても楽しくないもん」

 「なるほど、女の子らしいな」
 伯爵は苦笑した。
 「それだけかい?」
 「あと……校長先生の写真にお髭とサングラスを書き足したら
ベルマン< Bellmann >先生のご機嫌が悪くなっちゃって……」

 「落書きだね。……書き足したのはそれだけ」
 「それだけって……」
 ドリスは口ごもる。
 その後ろめたそうな顔は、それだけでないと言ってるようだ。

 「それだけじゃないんだろう」
 「…………う……うん」
 ドリスは伯爵に促されて渋々認める。
 「他に、何か書き足したね。ベルマン先生はそのくらいのこと
なら、君をここへ送ったりしないはずだよ」

 「う……うん、ちょっと、その横に書き添えたの」
 「何て?」
 「『Oh神よ。子供たちのお尻を叩く私を最初に罰したまえ』」

 「なるほどね」
 伯爵は呆れたという顔になった。
 「深い意味はなかったのよ。ちょっとした軽い遊びだったんだ
から……」

 「いいかい、ドリス、先生は、校長先生に限らず他の先生方も
神父様も君達のためにお尻を叩いているんだよ。そんな人たちを、
神様を使って懲らしめようだなんて、考えること自体いけない事
なんだ。もっと、もっと、自分の立場を考えなきゃ。君は身分は
あっても、社会ではまだまだ半人前の人間なんだ。そのことは、
何度も教わってるからわかってるよね」

 「…………」
 ドリスは静かに頷く。
 それは、これから起こるであろう出来事をある程度覚悟しての
頷きだった。

 「おいで……」
 伯爵はドリスを自分の懐へ招き入れる。

 彼女の頭が伯爵のお腹のあたりに吸い込まれる。
 そうやって、しばらく抱き抱えられてから……

 「学校の先生も神父様も、もちろん校長先生も私も……すべて、
ドリスが敬わなければならない人たちだ。それができない子は、
お仕置き。大事なことだから、学校で何度も習っただろう」

 「…………」
 ドリスは自分の遥か上にある伯爵の顔を見ながら静かに頷く。
 それはどんなお仕置きも受け入れますという子供なりのサイン。
この時代にあっては、親や教師が行うお仕置きに協力するのも、
良家の子女の大事な勤めだった。
 庶民の子のように自分の本心のままにイヤイヤは言えなかった。

 もし逆らったらどうなるか……
 その恐怖体験はすでに幼児の頃にすませているから、この廊下
に居並ぶどの子も、あの忌まわしい悪夢の箱を二度と開こうとは
しなかったのである。

 「パンツを脱ぐんだ」

 伯爵が命じると、ドリスはあたりを見回す。
 そこにニーナやカレンといった見知らぬ大人や逆に自分をよく
見知った学校の友だちがいるのが、気になるようだったが、とう
とう『いやです』という言葉は出ずに、自らショーツを太股まで
引き下ろしたのだった。

 伯爵は、ドリスの背中をその大きな左腕で抱え込むと、立膝を
した上にドリスを腹ばいにして、スカートを捲りあげる。
 当然、その可愛いお尻が白熱燈の下に現れるが、ドリスは暴れ
もせず、声もたてなかった。

 「………………」
 伯爵は、まずはまだ赤みの残るお尻を擦りながら、このお尻が
この先どのくらいの折檻に耐えられるか、値踏みをしながら……
両方の太股の間を少しずつ押し開いていく。

 普段、外気に触れない場所が刺激を受けて多少動揺するドリス
の可愛らしいプッシーをカレンは見てしまった。
 すると、それは他人の事のはずなのに、思わず、自分がドリス
の立場になったような錯覚に襲われて、ハッとするのだ。

 『わたし、何、馬鹿のこと考えてるんだろう』
 カレンは慌てて自分の頭に浮かんだものを消し去ろうとしたが、
それを完全に消し去ることはできなかった。

 「いいかい、先生を揶揄する事はとってもいけないことだよ。
わかるだろう」
 こう言って、最初の平手が打ち下ろされる。

 「ピシッ」
 「ひ~~いたい」
 思わず、ドリスの口から悲鳴が漏れたが……

 「静かにしなさい、ドリス。このくらいのお仕置きで声なんか
出したら恥ずかしいよ」
 伯爵は厳しかった。

 伯爵だって自分の子供をはじめとして何人もの子供たちのお尻
を叩いている。それがどの程度の衝撃かもよく心得ていた。
 たとえ、それまでにお尻を叩かれてリンゴが敏感になっていた
としても、このくらいのことで声を出すのはドリスが甘えている
からだと判断したのである。

 「歯を食いしばって耐えるんだ。でないと、終わらないよ」
 その声の終わりとともに二発目がやってくる。
 「ピシッ」
 「(うううううう)」
 今度は必死に声を出さずに耐えた。

 良家の子女は目上の人には従順でいるのが基本。どんなにお尻
が痛くても必死に我慢して声を出さないように罰を受けなければ
ならない。勿論、そこで暴れるなんてもっての他だった。

 実際、良家の子女たちは、暴れて当然の幼児の頃、暴れる体を
大人たちに押さえつけられ、厳しい折檻を何回も受けている。
 それだけではない。自らパンツを脱ぎ、お仕置きをお願いし、
必死にお尻の痛みに耐えてお礼を言う。そんなお仕置きの作法を
徹底的にその身体に叩き込まれるのだ。

 「これから、先生を敬って、失礼な事はしないね」
 「はい、しません」
 「ピシッ」
 「(ひぃ~~~)」
 ドリスは思わず地団太を踏んだが、声は出さなかった。
 三発目からは『伯爵の平手の痛みに耐え、声を出さず、お礼を
言う』という、良家の子女の作法に従ってお仕置きを受け続ける。

 「いい子だ。その気持をずっと持ち続けない」
 「はい」
 「ピシッ」
 「(い~~~~)」
 ドリスにそれは形容しがたい痛みだった。一度、しこたま叩か
れたお尻をもう一度叩かれるなんて、これまでになかったからだ。

 「君は貴族の家に生まれたんだ。当然、やらなければならない
事はたくさんある。教養、礼儀、品性……そして、これも………
その一つだ」
 
 「はい」
 伯爵はドリスの声に反応しては叩かない。一瞬逃げようとした
可愛いお尻が元の位置に戻るのを見届けてから……
 「ピシッ」

 「(いやあ~~もうやめてえ~~~)」
 ドリスは心の中で叫んだ。

 伯爵の平手は暗い廊下に置かれたドリスの可愛いお尻めがけて
飛んでくるから、明るい待合のベンチに座るお友だちの処からは
よく見えないのだが、それだって恥ずかしい事に変わりはない。
何よりお尻の衝撃が背筋を通って後頭部にビンビン響いた。そして、
そこが響くと、ドリスの子宮が思わず収縮して、不思議な気持に
なるのだった。

 「ちゃんと、ごめんなさいができるね」
 「できます」
 ドリスはもうほぼ反射的にそう言い放ったが……
 「よろしい、では、ベール< Baer >神父様に事情を話しておく
から、明日は浣腸付きの鞭を独りで受けるんだ」
 伯爵の言葉にドリスは飛び上がる。

 「そんなあ~~~~」

 「何がそんなだ。貴族にとって身分をないがしろにすることは
とても重大な違反行為なんだよ。私たちは身分制度があるから、
貴族でいられるんだ。学校で習ったはずだよ。それを自分で壊す
なんて、軽々しく許されるわけがないじゃないか。今日のお尻の
様子を見ると、どうやらそこまでやってもらってないようだから、
明日は神父様の処で、正式に罪の清算をしなさい。……いいね」

 「だって、おじ様、神父様の鞭ってとっても痛いんだよ」

 「知ってるよ。だから事前に浣腸もしてもらって、粗相のない
ようにするんだ」

 「あれも嫌!!だって、あれも、もの凄く気持悪いんだもん。
終わった後も、お尻の辺りがなんか変だし……」

 「仕方ないだろう、お仕置きなんだから……もし、逃げたら、
月曜日の朝、ミサの終わりに全校生徒の前でやらされる事になる
から、それも頭に入れておくんだ。いいね」

 「…………」
 あまりのショックに目が点になったドリスだが、伯爵が……

 「わかったのかね」
 と、念を押すと、我に返って……
 「はい」
 と、小さく答えた。

 「よし、じゃあ今日のお仕置きはこれで終わりだ」

 ドリスは伯爵の立膝からは解放されたが、肩を落として、しお
しおと帰って行った。

 「厳しいんですね」
 ニーナがつぶやくと……

 「仕方がありませんよ。昔に比べればその権限は小さくなりま
したが、それでも依然として我々は為政者ですから身の処し方は
平民の人たちとは違います。軍に入れば今でも無条件に士官です
から、その信用に応えなければいけないわけです。……そもそも、
社交界での複雑な決まりごとや所作が、たった一打の鞭もなく、
子供に備わるとでもお思いですか」

 「そうですわね」

 「優雅に泳ぐ白鳥も、人の目に触れない水面下では必死に足を
バタつかせて泳いでいます。貴族もそれは同じ。ここは、貴族と
いう名の白鳥の水面下なんです」

 伯爵はさりげなくニーナの肩を抱くと、周囲にいる子供が恐怖
するそのドアをノックしたのだった。

********************(3)***

第11章 貴族の館(2)

             第11章 貴族の館

§2 次の間での出来事

 たちまち不安に襲われたカレンだったが……
 しかし、そんなモニカとまるで入れ替わるように、今度は幼い
女の子が一人、楽譜を持ってこの部屋に現れた。

 彼女はカレンの存在など眼中にないとでも言いたげに、椅子の
高さを調整し、譜面台に持ってきた楽譜を投げるように掲げると、
やおらピアノを弾き始める。

 『えっ!何よ、これって六時十四分じゃない』
 七歳の可愛らしい手が、自分の曲を奏でている。
 カレンは思わず笑顔になった。

 一曲弾き終わってたずねてみる。
 「あなた、お名前は?」
 
 「シンディ……お姉ちゃんは?」

 「カレン……カレン・アンダーソンっていうの」
 カレンは正直それに驚くのかと思ったが……

 「ふうん」
 彼女は鼻を鳴らすだけ。シンディにとっては作曲者など誰でも
よかったからだ。

 少女はカレンとの短い会話の後、譜面台から楽譜をひったくる
と、ピアノ椅子から飛び降りて南側のドアへ向う。そう、先ほど
モニカから、この先には勝手に入ってはいけないと言われたあの
ドアだ。

 彼女はそのドアの前に立つと、足踏みを始める。
 まるでトイレの前で順番を待っているようなせわしない仕草だ。

 『どういうことだろう?』
 カレンには意味が分からない。
 すると、シンディに気を取られているうちに、また、ピアノが
鳴り出す。

 『今度は男の子だわ。……これも、私の曲よね』

 そんな事を思っていると、ドアが開く音がする。
 慌ててそちらへ視線を移すと、南側のドアが開いて女中らしき
女の子がシンディを招きいれたのである。

 『あっ……』
 カレンは事情を聞こうとして、声を掛けそびれた。一足早く、
シンディはドアの向こうへ消え、ドアには内鍵の掛かる音がする。

 そこで今度は演奏している男の子に声を掛けてみたのだが……

 「ねえ、お名前は?」
 「……………………」
 「あなた、お歳はいくつ?」
 「……………………」
 「ねえ、さっき、ここにいた女の子、シンディっていうの……
お友だちなの?」
 「……………………」
 「あなたも、あのドアから中へ入るのかしら?」
 「……………………」
 カレンは少年にいくつか質問してみたが、何一つ答えは返って
こなかった。

 そして、演奏が終わり、彼が最初に口にしたのは……
 「おばさん、おばさんが変な事いうから途中で間違えちゃった
じゃないか。もし、呼ばれなかったおばさんのせいだからな」

 彼もまた、シンディと同じように楽譜を譜面台からひっぺがす
ように取上げるとそれを持って南側のドアの前に立った。
 あかんベーをしながら……それが彼の答えだったのである。

 『おばさんって……わたし、まだ16歳なのよ』
 そんな驚きもあったが、何より……
 『何よ、こんな練習でそこまで噛み付かなくてもいいじゃない』
 という怒りがカレンにもわいてきてお互いあかんベーをしあう
ことになったのである。

 ところが……
 そんな沸騰した頭を冷ます風が、カレンの後頭部から吹いた。

 「あなた、どなた?子供相手にやりあっても仕方がないと思い
ますよ」

 カレンが、その涼やか声に顔を赤らめて、後ろを振り返ると、
細面で髪の長い理知的な感じの美少女がたたずんでいる。
 彼女はカレンより身長が高くほっそりとしていたが、年恰好は
自分と同じくらいに見えた。

 「わ、わたしはカレン・アンダーソンと言います。今日は……
その……伯爵様のお招きで……」
 カレンはぎこちなく挨拶する。

 「私はシルビア=エルンスト。叔母様の御用でいらっしゃった
んでしょう」

 「……叔母?……さま……」

 「ええ、エレーナは私の叔母なの」

 「エレーナ?」

 「多くの人が、アンハルト伯爵夫人なんて呼んでる人の名前よ。
ちなみに、あなたがアカンべーしてた子は、カルロス=マイヤー。
先週はドアの中に入りそびれたら、ぴりぴりしてるのよ。許して
やってね」

 シルビアがそう言った直後、カルロス少年は最後のアカンべー
をしてドアの向こうに消える。

 「あそこのドアから中に入るのには何か意味があるんですか」

 カレンが素朴な質問をぶつけると……
 「サラ、あなた、アンダーソンさんに説明しなかったの?」
 シルビアはまず若い女中を叱りつけた。そして……

 「でも、訊ねられませんでしたから……」
 という答えを聞くと……
 「相変わらず気が利かないのね。そんなことだからお父様から
鞭をもらうんでしょう。……ま、いいわ、私が説明するから……」

 お嬢様はこうしておいてから、カレンに説明を始めたのである。

 「あの子たちは今日がピアノのレッスン日なんだけど。みんな
いやいややらされてるピアノだから、中にはろくに課題曲を練習
してない子もいて、それをこのピアノでチェックしてるのよ」

 「じゃあ、不合格だったら……」

 「ピアノの代わりに別のレッスンが待ってるわ」

 「別のレッスン?」

 「お仕置きよ。オ・シ・オ・キ。鞭でお尻を1ダースくらいは
ぶたれるわ。だから、ここで弾くピアノは真剣なの。見ず知らず
のおばさんの質問になんか答えてる暇はないってわけ」

 「じゃあ、わたし、悪いことしちゃったんですね」

 「大丈夫よ。カルロスのやつ、向こうに消えちゃったから……」

 「あなたもここでピアノを弾くんですか?」

 「そうよ、ここではこれが部屋の鍵みたいなものなのだから。
絶対になくさない安全な鍵よ。だって、これだと、他人が誰かに
成りすますなんてこと、できないもの。あなたなら出来るかしら?
他人とまったく同じ音色のピアノ?」

 「無理です」

 「そうでしょう。私も同じ。似せることはできても、やはり、
ピアノって聞いていれば誰が弾いているかわかるもの。……不正
はありえないわ」

 彼女はそれだけ言うと、椅子の高さを調整してピアノに向った。

 美しい『月光』だった。彼女にしか弾けない、彼女の『月光』
だったのである。

 『私も、弾かなくちゃ。……でも、私はどうなるんだろう。…
…やっぱり、ドアは開くのだろうか』
 シルビアがドアの向こうへ旅立った後、ちょっとした実験気分
で、カレンもまた、ピアノを奏で始めた。

 同じ、『月光』を……できる限り、シルビアのピアノに似せて。

**************************

 すると……
 ものの五分とたたないうちにドアが開いた。

 『やったあ、私のピアノは合格ね』
 つまらない自己満足に顔がほころぶ。
 カレンは、そこに女中さんが立っている姿を想像したのだが…

 『!』
 それまでとは違い、ドアが全開すると、そこに現れたのは……

 『伯爵夫人!!』

 「お待たせしましたね」
 車椅子に乗った彼女は両脇に従者を従わせている。
 右側はフリードリヒ現当主。左側には清楚な中年女性が、……
それぞれ脇を固めていた。

 「……(!!!)……」
 思わぬ展開に慌てたカレンはピアノをやめてしまうが……

 「続けて頂戴な。あなたのピアノが聞きたいわ。そのために、
わざわざお呼びしたのですもの」
 彼女はそう言って車椅子をピアノのすぐそばまで近づけさせる。

 そして、カレンが再び鍵盤を叩き始めると……

 「どうかしら?クララ。あなたのお見立ては?」

 「確かに、ルドルフ坊ちゃまに奏法によく似ておられます。…
…正直、私もさっきお部屋に流れた瞬間、ドキッとしましたから
……」

 「私はね、フリードリヒ。この子が何者であっても構わないと
思ってるの。……わかるでしょう」
 伯爵夫人は意味深に息子に語りかける。
 その意図は伯爵も承知しているようだった。


 こうして、カレンが月光を弾き終わっる頃、辺りが少し賑やか
になる。
 シンディやカルロスだけではない、クララ先生のレッスンを受
けなければならない子供たちがここに集まってきていたのである。

 「ちょうど、レッスンの日に重なってしまったわね。いいわ、
私は部屋に戻ってるから……フリードリヒ、あなたカレンさんを
連れて、しばらく館の中を案内してあげて」

 伯爵夫人が命じると、息子は『えっ!?』という顔になったが、
すぐに笑顔に戻って、カレンの手をとる。

 「お嬢様、どちらをご覧になりたいですか?」

 赤面するカレンの手をとってフリードリヒはいったん館の外へ
エスコート。まずは、ニーナのいる薔薇園へと、カレンを連れて
行ってくれたのだった。


 ニーナは土いじりさえしていれば機嫌のいい人。だから、この
時もすこぶる元気な笑顔で二人を迎えてくれたのだ。

 「どうしたの?カレン。もう、終わったのかしら?」

 「いいえ、ちょっと、小休止です。先生は相変わらず楽しそう
ですね」

 「ええ、私は草花に話しかけてる時が人生で一番楽しい時なの」

 「お花が口をきくんですか?」
 青年ご当主が皮肉交じりに尋ねても……

 「もちろん」
 ニーナは鼻をならす。
 「草花だけじゃありませんのよ。動物も、もちろん人間も……
その人の為を思って仕事をしていると、やがて、その人が知らな
い事までも知るようになるんです。……それって、口の利けない
植物や動物、赤ちゃんたちが口を利いたのと同じでしょ」

 ニーナは得意げに話したあと、思い出したように……
 「そうだわ、こちらの修道院の中庭に、新種の薔薇が咲いてる
ってうかがってるの。見る事できないかしら?」
 お館様におねだりした。

 すると……
 「いいですよ」
 と、意外にも二つ返事でOKが出る。

 「よろしいんですか?」
 恐縮そうにニーナが言うと……
 「あそこは、もともと我が家で建てた修道院ですからね、その
くらいの融通はききますよ」

 「そうですか、では、その昔は、お姫様もあそこで?」

 「ええ、百五十年以上も昔のことですけど……当時は修道院を
建てて娘をそこの修道女にすることは家の誇りだったんです」

 「どういうことですか?」
 二人の会話が分からないカレンが訊ねた。

 「昔の領主様は、ご自分の娘のために修道院を建てて、そこに
娘さんを入れて躾を兼ねた教育をしてたの。当時、学校と呼べる
のは大学だけで、その年齢までは、男の子なら自宅で家庭教師に
習うとか、ギムナジウムに入るとかするんだけど、女の子の場合は、
適当な教育機関がなかったから、修道院がその代わりになってた
ってわけ」

 ニーナの丁寧な説明にフリードリヒが補足する。

 「今は、学校の形式になってますよ。修道院付属の学校です。
少なくとも私のお爺さんの代からは、ずっとそうです。ですから、
僕の親戚関係の女の子は、たいていこの学校で学びました。……
すこぶる評判は悪い処ですけどね」

 「評判が悪い?……どうしてですか?」

 「だって、修道院の尼さんたちは浮世を捨てた身ですらどんな
厳しい戒律でも受け入れる心の準備が出来ているでしょうけど、
甘やかされて育った僕達にはそんなの関係ありませんからね……
一方的に厳しい規則を押し付けられて、鞭で脅されたら、そりゃ
いい気持なんてしませんよ」

 「伯爵様もあの学校に入られたことがおありですの?」

 「ええ、9歳までは男の子も受け入れてましたから……週末の
懺悔の時間なんて、ほとんど毎週、鞭でむき出しのお尻を叩かれ
てました」

 「まあ、お可哀想に……」

 「もちろん手加減はしますよ。何しろ相手はプロですからね、
泣かないで堪えられるギリギリの強さでぶつんです」
 伯爵はにこやかに笑ったが、そのうち、思い出したように……

 「そうだ、今日はちょうど懺悔の日だから、そこへ行ってみま
しょうか」

 伯爵の提案にカレンは乗り気ではなかったが……

 「本当ですか!?」
 ニーナの声は妙に明るかった。
 「でも、私たちのような者が立ち入ってもよろしいんでしょうか」

 「(はははは)構いませんよ。どんなに高貴な令嬢も学校では
教育を受ける身。一人の咎人のお尻でしかありませんから。誰が
見ていても拒否はできません。それが嫌なら、自宅で家庭教師を
つけて勉強していればいいんです」

 大人たちの中で話がすすんでいく。
 すると、ここで、カレンはあることを訊ねた。

 「そこは本当に9歳までの男の子しかいないんでしょうか?」

 「そうだよ。男の子の場合、それから先は全寮制の学校で暮ら
さなきゃならないからね。どうしてそなにこと聞くの?」

 「いえ、べつに……」
 カレンは、それを確認してちょっぴりほっとする。

 現代の女の子には理解不能だろうが、男性に免疫のないカレン
は幾分男性恐怖症のところがあった。
 別に男性が嫌いなわけではない。男性に憧れだって持っている。
でも実際に会うと、心臓がどぎまぎしてしまう。自分のやりたい
事が何一つもできなくなってしまう。そんな自分が恥ずかしいか
ったのだ。

 もちろん、ブラウン先生のように親しくなってしまえばよいの
だろうが、それまでにはけっこう長い時間がかかってしまうから
『男性は苦手』ということに……

 ただ9歳までなら、それは男性ではなく子供としてみてしまう
為、たとえできそこないの心臓でも許してくれるようだ。

 「それにしても、10歳から親元を離れなきゃならないなんて、
殿方はやはり大変ですわね」
 ニーナが同情すると……

 「でも、従兄弟たちに言わせると、さっさと独立できる男の子
は羨ましかったって…ここは何かと規則が厳しくて、女の子にも
平気で鞭を振るいますからね、大変だったんでしょう」

 「まあ、そんなに厳しいんですか?」

 「女の子の世界には表と裏の顔があるみたいです。貴族の一員
として優雅に振舞うその裏には厳しい訓練があるということです
よ」

 「とかく隣りの芝き青く見えると申しますものね」

 「そうだ、先生はあちらでは校長先生だとか…子供達に懲戒も
なさるんでしょう?」

 「ええ、まあ……」

 「だったら、ちょうどよかった。今、生徒が懲戒を受けている
ところですから、よかったらご覧にいれましょう」

 「えっ、でも、よろしいんですか?」

 「ええ、私の家が管理する学校ですから、それはどうにでも」

 「では、お願いします」
 ニーナは伯爵にあっさりお礼を言ったばかりではなく……
 「カレン、あなたも、そう遠くない将来、子供たちをお仕置き
する立場になるのよ。見ておいた方がいいわ」

 「えっ……私も一緒に?」

 カレンはお仕置きの見学なんてあまり乗り気ではなかったが、
ニーナに引きずられるようにして、伯爵家が経営する修道院学校
へと向ったのだった。

*******************(2)***

第11章 貴族の館(1)

          << カレンのミサ曲 >>

            第11章 貴族の館

**********<登場人物>**********

<お話の主人公>
トーマス・ブラウン<Thomas Braun>
……音楽評論家。多くの演奏会を成功させる名プロデューサー。
カレン・アンダーソン<Karen Anderson>
……内戦に巻き込まれて父と離ればなれになった少女。
ニーナ・スミス< Nina=Smith >
……先生の家の庭師。初老の婦人。とても上品。でも本当は校長
先生で、子供たちにはちょっと怖い存在でもある。

(先生の<ブラウン>家の人たち)ウォーヴィランという山の中
の田舎町。カレニア山荘

<幻のピアニスト>
セルゲイ=リヒテル< Sergei=Richter >/ルドルフ・フォン=ベール(?)
……アフリカ時代の知人。カレンにとっては絵の先生だが、実は
ピアノも習っていた。

<アンハルト伯爵家の人々>
アンハルト伯爵夫人<Gräfin Anhalt >/(名前)エレーナ<Elena>
……先々代伯爵の未亡人。現在は盲目。二人の男の子をもうけた
が兄ルドルフは戦争後行方不明。弟フリードリヒが現当主。
ルドルフ戦争で息子を亡くした盲目の伯爵婦人
フリードリヒ・フォン=ベール< Friderich von Bär >
……ルドルフの弟。母おもいの穏やかな性格。現当主。
ルドルフ・フォン=ベール
……伯爵家の長男。今のナチスドイツに抵抗するのは得策でない
と協力的だったため戦犯に。戦後は追われる身となり現在は行方
不明。
ラックスマン教授<Professor Laxman>
……白髪の紳士。ロシア系。アンハルト家に身を寄せている。
モニカ=シーリング<Monica=Ceiling >
……伯爵家の秘書兼運転手。家の裏の仕事にも手を染めている。
シルビア=エルンスト< Sylvia= Ernst >
……伯爵夫人の姪。15歳。お嬢様然としている。
ドリス ビューロー< Doris=Bülow >
……おちゃめな12歳、フリードリヒ(現当主)の姪。
クララ=クラウゼン< Clausen=Clara >
……伯爵家のピアノの先生。中年の婦人だが清楚。
シンディ=モナハン< Cindy=Monaghan >
……7歳のピアニスト。
カルロス=マイヤー< Carlos=Mayer >
……10歳のピアニスト。
サラ< Ssrsh >
……控えの間の女中。

****************************

            第11章 貴族の館

§1 最初の土曜日 

カレニア山荘に戻って三日目。
 その日は土曜日、アンハルト伯爵夫人との約束の日だった。

 学校の授業を早々に切り上げて山荘に戻り、昼食をとってから、
若干おめかしをした姿で食堂を通りかかると、ちょうど、そこで
昼食を取っていたアンたちに呼び止められる。

 「ねえ、カレン。伯爵様にお会いするんでしょう、そのワンピ
じゃちょっと地味じゃない。せっかくの機会なんだからお父様も、
もうちょっと奮発すればいいのに……」

 「そうなの?……いけない?」

 「だって、それって普段着って感じよね」

 アンが残念そうに言うから、カレンが反論する。
 「でも、これ、おニューなのよ。お義父様に買っていただいた
の。せっかくの機会だから奮発したっておっしゃってたわ」

 「へえ~、それで?」
 アンが懐疑的にその袖に触れると、物珍しいのか他の子供たち
も集まってくる。

 「昔の貴族は、服に限らず家具でも調度品でもとにかく自分の
使っていたものを臣下に払い下げることが多かったから、その時
になって流行遅れになってしまうと、自分が恥をかいてしまう事
になるから、身分のある人たちは流行を追ったものより、飽きの
こないシンプルなデザインを好むんですって。その代わり、流行
に関係のない素材や仕立てなんかにはお金を惜しまないそうよ」

 「へえ~、そういうものかなあ。私たちにはわからないわね。
そうだ、せっかくお屋敷へ行くんだもん、写真撮ってきてよ」
 アンがどこで調達したのか古いカメラを手渡す。どうやら呼び
止めたのは、これが目的だったようだ。

 「だめよ、そんな……今日初めて行くのに……観光地じゃない
んだから……」

 「昔はともかく、今は立派な観光地よ。だって、あそこのお城、
入場料を取って観光客に公開してるって、お父様おっしゃってた
じゃない」

 「だって、それって、もともと公の場所だったんでしょ。私が
行くのはお住まいだもの」

 「いいじゃないの。あなた伯爵夫人のお気に入りなんでしょう」
 「そうよ、私たちもどんなお屋敷か見てみたいもの」
 「だめだって言われたら、その時やめればいいじゃなか」
 「そうだよ、それくらい持って行っても怒られないよ」

 女の子ばかりじゃなくフレデリックやリチャードからも頼まれ
ると、とうとう断れなくて、仕方なく……。
カレンはせっかくドレスアップした胸元にハーフのカメラを首
からぶら下げてニーナ・スミスと出発するはめになったのである。

************************

 山を降りるまではいつもの馬車。ただ、駐車場に止まっていた
のは戦車かと思うよな、がたいの大きな高級車だった。

 「お待ちしていましたよ」
 カレンたちに気がつくと運転手がさっそく下りて来て後部座席
のドアを開けてくれる。
 それは、過日、伯爵に拉致された時の運転手、モニカだった。

 「あら、カメラ?…でも、伯爵様のプライベートは取れません
よ」
 モニカが注意し、カレンも『やっぱり』だったのだが……
 その時、車内から声がした。

 聞き覚えのある声。
 「どうしたの?何かあったの?」

 「お嬢様がカメラをお持ちだったので、ご注意したまでです」

 『伯爵様、わざわざここまで来たんだ。…お嬢様って何よ?…
それって、私のこと?』
 カレンは思った。

 「カメラ?……別にかまわないわよ。撮りたいだけとって……
あなたが現像して、ふさわしくない物が映っていたら、それだけ
取り除けばいいでしょう。そんな些細な事で目くじらを立てない
で頂戴。そんな事より早く出発しましょう。私、待ちくたびれた
わ」

 伯爵夫人は車内に二人を招きいれる。
 「お招き、ありがとうございます」
 カレンがそう言って後部座席を覗き込むと……
 「そんな他人行儀な挨拶はいらないわ。さあ、乗って頂戴」

 後部座席は三席。体の小さな女性なら両脇に拳大のスペースが
残るほどその車の座席は広かった。

 『わあ、楽チンだわ』
 カレンは素直に思う。
 右側に伯爵夫人、真ん中にカレン、左側にニーナスミスが腰を
下ろすと、さっそく出発。

 あの日と同じだった。
 制限速度など関係ないとばかりにもの凄いスピードで田舎道を
疾走する。

 その間、伯爵夫人は寡黙にしていたが、カレンの右手に自らの
手を添えたまま、そこは動かさなかったのである。

*************************

 館に着いた三人はいったんそれぞれ別行動になった。
 伯爵夫人はお付の人とどこかへ消えてしまい、ニーナは薔薇園
へ向う。そして、カレンは広間へと案内されたのである。

