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駿 と 由梨絵 の 物語

 駿由梨絵物語

< 第 3 話 >

 由梨絵が園長室の厚いドアを開いて外に出ると、何やら前にも
嗅いだことのある甘い香りがかすかに鼻をくすぐる。

 由梨絵は気になって辺りを見回したが、そこには誰もいない。
 真理と瞳が由梨絵に気づいて駆け寄ったが……

 『この子たちの匂いじゃないわ』

 女の子たちとは少し離れた処にもう一人。男の子だ。駿がいた。
でも、その子でもない。

 『駿ちゃんでもないわよね。……まさか……嘘でしょう』

 そんなことを思っていると、駆け寄った女の子たちがさっそく
おしゃべりを始める。

 「ねえ、大丈夫だった?」
 と、真理。
 「大丈夫なわけないでしょう、お仕置きなんだもん」
 と、瞳
 「ねえ、悲鳴あげたの?」
 「大丈夫よ、安心して、ここからは聞こえなかったから」
 「ねえ、パンツ脱がされた?あの先生、そんなこと平気なのよ」
 「あんた、無神経ね、そんなこと聞かなくてもいいでしょう」
 「いいじゃないの、女の子同士なんだもん」

 由梨絵は、いきなり真理と瞳に取り巻かれ質問攻めにあったが、
あの香りが気になって聞いてなかった。だから真理と瞳が二人で
しゃべっている。

 そんな身近な喧騒をよそに、由梨絵は少し離れた柱の影から、
こちらを窺っている少年の姿を気にし始めた。

 女の子同士でなら何とでも、しかし、彼には、園長先生の前で
パンツを脱いだことやそのお尻が真っ赤になったこと、仕方なく
あげた悲鳴のことだって絶対に知られたくなかったのである。

 そんなことを心配していると、さっき嗅いだ甘いパイプの香り
がまた急に強くなる。

 『えっ!やっぱり、まさか!』
 ハッとして振り返ると……

 『お……おじ様!!』
 声は出なかったが生唾は飲んだ。伯爵が学校の催しもの以外で
ここを訪れるなんて、滅多になかったからだ。

 それだけ気にかけていたんだろうが、由梨絵にしたら迷惑千万
なことだ。

 「ごきげんよう、伯爵様」
 「ごきげんよう、伯爵様」
 真理と瞳が気づき、慌てた様子で挨拶する。

 左足を半歩引いて膝を曲げ、両手でスカートを摘んでお辞儀。
 この時代錯誤した仰々しい挨拶は学校を訪れたお客様に生徒が
投げかけるいわば儀式だった。

 「やあ、君たちは、由梨絵のお友だちかね」

 「はいそうです。真理といいます」
 「瞳です」

 「ひょっとして、……君たちは由梨絵のお仕置きが終わるのを
ここで待っていてくれたのかい?」

 「そうです。心配でしたから……」
 「それはお友だちですから、当然です」

 「ありがとう、これからも由梨絵と仲良してやってくださいね」

 「はい、もちろんです」
 「私たちいつも一緒なんです」

 「ねえ、伯爵様は由梨絵ちゃんのお父様なんでしょう」
 「ばかねえ、当たり前じゃない」
 二人は伯爵に迫ったが……

 「よかったな由梨絵。私はてっきりお前が一人ぼっちで園長室
を出てくるものとばかり思っていたから迎えに来てみたんだが、
余計なことだったかもしれないな。お前にこんな情に厚いお友達
が二人もいるなんて知らなかったよ」
 伯爵はそう言って由梨絵の頭を撫でる。

 一方、由梨絵はというと、伯爵に頭を撫でてもらっている間も
なぜか駿君の姿を追っていた。
 ただ、由梨絵のいる位置から彼の姿が見えない。
 どうやら自分の出る幕はないと思ったのか先に帰ってしまった
ようだった。

 ここは女子修道院が経営する学校。男の子も受け入れているが
生徒も先生も女の子が中心の社会。校舎や校庭は隅々まで掃除が
行き届き、教室や廊下には塵一つ落ちていない。全校生徒で管理
する花壇は運動場より大きくて、いつ行っても四季折々の草花が
咲き乱れている。
 休み時間には響く甲高い声も授業時間になるとぴたりとやみ、
先生が講義する声の他は生徒が本のページを捲る音しか聞こえて
こなかった。

