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お股とお灸

お股とお灸

 僕の家の裏庭は数軒の商店の裏庭と板塀で繋がっていました。
その板塀には木戸があり、一応、錠が下りるようにはなっていま
したが、昔の田舎のことですから、ほとんど開けっ放しで近所の
子供たちはここから裏庭に面した私の部屋へと上がり込み、僕が
いるいないに関わらず自由に遊んでいました。

 真理子ちゃん(仮名)もそんな一人で、僕より二つ年上。よく
少年少女文学全集なんてのを読んでいました。お姉さん風をふか
せるわけでもなく、上品で、いかにも育ちの良さそうなお嬢さん
といった感じの子でしたから、母も彼女のことは気に入っていて、
僕の部屋で彼女を見つけても、追い払うなんてことはしませんで
した。

 ただ、それだけ上品なお嬢さんに仕付けられているという事は
それだけお仕置きもきついということで、そうたびたびではあり
ませんでしたが、彼女がキツイ折檻を受けて泣き叫ぶ声を何度か
聞いたことがありました。

 いえ、その家の親御さんが子供を虐待しているということでは
ないんですよ。当時は親の折檻をとがめる風潮はありませんから、
家(うち)からだってそんな声は発信されていました。おあいこ
なんです。

 そのことを頭の隅において読んでくださいね。

 ある日、僕は同じ歳のコウちゃんというご近所の男の子と三人
で真理子ちゃんの家で遊んでいました。
 当時、私が小2で彼女が小4でしたか。トランプで遊んでいる
さなか、襖がいきなり開いて、真理子ちゃんのお母さんが入って
来ます。
 
「真理子、これ何!」
 そう言って突きつけたのは、皺くちゃに丸められたテスト用紙
でした。
 点数までは分かりませんでしたが、恐らく真理子ちゃんが親に
見せたくなくて隠しておいたのでしょう。
 それが見つかってしまったわけですから、事態は深刻です。

 今でこそ、「ゆとり教育」だとか「個性重視」だなんて言って
いますけど、当時の基準はあくまで学力。僕なんて統率力も人望
も何にもありませんでしたけど、ただ、学期の最後にもらう紙に
5というスタンプが押してあるというだけで学級委員だったです。

 当時は学力と人格が同じライン上にありましたから、女の子も
男の子ほどではないにせよ。その競争に無縁ではいられなかった
のです。

 で、どうなったかというと……
 「コウちゃん、チイちゃん。これから真理子にお灸すえるんだ
けど、見てやって頂戴な。あの子も、最近、親のいうことをきか
なくなっちゃって…二人にみられたら、少しは懲りると思うの。
お願いね……」

 こう言って真理子ちゃんのお母さんに頼まれたのでした。

 今の常識では信じられないかもしれませんが本当のお話ですよ。
当時は『ご近所の子供たちに自分の子供のお仕置きを見せ付ける』
みたいなものがわりと頻繁に行われていました。
 そう、今の言葉に直すと『公開処刑』ってことになります。

 といっても、相手はだいたい同性だったんですが、年齢が低い
場合は異性でもありでした。
 この場合は真理子ちゃんが小4、ぼく達が小2ですから、限界
ぎりぎりだったかもしれません。女の子の方が小学生でも高学年
だったらしてないと思います。

 いずれにしても、ぼくたちにすればそれは不幸な出来事でした。
 男の子女の子に関わらずお友達が折檻されてるところなんて、
見たくありませんから。

 えっ、そんな事ないだろう。お前だって男なんだし、スケベ心
が動いたはずだ。
 ですか……

 たしかに、まったくないと言ったら嘘なのかもしれません。
 でも、当時は僕も幼くて、恐怖の方が勝ってました。
 自分がぶたれるわけではないのに、叱られたような気分でした
から、とても、そんな余計な気分にはなれなかったんです。

 真理子ちゃんはわざわざ体操着姿にされて戻ってきました。
 おまけに、一緒に着いて来るように言われたのは仏間。
 いやあ~~な予感がしたんですよ。

 行ってみると、そこには真理子ちゃん家のお手伝いさんが準備
を整えて待ってまして……
 『やっぱり』
 だったんです。

 何がやっぱりかというと……

 僕らの時代、親が決心して子供をお仕置きをする時、最も多い
のがお灸。僕らより世代が少しでも若くなるとスパンキングなん
ですが、僕ら世代の親はもっぱらこちらでした。

