2ntブログ

Entries

第7章 祭りの後に起こった諸々(2)

第7章 祭りの後に起こった諸々

§2 伯爵夫人の憂鬱

 二人は屈強な男数人に取り囲まれると、そのまま店の外へ。
 そして、待たせてあった大きなリムジンへ。
 車内は小娘二人が乗り込むには十分すぎる広さだった。

 「ねえ、私たちどうなるの?」
 不安になったカレンがアンに耳打ちすると……
 それに答えたのは助手席に乗っていた女性だった。

 「心配はいりませんよ。すぐに帰れます。ただ、二つ三つ私の
主人があなた方にお話をお聞きしたいだけです。……ところで、
あなた方、ご姉妹(きょうだい)かしら?」

 「ええ、まあ……」
 歯切れの悪い答え。お互い血の繋がりのない里子同士だからだ。
しかし、あえて否定する必要もないだろうと、カレンは考えたの
だった。

 「私はカレンと言います」

 「カフェでピアノを弾いてたのは?」

 「私です。……彼女はアンドレア。ピアノは彼女の方が上手く
て、今度全国大会に出るんです」

 「そうなの……」気のない返事のあと、彼女は次の質問をする。

 「それで、お父様のお名前は?」

 「トーマス・ブラウンといいます」

 「ああ、カレニア山荘の……それで納得したわ。私は伯爵家で
秘書をしているモニカ=シーリングというの。よろしくね」
 その女性は四十代半ばだろうか、サングラスを取って後ろを振
り向くと、肩まで垂らした長い髪に知的な顔がのぞく。
 キャリアウーマンタイプの美人だ。

 それにしても……
 『もし、話を聞くだけなら、あの店でもよさそうなのに………
だいいち、あの青年はどうしてあんなに高圧的なの?……私たち、
何か悪いことした?』
 カレンの頭の中に色んな疑問が錯綜するのだ。

 本当はそれをアンにぶつけたかったが、今の今、助手席のモニ
カに答えられてしまったから、それもしにくかった。

 そんなもやもやしたものを乗せながらも、車だけが制限速度を
越えて田舎道を疾走する。

 『私たち、拉致されたのかしら?』
 素朴な疑問がカレンの心から離れなかった。

**************************

 一時間ほどかけてたどり着いた先は、その大きさといい豪華さ
といいまさに『宮殿』と呼ぶにふさわしい建物だった。
 リムジンは敷地内に入って徐行し始めたが、それはフランス式
の大庭園を二人に見せ付けるために、わざとそうしているように
さえ思えたのだ。

 「すごいね、ここ」

 カレンが思わず感嘆の声をあげると、ここでアンが車に乗って
から初めて口を開く。
 「当たり前よ。だってここはアンハルト伯爵家のお屋敷だもの」

 「アンハルト?」

 「そう、私たちの昔の御領主様よ」

 『そうか、それであの人、あんなに高圧的な態度だったのか』
 カレンの頭の中にあった謎の一つが解けた。

 市民社会になって百年が過ぎた今でもヨーロッパではかつての
所領に隠然たる勢力を残す貴族が少なくない。店の人たちやアン
が怒ったような顔をしていても、容易に口を開こうとしない理由
がそこにあった。

 『身分が違う』からなのだ。

 そんな少女たちがもとより正面玄関から建物の中へ入れるはず
もなく、リムジンは建物の裏へと回って行く。
 二人は正面玄関に比べればはるかに小さな入り口を案内された
わけだが、それでもカレニア山荘の入り口から比べればはるかに
立派な造りだった。

 「ここで待っててね」
 モニカが一緒に下りて二人のために待合の部屋を案内する。
 そこは十畳ほどの小部屋だったが、リムジンの座席に比べたら
はるかに居心地がよかった。