 生徒たちによって丹精された草花の庭を通って、伯爵は子ども
たちと一緒に薔薇のアーチをくぐる。このアーチが学校の内と外
を分けているわけだが、ここに校名を刻んだプレートなどはなく、
外から見るとまるで誰でもが入れる公園のような場所だったので
ある。

 校門を出ると、その近くには大きな車寄せがあって、ずらりと
高級外車が並んでいる。
 真理や瞳の顔を見るなり、ワーゲンやシトロエンの運転席側の
ドアが開く。運転手さんたちが自分の仕事に気づいたのだ。

 二人の女の子たちとはここでお別れ。

 「ごきげんよう、伯爵様、ここで失礼します」
 「私もここで……ごきげんよう、失礼いたします」

 「はい、お二人とも今日はありがとう。明日もまた仲良くして
あげてくださいね」

 「ごきげんよう、由梨絵さん」
 「ごきげんよう、明日、また遊びましょうね」
 二人は伯爵と由梨絵に挨拶して別れると、それぞれ自分たちの
屋敷から差し回された車のもとへ。

 子どもたちが自家用車で通学するのは、親たちにとってそれが
一番安全な通学方法だったからだ。

 「ごきげんよう……さようなら」
 「ごきげんよう……さようなら」

 二人は家路へ出発した後もその車内から由梨絵の車に向かって
手を振る。
 伯爵様も車内に乗り合わせた彼らの家庭教師に軽く会釈した。

 戦前、上流層の挨拶は、それが朝でも夕方でも、出合った時も
別れる時も、そのすべてで『ごきげんよう』の一言だった。
 『おはよう』も『さようなら』も、彼らにとっては必要のない
挨拶だったのである。

 ただ戦後になると、世間の常識から乖離してはならじとばかり、
学校でも『おはようございます』『先生、さようなら』といった
言葉が登場してくる。
 二人はそれを思い出して付け足したのだった。

 二人の黒塗りが車寄せを出た後、伯爵も娘の為に愛車シボレー
のドアを開ける。
 ところが……そこには見かけないクッションが置いてあった。

 「……?……」
 由梨絵が不思議そうな顔でそれを手に取ると……

 「お尻がまだ痛いだろうと思ってね、お家から持ってきたんだ」
 伯爵がお姫様の為にした気遣いだったのだが……

 「いらないわ、こんなの。だってお尻なんてもう痛くないもの」
 由梨絵はそっけない。

 すると……
 「おやおや……それじゃあ、私のお膝の上にも乗れるかな?」
 伯爵が悪戯っぽく笑って運転席で膝を叩くと……

 「いいわよ、乗れるわよ」
 由梨絵の顔が急に幸せそうな笑みになる。

 由梨絵は、幼い頃から伯爵の膝の上に乗ってドライブするのが
大のお気に入りだったのだ。浜辺や空き地、民間の駐車場(当時
はまだ多くの駐車場が未舗装だった)など、公道以外のデコボコ
地面を疾走するのは大きなアメ車でもけっこうスリリングだ。

 「ヤッホー」
 歓声と共に小さなお尻が大きな膝の上で跳ね回る。

 「コラコラ、あんまり跳ねると運転できないじゃないか」
 伯爵はハイテンションの由梨絵を叱るが、彼もまたそんな空気
の車内がまんざらでもない。どこかロデオ気分だ。

 伯爵は揺れる車内で由梨絵のスカートの中、お尻や太股に左手
を滑らせると、幾度となくさすっている。由梨絵も幼い頃からの
習慣だからだろうか、安心しきっていてその進入してきた左手を
とがめだてする様子は微塵もなかった。

 やがて、伯爵は由梨絵にハンドルだけでなくクラッチレバーも
切り替えさせるようになる。
 もちろん由梨絵が握るハンドルやクラッチには伯爵の大きな手
が添えられてはいるのだが、こうなると、由梨絵も自ら運転して
いる気分だ。

 「吉田のおじちゃん、ヤッホー、もう一人で運転できるように
なったよ」
 由梨絵は開け放った車の窓から左手を出して振る。
 ちょうど庭の手入れをしていた植木職人のおじさんを見つけた
ところで、もう上機嫌だった。

