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[ 第 5 回 ] 日曜の午後

❈❈❈❈❈❈❈❈❈ [ 第 5 回 ] ❈❈❈❈❈❈❈❈❈

     ❈❈❈❈❈   日曜の午後   ❈❈❈❈❈

 お仕置きがあった日もなかった日も我が家の日曜日の午後は、
近くのデパートと決まっていました。
 ま、近くといってもバスで15分位はかかるんですが…(^o^ゞ
そこに行って夕方まで過ごします。

 お店は日曜日も一応営業していますが場所柄もあって日曜日は
お客さんが極端に少ないですし、頼りないお父さんでも店番位は
できますから……(^o^ゞ

 今の人にはピンとこないでしょうが、昭和30年代デパートと
いうのは一大娯楽施設だったんです。今ならショッピングモール
といった処でしょうか。
 ですから、当然子供たちにとっては楽しい処でした。

 到着するやまずは大食堂で食事。もともと起きる時間も遅いの
でお昼も遅くて1時過ぎから2時が昼食時間でした。

 そこで僕たちが必ず注文するのがお子様ランチ。赤いケチャッ
プご飯に旗が立っていて、お菓子までついていて、最高のご馳走
だったんです。
 お姉ちゃんたちは気取って大人の注文するようなハンバーグや
チキンカツを注文していました。

 で、お腹が満たされると今度はお母さんにお付き合いして衣類
を買います。お姉さん二人はそんな事が楽しいのかもしれません
が、ぼくたちは退屈なので屋上や玩具売り場に避難。

 今もそういう処はあるでしょうが、当時デーパートの屋上には
子供向けの色んな遊具があって、自動車の運転ゲームをやったり
ピンホールゲームで得点を競ったりして暇つぶしには最高の場所
だったんです。

 一方、玩具売り場では今度の誕生日やクリスマスプレゼントの
物色です。今のようにあちこちから情報が入りませんから下調べ
は大切な子供の仕事だったんです。

 そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ去りました。
 普通の家庭だったらひょっとして心配するかもしれませんが、
うちはお母さんが楽天的な人ですから子供だって放し飼い状態。
お母さんが見つからないと、店内放送で呼び出してもらうという
テクも心得ていました。

 ま、いつもじゃありません。普通は適当な時間に戻って来るん
です。でも、女たちはたいていまだ買い物を楽しんでいました。
 そして、私達にもこれが似合うの似合わないのとごたくを並べ
ながらいくつか下着や服を買い求めるのです。

 その後、専門店街へ行って宝石や帽子なんかをウィドーショッ
ピング兼買い物。つまらないけど、お付き合いです。

 ぼく達はおまけです。
 ああ、でも学校の制服の仮縫いなんかは僕たちの仕事でした。
 これは本人がいないとできませんから……
(え、今はやりませんかね?当時の制服は全てオーダーでした。
指定されたお店で職人さんに頼んで作ってもらうんです。子供は
成長が早いですからね、年に二回作ることもありました)

 で、それが終わるとデパグランド(=当時は食料品の売り場が
1F。つまり地下じゃないんです)に行って夕食のおかずなんか
を買って帰ります。

 デーパートって、単に買い物だけが目的なら外商部を呼びつけ
ればいいわけで、わざわざ出向く必要もないのですが、お母さん
にとっては大事な気晴らしだったんです。
 ですから、音楽会でも美術展でも興味をひくものがあればそっ
ちへまわってました。

 そんな時はたいてい僕たちはお留守番です。もちろん、ご一緒
してもいいんですが……『だって、退屈なんだもん』(ノ_・。)

 実際、普段のお母さんは働き者でした。平日の睡眠時間って、
3、4時間じゃなかったでしょうか。私たちが厳しいお仕置きを
受けても彼女に着いて来たのは、子どもたちがみんなお母さんの
そんな姿を見ているからなんです。

 『あなたは怠け者ね( ̄O ̄)』って言われて、お父さんみたい
に『むっ、(-_-#)あなたには言われたくない』って反論できない
んですよ(*^^*ゞ

 ただ、そうやって働いて稼いだお金を貯めるという事はしない
人でした。

 『宵越しの銭は持たねえよ』

 まさに江戸っ子気質。あればあるだけ惜しげもなく使いまくっ
てましたからね、お家の経済はいつも火の車だったんです。

 あれはいつでしたかねえ。本当に財布がすっからかんになっ
てしまい、『今晩のおかずを買うお金もない』なんて緊急事態が
あったんです。

 (おうちはお金を貸すのが商売の質屋さんなのにおかしいで
しょう。(?_?)でも、本当のことなんですよ。( ̄▽ ̄;)) 

 その時、お母さんは慌てず騒がず実家に電話。
 「あっ、兄ちゃん、お金ないから持ってきて」
 信じられないほどあっさりしています。

 ところが、伯父さんのお店もその時動ける人がいなくて、アル
バイトさんみたいな人がお金を預かって50キロ離れた嫁ぎ先に
向かったんですが、途中道に迷ってしまい、結局我が家に着いた
のは、日もとっぷりと暮れた夜の8時半。

 最後は家族が家の前に代わりばんこに立ってオート三輪が到着
するのを待ってました。ちなみにその日の夕食は、「器さげる時
にお金を払うから」という店屋物ですませました。(’-’*)♪