 そして、それが行われるのがたいてい仏間だったんです。
 都市に暮らす人たちは住宅事情の関係で仏間なんてスペースは
なかったかもしれませんが、田舎の家にはたいてい仏様ご先祖様
を祀るための部屋が用意されていました。

 お灸のお仕置きはたいていこの仏間で行われていましたから、
子供たちは特段何か悪いことをしていない時でも、この部屋に入
る時は緊張したものなんです。

 その仏間で真理子ちゃんは神妙です。
 いえ、こんな立場に立たされれば、僕だって誰だって神妙なん
ですが……

 まずはお母さんの前に正座してご挨拶。

 「私はお勉強をサボって、悪いお点を取ったのにそのテストを
隠していました。これから良い子になれるように厳しいお仕置き
をお願いします」

 こう、言って両手と額を畳につけます。

 『すごいなあ』
 僕は感心してしまいました。

 実は、これ、僕ん家でも基本的に同じなんですが、僕はこんな
にすらすら言えたためしがありませんでした。

 たいていは嗚咽まじりにひくひくさせながら、声なんか掠れて
何言ってるのかよく分からない状態でのご挨拶です。
 実際、僕のお母さんは怒ればそれくらい怖かったんです。

 僕と真理子ちゃんの間には二年の開きがありますが、二年後、
僕がお母さんに叱られた時、こんなに立派なご挨拶が出来たかと
いうと……
 『はははははは』
 でした。(でもね、僕ん家の方が普通だと思いますよ)

 それはともかく、ここで立派なご挨拶ができたからといって、
『特別に許してあげます』とはならないわけで……
 真理子ちゃんはこの後、過酷な運命に立ち向かわなければなり
ませんでした。

 「仰向けにここへ寝なさい」

 真理子ちゃんがお母さんの指示に従って畳の上に寝そべると、
中年のお手伝いさんがごく自然に真理子ちゃんのブルマーとショ
ーツを太股の辺りまで引き下ろします。

 当然、真理子ちゃんの割れ目はぼく達には丸見えなんだけど、
当時の親たちにとってそんなことはたいした問題じゃなかった。
子供たちが羞恥心を主張できるのは小学校も高学年になってから、
それ以下は赤ちゃん扱いだから、「恥ずかしい」なんて訴えても、
「生意気なこと言うな!」って一喝されて終わりだったんだ。

 真理子ちゃんもそんな無駄な努力はしなかった。

 すると、その割れ目の上の方。大人になったら下草が生える処
へ小豆大くらいだったと思うけど、艾を三つ横に並べて一つずつ
すえ始めたんだ。

 きっと、前にもすえられてたんだろうね。すでに以前すえられ
た時の痕が残ってて、そこに今回の艾が置かれ、お線香の赤い頭
が下りていくんだけど……

 他人事ながら、目を覆いたくなるくらい怖かった。

 まあ、今は大半の人がこんなこと描いても、そもそもされた事
ないから、わからないだろうけど、洒落にならないくらい熱いよ。

 いや、熱いというを通り越して、むしろ痛いって感じなんだ。
錐で揉み込まれるような強烈な衝撃だからね。
 そりゃあ、真理子ちゃんには同情するよ。

 だけど、真理子ちゃんのお母さんに、「可哀想だよ、やめてあ
げなよ」なんて進言する勇気もなかったんだ。

 真理子ちゃんは、お手伝いのおばさんに両足を抑えられ、お母
さんからはお腹の辺りを押さえられながらすえられたんだけど、
結局、泣かなかったし、暴れたりもしなかった。

 これは僕も経験者だから分かるんだけど、親に「泣くな」「暴
れるな」って言われると、当時の子供は泣きたい気持や暴れたい
気持を必死に抑えて全力でそうしちゃうんだ。

 当時の親って、そのくらい強い影響力を子供に持ってたんだ。

 今と違って、生まれて間もない子供を保育園で育ててもらおう
だなんて安直に考える親はいなかったんだ。そんな事、親として
恥ずかしいことだって思ってたから……
 幼稚園に上がる三歳くらいまでは仕事している時もねんねこで
背負って我が子は肌身離さずだったんだ。

 そんな親の想いって例え物心ついてなくても通じるんじゃない
かなあ。僕らの時代の子供って今の子より従順だった気がするよ。
だから、同じように「我慢しろ」って言われた時でも、親の言葉
の重みが今とは全然違う気がするんだ。

 真理子ちゃんだって、そんな僕ら時代の子どもの一人だもん、
必死になって親の言いつけに従おうとするんだ。

 しかも、この時の真理子ちゃんのお灸はこれだけじゃないんだ。

 お臍の下へのお灸が終わると、裏返しにされて、お尻の割れ目
が始まるところ、つまり尾骶骨のあたりかな。そこに大豆大位の
をやられたんだ。

 実はこれが一番熱かったと思うよ。艾も大きいし、あそこって、
骨に近いしね。別の子から聞いたけど「痛みが脳天を突き抜けた」
って表現してたもん。

 この時は、さすがに真理子ちゃんも逃げ出そうとしたんだろう
ね、お母さんとお手伝いさんの手に、もの凄く力が入ってたのが
傍から見ててもわかったんだ。

 そして、それが終わると再び仰向けにされて、最後がお股の中。

 ここって、よく小説に出てくるよね。何しろ一番センセーショ
ナルな場所だから……

 実は、この時はぼく達も、高く上げられた真理子ちゃんの脚を
片方ずつ押さえている役を命じられてたんだ。

 だから、確かに真理子ちゃんの裸のお股のすぐ脇にはいたんだ
けど、お股の中を覗き見れる場所にはいなかったんだ。
 つまり、真理子ちゃんのお股の中をしげしげと眺めることは、
できなかったんだ。

 それに、その時は女の子のお股の中を何が何でも覗きたいとも
思わなかったんだ。(ホントだよ)
 もう少し学年が上がれば別の感情が起きると思うけど、小2の
時代は女の子とのHは白いパンツを見るだけで十分だったんだ。

 ただ、その後、年齢を重ねるたびに「おしいことしたなあ~」
とは思ったよ。
 だから、その瞬間の事をいつも思い起こしては記憶にとどめる
ようにはしてきたんだ。

 それによると、艾の大きさは、それまでと比べても小さかった。
火をつけてほんのちょっとで終わっちゃったから。きっと真理子
ちゃんお母さんもお股の中に火傷を作ろうとは思ってなかったん
じゃないかなあ。あくまで『女の子の大事な処までもすえられた』
っていう象徴的な意味が大事だったんじゃないだろうか。

 すえた場所もね、中を押し開くような動作はしなかったから、
おそらく大陰唇じゃないかと思うんだ。

 ま、いずれにしても、それをもとに僕の小説はできてるんだ。

 本当の処は今となってはわからない。僕もほんの子供だったし、
当時は性の情報なんて皆無だしね。あくまで思い出を手繰り寄せ
て想像した結果、そうなんじゃないかなって思ってる程度なんだ。

 それについては、大人になってから一度だけ本人に……
 「ねえ、あの時、どうだった?」
 って尋ねてみたことがあるんだけど……

 「えっ、そんなことあったかしら」
 なんて言われちゃったんで、二度とは聞かなかったんだ。

 やっぱり、女の子にとっては、それって認めたくないことだと
思うんだよ。現にその様子を見ていた僕にさえ認めたがらないん
だもん。お他人様には絶対に口を割らないんじゃないかな。

 ただこの件に限らず、当時はまだ、やれロリコンだ、幼児愛だ、
変質者だ、なんてのが話題にならなかったせいか、小学校の高学
年でも、同性のお友だちの前でなら公開処刑ってのがあったみた
いだし、胸さえ膨らんでいなければ少々年長者でも下着姿で家か
ら放り出されて泣いているなんてのがあったのも事実なんだ。

 あ、そうだ、このお仕置きのあとね、真理子ちゃんはお母さん
の前で正座して……
 「お灸をいただきました。ありがとうございました」
 って、お礼まで言ったんだよ。

 僕の家でも、本当はお仕置きが終わったあと、こんなご挨拶を
しなきゃいけないんだろうけど、僕は泣き虫だからね。お母さん
から折檻されたあとにこんなご挨拶なんて、やろうたってできや
しないよ。

 だからね、真理子ちゃんは偉いなあって思って見てたんだ。

********************<了>****

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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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