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第12章 教会の子供たち(2)

          第12章 教会の子供たち

§2 移動遊園地
 
 神父様の家から戻ったカレンは居間のピアノに向っていた。
 神父様の言葉で自信を得た彼女は、昨日、伯爵家で弾いたあの
いわくつきの曲に再チャレンジしていたのである。

 彼女としては人生初めてとなる本格的な短調の曲。
 でも、それは伯爵家で弾いていた時とは、だいぶ様子が違って
いた。

 彼女らしい穏やかな曲調。しなやかや指さばき。もちろん和音
を外すようなことはなかった。

 甘く切ないメロディーが部屋の外まで流れ出ているが、それを
聞いていたアンが『いったい誰が弾いているのだろう?』と悩む
ことはなかったのである。

 「ねえ、カレン。せっかくの日曜日だしさあ、遊園地行かない?
今、移動遊園地が来てるのよ」

 アンは部屋に入るなりカレンに声をかける。
 そして、ピアノのそばまで寄ってくると、両手でカレンの両肩
揉みながら……
 「せっかくだもん、行こうよ。すでにお父様の承諾はとったの。
ね、一緒に行こう」

 猫なで声のアンの誘いにも、しかし、カレンの関心はいま一つだ。

 「そうねえ……」

 たしかに、カレンにしても移動遊園地は魅力的だった。こんな
田舎町では大型のレジャー施設などないから年に数回やってくる
移動遊園地は子供たちにとっても若い娘たちにとってもお祭りと
同じくらい貴重な娯楽だったからだ。
 しかし、今の彼女には、それと同じくらいの関心事があった。

 「ねえ、私の弾いてる今の曲、どう思う?」

 カレンにいきなり尋ねられて、アンは戸惑った。彼女にしたら、
今は遊園地のことしか頭になくて、カレンのピアノをあまり気に
とめていなかったのである。

 「どうって…………いつものあなたのピアノじゃない。短調の
曲というのが珍しいと言えば、言えるけど……何も変わらないわ。
代わり映えしないわね。………う~~ん、ごめんね、何か新しい
チャレンジしてるの?」

 カレンはアンに『代わり映えしない』といわれた事が、むしろ
嬉しかった。

 だから、椅子から立って……
 「遊園地、行こうか。お父様はどこ?断らなきゃ……」
 と、言ったのである。

 ところが……
 「今、食堂にいらっしゃるわ」
 というので二人して食堂へ行ってみると……

 「何よ、これ、こいつらと一緒なの?」

 そこではアンナが、マリアやパティーといったチビたちやまだ
赤ん坊に近い。サリーやリサにまでおめかしさせていたのである。

 「アン、あんた、私をはめたね。これって、子守しろと言って
るのと同じじゃないのさあ」

 珍しくカレンが息巻くと、ブラウン先生がそれを聞きつけて…

 「カレン、大人げない事を言うもんじゃありませんよ。あなた
だってもう大きいんだし、妹たちの面倒をみるのは当たり前じゃ
ないですか」

 「…………」
 カレンは、思わず聞こえてしまったことを恥じたが、すべては
後の祭りだったのである。

 「ここは伯爵家とは違うんですよ。沢山の召使はおりません。
みんなで助けあわなければやっていけないんです」
 お父様の雷にカレンは肩をすぼめるしかなかった。

 というわけで、ブラウン家の人たちは、一族あげて遊園地へと
繰り出したのだ。

***************

 移動遊園地というのは、サーカスなどと同じように町はずれの
空き地を一定期間借りて営業する臨時の遊園地のことで、この町
には年二回、春休みの休暇中と秋のお祭りに合せてやって来ては
二週間ほど営業して、次の興行場所へと去っていく。

 その僅かな期間、普段は空き地のこの場所には平日でも多くの
子供たちが押しかけていた。

 今のように娯楽にこと欠かない時代とは異なり、秋のお祭りは
貴重なレクリエーション。サーカスや遊園地などがやってくると、
子供たちはさっさと学校を休んでしまう。
 しかも、『社会見学』と称して作文や絵を先生に提出すれば、
それは自由研究として勉強したことにしてくれたのである。
 古き良き時代だった。

