2ntブログ

Entries

<序文>

        亀山からの手紙(プロローグ)

<序文>

 私はヘブン(楽園)と呼ばれるこの地で15歳までを過ごしま
した。もともと捨て子だった私は、当初公立の乳児院で過ごして
いましたが、1歳を待たずしてここの会員である天野氏によって
亀山の地へ引き取られます。
 以来、なだらかに広がる丘の街が私の住処となりました。
 そんな経緯もあって、私の記憶はこのヘブンの地から始まります。

 広い敷地を持つ邸宅がいくつも立ち並ぶこの街には私の他にも
多くの子どもたち……といっても孤児ばかりですが…がいます。
天野茂氏もそうした子どもたちの世話する里親の一人。他の邸宅
のお父様同様、若い頃に財を成した資産家で、今はこの地に移り
住み、まるで孤児を育てるのが趣味とでもいわんばかりに家の中
は常に大勢の子供たちであふれていました。
 とはいえ、乳飲み子の私が、最初からこうした街の子供たちと
交わったわけではありませんでした。私が最初に接した世界は、
高橋という名の中年女性の懐。そして、乳房でした。

 彼女は生さぬ仲の私に自分の乳房を吸わせ遊ばせ、自分の産ん
だ子と何ら変わらないように私を育ててくれたのです。
 ですから、私にとって彼女は唯一の母親。産みの母はどこかに
いるでしょうが、私が母と呼べる人は未だに彼女だけなのです。

 一緒に寝て、ごはんを食べて、絵本を読んで、積み木で汽車や
お家を造ります。おまるに跨る時だって、一緒に応援してくれま
した。……そのいずれの時も彼女は私と一緒でしたから……

 もともとシスターでしたが、還俗して私とつき合ってくれたの
です。

 その彼女が私に最初に教えてくれた言葉があります。
 「はい、お父様」
 これはここに住む子供たちなら誰もが忘れてはならない言葉で
した。

 高橋先生(お家以外ではママをこう呼びます)は確かにママの
代わりではありますが法律上の責任者はあくまで天野茂氏。私を
経済的に支えてくれたのも彼でした。ですから、『お父様』(おと
うさま)と呼ぶのはごく当たり前のことだったのです。

 彼は大変な子煩悩で、孤児たちを自宅に引き取っただけでなく
高橋先生のように母親代わりになる人まで付けて面倒をみてくれ
ました。
 ただその代わりといっては何ですが、子供たちは天野のお父様
やその奥さんであるお母様に対しては絶対服従。小さな我が儘も
許されません。
 そこで、まず覚えさせられるのが……
 「はい、お父様」
 どんな時もこの言葉だけは忘れてはいけなかったのです。

 こう書いてしまうと、何か堅苦しい感じですけど、お父様やお
母様は幼い私たちを膝の上に乗せてごはんを食べさせたり、一緒
にお風呂に入って身体を洗ってくれたりします。おまけに滅多に
子供たちを叱ったりしませんから、二人が居間にいる時は誰彼と
なく抱きついて遊んでくれるようにせがみます。

 お父様は、ソファでくつろいでいる時に子供たちが肩に乗って
来ても、髪の毛を引っ張っても、お髭を丸めても、お顔の皺を伸
ばしても、耳元で甲高い声で叫んでも、無頓着に笑っています。

 ただ、そんな時でもお言いつけは守らなければなりません。
 「さあ、勉強の時間だよ」
 「さあ、寝る時間だよ」
 その時、子供たちが言わなければならなかったのが……
 「はい、お父様」
 でした。
 こう言われたら、子どもたちは他の言葉を使ってはいけないの
です。

 先ほど私、お父様たちは子どもたちを叱らないと言いましたが、
それはあくまでお父様やお母様が私たちを叱らないというだけで、
母親代わりとなる先生たちは子供たちをよく叱ります。というか、
当時の事ですから体罰だって当然という世界でした。

 お尻叩きはもちろんのこと、納戸や物置に閉じこめられたり、
素っ裸やパンツ一つでお庭の杭に縛り付けられたり、浣腸をして
それを限界まで我慢させられたり、お灸だってあります。いつも
ではありませんが、恐らくここで育った子供たちのなかでお尻に
お灸の痕つまり火傷の痕がない子はいないと思います。

 でも、みんな自分の面倒をみてくれる母親代わりの先生が大好
きでした。私のママだけでなく、どこのママ達も子どもたちには
献身的なんです。およそ血を分けた本当の子供でもないのに……
『どうして?』って感じでした。

 もちろんそんな情熱は幼い子供にも伝わりますから、ちょっと
くらいお仕置きされたからってママを嫌がる子はいません。

 どんな厳しいお仕置きがあった日も…
 「ごはんよ」
 ママのこの一言を境に、どこの家庭でもまた元の親子関係へと
戻っていきます。

 僕のお家では叱られた次のごはんはママのお膝の上と決まって
いました。そこで必死に甘えて失ったものを取り返します。これっ
て、別にお仕置きの償いにママがそうしているわけではないのです
が、うちのママはお膝の上を占拠した僕にスプーンで食事を運んで
くれます。

 そして……
 「ん?お尻、痛かった?」
 「うん」
 「元気を出して、お義母様には内緒よ」
 「どうして?」
 「大事な赤ちゃんのお尻をぶったなんてわかったらママがお義
父様に叱られちゃうわ」
 なんて言われましてね、本気にしていました。(∩.∩)

 お断りしておきますが、この時僕は幼児ではありません。正真
正銘の11歳。世間の常識ではもう『赤ちゃん』だなんて言われ
る歳ではありませんでした。けれど、この街では身体がどんなに
大きくなろうと14歳になるまでは常に『赤ちゃん』なのです。

 「だって、僕はもう赤ちゃんじゃないもん」
 そんなこと巷では通用してもここでは通用しません。
 ですから、おいたが過ぎると、それまで大人たちから与えられ
ていた自由がすべて剥奪されてしまいます。パンツの代わりに、
おむつをはめさせられ、上下続きのベビー服を着せられてベビー
ベッドの上へ。
 ここで丸一日過ごさなければなりませんでした。

 ええ、私もこの罰を受けたことがありますがとっても変な気分
でした。何しろ枕元にはミルクの入った特大のほ乳瓶、起きあが
りこぼしや天井で廻っているメリーゴーランドも同様で成長した
体に合わせた特注品。
 部屋の隅にはおまるが置いてあって用を足したい時は大人の人
を呼んでベビー服を脱がしてもらいここに跨るんですが……
 終わると……

 「はい、終わったの?じゃあ、モーモーちゃんしましょう」

 こう言われたら牛のように四つんばいになって大人からお尻を
拭いてもらわなければなりません。自分が赤ちゃんに近い頃なら
まだしも、10歳を越えてそれは屈辱的でした。でも仕方があり
ません。それがこのお家のお決まり(しきたり)なのですから…

 そんななか、お勉強だけは年相応にやらさせられます。こんな
ことがあると、担任の先生がベビールームまでわざわざ押しかけ
て来て、今日、学校でやったお勉強を教えてくれるんです。
 親切というか、迷惑というか……

 そうそう、クラスメートもやって来ますね。お見舞いというか、
からかいにですけど……

 でも、一日の大半は天井から吊り下げられたメリーゴーランド
を見て過ごす退屈な一日です。
 こんなにも心が幼児退行しそうなお仕置きを、ママはなぜ考え
ついたのでしょうか。

 実はこれ、ママの発案というより、お父様やお母様の願望から
生まれたもののようでした。法律上の親であるお二人は私たちが
いつまでも幼児のような純粋な心のままで自分たちに仕えてくれ
ることを願っていたのです。

 『私たちの天使ちゃんたちは元気かしら』
 お二人はよくこんな言葉で子供たちを表現していました。

 ですから、先生方も子供たちをそうした方向で仕付けますし、
私たち自身もそんな大人ちの要望に応えようとします。おかげで、
家庭内の雰囲気は、巷の一般家庭よりさらに強く、幼さが色濃く
残っていました。

 ユーミンの歌に…
 『小さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた。……
毎日愛を届けてくれた』
 こんな歌詞がありましたけど、私たちの日々の暮らしもそんな
感じでした。

 ベビーベッドで、今、僕が寝ていると聞きつけるや、お父様と
お母様は必ずお見舞いにやってきます。そして、ミルクを飲ませ
たりオムツを換えたり絵本を読んできかせたりとまったく幼児と
変わらない対応で僕をあやすのです。

 それは端から見れば大人のおままごと。きっと世間の常識では
11歳にもなった少年にそんなことをしたら…
 「やめろよ、そんなこと!」
 と、ほ乳瓶を投げつけて騒ぐんじゃないかと思います。

 でも、ここではお父様にもお母様にも絶対服従です。お二人の
前では何をされてもいつも笑顔でいなければなりません。たとえ、
オムツ替えで下半身を丸裸にされるようなことがあっても決して
騒いではいけないのです。

 目上の人みんなにそうなのですが、とりわけ『お父様とお母様
には絶対服従』がここで暮らす子供たちのお決まり(義務)だと
ママからは繰り返し口を酸っぱくして教えられていました。

 その代わり、私達はこのお二人からは色んな援助を受ける事が
できました。欲しいオモチャや文房具、服やご本など、ほとんど
二つ返事で買ってもらえますしママから言い渡されたお仕置きも
このお二人に泣きつけば、まけてもらうことができましたから、
便利な人たちでもあったわけです。

 ただ、そのための条件が……
 『心が清いこと、目上の人には従順なこと』
 だったのです。

 要は、赤ちゃんのようにして振る舞うことだったのです。

 この日も、ほ乳瓶を口元にあてがわれましたから、口の周りを
ミルクだらけにして一所懸命飲みますと、二人とも大変にご機嫌
な様子で……
 次は……

 「あなた、せっかくオムツしてるんですもの。……オシッコも
うんちもオムツに出していいのよ」
 と、こうです。

 「…………」
 お母様の笑顔に、僕の顔が引きつる瞬間です。

 いくらこのオムツをしているからって、本当の赤ちゃんを卒業
してしまった子が、そう易々と穿いてるオムツにお漏らしなんか
できません。

 当然おしっこがしたくても我慢することになるのですが……
 そうなると役立つのがお浣腸でした。

 グリセリンという薬液を大きな注射器みたいなもので吸い上げ
て、細いゴム管をセット。水鉄砲みたいにガラス製のピストンを
押すと、ゴム管の先端が僕のお尻の穴に繋がっていますからお薬
がお尻の穴から僕の身体の中へと入って行く仕掛けです。

 「……(絶句)……」
 これって、やったことのある人なら分かると思いますが、その
居心地の悪さは格別です。

 でも、問題はその先でした。

 「ウウウウウウウウウ」
 そんなことをされると、1分とたたずもの凄い便意に襲われる
のです。

 信じられないほどの強烈な下痢です。普通の状態でならありえ
ないようなもの凄いやつですから、当然、トイレへ駆け出したい
ところですが、それはたいてい大人たちから許してもらえません
でした。

 「だめえ~~漏れちゃうよ~~~」
 身の不幸を嘆きながら五分から十分。、年齢が上がると20分
も我慢しなければならないのです。

 この時はガラス製の浣腸器から外れたゴム管をまるでお猿さん
のしっぽのように垂らしてお母様の胸にしがみつきます。

 「ああ、出る。出る。だめ、ごめんなさい。もうしませんから」
 わけも分からず懺悔の言葉を口にしながら、全身鳥肌をたてて
泣きじゃくります。

 ところがお父様もお母様もどうやらそんな僕の断末魔が面白い
らしくて、なかなか許してもらえませんでした。
 結局、お父様が暴れる僕を抱きかかえて、それこそ赤ちゃんに
そうするように、おまるの上で僕の両足を持ってうんちをさせて
くれましたが、出てきたものはほとんど水のような物で……
 その瞬間、僕の顔は真っ赤に火照っていたのを覚えています。

 「もし、僕があの時お漏らししていたら?」
 僕はあとでお母様に尋ねたのですが、お母様はこともなげに…

 「もちろん、その時は私たちで片づけますよ。愛するわが子の
ものですもの、たとえうんちでも汚くなんかないのよ」
 こう言い放つのでした。実際、ママも僕に幾度となくお浣腸の
お仕置きをしかけて、その中には粗相したこともあったのですが、
それでもそれを処理する時、ママが嫌な顔をしているのを見た事
がありませんでした。
 もちろん、僕の方はすっぽんぽんにされてのお着替えですから
こちらは相当に恥ずかしかったのですが、ママは笑っていました。

 そんなこんなで、ここでは子どもたちはかなり長い間赤ちゃん
生活。そして大人たちによってわりと平気で裸にさせられます。
それは何もこの部屋の中だけとか、家の中だけといった閉鎖した
空間に限りませんでした。

 赤ちゃんになるお仕置きの時は、晴れていればお散歩の時間と
いうのがあるのですが、これなんか11歳の子でも寝っ転がれる
ような特大の乳母車に乗せられて、みんなが見ている公園の真ん
中でオムツ替えなんてことになります。

 大事なオチンチンを人前に晒して……
 恥ずかしいのを通り越して、その瞬間は頭の中が真っ白になっ
ていました。

 それにひき換え……
 乳母車を覗き込む大人たちは大喜び。まるで子供にはそもそも
羞恥心なんてあるはずがないと思っているようでした。

 実際、気候の良い時などは、公園内で悪さした子がピロリーと
呼ばれる晒し台に立たされていましたが、そんな中には小学校の
高学年になる女の子の姿も……
 さすがに全裸でいることは希でしたがパンツ一丁という姿なら
それほど珍しくありませんでした。

 ここでは子どもが『恥ずかしい』と主張すること自体悪だった
のです。

 目上の人に「裸になりなさい」「パンツを脱いで」なんて言わ
れれようものならすぐにそうしないとお仕置きが増える事になり
ます。ですから、子供たちにとっては嫌も邑生もありません。

 家庭で、学校で、公園で、仮に裸の子がそこにいたとしても…
 「ふ~ん」
 という程度。別段、珍しくも何ともありませんでした。

 お互い異性の裸は幼い頃から見慣れていたのです。
 とはいえ、思春期にさしかかると身体も少しずつ変化していき
ます。特に女の子の場合は、今まで通りというわけにはいかない
ようでした。

 ま、そんなことは大人たちも承知していたのでしょうが……
 だからといって『女の子への羞恥罰はやめよう』という話には
ならないようでした。

 以下は日記をもとに僕の一日を再現してみました。
 興味のある方だけご覧ください。
 

コメント

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

最新記事

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR