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お仕置きの蔵 <1>

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お灸のお仕置きを扱った読みきりの小説です
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         お仕置きの蔵 <1>

(前置き)

 私が子供だったのは今から50年以上も前のこと。
 その頃の田舎といったら、親が子供を折檻するのは当たり前。
しかも、そのお仕置きについて誰もが納得する理由がないという
ことさえ稀ではありませんでした。

 今ならきっと大半が『虐待』ってことになるんでしょうね。

 でも、多くの子供たちがそうで、私もそうでしたけど、たとえ
厳しいお仕置きを受けても、親を恨むような子はあまりみかけま
せんでした。

 昔の子供は、『親や先生は常に正しいことをしている』と信じ
込まされていた節もありましたから、『よくわからないけど……
きっと、そういうものなんだろう』って親の折檻をあまり疑問視
しなかったんです。

 ぶたれた時は、『運が悪かった』って、これだけでした。

 そうそう、たまに友だちが『親からあんなことされた、こんな
こともされた』って、お仕置きされた事を愚痴ることがあります。
 そんな時、表向きはその子に同情して話を聞いているんですが、
心の中でものすごく興奮していたのを思い出します。

 他人の不幸は密の味ということでしょうか。

 とりわけ、女の子の話には尾ひれがつきますから、彼女だって
事実をオーバーに語って自分を悲劇のヒロインに仕立てていたの
かもしれませんが、それを差し引いても、今の親とはお仕置きの
常識が異なっていたのはたしかでした。

 私の両親についても、個人的にはそれほど常識を外れた人たち
とは思っていませんが、そこのところはわかりません。
 他の家の事を詳しく知りませんから、ひょっとすると、私の家
だけ飛びぬけて子供に厳しい家だったのかもしれません。

 ただ、そんな私も両親を恨むことはありませんでした。

 幼い頃の私にとって日常生活は可もなく不可もなし。おおむね
幸せな世界でした。

 もちろん厳しいお仕置きだって幾度となく経験してきましたが、
それって、今の人達が考えるほど深刻なダメージにはなっていま
せんでした。

 だって、親に愛されていた時間に比べれば、お仕置きされてた
のは短い時間です。小さなエポックに過ぎませんから、それさえ
過ぎれば、またおせっかい過ぎるほどの強烈な親の愛撫が待って
いました。

 親の愛撫とお仕置きが交互にやって来る生活の中で私は自分を
成長させていったのでした。

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(本編)

 私の家はもともと農家でしたが、父が勤め人になったために、
農地は他人に貸していました。
 ただ、農家をやめてもお米を貯蔵しておく為の蔵だけは敷地の
隅にぽつんと残っていましたから、父親はその蔵を改造、二階を
書斎として使っていました。

 ところが、私が生まれ成長していくにつれ、そこはやがて子供
をお仕置きするための空間に変わっていきます。

 何しろ書斎だけで使うにはそこは広すぎるということで、両親
としても広いスペースの有効利用を考えたみたいでした。

 最初の頃は閉じ込めだけでした。

 電気もつかない離れの蔵へ閉じ込められるというのは幼い子に
とってはもの凄い恐怖です。
 昼間だってそうですが、夜に閉じ込められた時なんて気が狂い
そうに叫んでいました。

 もの凄い声で泣き叫び、たくさんたくさんごめんなさいを言っ
てようやく許してもらう事になりますが……さて、効果のほどは
というと、そう長続きはしません。

 一日二日はおとなしくしていても二三日後には、また蔵に入れ
られ……また、ごめんなさいを叫ぶはめになります。

 特に私の場合は、女の子より男の子のお友だちが多いお転婆娘
でしたし、学校の勉強はできません。おまけに手先も不器用で、
お裁縫の宿題などは、ほぼ母の手作りという困ったちゃんでした。

 ですから両親としてもお仕置きのネタには困らなかったみたい
で、三日にあけず蔵通いだったのです。

 でもそうたびたびとなると、ただ閉じ込めただけでは堪えなく
なります。

 以前だったら、親が手を引いて蔵の方へ行くだけでも泣き叫ん
でいたのに、四年生の頃になると慣れてしまい蔵の錠が下りても
うんでもなければすんでもありません。
 出してもらう間は、おとなしく一人遊びしているか、お昼寝を
して時間を潰せばよいと悟るようになっていました。

 こうなると、両親もただ閉じ込めただけではお仕置きとしての
効果が期待できないと考えるようになります。

 そこで、両親が次にとったのが実力行使。
 要するに身体をいじめたり辱めたりする体罰を蔵へ閉じ込める
前や後に付加する事でした。

 最初はいわゆるお尻ペンペンで、母親が平手でパンツの上から
お尻を叩く程度でしたが、年齢が上がっても私の素行がいっこう
に改まりませんから、その体罰は次第に過激なものへと変化して
いきます。

 五年生からはお尻叩きに竹の物差しが使われるようになります
し、六年生になると、それまで土間だった場所に畳が敷かれ……
そこでお灸がすえられることに……その熱かったこと……今でも、
その名残が肌に残っていますし、たまに夢にみたりもします。

 いえ、それだけではありませんでした。
 中学にあがると、両親のお仕置きはさらにエスカレートします。

 思春期に入り、ちょっとしたことでも恥ずかしいと感じる年頃
なのに、それを利用して肉体を虐める体罰ばかりでなく、思春期
の少女が身の置き所をなくすような辱めが公然と行われるように
なるのでした。


 まずは、母屋から罰を受ける蔵までの道中。

 これまでは、当然、服を着ていましたが、そこを素っ裸で歩か
せたのです。

 私が思わず泣くと、母が……
 「恥ずかしい?……でも、仕方がないわね。それだけのことを
したんだから……報いは受けないといけないわ」
 と突き放します。

 あれは中学二年の初夏の頃でしたか、学校でお友だちと一緒に
タバコを悪戯していたのがばれて学校でお仕置きされて帰宅した
日のことです。

 もちろん、それだけだって大変な事なんですが、家でのことを
慮った私がこっそり家からイチヂク浣腸持ち出し、近所路の茂み
で全部出してしまったものですから……

 「あんた、見られたのが節さん(うちのお手伝いさん)だから
まだいいけど、そんなことして、もし誰かに見られたどうするの!
近所中の笑いものになるところだったのよ。あんたも子どもじゃ
ないんだら、少しは後先のことを考えて行動しなきゃ!」

 それを知った母親はカンカンでした。

 結果、
 「そんなにハレンチなことが好きなら、恥ずかしいお仕置きも
必要ね。服を脱ぎなさい!……セーターもブラウスもスカートも
スリーマーもショーツもブラも靴下も……とにかく全部よ!!」
 青筋立てて怒鳴りまくるお母さんに取り付く島もありません。

 こうして新たなお仕置きが追加され、私は素っ裸でお父さんの
待つ蔵まで連行されることになったのでした。


 蔵は自宅の敷地内にあって。母屋からは石畳を100mくらい
歩いた先にあります。けっこう遠い距離ですが見ているのは両親
だけ。しかも周囲を高い煉瓦塀に囲まれていますから、この恥ず
かしい姿がよそに漏れることはないかもしれませんでした。
 ただ、家の敷地内とはいっても私は明らかに晒し者です。

 裏庭へ連れ出された瞬間から、恥ずかしいなんてもんじゃあり
ませんでした。

 母屋にいる時から涙が溢れ、石畳を歩いて蔵に入ってからも、
涙がとめどもなく流れて、私は一生分の涙をここで使い果たした
んじゃないかと思ったほどだったんです。

 小さな窓しかない蔵の中は日中でも真っ暗です。そこにわざと
大きなローソクが何本も灯されていました。
 これはこの蔵に電気が来てないからではなく、私にお仕置きの
恐さを実感させるための親の演出。
 私はすでに中学生でしたが十分効果がありました。

 蝋燭は部屋の四隅にありましたが、たとえ何本並べられていて
も電気に比べればほの暗く、おまけに常に大きな影ができます。
 揺らめく炎はまるで不安な私の心を表わしているようで、その
中にいるだけで私の心の中は穏やかではいられませんでした。

 「おいで」
 いきなり低い声が蔵の中で響きます。

 声のありかを見ると、蔵の奥に敷き込まれた六畳分の畳の上で
お父さんが正座しています。

 私は何一つ服を着ていませんから、恥ずかしいというのは当然
ありますが、私はお父さんの子供ですから、呼ばれた以上そこへ
行かざるをえませんでした。

 土間が畳に変わるあたりで用意されていた雑巾で足の裏を拭き、
畳に上がると、注意深く前を隠し、正座の姿勢で、むこうずねを
ずるようにお父さんの近くへとやってきます。

 何でもないことのようですが、もしこれが二三年前だったら、
私は立ったまま歩いて、お父さんの処へ行ったかもしれません。
でも十四歳ともなると、さすがにそれは恥ずかしくてできません
でした。

 「寒かったかい?」
 お父さんにきかれて、私は無言のまま頭を横に振ります。

 「恥ずかしかったかい?」
 再びお父さんに尋ねられて、今度は素直に頷きます。

 すると、お父さんは……
 「仕方ないな。恥ずかしいことさせてるんだから」
 と答えます。

 そして……
 「立ってごらん」
 と、あらためて私に命じるのでした。

 「はい」
 私は今さら反抗もできないと思い私の全てを見せる覚悟で立ち
上がります。

 父は座ったままですから、当然、私の方が父を見下ろすかたち
になります。
 そして、私のお尻回りがお父さんの視線の高さに。
 いくらお転婆の私でもこれは『恥ずかしい』と思いました。

 「その場で回ってごらん」
 そんな私を、父は正座したままぐるりと一回りさせます。

 もちろんお尻だけじゃありません。私の未熟なオッパイ。お臍。
萌え出したお臍の下。とにかく私がそれまで大事にしていた物が
次から次へとお父さんの間近であからさまになっていきます。

 お父さんだから、まだしもなんですが……一つ一つ丁寧に見つ
められると、もうこの場から消えてなくなりたい気分でした。
 でも、そうもいきませんから、知らず知らず身を縮めて中腰の
姿勢になります。
 すると、ここでも……

 「恥ずかしいのか?」
 父が少し睨んだだけで、私はもう何も言えなくなってしまいま
した。

 「学校でもお仕置きされたんだろう?……………何をしたから
お仕置きされたんだ?」

 「………………(今さら聞かなくても知ってるでしょう)」
 私は心の中で思います。

 「言いなさい。黙ってちゃわからないよ」

 「…………それは……美津子ちゃんと由香里ちゃんと三人で…
……………その…………」

 「三人でどうしたんだ?」

 「タバコをイタズラしてたのを先生に見つかっちゃって……」
 私はぼそぼそっと言ったあと、少し大きな声で…
 「でも、私、吸ってないから」

 私は反論したつもりだったのですが……
 「吸ってない?……でも、そのまま先生に見つからなければ、
お前も吸ってたんだろう」

 「…………それは」

 「だったら、同じことじゃないか。……お前だって、タバコを
吸ってみたいと思ってその場にいたんだろうから……違うかい?」

 「…………それは」

 「だったら、同じことだよ」

 「…………」

 「お前が実際にタバコを吸おうが吸うまいが、世の中がお前に
下す評価は不良少女。そしてお前が通う学校は『不良少女のいる
学校』と呼ばれることになる。お前は、そんなレッテルを学校に
貼ってしまったんからね、それだけでお前は十分罪になるんだ」

 「…………」
 私が小さく頷くと、父はそれを見て…
 「世の中で一番大事なことは信用。罪に問われなければそれで
いいんじゃない。世の中からどう見られているかが大事なんだ。
……わかるかい?」

 「…………」
 私は再び小さく頷きます。
 「お前は女の子なんだから、そこのところはなおさら注意して
暮らさなきゃ。……学校においても。そしてこの家にあってもだ」

 「…………」
 厳とした父の物言いは、もはや私の身がどうにも救われない事
を暗示していました。

 ですから……
 『ここで一発おちゃらけを言って、この場の雰囲気をなごませ
て……』
 といういつもの戦略も、今日は通用しそうにありません。

 「学校ではどんなお仕置きを受けたんだ?」

 「それは連絡帳に……」

 「それは知ってる。でも、お前の口から聞きたいんだ」

 お父さんの命令では仕方ありません。私は大きく一つ熱い吐息
をついてから答えます。
 「…(はあ)……放課後、園長先生のお部屋に三人で呼ばれて、
一人12回の鞭打ちを受けました。…………」