 というのも、ここには誰もいないからだ。
 モニカが部屋を去ると、それまで口を閉じていたアンが口火を
きる。

 「まずいよ。カレン。こんなことお父様に知れたら、私たち、
ただじゃすまないわ」

 「ただじゃすまないってどういうこよ?……お父様が私たちを
お仕置きするとでも言うつもり」

 「やるわ、この流れなら……絶対」

 「まさか、お父様ってそんな理性のない方じゃないわ」
 カレンはアンが深刻がっているのが理解できなかった。彼女に
してみたら、いつも紳士的なあのブラウン先生が、こんなことで
子供をお仕置きするなんて信じられなかったのである。

 「あなたにお父様の何が分かるのよ。ついさっき、私たちの処
へ来たくせに……」
 アンの声が大きくなる。

 「だって、仕方ないでしょう。私たちが悪いわけじゃないもの。
無理やりこんな処へ連れてこられて……むしろ、私たちってさあ、
被害者じゃないの。どうして、お父様が怒るのよ」

 カレンはアンのうろたえぶりを不思議な顔で見ているが、アン
にしてみると……

 「まったく、もう……あなたは何もわかってないわ」
 となる。

 カレンの言うことは確かに一般的には正論なのかもしれない。
しかし、世の中、正論が必ず通るとは限らない。アンは地元の子、
この問題が必ずしも理屈通りにはいかない現実を肌で知っていた
のである。

 「いいこと、確かにこの伯爵家はもとは私たちの領主様だった。
いえ、今でもこの通り大金持ちよ。……でも、第二次大戦の時、
先代はナチに協力した人だったの。国を売った人だったの。……
そのため町では多くの人たちが捕らえられ、処刑されたの。……
そのわだかまりは今でも残ってるから、伯爵家に関わりを持つ事
には慎重でなければならないのよ。特に私たちのように町の人達
から支えられてる音楽家はなおさらなの」

 「………………」
 カレンはアンの大演説に口を閉ざす。
 彼女にしてみれば、この時、伯爵家の持つ特殊な事情を初めて
知らされたわけだが、だからと言って、今の今どうしようもない
のもまた現実だったのである。

 しばらく時間をおいてからカレンが口を開く。
 「だからって、どうするのよ。あの時、逃げればよかった?」
大声をださなきゃいけなかった?今から、ここを逃げ出すの?」

 カレンに叱られるように言われると……
 「………………」
 今度はアンの方が口を噤(つぐ)むよりなる。

 そんな二人の部屋にノックが響いた。

***************************

 「どうぞ……」

 恐る恐る応じたカレンの言葉に従ってドアノブが回りだす。

 入ってきたのは、さきほどカフェで老婆を介助していた青年だ
った。
 「遅くなって申し訳ない。お待たせしたかな」

 穏やかな笑顔にアンが即座に反応して起立する。
 「いいえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 カレンはソファに座ったまま目を丸くした。普段横着なアンの
こんな姿を初めて見てビックリしたのである。

 「どうぞ掛けてください。先ほどは失礼しました。母が迷惑を
かけてしまった。……僕の名前はフリードリヒ・フォン=ベール。
ご存知ですか?」

 「はい、お名前だけですけど……」

 いつも横柄なアンの緊張した姿。一方の伯爵は余裕の笑顔だ。
 そのせいもあるだろうか。あらためて見るこの男性はカフェで
見た時よりずっと凛々しく見えた。

 「君たちは、ブラウン先生の処のお子さんなんだってね。……
どうりでピアノがお上手なわけだ」
 伯爵も対面するソファに腰を下ろす。駱駝革の肘あてがついた
カシミアセーターをさらりと着こなしている。

 「私は弾いてませんけど、……カレンが何か失礼なことをした
みたいで……」
 アンの言葉に伯爵は初めてカレンの方を向く。

 「そうだ、君だ、君が弾いていたよね。あの曲は誰に習ったの?」

 「誰に……」
 そう言われてカレンは言葉に詰まった。

 あの曲はアフリカ時代、セルゲイじいさんの膝の上で、適当に、
それこそ適当に、ピアノを叩いていたら出来上がってしまった曲
なのだ。

 おじさんが『ここを叩いて』とか『こう、弾きなさい』などと
言って教えたことは一度もない。おじさんはカレンの気まぐれな
ピアノをいつも「上手い、上手い」としか言わなかったし、その
大きな手はカレンの小さな手を包み込んではいたものの、どんな
操作もしなかった。

 だから、彼女はこれまで、『この曲は、自分が作った曲だ』と
ばかり思っていたのだ。
 ところが、その自信が老婆の出現で、今、微かに揺らいでいる。

 そんなカレンの心底を知ってか知らずか伯爵はこう語りかけた。

 「そう、誰かに教わったわけでもないんだ。君の作曲なんだね。
じゃあ、偶然、似たメロディーだったのかもしれないな。………
実はね、君の弾いた曲とよく似た曲を、昔、兄が弾いてたものだ
から……」

 「お兄さま」
 カレンはつぶやく。

 「ほら、そこに写真があるだろう。先の大戦で行方不明なんだ。
おそらく亡くなっているだろうけど、母だけはまだ信じられない
みたいで…………今日は、偶然、君の曲に出会って、取り乱して
しまったというわけさ」

 伯爵の見上げる壁に青年の凛々しい写真が掲げられていた。

 「(あれが……)」
 カレンはその美青年と自分の知るセルゲイじいさんとを頭の中
で重ねてみた。

 しかし、結果は……
 「(それって、やっぱり人違いよ……)」
 目がくぼみ、頬がこけ、頭はぼさぼさで、無精ひげが伸び放題。
そんなむさいおじさんが、昔、こんなにダンディーだったなんて、
カレンには信じられなかったのである。

 「君のピアノは誰に習ったんだい?」

 「父に習いましたけど、でも、父もピアノは我流だったんです」

 「ブラウン先生が?」

 驚く伯爵にカレンは慌てて打ち消す。

 「いえ、違います。私の父は別にいます。先生の処へ来たのは、
ごく最近なんです」

 「あっ、そうか、あそこはたくさん里子を預かってるらしいね。
君もそのひとりなんだ」

 「はい」

 「どうだろう、よかったら、もう一度あの曲を弾いてくれない
かなあ」

 「ここで……ですか?」

 「そうだよ。母の前で弾いてほしいんだ」

 「お母さまの前で!」
 カレンの心に小さな衝撃が走る。
 あの時の映像がフラッシュバックしたのだ。

 「目が見えない母にとって、兄の残した曲は唯一の慰めなんだ。
普段は僕が兄のタッチに似せて弾いてみるんだけど、母はため息
をつくばかりでね。なまじ目が不自由だから音には敏感なんだよ。
僕のピアノじゃ『全然違う』と言ってそっぽを向く始末さ。それが、
今日の出来事だろう。びっくりしたよ」

 「………………」
 カレンは考えていた。
 その考えているカレンの袖をアンが引く。
 「だめよ、カレン……」
 アンはカレンの耳元でささやくが……

 「やってみます」
 何と、考えた末に出た結論は、伯爵の願いに応えるという返事
だったのである。

 「その代わり、一回だけにしてください。私たち、夕食までに
家に帰らなければならないので……」

 「わかった。助かるよ」

 こうして、カレンは伯爵とピアノの約束を交わしたのだが……
伯爵が部屋を去った後、アンが噛み付く。

 「あなた、なんてことしてくれたのよ。私、知らないからね。
こんなこと、お父様に知れたら、私たち殺されるわ」

 「オーバーね、殺されるだなんて。どうしてよ、いいじゃない。
ピアノを弾くくらいで、何でそんなことになるのよ」
 カレンは呆れ顔だ。

 「だって悪い事をしようとしてるんじゃないもの。それであの
お婆さんの気が晴れるなら人助けでしょう。良いことをしてるん
じゃなくて」

 「あのねえ……」
 アンは事態を把握できないカレンがもどかしかった。

 「それに、私、思ったの。……あのお婆さんにしても、伯爵様
にしても悪い人じゃないって……だって、伯爵様、偉ぶった様子
もなくて普通に私たちとお話ししてくださったもの」

 「…………」
 アンはため息を一つ。あとはもう諦めるしかなかった。

 10分ほどして、この屋敷の女中が二人を呼びに来る。
 そのあとを着いて行くと……

 『すっ……すごい……これがピアノ室?…うちの居間より断然
広いじゃないの』
 『さすが伯爵様ね。ピアノを弾くためだけにこんな豪華な部屋
を作っちゃうんだもの』

 足元の厚い絨毯や大きな窓を仕切るカーテン、伯爵様が座って
いるソファや高い天井までも届くような書棚、磁器の香炉や銀の
シガーケース、身の丈サイズの花瓶などなど、この部屋にまつわ
る数々の調度品の真の価値が庶民の二人に分かろうはずがない。
 しかし、それがブラウン先生の持ち物よりはるかに高価なもの
だという事だけは理解できたのである

 「カレン、いつでも、君のタイミングで始めていいからね」

 伯爵様にそう言われてピアノの前に座ったカレンだったが……

 『ピアノが遠いわ』

 そう思ったから椅子を引いた。しかし……

 『まだ遠いわ』

 そこでまた椅子を引く。でも……

 『おかしいなあ、まだ遠い』
 そう思って再度椅子を引くと……

 『えっ!?』
 今度は近すぎてお腹が白鍵に当たっている。
 仕方なく適当な処で我慢して、いざ弾こうとすると今度は……

 『え、ええ、ええっ……』
 鍵盤が霞んで見えてしまうのだ。

 こんな事は初めてだった。

 「(わたし、どうしちゃったのかしら)」

 カレンはうろたえたが、理由は簡単なこと。
 彼女はあがっていたのである。

 今までプレッシャーの掛からない処でばかり弾いてきたカレン
が初めて踏む舞台だ。あがらない方が不思議だった。

 「(とにかく、わたし、弾かなくちゃ)」

 そう思ってカレンはピアノを弾き始めた。
 それはいつも弾いている曲。メロディーラインなど間違えよう
がない。
 ところが、そんな曲なのにカレンは音を外してしまう。
 頭がかぁっと熱くなった。

 当然、そんな曲に感動する者などいない。
 伯爵もそのお母さまも、露骨に嫌な顔などしないが、がっかり
だったに違いなかった。

 一曲弾き終え……
 「(もう逃げ出したい)」
 カレンは思った。

 と、そんな思いが通じたのだろうか、ノックがして、執事さん
らしき人が部屋に入って来ると、伯爵に耳打ちする。

 すると、伯爵は……
 「お父様がみえたよ。でも、君達はもう少しここにいてね」
 そう言い残して部屋を出て行ったのである。

***************************

 静かになった部屋だったが、ほどなく残された人が動き出す。
若い二人ではない。目の見えない老婆がソファを立った。

 よろよろと歩き出す彼女の身に危険を感じたアンが思わず手を
差し伸べると……
 「あなたがカレン?」
 と尋ねるから……

 「いいえ、私はアンです」
 と答えると……

 「カレンさんの処へ行きたいの。連れて行って」
 と、頼まれたのだった。

 もちろん、どんな大きな部屋だといっても、それは静かな部屋
の中での出来事。老婆の声はカレンにも届いていた。

 緊張して待っていると……
 「あなたがカレンさんね」

 老婆はカレンの肩につかまり、彼女の身体を手探りで確認する。
 鍵盤の上に取り残されたカレンの手に触れると、皺くちゃな手
をその上に乗せてそっと包み込む。

 「弾いてごらんなさい」

 老婆に命じられ、手のひらの中で鳴らすピアノ。

 『何年ぶりだろう?』

 優しい音がカレンの耳に戻った。
 カレンのピアノの原点が戻ったのだ。

 「この音ね。あなたがカフェで弾いていたのは……」
 カレンが見上げる夫人の顔は、目を閉じたままでも満足そうに
見える。
 彼女は何度もうなづき、どこまでもカレンの手の感触とともに
ピアノの音を楽しむのだった。


*******************(2)****

コメント

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

最新記事

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR