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<弟>

Hなしの雑文です。

<弟>

 僕には弟がいた。
 弟と言っても歳の差があるわけではない。彼とは、お母さんの
お腹の中に一緒にいて生まれた間柄。生まれた時間がほんの数分
違うだけだ。

 だから、本来『兄だ』『弟だ』と名乗る関係ではない。
 ちなみに、両親は僕の方が後から生まれたのに僕が兄と決めて
しまった。昔はそういう決まりだったみたいだ。

 そうやって兄弟が確定すると……お母さんからは……
 「あなたが、お兄ちゃんなんだからしっかりしなきゃ」
 なんてたびたび言われるようになる。

 すると、不思議なもので……僕の方も……
 『そうか、ぼくはこの子を守らなきゃいけないんだ』
 なんて思っちゃうし……

 弟の方もお母さんから……
 「お兄ちゃんの言う事をちゃんと聞くのよ」
 なんて言われると、弟らしく兄を立ててくれる。

 そんな母の教育方針が影響したんだろうか……僕は弟の前では
ちょっぴり威張っている。
 弟も人生そういうものだと思ってか僕と一緒にお出かけする時
は僕のそばを離れようとしなかった。つまり僕を頼っていたんだ。

 だから、知らない人は誤解して……
 「まあ、兄弟仲がいいのね。いくつ違いなの?」
 なんてよく聞いてくる。
 二卵性だから顔はあんまり似てないし、双子だと思わない人の
方が多かった。

 「ね、失礼だよね」
 僕は健ちゃんに言ったが、健ちゃん(弟)の方は別に気にして
いる様子がなかった。

 というのも、彼は彼なりに幸せだったからだと思う。

 幼児にしてすでにどこか取っ付きにくい感じのある僕とは違い、
健ちゃんは、両親、祖父母、近所のおばさん、誰からも愛されて
家の中でいつも可愛がられいた。

 対する僕はというと、『ませてる』という理由だけで出張販売
に精を出すお母さんの後ろ姿を見ながら育つ。
 商品を収納するための箱を二つ並べた畳半畳ほどのスペースに
薄い布団が敷かれそこでオムツ替えまでしていたんだ。

 ま、申し訳程度の仕切りはあったけど、中には覗いてビックリ
するお客さんもいたみたいだった。

 そんな環境の違いが兄弟の性格の違いにもなっていたようだ。

 奥手だと言われていた弟にも三歳近くになってようやくお声が
かかった。
 子守のお姉さんが洋裁の専門学校へ通うので健ちゃんの面倒を
みれなくなり、それで仕方なく出てきたのだ。

 おかげで、幼稚園に上がるまでの数ヶ月間は、出張販売先での
相棒ができた。挨拶回りとウインドウショッピングを健ちゃんと
一緒に手を繋ぎながらやったのである。

 すると大人たちは正直だ。二人で店先に並ぶと、まず最初に、
顔立ちも可愛くおとなしい性格の健ちゃんに声をかける。
 これは僕にとっては心地よくないことだった。

 『こいつはいつも僕を頼ってるんだぞ。だから、僕の方が優秀
なんだ。言葉を話すのも、オムツがとれたのも僕の方が早いし、
ひらがなだっても僕が先に読めるようになったんだから』
 なんて、思ってしまう。

 ところが、それは最初の頃だけ。幼稚園、小学校と進むうちに
その差は縮まり、小学四年生くらいからは絵画教室、ピアノ教室、
学校の成績、と、どれをとっても二人に優劣などなくなっていた
んだ。

 特に三学期の学年末のテストでは僕が彼に勝ったことが一度も
なかったから、本当は彼の方が優秀だったのかもしれない。

 にもかかわらず、僕は大人になるまで『健ちゃんを支え続けて
あげなければ』なんて思い続けていたのだから、これはもう滑稽
という他ないだろう。

 赤ちゃん時代から愛され続けてきた健ちゃんは、誰に対しても
とっても上品だ。誰かさんみたいに、大人の揚げ足を取って喜ぶ
ような下品なまねはしない。ただそのぶん、目上の人に対しては
甘え上手な側面があった。

 きっと僕もその一人として利用されていたのかもしれない。

 でも、そうであっても僕は一向にかまわなかった。
 だって、「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」と言って抱きついて来る
健ちゃんは僕にとっても可愛い弟であり大事な宝物だったから。

 そんな健ちゃんとは勉強部屋で二人してよく抱き合っていた。
わけもなく、まったく訳もなくただ抱き合っていれば楽しかった。

 お互い顔に息を掛け合い。お尻を撫であい。オチンチンだって
まさぐりあって愛し合っていた。
 ついにはイチヂク浣腸を悪戯して我慢ごっこなんてことまで…

 これって、歳がいっていればホモセクシャルなんだろうけど、
幼稚園や小学校の低学年の頃だから、『性欲』という感じは……
ほとんどなかったと思う。少なくとも僕にはなかった。

 それより、もしかすると、これってお母さんの代わりだったの
では……とは思うのである。

 だって、どちらかがお母さん役で、絵本を読んできかせたり、
哺乳瓶でミルクを飲ませたり、その頃アメリカのホームドラマで
よく見かけたお尻ペンペンをお母さんからお尻を叩かれるという
想定でやってみたりしていたから。
 要するに、そこにはおままごと的な要素もたくさんあったのだ。

 お尻ペンペンって今はポピュラーなお仕置きなのかもしれない
けど、僕たち世代にとっては、大人たちがアメリカの電化製品に
憧れていたように、ハイカラな親子のスキンシップとして見てた
んだ。

 実際、この頃の我が家で行われていたお仕置きでは、子供の体
を叩くなんて必要なかった。
 お母さんが叱る時は恐い顔を近づけるだけでお互い泣くことに
なるから、お母さんもそれ以上のことはしなかったんだ。

 だから、お尻を叩かれる側の子どの気持はあまりよく分かって
いない。一応、泣きまねするんだけど、すぐに笑っちゃうの。

 とにかく二人で抱き合っていれば何となく心が落ち着くという
幸せな時代だった。

 ちなみに、こうしたことは外ではやらない。どこまでも家の中
で、それも二人きりでいる時の睦みごとなのだ。だからお母さん
の前でもやったことはなかったけど……

 ある時、見つかっちゃったんだよね。
 お風呂上りでもないのに素っ裸になってじゃれてるところ。

 その時のお母さんの反応。

 ほんのちょっと驚いてから、一つため息をついて、そして……
 「僕たち、ばっちいことしちゃだめよ。さあ、風邪ひくわよ。
早くパンツ穿いて!」
 と言っただけだった。

 僕たちのお母さんはね、こうしたことには寛容だったんだ。
 というのも、お母さん自身が僕たちにこんなことしてたから。
 文句を言いにくかったのかもしれないね。

 とにかくお母さんと一緒に寝る時は二人とも濃厚な愛撫を受け
て寝るのが習慣だった。

 ほっぺすりすり。頭なでなで。あんよモミモミお手手もみもみ。
ま、このくらいなら他の家でもあるだろうけど、うちはこれでは
おさまらない。

 オッパイ舐め舐め。
 脇の下をコチョコチョ。
 足の裏もコチョコチョ。
 オチンチンだってコチョコチョ。そして、左の指でそれを摘み
上げといて右の指でピーンとかもある。(べつに虐待じゃないよ)
 お母さんってね、子供が嫌がらなければ何でもありなんだ。

 そうそう、お風呂上りにバスタオルの上に仰向けにされて……
フェラチオなんてのもあったっけ……
 もちろん大人のやるようなディープな世界じゃないよ。皮の上
から、ほんのちょっぴりキスしただけなんだけど……あれって、
楽しかったなあ。

 とにかくあの頃はお母さんのやってくれることは何でも楽しか
ったんだ。

 そんな楽しいことを兄弟だけの時もやってみたかったという訳。
だから、罪悪感なんてまったくなかった。
 要するに、僕は健ちゃんが好きで、健ちゃんも僕が好きだから
やり始めたんだ。

 『小さな恋のメロディー』のダニーとメロディーの関係と同じ。
『二人はまだ小学生だけど、お互いいつもそばにいたいから結婚
したいと願う』あれと同じことさ。

 大人たちはそれから先のことをあれこれ想像して心配するけど、
それって汚いものを沢山見過ぎて、美しいものをそのまま美しい
と感じ取れなくなった大人たちの性だと思う。考え過ぎだと思う
んだよ。

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tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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