2ntブログ

Entries

小暮男爵 >

小暮男爵

***<< §5 >>****

 お父様と私はお勉強を終えると、その後は一緒の布団で寝ます。

 タオルケットでぐるぐる巻きにされて、その身体をギューって
もの凄い力で締め上げられながら、私は学校の事を話しお父様は
ご自分の昔話をなさるのです。それって、脚色もあるんでしょう
けど、まるで童話のように楽しいお話でした。

 子供の頃悪戯ばかりしていてよくお尻を鞭でぶたれていた話や
ヨーロッパへ留学していた頃ラグビーの試合で気絶して優勝した
瞬間は覚えていないことやヨーロッパのお姫様と秘密のデートを
重ねた思い出、ヨットが遭難して無人島で一週間も過ごしたこと
など色々です。

 どれもこれも面白くて私を興奮させます。
 そして、その興奮がひとしきり収まった頃、私はお父様の胸板
に鼻の先をちょこっとだけ着けて眠りにつくのでした。


 翌朝、
 私は起きると自分が真っ裸にされていることに気づきます。

 『あっ!』
 焦った私はタオルケットを強く引き寄せましたが、どうやら、
それに気づいてお父様も目が覚めたみたいでした。

 「おっ、起きたか」
 ご機嫌な笑顔が目の前に……

 「おはようございます」
 私はちょっぴりくぐもった声になりました。

 「はい、美咲ちゃん、おはよう」
 お父様は私の鼻の頭を撫でただけでしたが、その瞬間、あの時
の胸の痛みが再び現れます。

 『そうか、これって、恥ずかしいってことなんだ』
 私はこの『ドキッ』という衝動が恥ずかしいという感情なのだ
と、この時初めて知ったのでした。
 だって、これまではお父様に限り恥ずかしいなんていう感情は
起きませんでしたから。

 えっ、そんなの変ですか?
 でも、そうなんです。

 我が家でのお父様というは、昨今流行の『足長おじさん』風と
か、『親切な他人』風といった軽い存在なんじゃなくて、まるで
神様みたいなものなんです。

 だって、この家ではどんなに強そうな下男もどんなに賢そうな
家庭教師もお父様の前ではかしこまっています。大人でも誰一人
逆らえませんから一番偉い人のはずです。ましてや何の力もない
子供の場合はなおさらでしょう。

 子どもたちにとってお父様というのは、その存在が空気みたい
に当たり前で、かつ宇宙みたに巨大なものですから、それが無く
なるとか、そこから離れようなんてそもそも考えることがありま
せん。

 たとえお仕置きにあっても、それは友だちとの喧嘩なんかとは
違って、これはもう自然災害みたいなものですから、諦めるしか
ないわけで、どんなに厳しいお仕置きになってもお父様を恨むと
いうことにはなりませんでした。

 もし、あなたが自分以外誰一人いなくなった地球で、素っ裸に
なったとしましょう。それって恥ずかしいと感じるでしょうか。
私とお父様の関係って、そんな異次元の関係だったんです。

 子供たちは、幼い頃からお父様のもとで絶対服従を強いられて
いましたが、それって空から雨が降ってくるくらい当たり前の事
でしたから気にしても仕方がありません。逆に、普段はたっぷり
愛されていますから、殊更不幸を嘆く必要もありませんでした。

 そんな人間関係では、他の人の前でなら必ず起きる事が起きま
せん。恥ずかしいという感情が起きないのです。私は、お父様の
前でなら、素っ裸になっても感じる事は何もありませんでした。

 ところが……
 そのお父様の前で、今、恥ずかしいと感じる。そんな当たり前
のことが、この時初めて起こったのでした。

 でも……

 「ん・どうした?恥ずかしいのか?」
 お父様の方からせっかくそう問いかけてくださったのに、私は
首を振ってしまいます。
 自分の気持が何なのか、その時はまだ確信が持てませんでした。

 それに気をよくしたからでしょうか、お父様が……
 「よし、それじゃあ、今日は、まず浣腸しようか。河合先生の
お話では、ここ三四日はお通じがないっておっしゃってたから。
私もさっきお腹を押してみたけど、美咲ちゃんのお腹、やっぱり
張ってるみたいだよ」

 お父様はまだ寝ぼけ眼の私が一瞬にして飛び上がるようなこと
を軽る~く言ってのけます。
 それを聞いた私の目は点になっていました。

 「あっ、先生。美咲にカンチョウしようと思うんですが、今、
手伝っていただけますか?……あっ、そうですか、お願いします」
 お父様はベッド脇のインターホンを使ってさっそく河合先生を
呼びだします。

 慌てた私は思わず全裸でベッドの脇に仁王立ち。
 でも、そこから先、私は体が動きませんでした。

 いえ、本心はこの部屋から逃げ出したいのですが出来なかった
のです。

 そもそも私の場合、たとえ自分のことでなくとも『カンチョウ』
という言葉を聞いただけで、やはり全身鳥肌、全身金縛りでした。

 身体は動きませんが、頭の中では不幸の記憶が回っています。
 苦々しい思い出が次々に蘇って仁王立ちの私を苛むのでした。

 お浣腸でまず嫌なのがあの姿勢です。特に私の家では赤ちゃん
がオムツ換えをする時のような仰向けで両足を高く上げる姿勢で
やらされますから、その瞬間は、無防備で何一つも隠せません。
お父様はともかく、たとえ同性でも河合先生にあそこを覗かれる
のは恥ずかしくて仕方がありませんでした。

 次はお薬が入ってくるあの瞬間です。お尻の穴に差し込まれた
ガラス管の冷ややかな感触やそこから発射されたグリセリン液が
直腸を逆流していくあの感触。恥ずかしい姿勢ともあいまって、
心は屈辱感でいっぱいになります。

 おまけにお薬の注入が済んでもすぐにトイレへは行けません。
 次は、オムツを当てられて、ウンチを出るのをできるだけ我慢
しなければなりません。たいていはお父様に抱っこされた状態で、
目を真っ赤にして見開き、お父様の襟の辺りを必死に握りしめて
我慢することになります。

 その苦しいことと言ったら、マジで死ぬ思いです。

 ところがそんなお父様の胸の中であやされていると、それとは
別の感情もわきます。安らぎというか、恍惚感というか、お酒に
酔ったみたいというか、とにかく不思議な気分です。
 この瞬間は私の心の中で天国と地獄が同居しているようでした。

 『もし、穿かされたオムツにやってしまったら……』

 そんな超恥ずかしいことが頭の中を支配するなか、それが一瞬、
とても楽しいことのように感じられたりして………でも、今度は
そんな事を思っている自分に気づき、思わずゾッとして我に返る。
 そんなことの繰り返しなのです。
 とにかく必死に頑張るしかありませんでした。

 お父様は、娘のことだと思って…
 「大丈夫、大丈夫、どうにもならない時はお漏らししてもいい
んだよ。お父さんだっておまえのオムツを取り替えてあげた事が
あるんだから……」
 なんておっしゃいますが、それはもちろん私が赤ちゃんの時。
病気の時てせす。こんなに大きくなってから、そんなの絶対に嫌
でした。

 もしこの事がお姉さまたちに知られたら、恥ずかしくて、私、
この家で生きていけなくなります。

 私が恥ずかしくないと言ったのはあくまでお父様と二人だけで
いる時だけ。他の人に対しては、みんなそれなりに恥ずかしいと
いう気持を持っていました。

 「よし、もういいぞ。ここでやってしまおうね」
 お父様はこう言って河合先生に私専用のオマルを用意させます。

 「いや、私、トイレ行くから」
 私は最後の力を振り絞ってお父様の胸から出ようとしますが、
たいてい果たせませんでした。

 「ほら、オムツが取れた。もうちょっとだけ我慢してね」
 お父様の声が遠くに聞こえます。

 もちろん排泄は屈辱的ですがその前に我慢できるだけ我慢させ
られていますから、その瞬間はもう放心状態です。
 お父様に両方の太股を持たれて人間イス状態で用を足します。
その時は恥ずかしいだなんて感じる余裕すらありませんでした。

 いつも決まってこんな感じです。
 しかも、終わった後もお薬の影響で下腹が嫌な感じで渋ります
から、これも最悪でした。
 ですから、こんなことをされた朝はホントに最低最悪なんです。

 こんな最低最悪の朝は拒否したいところですが、そこは悲しき
小学生。お父様がいったんやるとおっしゃったら小学生がそれを
拒否することなんてできませんし、逃げ出すこともできません。
 ここを出ても生活ができませんから小学生には逃げ出す場所が
ないのです。

 そんなわけでこの日の朝もインターホンで呼ばれた河合先生が
ピストン式のガラス製浣腸器やら蒸しタオルやらを持ってお父様
の部屋へとやって来ます。

 「ねえ、やめて……お願い……ねえ、やめようよ。恥ずかしい
もん」
 私はお父様におねだり声で擦り寄りますが……

 「大丈夫だよ。見てるのは、お父さんと河合先生だけだもん。
それともサッチャン(お手伝いさん)に手伝ってもらおうか?」
 
 「いや、絶対にいや。…ねえ、これって私へのお仕置きなの?」

 「オシオキ?……いや、そんなつもりはないけど…………ああ、
昨日のことね。たしかに、お父さんと一緒に暮らすこの一週間は
今までより大変かもしれないけど、それは美咲ちゃんにきちっと
した生活習慣を身に着けて欲しいからなんだ。遥ちゃんは、まだ
自分の事で手一杯みたいだから僕が助けなきゃって思ったんだよ」

 「じゃあ、このお浣腸はお仕置きじゃないの?」

 「もちろんそうだよ。お腹に老廃物が溜まってるのは健康にも
よくないからね。いらないものは出してしまわないと」

 「いらないものって……私、わざと溜めてるわけじゃないし…」
 声が小さくなります。

 「それにだ。最近、美咲ちゃんがお友だちと喧嘩したり学校の
成績がイマイチだったりするのも、便秘でお腹が重くるしくて、
ストレスになってるからじゃないかと思ってね」

 お父様の言葉には、それなりに説得力がありますが、だからと
言ってそれをあっさり認めるわけにはいきません。

 「そっ……そんなことないよ。わたし全然平気だよ。……関係
ないよそんなこと……ほんのちょっとだもん」
 私は慌てて否定しますが……

 「そう、ほんのちょっだけなんだ。だったら、やっぱりお腹は
張ってるんだ」
 
 「だから大丈夫だよ。そんなことでお友達と喧嘩なんてしない
し、勉強ができないなんてことないもの」
 
 「でも、お腹が張ってるのは自分で分かるんだろう?」

 「それ……は」
 私が口ごもると、その後はそのまま押し切られてしまいます。


 素っ裸のままお布団の上に仰向けになって、両足を高く上げ、
その上げた両足が下りないように太股を自分の両手でしっかりと
支えます。
 やがて大きな注射器のようなガラス製の浣腸器の先が私のお尻
の穴を突き刺すのですが、それを待つこの瞬間が一番嫌でした。

 女の子にとってすべてがあからさまになって隠すところがない
なんて……逃げ場がどこにもないわけですから……本当にこの上
なく恥ずかしいんです。
 
 「さあ、いくわよ。力抜いて」
 河合先生の声がして、ガラスの先端が私のお尻の穴を突き刺し
ます。

 幼い頃はお浣腸が嫌で嫌で仕方がありませんから、そのガラス
の先端がお尻の穴に触れた瞬間、肛門を閉めて必死に抵抗した事
もありました。

 ところが、ある時お父様がそれに怒って、ここにお灸をすえた
ものですから、それ以来なくなりました。

 お父様は私たちを養女にしていますが、年代的に言うとお父様
と言うより御爺様世代。ですからお灸なんていう古風なお仕置き
もお父様の中ではいまだに現役だったんです。

 お灸はキツイお仕置きだったのでいつもいつもというわけでは
ありませんが、ここぞという時は、他の姉妹をわざわざお部屋に
招いてから行います。

 熱いのと恥ずかしいのが一緒になった公開処刑です。

 お灸をすえられた回数は人によってさまざま。一学期に一回は
必ずというお転婆さんもいれば、一年か二年に一回あるかないか
というおとなしい子もいます。

 ただ、ここを巣立つまでの間に一度もすえられたことがないと
いう子はいなかったんじゃないでしょうか。
 どの子の肌にも、確かにお父様に育てられましたという証しと
しての灸痕が身体のどこかについていました。

 特に私がやられた肛門へのお灸はとびっきり熱くて、しばらく
はウンチをするたびにそこが沁みますから他のお灸のお仕置きに
比べても大変です。

 このため、ピストン式のガラスの先端がお尻の穴に当たると、
最初は必ず肛門を閉じますが、すぐにそれを思い出して緩めます。

 最初はお浣腸をされたくない一心で肛門をきつく閉じてしまう
のですが、すぐにそれがどんなに厳しいお仕置きに繋がっている
かを思い出して今度は反射的に肛門の筋肉を緩めてしまうのです。

 ならば最初からお尻の筋肉を緩めたままにしておけばよさそう
ですが、それがそうもいきません。
 実はこの一連の作業、頭で判断していたというより、ほとんど
無意識にこうなってしまうのでした。

 『んんんんんん』
 お薬が入ってくる瞬間は毎度毎度何ともいえない不快感です。

 『あ~~トイレ、トイレ』
 私は心の中で叫びます。

 お薬の注入が終わると、すぐにオムツが当てられ、私の身体は
河合先生からお父様に引き渡されますが、この時はすでにトイレ
へ行きたいという状態になっていました。

 『わ~~~だめ~~~』
 グリセリン溶液は即効性がありますから、すぐに効果がでます。
それももの凄い勢いでお腹が下りますからたちまち全身脂汗です。
 でも、すぐにおトイレへ行けるわけではありませんでした。