 遊園地の乗り物は、すぐに取り外せる仮設の物ばかりだから、
本物に比べてどれもミニサイズ。観覧車の高さは普通の遊園地の
半分くらいしかないし、メリーゴーランドのお馬さんだって8頭
しか回っていない。コーヒーカップもターンテーブルの上を滑る
のは4客だけだった。

 そんなささやかな楽しみだが、この地方に住む子供たちは毎年
この遊園地がやって来るのを楽しみにしていたのである。

 遊園地に着くと、男の子たちは野に放たれた野獣のように施設
の乗り物めがけて走り去る。
 ブラウン先生からはすでにお小遣いは貰っているし何の問題も
なかった。

 それに比べると女の子たちは大人しかった。
 花壇の花を愛で、風船を買い、アイスクリームをみんなで食べ
てから、ポニーの順番に並んで、動物たちと記念写真を撮って、
それから、やおら乗り物の場所へと移動するという順番だった。

 もうその頃には、男の子たちは乗り物の三順目に入っていた。
 彼らには、花壇の花も風船もポニーもあまり興味がなかった。
 彼らを虜にしているのは、常に無機質な鉄の塊ばかりだったの
である。

 カレンはパティーを連れて観覧車に乗った。
 観覧車といっても都会の遊園地にあるような大きな物ではなく、
全てがコンパクト。ゴンドラも可愛くて、四人なんて乗れない。
たくましい紳士が乗れば一人用。女性が小さな子供を連れて二人
で乗ることもできたが、そうやって乗ると身体の向きを変える事
さえままならないほど窮屈な思いをしなければならなかった。
 だから……

 「一人で乗れないなら、諦めたら……」
 カレンにこう言われたパティーだが、そう言われると、彼女は
首を横に振る。

 パティーは観覧車に乗りたがったが、本来、臆病な性格だから、
一人でゴンドラに乗るのは怖い。そこで、カレンに一緒に乗って
欲しかったのである。

 「しかたないわね」
 カレンがパティーをだっこして、一緒に乗る。

「さあ、上がっていくわよ」
 ゴンドラは大きく揺れながらパティーとカレンをゆっくり持ち
上げてゆく。

 「わたし、こわい」
 パティーは目一杯の力でカレンのお腹に抱きついた。

 「怖かったら、目をつぶってればいいじゃない。………でも、
それじゃあ、お外の様子が見えないわよ」

 パティーは薄目を開け、恐々、高い処からの景色を見ている。
 本当はこの光景が気に入っているのだ。

 カレンは、パティーが落ち着いたのを感じて、ショパンを弾き
出した。
 「♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♪♫」

 膝に乗せたパティーの背中でカレンの両手がクロスし、少女の
右わき腹に右手が、左わき腹に左手がやってくる。小さなあばら
骨を鍵盤にして演奏会は始まったのだった。
 「♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♪♫」

 カレンの右手と左手がそれぞれパティーの右わき腹と左わき腹
を上下に叩いていく。
 「♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♩♪♫♭♯♪♫」

 すると、パティーが……
 「ショパンよね。『華麗なる大円舞曲』でしょう」

 「!」
 カレンは驚いた。
 リズムはある程度分かっても、この子が、そこまで完璧に言い
当てるとは思っていなかったのである。

 「ショパンは好き?」
 「好きよ。でも、わたし、仔犬のワルツがいい」
 「そう、じゃあ次は仔犬のワルツね」

 小さな観覧車はすでにゆっくり下り始めている。
 そのゴンドラの中で、カレンはパティーのリクエストに応えて
子犬のワルツを弾き、ゴンドラが地上に到着する頃には、彼女は
すっかりいい気持になって、寝込んでしまっていた。


 カレンは起こすべきか迷ったが、大人たちが休憩所にいるのが
分かっていたので、『仕方がない』と思ってゴンドラから抱っこ
のまま休憩所へ運びいれたのである。

 すると、そこにいたベスが……
 「まあ、幸せそうなおねむだねえ。カレン、あんた何やっても
天才だね。なかなか、こんな健やかで幸せそうな顔で寝かしつけ
られるもんじゃないよ……あんた、どうやったんだい?」

