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(1/20)       定期券

(1/20)       定期券

 私は物後心ついた頃からバス通いをしていたから当然バスの定期
は必需品だった。だったのだが不思議とこの有り難みをあまり感じ
たことがなかった。

 当然なきゃいけないものだが、持ち歩くにはちょっと恥ずかしい
ものなのだ。
 というのも、母親がこの定期券を紐につなげてランドセルにくく
りつけるからで、これが嫌で嫌で仕方がなかった。

 母親は何も特別な事を強制したわけじゃない。今でもごく普通に
見かける小学生の通学風景と同じなのだが、これが私には快くなか
ったのである。

 そもそも定期券というものは財布と同じようにポッケットの中で
独立して存在し、その瞬間、必要に応じて「サッ!」と取り出され
なければならない。
 かように考える時、紐やチェーンなどという無粋な物は存在して
はいけなかった。

 もちろん、
 「何言ってるの!だって、なくすでしょうが!」
 と言う母の言い分はまったくもって正しい。
 まったくもって正しいのだけれど、それは私の美学が許せなかっ
たのである。

 なぜって、大人はそうやって定期券を持ち歩いていないから。

 『大人のように振る舞いたい』常日頃そう願ってやまない少年に
とって、紐着きの定期券は子供の象徴。恥ずかしく惨めな存在だっ
たのだ。

 ならば、当時の私はそんなに大人に見えたのか。
 とんでもない。背が低く額が広く、細い足が股上の短い半ズボン
からにょっきりと生えていて、どこからどう見ても子供そのもの。
しかも何かというと独りよがりな意見をまくし立てるもんだから、
その甲高い声が後頭部へ突き刺さる瞬間は大人たちがこぞって眉を
ひそめたものだったが、本人はいたってまじめに、自分は大人と同
じだと信じていたのである。

 だから道で挨拶する時も、「こんにちわ」と穏やかにこちらが話
しかけたにもかかわらず、相手が「よっ、坊主、元気か!」なんて
頭を鷲づかみにしようものなら、とたんに機嫌が悪くなって、横を
向いてしまうというありさまだった。

 今も昔も小学生相手に「よっ、坊主、元気か!」と言ってみたと
ころで、何ら問題はないはずだが、『天狗の鼻が隣町まで伸びてる』
と評される私にとってそれは侮辱されたのと同じ感覚だったのであ
る。

 最後に、私は定期券を他の子より数多くなくしたかもしれない
が、それでもとうとう見つからなかったという事態に立ち至るの
は年に数回(^◇^;)程度。大半はその日のうちに見つかるのだから
……と、いたってのんきに構えていた。

 とはいえ、どこまでも紐付き定期券を嫌がる私に母は最後まで
いい顔はしなかった。おかげで…

 「もう、定期は買ってあげないからね」
 と、こんな言葉を一学期に何回か聞く羽目になる。

 紐を切り取るためやむなくランドセルに穴を空けた時など母親
の嫌がらせより交通費は自腹(お小遣い)で学校へ行かされた事
さえあったのだ。どうもこのあたり女には男の美学というものが
分かりかねるようだ。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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