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(1/7)        炭坑町

(1/7)        炭坑町

 私が幼年期を過ごした街は炭坑で栄えた町だった。当時はすでに
斜陽産業だったが、それでもつい最近まで栄華を誇っていた名残か
らか、公共施設も近隣の町に比べて充実していたし、教育のレベル
も高かった。

 一般には、山の町なんて言うと住んでる人たちは粗野な荒くれ者
ばかりと思われているようだが、私の感性では炭坑夫と呼ばれる人
たちも話をするとその多くがごく普通の常識人だ。
 ただ母親はこうした人達を一ランク下の人間と見下している風が
あって、それらの人たちが住む社宅へは私を近づけたがらなかった。

 実は、山の町と言っても、そこに住むのは何も炭坑夫ばかりでは
ない。山には色んな技術者もいるし、街には小金を貯めた商店主が
コンサートや美術展、講演会などをしきりに開いている。行き来す
る文人や教養人だってそりゃあ近隣の農村の比ではなかった。

 私の家もそうした町の発展に魅せられて移り住んだ質屋だったの
だ。家の周囲にはパチンコ屋や映画館、酒屋も繁盛していた。都会
の歓楽街というほどではないが田舎町の中ではここが中心地。我が
家にも多くの炭坑夫が大勢金策に訪れていた。

 私はその質屋の帳場越しに色んな人間を観察していたのだった。
 凄んでみたり泣いてみたり、卒倒するパフォーマンスだってある。
みな手持ちの二束三文の質草で1円で多くお金を借りてやろうと必
死なのだ。
 今のようにまだサラ金なんてものがない時代。質屋は庶民が安直
に金策できる金融機関だった。

 「赤ん坊のミルク代が……」「給食費が払えなくて……」「明日の
米が……」なんてのは常套句で、その迫真の演技はプロの役者も顔
負けである。ただ、暖簾をくぐって一歩表へ出れば、可愛い我が子
はまぶたの奥へと消え去り、向かいの立ち飲み酒場へ直行、景気を
つけてから遊郭へという姿が見えてくる。

 お人好しの父はこうした人たちにせがまれると弱く、小芝居役者
の無理難題をよく聞いていた。

 そんな訳で、「こいつは金蔓の倅だから……」という事もあるの
だろうか、店の前で遊んでいるとちょくちょく見知らぬ大人から声
を掛けられては遊んでもらっていた。今なら何か下心がありそうで、
警察に通報されそうな気配だが、娯楽の少ないこの時代にあっては
子供と遊び暮らす大人だって珍しくなかったのである。

 もちろん下心までは分からないが、実際に犯罪に巻き込まれた
ことなどなかったし近隣でそんな話も聞かなかった。むしろ、彼ら
と交っていると、彼らがことのほか人間というもの洞察力に優れて
いると人たちだと、大人になってから気づかされるのだった。


電車<黄色>

注)この写真は記事とは何の関係もありません。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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