 厚いペルシャ絨毯の海を進み、ロココ調のソファに腰を下して
カレンはあたりを見回したが、そこにピアノはなかった。
 その代わり、何人もの女性たちが待ち構えいる。

 『誰なんだろう、この人たちは?女中さんではなさそう……』
 カレンは彼女たちの視線が自分に向けられている事に気づいて
ちょっぴり不安だった。

 そこへモニカがやって来て、一言。
 「いいわ、始めて頂戴」

 これで、女性たちが一斉に動き出す。
 ようやく回ってきた仕事の時間を惜しむようにてきぱきとこな
すのだ。

 「それでは、お嬢様。お立ちいただけますか?」

 カレンは女たちの一人に丁寧な言葉で椅子から立たされると、
首に掛けていたメジャーで、体のサイズをその隅々まで計測され
始める。

 『どういうことよ?わたし、ピアノを弾きにきたのよ?』
 カレンは訳が分からずモニカを探すと……

 彼女は彼女で、この女たちの中にあっては最もカラフルな衣装
に身を包んだ女からスケッチブックを差し出されて、それを見て
いた。

 「こんな感じになりますが……」

 「そうねえ……もう少し胸元のラインは丸みがあった方がいい
わね。こんなふうに……」
 モニカはスケッチブックに鉛筆で何やら書き加えている。

 「襟のレース柄はいかがいたしましょう」

 「それには迎え獅子の家の家紋をあしらってちょうだい」

 「モールの方は……」

 「それはいらないわ。これは普段着だから……」

 二人の終わらないやり取りに、カレンは声が掛けられないまま、
立ち尽くす。
 そうこうしているうちに、今度は、別の女が反物を持ってきて
カレンの肩口から流す。

 「いかがでしょう」
 そう言って尋ねているのは、この女達の中にあっては一番若い
娘だった。
 18くらいだろうか、まだカレンとそう歳が変わらないように
見える。

 その姿をモニカが遠くから見て……
 「他のも見せて……」

 彼女は、次から次へ色んな柄の反物を要求する。

 そして……
 「やはりさっきの藍色のチェック柄がよかったわ。若い娘は、
かえって少し渋い目の色使いの方が晴れるのよ。……それと……
そうそう、水玉があったでしょう。あれも可愛かったじゃない。
……あと、……そうね……あなたの見立ては……」

 「このような黄色もよろしいかと……」

 「あっ、いいわね、黄色は難しい色だけど、それなら、下品に
ならなくていいわ。その花柄。それもお願いするわ。とにかく、
三着は急ぎのお仕事よ。来週は仮縫いして二週間後には仕上げて
頂戴。頼んだわよ」

 モニカは女たちにてきぱきと指示を出し続けていたが、やっと
落ち着きを取り戻したカレンが口を開く。

 「あのう、何をなさってるんでしょうか?」

 すると、モニカは笑って……
 「何って、分かるでしょう。あなただって女の子なんだから…
…あなたのお洋服を作ってるのよ」

 「これじゃ、いけませんか?」
 今、着ている服を少しだけ引っ張ってみると……

 「いけなくはないけど、これは伯爵様のご命令なのよ。ピアノ
を弾く時の為の服を作れって……今、着ているその服は、きっと
お義父様に買っていただいたものでしょう?………可愛いわよ。
とっても……」

 「えっ……」

 「でも、伯爵様は、ご自身で作った服を着てあなたにピアノを
弾いてもらいたいのよ」

 「それって……ひっとして、私が、伯爵様の孫だと思われてる
からですか?」

 カレンが思い切ってそのことに触れると、モニカは逆にその事
にはクールに答えた。

 「知らないわ、そんな事。私は伯爵様のもとで働いているから、
その指示に従ってるだけよ。………そんなことより、ピアノ室が
あるから来て」

 モニカはカレンを案内して広い屋敷の中を歩く。

 すると、大きな窓越しに薔薇園が……
 そこにニーナ・スミスが見えたので、声を掛けようとしたが、
すでに沢山の子供たちに囲まれて、何やら楽しそうにしているの
で、ついつい遠慮してしまう。

 「たくさん子供たちがいるんですね」
 カレンが訊ねると……

 「修道院の子供たちなの。シスターの子供たちよ」
 「シスターの?」
 「誰だって間違いは起こるわ。でも、神の子を殺すことはでき
ないでしょう。だから、修道院で育てるの。……将来は修道士か、
修道女よ。今は自由時間だからここへ来てるの。普段は修道院の
中に寮と学校があってそこで暮らしてるわ」

 「孤児?」

 「当然、そういうことになるかしらね。……少なくとも母親は
分かってるけど、誰かを告げられることはないわ。あなたと同じ」

 カレンが少し複雑な顔になったのでモニカは慌てて打ち消した。
 「ごめんなさい、あなたは、違うわね」

 「いえ、そうじゃなくて……うちも事情は同じだから……」

 「そんな事ないわ。ブラウン先生の処は恵まれてるじゃない」

 「どうして?」

 「子供たちの数も多くないし、全てに行き届いてる感じがする
もの」

 「家に来たこともないのに、そんなこと分かるんですか?」

 「分かるわ。実はあなたを待っていた時、駐車場に子供たちが
遠足で降りて来てたけど、まるで天使が歩いてるみたいに明るい
笑顔だった。あれは人に愛されてないと出ない笑顔ね。ブラウン
先生って、きっと子供好きなのね。癇癪起こしてぶたれたなんて
ことないでしょう」

