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第8章 愛の谷間で(4)

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第8章 愛の谷間で

§4 サッカーと音楽

 次の日、ブラウン先生は四人の従者を引き連れてやってきた。

 昨夜は、ほぼ八割ほども埋まった客席も、今日はブラウン氏と
アン、カレン、それにハンスとサンドラ、そしてニシダ氏の六人
だけ。

 そんな寂しい会場で、アイコはピアノを弾かなければならない。
 試験の前の試験。少女には辛い試練だったかもしれない。
 それでも、昨年の課題曲を三曲、彼女はきっちり弾きあげる。

 ただ、ブラウン氏が、終わってもすぐに笑みにならない。
 普段なら、たとえどんなにお粗末な演奏を聞かされても、必ず
立って笑顔で迎え、労をねぎらうブラウン氏が何やら考え込んで
いるのだ。
 たまらず、ニシダ氏が尋ねた。

 「どうでしょう?」

 すると、先生はそれには答えず、……さらにしばらく考えて、
サンドラを呼び寄せたのである。

 「サンドラ、君にこんなことを頼むのは心苦しいんだが、私は
君のためにホテル代を出しているよね。……そこでだ、その代金
の代わりにここで一曲弾いてくれないか?」

 「えっ!?」
 当初、彼女は驚いたが、すぐに、そんな無理な注文じゃないと
わかって引き受けたのである。

 「曲は?」

 「何でもいいけど、とにかくテンポの速い曲がいいんだろう。
そう、だったら、幻想即興曲をお願いしようか」

 こうして、選手交代。今度は、サンドラがピアノをかきむしり
始めた。彼女のピアノはまさにそんな感じのピアノだったのだ。

 「…………」

 意味の分からないでいるニシダ氏にブラウン先生は……
 「この子のピアノを聞いて、私に感想を言ってくれませんか」

 「…………」
 不承不承で応じたニシダ氏。
 彼の胸のうちには、『ダメならダメとはっきり言ってくれたら
いいのに』という思いもあったようだった。

 そして、サンドラのピアノを聞くうち……
 『やはり、このくらいのテクニックがないとダメってことか』
 などとも思うのである。

 「(それにしても、すっ、すごいな!なんてテクニックだ)」
 ニシダ氏はサンドラのピアノに圧倒されていった。

 だから、曲が終わってブラウン氏に感想を求められた時も素直
にこう言ったのだ。

 「すごい、テクニックですね。やはり、本場は違います。家の
娘と同じ歳だなんて、とても思えませんよ」

 「そうですね。たしかに……でも、あなたのお嬢さんだって、
学院に入って一年もすればこの程度は身につけられますよ。もし、
それが、自分の音楽で人を感動させるのに必要だと思うならね…」

 「……(?)……」
 ニシダ氏は意味が分からず苦笑いを浮かべる。

 「あなたは、チカチカと光る電飾板のような彼女の音の洪水を
聞いて、きっと『凄いなあ~』とは思ったんでしょう。…でも、
そこに何が映し出されていたかを感じ取ることができましたか?
もっと言えば、感動できましたか?」

 「…………」

 「私は他人ですから、お嬢さんの人となりまではわかりません。
でも、そのピアノからは『この曲で万人を感動させたい』という
熱気は伝わってきませんでした」

 「申し訳ありません。まだ、娘は幼いので、そこまでの志は…
…ちょっと……」
 ニシダ氏は娘のために苦しい弁明をしたが……

 「そうでしょうか、ニシダさん。……それは違うと思いますよ。
幼いからこそ、高い志が必要なんです。人が何かをなそうとする
時、最初その胸には『志』しかありませんよ。志のない人に何を
教えても、できあがったものは別物です。決して、美しくは輝か
ないのです」

 「…………」

 「私はね、ああいう姿を見ていると、お嬢さんが同じピアノで
も、クラシックではなくもっと別の使い方をしたがってるんじゃ
ないかと思うんです」

 二人の視線の先には、サンドラやアンやハンスたちに囲まれて
アイコが『猫踏んじゃった』を楽しげに弾く姿があった。
 言葉なんか通じなくても、すぐに打ち解けて、身振り手振りと
ピアノの音だけでみんなを楽しませている。
 そんなアイコの姿に、ブラウン先生は、彼女がピアノに求めて
いるものの違いを感じるのだ。

 「やはり、娘には才能はないと……」

 「いいえ、そんなことはありませんよ。十分、合格は可能だと
思います。でも、どんなに才能があってもそれを開花させるのは
結局のところ本人ですから」

 「ええ、それは分かっているつもりです」

 「音楽院は監獄みたいな処ですからね、二年間、青春を犠牲に
するにはそれなりの決意がなければ不幸になります。………昔の
日本の諺にもあるでしょう。馬を川に連れて行くことはできるが、
水を飲ますことはできないって……私は他人だからそこは客観的
にみてしまいますが……今の彼女は、とても水を飲みたがってる
ようには見えないんです」

 ブラウン先生は説得を試みたが、ニシダ氏は納得できない様子
で……
 「でも、途中で好きになったりすることも……」

 諦めの悪いニシダ氏に……
 「そんな子は見たことがありません。逆はありますよ。最初は
あった志がなえて退学する子は……でも、殺人的なスケジュール
をこなしていく中で、新たな志が生まれるなんてことはまずない
んです」

 ブラウン先生はがっかりした様子のニシダ氏をみつめて『これ
はこれで仕方がないか』とも思ったが、こう言ってみたのである。

 「どうです。私たちと一緒にサッカーを見にいきませんか。…
…ちょうど、母国のチームが、今日の午後、試合しますよ」

 ニシダ氏はサッカーに取り立てて興味はなかったが娘のピアノ
を聞いてくれたことへの返礼もあって応じることにしたのである。

************************

 試合は日本チームが押していた。多くの場面でボールを支配し、
相手ゴールへ迫る。
 しかし、1点がなかなか取れない。

 前半が終わり、後半も半ばを過ぎる頃になると、それまでお付
き合い程度にしか観戦していなかった西田氏にも日本人の血が
騒ぐのだろう、力が入る。

 「おしいなあ、もう少しなのに」

 彼の口からそんな言葉が漏れた時だった。ブラウン氏が意外な
ことを言うのだ。

 「あれ、ちっとも惜しくないんです。シュートコースをすべて
見切られていますからね、何度やっても点は入らないはずです」

 「そういうものなんですか?」

 「ええ、私も学生の頃は音楽とサッカーの二束のわらじでした
から、よく分かるんです。彼らにシュートを決める能力はありま
せん」

 「だって、あんなに攻めてるじゃないですか。そのうち、1点
くらい入りますよ」

 「攻めてるのは彼らの方がテクニックがあるからです。技術書
を紐解き、コーチを雇い、一生懸命練習しますからね。ボールが
支配できて当たり前です。相手は仕事の空いた週末に寄り集まっ
て練習するだけの草チームなんですから、力の差は歴然です」

 「でも、だったら地元チームは健闘してますよ。…いい試合に
なってるじゃないですか。まだ、ゼロゼロなんだし……」

 「それも当たり前です。このフィールドでサッカーをやってい
るのは彼らだけなんですから……」

 「おかしなこといいますね。日本チームだってサッカーをして
るじゃないですか。ほら、一生懸命ボール追ってますよ。じゃあ、
日本チームがやってるこれは何なんですか?」

 「大道芸です」

 「大道芸?そりゃまた手厳しい。いくらゼロゼロで勝っていな
いからって、そこまで言わなくても……」

 「残念ですが、彼らのやっている事を我々の世界ではサッカー
とは呼ばないんです」

 「そんな、何が違うんですか、同じでしょう。まったく同じ事
をしているのに……」

 「違いますよ。全然違います。サッカーというのはシュートを
決めてゴールを奪うスポーツです。誰もが自分のそんな姿に憧れ
て努力を重ねるんです」

 「そのくらいは私にだって分かりますよ。日本人選手だって、
努力は同じでしょう」

 「たしかに努力はしています。ところが、努力の中身がここで
プレーしている選手達は違うんです」

 「違うって、どんなふうに……」

 「同じように努力はしていても、目指しているものが違えば、
結果はおのずと違います。彼らが目指しているのはシュートでは
なくて、監督から『よくやった』と言われること。監督のお気に
入りになることです。彼らにとっては『シュートを決める』とか
『勝つ』というのは、あくまでその結果に過ぎないんです。……
ちょうど、あなたの娘さんのようにね」

 「えっ!!」
 ニシダ氏は思わずブラウン先生の顔を見た。
 すると……

 「ほら、あなたは見損なった」

 「えっ!?、」
 慌ててニシダ氏はグランドを振り返るが、その場面は終わって
いる。

 「今、日本の選手がシュートの打てる位置でボールをもらった
のに打たなかったんです。よりフリーでいる選手にボールを回す
ためにね。彼は誇らしげきっとこう思うでしょう。『監督の意向
にそってプレーができた』とね。でも、本当は、約束以外のこと
を密かに期待されているんです。でないと敵の牙城は落ちません
から。周囲の非難を恐れず、常に新しい可能性にチャレンジする
姿勢は『誰かの為のご機嫌取り』からは生まれないのです。これ
はスポーツであれ芸術であれ同じなんですよ」

 「それは、ひょっとして私の娘に対してもおっしゃっているの
でしょうか?」

 「あなたは気がついていないのです。彼女の本心を……彼女は
クラシックのピアニストになりたいんじゃない。……あなたに、
気に入られたいだけなんです」

 「でも、そ、そんなの馬鹿げてますよ。もう、あんなに大きい
のに……ここへ来るのも、自分で判断して……」
 ニシダ氏はそこまで言うと、言葉に詰まってしまう。
 何か思い当たる節があったようだった。

 「どんな芸事もそうですけどね。自らが真剣に望む事しか叶わ
ないようにできているんです。西欧で一流と呼ばれる選手は幼い
頃にそのボールに触れ、それが自らの力でゴールネットを揺らす
光景に歓喜してサッカーを始めるんです。最初は上手く蹴れなく
て手で投げ入れていた子が、足で蹴らなければならないと言われ、
突き倒してボールを奪ってはいけないと言われ、不正義な審判の
笛に涙し、監督に怒られ、チームメイトに足を引っ張られ、とね、
サッカーを続けるたびにハードルは上がる一方なんです。でも、
それでも、「次は必ず俺がゴールを決めるんだ」と心に誓い続け、
どうしたら、『俺がゴールを決められるか』を思いあぐね、努力
し続けた結果、出来上がったものが外から見ると優雅な舞を舞う
ように見えるんです。サッカーのプレーは究極の機能美ですから。
だから、それは本人の心と身体が備わっていなければ、他人が形
だけを真似ても、結局は、大道芸でしか使えないものなんですよ。
そこのところはサッカーも音楽も同じでしょう。だからこの世界
を目指す者は『監督が好き』『お父さんが好き』ではいけないん
です。『ゴールネットを揺らす事が好き』『ピアノで人を感動させ
ることが好き』と心から思える人でないとものにならないんです」

 「…………」
 ニシダ氏が次の言葉を発する前に試合が動いた。
 終始押されっぱなしだった地元チームが一瞬の隙をついて敵陣
へ駆け上がったのだ。
 それは、どこにそんな力が残っていたのかと思うような全員の
全力疾走だった。

 そして、ゴールが決まる。

 「決めた選手は一人ですけどね、全員『俺が』『俺が』『俺が』
って駆け上がって行きました。みんな点を取ることに飢えてたん
ですね。実に、美しいチームワークだ」

 「チームワーク?」
 ニシダ氏が次に発したのはこの言葉だった。

 「西欧では弱い人間をかばうことがチームワークじゃなないん
です。『俺が』『俺が』『俺が』という飢えた野獣を束ねることが
本来のチームワークなんです。木管にしても、弦楽器にしても、
いずれも世界の一級品です。せっかくの武器を使わない手はあり
ませんよ。足の弱い子はおいていきなさい。それでも、その子が
本当に自分の楽器を愛しているなら、自分で何とかするはずです。
結局、人は自分で歩くしかないんですから……親にできることは、
子供が歩きやすいと思う靴を履かせてやることだけなんです」

*************************

 三ヶ月後、ニシダ氏から手紙が来た。

 「ねえ、Nishidaってあの剥げのおじさんのことでしょう。何て
書いてあるの?」
 アンがソファでくつろぐブラウン氏の首っ玉に抱きつく。

 「娘さんが、ピアノを使ったボードビリアンになったそうだ」

 「ボードビリアンかあ。私もクラシックだめになったらやって
みようかなあ」

 「何だ、もうそんな弱気なこと言ってるのか?」

 「だって、わたし、何やってもて集中心が続かないし……」

 「そもそも、寄席芸人なんてお前には無理だな」

 「どうしてよ」

 「まさか舞台で裸にはなれないだろう」

 「もう、お父様の意地悪~~」

 「とにかく、どんな道でもいったんこうと決めた以上、やりぬ
かなきゃ。お父さん、簡単には諦めさせないよ。もし、この程度
のことで心がぐらつくようなら、お尻にカンフル注射だ。五十回
も叩いたら正気に戻るんじゃないかな」

 「もう、知らない。こんな危ないところにはいられないわ」

 アンは振り返ってあかんベーをしてみせると、ふて腐れた笑顔
を残して居間を出ていくのだった。

*******************(4)*****

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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