 「どう……って……ピアノを弾いただけですよ」

 「ピアノって、どこの?」

 「ですから……ゴンドラの中で二人して抱き合ってるうちに、
手持ち無沙汰だったから、パティーのわき腹を軽く叩いてピアノ
を弾くまねをしたら、どういうわけか寝ちゃったんです」

 「そうかい、そりゃあ、心地よかっただろうさ。ピアノを叩い
たって、あんたはあんなにみんなを酔わせることができるんだ。
それを、今日は生で叩いてもらったら……そりゃあ、気持良いに
決まってるよ」

 「生で叩くって……そんなこと……」
 カレンが苦笑すると……

 「あんたは親になったことがないから分からないだろうけど、
赤ん坊ってのは、どんな高尚な音楽よりお母さんが背中やお尻を
叩いて奏でる音楽の方が心地いいんだ。……それに、同じように
あやしているように見えてもね、赤ん坊っていうのは、その人が
自分を愛しているかどうかを敏感に感じ取るもんなんだ」

 「本当ですか?」

 カレンの気のない返事に、ベスは自説を展開する。

 「そんなもんだよ。子守のプロが言うんだから間違いないよ。
その能力たるや大人の比じゃないね。彼らは言葉でコンタクトが
取れない分、皮膚感覚を研ぎ澄ましてコミュニケーションを取ろ
うとするんだ」

 「スキンシップ?」

 「そうそう、それそれ。だからさ、他でちょっとだけ嫌な事が
あっただけでも、赤ん坊って泣きやまないんだ。こっちがそれを
引きずってるのが分かるんだろうね。そういうのを敏感に感じ取
るんだ」
 ベスはパティーの頭を優しくなでる。

 「この子は、もう赤ちゃんじゃないかもしれないけど、その尾
っぽはまだ持ってるよ。その子が、こんなに幸せそうに寝られる
んだから、それは、寝かしつけたあんたの心根が清いからなのさ」

 カレンにベスの言葉の意味はわからない。でも、褒められてる
ってことだけはわかったから、自然とその顔はにこやかになる。
 カレンが照れると……

 「あんたは、立派な子守になれるよ」
 ベスもそれを見て笑うののだった。


 そんな子守二人のもとへ、カレンがここへ来た時は姿の見えな
かったブラウン先生が声をかける。

 「カレン、やはり、あなたにはその顔が似合いますね。その顔
は万人を幸せにする顔です」
 と、先生までもがカレンを持ち上げるのだった。

 「お父様、いらっしゃったんですか!」

 カレンは驚いたが、その後ろから現れた女性を見てさらに驚く。

 「クララ先生!」

 「ごきげんよう、カレン。体調は元に戻ったかしら?」

 「ええ、おかげさまで……」

 「それはよかったわ。私、今日は、教会の子供たちを引率して
るんだけど、偶然ブラウン先生にお会いして、観覧車が空くまで
この場所をお借りしたの?大丈夫?」

 「あのう、教会の子供たちって、聖歌隊の人たちのことですか」

 カレンが真顔で尋ねるから……
 「えっ……」
 カレンの質問にクララ先生は、思わず絶句という顔になった。
そして……
 「あなたのそういうところが好きよ」
 と、微笑むのだった。

 『教会の子供たち』というのは信者たちの隠語で、教団の幹部
が不義や不倫でもうけた子供たちのこと。教義で中絶できないと
定められているため、産むには産んだものの、公にして自分では
育てられない。そこで、こうした子供たちは、伯爵家の修道院の
ように外からは隔離された場所で秘密裏に育てられるのである。

 隠語とはいえ、信者の間では比較的ポピュラーな言葉だから、
あらためて尋ねられると、クララ先生も赤面してしまうのだった。

 「さあ、入ってらっしゃい」

 先生に呼ばれて入ってきたのは、7歳から12歳くらいまでの
六人の子供たち。中には……
 『……あっ、シンディ……カルロスも……』
 カレンは心の中で叫んだ。
 そう、彼らは世間から『教会の子供たち』と呼ばれる子供たち
だったのである。

 「ねえ、ベス。観覧車に乗るのにわざわざこんな処で待機して
るなんて、さすがに貴族のお子様は違うわね。私達なんかみんな
列に並んだのよ」
 カレンが小声で言うから、ベスもきょとんとした顔になる。

 彼女はいったんカレンの顔を穴のあくほど眺めてから……
 「あなたは何も分かってないわね。観覧車の列に並ぶ子供の方
がはるかに幸せよ」
 と言うのだった。

 そこへ、アンが四歳のサリーをおんぶして戻ってきた。
 「まったく、すぐに甘えるんだから……この子」
 そう言って、テント張りの休憩室の椅子にサリーを下ろすと、
見慣れないお客さんに気づく。

 そこで、カレンに尋ねたのだ……
 「ねえ、この子たちは?」

 カレンの答えは明快だった。その中に顔見知りがいたせいでも
あるのだろうか、大きな声で……
 「教会の子供たちよ」

 すると、アンは……
 最初きょとんとした顔になったが、やがて見知らぬ子供たちを
一瞥、カレンの手を引っ張って彼女を少し離れた場所へと連れて
行く。

 「そんな事をはっきり言うもんじゃないわ。……あなたらしく
ないわ。あの子たちに何か恨みでもあるの?」

 「恨みって……別にそんなものないわよ」

 カレンのぼんやりした顔を見て、アンもどうやら重大な事実に
気づいたようだった。
 「あなた、ひょっとして『教会の子供たち』って言葉知らない
の?」

 「だから、聖歌隊かなんかでしょう」
 カレンの言葉はアンをがっかりさせるに十分だったのである。

 アンは、『教会の子供たち』の意味をカレンに説明してやる。
そして……
 「……わかった?この子たちは日陰の身なの。だから、ほかの
子供たちと一緒に列に並びたくないの。というか、先生の方が、
並ばせたくないのよ。人目に付くから……だから、お父様に頼ん
でここを借りたんだと思うわ」

 「そうか、それでさっきベスが、列に並ぶ子の方が幸せだって
言ったのね」

 カレンがそう言うと、アンとは違う声が聞こえた。
 「そうよ、この子たちは、本来修道院を一歩も出ちゃいけない
の。本当はこの世に存在してはいけない子供たちだから……でも、
それって可哀想でしょう。この子たちには罪はないんですもの」
 クララ先生がテントから顔を出す。

 「あっ、先生。先ほどは失礼しました」
 カレンが驚くと、クララ先生はまずアンに向って話しかけた。

 「あなたが天才ピアニストのアンさんね。私は伯爵家でピアノ
教師をしているクララ=クラウゼンといいます。あなたのお噂は
かねがねお聞きしてるわよ」

 こう言われて、アンが照れると……
 「大丈夫、気にしないで……登場したての頃はたいていみんな
天才って冠が付いてるものよ。私だってそうだったもの。問題は
それがとれてからが勝負なの。頑張りなさいね」

 「はい、ありがとうございます」

 カレンはアンの態度からこのクララ先生が名のあるピアニスト
だと知ることが出来たが、どの程度有名なのかはわからなかった。

 「ところで、どうかしら?うぶな生徒さんへのレクチャーは、
終わった?」

 「は、はい」

 「だいたい、外の世界をまったく知らないで大人になるなんて、
ありえないわ。今は、中世の時代じゃないんだから……でもね、
この子たちが世間の目を気にして生きていかなければならないの
も事実なの。そこはわかってあげてね」

 そうこうしているうちに、遊園地の係りの人から連絡が来る。
 「観覧車に今はもう誰も乗っていませんから……」
 というものだった。

 一旦お客さんの利用を制限し、全てのゴンドラを空にしてから、
教会の子供たちは観覧車に乗り込んでいったのである。
 これは、メリーゴーランドでもコーヒーカップでも同じだった。

 子供たちには伯爵や修道院の後ろ盾があるから遊園地の乗り物
に独占して乗れるのは事実だ。しかし、その周りに他の子供たち
がいなかったのも事実。
 しかも、アンから、彼らのほとんどが、その後本人の意思とは
関係なく聖職者の道に進まなければならなければならないと聞か
されると、カレンは、やっとこの子供たちの悲しみが理解できた
ような気がしたのである。

***************(2)*****

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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