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第 1 話 ①

< 第 1 話 > ①
 私は紀尾井倶楽部へ久しぶりに入った。ゴシック様式のご大層な造り、
亀山を出て成功した人たちのサロンだ。私も亀山出身ということで会員
にはしてもらっているが出世はできなかったので肩身が狭くて頻繁に出
入りしているという訳ではなかった。
 今回も半年ぶりに男女の裸身を象ったギリシャ彫刻の下をくぐる。
 広い円形の玄関ホールにはすでに受付が用意されていた。
 近づくと、
 「こんにちわ、ご出席ありがとうございます」
 まだ中学生とおぼしき女の子が二人立ち上がってお辞儀をしてくれる。
おそらくアルバイトでかり出されたのだろう。亀山はこんな催しに子供
達を貸し出してはしっかりアルバイト料をせしめるのだ。
 ま、私だって亀山にいた頃はそうやって稼がしてもらったのだから、
これには文句は言えない。
 「これっ」
 私はまず10万円の入った小切手入りの封筒を手渡した。これは今回
修道院を改築するための寄付。今日はそれが目的のパーティなのだ。こ
んなのが年に2回くらいあってこっちはそのたびに寄付金を迫られる。
 ちなみに10万円は一口だから最低水準。出せる人はその十倍も百倍
も包むのだが私はこれしかできない。弁護士といえば聞こえは良いが、
少額の債権取立てなどでやって細々と生計をやりくりしている身だから
10万円が出せる限界だったのである。
 二人の少女から恭しく赤い薔薇を胸に飾ってもらって宴会場に入ると
そこは立食パーティだった。
 いずれも和気藹々。さながら年始の賀詞交換会といった趣だ。いや、
女性が多いのでその分いっそう華やかではある。そしてここには亀山の
OBOGだけでなく現役のお父様や先生方の顔もあった。亀山を離れて
長いので中に知らない人もいるが多くが見知った顔ばかりだ。
 「おう、健太、元気じゃったか」
 中で顔も手もしわくちゃの婆さまが襲いかからんばかりんやって来て
私の両肩につかまる。
 「お前、良子ちゃんにちゃんとご飯を食べさせてもろうとるか」
 こうきかれてこちらは苦笑するしかなかった。
 「大丈夫ですよ。おばば様、今ではちゃん自分で稼いでますから…」
 おばば様は俺が司法試験で苦労している頃までを覚えていてその時分
同棲していた同じ亀山出の今の奥さんから散々いびられていたのを心配
して今でもこう言うのである。
 「いいわねえ、あなたは…今でもおばば様から心配してもらって…」
 「まったく、あなたは甘え上手を見習いたいわ。私なんかおばば様か
ら一学期に三度もお灸すえられたんだから……」
 「いいじゃないの、それくらい。私なんかお父様の前で大股開きさせ
られて…それで……」
 さすがにその先は口に出したくない様子だったが顔は笑っていた。
 広い宴会場のあちらこちらで女性特有の嬌声が上がっている。私はそ
んな雰囲気が嫌いではなかった。脳のどこかで昔に戻ったような錯覚が
起きているのを楽しむのである。
 おばば様は今は引退しているが、私たちが亀山にいた頃は主にお灸の
お仕置きを担当していてどの子にも恐れられていた。やたらお仕置きの
多い亀山だが、中でもお灸のお仕置きはどの子にとってもその思い出が
強烈だったのである。
 といって昔の子供たちが今もこの老婆を嫌っているとか敬遠している
とかはない。お尻やお臍の下、陰部に至るまで下半身を中心にあわせて
20個以上も灸痕が残っている身だが、それがない亀山出というのもい
ないわけで、灸痕は自分が亀山の出身者であるという証のようなものだ
ったのである。
 おばば様は確かに怖い存在だったが、ママがヒステリー気味にお仕置
きしようとしてる時には助けてくれたこともあった。
 そして、何より私たちが彼女を否定できなかったのは、自分たちの実
の母親が自分たちを亀山に預ける時、このおばば様によって自分たちが
すえられたのと同じ位置にお灸をすえているという事実だった。
 これは亀山の規則で、実母が18歳で子供に会いに来た時本人である
事を証明するために取られた処置なのだが、お灸を全身にすえられた母
親はおばば様に赤ん坊を預けて、そのままおばば様の家を立ち去る。
 つまり彼女はこの亀山で実の母親の顔を見知っている唯一の人だった
のである。
 そんなこんなで人それぞれに複雑な思いが渦巻く老婆だが、亀山時代
も今も彼女を悪く言う人は誰もいなかった。
 この催しには亀山から楽団が来ている。ピアノやヴァイオリン、クラ
リネットやフルート、ハーブの奏者もいる。いずれも亀山の中では芸達
者な子供たちだ。
 彼らは私たちのこうした催しには必ずやって来て3、4曲演奏しては
けっこう高額なギャラを持って帰る。それだけではない。お父様たちは
自分の配下にある組織で何か催しものがあるとやはり同じように楽団を
送りこんでは分不相応な報酬を払わせるのだ。
 しかし、それとてもとはといえばお父様側から会社の経費として支出
されたものなので、いわばマッチポンプなのだが、お父様としては直接
お小遣いとして渡すより余計な経費がかかっても子供たちが自分で稼い
だお金という形にしてやりたかったのである。
 「ねえ、健ちゃんは大学を卒業する時、いくらあったの?」
 女の子にこう問いかけられて私は一瞬ためらったが…
 「450万」
 今さら隠してもしょうがないと思った。
 「えっ」
 「すごい!」
 「じゃあ18歳で最初に貯金通帳をもらった時はいくらあったのよ」
 「1000万くらい」
 「う、うそ。そんなにどこで稼いだのよ」
 周囲にちょっとしたさざ波がたった。
 実は、私は演奏そのものはへたくそだったから章くんのようにプロと
して演奏会を開きその収入が加算されたものではなかったが、幼い頃か
らピアノをめちゃくちゃに弾いてはそれを作曲と称して音符にしていた。
それが高津先生の手を経てレコードになり、お父様の圧力で学校や子供
関係の公共施設に流れて行いって、その印税という形で貯金通帳にたま
っていたのである。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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