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<第1話>③

 というのもこの晒し台は窮屈なベッドサイズのラックで女の子たちを
ここへ仰向けに寝かせて両足を高く上げたまま括り付けてしまう晒し台
だったんです。つまり女の子たちは赤ちゃんがオムツを換える時のよう
な姿勢を強制的に取らされているわけで、当然、女の子の一番恥ずかし
い処はすべて丸見えなんです。
 そう、お父さんたちが大好きなご開帳というやつです。
 ただ、僕の感想はお父さんたちとは少し違っていました。
 『ばっちいなあ、もし、うんこしたらどうするんだろう』
 僕の正直な感想です。そんなわけで通常は通りしなに哀れみを込めて
女の子を横目でちらっと見る程度でした。ですが、時にそうもいかない
事もあります。
 ある時、保健の桜木先生が男の子や女の子たちを集めて、この可哀想
な女の子の身体を使って女の子の体の構造レクチャーし始めたんですよ。
(∩.∩)
 「ここがおしっこをする穴、ここがうんち、そしてここから赤ちゃん
が出てくるの」
 つまり、実地の性教育。性教育では絵や写真より実物を見るのが一番
確かですからね…(^^ゞ
 この時ばかりは、さすがに可哀想な女の子だけどばっちい処を全部、
それも細部にわたって見ないわけにはいきませんでした。何しろ、授業
なんですから。(^○^)
 凄い処(◎-◎;)でしょう。
 ここは何事によらず隠し事が一切だめなんです。子供たちは大人たち
の前では身も心もみんなオープンでないといけませんでした。とにかく
立場はみんな赤ちゃんですからね。恥ずかしいなんて言っても大人たち
は相手にしてくれませんでした。
 ただ、あのぐちゃぐちゃに関しては、僕にはあまり気持ちのいいもの
ではありませんでしたから、必要最小限だけ見て、後はできるだけ目を
そらしていました。
 今にして思うと実に惜しいことをしたと思うばかりです。(^◇^)
 こんなこと書いてると何だか女の子だけ虐待されてた見たいですが、
事情は男の子も同じでした。僕だって、女の子の性教育のために何度か
貢献したことが何度かありましたから。(^^ゞ
 彼女たちって結構エッチで、僕の大事な物を割り箸で摘んだりしたん
ですよ。そして、オチンチンやオチンチン袋の裏側なんかもしげしげと
観察。何がそんなに面白いのかやたらキャッキャキャッキャと喜んでい
ましたっけ(^^ゞ
 僕たちにとって裸ん坊は裸ん坊。それだけなんです。もう幼い頃から
何かあるたんびに大人たちから裸にされて赤ちゃんにされて育ってきま
したからね、裸ん坊さんも僕たちにとっては生活の一部だったんです。
 もちろん『変な感情がわいた』なんてことは11歳頃になっても一回
もありませんでした。信じてもらえないみたいですけど、本当ですよ。
(^◇^;)
 僕たちは閉鎖された空間(亀山愛育園)で物心つく前からずっと一緒
に暮らしていますからね、みんな仲良し。男の子だからか女の子だから
はあまり関係ないんです。お互い空気みたいなもので、大切な存在なの
ですが、そばにいても何も気にならないほど当たり前の存在でもありま
した。
 ある夏の日、みんなで川遊びをしていたら一人の女の子がすっぽんぽ
んで泳ぎ始めたんですよ、すると他の子まで一緒になって……でも男の
子だけが一人恥ずかしがってるとみんなでその子のパンツを脱がしちゃ
ったんです。
 こんなお話ばっかりですけど、ここはそんな処でした。大人たちから
常に赤ちゃんのようにして育てられましたし、性に関する情報も外から
は一切入ってきませんからね小学五年生といっても巷の子のような大人
びた感覚は何一つ持ち合わせていませんでした。
 クラスメートはみんなそうだったと思うのですが、11歳の頃って、
ただただママに甘えたい。先生に認められたい。お義父様やお義母様に
可愛がられたい。それだけ考えていた日々だったような気がします。
 でも、それで十分に幸せでした。
 えっと?どこまで話しましたっけ?……とりとめなくお話ししている
ので自分でも分からなくなってしまって(^^ゞ 
 ああ、そうそう、朝、美津子ちゃんがお馬に乗ったことでしたね。
 あ、あれ、どうやら美津子ちゃんがママの目を盗んで家を抜け出てき
た事に原因があるみたいです。僕だってそうですがママとは本物の赤ん