 えっ?『わざわざ現金を持ってこなくても、銀行で振り込めば
カードですぐに出せるじゃないか?』(?_?)って…困りますねえ
読者さん。読者さん現代人ですね。これは昭和30年代のお話。
ATMなんてそんな便利なシステムまだありませんよ( ̄▽ ̄;)

 ま、それはともかく、お母さんはそんな人でした。

 さて、デーパートから帰るとチビちゃんたち(つまり僕たち)
二人は書道教室へ。それが終わると自宅に戻ってピアノの練習。
さらにそれも終わると、次の日の予習と復習をお母さんと一緒に
こなします。

 ええ、日曜日といっても夜は忙しいんですよ。
 日曜日だけじゃありません。一週間のうちにはに五つも六つも
色んな習い事を抱えてました。

 こう書くと、さも『よい子ちゃんしてた』みたいに見えます
が、本当は二人ともイヤイヤやってたんです。(>_<) (x_x)
 二人ともまだ幼かったのでお母さんが「やりなさい」と言えば
拒否できませんでした。

 僕たちがそんな不満をお父さんに愚痴ると……
 「そうか、お前たちは寄る辺なき身の上だもんなあ」
 と言ってくれたんです。

 その言葉自体は強く印象に残りましたが、何しろこのおじさん、
家の中では僕たちと同じ弱い立場の人ですからね、何もしてくれ
ませんでした。(^◇^;)

 我が家はお母さんの絶対君主制だったんです。

 特にお母さんの家庭教師役は強烈で、二人を居間のちゃぶ台に
座らせると山と積まれた問題集の中から自分で選りすぐった問題
を次から次へと出していきます。

 通常二時間くらいなんですが、僕たちが勉強している間は常に
息がかかるほど近くに居て、お店にお客さんが来てもよほどの事
がない限り出て行きませんでした。

 わき見ダメ、あくびダメ、ため息ダメというなか、何度も同じ
系統の問題を間違えると、ほっぺたは抓られるし、手の甲は抓ら
れるし、頭ははたかれるしで、この2時間は10秒たりとも気を
抜く暇がありませんでした。

 いえ、それだけならまだいいんですが……
 『こいつら、だらけてる』
 と判断した場合はもっと悲惨なことになります。

 いきなり強烈な力で腕をねじ上げられると、そのまま引きずら
れるようにお風呂場へ直行。
 服のまま、風呂桶の残り湯を何杯も頭からぶっかけられます。

 「目がさめたかしら」(ー。ー;
 って……

 『始めから覚めてるよ。それより寒いよ』(゜Д゜≡゜Д゜)

 今なら完全に児童虐待。でも、お母さんはまったく平気。
 もの凄く怖い顔で僕を睨んでる。(-_-#)

 それは、怖くて、辛くて、悲しい儀式なんだけど……
 そもそもお母さんは悪いことしたなんて思ってないんだ。

 お母さんは濡れた服を脱がせて、裸ん坊さんの身体を拭いて、
また新たな服(たいていパジャマ)を着せてからこう言うんだ。

 「時間がないの。急ぐわよ」(ー。ー;

 『時間がないならこんなことするな!』
 という発言は封印して、僕はお母さんに抱っこされる。

 抱っこされたまま居間に行くと、そのままお母さんのお膝の上
でお勉強が再開。

 「ほら、次はこれやって」
 目の前に新たな問題が現れるんだけど、これってさっきまでと
違って目の前の問題しか見えないんだ。

 『あのうねえ、この姿勢だとね、お母さんのおっぱいと大きな
腕が邪魔してミイちゃんの様子が見えないんだけど……』
 などと思いつつ問題に取り掛かる。

 そのうち……
 『ま、仕方がないか』
 と諦める。

 できたら、頭よしよしだけが励みだ。

 こんな感じかなあ。僕たちの勉強風景。

 もちろんお風呂場へ連れて行かれるのはぼくだけじゃないよ。
 ミイちゃんのこともあるし…両方いっぺんに…ってことだって
あるんだ。

 そして、そのうちぼく達『おねむ』が強くなって本当にネンネ
するんだ。

 もちろんお母さんがおしまいって言うこともあるけど……
 問題を解いてる最中にそのまま寝てしまうこともある。

 お母さんは不満そうだけど、そのうち……
 『ま、仕方がないか』
 と諦める。

 そして、僕たちを抱っこしてお布団の中へ入れてくれるんだ。
 いつも三人一緒のお布団でネンネ。

 これは僕も思ってるしミイちゃんも思ってるけど、ミイちゃん
がお母さんに抱っこされてお布団に運ばれていくのを見ていると…
 『僕は何で起きてるんだろう?損したなあ』
 って思うんだ。

 ぼく達は大人たちの間では仲のよい兄弟だってことになってる
けど、お母さんの愛をめぐってはライバル同士なんだもん。

 『今日も一日幸せでした。明日も幸せな一日でありますように』
 お母さんのつぶやきは半分夢の中で聞きながらぼく達はネンネ
するんだよ。

 『明日も幸せな一日でありますように』


●○♪♫♭♯♪♫ (^o^)/~ Bye Bye ♭♯♪♫♭♯◆◇

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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