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<犬笛>

Hなしの雑文です。

<犬笛>

 僕の母はいわゆる専業主婦ではない。夫婦で小さな質店を経営
しながら子育てをしていた。普通、こうした場合の商売は父親が
経営の主体となるケースが多いと思うのだが、我が家の場合は、
お客さんとの折衝が苦手な父親に代わって営業に関する事は母が
商売を取り仕切っていた。

 父の仕事は、担保として預かる質草の鑑定や管理、台帳付け、
出張販売で並べる商品の荷物運びなんてのが中心。店にも出るに
は出るのだが……

 「あんたはそんな了見だから、こうしてお金を借りなきゃなら
なくなるんだ」
 なんてお客さんに説教してみたり……

 逆に、世間話をしているお客さんに同情して……
 「いいから、これも持って行きなさい」
 と、お母さんには内緒でお金を握らせたりもする。

 およそ、商売には向かない人だった。

 そのため多くの人が『あそこの奥さんは家付きの娘。ご亭主は
養子さん』と誤解していたのである。

 一家の中心である母の仕事量は多く、家事は完全に他人任せ。
炊事、洗濯、掃除、繕い物などは通いのお婆さん(お手伝いさん)
に、赤ん坊の世話は子守の女の子に任せていた。

 逆の言い方をすると、その出費のかかる分を母は稼せぎ出さな
ければならないわけで、それが母の仕事上のノルマとなっていた
のである。

 ならば彼女、まったく子供の世話はしなかったのかというと、
そんなことはなかった。
 専業主婦の人たちのような細やかな対応はできなかったと思う
が、保育園には頼らず極力子どもたちを自分のそばに置いて育て
ていた。

 出張販売先でも赤ん坊をおんぶしながら店に出ていたのである。

 戦後復興がやっと途についた頃のこと、それも田舎の名もなき
デパートの話だから、そこは割り引いて考えなければならないの
だろうが、そもそも、そんな営業を主催者側から許可(黙認?)
されていたこと自体、母の営業力の賜物なのである。

 おんぶされた僕が、母の背中からあたりを見回した感じでは、
当時でも赤ん坊を背負いながら接客している売り子は母だけ。
 でも、それがなぜか妙に誇らしかったのを覚えている。

 そんな母は僕を仕事場へは連れて行っても、その間ずっと僕の
世話をやいてくれるわけではない。おんぶしてくれたのはほんの
一時だ。大半の時間は、商品を入れてきた空箱の上に乗っかって
絵本を見たり、接客している母の背中を見て過ごしていた。

 だから、退屈で仕方がないのだ。
 そこで、本当の赤ん坊の時は別として、あんよができるように
なると、ごく自然にご近所を歩き回るようになる。

 「どこいくの?」
 と、母に聞かれるから……
 「おしっこ」
 と答えるが、用が済んでもすぐには戻らなかった。

 一時間くらい戻らないことなんてざらにあったのだ。

 ここは自宅ではない。出張販売先の出来事だから、専業主婦の
感覚でなら、『わ~~~大変!』なんて心配するところだろう。

 ところが、うちの母は出歩く我が子を心配したことがなかった。

 「あんたが迷子になっても探さないからね、お母さんと一緒に
いたかったら、この場所(ブース)を必ず思い出しなさい」
 と、こうだ。こう僕に言いつけただけだった。『行くな』とは
言わなかった。縄を着けて縛っておくなんてこともしなかった。

 要するに放し飼い。度胸があるというか無責任というか、でも
母はそんな人だったのである。

 一方、僕はというと、こちらは呑気なもので……
 おしっこが終わると、ご近所で商売しているおじさんおばさん
たちに挨拶して回る。

 朝なら、「おはようございます」
 お昼なら、「こんにちわ」

 これって本来何の意味もないのだが、そんなことをして回って
いると、そのうち、どこかのおじさんおばさんがお菓子をくれた
り頭を撫でてくれたりする。

 そんなことしながらウインドウショッピングを楽しんでいると、
足を伸ばしすぎて帰り道が分からなくなることもあったが、でも、
迷子を宣言するように泣き叫ぶなんて恥ずかしい事はしなかった。

 そんな時は、どのブースでもいいから暇そうにしている大人を
見つけて……
 「お母さんどこ?」
 と尋ねればよかったのである。

 母と息子はここらでは有名人(?)。知らない人はいないのだ。

 「こっちは忙しいんだ。自分で勝手に帰りな!」
 なんて、薄情な返事を返す人はいない。

 「なんだ、坊や、お母さんのとこ、分からなくなったんだ」
 尋ねればたいてい母のいるブースを教えてくれたし距離が遠く
なれば一緒に着いていってくれることもあった。

 困った時は大人に聞くという大技も身につけていた僕にとって
散歩は楽しい日課だったのである。


 では、もし母がそれでも僕に何か用がある時はどうするのか?

 そんな時は、どこに向かってでもいいから叫べばいいのだ。
 「ぼく~~~帰ってらっしゃい~~~」
 ってね。ゆっくりと五、六回叫べばそれでよかった。

もちろん広い会場では大声も雑踏の騒音でかき消される場合が
多いのだが、僕が母の声を聞き逃す事はほとんどなかったのだ。

 母の声は誰が聞いても聞き取れないほどの小さな声でしか会場
内に流れていない。しかし僕はその微かな母の声をほぼ100%
聞き漏らさなかったのである。

 「お母さんが呼んでる」
 そう思って声を頼りに戻っていくと、必ず戻れるというわけだ。

 どこにいてもお母さんが五六回叫ぶうちには見知った場所まで
戻れるから、あとは迷わないのだ。

 「ぼく、ごはんよ」
 お母さんは、さも当然と言った顔で僕を見つめ、抱き上げる。

 お母さんの声は親子の間では音声というより犬笛のようなもの。
赤ん坊の時から聞いているその音はどんな微細な音でも他の音と
は区別して聞くことができたのだ。

 まるで猟犬と飼い主みたいな関係かもしれないけど、僕はね、
こういうのを『親子関係』って言うんだと思ってるんだ。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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