 その後、伯爵は由梨絵を膝の上に乗せたまま広い車寄せのある
庭を何週かしてみせた。

 普段おとなしいと思われている由梨絵がこの時ばかりは満面の
笑み。正直言ってお尻はまだ痛かったが、おじ様のお膝はいつも
のように快適そのもの。興が乗ると、伯爵が自ら膝を上下に揺ら
してくれるのもいつものことで、その間は由梨絵のはしゃいだ声
が辺り一帯に響いていた。

 だから、本当はこのままおじ様のお膝の上に乗ったまま家まで
帰りつきたいところなんだが……

 「さあ、そろそろ家に帰るよ。降りなさい」
 一息つくと、伯爵に膝から降りるよう命じられてしまう。

 「え~~もうおしまいなの」

 「お前を抱っこして街中を運転してると警察がうるさいんだよ」

 「あ~~あ、つまらないの。おじ様、私、運転上手なんだし、
私が運転してもいいでしょう。何とかならないの。おじ様、伯爵
なんでしょう」
 由梨絵は粘ったが……

 「何ともならないね。だいいち、今の私は伯爵じゃないよ」

 「えっ!違うの?」

 「戦争前まではそうだったから慣例でみんなそう呼んでるけど、
今の私は冠位なんて何もないから、他の人と同じ一人の市民さ。
ちっとも偉くなんてないんだよ。……さあ、降りた、降りた」
 伯爵は車を止めて由梨絵を助手席に移す。

 と、その時だった。
 あれほどはしゃいでいた由梨絵の動きが一瞬、止まってしまう。

 どうやら彼女、その瞬間何かに気づいたみたいだった。

 由梨絵の見つめる先には男の子が一人、サッカーボールを踏ん
づけてこちらを見ている。

 鼻筋の通ったクールな瞳が特徴的なその少年はまだ前髪を切り
揃えた坊ちゃん刈りで赤いほっぺや愛らしい口元から推測すると
どうやら由梨絵と同年代らしかった。

 「……ん?……あっ、そうか、あれは駿君だね……昔一度だけ
話したことがあるけど、その時はまだ赤ちゃんぽかったが………
でも大きくなったなあ……そうだ、思い出したよ。彼、君と同じ
給費生じゃなかったかい?……そうだろう………ん?どうした?
……彼のこと、好きなのか?」
 伯爵は思わず先走ってしまう。

 すると、すぐにちょっぴり怒ったような反応が返って来た。
 「……な、わけないでしょう。関係ないわよ」

 由梨絵の即座な反応。その強い調子。たとえママゴトにしても
まんざらでもないと思った伯爵が、帰り際あらためて車を俊君の
近くへ回し、その顔をあらためて確認することになる。

 「やあ、君、サッカーが好きなの?」

 伯爵が車の窓を開けて尋ねると……
 少年は何も言わず寄宿舎の方へと走り去ってしまった。

 伯爵は由梨絵に悪いことをしたと思ったが、仕方なかった。

 給費生は、身元のしっかりした後見人がいない限り学園生活の
大半を隣接する寮で暮らすことになっている。それは、経済的に
恵まれていない子が多い給費生を環境の整わない家庭に戻しても
その高い学力を保持できないだろうし、何より戻った家や風紀の
悪い地域でよからぬ遊びをおぼえないとも限らないと考えたから
だった。

 給費生というのはそんな窮屈な籠の鳥ではあったが、一方で、
学園側も彼らのことを慮り、なるだけ一般の子と大差のない生活
が送れるよう努めてはいたのである。

 学用品はもちろんのこと、制服や私服、玩具、お小遣いだって
ちゃんと出る。寄宿舎の設備は充実していたし、話し相手になる
教師やシスターもいる。

 ただ、それでも給費生の日常というのは決して楽ではなかった。
 一般の生徒と比べて決定的に欠けているものがあるからだ。

 それは肉親からの愛。

 どんなに親切にされても教師やシスターは所詮他人でしかない。
もちろん仕事の範囲内で是々非々での対応はしてくれるだろうが、
それ以上踏み込んでの面倒はみてくれないことを、彼らは知って
いるのだ。紋切り型の愛情では出てこない暖かさを一般の生徒は
持っている。その現実を彼らは肌で感じているのだった。

 駿君がこの時見ていたのもそんな暖かさだったのかもしれない。


 伯爵の車は由梨絵を助手席に乗せて学園の建つ山を下りて行く。

 すると突然、伯爵が車を止めて……
 「寄宿舎の入口にいた子。あの子、何であそこにいたんだろう?
実家に帰らなかったのかなあ」
 伯爵が由梨絵に尋ねた。

 「だって、あの子、帰る家がないんだもの。すごっく可哀想な
子なんだから。去年、おじいさんが亡くなってちゃって帰る処が
ないみたいなの。孤児になっちゃったって……」

 「ああ、あの子がそうか、去年、一度だけ会議の議題になった」

 「どんなことで?」

 「おじいさんが亡くなって身元引受人がいなくなったんだから
ここを退学させて施設に預けるべきじゃないかって意見がでてね。
ま、規則としてはそうなんだが、シスターや教師たちから異論が
相次いでこっちも驚いたよ」

 「で、どうなったの?」

 「結局、教会が預かるという形でこの学校は卒業させることに
なったんだ」

 「そうか……やっぱり可哀想な子なんだ……」

 「可哀想、可哀想って……まるで他人事みたいに言ってるけど、
お前だってそうじゃないか。私は、お前のお父さんじゃないぞ」

 伯爵がすました顔でまっすぐ前方を見つめて言い放つと由梨絵
は少しすねたような顔をして伯爵に右肩に自分の左肩をぶつけて
くる。

 たしかに由梨絵は伯爵とは赤の他人だ。しかし、伯爵は三歳で
由梨絵を自宅に引き取って以来、実の娘のように可愛がってきた。
 だから由梨絵も、戸籍がどうあれ、この世に伯爵以外の父親は
いなかったのである。

 他人の前で、おじ様と呼ぼうが、伯爵様と敬ってみせようが、
このドライバーは、彼女の頭の中ではその全ての場面でお父様と
変換されてしまう人。二人はそんな不思議な親子だった。

 ところが、そんな由梨絵が、今、気にしているその男の子は、
伯爵にとっても気になる存在だったのである。
 そこで……

 「由梨絵、お前は駿君のことが好きか?」

 伯爵の一言に由梨絵のほほが赤くなった。
 「何でそんなこときくの?……べ…別に……そんなんじゃない
って言ってるでしょう」

 「『そんなんじゃ』って……どういうこと?」
 伯爵はそ知らぬふりで尋ねる。

 「えっ!?」
 由梨絵は思わず出た本音にさらに顔を赤くする。
 結局……

 「だから、それは……単なるクラスメートというだけのことで
……あんまり、口きいたことないし……今日だって私がお仕置き
されてる園長室の近くでこっちを見てたんだから……男の子が、
女の子のお仕置きを待ってるなんて……きっと変なこと思ってる
んだから……薄気味悪いったらないわ」

 「じゃあ、嫌いか?」

 「嫌いって……そういうわけじゃあ……」

 「何だ?どっちなんだ?……まあいい、わかった。それじゃあ、
まず、私が親しくなってみるか」

 伯爵はそう言うと、急ハンドルを切って車をUターンさせる。

 「えっ!どういうこと?」
 由梨絵の身体が大きく左右に振れ、背もたれに頭をぶつける。

 「その子、どうせ週末でも帰る家がないんだろう。だったら、
一度くらいうちに招待してあげようじゃないか。……幸いお前が
部屋の飾りにしてるエンサイクロペディアや文学全集、図鑑類も
彼なら興味があるんじゃないかと思ってさ……」

 「えっ、どういうことよ?……だって、そんなの学校の図書館
にもあるじゃないの」
 由梨絵は慌てて伯爵を引き止めようとしたが……

 「あそこにあるのは版が古いんだ。中には戦前に出版された物
もある。旧字体で書かれた物は今の小学生には読みにくいだろう。
それに知識は常に新しくなるから、できるだけ新しい版のものを
見なきゃ」

 「ふ~~ん。でも、何でうちに呼ぶのよ」

 「いいだろう呼んでも。たまには男の子とも話してみたいんだ」

 「えっ?」
 由梨絵は伯爵の意外な答えに、しばしぽかんとなったが……

 「痛い、こら、やめないか!」

 由梨絵は、次の瞬間、運転手の右足を思い切り蹴ったのだった。

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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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