坊の時からの長い付き合いですからね、『どうやら、お仕置きを考えてる
な』なんてことはすぐにピンとくるわけです。そんな時は『お仕置きを
宣言される前に朝のどさくさに紛れて学校へ逃げ込むに限る』と美津子
ちゃんはそう考えたみたいでした。
 ところが、結果は大外れ。美津子ちゃんのママが谷村先生に学校での
お仕置きを頼んじゃったというわけなんです。
 普通の家庭だとたとえそんな事ができたとしても外聞なんか気にして
担任の先生に我が子のお仕置きを頼むなんてあり得ないんでしょうけど、
ここではそれも有りなんです。
 愛育園では金曜日の夕方に『懺悔の会』というのがあって小学4年生
以上の子が全員この一週間の悪さを神父様の前で懺悔しなければならな
いのですがその資料を提供するのはその子のママや学校の先生でした。
しかもそこには『革鞭1ダースお願いします』とか『お浣腸でしっかり
懲らしめてください』なんて恐ろしい言葉が添えてあったりするもんで
すから子供たちにとっては戦々恐々。一週間分の日記を読み直して叱ら
れそうなことは覚えてから神父様のいる個室に入るのですが、たとえ、
その一週間とりたてて悪事を働かなかったつもりの時でも心臓が口から
飛び出しそうなほどの緊張感でした。
 あれ?またお話しがそれてしまったね。ゴメンナサイm(__)m
 それでお馬から下りた美津子ちゃんは、最後に谷村先生とその後ろに
掲げてあるマリア様の絵に『お義母様の鏡にイタズラ書きをしてごめん
なさい』を五回言って許してもらいました。
 いえ、1回でもいいんですけど谷村先生が「声が小さくて聞こえない
から」とか「心がこもってなかった」とか色々難癖をつけて何度もやら
せるんです。実際1回で合格する子は希でした。
 今は授業の始まる前だったので5回くらいですみましたが、放課後、
僕が呼ばれた時なんか20回もやらされて、最後はべそをかいて帰った
記憶があります。
 これだって立派なお仕置きなんです。
 あっ、それから…こうして懺悔する時はポーズが決まっていて、床に
膝をついて両手を胸の前で組んで『とってもとってもゴメンナサイ』と
いう顔をして懺悔するんです。
 ここでは乙女の祈りなんてロマンチックな名前がついてましたけど、
やられてる当人はちっともロマンチックじゃありません。
 『また、やり直しさせられるじゃないか』
 『また、ぶたれるんじゃないか』
 って、不安で膝がガタガタ震えていたものなんです。
 ははは、もういい加減このお話しはやめましょう。(^^ゞ
 で、その日もこの後、当然授業になったんですが、1時間目の国語と
2時間目の算数は苦手でした。別に劣等生というわけじゃないんですが、
とにかく退屈なんです。今は先生方が色々授業のやり方を工夫しておら
れるみたいでどの子も楽しそうですが、僕が小学生だった頃は知識偏重
の詰め込み教育でしたから、授業自体がつまらなかった上に僕のママが
真面目な人で予習や復習を家でばっちり教えてくれますから教室で座っ
ていても新たに教わる事がほとんどないんです。つまり授業を聞いてい
ても新たな感激がないわけです。ですから、成績が悪いわけではないの
ですが、正直言って授業の40分間が苦痛で苦痛でなりませんでした。
 おまけに、さっきちょっびっと書きましたけど、授業中は助教師の先
生が授業の分からない子のために教室を廻っています。そして、もしあ
くびをしたりよそ見をしたりている子を発見すると、眠気覚ましに近く
に置かれた燭台を持ちだして…
 「まだ、ネンネは早いわよ。お手々を出してごらんなさい。目を覚ま
してあげるから」
 となります。こう言われたら逆らうことや言い訳はできませんでした。
そして右手を出すと、その手をしっかり押さえられて甲の処に白い蝋が
ぴちゃんと一滴。
 「熱っ!」
 もちろんお灸ほど強烈じゃありませんでしたが、小さい体にはとって
も衝撃的な熱さで、この為か授業はとっても張りつめた空気の中でおこ
なわれていました。
 今の賑やかで楽しい授業が羨ましいです。
 ま、国語と算数はこんな感じでしたが他の教科は僕らの時代でもけっ
こう楽しかったです。
 理科は実験や観察が中心でしたし、社会科は自分たちで資料を調べて
レポートを書いたり地図作りをしたり社会科見学では色んな工場や街の
様子を見て回ることも多くて施設の外へあまり出られない僕たちにとっ
てマイクロバスで巡る社会科見学は遠足と同じくらい楽しいリクレーシ
ョンの一つでした。
 あとは図工。これも色んなことをしました。粘土での彫塑やクレパス、
水彩、油彩、お皿に絵付けしたり、ロウケツ染め、はてはログハウスな
んてのも作っちゃいました。……おそらく普通の学校より多種多様な事
をしていたと思いますよ。というのも、おのおののお義父様お義母様が
色んな趣味をお持ちで、その方々がこぞって子供たちを指導してくださ
ったんです。そのあたりは恵まれていました。
 それと音楽。これだって事情は同じです。多くのお義父様やお義母様
がやはり先生でした。ピアノやヴァイオリンといったポピュラーなもの
はもちろんフルートやハープ、チェロお琴や三味線なんてのもあります。
しかもこれに合唱の練習もありますから午後の二時間は必ず音楽の為に
用意されていました。
 あっそうか、これも言っておかないといけませんね。僕たちの午後は
この音楽と図工それに体育で占められていてそれは部活動みたいなもの
だったんですが授業として行われる時もあって、部活動と授業の境目が
あまりはっきりしていませんでした。
 それだけじゃありません。そもそもこの学校はお家との区別そのもの
が曖昧だったんです。僕の感覚で言えば学校はお家のお庭の延長でした。
おかげで、どの子も学校から帰るのはたいてい夕方。幼稚園児のような
幼い子も同じでしたが、お家が恋しいということはありませんでした。
 だって、お家に帰ってもママはいませんから。その代わり、ママが恋
しくなると小中学校にママを探しに遊びに来ていました。そんな時でも
ママたち(=先生たち)は優しくて、怒って追い返すなんてことはしま
せんでした。
 そんな僕たちが家に帰るとまずお風呂。信じられないかもしれません
けど赤ちゃん扱いの僕たちは自分で自分の身体を洗いません。僕たちの
身体を洗うのはママか中学のお姉さんたち、あるいはお義父様お義母様
でした。
 その日はたまたまお当番の日でしたから妹の茜と一緒にお義父様やお
義母様と一緒のお風呂でした。身体を隅から隅まで洗ってもらい大きな
湯船で抱いてもらいます。そのお相手はお義父様の場合もありましたし、
お義母様の場合もありました。ただいずれにしろ共にご老人ですからね、
たとえお義母様に抱かれても胸がときめくようなことはまったくありま
せんでした。
 はははは当たり前か。∈^0^∋
 ただお風呂の中で自慢話はします。「今日のテストの点はよかったよ」
とか、「工作で作ったロボットを先生が褒めてくれた」とか、その反面、
『国語の時間に青山先生から蝋涙を落とされた』なんてことは間違って
も言いません。
 そうしておいてオモチャを買って欲しいっておねだりするんです。
 この時のターゲットは、当時人気のあったレーシングカーのキット。
8字のコースをミニカーがもの凄いスピードで疾走するやつです。家庭
用にコンパクト化されてはいましたが、当時としては結構高価な玩具で
した。
 話はうまく運びそうだったのですが、肝心なところでお目付役のママ
が反対します。ママは僕たちがお義父様たちと一緒にお風呂に入る時も
湯船のそばで見守っているんです。
 「ダメよ、そんな高いもの。この間だってGIジョーのお人形買って
もらったばかりでしょう」
 「どうして!いいじゃないか。お義母様が買ってくださるって」
 「ダメよ!今のあなたには分不相応だわ。そんなの章ちゃんだって持
ってないじゃない。ろくにピアノの練習もしないあなたが持っていいも
のじゃないわ」
 「そんなの関係ないよ」
 「関係あります。章ちゃんのお部屋はお義父様からいただいた理科の
年鑑や少年少女文学全集、クラシックのレコードなんかがきちん並んで
てとってもすがすがしいのに。あなたの部屋ときたら、遊びっぱなしの
オモチャが部屋中に散らかってて、とても同じ歳の子のお部屋とは思え
ないわ」
 「うるさいなあ」
 「おまけにあなたときたらせっかく買っていただいたのにすぐ飽きて
捨てるでしょう。だらしないったらないわ。こんな事では私がお義父様
に叱られてしまいます」
 ママの強い申し入れにお義父様もお義母様も苦笑いです。
 実際、お二人は僕たちにとって大事なパトロンではありましたが子供
たちの教育や躾には深く関わっていませんでした。お二人にしてみれば
こうして皺くちゃの肌、垂れたおっぱいでも嫌がらず一緒にお風呂に入
ってくれることが大切なのです。『よい子、よい子』と抱いていられるな
らそれでよかったんです。
 でも、ママの意見は正しいですから、お二人は一旦承知しかけた玩具
の件を棚上げにしてしまいます。
 そして、次の家族演奏会で章くんの『愛の挨拶』に対抗して『愛の夢』
が弾けたらレーシングカーのオモチャを買って上げるということになっ
たのでした。
 章くんというのは、才能も豊かで性格もいいお坊ちゃんタイプの子。
一方の僕はというと、凡才のくせに怠け者というのですから、そりゃあ
誰が見たって見劣りするはするのは明らかでした。
 でも、この時だけはどうしてもレーシングカーのキットが欲しくて…
…頑張らしてもらいました。ねむい目を擦って夜中までピアノを叩いて
いたんですから我ながら物に対する執着心は凄いと思います。(^^ゞ
 その結果、翌々週の土曜日、お義父様とお義母様の前で一応それらし
きものを弾いてみせることができました。もちろん、章くんのように、
『誰が聞いてもうっとりするような名演奏』というわけにはいきません。
お義父様もお義母様もきっと聞くに堪えなかったと思いますが…
 「とってもよかったわよ」
 と言ってくれて、章くんと同様、僕を同じように抱っこして頭を何度
でも撫でてくれたのでした。
 そして、念願のレーシングカーのキットをゲット。\(^O^)/
 でも、ママが心配した通り一ヶ月で飽きました。(^◇^)
 やっぱりママの子供を見る目は正しいみたいです。ママは僕をそりぁ
たくさん愛してくれました。大勢の大人たちから毎日毎日何かにつけて
抱かれ続ける甘やかし環境の中にあってもやっぱり一番たくさんそして
長時間抱かれていたのはママの胸なのです。
 でも僕のママは本当のママでない分、それは溺愛ではなく冷静な目を
持っていました。
 小学校高学年くらいの男の子はおそらく人生の中でも一番といっても
よいほど美しい時をむかえます。カモシカのように細くすらりと伸びた
足、無垢な顔はしかし来るべき大人の世界を見据えて凛として気高く、
誰にもこびない瞳は神々しささえ感じます。
 ですから、古来多くの大人たちがこの時代の少年を抱きたがるのです。
ましてや僕のように可愛い顔の子(いや、自分で言っちゃいけないれど)
ならなおのこと。大人たちの寵愛もこの時ばかりは女の子に勝ります。
 けれど、男の子の美というのはほんの数年でおしまい。以後は自らの
実力で世渡りをしなければなりません。そうなった時、お義父様たちの
寵愛が章くんや他の女の子たちに移るんじゃないか、ママはそれを心配
していたのでした。
 もっとも、当時の僕はお気楽そのもの。そんな深刻な事など露ほども
考えたことがありませんでした。
 『親切にしてくれるんだからそれでいいじゃないか』というわけです。
 お風呂が終わると今度はお夕食。ここでも当番の私たち家族(?)は
朝の食事の時と同様、お義父様たちと一緒のテーブルで食事をします。
 この時、僕はお義母様のお膝のすぐそば、もう体重が重いのでお膝に
乗ることはできませんでしたがお義母様と膝が触れあうほどすぐそばで
食事をしていました。
 「なあに、お肉が欲しいの?じゃあ取ってあげる」
 ママの心配をよそにいつもと変わらない甘えん坊ぶりの食事風景です。
そのお肉は一旦僕の目の前にある取り皿にやって来ますが、僕がさらに
甘えた笑顔をお義母様に見せると、今度はお義母様が料理をスプーンで
すくって僕のお口の前までそれがやって来ますからそれをパクリ。
 お義母様は大喜びというわけです。(*^^)v
 すべてがこんな調子ですから、イタズラしてスプーンをくわえて振り
回したり、結局なんだかんだ言って全部スプーンで食べさせてもらった
りしたんですよ。ま、その後ママにこっぴどく叱られましたけどね……
∈^0^∋
 夕食が終わると地下室へ行ってピアノの練習。
 お父様はこんなにもたくさんの孤児たちを面倒みているわけですから
当然お金持ちです。でもさすがに子供たち全員にピアノは行き渡りませ
んから、三台ある練習用のアップライトピアノは他の子と時間を割り振
って練習していました。
 地下は防音設備のある小部屋が5つもあって今にして思うと『凄いな
あ』なんて感心してしまいますが使っていた当時は『そんなの当たり前』
『どこの家にもあるんだろう』ぐらいに思っていました。お仕置きだっ
てそうです。こんなこと書いてると『すごい事されて育ったんだ』みた
いなことをよく言われますが、その世界しか知らない私たちとっては、
悪さをすれば鞭でぶたれたりお浣腸をかけられたりお灸をすえられたり
するのは当たり前のことだったんです。
 そりゃあお仕置きを受けることは子供にとっては『世の終わり』って
くらい大変なことなんですが…
 『本当のママがいたらこんな辛い目にあわずにすんだはずだ』
 なんて泣いたことは一度もありませんでした。
 さて、ピアノの練習はときどき先生が見回りますが基本的に自主練習
です。でも、次にやる学校の勉強はママがいつもすぐそばで睨みをきか
せている処でやるマンツーマンです。
 凄いでしょう。ママは僕の学校の先生でありながら、家では鬼の家庭
教師でもあるんですから。もっとも、えこひいきがあるといけないから
学校で直接習ったことはほとんどありませんでしたけど。(∩.∩)
 そのママですが、僕に勉強を教えてる時は、はっきり言ってとっても
怖いです。…>_<……いつだったか……
 「そんなに眠いなら目を覚ましてからやりましょう」
 なんて言われてね、お風呂場まで襟首捕まれて連行。ばっしゃばしゃ
頭からお水をかけられたことがありました。
 そんな風ですから終わるとぐったりです。終わった瞬間そのままママ
のお膝でおネンネなんてことも家(うち)では日常茶飯事でした。
 でも、まだ体力が残っている時はそれからママの『よちよち抱っこ』
というのが始まります。
 ママは僕と茜と一緒の布団で寝ます。茜はすでにその頃にはサービス
を受けてしっかり寝入っていますから、たいていは僕だけがママを独占
して一緒におネンネです。
 えっ?、『おネンネ』だなんて幼児じゃあるまいし…ですかσ(^^)
 ところがですね、ママはお勉強の時とはうってかわって、お昼間でも
滅多に見せない穏やかな笑顔で僕の体をよちよちしてくれるんですよ。
(*^_^*)
 頭を撫で撫で、アンヨを揉み揉み、お尻を摺り摺り、お背中トントン、
話す言葉だって赤ちゃん言葉です。イタズラしておっぱいを舐めても、
強く叱られたことなんて一度もありませんでした。
 ちなみにママのおっぱいはAカップ。でも、先っちょはちゃんとあり
ましたからそれで十分でした。(*^_^*)
 とにかく、お布団の中では赤ちゃん時代と何ら変わらない愛撫をして
くれるんです。ですから僕も赤ちゃん時代と変わらない甘え方をします。
そこにはお互い何のわだかまりもありませんでした。
 今は子供の自立を妨げるとか言ってかなり幼い子でも独りで寝かせる
みたいですが、僕たちの世界ではたとえ中学生になっても親の方から…
 「もうあなた大きいんだから独りで寝なさいね」
 なんて言うことはありませんでした。
 ただ、春期期になると心の中に変な気持が沸き起こってしまうので、
自ら独りで寝ようとしますけど……それまでは赤ちゃん時代からずっと
続いているママの『よちよち抱っこ』『よちよちネンネ』のサービスを受
けて寝るのがここでは当たり前だったのです。
 もちろんどんなにきついお仕置きを受けた日も夜の営みだけはいつも
同じです。ですから、体が大きくなった後も『夜、独りで寝る』という
のは不安でした。巷の子供たちに笑われそうですが…
 「そんな悪い子とは一緒に寝られません」
 なんてママに言われて自分の部屋のベッドに放り込まれるのは、ここ
ではそれ自体が立派なお仕置きだったんです。
 飴と鞭がしっかり使い分けられていたようですが、いずれにしても、
当時を振り返って、『あの時代は不幸だったなあ』と思ったことは一度も
ありませんでした。
 びっくりするような事はまだまだありますかけど、それはまた次回と
いたしましょう。




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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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