 「……それだけ?」
 私の言葉が途切れるとお父さんは早速催促します。

 それから先は、私の口から言い出しにくいこと。
 きっと、お父さんはその内容を知っていて、わざと私の口から
言わせたかったに違いありません。

 「………………………………………………………………」
 私はしばらく黙っていましたが、お父さんに睨まれればこれも
本当の事を言わざるを得ませんでした。

 そこで一つまたため息をついてから話し始めることにします。

 「…(ふう)……明日から一週間は普段のショーツではなく、
オムツを穿いて登校するようにって園長先生から言われました。
……それから……朝は、しっかり浣腸してお腹の物をできるだけ
出してから登校するようにって……あと……朝のホームルーム前
と昼食後の昼休みと放課後、教務の先生から鞭を六回ずついただ
きます」

 「そうか、それはよかった。どんなに厳しくしても一回だけだ
と子どもはすぐに忘れてしまうからな。継続するというのはよい
ことだ。この一週間は辛いだろうが、きっとよい教訓になるよ」

 「だって、毎朝、お浣腸しろだなんて、無茶よ!」
 思わず不満が口をつくと…
 「お浣腸は、鞭をいただく際に粗相が起きないようにだろう。
大丈夫、お前が心配しなくても、明日の朝はたっぷりのお薬で、
お腹を空っぽにして出してあげるから」

 お父さんの真顔に私は声がありませんでした。
 「…………」
 
 「ただ、今日の事(家の救急箱からこっそりイチジクを持ち出
して、用を済ませたこと)は、お前の不始末が原因だから、学校
は学校として、お家では、また別のお仕置きを用意するからね」

 「(えっ!)」
 ある程度覚悟していたこととはいえ、改めてお父さんの口から
出たお仕置きの言葉に私は血の気を失います。

 「それに、連絡帳にもこうして書いてあるんだ。『真理子さん
については学校といたしましてもそれなりの教訓を授けるつもり
でおりますが、ご家庭におかれましても、何かしら記憶に残るご
処置をお願いいたします』って……」
 父は私の鼻先に連絡帳を差し出します。

 そこには担任の森田先生のペンが走っていました。

 「……これって、お仕置きしろってことなの?」

 父に心細そうに尋ねますと、父は少し馬鹿にした様子で…
 「何だ、ここには『お仕置き』とか『体罰』なんて書いてない
じゃないかって言いたいのか?」

 父は私を笑い…
 「いいかい真理子。たしかにここには体罰とかお仕置きなんて
露骨な言葉は使われてないが、それは、お前の通っている学校が
品性を重んじる学校だから先生も露骨な表現を遠慮されてるだけ
で教訓もご処置も意味は同じ。お仕置きなんだよ。わかったかい、
お嬢様」

 「…………」
 私は、ぼーっと突っ立ったまま無言で頷きます。

 父の声は我が家では権威の塊。子どもはおろか母でさえ、父に
きつく命じられたら素直に従うしかありません。日頃は、父とも
仲良く冗談を言いあったりする私だって場の雰囲気は読めます。
この時ばかりは、面と向かって逆らうことなどできませんでした。

 「ほら、もういいわ。いつまで立ってるの。ちゃんと正座して
ご挨拶なさい」
 「あっ、お母さん」
 いつの間に私の後ろにまわった母が私の肩を叩いて助言します。

 私は慌ててその場に正座しなおすと……

 「お父様、真理子はいけない子でした。どうか、お仕置きで…
…良い子にしてください」
 少し言葉に詰まりましたが、どうにかご挨拶をすませることが
できました。

 今の子どもたちにしてみたら、子どもが親にお仕置きをお願い
しますだなんて、きょとんとしてしまう出来事なのかもしれませ
ん。でも、昔は、家からの追放される代わりにお仕置きで許して
もらっていましたから、こんなことまでもしっかりと子供に義務
付けていました。

 もちろん勘当だなんてこと、私の時代にはありませんでしたが、
それでも、挨拶を拒否すればどうなるか?
 当然ですが事態は同じじゃありません。お仕置きはさらに重く
なります。

 そうならないためにも親へのご挨拶はお仕置きには欠かせない
儀式だったのでした。

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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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