 「そんなことないわ。家じゃ毎晩誰かしらが悲鳴あげてるもの」

 「でも、それは、お仕置きでしょう?」

 「そりゃあ、一応、大義名分はあるけど……」

 「だったらいいじゃない。子供にお仕置きはつきものよ。逆に
それがないようならいい子は育たないわ。あなたは?」

 「えっ、……」
 突然振られてカレンは戸惑う。
 その戸惑いを察して……。

 「あるのね。……」
 モニカはカレンの顔を悪戯っぽい笑顔で覗きこむと……
 「羨ましいわ。その歳になってもお仕置きしてくれる人がいる
なんて……」

 「羨ましい?」
 カレンはその言葉にさらに戸惑ったが、気を取り直して、こう
質問してみた。

 「ここでも、お仕置きってあるんですか?」

 「あるわ。ここの場合はお仕置きって言うより、体罰ね」

 「お仕置きと体罰って違うんですか?」

 「お仕置きは愛している人が愛を授ける儀式だけど……体罰は
単なる管理上の処置だからそこに愛なんてなくても成立するの。
家は子供の数は多いのにそれに見合うだけの保護者がいないから
体罰は管理上必要なのよ」

 「でも、みんな笑顔じゃないですか」

 「あれは、大人達が『こんな時は笑うもんだ』って教えるから
笑ってるだけ。愛のないところで育てられた子は心がすさんで、
心の底から湧いて来る本当の笑顔が出てこないの。……あれは、
言ってみれば演技なのよ」

 「…………でも、私のところだって、お仕置きの域は超えてる
くらい厳しいですよ」

 「行為の問題じゃないの。愛されてるか、愛されていないか、
それが問題なの。愛されていれば少しぐらい厳しいことされても
耐えられるけど、愛されていない人からは、頭を撫でられるだけ
ても不快なものよ」

 「…………」

 「あなたが、どんなに厳しいお仕置きを受けた知らないけど、
今、こうして穏やかな顔でいられるのは、あなたがブラウン先生
を愛している何よりの証拠。……違う?」

 「……そ、そうかもしれません」
 カレンは小さな声で恥ずかしそうに答えた。
 すると……

 「あら、いやだ、私、こんなことで時間を潰してしまったわ。
早く行かなきゃ。さあ、一緒に来て、ご主人様がお待ちかねよ」

 モニカは腕時計を確認すると、慌ててカレンの手を引き、その
場を離れたのである。

**************************

 モニカがカレンを連れて来たのは、20畳ほどの部屋だった。
 厚い絨毯、遮音性の高いカーテン、ガラスはステンドグラスで
部屋全体が軟らかな光彩に包まれている。ガラスが厚いためか、
静かなお屋敷の中でも取り分けて静かに感じられた。

 東の壁際に年代物の事務机、壁には彫刻まで施した作りつけの
書棚がある。誰かの書斎だったのだろうか……
 そんな中、中央にポツンと古めかしいピアノが置かれていた。

 「少し、暗いわね」
 モニカがスイッチを入れると、天井のシャンデリアが輝いて、
少し薄暗くて陰気なこの部屋も穏やかに息をし始める。

 それまで気づかなかった壁の高い位置に掛かった肖像画たちが
カレンを迎える。
 それは歴代当主のものだろうか。どの顔も威厳があって沢山の
勲章で胸を飾っている。……立派なお姿だが女の子のカレンには
怖ささえ感じるほどだった。

 『ルドルフ=フォン・ベール』
 そこにはルドルフ・フォン=ベールの名前も……。

 『こんな、いかつい人じゃなかったわ。優しいおじさんだもん』
 カレンは思った。

 「カレン。ここが我が家の控えの間なの。……あなたは、毎週
土曜日、ここへ来て、このピアノを弾くことになるわ」

 「伯爵夫人は?」

 「たいていは奥の部屋にいらっしゃいます。でも、もしご用が
おありの時は、お付の者を通してお呼びになりますから、その時
は、あの南側の扉から顔を出す案内役の子に着いて奥へあがる事
になるわね」
 モニカは南側にある扉を指差した。

 『なあんだ、大人たちが話しているのを聞いてるとまるで伯爵
夫人のお側でピアノを弾くもんだとばかり思ってたら……こんな
ことなのね。でも、これなら、こちらも気楽でいいわ』
 カレンはモニカの言葉をこんなふうに勝手に判断したのだ。

 「伯爵様のご都合はどうなるかわかりませんが、あなたの方は
二時間の間、ここに留まっていなければなりません。……それと、
通常、あのドアには鍵が掛かってますけど、勝手に中へ入っては
いけません。あの先は伯爵家のプライベートエリアですから…」

 「はい、わかりました。…でも、私、ここで何曲ぐらい弾けば
いいんですか?」

 「それは自由よ。あなたの気分次第でいいの。…弾きたければ
何曲弾いてもいいし、弾きたくなければ一曲も弾かずに帰っても、
誰も文句は言わないわ」
 モニカはそこまで言うと、いつからそこにいたのかまだ十代の
可愛らしい少女を手許に呼ぶ。

 「この子はサラと言ってこの部屋専属の女中なの。分からない
事はこの娘に聞いてね」

 こう言うと、ニモカが帰ろうとするもんだから……
 「えっ、帰っちゃうんですか?」
 と訊ねると……

 「私の仕事はここまでよ。あとは頑張ってね」
 そう言い残して、彼女は部屋を出て行ってしまったのである。

*********************(1)****

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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