 5分、10分、いえ、時には20分もお父様の胸の中で我慢を
続けなければなりません。

 「ああ、いい子だ。でも、もうちょっと我慢しようね」
 私を引き取ったお父様は玉の汗をかきながらもパジャマの襟を
必死になって握りしめる私の顔を優しく見つめます。

 「ああ、いい子だ、いい子だ。頑張れ、頑張れ、もう少しだよ」
 お父様は10歳を越えた娘をまるで赤ん坊のようにあやします。

 「………………」
 おしゃべりな私はお仕置きの最中ですら余計な一言を言っては
お父様をさらに怒らしたりするのですが、さすがにこの時ばかり
は何一言も声がでません。
 もし、何かしゃべったら、それがきっかけで飛び出してしまい
そうなんです。さすがの私も無口になるしかありませんでした。

 『お浣腸』って体(てい)の良い拷問みたなものなんのです。

 ところが、お父様はそんな時でも私を赤ちゃんに見立てて笑わ
そうとします。
 「ほら、美咲ちゃん、面白いか?ベロベロばあ~」

 「いやっ……やめて……」
 私は不快といった感じで最初はお父様を睨みます。

 でも、そんな声と顔は長く続きませんでした。お父様のそんな
百面相を見て笑い上戸の私がつられて笑ってしまいますから困り
ものなのです。

 実際、こんなにも大変な状況なのに傍目には微笑ましい光景と
感じられる不思議な世界でした。

 さて、お父様からそんな風にしてオモチャにされているうち、
大人用の量を入れられた私のお腹はどうにもならないところまで
きてしまいます。

 お父様のパジャマの襟を必死に掴んで耐えられるだけ耐えては
きたものの、今さらオムツを外されてもトイレへ駆け込む時間は
残っていないと分かります。

 だって、その間に爆発しちゃいますから……

 そんなこんなはお父様もよくご存知です。
 そこでお父様が空気イスで私を支え、私は室内便器(オマル)
で用をたすことになります。
 オムツの赤ちゃんが『ママ、ウンチ』と言ってやってもらう、
あれと同じ姿です。

 終わると素っ裸の私は涙目で嫌なことをしたお父様の大きな胸
を叩き続けますが、その身体が再びお父様の抱っこの中へと吸収
されてしまうと、私はその胸中で隠れるようにまた笑ってしまう
のでした。

 自分でもなぜこんな時に笑ってしまうのかわかりません。
 でも、この時代はまだそれを押さえることができませんでした。

 私はお外では小学校高学年の女の子です。自分で言うのも変で
すが、わりとしっかりした少女です。でも、お父様との間では、
私の心は依然として幼い頃のまま。お人形のままです。

 「さあ、抱っこしてあげよう」
 なんてお父様に言われると、その誘惑に勝てません。どんなに
怒り心頭に達している時でも、お父様のこの一言で簡単に擦り寄
ってしまうでした。

 そんな様子を見続けてきたお父様はこのフレーズを多様します。
要するに私はまだ赤ちゃんだと思われてるわけで、私がお父様に
一人前の娘として認められ、色んなことに自由が与えられる日は、
この時点ではまだまだ遠い先のようでした。

*************************

小暮男爵 << §4 >>

小暮男爵

***<< §4 >>****

 遥ちゃんと離れて久しぶりにお父様と一緒の暮らし。
 つい六ヶ月ほど前まではここが私の勉強部屋兼生活の場でした
から元の生活に戻ったというべきかもしれません。

 この部屋は、本来お父様の書斎。ですから、この部屋の大半は
お父様のスペース。百科事典や美術書、学術書などなど大きくて
重たい本が作りつけの本棚に収められ壁と一体化していますし、
ライティングデスクの上には、お父様が書き物をする為に集めた
資料がいつも山となって積まれています。

 その一角に、こんな部屋の雰囲気とは似つかわしくないピンク
の勉強机、ピンクの本棚が置いてあるのですが、この辺りが私の
居住スペースでした。

 机の上には学校の教科書や参考書が並び、壁には私が展覧会で
入選した時の絵や習字、家族旅行の写真などが貼られ、本棚には
図鑑や児童書、地球儀、バイエルの教本などが置かれています。

 人目につく場所に置いてあるのはいずれも勉強か習い事に関係
ありそうなものばかり。例外はお父様から買ってもらったピー子
という大きな熊のぬいぐるみくらいでしょうか。これだけは箱に
入りきれないので本棚の一番上で腰掛けてます。

 でもそれ以外のマンガやオモチャは、お父様との約束ですべて
大きなダンボール箱に入れてしまい、使う時だけ取り出すことに
なっていました。

 遊んだ後は、また元のダンボール箱にしまわなければなりませ
んから二度手間です。オモチャをしまう時は『めんどくさいなあ』
と思いますが、しまい忘れると叱られますから渋々やってました。

 もし、オモチャをしまい忘れる日が続くようだと、『お仕置き』
なんてことも……普段は優しいお父様ですが怒るととてつもなく
恐いんです。

 我が家の場合、お父様を怒らせた場合、パンツを剥ぎ取られて
お尻を叩かれるというのが一般的ですが、お仕置きはお尻叩きと
決まっていたわけでありません。ケースバイケースで種類は色々
でした。

 お庭や廊下に立たされたり、百行清書なんてのはまだ上品な方
で、悪さがすぎると、例えば自分の部屋のベッドでお浣腸の姿勢
でずっと待たされたり、お庭に自生しているイラクサをパンツの
中に仕込まれて登校させられたり、なんて破廉恥な罰もたくさん
用意してあります。

 イラクサというのは西洋のおとぎ話なんかに出てくるあれです。
これには刺毛と呼ばれる細かな毛がびっしりはえていますから、
歩くたびにそれがお股に刺さって大変なんです。

 ですから、家から見えない処でパンツから取り出し、学校近く
まで来たらまた入れ直す、なんてズルも上級生になると覚えます。

 登校した後は保健室へ行って先生からイラクサを取っていただ
くんですが、保健の先生からお薬を塗ってもらう処も恥ずかしい
場所ですし、何より半日くらいはそこが痛痒くて仕方ありません
でした。

 ですからクラスに戻ってからも、人目もばからずお股を掻いて
しまいます。
 すると今度は担任の先生から『美咲ちゃん、はしたないわよ』
って……でも、本当に痒いんですからこれは仕方がありません。

 ある時、先生に……
 「先生は、やられたことないから分からないのよ」
 って啖呵をきったら……
 「そんなことないわ。私も子供の頃は両親から散々やらされた
もの」
 と言われてしまいました。

 どうやら『イラクサパンツ』というのはこの辺りでは伝統的な
子供のためのお仕置きのようです。

 その他にも、勉強中に居眠りなんかしていると、冷たい鉄板を
イスに敷かれて、そこに裸のお尻を乗せなきゃならなかったり、
オナニー癖のある子なんか、ゴム製の貞操帯を締めさせられたり
もします。

 他にも色々あります。特に女の子は種類が豊富でした。きっと、
大人たちは日々子どもにどうやってお仕置きしようか考えている
んじゃないでしょうか。そのくらい女の子へのお仕置きの種類は
バラエティーに富んでいました。

 でも、そんな私たちには厳し過ぎるお仕置き事情も先生たちに
言わせると、最近は親が子供に甘いんだそうです。


 さて、話が脇道にそれてしまいましたが、さっきの続きです。

 同居していた遥ちゃんの部屋から元いたお父様の書斎へ、私が
荷物を運び入れると、お父様がさっそく私の学習机の前にご自分
のイスを置き、そこに腰を下ろして膝を叩きます。

 これは……
 『さあ、美咲、お勉強するよ、ここへいらっしゃい』
 というサインです。

 実は私、ここへ来て以来ずっとそうなんですが、ごく最近まで、
お父様のお膝の上でしか勉強したことがありませんでした。
 ひらがな、カタカナ、ローマ字、九九も四則の計算も、みんな
みんなお父様のお膝で覚えたんです。

 ですから、私にとって勉強するというのは、まずはお父様の膝
に乗ることから始まるのでした。

 「おう、随分重くなったなあ」
 お父様の意外そうな声。
 お父様のお膝は六ヶ月ぶりですが、その間にも私の身長も体重
も増え続けています。

 「やったあ~」
 六ヶ月前を思い出し、腰を浮かして小さく跳ね回る私。楽しい
記憶が蘇ります。この場所、私、嫌いではありませんでした。

 この懐かしいふかふか感。お尻の割れ目に当たる軟らかい棒も、
昔からのことですからね、気になんてなりません。

 私は施設から引き取られて以来。このお膝で育ったようなもの
でした。多くのお姉さまたちは新しい妹がやってくるとその後は
この場所を明け渡さなければなりませんが、私の場合は、大きく
なってもお父様のお膝がホームグラウンド。
 ここで勉強し、ここで食事をして、ここで着替えも済ませます。
もっと幼い頃はお風呂やトイレまでも一緒でした。

 私だけじゃありません。ここに呼ばれた子供たちはまずお父様
のお人形となって人生のスタートを切るのです。

 ただ、私の場合その期間があまりに長いのでお姉さまたちから
は『あなた、何から何までお父様でよく恥ずかしくないわね?』
なんて呆れられてましたけど、私は『それがどうして悪いの?』
って居直ってました。

 だって、食事も、着替えも、お風呂も、トイレも……もちろん
全部独りでできますけど、大好きなお父様にやってもらえるなら、
そっちの方が楽で楽しいでしょう。だから自分からお父様のお膝
を下りるつもりはありませんでした。

 そのうち『私はお父様にとって特別な存在』なんて特権意識も
芽生えちゃったりします。もちろん、勘違いなんですが……。
 このように私の幼年期はお父様に甘えられるだけ甘えて暮らし
ていたのでした。


 この夜の私は算数のドリルや漢字の書き取りで2時間びっちり
絞られます。
 実はこのイス、身体の自由がききませんし、勝手に休憩もとれ
ません。おまけに勉強が終わる頃には、私とお父様の体温で全身
汗びっしょりです。

 決して快適な環境じゃありません。
 おまけに私は勉強が好きじゃありませんから、その間はずっと
大変な思いでした。

 「ほら、よそ見しないの」
 「抱っこされてると頭だってお父様の胸の中から動かせないの。
よそ見なんてできないでしょう!」
 私は口を尖らせます。

 「ほら、またあくびして……あくびなんかしてる暇ないよ」
 「仕方ないじゃない出ちゃうんだから。これは止められないの」
 私はスリッパを履いた足でお父様の向こう脛を蹴ります。効果
ありませんが……。

 「もっと集中して……ケアレスミスが多くなったよ」
 「やってるよ。これが私の精一杯。もう、これ以上無理なの!」
 身体全体をブルブルっと震わせます。これってせめてもの抵抗
姿勢でした。

 私はお父様が何か言うたびにぶつくさ。素直じゃありません。
よい生徒じゃないんです。
 でも、これもまた幼い日から続くいつもこと。お父様を本当に
イヤイヤしているわけではありませんでした。

 お父様のお膝はいつもふかふか。小さく上下に体を揺さぶると
楽しいですし、大きな胸の中にセットされた私の背中は安心感で
いっぱいです。
 一瞬のすきを見つけて厚い胸板に横顔を押し付けるなんてのも
心が癒されることでした。

 実際、私の身体はお父様によってどうにも身動きできないほど
拘束されているわけですが、幼い頃からこうやって勉強してきた
私にとっては、これがもっとも落ち着く場所だったのです。

 それだけじゃありません。お勉強が終わった後にお父様のお膝
の上で汗を拭いてもらい下着を取り替えるのも私にとってはお気
に入りのひと時でした。

 もちろん、それって私の心がまだ子供だから成立していた関係
なんでしょうけど。私の周囲には性の情報が何もありませんから
性の歩みは今の子よりずっとゆっくり。
 この時代の私はまだ純粋な子供で、お父様を性の対象としては
捕らえてなかったみたいでした。

 ただ、そんな私も歳を重ねます。性の情報はなくてもこの頃に
なると本人も気づかないうちに大人の入口に辿り着いていました。

 2時間後……

 「よし、よく頑張ったね。じゃあ、……今日はここまでにして、
ネンネしようか」

 お父様はそう言うと私を膝の上に立たせます。幼い頃と違って
この頃になると身体もだいぶ大きくなっていましたから、これは
大変な作業だと思うのですが、お父様はお構いなしです。
 わざわざ不安定な膝の上に私を立たせて服を脱がせ始めます。

 私も幼い頃からやっていますから要領はわかっています。
 危なくなれば近くにある本棚の棚を掴んでバランスをとります
から不思議と膝から転げ落ちるなんてことはありませんでした。
 ただ、お父様がなぜこんなアクロバティクなことを続けるのか、
それはわかりませんでした。

 我が家ではシャツもパンツも脱いでパジャマだけで寝る習慣に
なっていましたから、着替えの途中私は真っ裸になります。当然、
裸になった私の体はお父様の目と鼻の先に晒されるわけで、その
鼻の先が私のビーナス丘やお臍に当たるなんてことも……。
 ですから、ひょっとしたらそれが目的だったかも……。

 いずれにしても私とお父様の間にはそれ以上何も起こりません
でした。


 着替えが済んだ私は、そのまま抱きかかえられて、高い高いを
されたり、肩車されたり、頬ずりされたり、お父様とひとしきり
じゃれあってから布団に入ります。

 これってお勉強頑張ったご褒美なんですから、私としては純粋
に嬉しいことなんです。そりゃあ他の人に見られれば恥ずかしい
かもしれませんが私とお父様だけの場所なら何も問題ありません
でした。

 ところが、その夜は久しぶりのお着替えで緊張したのか、服に
お父様の手が掛かった瞬間、私の顔が一瞬曇ります。

 『えっ!!』
 どぎまぎする私。
 それって、当の私にも説明できない心の動きでした。

 きっと、それまで一度も意識したことのなかった私の性がその
瞬間だけ、人生で初めてうずいたんだと思います。
 いくら外からの情報が無い私でも女の子としての身体が素直に
反応したわけです。

 もちろん、お父様が自分とは違う性であることは私だって幼い
頃から知っています。知ってはいますが、それを体で感じたこと
など一度もありません。この時が初めての経験でした。

 私はほんの一瞬顔を曇らせただけでしたが、でもそんな微細な
変化にもお父様は気づきます。

 「どうしたんだい?私の顔に何かついているのかな?」
 お父様の苦笑い。

 「んんん」
 私は首を振ります。
 そして……
 「何でもない」
 私は素っ裸でお父様に抱きつきます。

 この時、ほんのわずかに膨らみかけていた幼い胸の先がお父様
に触れます。すると、また、あの電気信号が起きました。
 でも、ヴィーナスの丘はスベスベで産毛だけ。若草もまだ萌え
だしていません。
 そんな体で私はお父様に体当たりします。

 「……(う・れ・し・い)……」

 いつものようにお父様に抱きしめられた時、さっきまであった
胸の痛みは消えうせ、いつもの安らぎが戻っています。

 ん~~~これって、ファザコンというやつでしょうかね?

 かもしれませんね。ただ私だけじゃなくうちの姉妹はみんなが
そうだった気がします。お母様がいない家にあってお父様という
のは力も優しさも兼ね備えた絶対的な存在なのです。いわば神様
みたいなものでしたから、誰もが逆らえないだけじゃなくて誰も
がその愛を目指すことになるのでした。

 『お勉強は大変だけど、ここでお父様に抱いてもらえるのは、
そんな辛い時間を我慢したご褒美』
 私はお勉強を当時そんなふうに考えていました。

 そして、そのフレーズはお仕置きの時も同じでした。
 『お仕置きは大変だけど、辛い時間を耐えたらお父様はきっと
次の瞬間は優しくしてくれる』

 実際、お父様は私の期待を一度も裏切りませんでした。
 お勉強もお仕置きも最後は必ずお父様の抱っこの中でハッピー
エンド。

 ですから、私にとっては膝の上でのお勉強も膝の上でうつ伏せ
になるお尻叩きも同じ出来事(?)。お父様から幸せを得るため
の儀式だったのでした。

***************************

小暮男爵 < §3 >

小暮男爵

***<< §3 >>****

 その日は、夕食までは何も変わったことはありませんでした。
 五年生になってやっとお父様との添い寝から独立できた私は、
夕食の間じゅう一つ年上の遥ちゃんとおしゃべり。遥ちゃんとは
歳が近いこともあって何でも話せる間柄でした。

 ところが、それが一段落して、さて自分の部屋へ戻ろうとした
時です。私は家庭教師の河合先生から呼び止められます。

 「美咲ちゃん、お父様が何か御用があるそうよ。お父様、居間
にいらっしゃるから行ってちょうだいね」

 こう耳元で囁かれたものですから、す~っと頭の中から血の気
が引いていきます。

 『お仕置き!?』
 嫌な言葉が頭をよぎります。
 私に限らずそうなったことがたくさんありました。

 でも、行かないわけにはいきません。
 11歳の少女に逃げ場なんてありませんからそこは残酷でした。

 我が家の居間は、普段なら恐い場所ではありません。板張りに
ソファが並ぶ20畳ほどの洋間で、子供たちが自由にレコードを
掛けたりテレビを見たりします。

 おかげで少し騒々しい場所でもありましたが、お父様にとって
はそんな喧騒もまた楽しいみたいでした。
 ですから、よほどのことがない限り『うるさい』だなんておっ
しゃっいません。

 もちろん子供たちの出入りは自由。ただ我が家では、夕食後、
家庭教師の先生に居間へ行けと言われたら、それは要注意だった
のです。

 ここでは、お父様の耳元でパンパンに膨らました紙袋をパンと
破裂させても、ジャムがべっとり着いた手でお父様の襟を握って
も、お膝に乗って思いっきり跳ね回っても、それを理由に叱られ
ることはありません。
 ただ、無礼講のはずのこの場所も、子供たちにしてみたら天国
ではありませんでした。

 ここはお父様に愛撫されるだけの場所ではありまん。子供たち
はお仕置きだってここで受けます。

 たとえ高校生になった娘でも、お父様が命じれば妹たちがいる
この場所でパンツを脱がなければなりません。

 お父様は娘たちのお尻を素っ裸にして平手打ち。お浣腸やお灸
だってあります。
 ですから、この場所にはお尻への鞭打ちの際に身体を拘束して
おくラックやお浣腸、お灸などの用意もされています。

 私はこの居間でお姉さまの悲鳴を何度も聞きましたし、あまり
見たくありませんが、お姉さま方の大事な部分だって幾度となく
目の当たりにしてきたのでした。

 そんな場所に行くようにと河合先生に耳打ちされた私は心配で
たまりません。そこで、まずは入口から中の様子を窺いますが…

 「ほら、どうしたんだ。おいで」
 すぐに気づかれてしまい、お父様が私を中へ招きいれます。

 その顔はいつに変わらぬ笑顔でしたから、こちらも、ついつい
つられていつもと変わらぬ笑顔で部屋の中へ。

 お父様のお誘いにやがて駆け出すと、いつものように無遠慮に
ポンとその膝の上へ飛び乗ります。
 その様子はまるで飼いならされた仔犬のようでした。

 「おう、いい子だ、いい子だ」
 お父様はオカッパ頭の私の髪をなでつけ、その大きな手の平で
私の小さな指を揉みあげます。
 これもまたいつものことでした。

 『取り越し苦労だったのかもしれない』
 お父様がいつも私にやってくる愛情表現で接していましたから
そう思ったのです。

 でも、そこからが違っていました。

 「今日、お父さんね、河合先生と一緒に上杉先生に会ってきた
んだ」

 その瞬間『ギクッ』です。
 私は逃げ出したい思いですが、その思いは察知されて大きな腕
の中に抱きかかえられてしまいます

 『ヤバイ』
 私は直感します。でも、大好きなお父様の抱っこの中で、私は
おとなしくしているしかありませんでした。

 実はクラス担任の上杉先生と私はあまり相性がよくありません。
 だって、あの先生、友だちの上履きに押しピンを立てただけの
軽~い悪戯まで取上げて、まるで私がその子を虐めてるみたいな
ことを言いますし、テストの点が合格点にわずかに足りないだけ
で放課後は居残り勉強です。

 私にとってはこの先生の方がよっぽど『私をいじめてる』って
感じがしていました。

 「上杉先生、心配してたよ。美咲ちゃんは本当はとってもいい
子のはずなのに、最近、なぜか問題行動が多いって……」

 「モンダイコウドウ?」

 「例えば由美子ちゃんの体操着を隠したり、里香ちゃんの机に
蜘蛛や蛇の玩具を入れたり、瑞穂ちゃんの教科書に落書きしたの
もそうなんだろう?……昨日も男の子たちと一緒に登っちゃいけ
ないって言われてる柿の木に登って落ちたそうじゃないか。幸い
怪我がなかったけど、柿の木の枝は急に折れるから危ないんだ」

 「うん、わかってる」

 「分かってるならやめなきゃ」
 か細い声で俯く私の頭をお父さんは再び撫でつけます。

 自慢のストレートヘアは友だちにもめったに触れさせませんが、
幼い頃から習慣で慣れてしまったのか、お父様だけはフリーパス
でした。

 「でも、由美子ってこの間体育の時間に私の体操着引っ張って
リレー一番になったんだよ。あの子、いつもずるいんだから……
里香だってそう。宿題のノート見せないなんて意地悪するから、
私もちょっとだけ意地悪しただけだよ。……瑞穂の教科書は違う
わよ。あれはあの子がミミー描いていいよって言ったから描いて
あげたの。私が勝手に描いたんじゃないわ。そしたらさ、あの子、
それが自分の思ってたより大きかったから騒ぎだしちゃって……
先生には叱られるし、ホント、こっちの方がよっぽど迷惑してる
んだから」

 私はさっそく反論しましたが……
 「…………」
 見上げるお父様の顔はイマイチでした。

 「それだけじゃないよ。学校の成績も、いま一つパッとしない
みただね。朝の小テストは今週三回も不合格だったみたいだし」

 「あれは……」

 「あれは宿題さえちゃんとやっていれば誰にでもできるテスト
なんだだよ。……不合格ってのは宿題をやってないってことだ。
……違うかい?」

 「それは……先生もそう言ってた」

 「それと……単元ごとのテストは、合格点が何点だったっけ?」

 「80点」

 「そうだね。でも、美咲ちゃんのは、ほとんどが80点以下。
河合先生も最近は勉強に集中していないみたいだって……何か、
やりたくない理由があるのかな」

 「……そういうわけじゃあ……」
 私は即座に何か反論したかったのですが、ちょっぴり考えると
そのまま口をつぐんでしまいます。

 いえね、この頃は近所の男の子たちと一緒に遊ぶことが多くて、
それが面白くて仕方がなかったんです。だけど、男の子たちって
やたら動き回るのが好きでしょう。家に帰る頃にはくたくたで、
もう何をする気にもならないんです。勉強どころじゃありません
でした。

 でも、それを言ってもお父様は納得しそうにありませんから。

 そもそも、うちはお姉さまたちがいけないんです。みんな揃い
も揃って秀才ばかりですからね、何かと比べられるこちらはいい
迷惑でした。

 「樹理お姉さまはあなたの歳には3年先の教科書をやってたわ」
 とかね。
 「遥お姉さまがこの問題を解いたのは2年生のときよ。凄いで
しょう。誰かさんとは大違いね」
 なんてね。
 河合先生にいちいち比べられるのもしゃくの種でした。

 それに、お父様の顔色を窺うと……
 『どうして、お前だけできが悪いんだ』
 って言われそうなんで、強いプレッシャーです。

 「まだ、あるよ。これは上杉先生も笑ってらっしゃったけど。
この間の家庭科の宿題。あれはみんな樹理お姉ちゃんに作っても
らったんだろう?」

 「えっ!……あっ……いや……そ……そんなことは……」
 私は心細く反論しますが……実はそんなことがあったんです。

 「美咲ちゃん本当のことを言わなきゃだめだよ。お父さん嘘は
嫌いだからね」
 お父様に諭されると……

 「うん」
 あっさり認めてしまいます。
 私はもの凄く不器用で縫い物はいつも高校生の樹理お姉ちゃま
を頼っていました。樹理お姉ちゃまはやさしくてたいていの事は
やってくれましたから頼み甲斐があるんです。

 「他人に作ってもらった物を提出するのも、これはこれで先生
に嘘をついたことになるんだよ。宿題は下手でも自分で仕上げな
きゃ。そんなこと、わかってるよね」

 「はあ~い」
 私は消え入りそうな声を出します。
 でも、心の中では……
 『わかってるけど、できませ~~ん』
 でした。

 そして、その心根を隠すように顔はお父様の胸の中へと消えて
いきます。

 これって、甘えです。
 お父様と私は施設から連れてこられて以来ずっと大の仲良し。
こんなに体が大きくなった今でもお父様はまるで私を幼女のよう
な感じで抱いてスキンシップします。

 これって、慣らされちゃったってことなんでしょうけど、私も
また、そんなお父様の抱っこが嫌いじゃありませんでした。

 『お姉さまの誰よりもお父様は私を可愛がってくださってる』
 そう確信していた私はお父様に嫌われたくありませんでした。
お父様の命令には何でも従いますし、なされるまま抱かれると、
たまにその手がお股の中にも入り込むことがあってもイヤイヤを
したことがありません。
 むしろ知らず知らず甘えた声を出してはお父様に抱きつきます。

 でも、そんな蜜月も終わろうとしていたのです。
 
 「美咲ちゃん、こっちを向いてごらん。これから、大事な話を
するからね」
 お父様はご自分の胸の中に沈んだ私の顔を掘り起こします。

 「お父さん、いつまでも美咲ちゃんが赤ちゃんだと思って来た。
正確に言うと、赤ちゃんのままでいて欲しかったんだ、だから、
これまでは何があっても河合先生に『あの子はまだ幼いから……』
って言い続けてきたんだけど、これからはそうもいかないみたい
なんだ。これからは甘いシロップばかりじゃなくて、時には苦い
お薬も必要なのかもしれないなって思ってるんだ」

 「えっ!?私、お薬飲むの?」

 「はははは、そうじゃないよ」
 お父様は大笑います。

 でも、私は分かっていました。お父様の言う苦いお薬が、実は
お仕置きの意味だということを……でも、とぼけていたのです。

 お父様のお家の同じ屋根の下にはたくさんの姉たちがいます。
 その姉たちがどんな生活をしているのか。
 その扱いが自分とはどう違うのか。
 五年生にもなれば大体の事はわかります。
 そして、そんな特別待遇がいつまでも続かないこともこの歳に
なれば理解できるのでした。

 お父様と顔を合わせるたびに抱っこされてきた私。これまでは
何をやらかしてもお父様の懐に飛び込めば誰からも叱られません
でした。
 そんな私も、これからはお姉さまたちと同じ立場で暮らさなけれ
ばならなくなります。

 「これからしばらくはお父さんの部屋で一緒に暮らそう」
 お父様の言葉はその最初の一歩を刻むもの。
 ですから、私は戸惑いながらもイヤとは言いませんでした。

 私が観念したのが分かったからでしょうか。
 「最初は辛いことが多いかもしれないけど、美咲もいつまでも
赤ちゃんというわけにはいかないからね」
 お父様は宣言します。

 お父様の大きな顔が同意を求めて迫ってきました。

 絶体絶命のピンチ!
 でも、私は頷きます。

 『…………』
 
 この家で育った幼女が一人前の少女として認められる為の試練
の一週間。
 他のお姉さまたちはもっと幼い頃に済ましてしまった儀式を、
私はこの時初めて受け入れたのでした。

***********************

小暮男爵 <§2>

小暮男爵

***<< §2 >>****

 小暮家にやって来てからというもの私は一日の多くをお父様の
抱っこの中で過ごしていました。
 私がそう望んだというのではなく、リタイヤしたお父様が暇を
もてあましていて幼い私を手離そうとしないのです。

 私は独りになりたくてイヤイヤしたことが何度もあったようで
すが、そんな時でも一時的に河合先生が預かるだけで、またすぐ
にお父様の腕の中に戻されます。

 最初の頃はお遊びの時間はもちろん、食事、お風呂、おトイレ
……すべて一緒の暮らしだったのです。
 こちらはそうした生活に無理やり慣らされた感じでした。

 3歳という年齢を考えればそうしたこともそう不思議でもない
のかもしれませんが、幼児期を過ぎてもお父様は私を離しません。

 お父様は昼間ゴルフに出かけたり書斎で書き物をしたりという
生活でしたが、その場所にもお父様のお人形として私は参加して
いました。そんな時は河合先生が私の面倒をみるお母さん役です。

 『お父さんといつも一緒なんだから楽しそう』ですか?

 いえいえ、そこはそんなに快適な場所ではありませんよ。

 お父様が私を抱く時、そこはゴツゴツとした岩のような筋肉の
ベッドですし、まるで束子のような顎鬚が頭や顔にチクチク当た
ります。おまけに、男性特有の体臭が四六時中まとわりつきます
から、母親に抱かれるような優雅な世界ではありませんでした。
 幼児にとってはむしろ過酷な場所。ありがた迷惑な世界だった
のです。

 ただ、いいこともありました。
 そこはこの小暮家にあっては最も安全な場所だったのです。

 というのも、小暮家の娘たちなら避けて通れないお仕置きが、
お父様に抱かれている私には一度もありませんでした。
 そりゃあそうでしょう。お父様に四六時中抱かれている私は、
この家では赤ちゃん扱い。そんな赤ちゃんに、体罰を仕掛ける人
なんて誰もいませんから。

 その一方で人畜無害だと考えられていた私が、お姉さまたちの
お仕置きを見学することはよくあります。

 小暮家の厳しいお仕置きでは、お父様の前でパンツを脱ぐのは
当たり前。お臍の下を裏表しっかりチェックされた上に、その中
までも検査されます。

 そうやってから平手や竹の物差しでお尻が叩かれ悲鳴があがり
ます。時には女の子全員を集めてその前でお仕置きなんてことも。
 小暮家では女の子にお浣腸やお灸がなされることもありました
から、その恥ずかしさは半端ではありませんでした。

 今なら虐待ということなのかもしれません。
 理由なくはやりませんが、お父様が決断すると、それは厳しい
ことになります。
 私はそれを訳もわからず楽しく見学していました。

 それがいったいどれほど痛いのか、どれほど恥ずかしいのか、
そもそもお仕置きされたことのない私にはわかりません。
 幼児は気楽なものです。お姉さまの悲鳴や悶絶にも笑顔や拍手
で答えます。
 お父様の腕の中から見るお姉さまたちのお仕置きは、幼い私に
は退屈しのぎ見せ物(ショー)だったのでした。


 さて、それではこの小暮家の娘たち、いったいどんな時にお父
様からお仕置きされるのでしょうか。
 これには、だいたい四つのパターンがありました。

 『宿題や勉強を怠ける』
 お父様は女の子だから学問はいらないとは思っていませんから
成績が落ちるとお仕置きです。

 『嘘をつく』
 特に自分を守る為の嘘は最悪の結果でした。

 『お父様や学校の先生、家庭教師、お姉さまなどはもちろん、
庭師や下男、賄いのおばちゃんに至るまでおよそ自分より年長の
人は全て私たちより偉い人というルール』
 家の娘なんだから使用人の名は呼び捨てで構わないなんていう
お嬢様ルールはここにはありません。目上の人は誰であっても、
『○○さん』とさん付け呼ばなければなりませんでした。

 そして、お父様が何より気にしていたのが兄弟の仲でした。
 『兄弟げんかは理由のいかんに関わらずタブー』
 取っ組み合えば無条件で悲鳴が上がるほどのお尻叩きです。
 おまけに年長の子は年下の子の面倒をみさせられます。特に、
その子をいじめたりしようものなら、その結果は悲惨というほか
ありませんでした。

 もちろんそれってお父様がなさるお仕置きなんですが、私には
それこそが究極の弱い者虐めだったような気もします。
 お父様が怒るとそのくらい厳しいお仕置きでしたから。


 さて、そんな本格的なお仕置きが開始されるのが、この家では
10歳から。それ以前にもお仕置きはありますが過激なお仕置き
はありません。
 河合先生がご自分の判断でお尻叩きをすると驚いた子どもたち
がお父様の処へ逃げ帰るというのがあるくらいです。

 それが10歳を過ぎると状況が一変します。お父様がご自身で
判断して子供たちにお仕置きをなさいます。
 それって河合先生の時とは違い、子たちたちにしてみたらとて
も重いものだったのです。

 ただそれに先立ち、子どもたちはお父様へ一通の誓約書を提出
しなければなりませんでした。

 『もし約束を破ったらどのようなお仕置きもお受けします』
 簡単な誓約書は、しかしその後、長く私たちを縛り付けます。

 私も他の姉妹と同じように10歳になった時に誓約書を書いて
います。

 「いいかい美咲。この誓約書は、これから先、お前が児童施設
で暮らしたいのなら、いらないものだから書かなくていいんだよ。
どうするね。施設へ帰るかね」

 お父様はその時わざわざこんなことを言います。でも、その時
私は児童施設へ帰るつもりなんてありませんでした。
 私だけじゃありません。恐らくこの誓約書のせいで児童施設へ
帰る決断をした子は一人もいなかったと思います。

 私は、すでにお父様の実の子でないことを知っていましたが、
私には目の前にいるこの人以外に愛された経験ありませんから、
この人が世界で一番大事なお父様ですし、ちょっぴり口うるさい
ですけど、お父様と一緒にずっとずっと私の世話を焼いてくれた
河合先生がお母様です。
 もちろん、お姉さまともこのお家とも離れたくありませんから
答えは簡単だったのです。

 むしろ……
 『なぜ、そんなことわざわざ聞くんだろう。……ひょっとして、
お父様、私のことが嫌いになったのかしら……』
 なんて、余計な心配までしました。

 でも、お父様は私が誓約書を提出すると、まるで何事もなかっ
たかのように私を膝の上に抱いてあやし始めます。
 10歳にもなった少女と赤ちゃんごっこを始めるわけです。

 でも、そんなお父様に私の方も不満はありませんでした。
 女の子は何かにつけてお付き合いが大事ですからね、お父様が
望むなら私だって赤ちゃんとして振舞います。
 幼い頃やったおママゴトの延長ですから難しいことは何もあり
ませんでした。

 ガラガラが振られると笑い、おじやの入ったスプーンが目の前
に現れれば口を大きく開けて受け入れます。お風呂でもお父様が
私の服を全部脱がせて一緒に湯船に浸かり、流しで身体を隅から
隅まで洗ってもらうなんてことも……

 ある日突然こうなったわけではありません。歳相応という言葉
を知らないお父様によって、この時代は赤ちゃん時代からの習慣
がたくさん持ち越されていたのでした。
 お父様にしてみたら幼児も赤ちゃんも同じだったのでしょう。

 そして、こうしたことに抵抗感を示さない私はお父様の信用を
勝ち取っていきます。

 この時、お父様はすでに70歳近く。これまでも多くの女の子
たちを施設から引き取ってきましたが、さすがにこれ以上は無理
ということで私が最後の里子となっていました。
 つまり、私より年下の子はもうこの館へ来ないわけですから、
ずっと私がお父様のお膝を独占できるわけです。

 そんな事もあってお父様は私を幼女のままで育てたかったんだ
と思います。でも河合先生がそれを許さないので仕方なく誓約書
を取り出したという感じでした。

 そんな事情から、誓約書を提出した後も四年生の間は今までと
何ら変わらず私はお父様の赤ちゃんとして過ごすことになります。

 でも、五年生になって、とうとうその時が……
 お父様の家で暮らす少女なら避けて通れない試練の時が訪れた
のでした。

 小五から中一にかけて、大人たちはありとあらゆる機会を使い
子どもたちを躾けようとします。言いつけに背く子は無条件で罰
します。きついきついお仕置きは歳相応とはいえないほどの体罰
です。
 それがこれからはお姉さまたちだけでなく、お父様から寵愛を
受けていた私にも例外なく降りかかるのでした。

**********************

小暮男爵 < §1 >

小暮男爵

***<< §1 >>****

 その日、私は孤児院の庭で大きな木にぶつかりました。
 見上げると雲衝く様な大男が私を見下ろしています。
 私は不安げに笑いましたが……すると、三歳になったばかりの
私はいきなりその大男に抱きかかえられます。

 それが、男爵様との最初の出会いでした。
 そして、その時、地面を離れた足が再び施設の土を踏むことは
ありませんでした。

 私は男爵に抱きかかえられたまま孤児院の園長先生にお別れを
言い、そのまま黒塗りのシボレーに乗せられます。

 いきなりの環境の変化。でも、私は泣かなかったそうです。
 私は男爵様の膝の上でまるで何事もなかったかのように変わり
ゆく車窓の景色を眺めていました。

 そうやって連れて来られたのは横浜の山の中にあった男爵様の
別荘。
 別荘と言っても、そこが男爵が住まう家であり、私たち養女、
養子たちが生活する家でした。

 その建物に入り居間のソファまでやって来て私はようやく足を
地面に着けることができます。
 「いいかい、ここが今日からお前の家だ。まずは兄弟(姉妹)
たちを紹介しようね」

 男爵はそこにずらりと居並ぶ新しい兄弟を紹介していきます。
 ただ、いきなり起こった変化の中で私はそれを理解することが
できませんでした。きっと、紹介された十人の兄や姉たち、その
誰一人覚えることがなかったと思います。

 ただ、誰かが……
 「もっと可愛い子かと思ってた」
 という問いかけに男爵が…
 「可愛いじゃないか。何よりこの子は芯が強そうだ。車の中で
一度も泣かなかった」
 と言われ、お父様から頭を撫でられたのを覚えています。

 次は突然のことでした。

 『あっ』
 私はパンツを脱がされるとまるで岩山のような男爵の膝の上に
腰を下ろします。どうやら、その場でお漏らしを始めたようで、
周囲の大人たちが慌ててタオルや替えのパンツを用意し始めます。

 でも、そのことに私は慌てていませんでした。
 というのも、当時の施設ではパンツが濡れたまま遊んでいる子
なんて珍しくないからです。

 「乾くまで待ってればいいのに……」
 私が思わず発してしまった言葉に、周囲はどん引きしてしまい
ます。
 が、男爵様だけはそれを笑っています。
 私もそんな男爵様の顔を不思議そうに見ていました。

 そんな物怖じしない性格が気に入ったのか男爵様はノーパンの
私をさらに強く引き寄せ優しく頬ずりを繰り返します。

 実はこの男爵様、ペドフィリアの傾向があって、子どもたちも
その性癖を満足させるためにここに集められていたのでした。
 口の悪い人たちが『子供妾』と呼ぶあれです。

 ですから養女と言っても、私たちに男爵の財産を相続する権利
はありません。ただ、食べさせてもらい、着させてもらい、住ま
わせてもらうだけ存在なのです。

 そうですね、報酬らしいものといえば……しっかりとした教育
を受けさせてもらった事とお婿さんを探してもらった事くらいで
しょうか。

 そうそう『男爵様と知り合い』というのも社会に出てから結構
役に立ちました。おかげで、大人になってからも路頭に迷うこと
なく暮らせましたから、そういった意味での報酬はあったみたい
です。

 ただ、男爵はみずからの性欲の満足のために子どもたちを受け
入れているわけですから、実のお子さんのように『蝶よ花よ』と
いうわけにはいきません。
 私たちの生活は沢山の規則で縛られていて、些細な罪も厳しい
体罰で精算することになっていました。

 痛い罰、恥ずかしい罰もここでは日常茶飯事です。
 ですが、不条理な罰はありませんでした。

 罰には立派な理由がついていて、規則どおりに暮らしていれば
体罰の心配はありません。
 それができない時に厳しいことになるというわけです。

 ただ、そうは言っても相手は子ども。大人とは違い、分かって
いても色んなことをやらかします。
 おかげで、どんなに注意深く慎み深く生活している子どもでも、
二週間、三週間、いえ一月に一度は必ず男爵家のお仕置き部屋で
泣き叫ぶことになるのでした。

 いえ、事は家庭だけじゃありません。
 ここでは学校も同じでした。

 養女となった私たちが通う学校はお父様と同じ性癖を持つ方々
が資金を出し合って作った小学校や中学校。よって、お仕置きも
毎日の恒例行事です。何しろお父様たち公認なんですから幼い子
にも容赦はありませんでした。

 お父様たちに協力的な先生方のもと、子供たちは色んな理由を
つけられてぶたれます。まるで森でさえずる小鳥たちのように、
子供たちの悲鳴が毎日人里離れた山の中に響きます。

 それだけじゃありません。一歩敷地の中に入り込めば、他では
絶対に見られない破廉恥なお仕置きが目白押しでした。

 もちろんここも文部省が認可した正規の私立学校ですよ。でも
ここへ入学できるのは、特別な性癖を持つお父様方の子供たち
だけ。
 クラスメイトだってつまりは同じ環境なわけですから、私たち
には比べるものがありません。つまり私たちは自分たちのことを
ことさら不幸と感じたことはありませんでした。

 住めば都という言葉があるように、私たちにとってはこの山里
がふるさと。男爵様の家が我が家。学校もその一部にすぎません。

 『男爵様が用意してくれた広い広い庭でみんな暮らしている』
 そんな感じでしょうか。
 すべては男爵様の手の中にあったのかもしれませんが、それで
十分幸せでした。

 厳しいお仕置きがあると言っているのに幸せだなんて、不思議
ですか?変ですか?

 だってどんなに厳しいお仕置きがあったとしてもそれは生活の
中のほんの一コマ。大半の時間は優しいお父様にたっぷり甘えて
暮らしていましたから私的には幸せ感の方が大きいんです。
 お仕置きがあってもなくても、施設がここよりいい所のはずだ
なんて思ったことは一度もありませんでした。

************************

Appendix

このブログについて

tutomukurakawa

Author:tutomukurakawa
子供時代の『お仕置き』をめぐる
エッセーや小説、もろもろの雑文
を置いておくために創りました。
他に適当な分野がないので、
「R18」に置いてはいますが、
扇情的な表現は苦手なので、
そのむきで期待される方には
がっかりなブログだと思います。

最新記事

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR