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§1

§1

 「多くの子が同じことをされて大人になっていくんだから…」と多く
の大人たちに励ましというか慰められましたが、結局、心の中に入って
くる言葉はありませんでした。亀山に住む13歳の子にとっては……
 『どうしてこんな事しなきゃいけないのよ。どうして昔のことまで蒸
し返すのよ。わたし、この先も赤ちゃんでかまわないわ。おむつをして、
おしゃぶりをくわえて、学校だってどこだって行けるんだから……』
 なんて、啖呵を切りたくなるような出来事です。頭の中をつまらない
繰り言だけがいつまでもぐるぐる駆けめぐりますから、もうそれだけで
疲れます。そのうち……
 「恵子、お父様がみえられたわ。行きますよ」
 ママの声がしますから勉強机から立ち上がりましたが、気分は最悪で
した。震える足に力を込めて、心の中の自分に「よし」というかけ声を
掛けて部屋の外へ出ます。
 「あら、来ましたわ。噂をすれば影ですわね。……あなた、お父様が
お待ちかねよ」
 玄関先でママの声が弾んでいます。お父様はいつもの通り泰然自若と
いった感じで少し慌てた様子の私を見ていらっしゃいました。
 「遅くなりました」
 「いや、少し早かったけど行こうか。雰囲気には早く慣れておいた方
がいいだろうと思ってね」
 「そうですわね」
 ママが合いの手を打つ。彼女にしてみれば今日は娘の晴れ姿でもあり
ましょうから、ご機嫌でした。
 お父様は私の手を握るとゆっくり歩き出します。私はいつものエプロ
ンドレスでお父様もいつものツイードのコート。お父様との関係はママ
と比べれば少し遠いのですが、こうして手を繋いで歩いていると本当の
親子のようにも感じられます。二人は微妙な位置でした。
 『甘えたいなあ』
 そう思ってすこし肩の位置をお父様の二の腕にすり寄せた時でした。
 「お父様」
 いきなり健児がお父様の前に現れます。健児はこの時まだ八歳。その
子が両手を大きく広げますから、お父様は抱かないわけにはいきません
でした。亀山では幼い子こうすれば赤の他人だって抱き上げます。
 当然、私が握っていたお父様の手は解き放たれます。今からはずっと
ずっと握り続けていて欲しかった手なのに……
 「おう、健児はいつの間にか重くなったなあ。ママのおっぱい沢山飲
んでるな」
 頭より高く『たかいたかい』をしてもらった健児はご機嫌なお父様に
ご機嫌な笑顔を作って答えます。
 その健児が地面に下ろされてまず言ったことは私の肺腑をえぐる言葉
でした。
 「ねえ、お姉ちゃま、今日は、お仕置きなの?」
 こう問われてお父様は少し苦笑い。それをフォローしてママが…
 「違いますよ」
 「でも、お姉ちゃまは今日が13歳最後の日でしょう。みんな言って
るよ。女の子は14歳の誕生日前にとびっきり厳しいお仕置きをされる
って……」
 「そんなことはありません。それは過去に色々と大人の人達に迷惑を
かけた子だけが赤ちゃん時代の清算としてやられるの。お姉ちゃまは、
これまでずっとよい子だったから、きっとそんなことにはならないわ」
 「ほんと?」
 「本当よ」
 「だって、クラスの女の子たちが、13歳最後の日は地獄なんだって」
 「そんなことはありません。今日はご近所のおじさまたちと赤ちゃん
時代の思い出話をするだけよ。さあ、いいから、お家に帰って宿題すま
せちゃいなさい。今日はママ忙しいからピアノの練習とお習字は青山の
おばさまが代わりに面倒見てくださることになってるの。いつも以上に
ちゃんと良い子にしてるのよ。怠けたらすぐ分かりますからね」
 「ネンネも青山のおばさまとなの?」
 「いいえ、あなたのネンネまでには帰るわ。それまでに決められた事
をやっておかないと、あとが怖いわよ。いいわね」
 「は~~い」
 ママは最近知恵がついてさぼり気味になってる健児に釘を差すと追い
払ってくれました。でも、それで私の苦境が改善されるわけでもなく、
それからも私は屠殺場へ向かう牛のようにお父様に手を引かれてクリス
タルパレスへの長い坂道をとぼとぼと歩いて行ったのでした。
 こんな日はもう目的地に着くまでは誰とも会いたくないのですが……
やはり狭い街のこと、そうもいきません。
 坂道のちょうど中間点あたり、少し開けて亀山の町並みがよく見える
場所でその人は街の風景をスケッチしていました。
 「小西先生、こんにちわ」
 私は、内心はともかく笑顔でこちらから挨拶します。それは亀山では
子供の義務でした。大人たちが子供にせがまれれば何をさておいても抱
かなければならないように、子供たちもまた笑顔の挨拶が義務。もし、
挨拶してもふてくされた顔や嫌々ながらの顔なら、もうそれだけで大人
たちはお仕置きの準備だったのです。
 そのあたりは厳格に守られていた習慣でしたから、もう条件反射の様
にして笑顔とおじぎがセットになってやってしまいます。
 「おや、恵子ちゃん。もう来たの?……私も、もうそろそろパレスに
行こうとしていたところなんだ。そうだ、よかったら記念に私に13歳
最後の日をスケッチさせてくれないか」
 一旦片づけ始めていた小西先生がふたたびスケッチブックを再び取り
出します。
 「そりゃあ、いい。写真もいいけど、絵というのはそれとはまた違っ
た趣がありますからね。恵子。小西先生に描いてもらいなさい」
 話は決まりました。急遽、私はそばにあった桜の木にしだれ掛かって
小西先生のモデルを務めることになったのでした。
 小西先生は天野のお父様と同じ立場の方ですから本来なら『おじさま』
とお呼びするところですが、私は小西先生に絵を習っていましたから、
あえて小西先生だったのです。
 「おう、画伯。今日はスケッチ旅行かい」
 富田のおじさまが声をかけます。
 「モデルは天野先生のご令嬢、恵子姫か。どれどれ……」
 おじさまはスケッチブックを覗き込みます。
 「おう、こりゃあ美人だ。二三年経つと、きっとこうなるという顔だ」
 そう、小西先生は今の私の顔から想像してハイティーンになった頃の
私を描いてくださったのでした。
 ほんの十分ほどの間でしたが、次から次にギャラリーが増えていき、
桜の木の周りはたちまち黒山の人だかり。みんなクリスタルパレスに私
を見に行くお父様たちばかりでした。
 「ほら、見てごらん」
 丁寧にデッサンされた絵の中の私は小西先生の中で理想化されていて、
まるで別人のようですが、悪い気持ちはしませんでした。
 いよいよ私たちは、亀山の街中から少し離れた小高い尾根の上に建つ
四階建ての大きな建物へと入って行きます。クリスタルパレスは地下と
一二階がパブリックスペース、三四階が女王様のプライベートスペース
です。特に一階には百畳ほどの展示スペースや五十席ほどの映写室なん
かがあって、まるで博物館か市民ホールのようになっています。
 今、その展示スペースで一週間前から開かれているのが、私の回顧展。
『回顧展』だなんていうとまるでお亡くなりなった有名人みたいですが、
私も今日で赤ちゃんという現役を退きますからそういう意味で同じかも
しれません。
 もちろんこれは私だけじゃありません。亀山の子が十三歳を終える時
には誰にでも企画される催しだったのです。
 物語(写真)は、おばば様にうだかれてお父様の門を叩いた時から始
まっています。おばば様が差し出す乳飲み子を受け取った瞬間のお父様
とお母様の喜びの表情がそこにありました。
 「へえ~」
 こんな写真が撮られていたなんて私自信初めて知ったのでした。写真
だけじゃありません。ガラスケースに恭しく収まって哺乳瓶やガラガラ、
起きあがりこぼしや産着、オムツまでもが麗々しくも飾られています。
 ハイハイの瞬間も、タッチの瞬間も、もちろん、あります。
 少し大きくなった頃には、教壇に立つママにおんぶされてる写真も…
世間じゃあり得ないでしょうが、ここではこれも常識なんです。
 赤ん坊は三歳までは母親が抱いて育てる決まりになっていましたから。
 おかげでミルク、オムツ、ぐずりと何があっても授業は中断しました
が、私たちはそれが当たり前の事だと思っていました。
 やがて幼稚園ともなると、私の作品が登場します。稚拙なお絵かきや
人生初めて作ったお人形。手足をただ動かしてるだけのバレイなんかも
ちゃんと写真になって残っていました。
 お父様やお母様はもちろん、ママやおじさまたちも懐かしそうに眺め
ていますが、当の本人はまだ自分を回顧するには早すぎてただ気恥ずか
しいだけでした。
 そうそう、会場内に流れていたBGMも私のピアノでした。ちょうど
オープンリールの録音機が出たばかりの頃で、新しものが大好きな本宮
のおじさまが気を利かせて盛り上げてくださったのでしょうが、それは
とある発表会でとちってメロメロになった時のものでしたから…
 『よりによってどうしてこんなの流すのよ。消してよ。お願いだから
消して!』
 私の心臓は締め付けられるばかりです。そこへ張本人が現れて……
 「恵子ちゃん、おめでとう。ちょっと見ないうちに随分大人になった」
 「こんにちわ、」私とすればおじさまの胸にすぐにでも飛び込まなけれ
ばならないのはわかっていたのですが……
 「おや、ご機嫌ななめみたいだね」
 「そんなこと……」
 私は否定しましたが、まだ心の中を隠すまでの笑顔を作る事までには
至っていまませんでした。
 「ほら、おじさまに抱いてもらわないと……」
 ママが背中を押しますが、足取りは重くて…私自身は感じていません
が、どうやらその時、私はおじさまを睨みつけていたみたいでした。
 「どうしたの。今聞こえてる曲、覚えるだろう?先日の発表会で君が
弾いてたのを会場で録音して流しているんだよ」
 『だから嫌なの!こんな失敗した演奏なんか流してどういうつもりよ。
おじさまは私に意地悪する為に来たの!恥をかかせるために来たの!』
 私は喉元まで出掛かった言葉をやっと押さえていました。
 「でも、失敗しちゃって……」
 これだけ言うのが精一杯でした。
 でも問題はこれだけではありませんでした。というより、今日の宴席
ではこんなのはほんの序の口、軽い挨拶代わり。問題はこれからだった
のです。
 「さあ、映画が始まるわ」
 「映画?」
 「そうよ。あなたの成長の記録を山崎のおじさまが編集してくださっ
てるのよ」
 「それって、ひょっとして……(図書館の……)」
 私は怖くてその先が口にできませんでした。
 「さあ、行きますよ」
 ママは私の背中を押します。目の前には映写室。ドアがすでに開け放
たれているのですが中は真っ暗でした。ただその大部屋の先がほんのり
明るく光っていてすでに映写会は始まっているようでした。
 「恵子ちゃんは木登りが得意でした。すでに幼稚園児にしてこの高さ」
 当時の動画はまだ8ミリフィルムの時代。それが16ミリと32ミリ
で撮られたフィルムを2台の映写機を使って上映しているのです。特に
32ミリは劇場映画と同じものですから今にして思えばお金持ちにしか
できない贅沢な趣味でした。
 「先生方が心配して見上げるさなか手を振っています」
 32ミリでは山崎のおじさまが下手なナレーターまで務めています。
 「ほらあ~~~見てえ~~~」
 当時幼稚園の裏庭にあった柿の木を一番上まで征服した幼い日の私の
声が聞こえます。
 でも、この後……
 「おっ~~~」
 場内にどよめきが起きます。実は枝が折れて私は落下するのです。
 それをキャッチしてくださったのは原口のおじさまでした。
 丸いお顔でいつも笑っておいででした。この時も抱き上げられた時に
おじさまが笑っていたのを覚えています。
 「失礼します」
 私は劇場内でお父様を見つけてその隣に座ろうとします。でも……
 「おいで」
 お父様は私が隣に座る事を許してくださいません。
 「はい」
 そう言うしかありません。そう言ってお父様のお膝に乗るしかありま
せんでした。
 「今日は、私のお膝の上にお前を乗せて一緒に見ていたいんだ」
 「えっ、……」私に小さな緊張感が走りました。もちろん私は天野の
お父様の子供ですから、言われたらどんな命令にも従わなければなりま
せん。ただ、ここしばらくは「もう、重くなった」からとお膝の上は免
除されていたのでした。それが久しぶりに……
 「でも、重たくありませんか?」
 「大丈夫だよ。歳は取ってもそのくらいのことで音を上げたりしない
から……」
 実は、私が大人に近づいてお父様を異性を意識を意識し始めている事
に気が付いておいでだったのです。お父様たちは紳士ですから娘に無理
強いはなさいません。それは、お仕置きを見学すると言うのとは違った
心持ちでした。
 今はそんなお父様の気持が理解できますがその瞬間は不思議だったの
です。
 私はそろりと膝の上へ…でも、お父様はそんな私をしっかり抱きしめ
て息もできないようにしてしまいます。そう、ちょうど今スクリーンに
映っている時代に寝床で起こった出来事のように……
 幼稚園、小学校を通して私…いえ亀山で暮らす子供たち全てがお父様
の前では全裸で添い寝しなければなりませんでした。寝室で一糸纏わぬ
姿になってお父様の胸にうだかれます。
 巷の常識では奇異に聞こえるかもしれませんが、ここでは当たり前過
ぎるくらいの常識で、私も幼い時は恥ずかしいも何もありませんでした。
お父様はもう年配ですから体臭もしますし肌も皺々です。けれどタオル
ケットやバスタオルにくるまれて抱かれるとそれはそれで幸せな気分に
なります。
 特に天野のお父様は物語を作るのが上手で妖精の話や天国の事、外国
の子供たちの話やご自分が育てた本当の子供たちの事なんかもよく話て
くださいました。
 いえ五年生まではそれで何ともなかったんです。でも、六年生も半ば
を過ぎる頃からベッドの中に裸でいると心の中に妙な気持が湧くように
なったのです。
 とはいえ巷の子のように性に関する知識をまったく持っていなかった
私はそれが何なのかまったく分っていませんでした。それを察したので
しょう。ある日、お父様は私にパジャマを着けるように命じましたが、
私の方でそれを拒否します。他の子がみんな裸で寝ているのに自分だけ
ずるしているようで嫌だったからでした。
 そうはいっても子供は赤ん坊の方へは戻れません。昔はしがみついて
寝ていたお父様との関係もこの一年ほどはただ横で寝ているだけになっ
ていたのです。それが、今日は強烈に抱きしめられて……
 でも、あらがう気持はありません。たとえおじいさんでも、男の人の
大きな胸に強い力で締め上げられると不思議と心が落ち着きます。
 そして、画面はそうやって落ち着いて見なければ、心がどっかへ飛ん
で行ってしまいそうなものになっていたのでした。
 「あなたはお父様がいなければここでは暮らせないのよ。………この
ブラウスもスカートも靴下もすべてお父様の物なの。あなたの物はここ
には何一つないわ。見てご覧なさい。あなた何か持ってるかしら?……」
 先生に促されるまでもありません。先ほど身ぐるみ剥がされて、今は
素っ裸なんですから。
 幼い私は泣いていました。お友だちがみんな恐る恐る私の前を通り過
ぎる姿がスクリーンに映し出されています。
 もちろんこれは私だけに課せられる特殊な罰ではありませんでした。
亀山で暮らす子供たちなら男女に関わらず年に一度や二度必ずやられる
お仕置きだったのです。
 「私は悪い子でした。これからはお父様のお言いつけを守ってよい子
で暮らしますからどうかこれまで通りここへ置いてください」
 最後は必ずこの言葉を乙女の祈りのポーズで誓わなければなりません。
 このように上映されるフィルムは必ずしも名誉な事ばかりとは限りま
せん。正視に耐えないようなお仕置きだって、私の歴史だったのです。
 「恥ずかしかったかい?」お父様が私を包んでいてくれたことが救い
でした。そして、その大きな胸の中に向かってこうおっしゃったのです。
 「恵子は女の子だからできたら一度も恥はかきたくないだろうけど、
恥をかいた事のない子は弱い。幼い頃にどんなにたくさん愛されていて
も、愛される人の前で恥をかいた事のない子は幸せにはなれないんだよ」
 「えっ?ホント?」
 「本当だよ。女の子の心の強さは猫可愛がりだけじゃ育たないからね。
男の子が仕事を成し遂げて自信をつけていくように女の子は愛される人
の前で恥をかくことで自信をつけるんだ」
 「?????」私はその時のお父様の言葉がまったく理解できません
でしたが、社会に出た今はその言葉が理解できます。女の子というのは
本来コンプレックスの塊のようなものですから男の子のように成功体験
を積むだけでは自信に繋がりません。
 いくらうまくいっていても『次はうまくいくかしら』『失敗したらどう
しよう』なんて余計なことばかり考えちゃうのです。ところが愛される
人の前で裸になるというか恥をかくと、そこから先、失うものがなくな
ったせいでしょうか、不思議と『これできっとうまくいく。幸せになれ
る』と信じられるようになるのです。
 ま、今時のキャリアウーマンや殿方には分からない理屈でしょうが、
私の人生経験ではそうでした。そしてこれは亀山の教育哲学みたいなも
のでもありますから、女の子たちはあちこちで大人たちから問答無用の
恥をかかされるはめになるのでした。

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このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

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